前回の更新で、カイムに連なる人たちはみんな海や水に関わる名前だと気づいてくれた方がいてちょっと嬉しかったです。まあ本人達は別に水タイプ専門のトレーナーでもなんでもないんですけど。
ちなみにイサナの息子のグウラの名前はラグーンをいじったものです。
お気に入りが4400、UAが25万を突破しました。
いつも感想をくれる方々、単発でも時々でも感想をくれる方々、評価をつけてくださる方々、本当に励みになっています。作者の欲望から生まれたこの小説に感想や評価をつけていただき、本当にありがとうございます。
16話です。
ホウエン地方滞在三日目
時刻は7時半前。
朝早くから港には四人の影があった。
「おはよう、ルチアちゃん」
「おはようございます!お待たせしました〜」
「大丈夫よ。みんな今来たところだから」
普段のアイドル衣装とは打って変わり、パーカーとショートパンツ、スニーカーという動きやすくも可愛らしい服装だった。
「今日は同行を許してくれてありがとうございます」
ルチアはシロナに対して丁寧に頭を下げた。その様子を見てシロナは気にしないように伝える。
「大丈夫よ。ミクリさんのお願いでもあったし」
「知らない世界を見せてもらう機会をもらえて本当に嬉しいです!シロナさんとももっと話してみたかったし」
「うふふ、アイドルにそう言われるなんて光栄ね」
「カイムさん、今日はお願いしますね」
「ああ、よろしく」
ルチアはそこでイサナの方に向き直った。
「はじめまして!あたし、ルチアっていいます。今日は御同行させてもらいますので、よろしくお願いします!」
「お〜本物だ。めっちゃ可愛いわ本当に。はじめまして、アタシはイサナ。カイムの姉よ。今日は船の操縦士をさせてもらうわ。よろしくね」
二人は自己紹介を済ませて握手を交わした。
一通り挨拶を済ませたところでシロナは話を切り出した。
「今日の目的はみんなわかっていると思うけど、このオーキド博士から託してもらった海図が記してある場所に向かってそこに何があるのかを確かめにいくこと。正直出所がとても不確かで行った先に何もない可能性も大いにあるわ。でも、きっとこれをオーキド博士に託した老人は、この場所に大切なものを隠したはずなの。それが何であれ、私は知りたい」
オーキド博士曰く『オーキドが優しい人だとわかったから海図を託した』という。つまりこの海図が示す場所が悪人に知られた場合、何か大変なことが起きかねないということだ。
知的好奇心も大いにあるが、場合によってはその存在を保護する必要がある。チャンピオンとしての責務や学者としての好奇心。その両方の立場からどんな思いでオーキド博士にこれを託したのか。シロナはそれを知りたいと思った。
「この島までの道はイサナさん、お願いします。道中の安全は私が保証しますので」
「ふふ、頼もしすぎるわ。昨日試運転もさせてもらったし、ミクリの船乗り回してやろうじゃん」
「じゃあ早速向かいましょう。カイム、荷物は?」
「もう積み終わってる。いつでもいける」
「ありがとう」
「ほんじゃ船に乗って乗って。アタシが島まで連れてってあげるよ!」
快活に言うイサナの言葉を受け、シロナとルチアは船に乗り込んだ。二人が乗ったのを見届け、カイムも二人に続こうとしたところでイサナに呼び止められる。
「カイム」
「ん」
カイムを呼び止めたイサナは先程とは打って変わり、真剣な表情をしていた。
「…道中、ちょっと話せる?」
「ああ。俺も、姉貴と話したい」
「…そ。んじゃテキトーにタイミング見て話しかけてちょ」
小さく笑いイサナは船に乗り込んだ。
カイムはその背中を少しだけ眺め、それに続いた。
船を出発させてから約三十分。
ミナモシティの港は既に小さくなっており、心地よい潮風を受けながら一行は順調に向かっていた。
「いい天気ね」
日差しを受けながらシロナはそう呟いた。そのシロナの傍らにはロズレイドが控えており、船の四方をシロナのポケモンが配置され野生のポケモンが襲ってくることに備えていた。
「わあ、シロナさんのポケモンみんなキラキラしてる!」
シロナのポケモンを目の当たりしたルチアは鍛え上げられたポケモン達に目を輝かせた。ルチアはポケモンを主にパフォーマンス方面で鍛えられたポケモンは多く見てきたが、ポケモンバトルに於いて鍛えられたポケモンはあまり多く見てこなかった。ミクリのポケモンは確かに鍛えられていたが、ここまで戦うことに特化した育成が施されたポケモンを見るのは初めてだったのだ。
「うふふ、ありがとう。みんなのことを褒めてもらえるのはとても嬉しいわ」
「おじさまのポケモンとはやっぱりこう…鍛え方が違う感じがしますね」
「あら、わかるのね。人それぞれポケモンの鍛え方は違うわ。だからミクリさんと私で鍛え方はきっと違うわ。その違いがわかるの?」
「うーん…詳しいことはわかりません。あたしはバトルの方は全然触れてないんで…でも、なんとなくおじさまのポケモン達とは鍛え方が違うってのはわかります!ポケモン達の雰囲気というか、纏う覇気みたいなのが違うのがわかるんです!」
ポケモン達も同じ種類であったとしても当然性格も好きなものも得意なことも違う。それに鍛え方も違えばポケモン自身が纏う空気も当然かなり異なってくるが、それを見極められるトレーナーというのはあまり多くない。多くのポケモンを見てきたトレーナーでなければそれを感じ取れることはない。たとえそれがバトルであろうとコンテストであろうと、どのような形であれ多数の経験を積んだトレーナーならばわかるものだ。
「すごいわね。その歳でポケモンの雰囲気の違いを感じ取れるトレーナーは少ないわ。いい目を持ってるわね」
「えへへ…昔からコンテストで色んなポケモンやコーディネーターを見てきたんです。色んな人やポケモンがいて、みんな違いがあるって知りました。トレーナーとコーディネーターだけじゃなくて、他にもポケモンに関わる世界はたくさんある。だから他の世界を見てみたいって思ってるんです!」
「…そうね。確かにこの世界はたくさんの側面があるわ。私たちが見ている世界以外にもね。知らない世界のことを知るのは、私たちの見聞を広げられる。それはきっと、何に於いて上を目指すにしても大切になるわ」
現にシロナもバトルと考古学という二つの世界を知っている。互いの世界を知り、経験しているからこそ互いに活かすことができるものがあった。無論知っていなければトップを取れないわけではない。一つを極めることが最善の人もいるが、ルチアに対しては知った方がいいと本人もミクリも判断した。
ただ正直これから向かう島に於いて知ることができる世界は、もしかしたら後ろ暗い世界である可能性をシロナは心配していた。心優しいひとだからとオーキドに託したというが、それは暗に悪人の手に渡ってはいけないということに等しい。この先で明かされる世界は場合によってはあまりルチアが知るのはよくない世界の可能性もある。
とはいってもそのあたりの事情もミクリには話している。知った上でルチアの同行を頼むということは、それも承知の上だろうとシロナは考えた。
「わあ〜!とっても綺麗!」
ロズレイドがマジカルリーフを煌びやかに舞わせ、それを見てルチアは喜んでいた。そんな普段のアイドルとしての姿ではなく、年相応の少女としての姿を見せるルチアにシロナは思わず頬を綻ばせた。
(…
ルチアと幼い頃の妹の姿を重ねた。両親のことを知らなかったが、姉妹揃って互いがいたから辛くなかったし気にもならなかった。シロナのポケモン達を見て喜ぶ妹と今のルチアがそっくりだった。
「…ルチアちゃん」
「はい、なんですか?」
「一応聞いておくわね。私たちがこれから行く場所、もしかしたらあまりいいものは見られないかもしれない。場合によっては、少し『暗いもの』がある可能性もあるわ。それを見たくないなら、島についても待っているということもできるわ」
ミクリが許可した以上問題はないだろうが、シロナとしてはちゃんと本人に確認しておきたかった。
その言葉を受けてルチアはシロナに向き直り、真剣な表情をした。
「わかってます。おじさまからその可能性も指摘されましたから。確かにあたしはまだ子供で、綺麗な世界しか知らない。でも、でもね!この広い世界はあたしが好きなキラキラしたものだけじゃないって教えてもらいました。だからむしろ
確かにルチアはキラキラしたものが好きだ。それが人であれポケモンであれ世界であれ好きだと断言できる。
しかし世界の全てがキラキラしているものではないと、ルチアは幼い頃に知った。天才肌のルチアは幼い頃からコンテストで頭角を現し絶大な人気を早くから得ていたが、それをよく思わない者は一定数いた。直接何かをされたことはないし、間接的でも被害が出たことはない。しかし人の暗い感情を向けられていたことをルチアは自覚していた。その感情を受けていたからこそ、世界はキラキラしたものだけではないことを知ったのだ。
だがその暗いものもコンテストという世界に限定されたものだ。だから今回の機会で他の世界がどんなものがあるのかを知りたかったのだ。直接的に暗いものではないかもしれないが、どんな世界にも必ず暗い面は存在する。それを含めて『世界』というものを知るためにルチアはシロナに同行した。
