ただただシロナさんとまったり過ごすだけの話   作:職業病

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学会


サボってました。

すみません…。


四万五千字です。


54話 ヨスガシティ

 吐く息が白い。

 肌を撫でる空気が冷たく、肌を刺すようだ。

 

 シンオウ地方に来てから、もう数年が経つ。最初と比べたら多少寒さ耐性はついたものの、やはり育った場所が場所なだけに寒さには少し弱い。シンオウ地方の厳しい冬が始まろうとしているのを感じた。

 

「…………」

 

 これからカイムはヨスガシティへと向かう。ヨスガシティのホールで考古学関連の学会が開催され、今回カイムはそこで発表をするために。今回の学会の規模は大きく、シンオウ地方外から参加する人もかなり多い。そして発表者の中には、考古学では有名な研究者もいる。そんな中で発表するという事実に、浮き足立つ思いがあることは否めない。

 だがここまで来たらじたばたしてもどうしようもない。シロナとプラターヌ博士に散々指導を受けたのだ。シロナ達の顔に泥を塗らないためにも、まともな発表にしたいという思いは強かった。

 

「…色々あった数年間だな」

 

 あの偶然の出会いから数年。どこにでもいる平凡で普通な自分が、研究成果をまとめ上げて世に発する機会を得るなんて誰が考えただろう。学会発表自体は別段珍しいことではなく学生時代に一度ポスターでやったことはあった。だが、ここまで業界に名の知られた研究者達がいる学会ではなかった。

 緊張はある。ただここまで来たらもうじたばたしてもどうすることもできない。それがわかっているからか、今は比較的落ち着いていた。

 

 ふと、リビングを見渡す。

 ここは本来、シロナの自宅。一人で住むには広すぎるし、何より本人の管理能力がない。シロナだけにしてしまえば、一週間も経たずに空き巣に入られたような有様になっているであろう自宅も、今となってはカイムの自宅でもある。戸籍上はまだ家族ではないが、ここに住んでいることになっており、あとは法的手続きを済ませてしまえば正真正銘の家族になる。

 そんな関係になるなんて、学生時代の自分に言っても鼻で笑うだろう。誰がどう見ても普通としか思えない人生を歩んできた自分が、世界的な有名人と一緒になるなどと、今時フィクションでも見ない。

 今となっては見慣れたリビング。こんなことになるなんて誰が思うだろうか。

 

「学会か」

 

 これからカイムは、レジポケモンとアルセウスの対立に関する発表をする。この発表内容は廃れていたレジポケモンの研究分野を大きく進歩させるような内容。それだけに反響がどんなものになるか考えてしまう。いいものだけであれば良いが、決してそうならないのが人間の持つ悪意。それをほんの少しだけ、カイムは知っている。実体験とは言えない。だがそれでも、それが引き起こすものを目にした。

 だからこそ、少し怖い。自分がきっかけになって、悪意が拡散されることが。

 とはいえ、もう既に賽は投げられた。今更心配してもできることはない。ここまで来て逃げるなどということはできない。

 

「カイム」

 

 そんなことを考えていると、背後から声をかけられる。振り返ることなくカイムは口を開いた。

 

「どうしたの?ぼんやりしちゃって」

「ああ。ここまでのこと、思い返してた」

「ここまでのこと?」

「ああ。今でこそ、ここにいることは俺にとって当たり前になった。でも、こうなることなんて誰も予想もしていなかっただろう。お前も俺も」

「ふふ、そうね。見込みがありそうっていうのと、ちょうど助手が欲しかったっていうのが大きかったわ。それに、ポケモンのこと大好きみたいだったから」

「気まぐれにしちゃできすぎなもんだ」

「全ての運命に偶然なんてないのかもしれないわね」

 

 あの時あの瞬間、カイムが研究室にいなかったら、シロナが研究室に訪れなければ、カイムはここにはいなかった。あの瞬間があったから、今この時間が当たり前になれた。

 シロナは庭に降りると、カイムの隣に立つ。外に出たことでシロナの息も白く染まる。

 

「で?どうしてそんなこと考えてるの?前乗りの移動前にやたらセンチメンタルになっちゃった?」

「かもな」

「最近よく考え込むわね。決して悪いことではないけど、過ぎたるは及ばざるが如しよ。特にあなたはすぐに悪い方に考えがちなんだから」

「否定はせん。できんからな。自覚もあるし」

「なら少し口に出すことね。それだけでだいぶ違うものよ」

「それはもうした。十分だよ」

 

 シロナの肩を抱き寄せながらカイムは答える。

 口に出してはいないのではないか、とシロナは内心で思うものの、穏やかな瞳の光を見て大丈夫そうだと判断して何も言わない。

 

「時間か?」

「もう少ししたらね。準備は?」

「愚問だな」

「そうね」

 

 準備ということにおいて、カイムはやや過剰。真面目が服を着ているような男である以上、仕方ない部分もあるのだが、ここまで真面目にやってて息苦しくないのかとも思うことはある。尤も、そう思うのは自分がズボラな一面がある故なのかもしれないがと考え、シロナは内心で苦笑した。

 

「この後は?」

「車でヨスガのホテルだ。飯は…まあ道中かホテルのレストランだな。どっちがいい?」

「今回のメインはあなたでしょ?あなたが決めなさいよ」

「どっちでもいい。手間がかからないのはホテルだが」

「じゃあそうしましょ。どんなお店が入ってるの?」

 

 問われたカイムはスマートフォンを取り出すと、宿泊先のホテルのホームページを出す。適当に画面を操作してレストランについて調べた。

 

「大体なんでも。和・洋・中揃ってる」

「じゃあ今日は中華にしない?明日の()()は洋と和がメインみたいだし」

「ああ、そうするか」

 

 スマートフォンをポケットにしまうと、カイムは日が沈み始めた空を見上げる。

 

「行こう」

「ええ」

 

 2人は手を繋いで空を見上げる。

 カイムにとって大きな節目が目の前まで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「美味しかったわね」

「なかなかだった。思ったよりも辛すぎず食べやすかった」

 

 ホテルでの食事を済ませた2人は部屋へと戻る。

 2人が食べたのは中華料理だった。カイムは油淋鶏、シロナは麻婆豆腐を注文し、2人でシェアして中華を楽しんだ。特別好き嫌いはない2人だが、カイムはシロナと比べると辛さの許容範囲が少し狭い。ただ今回のものはあまり辛くなく、最後まで美味しく食べることができた。

 

「うちじゃあまり食べないわよね。中華、苦手?」

「いや?味はまあまあ好き。それに、メニュー次第では野菜もうまく摂れるから割と便利だと思ってる。八宝菜とか回鍋肉とか。ただ、調味料が醤油とかとはまた別のものを使うことが多いから、ちょっと頻度は少ねえかもしれん。食いたいか?」