「正直、わがまま言ってる自覚はあります。でも、自分が成長できる機会を逃したくなかったんです。ごめんなさい…」
「謝らないで。貴女が同行することは何も問題ないの。寧ろこちらが謝らなければいけないわ。貴女の覚悟と意識を過小評価してたわ」
まさかここまでの覚悟を決めて同行しているとはシロナも思っていなかった。ルチアなりに考え、そしてこれがきっと今後の自分の糧になると確信が得られたからこそ無理を承知で頼みに来ていた。
(覚悟の重さに年齢は関係ないものね)
ルチアは実際まだ子供だ。だが子供だからといって考えられないわけではない。ルチア自身、既にコンテストアイドルとして活躍しているプロだ。そこに上り詰めた彼女が生半可な気持ちで来るわけがないことは少し考えればわかることなのに、とシロナは内心で自分の少々浅はかな考えを悔いた。
「ごめんなさい。貴女のプロとしての意識を見誤っていたわ」
「いえ、シロナさんの心配は尤もです。あたしはまだ子供で、守ってもらわないと生きていけませんから」
「逞しい子ね。私も見習わなきゃ」
「そんな!あたしなんてまだまだです!もっともっと精進しなきゃ!」
むん!と拳を握るルチアが可愛らしくてシロナは思わず頭を撫でた。
ルチアはくすぐったそうにしながらもそれを拒否することはなくはにかんだ。
「えへへ…シロナさんの手、あったかい」
「ふふ、歳の離れた妹が出来たみたいな気持ちになるわね」
「シロナさんは兄弟いるんですか?」
「ええ。二つ下の妹がいるわ」
「妹さんがいるんですね!妹さんは何をしているんですか?」
「私、カンナギタウンの出身なんだけどね。育て親がカンナギタウンの長をやっているの。後継になるために町に残って二人の補佐をやっているわ」
現在シロナの妹は二人の育て親である祖父母の補佐をしている。古きを伝える町、ということで姉妹なりにそれを実践する生き方を選んだ。それは姉妹どちらもその生き方が自分に合っている、と思えたからこそ実践しているものだ。
「町長の補佐ですか。二つ下っていうと、あまり離れてないですね」
「ええ。あの子はあの子なりにカンナギタウンの『古きを伝える』役割を果たして、私は私なりに果たす。それが私たちが選んだ生き方よ」
「かっこいい…」
「そう言われるとちょっと恥ずかしいわね…」
その後しばらく二人は談笑を重ねていき、数分後にはすっかり意気投合するのだった。
船室内
シロナとルチアが談笑する姿を見てイサナは楽しそうに言う。
「あらあら。二人、すっかり仲良くなってるじゃん」
海図と方角を確認しながらも手慣れた様子でイサナは船を操縦しており、そんなイサナの様子をカイムは無表情で後ろから見ていた。
「あんたは行かなくていいの?アタシはともかく、あんたは無表情で無愛想だから仲良くなりづらいんじゃない」
「余計なお世話だ」
「あらそ。そんなんで彼女できんのって言おうと思ったけど、もういるんだったわ」
にしし、と歯を見せながら笑うイサナにカイムは聞きたかったことを聞いた。
「姉貴、いつ結婚したんだ」
「婚約したのは四年前で式挙げたのは三年前。あんたが大学卒業するちょい前かな」
「……俺が大学いたことは把握してたんだな」
「うん。家でてからも実家に連絡入れてたからね」
「…俺、姉貴が家出てからどうなったのか全く知らなかったんだが」
イサナはカイムがハイスクールに入学して少し経った時に実家を出た。進学などではなく、バックパッカーみたいに世界を見て回る旅に発った。そしてそれ以降、カイムがイサナの行方を知ることはなかった。
だが両親は特別気にした様子はなかったため生きてはいるのだろうと思っていたが、何もカイムには知らされなかった。
「まぁ、ね」
「親父と母さんに時々聞いたけど、何も教えられなかった。多分、姉貴が俺には言うな的なことを言ったんじゃないのか」
「鋭いじゃん。そうよ、二人に黙っててほしいって言ったの」
「なんでだ?」
カイム自身が知ろうとしなかったのもあるが、ここまで情報をシャットアウトされなきゃいけない理由がわからなかった。
「……昔さ、アタシがあんたに言った言葉覚えてる?」
「どれだよ」
「『どんなに頑張っても、才能が無いんじゃたかがしれてるんじゃない?もっと他のことやれば?』ってやつ」
「…ああ、それか」
忘れるはずがない。その言葉はカイムが自分に才能がないと自覚させたものだったから。
「あれ聞いて、あんたどう思った?」
「どう、か…そうだな。俺は、姉貴みたいにはなれないんだって多分その時は絶望したと思う」
「だよね。今思えばかなり酷いこと言ったってわかるわ」
「それが原因か?」
「んー、まあね。これだけってわけじゃないけど、色々とアタシは重ねてたからさ」
「…つまりなんだ?お前、俺を傷つけたことを気にしてたのか」
「そうね。端的に言えば、嫌われてると思ってたのよ」
イサナは逆の立場ならきっと嫌いになるし、その後を知ろうとも思わなくなるだろうと思っていた。昔は本当にできないことがなかったため、できないということが理解できなかった。
だが理解できなかったからといって、言っていいことと悪いことがある。イサナ自身がどのような思いであれ、発した言葉の意味と重みを自覚しなければならない。
「あんだけ酷いこと言って、具体的なアドバイスもせずにただ傷つけただけのアタシに姉と名乗る資格なんて無いと思ったの。だから半分縁を切ったようなことしたのよ」
「そうか」
カイムは一呼吸置いて言った。
「結局、
「え?」
「俺も姉貴も、口足らずだ。俺は姉貴の『功績』しか見ないで、あんた自身と向き合うことをしなかった。姉貴は俺の『気持ち』と向き合わなかった。ほら、似た者同士だ」
「カイム…」
「俺、確かに昔は疎ましく思ってたよ。なんでも比べられるし、姉貴に勝てるものは何一つない。姉は優秀なのに弟は凡庸って何度も言われた。嫌だったけど、でも姉貴に『いなくなってほしい』って思ったことはねえよ」
船に揺られながらカイムは水平線を眺めた。
昔は確かに疎ましく思う時はあった。だがいなくなってほしいと思うことだけは一度もない。5歳も離れているためかかなり面倒を見てもらった記憶があるし、なにより自分の簡単には折れない精神を作るきっかけになった。嫌な面もあるが、それだけで嫌えるほどカイムは冷たくなかった。
「……カイムは、アタシが嫌いじゃないの?」
「面倒くせえと思う時はあった。でも、嫌いにはなってない。少なからず感謝はしてるしな」
「…そっか。なるほど、アタシはまた人の気持ちを考えてなかったのね」
結局、互いにコミュニケーション不足だっただけだった。互いに口下手なせいでここまでこじれてしまった。シロナが言った通り、ちゃんと話せばすれ違うこともなかったのかもしれない。
「あーあ。なんでもできたから、アタシはカイムのことでわからないことはないって思ってたけど傲慢だったわね」
「違いない。知識として知らないことがなかったとしても、個人のことについて全てを知るなんて不可能だ」
「まだまだ未熟ね。アタシ」
「世間一般ではまだまだ若僧だよ、俺らはな」
「そうね…でもカイムはもう守ってあげなきゃいけない子供じゃなかったね」
視線をイサナに戻すと、その横顔はどこか晴れやかですっきりした表情だった。
その表情を見てカイムは小さく息を吐き、足元にいたトリトドンを撫でながら言った。
「俺、ジムリーダーやれるくらいには成長したんだ。もうただの子供じゃねえ」
「…アタシ達の関係は、死ぬまで姉と弟。でも、同じ人間だった。だからちゃんと向き合わなきゃ失礼ね」
イサナは手はそのまま船の操縦を続けて、視線のみをカイムに向けた。
「今までごめん。あんたのこと、ちゃんと見てなかった」
「別にいい。でも、もし悪いと思っているなら一つ頼みを聞いて欲しい」
「アタシにできることなら、なんでもやるわ」
「この滞在期間の間に俺とバトルしてくれ」
「え?」
イサナがカイムに目を向けると、カイムは真剣な目をしていた。
「…いいけど、アタシバトルから結構離れてたからあんたが思うより弱いと思うよ?」
「どうだかな。真面目に努力し続けていれば、間違いなくチャンピオンレベルになっていたであろう化け物レベルの才能の持ち主が何言ってんだ」
ジムリーダーになった今だからよくわかる。イサナのトレーナーとしての才能は、カントー地方で出会った少年ーーレッドと同レベルだ。バトルのトレーニングはしていないため当然イサナはレッドには勝てないし、実力も昔と比べたら落ちているだろう。今の手持ちポケモンもバトル用に鍛えているわけではない。普通に考えれば現役でジムリーダーを務めるカイムが負けることはない。
だがそれを覆せるほどの才覚をイサナは持ち合わせている。今のカイムですら負ける可能性はあるし、場合によってはシロナの相手をしても少しいい勝負ができるかもしれないとカイムは考えていた。尤も、どんなに才能があってもさすがにチャンピオンには勝てないだろうが。
「ちょっとちょっと、努力の大切さを知ってるあんたの言葉とは思えないわね」
「わかってる。負ける気はないよ。でも姉貴ならできちまうんだろ」
「あんたアタシのこと買い被りすぎじゃない?」
「俺から見た姉貴は、それくらい強烈なんだよ」
「…そっか。うん、いいよ。明明後日にはアタシもガラルに戻るから、それまでにしよっか」
「ああ、頼む」
「しかし、なんでバトル?」
カイムは船に乗る前『姉貴と話したい』と言っていた。なのにカイムは話ではなくバトルをしたいと言った。これには何かしらの理由が存在するとイサナは考えた。
「…俺も姉貴と向き合わなきゃいけない。話すだけじゃだめだ。ぶつからないと俺達みたいな口下手はまたどっかですれ違う」
「あんたなりに考えた結果ね。いいよ、そういえばアタシ達喧嘩もしたことなかったじゃん。いっちょ喧嘩、してみよっか」
からからと笑いながらイサナは言った。
その様子を見て問題無さそうだと考えたカイムはトリトドンに目を向ける。トリトドンはカイムの視線に気づき、嬉しそうに頭をカイムの膝に擦り付けた。
ーーー
船を走らせて約一時間半。
「みんな、見えてきたよ」
今までほとんど水平線しか見えなかった視界に、突如島が見えてきた。道中、レベルの高い気性の荒いポケモンが襲ってきたりしたが、全てシロナのポケモン達が返り討ちにしたおかげで事なきを得ていた。
そしてそれらをくぐり抜け、とうとう目的地が目の前に現れた。
「あの島か?」
「そうね〜。海図の示す場所はあそこよ」
「…そうか」
パッと見たところ、人がいる様子はない。
「…やはり、無人島ね」
「あそこに、何かがあるんですよね」
「恐らくね。珍しいポケモンがいる…らしいわ」
実際シロナにもなにがいるのか見当もつかない。珍しい、というくらいだから単純に個体数が少ないだけのポケモンではないだろう。もしかしたら、時渡りで出会ったスイクンやセレビィ、アルトマーレのラティアス兄妹くらいのレベルの可能性は大いにある。
「珍しいポケモン…」
「捕獲をする気はないわ。でも、場合によっては保護しなきゃいけないこともあるかもしれない」
「保護、ですか?」
「あまりないとは思うけど、その個体が酷く衰弱していたりしたら保護するわ。仮にとてつもなく凶暴だったら、私が全力で抑えます」
凶暴な可能性は無いとは言えない。野生のポケモンで気性の荒いポケモンはいるが、希少なポケモンは割と大人しい場合が多い。それはあまり人間に興味を示さないからという理由が大きい。
だが何事にも例外というのは存在する。だから場合によっては出会った瞬間に襲ってくるくらい気性の荒いポケモンがいてもおかしくはない。その場合はシロナが全力で抑えて撤退する手筈になっている。
シロナは持ってきた双眼鏡で島をざっと見渡す。見た感じ普通の無人島のように見えるが、なぜか僅かに違和感を感じ、ブリッジに出てきたカイムに聞いた。
「カイム、どう思う?」
「どうとは?」
「あの島について。何か感じない?」
カイムはシロナに渡された双眼鏡を手に取り、島を見渡す。
色々を視線を巡らせ、ある場所に視線を向けた時に違和感を感じた。
「…ふむ、断言はできんが、ただの無人島では無さそうだな」
「やっぱりそう思う?」
「何かわかったんですか?」
ルチアの問いかけにシロナは顎に手を当てて話し始める。
「私たちがこれからいくあの島は、無人島のはず。多分今は本当に無人島でしょうね」
「以前誰かがいたということですか?」
「そもそも海図に記されている以上、誰かがかつて訪れたのは間違いないわ。でも、訪れただけなら『あんなもの』を作る必要はないはず」
「あんなもの?」
「桟橋よ。誰も来たことのない島なら桟橋なんてあるわけないわよね」
双眼鏡では島を見渡したところ、桟橋があった。桟橋は完全に人工物であり、島に他の人工物はなかった。つまり今は無人島であるが、かつて誰かが訪れたことを意味する。
「あの島で間違いないでしょう」
「だな。現在地はわかるか?」
「ホウエン地方ギリギリの場所ね。もう少しいくと、別の地方になるわ」
「なるほどな。ホウエン地方の最果て…まさしく最果ての孤島だ」
あまりに辺鄙な場所にある島にカイムが苦笑すると、その瞬間水面からギャラドスが飛び出して一行に襲い掛かろうとした。
だがシロナは動じることなく、視線を島に向けたまま手短に指示を出す。
「ロズレイド、エナジーボール」
ロズレイドの両手に草の力が集まり、凝縮されたものがギャラドスに放たれて直撃した。飛行タイプを持つギャラドスにエナジーボールは等倍の威力だが、鍛えられたシロナのポケモンの技は野生のポケモンの威力とは格が違う。ほとんどのポケモンが一撃で倒されるが、このギャラドスは比較的強かったのかこの一撃を耐えて反撃を試みてきた。
「ガブリアス」
船尾で静観していたガブリアスはシロナの呼びかけを聞くと立ち上がり、突っ込んでこようとするギャラドスに向けて咆哮した。
凄まじい音圧と圧力。これだけであれだけ怒り狂っていたギャラドスはガブリアスとの格の違いを思い知り、怯えながら海へと帰っていった。
「す、すごい…」
「咆哮だけで格差を思い知らせるか…バケモンだな」
「野生程度に負けるようなヤワな鍛え方はしてないわ。力でダメなら格差から来る恐怖でわからせるまでよ」
実際ロズレイドは加減したエナジーボールで瀕死直前までのダメージを与えている。敢えて加減して格の違いをわからせようとしたのに襲いかかってきたため、別の方法で格差を思い知らせた。
これを平然とやってのけるチャンピオンの凄まじさにルチアとイサナは戦慄していた。
ただ一人、カイムはシロナの規格外の強さを知っているため驚かなかった。
「はは…さすがチャンピオン。普通のトレーナーじゃできない芸当だわ」
もしかしたら、あり得たかもしれないイサナの姿。もしイサナがバトルに興味を示し、それにむけて努力を積み重ねていたらシロナのようになれていた可能性もある。
「…やっぱアタシには向いてないよ、カイム」
イサナは誰にも聞こえないくらい小さい声で呟いた。
桟橋に到着し、船を着けるとシロナ達は島に降り立った。
「ここが…」
「そう、海図に記された場所。方角、地理的条件からも海図が示していたのはここで間違いないわ」
「ありがとう、イサナさん。ここまでの運転、ご苦労様」
「気にしないで。大したことじゃないわ。あ、カイム。船を固定するから鎖巻くの手伝って」
「ああ」
二人が船を固定させているのを尻目にシロナは足元に視線を移す。
コンクリートでできた桟橋が目に入る。長年放置されていたため、所々ひび割れたり雑草が生えたりしているが、その割に朽ち果てたりしている様子はない。整備はされていないが元の造りが良いため、長時間放置されたのにここまで綺麗に残っていたのだろう。
「コンクリート製…やっぱり誰かが来ることを想定していたのね」
「昔人が来て、その人がいつかまた誰かが来る時のために残したって感じですか?」
「多分そういうことね」
島は外周は岩で覆われているが、それよりも内陸に行くと草が生えている。それよりもさらに内陸に行けば木が生い茂り森が形成されていた。
「思ってたよりも大きい島ですね…あたし、もっと小さい島を想定してました」
「私もよ。今まで誰もほとんど来たことのない島ならもう少し小さいと思ってたけれど…」
思いの外島の面積は大きい。人が活動できる面積だけを考えたらそこまで大きくはないだろうが、無人島であることを考えれば十分な広さだろう。
「それにしてもこの島…ポケモンの気配がしないわね」
人の手が加わっていない島、と考えれば大体はポケモン達の住処になっているとシロナは考えていたが、実際はほとんどポケモンの気配はしない。海に住むポケモン達もこの島にはほとんど近づこうとしてこなかった。現に島に近づくほどに襲ってくる野生のポケモンは減っていた。
「本当に何もない島には思えないけど…」
「います」
「え?」
「この島、何かいますよ」
ルチアは確信しているかのように言った。
「わかるの?」
「はい。なんとなくですけど…こう…『声』みたいなのが聞こえたんです。小さい頃から目と耳はすごく良かったので」
シロナには何も聞こえなかったが、ルチアには聞こえたらしい。気のせいの可能性もあるが、ここまで自信を持って言うのであれば本当の可能性が高い。
(ルチアちゃんはコンテストアイドル。この歳で成功している理由の一端にこの子の目と耳の良さが起因しているのかも)
何事に於いても『目』より先に『腕』が肥えることはない。どういうものがその分野に於いて優れているのかを判断できるようにならなければ決して上達しないからだ。
ルチアは本人の才能と努力のおかげでここまで大成しているが、その才能の中に彼女の感覚器官の鋭さも含まれているのだろうとシロナは考えた。
「なら、何かいるわね」
「はい。ちょっと怖いけど、楽しみです!」
「待たせた。行けるぞ」
船の固定を済ませたカイムがシロナに声をかけた。
「任せっぱなしで悪いわね」
「いい」
「じゃあ行きましょうか」
荷物をカイムは背負い、シロナも道具を自分のカバンに詰めて立ち上がった。ルチアも念のためゴールドスプレーで野生のポケモン対策をして草むらに入る準備を済ませる。