「んー?うーん、たまにはいいかなって思うけど、そこまでこだわりはないわ。あなたのご飯はなんでも美味しいもの」

「そうかい。だがシロナがそう言うならレパートリー少し増やしてみるのもいいかもな」

「そう?じゃあ、ちょっと楽しみにしてるね」

 

 別にカイムの料理に不満はない。いつも安心するような味を出してくれる料理に不満などあるはずがない。そもそも作ってもらっている側なのだから不満を言う権利など最初から無いのだが、あったとしても言う気などなかった。だがそれはそれとして、レパートリーが増えるのは嬉しい。どんな料理が増えるのか楽しみに思いながら、2人は部屋へと戻った。

 部屋は普通のツインベッドの部屋。大して広くはないが、2人の寝室と同じくらいの広さであり、落ち着くには最適な部屋だった。

 

「明日は?」

「学会自体は昼前。あんま早くねえし、この後一回発表練習したら寝ようかと」

「ええ、いいと思うわ。でも少し休んでからにしましょ。ちょっと消化してからの方がいいわ」

「ああ」

 

 カイムは上着を脱いでハンガーにかけると、シロナの脱ぎ捨てられた上着も何も言わずにハンガーにかける。明らかにやっていることが執事のそれであるが、2人とも完全に慣れてしまったためもはやこの行動に対する言葉すらない。

 カイムがベッドにごろりと寝転ぶと、ボールからムクホークとブラッキーが出てくる。ムクホークはぴょんぴょん飛び跳ねながら移動してカイムの顔付近まで来ると、ふかふかの羽毛でカイムの顔を埋める。ブラッキーはシロナの元へ歩いていくと、シロナに抱っこをせがむようにじっと見上げた。

 

「……苦しい」

「ふふ、おいで」

 

 呼吸が若干阻害されるカイムと、甘えん坊なブラッキーをかわいく思いながら抱き上げるシロナという謎の状況だが、割と日常であるため特にそれ以上言及はしない。

 顔を埋めてくるムクホークの羽毛をもふもふと手で撫でる。ムクホークは撫でられて嬉しいのか、くるくると喉を鳴らしていた。

 

「あーー…もふもふだ」

「リラックスした声ね。あなたもムクホークも」

「ダメになりそう」

「見た目だけならもうなってるわよ」

「ほっとけ」

 

 そう答えながらもカイムがムクホークをモフる手は止まらない。もふもふと撫でられながらムクホークは嘴で羽の毛繕いを始めていた。明らかにリラックスしている様子を見て柔らかく微笑みながら見ていた。

 ブラッキーはシロナの腕の中で丸くなり、『むー』と小さく喉を鳴らしている。ブラッキーの短く艶のある毛を優しく撫でると、くすぐったそうに身を捩らせていた。

 

「直前よりも、それより前の方が緊張してるのって多分あなたくらいよ?」

「前も言ったろ。直前はもうどうしようもない。かえって冷静になる」

「そんなものかしらねぇ」

 

 普通は直前の方が緊張するようなものだと思うのがシロナの感性なのだが、カイムは違う。時間がある時はできることを極限まで突き詰めようとするのだが、逆にここでやれることを全部やってしまおうとするため直前だと冷静になるようだった。基本的な感性はほぼ同じだというのに、時折こういうよくわからない部分があるのが不思議なものである。

 

「そのままだと寝ちゃうんじゃない?先にお風呂入ってきたら?」

「あー…それもそうか」

「このホテル、大浴場あるみたいだし行ってきたらどう?」

「ああ、いいかもな。んじゃ、ちょいと行ってくるかね」

 

 カイムはムクホークの羽毛から顔を抜くと、着替えを手早く準備して部屋を出た。残されたシロナとブラッキー、そしてムクホークは思い思いに過ごし始める。ブラッキーは変わらずシロナの膝で気持ち良さそうにしており、ムクホークはぴょんぴょん飛び跳ねて空いている椅子の上に留まって寝息を立て始めた。

 主人であるカイムと比べてはるかに気楽かつ気ままなポケモン達を見てシロナは顔を綻ばせる。ブラッキーの顎を指でくりくりと撫で回すと、ブラッキーは甘えるようにシロナの腕に抱きついた。

 

「ふふ」

 

 シロナはブラッキーを撫でながらも、バッグからタブレットを取り出す。画面を操作してカイムの発表資料を呼び出した。

 カイムの資料は、『レジポケモンと文明の繋がり』というもの。レジスチルの記録から得た古代人とレジポケモン達がどのように出会い、文明を築き上げ、そして滅びたのかを解説したものとなっている。そしてその過程でレジポケモン達の生態についても触れている。レジロックは上質な岩石を、レジアイスは強い冷気を宿した氷を、レジスチルは強くしなやかな鋼材を、レジエレキは電気エネルギーを、そしてレジドラゴは敵を薙ぎ払う力を与えた。そしてこれらによって古代人の文明は当時では最高峰の文明レベルへと引き上げられたが、大きくなりすぎた文明はそれを統括する者が優れていなければどこかで瓦解する。レジポケモン達と心を通わせた『王』は病に倒れ、レジポケモン達と心を通わせることが難しくなった古代人達はレジポケモンを各地に封印。その後は後継者を巡る争いにより国は分断され、最終的に文明は瓦解したという歴史だった。

 この歴史を解き明かす上で重要となるのが、レジポケモンの生態。彼らは無限のエネルギーを持つ存在であり、それ故に朽ち果てることがない。出力そのものに限界はあるが、どれだけエネルギーを放出しようが決してエネルギーが尽きることはない。今回の学会でレジポケモンが無限のエネルギーを持つことは公表しないものの、強大なエネルギーを持つことは公表する。それ自体は既に周知の事実ではあったものの、文明を発達させていくことすらできるほどのエネルギーとなると、話は別。現代よりも文明レベルが低かったとはいえ、国を発展させるほどのエネルギーを持つとなると、そのエネルギーを狙う者がいないとも限らない。カイムが恐れているのはこの事実に触発されてレジポケモンを狙う不届者が現れることだった。

 

「悪い方の想像力は、随分といいのよね」

 

 根が心配性というかネガティブというか、最悪の想定をすることはやたら想像力がある。最悪の想定をできるということは、それの対策もできるということもあり悪いことばかりではない。そこに救われたこともあるのだが。

 

「…悪いことばかり、でもない。それがカイムの魅力でもあるわ」

 

 シロナの言葉を肯定するようにブラッキーが喉を鳴らす。

 カイムの性格は真面目で後ろ向き。希望的観測をほとんど持たない現実主義者に近い性格だが、負けず嫌いに近い部分もある。元々そうだったのか、姉の背中を追いかける過程でそうなったのかはわからない。相反するような性質だが、それでも共存してカイムという人格を作り上げている。