だがイサナは一人何もせず桟橋にあるボラードに腰掛けた。
「アタシは船見てるよ。何があるかわからんし、人様の船に何かされたら大事だからね」
「でも、イサナさんだけ残っててもらうなんて…」
「気にしないで。アタシが行ってもできること、ほとんどないし」
「行こう。実際、誰か待ってなきゃならんし」
「…そうね。じゃあイサナさん、すみませんがお願いします」
「行っといで〜」
元は相当な才能の持ち主らしいが、トレーナーとしてバトルから離れてかなり経つ。念のためシロナはイサナの下にトゲキッスを残した。トゲキッスなら広い技範囲によって大体のポケモンをどうにかできると判断してのことだ。そしてそのトゲキッスをイサナは楽しそうに撫で回していた。
三人は岩場の道を進んでいくが、シロナは少し進むと後ろを振り返った。
「イサナさん、大丈夫かしら」
イサナを残していくことに若干シロナは抵抗があるようだが、カイムはそれを遮った。
「平気だろ。シロナのトゲキッスもいるし、あれでもトレーナーとしての才能はピカイチだ。どうにかなるさ」
「…そうね。心配のしすぎも失礼よね」
カイムの言葉に納得したシロナはそこでイサナへの心配をやめた。
「カイムさん。イサナさんって、カイムさんのお姉さんなんですよね」
「ああ」
「へえ…」
「似てねえだろ」
「えっ⁈いやそんなこと…」
「気にすんな。俺も似てないと思うし」
実際カイムとイサナは似てない。カイムは父親似でありイサナは母親似だ。目元はどちらも母親似だが、カイムは常に眉間に皺が寄っているためよく見れば似ていないこともないが、朗らかなイサナとカイムではかなり印象が異なる。
「実際あまり似てないわよね。姉弟でかなり性格も違うし」
「姉貴ほど愛想良くできねえよ」
「もう少し愛想よければ人からの印象も良くなるわよ」
「やかましい」
「カイムは無愛想だけどとても優しいわ。だからあまり怖がらないであげてね」
「大丈夫です!カイムさんのポケモンと触れ合う姿、とても温かかったのですぐに優しい人だってわかりました。カイムさんのポケモンはカイムさんが大好きなのが伝わってきたんです。だからあたし、カイムさんとも仲良くなりたい!」
道中、カイムとポケモンの触れ合う姿はルチアの目にはキラキラして見えた。カイムもポケモンも互いを信頼しており、一緒に過ごす時間が幸せであることがよく伝わってきたからだ。
ポケモンに対してそこまで優しくなれる人で、シロナが助手として認めた人が悪い人なわけないとルチアは納得した。そんなカイムと、ルチアは仲良くなりたいと思った。
「だってよ、カイム」
「…どーも」
「照れてるだけよ。気にしないで」
「おいこら」
好き勝手に言うシロナに思わずツッコミをいれるが、シロナは全く気にせずに笑う。そんなシロナの姿を見てルチアも笑った。
和やかな雰囲気のまま、三人は岩場から森林部に入っていった。
木々の間を通り抜けて森林部に入ると、中は草が生い茂り木々は空を覆い尽くすように育っていた。太陽の光は遮られているが、中は比較的明るい。わざわざ灯りを灯す必要も無さそうだった。
「外からはわからなかったけど、中に入ると結構ポケモン達がいるのね」
外にいるときはほとんど気配を感じなかったが、森林内部には野生のポケモン達が生息していた。見渡すだけでもキモリやイトマル、ケムッソやドクケイルなどのポケモンの姿が確認できた。
「わあ…ポケモン達がたくさん」
「思ったより多いな。それに…島周辺のポケモン達に比べてここのポケモンはレベルが低い。ここまで差があるものなのか?」
道中で襲ってきたり遭遇した野生のポケモンはかなりの高レベルだった。ジムバッジを制覇したくらいのトレーナーではこの近辺の野生のポケモンを一匹相手にするのでも一苦労だろう。対してこの森のポケモン達は進化していないポケモンが多く、弱いポケモンが多い。
「何か秘密があるわね。そういえばルチアちゃん、貴女の聞いた声ってこの中でも聞こえる?」
「…はい。もっと奥の方から聞こえます」
「奥ね。やっぱり何かあるわね、この島」
「……ダメだ。俺には普通のポケモン達の声しか聞こえん」
「よーく耳を澄ませば聞こえますよ!ポケモン達一匹一匹の声を分類して、頭の中で精査するんです」
「簡単に言うなよ…」
ルチアは平然と言っているが、ルチアの言った言葉は相当並列処理が得意な人間でないと不可能だ。かくいうカイムにはできないし、シロナはできなくはないがこの場で簡単にやることはできない。
「とりあえず、ルチアちゃんの耳を頼りにいきましょう。未知数の島だから得られる手がかりを基に進むしかないわ」
「道らしい道もない。進む方向だけ指示してくれたら、俺が先導して道を作る」
「お願いね、カイム」
ルチアの声が聞こえるという方向を頼りに、カイムが道を作りながら一行は進む。
しばらく進むと、木々が取り囲むようにしてできた空間に出た。
「ここだけ木が無いわね…」
この空間だけ木々がドームのような形に形成されており、その内部は草むらが広がっていた。他の場所は普通に木が生えているのにここだけないのはおかしく見える。
「ここから声が聞こえました」
「じゃあその声の主はここにいるのね」
「いる、なにがいるのかはわからんがな」
シロナは周囲を見渡す。草むらはルチアの身長くらいの高さまであり、特別変わった様子は無い。
「……あれ?」
その草むらの中から少し、ピンク色の蔓のようなものが出ているのが見えた。
「あれ、なに?」
「ん、ああ…あれか。なんだ?」
「蔓…ですかね」
正体がわからず訝しげに見ていたら、その蔓(?)はにょろにょろと動いていおり、草むらの中をくるくる移動していた。
「動いた」
「生き物、よね?」
「あたし、行ってみます!」
「あ、おい!」
カイムが制止する前にルチアは草むらに入っていき、蔓の下へと進んでいった。
すぐにシロナとカイムもその後を追い、草むらが動く場所を目指して進むと、ルチアにはすぐに追いついた。
そしてそのルチアの目の前には薄いピンク色をした小さいポケモンが浮かんでいた。
「わあ、かわいい!」
ルチアがそのポケモンを目にしてかわいいと目を輝かせている後ろでシロナは衝撃を受けていた。
「この、ポケモン…まさか…」
シロナが真偽を確かめようとした瞬間、そのポケモンは姿を消した。
「あっ!消えちゃった…」
だがルチアが落ち込む前にポケモンは姿を現し、クスクスと笑いながらルチアの頭上をふわふわと飛んでいた。
「わっ!すごい!姿を消したり見せたりできるんだ!」
ルチアがすごいすごいと関心していると、そのポケモンはルチアの感心が伝わったのかそれをすごいだろうと自慢するようにその小さい身体で胸を張った。
そしてそのまま衝撃を受けたまま立ち直りきっていないシロナの目の前をくるくる回って、シロナの気を引こうとしていた。
「あら、うふふ」
その姿を見たシロナはすぐに正気に戻り、そのポケモンに向けて手を差し出した。それを見たポケモンは、シロナの手に自身の小さい手を乗せて握手のようなものを交わす。
「わあ!シロナさんすごい!」
「人懐っこいわね、この子」
ひとしきりシロナと戯れると、次にカイムに目を向けた。目を向けられたカイムは一瞬ドキッとしたが、いつも通りの無表情でシロナ同様手を差し出す。
だがポケモンはカイムの手を取ることはなく、カイムの頭の上に乗っかり、楽しそうにぺちぺちと頭を叩いていた。
「あ、おい」
「あらあら。やっぱりカイムはポケモンに好かれやすいわね」
「いいなーカイムさん!あたしもその子と仲良くなりたい!」
「遊ばれてるの間違いだろ…」
髪を引っ張ったり尻尾で頭をぺちぺちと叩いてくるポケモンにカイムはげんなりしつつもしっかり対応している。そのあたりにカイムの人の良さとポケモンから好かれる理由が見て取れた。
「…まさか、こんな場所で出会うなんてね」
「シロナさん、この子のこと知っているんですか?」
ぽつりと呟いたシロナの言葉にルチアは反応した。
シロナはルチアの言葉に頷くと、このポケモンのことを話し始めた。
「…私が生まれるよりも前の話よ。一人の優秀な科学者が、異国のジャングルで未確認のポケモンを発見したの。そのポケモンは新種のポケモンとして保護され、世界中で話題になったらしいわ。でもその後、発見した科学者は姿を消し、そのポケモンの消息も不明になった。残されたのはそのポケモンに関する僅かな記録のみとなったの」
「まさか…そのポケモンって」
「ええ。今まさに、カイムの頭の上で遊んでいるこの子…ミュウよ」
「ミュウ…」
一人の科学者が発見し、そして幻のポケモンとして現在では記録されている存在。研究者の大多数がその存在を認知しているが、実際に目にした者はほぼいない幻のポケモン。
「その生態系は今もわかっていないみたいだけど…なんでこんな場所に…」
「………」
遊ばれながら、カイムは視線を落とした。
その頭の上にいるミュウにルチアは手を伸ばす。頭を撫でられたミュウは気持ちよさそうに鳴き、ルチアの顔の前に移動した。
「ふふ、あなたミュウっていうのね!」
ルチアはミュウのすべすべした頭を撫でる。ミュウはすっかりルチアを気に入ったのか、ルチアの胸に飛び込んで頭をこすりつけていた。
「わっ、びっくりした!」
「あらあら、全く警戒しないわねこの子」
「すっごく人懐っこいんですね。初めて見たポケモンだけど…とてもすごい力があるように感じます」
「ええ、そうでしょうね。このミュウというポケモンは、現存する全てのポケモンの遺伝子を持つポケモンの祖だと言われているわ」
「全てのポケモンの、祖先…」
「どこまで本当かはわからんがな。そもそも記録がほとんどない。研究していた、その例の研究者が唯一ミュウに関する記録を保持していたが、何があったのか全て破棄している」
当時の研究者ならその研究者のことを知らない人はいなかったほど有名だったらしい。だが何故かはわからないが、その研究者はある日を境に急に研究の世界から姿を消した。
「今私がミュウについて把握しているのは、数少ない公開された論文に記されていたことだけ。わかることは少ないわ」
「そう、なんですね…」
「この島にいる野生のポケモンが何故弱いのに、周囲の強力なポケモンが住処にしたり、食い荒らしたりしないのかわかったわ。この島、ミュウが守っているのよ。ミュウの力が、この島を隠し、そして守っている」
周囲のポケモンはギャラドスやドククラゲ、パルシェンやトドゼルガなど強力なポケモンばかりだ。他にも飛行タイプのポケモンなどが飛んできて根城にしてもおかしくはない。なのに荒らされたりした形跡はない。それはミュウの力がこの島を荒らす可能性のあるポケモンから隠しているからだ。
「この小さい身体で…みんなを守っているんですね」
「とても優しい子よ」
どのような経緯があったにしろ、ミュウはこの島に生息するポケモン達を守っている。もしかしたら、人から見つからないのもそれと同じ理由かもしれない。
「……何が、どうなってんだか」
カイムは何がなんだかわからなくなり、頭を抱えるしかなかった。
「というわけです」
「はあぁ…こりゃまた随分とすんごいのがいたのね」
桟橋に戻り、未だなおルチアと戯れるミュウの説明をシロナはしたが、イサナは感嘆の声を上げるしかできなかった。
「幻のポケモン、ね。初めて出会ったわ」
「そうそう出会える存在ではありませんから」
「んで、またあの子は遊ばれてるのね」
イサナが目を向けると、カイムは服を引っ張られていた。それを見てクスクス笑いながらイサナは続ける。
「幻のポケモン相手でも好かれるのね〜」
「ポケモンから見たら人が良いように見えるからかもしれませんね」
「あの子、ミュウっていうポケモンなのよね。なんでこの島にいたのかしら」
「…情報が少なすぎるので、なんとも言えません。色々と考えられますけど、どうしても決定打に欠けます」
シロナの中で仮説はあるが、あくまで状況からの推測でしかない。物的証拠どころか状況証拠すらないため、シロナはこの仮説を口にすることを躊躇った。
「イサナさーん!」
「おっ」
ルチアが頭にミュウを乗せたままシロナとイサナの元へ駆け寄ってきた。
「みてみて!かわいいでしょ!」
「あらあら、かわいい子とかわいいポケモンのセットってのはいいものねえ。視界が幸せで埋め尽くされそうよ」
「もう!今はあたしじゃなくて、ミュウのこと見て!」
頬を膨らませて怒るルチアにイサナは笑った。
「あっはっは!わかってるわよ。しかし、すごい力を持ってる幻のポケモンなのに偉い可愛げのある子じゃん」
イサナはルチアに抱かれているミュウの顎を撫でる。ミュウは気持ちよさそうに目を細めて『きゅう』と小さくないた。
「あんた、ミュウって言うのね。この島を守ってやってるなんて、偉いじゃん」
「この小さい身体でみんなを守っているって考えると、本当にすごいですよね。この子の優しさと強さ…とってもキラキラしてる」
「この島のポケモン全てが、ミュウの家族みたいなものね」
うりうりとイサナはミュウの頬を突く。くすぐったそうにしながらもミュウは笑顔でそれをされるがままになっている。
その様子を見ながらシロナとカイムは小声で話している。
「…カイム、ミュウのことを研究していた研究者のことだけど…」
「まだその研究者が関係していると決まってない。ミュウそのものに雌雄があるのかわからんが、ミュウが現存する『通常種』のポケモンの祖先であるなら、この個体しか存在しないとは考えづらい」
「つまり、あのミュウ以外にも存在する可能性があるってことよね」
「ミュウが神と呼ばれるポケモンじゃないのなら、そうだろうな」
カイムは現存する伝説や幻と言われているポケモンの中でも、通常種のポケモンに近いポケモンと、神話に登場する神と呼ばれるポケモンに分けられると考えている。通常種に近いポケモンは他にも個体が存在する。ラティアスやラティオスがわかりやすい存在だろう。彼らも所謂伝説に登場するポケモンだが、唯一無二の存在ではない。
対して伝説に登場する神のポケモン…例えばディアルガやパルキア、ギラティナは唯一無二のポケモンだと思われる。
そしてカイムはミュウは前者だと考えた。唯一無二ではなく、少ないながらも同族が世界にいる可能性があると思えたから。
「まだこの島に何か手がかりがあるかもしれないわ。あとで捜索してみましょ」
「ああ」
未だに戯れるルチアとイサナを眺めながら二人はそう話をつけた。
ーーー
数時間後
太陽の位置が真上に到達したくらいの時刻。
「あうう…お腹空いてきました…」
ルチアの腹の虫が鳴り、ルチアは恥ずかしそうに顔を赤くした。
それを見てシロナは時計を見る。
「もうお昼ね。朝も早かったし、お腹が空いてきてもおかしくないわ」
実際シロナも空腹を感じ始めていた。
それを聞いてカイムは船に載せていた荷物の一つを運んできた。
「時間も時間だ。そろそろ飯にしよう」
「おっ。カイムのご飯食べるの初めてなのよね〜。楽しみ」
カイムはレジャーシートを敷くと、クーラーボックスから大きな弁当箱を取り出した。
弁当箱を開けると、中にはおにぎり、稲荷寿司、卵焼き、ソーセージ、ミートボールやサラダが敷き詰められていた。
「定番の簡単なものばかりだが、好きに食べてくれ」
「おお〜!これ、カイムさんが作ったんですか⁈」
「そうよ。すごいでしょ」
「なんでシロナが言うんだよ」
「へえ、やるじゃん。朝早くからこんな量作るの大変だったんじゃない?」
「別に。慣れてる」
日常的に早朝に起きてジムで食べたりシロナとスモモに持たせるための弁当をよく作っているため、あまり大変だと感じたことはない。今日の弁当は家にあった材料を適当に使って作ったため、弁当における定番のようなものしかないが、それでも十分な量と味に仕上がっている。
「こ、これ…食べていいんですか?」
ルチアが目を輝かせながらカイムに聞いた。
そのルチアにカイムは頷く。
「そのために作ってきた。ポケモン用の弁当も用意してるから好きに食え」
「わあ、ありがとうございます!出ておいで!チルル!」
アルコール除菌シートをルチアに渡し、受け取ったルチアはボールからチルタリスのチルルを出した。
そこでルチアの側をふわふわ浮いていたミュウがカイムの顔を覗き込んできた。ミュウは小さく鳴くと、弁当箱を指さした。
ミュウの意図を察したカイムは、ミュウの頭を撫でて小さく笑った。
「お前も食べていいぞ。気になるんだろ」
カイムの言葉にミュウはパッと表情を明るくし、ルチアと共に弁当箱の中身を物色し始めた。
シロナもルチアの隣に腰を下ろし、共に弁当箱を覗き込んでいる。
「………」
そんな二人と一匹の様子を見ながらカイムは手持ちのポケモンを出す。
「あんた、随分料理上手くなったね」
イサナはポケモンに囲まれた状態のカイムの隣のボラードに腰掛け、カイムのブラッキーを抱き抱えた。
抱かれたブラッキーは楽しそうに笑いながらイサナのされるがままになっている。
「ほぼ毎日作ってりゃ、上手くもなる」
「毎日!はー主婦みたいなことしてんのねぇ」
「シロナは忙しいし、料理が下手くそだ。俺がやった方がいい」
「カイム?私のこと言う必要あった?」
「さてな」
シロナの圧に対してカイムは肩を竦めるだけだった。
イサナは弁当箱から一つおにぎりを取り出して食べ、おっと声を上げた。
「あ、美味しい。ちゃんと塩味効いてて、具もうまくできてる」
「主婦に褒められるとは光栄だね」
「このおにぎり…明太子ですね!おいしい〜」
「こっちは梅干しね。定番だけど、ちゃんと良い味してるわ」
「お…この卵焼きは甘めの味付けね。お母さん譲りの味付けだ」
各々がカイムの弁当に対して感想を言っているが、概ね好評のようでカイムは少し安心し、カイムは稲荷寿司を口に放り込んだ。
イサナの膝にいたブラッキーがイサナの持つおにぎりをくんくんと匂いを嗅いでいる。それを見てカイムはポケモン用弁当箱からポフィンを一個取り出して与えた。
「お前はこっち」
「ブラッキーは変わらないわねぇ。イーブイの時から人懐っこくて可愛げがあるわ。バシャーモも久しぶりよね。あんたは随分逞しくなって」
もぐもぐと食べ物を頬張っていたバシャーモの頭を撫でながらイサナは笑い、カイムの他の手持ちのポケモン達を見渡す。