 真面目で卑屈なくせに、一度やると決めたことはやり通す。折れそうになりながらもしつこく、諦めきれない気持ちを貫き通そうとするその姿は、シロナが魅力を感じるには十分だった。

 

「諦めず、しつこく繰り返し、やり通すことができる。カイム、あなたには確かに才能はなかった。バトルも研究も。でも、ここまでやり通すことができたってことは…それは『向いてる』ってことよ。だから、そこだけは間違えないようにね…って、ブラッキーに言っても仕方ないけど」

 

 カイムに才能はない。どれだけ努力を積み重ねようと、天賦の才を持つ者の境地には至れない。だがそれを自覚しながらも、しつこく諦めず、ここまで来たというのは、努力の才能があっただけでなく、シンプルに向いているのだと思っていた。ただ諦めが悪いだけで、自分の指導についてこられるはずがないのだから。

 むー、とブラッキーは喉を鳴らしながらシロナの腕に頭を擦り付ける。そんな気ままに過ごすブラッキーをシロナは優しく撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

「戻ったぞ」

「あ、おかえり〜」

 

 カイムが大浴場から戻ってくると、シロナはブラッキーの顎を撫で回しながらタブレットを眺めていた。ムクホークは既に寝息を立てている。

 

「何見てんだ?」

「バトルデータよ。今度の大会の」

「ああ、タッグバトルのか」

「そっちじゃないわ。ミオシティスタジアムである方よ」

「そっちか」

 

 今度、ミオシティで大会があり、シロナはその大会で解説として呼ばれている。それなりに大きな大会であるため、シロナは出場トレーナーの中でも注目トレーナーのデータを見ていた。

 

「見どころのありそうなトレーナーはいるか?」

「ええ、何人かね。それこそ、ミツル君とか注目してるわよ」

「リーグ出場トレーナーだしな」

 

 ミツルは二年連続でホウエンリーグに出場し、決勝トーナメントまで出ている。今回の大会で出場するトレーナーの中では、トップレベルの実績を持っていると言っても過言ではないだろう。それ故に、他のトレーナー達からの注目度も高く、対策を講じられている可能性は高い。

 だがミツルは前回のリーグから大きく変わっている。以前のミツルとは大きく異なるスタイルになってきているため、どうなるかは未知数だった。

 

「カイムの弟子になってから、どう変わったかしらね」

「イメージで言えば、お前に近くなった感じ」

「オールラウンダーになったってこと?」

「元々オールラウンダー寄りだが、トレーナーの才能をちゃんとあいつ向きに鍛え直してる。直感型から学習型に変えただけ」

 

 元々ユウキに憧れ、彼と同じように全てを直感に任せ、考えることを放棄してバトルしていたミツルだが、彼の直感や本能による察知能力は残念ながらあまり高くない。だがミツルの目は非常に良く、他者の戦法を見抜くことに長けていた。そのせいでユウキをかなり高い精度で模倣できていたが、才能の方向性の違い故に伸び悩んでいた。

 その間違いをカイムが正した。鑑識眼に関しては相当優れているカイムから見れば、合っていないのは一目瞭然だった。加えて、かつては姉の真似をしようとしていた(何もできずに終わってしまったが)ため、既視感があった。そしてシロナが自分にしてくれたように、カイムなりにではあるがミツルが登るべき階段を示し、導いた。結果、まだまだ発展途上ではあるものの、ミツルは着実に力をつけていていた。

 

「とにかく考えさせ続けないとならんが、下積みが長い分完成した時は相当なもんになる。それこそ、シロナに届きかねんほどにな」

「あら、そこまで言うなんてね」

「勝てるかどうかはまた別だがな」

 

 勝ち越せるとは思わないが、シロナは10戦やって10勝はできなくなるほどには強くなるとカイムは見越していた。間違ったやり方ですらもあそこまで強くなれる以上、正しく成長すれば四天王レベルにまで上り詰められる。それこそ、現時点で相当実力のあるユウキにすらも届き得るとカイムは考えていた。

 

「思考が未熟でうまくいかなかったが、あいつの目は一級品だ。相手を分解し、学習し、取り入れる。このサイクルをかなりハイレベルでできてたからこそ、ユウキの模倣がある程度のレベルで()()()()()()()。だがそこまでできるような奴がちゃんと強くなりゃ…そいつはシロナでも簡単にはいかねえ」

「目か。そうね、目より先に手が上達することなんて無いものね」

「そういう意味では天才だよ。新たなものを作り出すことはあんま得意じゃないだろうが、先人が残したものを最大限に活用することはできる」

「ふふ、やっぱりあなた向きの子ね」

「極論、お前でもいいんだろうがな」

 

 カイムとシロナのトレーナーとしての適性はかなり近い(レベルは大きく異なるが)。そのカイムが指導役として適性がある以上、その役はシロナでも問題ない。ただ、シロナと比べて他者への憧れ(嫉妬)という感情は、カイムの方が遥かに理解が深い。そのことをわかっていたダイゴは、カイムへミツルを託したのだった。

 

「シロナは解説だったな」

「そうよ。お呼ばれしたからね。あなたもでしょ?」

「俺ぁ解説じゃねえ。最初の開会式の挨拶するだけだ」

 

 気は進まんがな、と呟きながらもカイムからは嫌そうな雰囲気は感じられない。ミツルやジムトレーナーが出ることもあり、そこまで嫌というわけでもないのだろう。

 

「珍しくあんまり嫌そうじゃない感じね」

「ミオシティでやるんだ。ジムリーダーとしての責務がある。そのくらいはやるさ」

「ふふ、そう」

「それはともかく、そろそろシロナも風呂入ってこい。明日は早くは無いが、一日中動くことになるんだし」

「んー…」

 

 動こうとしないシロナにカイムはため息を吐く。

 

「おい…」

「んー?」

「お前なぁ…だからズボラなんだろ」

「うるさいわよ。そんなに言うなら、あなたがやってよ」

「どうしろと」

「立ち上がらせて」

 

 シロナは両手を広げた。

 そんなシロナを見て、カイムは呆れたようにため息を吐く。

 

「お前、なんで時折精神年齢下がるんだよ…」

「下がってないわよ!これも私なの」

「下がってんだろ…ったく」

 

 カイムがシロナを抱きしめると、シロナもカイムを抱きしめ返す。そしてそのまま立ち上がらせた。

 身長差があまりない二人が抱き合ったまま立ち上がれば、自然と見つめ合う形になる。シロナはそのままカイムの頬に口付けを落とし、体重をかけてカイム諸共ベッドに倒れ込もうとするが、カイムの強靭な体幹がそれを防いだ。

 

「なに倒れ込もうとしやがる」

「いいじゃない。一緒に寝転がりましょ」

「実に魅力的な提案だが、発表練習が終わっていない」

「もー…真面目なんだから」

 

 シロナはぐりぐりとカイムの肩に顔を押し付けると、ぎゅっとカイムを抱きしめる。一通りじゃれついて満足したのか、ぱっと顔を上げた。

 

「じゃ、お風呂行ってくるわ」

「ん、ゆっくりしてこい。俺ぁその間に資料見直しておく」

「ええ」

 

 それだけ言ってシロナは大浴場へ向かった。

 残されたカイムは、足元でじっとこちらを見つめるブラッキーを抱き上げてムクホークの上に乗せると、タブレットを開いて資料を見直すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、朝食を済ませて身支度もある程度終わらせた二人は、ホテルの部屋で資料を眺めていた。

 カイムの発表自体は既に十分なレベルになっている。あとは質疑応答になるが、それについては対策はできても練習はできない。質問予想を立てて、それに対する回答を用意し、あとはアドリブでどうにかするしかない。

 

「伝えた通り、アルセウスとレジギガスの対立は、今回は触れない方向で行く」

「ええ、いいと思う。今回の発表はあくまでレジポケモンと古代人の繋がり。以前出した論文のことも関係してくるけど、今回のメイントピックは古代人の文明に関するもの。予備スライドを用意しておくのはいいけど、それをメインで話すのはあまり良くないわ」

「ああ。内容は主にレジスチル達が再起動して古代人と接触し、文明を発達させてから滅びるまでの流れだ。それより前の話になるアルセウスとの対立は、ここでは余談になる」

「対立の部分についてもいつか発表できるといいんだけど、それはまたの機会ね。それに、あの論文に関してもっと詳しく書くことになると、それこそ対立の要因を詳細にしないといけないわ。あなたが懸念しているレジポケモンへの過度な注目が集まることにも繋がりかねない。だから、あの論文に関してはあれでいいと思うの。対立したってことだけを伝えるので十分だと思うわ」

 

 今回の発表は最近出したばかりの論文の内容を踏襲したもの。故に、最初の論文の内容についてはあまり触れるべきではないだろうと判断した結果だった。

 

「前の論文もそれなりに話題になったし、突っ込まれた時に答えるくらいで十分よ」

「ああ、そうする」

 

 カイムはタブレットをスリープモードにすると、首を回しながら立ち上がる。

 

「ちと早いが、会場いかね?」

「ええ、いいわよ。今日はナナカマド博士も来てくれるみたいだし、もしかしたら会えるかもね」

「博士来るのかよ…怖え〜」

「なーに言ってるのよ。そんなこと思ってもないくせに」

「さすがにバレるか。会えるなら会っておきたいな。前の論文は査読してもらったし、今回についてもちょいと世話になったしな」

 

 上着を羽織るカイムに続いてシロナもコートを羽織ると、二人は一緒に部屋から出て会場へと向かった。

 会場はホテルの近くにあるホールで行われる。学会の開始自体は昼過ぎからになるが、既に会場のセッティングは完了しているため、学会関係者や参加者達がいるのがわかる。中には知名度の高い教授や博士の姿もちらほら見られ、面識がある者同士で会話をしているのが見えた。

 

「もう人来始めてるな」

「こんなものよ。長らく業界にいると知り合いも増えるからね」

「…アウェー感強えな」

「敵じゃないわよ。まあ、質問の中には敵意や害意を含めてしてくる人もいたりするけど」

「おお、シロナ君!カイム君!」

 

 声がした方を振り返ると、そこにはナナカマド博士がいた。

 

「博士、もういらしていたんですか」

「うむ、楽しみでな!」

「…そいつはありがたい話ですが、同時にプレッシャーでもあるんすけど」

 

 ナナカマド博士の指導は非常に的確だが、同時に理詰めの正論パンチは非常にメンタルに()()。単純な指導力の高さならシロナをも凌ぐが、同時に体力もさらに必要となる。指導してくれた博士に見てもらうのはとてもありがたいが、まともな発表をしなければ詰められてしまうのではないかと若干のプレッシャーを感じていた。

 

「まともな発表をしなければ、とか思っているのだろうが、アドリブでコウキ相手にあそこまでの発表をできるのだ。練習をした今なら、十分な練度の発表になるだろう」

「そう、ですね。練習に関しては十分やってきたと思ってますが…博士の求めるレベルになってるかは…」

「うん?そんなことを気にしていたのか。確かに、私が求めるレベルは相当高いだろう。だが、()()()に求めているレベルがどうかはまた別の話だ」

 

 カイムはまだ研究分野に足を踏み入れてから数年しか経っていない。しかもポケモンバトル分野と並行しての勉強だ。ナナカマド博士が最終的に求めるレベルはともかく、今のカイムにそこまでの完成度は求めていない。最終的にはそこまで達してほしいが、ナナカマド博士もカイムの現状というものは理解していた。

 

「今の君がどの程度の練度なのか、ある程度は理解してる。それを考慮して、今回の発表がどんなものかを見させてもらうだけさ」

「そっ、すね。精一杯やれることはやってきました。シロナとプラターヌ博士の指導がどんなに有益なものだったかを証明するためにも、今の俺ができる発表をお見せします」

「うむ、いい目だ。いつの日かのシロナ君を思い出すよ」

「こいつほどうまくは、できませんよ」

「ははは!同じように上手くやる必要はないよ。君は君ができることをやる。それで十分だ」

 

 ナナカマド博士の言葉を聞いてカイムは本当に小さく笑う。どことなく安心したような雰囲気になったことを見た博士も笑い、カイムの肩を優しく叩いた。

 

「何、君なら大丈夫だ。私の教え子が君のことを鍛えたのだからね」

「…はい、ありがとうございます」

「うむ。楽しみにしているよ。ではまた後でな」

「また」

 

 博士は立ち去ろうとするが、何かを思い出したように振り返った。

 

「おおそうだ。二人は今日の会食には来るのかね?」

「あ、はい。招待されてるので」

「そうか。ではその時にまた話そう」

 

 そう言って博士は今度こそ立ち去っていった。

 その後ろ姿を見送って、二人は会場に入る。会場はある程度セッティングが完了しており、人も既に何人か席に着いていた。

 

「結構でけえ」

「規模にもよるけど、こんなものよ?何度か私の学会についてきたことあるでしょ?」

「まあな。ただ、俺が自分で発表した時で考えると、ここは一番でかい。一応学生の時にポスター発表くらいはしたことあるが、それとは比べものにならん」

「ポスター発表じゃああまり大きな会場は使わないわね。じゃあ今日は、記念すべき日ね」

「かもな」

 

 まだ受付すら始まっていない。しばらく時間があるが、今更発表練習をし直すような気もない。リラックスはしていないが、初めての口頭発表の前だというのにあまりにも落ち着いているカイムを見て、彼の精神構造がどうなっているのかシロナはよくわからなくなった。

 

「ほんと、よくわからない精神構造してるわよね」

「俺はあらゆる面で普通だ」

「眠いの?」

「はっ、今なら寝ながら発表できそうだ」

 