「…へえ、みんなよく鍛えられてる。さすがジムリーダーね」
「代理だ」
「代理でも、誰でもなれるものじゃないでしょ?そこら辺、きっちりしてるもんね。ポケモンリーグ関連は」
「……俺でなれるなら、姉貴でもなれるだろ」
「無理よ。アタシは好きなことじゃないと、努力を続けられないもん。あんたほどなんでもまじめに努力できるほど我慢強くないし」
食事を進めながらイサナはあっけからんに言った。
カイムはその言葉に答えず、傍らにいるムクホークの身体を撫でながらミュウに視線を向ける。ミュウはルチアとチルルと共に稲荷寿司を笑顔で頬張っていた。どうやら稲荷寿司を気に入ったらしく、シロナに稲荷寿司を差し出して一緒に食べようと誘っていた。
「姉貴の旦那さんに会ってみたかった」
「そうね〜旦那も会いたいとは言ってたわよ。まあ今は仕事でガラルに戻っちゃったけどね。ガラルに来れば会えるわよ」
「遠すぎる。簡単に行けるか」
「だよね。でも運は良かったわ。ここであんたと会えてなかったら、一生すれ違ったままだったし。
「…かもな」
ふと視線を前に戻すと、トゲキッスとカイムのトリトドン、ミュウが互いに気に入ったポフィンを出し合っていた。
ミュウにどのような過去があるかはわからない。だがそれでも今こうして他のポケモン達と共に笑えることにカイムは少しだけ安心した。
視線をずらすと、横でもさもさと食べ物を食べていたムクホークとチルルが食べ物を分けあっていた。
(もう仲良くなったのか)
チルルのコミュニケーション能力が高いのか、それともムクホークが細かいことを全く気にしないからなのか、両方なのかはわからないが仲はよさそうだ。
ぼんやりとそれを眺めていると、カイムの隣にシロナが座った。
「今日もお弁当ありがとうね」
「慣れてる。あり合わせで悪いがな」
「十分よ。いつもポケモンの分も作ってくれてるし、本当に感謝してるわ」
「どーも」
なんでもないような風に言っているが、少しだけ頬が緩んでいるのをシロナは見逃さなかった。
「朝からポケモン達の分まで作るの、大変じゃなかった?」
「別に。元々朝は強い方だから」
「結構ショートスリーパーよね。その代わり一度寝たらほぼ起きない」
「眠りが深いんだよ」
苦笑しながらカイムはおにぎりを頬張る。
そしてそのわずかに緩んだ頬に米粒がついているのをシロナは発見した。
「カイム、ご飯粒ついてるわよ」
「ん、マジか」
カイムは咄嗟に手で頬を触るが、米粒がついているのは逆側の頬であるため米粒が取れることはない。
普段きちんとしているカイムにしては珍しい姿だった。庇護欲と悪戯心が湧いてきたシロナは思わず手を伸ばしてカイムの頬についている米粒を手で取り、自分の口にいれていた。
「!」
「ふふ、ごちそうさま」
「………」
にこやかに笑うシロナに対してカイムは眉間に皺を寄せた。別にこの行為そのものはそこまで恥ずかしさを感じないが、それをルチアとイサナがガン見しており女子同士でなにか盛り上がっている姿が見えてしまったからだ。
当のシロナは気づいていないのか、それともカトレア達に散々いじられてきたから慣れたのかはわからないが平然としている。
後々質問が面倒そうだと思いつつ、カイムは傍らにいたムクホークに視線を向けた。
「ムクホーク、飯食ったら頼みたいことがある」
傍らでチルルとなにかコミュニケーションを取っていたムクホークにそう声をかけると、ムクホークは少しだけ目つきを鋭くして小さく頷いた。
食事を終えて片付けを済ませると、ムクホークが戻ってきた。
カイムの目の前に降り立ち、何かを伝えようと高らかに鳴いた。
「おつかれ。見つかったか」
カイムの言葉にムクホークは頷く。ムクホークが視線を逸らしある一方向に視線を向けていた。
「あっちか」
「どうしたんですか?」
ムクホークとのやりとりを見ていたルチアがカイムに聞いた。
「もうちょいこの島のことを調べるにしても、あんま時間もない。だからせめて効率よくするためにムクホークに空から島の外観で人工物が無いか探してもらっていたんだ。コンクリ製の桟橋があるくらいだし、他にも何かあってもおかしくないだろ」
「確かに…それでムクホークが何か見つけたってことですか?」
「ああ。なんかあったみたいだ」
ムクホークの視線の先には岩場が広がっているだけであり、特になにかあるようには見えない。だが何かあったからムクホークはその方角を示している。
「じゃあ早速行ってみましょう」
「アタシはまた待ってるよ」
「いや、すぐ近くみたいだし姉貴も来い。ずっとここにいさせるのも悪いし」
「…うーん、別に平気だけど…まあでもすぐ近くならいいか」
待つこと自体は別に構わないが、手持ち無沙汰なのも間違いない。人から借りているものなのでしっかり見ておきたいが、本当にすぐ側ならば何か異変があればすぐに戻れる距離だろうからいいか、とイサナは内心で納得した。
「行くことは構わないけど、念のためサメハダーに船見ててもらうわ」
「ああ、頼む」
イサナはボールからサメハダーを出し、船を見ているように頼んだ。
それが済むと、四人はムクホークの先導についていき、ムクホークが見つけたものの場所へと向かった。
少し進むと、岩場の中でも小さな岬のような形になっている場所があった。そしてその岬の先端には、なにかが立っているのが見える。
「…あれは?」
「何かしら…近づいてみましょう」
小さな岬に登ってみると、そこにあったのは木製の看板だった。
「看板…よね?」
「ええ。かなり年季が入っているし、あの桟橋と同時期にできたと考えていいわね」
看板は板と太めの棒によってできている。簡素な造りではあるが、長時間野ざらしにされてなお壊れていないのを見ると、かなり丈夫に作られているのがわかる。
海に面して立っている看板の正面にシロナは回り込む。海風がシロナの髪を揺らし、シロナは髪を抑えた。
「…何か、書いてあるわね」
「やっぱ人が残したものか。あの桟橋を作った人と同じ人物だろうな」
「そう考えて差し支えないでしょうね。かなり長い時間雨風に曝されたから、所々掠れてるけど辛うじて読めるわ。読んでみるわね」
シロナは看板に記された文字を読み上げる。
「『…月6日
此処に立ち入る人…が 再び…れると すれば
心優し……で あらんことを
……こに その願いを 記し
この…を後にする
…ジ』」
誰も言葉を発さなかった。
意味がわからなかったわけではない。この看板を残した人物の当時の思いに何を言えばいいかわからなくなっていたから。
「…これって……
ルチアが沈黙を破る。
だがその声は迷いと悲しみの色が強く現れていた。
「恐らく、そうね。所々掠れているけど、意味は通るわ」
「記録は取っておいた。掠れているとこの文字を予想すると…」
カイムはメモ帳にシロナが見ている看板の文字を見ながら文を書いていく。
『…月6日
此処に立ち入る人間が 再び現れると すれば
心優しき人で あらんことを
今ここに その願いを 記し
この地を後にする
フジ』
カイムなりに予測して看板の文字を埋めたものをメモ帳に書き記して読み上げた。
「…こんなところか」
日付に関しては予測のしようがないため空欄のままだが、その他はほぼ間違いないと思われる内容で埋めることができた。
「ええ、きっとこの通りの文章だったでしょうね」
「ちょい待ってよ。なんで二人とも納得してんのさ」
「なんか変な場所あったか?」
カイムとしては何も違和感なくうめられたと思ったが、イサナはどうやら納得いっていないらしく声を上げた。
イサナはどこが違和感があったのかを話し始める。
「いや、文章はそれで通じるよ。多分その通りだったんだろうなってのもわかる。でもなんでカイムはこの文章を書いたのが『フジ』って人だってわかったのさ」
「ああ、それか。姉貴もさっきシロナからミュウのことを研究していた学者がいたって話は聞いたろ」
「うん」
「その学者の名前は、『フジ博士』ってんだ」
「この看板の最後に記された名前らしき文字…掠れているから読めないけど、恐らく二文字の名前。二文字で最後の文字は『ジ』。そしてこの島にいたミュウ。関連性が無いはずがないわ」
「…なるほど、そういうことね」
イサナが納得したところで、次はルチアがミュウを抱っこしたまま手を挙げた。
「あの、あたしも質問いいですか」
「私たちにわかる範囲ならね」
「どうしてその『フジ博士』はミュウを置いていったのでしょうか。こんな看板を残すわけだし、いつか誰か…優しい心を持つ誰かがこの地に来ることを願っていたはず。それほどの思い入れがあるミュウを、どうしてこの場所に置いていったんでしょう」
この質問を受けてシロナは僅かに表情を曇らせる。
それを見てルチアは悪い質問をしたと内心で少し罪悪感を感じた。船の中でされた『暗い世界について知る覚悟があるか』という質問は、ルチア自身にそれを知る覚悟を問うものであると同時に、シロナ自身がルチアにそのような暗い世界を教える覚悟があるかどうかを自分自身に問いかけたものでもあったことをルチアはわかっていた。
シロナはとても優しい。だからこそ世界を愛しており、この世界を否定しようとしたアカギと対峙した。それほど優しいシロナはルチアが暗い世界を知ることで傷つくことを恐れた。