 緊張してる様子もなく、波導の揺らぎもない。本当に緊張はあまりしていない様子に安心したシロナは優しく微笑む。緊張していないのはいい傾向であり、カイムの練習成果を発揮するには十分なコンディションだと言える。軽口を返せるなら間違いなく問題ないといえるだろう。

 

「何人か私の知り合いいるし、ちょっと挨拶に行かない?ついでに色々いい話も聞けるかもしれないわよ」

「そいつはいいな。著名人と話ができるなんざ、学者見習いとしちゃなかなかねえ機会だ。ぜひお願いしたい」

「あなたならそう言うと思ったわ。さ、行きましょ」

 

 その後、受付が始まるまでのしばらくの時間は、シロナと交流のある学者や教授達に挨拶して回り、その際に色々と話を聞くことができたのはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 時間はあっという間に過ぎ、学会が始まる。

 開会の言葉が終わると、すぐに発表が始まった。教授から学生、博士など様々な立場の人が考古学に関する発表をしていく。

 

「…ふむ、興味深い内容ばかりだ。さっきの発表も、個人的には実に興味深い」

「あなたの故郷、ホウエン地方の歴史についてだものね。特に、ナダさんの出身のルネシティに関してだし、あなたが興味を持つのもわかるわ」

「なんとなくは知っていたけど、周囲の地質と街の記録から伝説に関して色々と紐付けていくと、ルネシティ自体が相当ホウエン地方の成り立ちにかなり関わってくるんだな」

「流星の民みたいに、ルネの民がいるんだもの。ホウエン地方としてかなり大きな役割を果たしたのはわかるけど、そんな彼らの思想と現代との繋がりが知れたのは大きな学びね」

 

 今回の学会は地方に関わらずたくさんの発表者が訪れている。故にシンオウ地方に限らずさまざまな地方の歴史研究の成果が発表されている。そのためカイムの故郷であるホウエン地方についても発表があり、カイムとしては実にいい学びの機会だった。

 

「出ている論文を読むだけでなく、こうして直接聞けるかどうかで随分と違うわよね」

「ああ。何度か着いて行った時に聞いてて思った。論文を読むだけでは得られない知見が質疑応答の中にあることが多い。こういうのは続いてきただけの意味があるように思う」

「その通りよ。対話とは少し形は違うけど、直接やりとりすることでしかわからないことってあるの」

「その経験は今までなかった。今回はいい学びになるだろう」

「そうね。それで、そろそろ発表の順番が近づいてきたけど」

「ああ。準備してくる」

「頑張って」

 

 カイムは自分のノートPCを持って席を立つ。次の発表者の次がカイムの番。次の発表者が登壇したタイミングでカイムも移動を開始した。

 シロナはカイムの後ろ姿を眺める。カイムの纏う波導は静かであり、乱れている様子はない。やはり直前であったとしても、カイムのメンタルに揺らぎはないらしい。

 

(…本当、よくわからない精神構造してるわね)

 

 こういう時、大体は直前の方が緊張する。シロナもそうで直前は緊張するが、カイムはそうではない。準備期間の方が遥かに落ち着きがないというのは、シロナの知り合いでもカイムしかいなかった。

 だがあそこまで落ち着いていれば、練習通りの発表ができるだろう。そういう意味では、安心して見ていられる。

 

(あなたなら大丈夫よ)

 

 心の中でエールを送りながら、シロナは次の発表者の発表に耳を傾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 前の発表が終わり、カイムの番になる。

 前の発表者が戻ったのを確認したカイムは、発表データの入っているノートPCを持って登壇した。専用のコードをPCに繋いでプロジェクターから出力されているかを確認すると、資料を映し出す。発表専用画面になったことを確認し、タイムキーパーに目を向けた。タイムキーパーも準備ができたらしくOKの合図が出たことを確認した司会が進行を始める。

 

『では次の発表、お願いします』

「はい。では、『レジポケモンと古代文明の繋がり』というタイトルで、発表を始めさせていただきます。よろしくお願いします」

 

 スライドを操作して、発表を始める。

 

「今回の発表の背景からご説明いたします。今回は、かつて存在した古代文明はどうやって繁栄し、滅亡したか。そしてこの文明とレジポケモンにどのようなつながりがあったのか。それについての発表になります。まず最初に、今回のメイントピックである古代文明…この文明の中で生きた者達を『古代人』と仮定してお話しすることを前提条件としますので、ご留意ください」

 

 以前、コウキ相手に発表した際に『古代人』のことをさらっと流す程度に済ませてしまったことでナナカマド博士に減点されていたが、そこを反省したカイムは最初に前提条件を告げる。実際、この古代人というのは仮称であり、カイムが勝手にそう名前をつけたに過ぎない。そこを説明せずに始めても文脈からわかるが、専門外の人でもわかるようにすることの大切さを知ったカイムはちゃんと前提条件の説明を組み込んだ。

 

 その後の発表は十分なレベルのものだった。

 古代人の文明の始まりは、古代シンオウ人よりも後になる。レジギガスが封印され、レジポケモン達も機能を停止したが、長い眠りの中でエネルギーを蓄えて再起動を果たす。

 そして再び目覚めた際に出会ったのが古代人だった。古代人は現代のホウエン地方周辺に根を下ろしていた民族であり、生活していく中で目覚めたレジポケモン達と出会った。レジポケモン達は非常に高い知能を持つこともあり、文明の長と交流することでレジポケモンから齎される鋼・岩・氷・雷を資源として扱うだけでなく、資源を活用する技術も同時に学んだ。この時唯一レジドラゴだけは生活の資源としてではなく、外敵との戦いに活用されたという。尤も、強大すぎる龍のエネルギーを扱えるだけの技術がなかったとも言うが。

 レジポケモンが齎す資源は強大だった。岩石は家屋を作るための材質として使われ、鋼は電気と合わせて扱うことで擬似的な電灯として使ったり電熱を利用して鋼を溶かして新たな形で使われていた。氷は食料の保存用の冷蔵庫だけでなく、鋼と合わせて屋内気温の調整に使われることもあった。龍のエネルギーは蓄積して開拓や外敵からの身を守るために使われたという記録が残されていた。レジポケモンの資源は古代人の文明を大きく発展させた。それこそ、同時においては最も発展したと言えるくらいのものだっただろう。

 だが、文明も形である以上、いつか終わりがある。文明の長は年老いていき、最後は病に倒れて朽ち果てた。文明の中でレジポケモンと意思疎通ができたのは、長だけだった。その結果、レジポケモンとの意思疎通ができなくなり、結果として民達はレジポケモンを恐れるようになった。資源を齎らしてくれはするが、意思疎通ができない無機質な存在など恐怖でしかなかった。そして最後に、古代人達はレジポケモン達を封印した。大恩のある存在を封印し、最後は文明の中で分裂、最終的に文明は崩壊した。

 その懺悔を綴ったものが、おふれの石室に記されていた。レジスチルから得られた記録と石室に記された内容も同じであり、ここまでの内容の裏付けも取れている。この事実を知って、学会聴講者達はざわつき始めた。あの廃れきっていたレジポケモンに関する研究が一気に進むような内容を聞けば、こうなるのも必然と言えるだろう。

 

 一通り発表をすませたカイムは相変わらずの無表情で聴講者達に目を向けた。

 

「発表は以上となります。ご清聴、ありがとうございました」

『それではこれより質疑応答に移ります。ご質問がある方は挙手をお願いします』

 

 司会の言葉と同時に、多数の人が手を上げた。その数は10を優に越していた。数的に全員は無理だろうが、時間が許す限り質問を捌こうと司会は順番に挙手している人を当てて質問を促していく。上がってきた質問をカイムは的確に返答していく。シロナとプラターヌ博士の質問予想のおかげで、大体の質問は難なく答えていた。

 そして質疑応答の残り時間から考えて、最後と思われる質問者が質問を出してくる。質問者は、シロナやカイムよりも少し上、恐らく30代半ばくらいの男性だった。

 

「興味深い発表をありがとうございました。発表の中で疑問に思ったことを聞かせていただければと思います。素人質問で恐縮なのですが、古代人に関する記録が今まで出てこなかった理由は何なのでしょうか。現時点では確証の持てるものはないかもしれませんが、どうお考えかお聞かせ願います」

 

 レジポケモンの研究は、レジポケモンに関する遺跡や記録がほとんど見つかっていないため廃れていた。だが今回、カイムが見つけた記録は誰も見つけることができなかった。他の研究分野ではある程度何かしらの形で見つかっているというのに、レジポケモンに関するものだけが全く見つかってこなかったのは何故なのかと問いかけられた。

 質問内容を受けてカイムは脳内にある情報を並べる。大まかな答えは出ているため、それを口にしながら内容を固めようと頭を回す。

 

「仰る通り、確証を持てるだけの記録は取れていません。なので状況証拠のみになりますが、仮説はあります。結論から言えば消され、破壊されたことが要因だと考えられます」

「破壊された?つまり、人的要因だと」

「地域によっては、人的要因と言えます。まずシンオウ地方では、キッサキ神殿があります。このキッサキ神殿はシンオウ地方の最北端に位置しますが、周辺にキッサキ神殿以外に神殿に関する記録がほとんど残されていない。これは恐らく、対立していた文明によって消されたのでしょう」

「対立?」

「古代シンオウ人です。私が過去に書いた論文の内容になりますが、古代人と古代シンオウ人は対立していました。そしてその対立の理由は、恐らく宗教。シンオウ神話を信仰する古代シンオウ人と、レジポケモンを信仰する古代人で対立があった可能性があります。そして対立で敗北したことにより、シンオウ地方に存在した古代人関連のものはほとんど消されてしまったのではないかと考えています。次にホウエン地方。今回の発表内容のメイントピックであるのは、ホウエン地方にいた古代人です。彼らの文明が滅びた理由は発表内容の通りですが、文明の痕跡がここ最近まで全く発見されなかった理由は…恐らく、ホウエン地方の天変地異が要因ではないかと考えています」

 

 ホウエン地方はグラードンとカイオーガの存在により、一度滅びかけている。流星の民とルネの民が協力してレックウザを召喚し、なんとか存続することができたものの、流星の民とルネの民以外の文明は滅びてしまった。地質調査の結果、おふれの石室はルネシティを囲むように存在しているクレーターの壁よりも古いことがわかっているため、この天変地異の時に残されていた痕跡のほとんどが破壊されてしまったのではないかとカイムは考えていた。おふれの石室が残っていたのは、おふれの石室は元より非常に強度の高い岩石でできていたことと、何かしらの幸運により存続したというのがカイムの仮説だった。尤も、この幸運についてはまだ調査が足りず、どういったものかは仮説を立てられていない。

 

「人的にしろ天災的にしろ、痕跡が残らないような理由が相応にあったというのが、ここまで古代人の痕跡が見つからなかった理由だと考えています。また、レジポケモン自体個体数は非常に少ないかつ、出現が確認されている場所は大抵調査が難しい場所が多い。全ての個体がどうかはわかりませんが、人へ積極的に接触するタイプのポケモンではありません。最低限の生体的研究しか出ていないのも、これが理由ではないでしょうか」

「では、古代人の全ての痕跡はおふれの石室以外に残されていないと?」

「いえ、そうではありません。見つかっていない=全て破壊されているというわけではないでしょう。確かに破壊された割合が大きいのは確かでしょうが、残されているものもあります。例えば、ミナモシティ付近にある『古代塚』は古代人に関する遺跡です。これからも調査を続ければ、残されているものを発見することも可能かと」

「なるほど。そういった理由でしたか。ありがとうございます」

 

 男性が着席したのと同時に、質疑応答の時間終了のベルが鳴り響き、司会が時間を締め括った。

 カイムは拍手の中、降壇してシロナが待つ席へと向かい、シロナの隣に腰を下ろした。

 

「お疲れ様。いい発表だったわ」

「そいつはどーも。まあ、練習通りって感じだ」

「練習通りができれば十分よ。質疑応答もしっかり対応できてたしね」

「質問予想がうまくはまった。対策してきただけの成果はあった」

 

 さすがに初めての発表ということもあり、カイムの声音にはわずかながら疲れが見える。緊張ではなく、ここまでやってきた成果が得られた実感から気が抜けたのだろう。

 

「どうだった?初めての学会は」

「すげえのひと言に尽きる。運も絡んでいたとはいえ、俺は自分の研究成果に多少なりとも自信を持っている。だが、世界にはもっともっと上がいる。当たり前っちゃ当たり前だが…改めてそう実感した」

「その実感は、あなたをもっと先に進ませてくれるわ。毎回とは言わないけど、時折はこうして自分の発表として参加するといいわ。とてもいい刺激になるからね」

「出られるだけの成果を上げていかねえとな」

 

 肩を竦めながら言うカイムだが、その瞳に宿る光はとても力強い。己がまだ学びの道の入り口に立ったにすぎないことも自覚しつつ、その先にある奥深さに心を馳せているのだろう。

 それだけの意思があれば大丈夫だろうとも思いつつ、自分が隣にいれば間違いないとも考え、シロナは小さく笑った。

 

「これからが楽しみね」

「善処しよう」

 

 その後、最後の発表が終わるまで二人は会場で発表を聞いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学会が終わり、二人は一度ホテルへと戻る。荷物を置いてまた別の会場へと向かう準備があるためだ。

 

「学会後に会食たぁ、ハードだなこりゃ」

「そう?」

「慣れねえ身からしたら、ハードだって話」

 