心配は杞憂であるとわかっていても、やはりこうして伝えるのは心苦しく思える。その心をルチアは感じ取り、僅かに罪悪感を抱いた。
「…これから言うことは、あくまで私の知る情報とこの状況を鑑みて考えられる仮説だということを念頭においてね」
だがシロナはルチアの覚悟の強さとプロ意識の高さを知った。だから包み隠さず伝えることを選んだ。
シロナの言葉にルチアは真剣な表情で頷く。
「はい」
「…まずフジ博士について。博士はポケモンの生物学の第一人者だったわ。今で言うオーキド博士みたいなものね。中でもフジ博士は、ポケモンの遺伝子の研究について大きな功績をいくつも挙げている優秀な学者だったわ」
フジ博士はポケモンの遺伝子の研究で多大な功績を挙げていたが、本人が表に出てくることはほとんどなかった。論文のみが多数提出されており、非常に有名な存在ではあったが、表に顔を出すことがほとんどなかったため彼がどのような人物であったかを知る者は少ない。
「ミュウに関する論文を世の中に出してすぐ、フジ博士は研究の世界から姿を消したらしいわ。元々ほとんど表に顔を出さない人だったから世間的にはそこまでの騒ぎになっていないけど、学者達の間ではかなり話題になったでしょうね」
「つまり…そのフジ博士がいなくなった理由として、ミュウが関係しているってことよね」
「恐らく」
「どうして…ミュウを置いていったんでしょうか」
シロナは看板に視線を向ける。
「…ここからはあくまで予想ですけど、フジ博士はもしかしたらミュウについて何か知ってはいけないものを知った。またはあってはならないものを創り出してしまったのではないかしら」
「あってはならないもの?」
「二人とも、クローン技術って知ってる?」
ルチアとイサナは目を見合わせて頷く。カイムは当然知っているため答えない。
「あれよね、遺伝子の情報を使ってそっくりな別個体をつくるってやつ」
「それです」
「そのクローン技術が、どうしたんですか?」
「さっき言った二択で、前者については今のところ見当もつかないけど、後者の場合は…」
「……ミュウのクローンを作ったってことね」
無言でシロナは頷いた。
確証はないが、その可能性が高いとシロナは考えた。その主な理由として、まずクローン技術は遺伝子の情報を基にクローン体が作られることがある。
そしてもう一つの理由は、ミュウが非常に珍しく貴重なポケモンということだ。
「ミュウは、すごく珍しくて貴重なポケモン。だからそのミュウを下手にいじくり回して衰弱させたり死なせたりしてしまったら大きな損害になる。でもミュウの遺伝子から作られたクローン…コピーならどうだ。確かに貴重な存在だろうけど、ミュウのオリジナルと比べたら『また作れる』から価値は下がるってことだな」
「……ええ」
クローンは、所詮コピー。オリジナルにはなり得ない。だがコピーである以上、肉体の情報はオリジナルと遜色ない。だからどんなことをしても、最悪
あまりにも自己中心的で反吐が出そうになるほど醜悪な事情だが、妄執や溢れ出る好奇心は時に人を狂わせる。長い歴史の中で、人はそうして何度も間違いを犯してきたことを、歴史を学ぶシロナとカイムはよく知っていた。
「そのコピーに、フジ博士はなにをしたんですか?」
「それはさすがに今ある情報だけじゃわからないわ。でも、少なくともミュウに対しては丁重に扱っていたんでしょうね。もし酷いことをされていたのなら、今こうして私たちに甘えてくることなどしなかったでしょうから」
「…そっか」
ルチアは『良かった』とは言わなかった。確かにミュウに酷いことがされなかったのは喜ばしいし素直に良かったとは思った。
しかし、仮にシロナの仮説通りだとした場合、作られたコピーがどんな目にあったのか想像を絶するものだ。コピーだとしても、そのコピーも生きている。作られた生命でもちゃんと『生命』だ。そのコピーに課せられた境遇をかんがえると、ルチアはとても良かったと口にすることはできなかった。
(…心優しき人、か)
シロナの中ではこの海図をオーキドに託したのはこの看板を立てた老人…フジ博士であると考えた。
何故オーキドに託したのかはわからない。確かにオーキドは現在のポケモン生物学における権威であり、彼はポケモンを慈しみ、そして共存していくためにその生態を明らかにするという目的がある。それを知っていたフジ博士はオーキドに海図を託したのかもしれない。
もし好奇心や妄執に囚われるような人物であれば、まず間違いなくミュウの魅力に溺れて非道な実験を行う可能性があるからだ。
「あくまでこれは仮説だけどね。証拠と言えるものはなにもないわ」
「………フジ博士は、どうしてこの島を選んだんでしょうか。ホウエン地方なら、もっと他に島はありますしここに来ることができるならもっと見つかりにくい場所もあったはずです。でもここに桟橋を作って、ミュウを逃した。どうしてなんでしょう」
「…そうね。何か理由があったと思うわ。カイムはどう思う?」
「普通に考えれば、生息地と気候、環境が似ていたからだろう。ホウエン地方は比較的暖かい。ミュウが見つかったのはジャングルだっていうし、その現場にこの島の環境は近かったんじゃないか」
「なるほど…気候が近いならそこに逃してもそれが原因で死んじゃったりもしないもんね」
現に今シロナ達がいる島は比較的暖かく、もはや暑いくらいだ。これほどの気温なら熱帯が生息地でも問題なく生きていけるはずだ。実際ミュウはこうして生きているため(気候が関係あるかどうかはともかく)その予想は間違ってはいないだろう。
「…そんな過去があったんですね」
ルチアは抱っこしているミュウに視線を落とす。ミュウはなんだかよくわからないような表情で首を傾げた。
そんなミュウの様子を見て、ルチアは少しだけ悲しそうに笑ってミュウの頭を撫でた。
自分たちは今日、この地を去る。出会ってから数時間しか経っていないが、この僅かな間に仲良くなった。だから、少し寂しさを感じる。
ルチアは今後のミュウの生が幸福なものであることを願いながら、ミュウの頭を優しく撫でた。
*
日が傾き始めた頃、四人は最果ての孤島を去った。
去り際にミュウや島のポケモン達が見送ってくれたため、四人は笑顔で島を後にした。
「……少し、寂しいです」
船室の中で水平線を眺めながらルチアはぽつりと呟いた。
それを聞いたイサナは小さく笑った。
「ルチアちゃんは、随分ミュウと仲良くなってたもんね」
「はい。とってもかわいくて、あたしに色々と島のこと教えてくれたんです」
「仲良くなった子と別れるのは寂しいわよね。いつまで経っても慣れないものよ」
「イサナさんもそうですか?」
「うん。この歳になって、母親になっても慣れないわ」
「…そっか」
水平線に沈み始めている夕日が視界に入り、ルチアは眩しさに僅かに目を細める。
傍らでうとうとしているチルルを撫でる。くすぐったそうに身を捩るチルルにくすりとルチアは笑う。
「今日、あの島に行けてよかったです」
「なにか掴めた?」
「今日のこれがなにかに直接関係することはないと思います。でも、今日の経験はきっとあたしの糧になると思う。めったにできない経験をさせてもらったこと、忘れません」
「ほんっといい子ね。貴女に会えて、アタシもよかった」
イサナにとっても、今日という日は非常に良い日だった。ミュウという希少なポケモンに出会い、アイドルのルチアと仲良くなれ、そしてなにより弟のカイムとのすれ違いを解消することができた。
「アタシも、見習わなきゃ」
今まで逃げ続けていた。嫌われていることがはっきりするのが怖かったから、カイムと向き合うことを避け続けていた。
でもまだ十数歳程度の女の子が未知の世界の光と闇を見て、受け止めた。なら年上の自分が弟と向き合う程度できないのは恥ずかしい。散々天才だなんだと持て囃されてきたのだから、せめてこのくらいちゃんとやらなければいけない。
「そういう上を目指して貪欲になるところ、ミクリに似てるわ」
「イサナさんって、おじさまと知り合いなんですよね。昔のおじさまってどんな人でした?」
「昔のミクリ〜?んー…もう二十年以上前の話だけど、それでもよければ聞く?」
それからしばらく、二人はミクリの話で花を咲かせていた。
「仲良くなってるわね」
ルチアとイサナが船室で談笑しているのを、シロナは船尾から見てそう言った。
「姉貴だからな」
「今日船を操縦してくれた人がイサナさんで良かったわ」
「…ああ」
カイムは潮風でベタつき始めた顔をタオルで拭いた。
シロナは一呼吸空けて、カイムに聞く。
「ねえ、カイム。貴方が調べてたこと、教えてくれる?」
カイムの顔を拭く手が止まる。
「気づいてたか」
「ええ。お仕事でもないのにやたらパソコンと向き合ってたから」
「…鋭いな」
タオルを鞄にしまい、カイムは傍らにいたシロナのグレイシアを撫でながら答える。
「何について調べてたの?」
「オーキド博士が言ってた、シオンタウンの老人について」
「あの海図の持ち主についてね」
「まあ、あの看板を見て色々と繋がったよ」