 学会の準備にも随分時間をかけたこともあり、カイムの疲労はそれなりに溜まっていた。会食で何かをするわけではないものの、今回の会食は『学会創立90周年記念』のもの。発表者はもちろんのこと、学会会員や著名人も来るとのこと。そんな中で恐らく最年少レベルの歳であり、研究への道に足を踏み入れたばかりの若造が行っていいのかという遠慮と緊張があった。

 

「んー、わからないでもないけど…私たちはゲストで、普通に色んな人と話して食べていればいいのよ」

「そりゃあそうなんだろうけど…こんな若造が行っていいのかって話だ」

「いいでしょ。それにあなたが若造なら私もよ」

「お前と違って俺ぁ新参者で成果の数も少ないからな」

「最初は誰でもそんなものよ。たまたま時期が重なっただけだし、普通にしていればいいの。あなたの発表はちゃんといいものだって胸を張って言えるんだから」

「…そうか、そうだな」

 

 納得、とまでは言わないが、せっかくの機会だということもあり、カイムはそれ以上言わなかった。

 

「で?着替えるんだろ?」

 

 カイムの言葉にシロナは頷く。

 これから会食があるのは、コトブキシティでも最高峰のホテルの宴会場。当然ながら、ドレスコードがある。カイムの場合はジャケットとスラックスをビジネス用からスマートエレガンスタイプに変えるだけのため、大した時間はいらない。だがシロナはドレスに着替えるため、カイムと比べたら時間が必要となる。

 

「ええ。ドレスになるから、ほんの少し時間かかるわ」

「じゃあ外出てるわ」

「そこまでの時間はいらないわよ。それに、外にいる間何してるの?」

「……スマホ眺めてる」

「時間の無駄よ。カイムはスラックス履き替えるだけでしょ?なら、そっちで着替えてちょっとだけ待っててくれればいいでしょ」

「…そうかい。わかった」

 

 カイムはスラックスをシロナの手から受け取ると、バスルームでさっさとスラックスを履き替える。

 その後、シロナが着替え終わるまでの少しの間、カイムはトリトドンの顎をむにむにいじりながら待っていたが、数分後にシロナの声が聞こえてきた。

 

「カイム〜」

「終わったか?」

「大体。ちょっと手伝ってくれない?」

 

 トリトドンをボールに戻してバスルームを出ると、シロナはホルターネックの黒いドレスを見に纏っていた。ただ、背中のファスナーを上げられていないため、背中がほとんどオープンになっていた。

 

「ファスナー、上げてくれない?」

「…ああ、手伝うってそういう。あいよ」

 

 シロナは長い髪を前に流して背中をカイムに向ける。

 カイムはドレスのファスナーを上げた。その際、背中に触れないように慎重になっていたが、シロナはそれに気づくことはなかった。

 

「ありがとう。新しく買ったドレスなんだけど、手がうまく届かなくて」

「そうか」

「じゃあ髪もやってくれる?」

 

 平然と言いながら簪を手渡してくるシロナに、カイムはため息を吐きながらそれを受け取る。

 

「わざわざ持ってくるとは思わなかったな」

「いいでしょ?こういう場でないと、つけないし」

 

 この簪は、シロナとジョウト地方へ突貫旅行に行った際にカイムが贈ったものだった。最高級品というわけではないが、それなりに高いものであり、尚且つシロナにとっては非常に思い入れの深い品である。故に、こういう正装が必要な場所や大会決勝などの気合いを入れるべき時は必ずつけていた。

 

「わかった。座れ」

「ありがと」

 

 シロナは近くの椅子に腰掛けて背中を向ける。

 カイムは簪を指で挟み、シロナの髪を手櫛でとかし始めた。相変わらず錦糸のように柔らかく美しい髪だなと思いながら、簪を起点にしてシロナの髪を纏めていく。その手つきに迷いはない。

 

「うまくなったわね」

「何度かやらされりゃあ多少上手くなる」

「手先器用だもんね」

「そうでもねえよ。普通だ普通」

「そう?じゃあ、そういうことにしておくわ」

 

 そんな他愛のない話をしているうちに、シロナの髪は綺麗に後頭部で纏められた。最後に髪飾りで固定すると、カイムは鏡を手渡した。

 

「どーですかい、お客さん」

「うん、素敵。ありがとう」

「ああ」

「じゃ、交代」

「あ?」

 

 シロナはくるりと振り返ると、カイムの腕を引いて先程まで自分が座っていた椅子に座らせる。そして楽しそうにカイムの髪を撫で始めた。

 

「…なにすんだ?」

「んー?ちょっとだけ髪を整えるわ。あなた、髪短いからあまりできることないけどね」

 

 そう言ってシロナはワックスを軽く手に馴染ませると、カイムの髪を優しく整え始める。やや硬い髪が指の隙間を通っていき、ワックスで固められていく感覚が心地いい。

 

「はい終わり」

「どーも」

 

 髪が短いためぱっと見はあまり変化はないが、髪が整えられたことでいつもよりスマートな印象になった。

 

「俺程度だとあんま変わんねえな」

「髪短いからね。でも、いつもよりスマートに見えるわよ」

「さいですか。とりあえず準備終わったし、時間までは待ちか」

「そうなるわね」

 

 シロナは手についたワックスを洗い流すと、カイムの正面にある椅子に腰掛けた。

 黒いドレスは、ホルターネックスタイルであり、足のサイド部分にはスリットが入っているため足が少し見えるのがカイムにとっては少し目の毒だった。

 視線だけを僅かに逸らしていることに気づいたシロナは、悪戯っぽく笑うとカイムに問いかける。

 

「ね」

「あん?」

「このドレス、どう?」

「………あう」

「ん?」

「よく似合う。綺麗だ」

「ふふ、ありがとう」

 

 シロナは嬉しそうに笑いながらくるりと回った。ほんの少しだけドレスの裾がふわりと浮き上がり、スリットの入ったスカート部から足が僅かに見える。その部分に目がいってしまったことをほんの少し後ろめたく思ったカイムは、目を逸らしながら小さく肩を竦めた。

 

「何?」

「…なんでも」

(嘘が下手ね)

 

 カイムがどこに視線を向けたのかはなんとなく察しつつも、敢えて見てもらえるようにしたのはシロナでもある。効果があったようだとご満悦なシロナは、カイムのバッグからネクタイを取り出した。

 

「じゃあカイム、襟立てて」

 

 カイムは言われた通りシャツの襟を立てる。シロナは襟にネクタイを通すと、若干のぎこちなさもありながらネクタイを結んでいく。身長がほぼ同じであるカイムにネクタイを結ぶとなると、自然と二人の距離は近くなる。今更この程度の距離でどうこうなるほどではないが、綺麗にメイクアップしたシロナを目の前にして何も感じないような人間ではなかった。それが心から愛している女性ともなれば、尚更である。