繋がるとは思ってなかったけどな、と付け加えてカイムは調べた内容をシロナに話し始める。
「オーキド博士は、海図をくれたのがシオンタウンに住む老人だって言ってた。だからシオンタウンの住民を調べてみたんだ」
タブレットにまとめた表をシロナに見せた。
シロナはそれを見ていくと、一つの名前で目が止まる。
「この人の名前…『フジ』って…」
「ああ。町の人には『フジ老人』って呼ばれているらしい。ポケモンハウスの家主だ」
「じゃあこの人がオーキド博士に海図を?」
「さてな。まあ、『フジという名前』『老人』…そんで『島の看板』。ほぼ決まりだろう。なぜポケモンハウスの家主をやっているのかはわからん」
理由は不明だが、今はポケモンを保護する役割を担っている。そして町の人々には慕われているらしい。
「よく調べたわね」
「このくらいならネットを使える人間なら誰でもわかる」
「…それで?まだあるんでしょ?」
カイムは頷き、タブレットを操作してあるページを開いた。そのページは数年前、ロケット団がシオンタウンを占拠したときの記事が書かれたページだった。
「これは…ロケット団の?」
「ああ。この記事の中には書かれていないが、ロケット団に拉致されていた人物がいた」
「まさか…」
「フジ老人だ」
シロナは僅かに目を見開く。
「…ロケット団に、拉致」
「何もされなかったらしいがな。何故拉致されたのかはさすがに調べてもわからなかった」
「………」
シロナは顎に手を当てて僅かに思考する。
(…遺伝子研究…ミュウ…ロケット団……コピーポケモン)
いくつかの情報を基に仮説を組み立てていく。そして、あまり嬉しくない仮説ができてしまった。
「…なるほど、ね」
「仮説、できたか?」
「貴方のおかげでね」
シロナは隣に座るカイムの手を握った。その手は少しだけ震えている。
「……これは、ルチアちゃんに聞かせなくてよかったわ」
「何が、わかった」
「恐らく、フジ博士はロケット団の下でミュウのクローンを作ったのよ。だからロケット団に狙われた」
「……つまり、フジ博士のスポンサーはロケット団」
「多分ね。彼は、もしかしたらかなり深い闇に繋がっていたのかもしれない。そしてロケット団で、なにかを知った。または『創った』。それがきっと知ってはいけないものだった、それか手に負えなかったか」
何にしても他の住人とは違ってフジ老人だけ監禁ではなく、拉致であった以上ロケット団にとって特別な存在であることは間違いない。そうでなければわざわざ個別に拘束などしないだろう。
「…かつての世界的権威が、まさかマフィアと繋がってたなんてな」
「断言はできないけど、その可能性が高いわ」
「今日はそればっかだな」
「仕方ないでしょ。確証は何もないんだから」
子供っぽく唇を尖らせるシロナの手を握り返す。
シロナは目を伏せて続ける。
「この世界の誰であっても、心に闇は存在する。何が心の闇を引き出すかわからない。そして引き出された闇は、人の正気を失わせ狂気に落とす。もしかしたら、フジ博士には何かとても重大な目的があったのかも。それに遺伝子の研究が関わっていたのかもしれないわ」
「目的、か。人の思いは、その人だけのもの。俺には、わからんよ」
「…そうね」
シロナはカイムの肩に頭を乗せた。
水平線に太陽が沈んでいき、僅かに反射した光がシロナとカイムの顔を照らす。
「あの島に行ったこと、後悔してるか?」
「してないわ。望んで行った場所だし、色んな出会いもあった。今まで知らなかった世界の裏も知った。それがどんなものであったとしても、確かに存在している歴史なら私が目を逸らす理由にはならないもの」
暗いものであっても人の思いが宿った歴史である以上、シロナはしっかりと記録して見据えて受け止める。だから今日あの島へ行ったことは後悔していない。ミュウを連れていくわけにもいかないため心残りもない。だがそれでもフジ博士が何を思ってミュウに関する研究をしていたのかを考えると、少し怖くなる。
犯罪組織の手を借りてまで成果を上げようとしたフジ博士。その根幹にあるものがなんなのかはわからないが、分野は違えど自分も同じ研究者である以上フジ博士のように闇に囚われないと断言することができなかった。
(人の心の闇。それに私やカイムが飲み込まれる可能性もあるのよね)
シロナもカイムも根本的には善人。だが人の心は簡単に移ろいゆくものだと知っている。大切なものを失った時、今のシロナは心の闇に飲み込まれないか。カイムに頼りすぎているのではないのか。そんな思いがあの看板を見て仮説を組み立てた時から自分の中で燻っていた。
「シロナは、怖いのか?自分もフジ博士のようになることが」
カイムはシロナの思いを見透かしたように言った。
それに対してシロナは小さく頷く。
「ええ、きっとそう。どんな人でも、一歩間違えれば簡単に道を踏み外して…そして戻れなくなる。今までの歴史でたくさんそういう記録はあったけど、今回は自分でその仮説を組み立てた。だから私にもその可能性があるんじゃないかって思ったの」
「そうか…そうだな。シロナだけじゃない。俺もそうなる可能性はあるんだよな」
「誰にでもあるの。私にも、貴方にも」
「シロナはそうはならんよ」
グレイシアに視線を向けたままカイムはそう言った。
「どうしてそう言い切れるの?」
「俺が隣にいる間はそんな間違った道にはいかせない」
それは暗に『今後もずっと隣にいる』と言っているのと同じであった。これを聞いたシロナは小さく笑う。
「なーに?もしかして、プロポーズ?」
からかうようにシロナは言ったが、返ってきた言葉はシロナにとって意外なものだった。
「それはまだ先な」
「え」
『まだ先』ということは、いつかはするということ。
そしてそれが意味することは…。
「ちょ、ちょっと…じゃあ、カイムは私と…」
「さあ?」
「むう…」
シロナはその答えは少し気に食わなかったが、でも先日考えていた『
「ね」
「ん?」
「これからも私、きっと貴方に頼る。頼りすぎちゃうこともあるかもしれない。でも、それでも私の隣にいてくれる?」
「いるよ。俺も頼るからおあいこだ」
「ありがと」
自分だけでなく誰でも道を踏み外す可能性はある。でも、カイムが隣にいてくれる限り大丈夫だと、そう思えた。
水平線に太陽が沈んでいき、夜の闇が広がっていく。
暗くなっていく空に反して、シロナの心はとても明るくなっていた。
この先なにがあっても、二人なら乗り越えられると信じて生きていく。
きっとルチアとシロナさん仲良くなるなと思ってます。
シロナさんのガブリアス、覇王色の覇気纏えそうって勝手に思ってます。主人公なんだし、それくらいできてもおかしくないよね。
あとルチアの耳と目がいい設定は作者の独断です。ああいう幼い頃から成功してる子って大体耳と目が優れてるイメージあったので。
Q:最果ての孤島の場所がホウエン地方に含まれる場所になっているけどどうしてですか?
A:調べても詳細の場所が出なかったので、ホウエン地方から行けるけど遠い距離の場所、ということにしました。
Q:フジ博士やミュウはゲームとアニメどっちの設定を使っていますか?
A:両方の設定を物語の組み立てがしやすいように流用しています。
Q:ルチアの服装はどんなのですか?
A:青いパーカーとデニムのショートパンツ、黒のスニーカーです。
Q:ルチアはミナモシティに戻ってきた後、どうやって帰ったのですか?
A:アイドルなのでマネージャーさんに迎えに来てもらって車で帰りました。下手に公の場に出ると人だかりができるらしいので。
Q:とてもルチアの場面が多かったけど、作者はルチア推し?
A:一番の推しはシロナさんですが、ルチアも推しです。
Q:なんでシロナさんとカイム君は息を吸うようにイチャついているんですか?
A:これは日常で、本人達はイチャついている自覚はそこまでないからです。
Q:結婚しろという声が多いですが、結婚はしないんですか?
A:いつかしてほしいですね。
シロナ
探偵役。仮説をとはいえフジ博士における予想をほとんど当てて見せた頭脳明晰な人。ポケモン達の鍛え方がすごいため格下相手なら咆哮や威圧だけで相手の戦意を喪失させられる。
カイム
情報集めに関してはシロナを凌駕するが、そこから組み立てることは得意ではないため探偵にはなれない。ムクホークとチルルがいい感じの雰囲気してて苦笑いしてた。なお、ミュウには半分おもちゃ扱いだった模様。
ルチア
キラキラアイドル。ミュウに一番懐かれていたのはこの子。暗い世界を知ったが、それによってよりポケモン達に優しく、そして魅力を引き出そうという気持ちになりキラキラ度合いがより高くなる。少しのやりとりでシロナとカイムが付き合っていることに気づいた。
イサナ
一般人枠の天才。ルチアと仲良くなれてミュウにも会えたからかなりご満悦な様子。息子はタキに頼んで見てもらっていた。
アルセウスは鋭意執筆中です。次回かその次くらいに本編と一緒に更新したいと思っています。
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information
ミュウツーの逆襲編が解放されました。