 少しの間、シロナがネクタイを結んでいたが、すぐに綺麗に結ばれた状態になった。

 

「はい、できた」

「ん、ありがとう」

 

 カイムは襟を戻すと、首を回してネクタイの位置を調整した。

 

「かっこいいわよ」

「どーも。お前も綺麗だ」

「ありがとう。あなたにそういってもらえるのが、一番嬉しい」

 

 そう言ってシロナはカイムにキスをした。

 

「…口紅、落ちるぞ」

「まだ塗ってないわ。だからいいの」

「そういう問題か?まあ、役得だからいいけどよ」

「あなたからはしてくれないの?」

「……はあ」

 

 ため息を吐きながらもカイムはシロナに口付けを落とす。シロナはカイムの首に腕を回すと、優しく引き寄せた。暫しの間そうしていたが、どちらかともなく口を離した。

 

「情熱的ね?」

「そりゃおめーだ。俺じゃねえよ」

「もっとしてくれる?」

「…ああ」

 

 その後、暫しの間二人の時間を楽しんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コトブキグランドホテルの宴会場で会食はつつがなく始まった。

 主催者と学会の中でも重鎮である教授の言葉で乾杯し、そこからは皆思い思いに過ごし始めた。和洋中問わずある食事を手にしながら、カイムはシロナに連れられて何人もの有名な教授に挨拶をしていた。

 廃れていたレジポケモンに関する歴史の発表をしていたカイムのことはやはりたくさんの者が覚えていたらしく、様々な話をした。やはり発表の中の質疑応答時間だけでは足りなかったのか、たくさんの人がカイムの発表に対して質問をぶつけてきて、カイムはそれに対して的確に答えるやり取りが続いた。カイムとしては非常にためになると同時に、初めての経験でもあるが故にそれなりに神経をすり減らしながら答えていた。

 

 一通りやり取りが落ち着いたところで二人は会場の隅で休んでいた。

 

「ふう…」

「お疲れ様。大人気ね」

「誰かさんのおかげでな。ま、実にいい経験になったが」

 

 たくさんの人から意見や質問をもらうということは本当にいい経験だった。シロナやプラターヌ博士も実に広い視野を持ち、優秀な視点を持っているが、別の視点から物をみることはできない。二人にもない視点からの意見や質問というのはとても勉強になり、カイムの視野を広げる大きなきっかけとなった。シロナの助手をやっているだけでは決して得られなかった知見を得られたことに、カイムとしては大きな満足感を得ていた。

 

「だいたい落ち着いたし、そろそろ私たちも少し食事にしましょう」

「ああ」

「おや!もしや君はカイム君かね?」

 

 声をかけられて視線を向けると、中年の男性がいた。

 

「あら、オダマキ博士!」

「シロナさんも!お久しぶりです!」

「お久しぶりです。カイムにご用で?」

「ああ、そうでしてな!まずは自己紹介だな」

 

 男性はスーツを整えると、カイムに向き直る。

 

「初めまして、私はオダマキ。ホウエン地方でポケモン博士をやっている者だ」

「オダマキ博士。お話は聞いております。初めまして、シロナの助手をしているカイムです」

「君の発表を聞かせてもらったよ!本当に興味深い発表だった。特に、レジポケモンの持つエネルギーの活用が興味深いものだった」

 

 オダマキ博士の言葉にカイムは目を僅かに細める。確かにポケモンの生態を研究する者としてはレジポケモンの強大なエネルギーは実に興味深いものだろう。だが同時に、好奇心に駆られてレジポケモンへの非人道的な研究に踏み込む可能性もゼロではない。オダマキ博士の人格を否定する気はないが、元々懸念していたこともあって警戒しないわけにはいかなかった。

 

「まさか古代人がレジポケモンのエネルギー自体を生活に利用していたとはね!しかも、電気まで活用していたとは!」

「レジポケモンは、古代人へとても友好的でした。その理由は彼らの長がレジポケモンの言葉を理解できたからです。元々、レジポケモンが高い知能を持つのもありますが、そこが多分一番大きい」

「そう言っていたね。しかし、ポケモンの言葉がわかるとは…そんな人がかつてはいたのだね」

 

 ポケモンの言葉を理解できるというのは本来なら簡単にできることではない。なんとなく雰囲気で言いたいことを理解するくらいならトレーナーであれば誰でもやっているが、完全に言葉を理解するとなると話は別になる。現時点で同じことができるのは、カイムの知る中ではNしかいない。

 

「レジポケモンの肉体構造は非常に特徴的な構造をしていてね。レジロックは欠けた体に別の岩石をくっつけることで再生できる。レジアイスの氷を溶かすことはできず、溶岩でも溶かすことができない。レジスチルの体の金属は現状、どの金属に分類されるのかがわからない。詰まるところ、彼らについてはほとんど何もわかっていないに等しいんだ。そんな中、君は彼らの生態の一部を解明した。歴史は専門外の僕からしても、大きな成果だとよくわかるよ」

「あ、ありがとうございます」

「今回の君の発表を聞いて、納得したよ。レジポケモンの肉体はどんなことをしても朽ちない。それは何故か?彼らの持つ強大なエネルギーが、無限にも思えるほどの再生力を実現していたんだね」

「そうなります。強大なエネルギーは国…文明を発展させるほどのものでした。彼らの齎すエネルギー…資源は、岩・氷・鋼・雷・龍。まあ龍は生活に直接関係はしなかったみたいですが、他の資源が無限に近いほど供給されれば、文明としては大きく発展する。加えて、資源を活用する技術もあった。初めからあったわけじゃあないんでしょうけど…」

 

 資源を活用する技術も初めからあったわけではないのだろう。特に鋼と電気の資源の活用は相当苦労したはずだ。レジポケモン達もある程度加工するための知識があったのだろうが、発展に必要な技術全てを彼らが初めから持っていたとはとても思えない。レジスチルの記録によると、当時の技術者と長、そしてレジスチル達の知能を合わせて、活用する技術を開発したらしい。

 

「ポケモンを研究している身からすると、どれもとても興味深い記録だったよ。彼らはとても個体数が少ないだけでなく、どこにいるかもわからない。特定の場所に存在する個体もいるが、彼らは総じて過酷かつ非常に特異な場所にいるからね」

「私が出会えたのも幸運によるものです。まさか出会えるとは思っていませんでした。運が良かったです」

「運も実力のうちという。これは比喩ではない。それに、発見というのは必ずしも実力と努力だけでどうにかなるものではないからね。時には運も絡むものだ。尤も、今回の君の発表が運だけだとは思えない。私が特に驚いたのは、古代人文字…あの点字の解読だ。元の点字がベースになってるかもしれないが…文字を解読するというのは、とても労力がかかるものではないかな?」

「これだけにそれなりに時間は費やしましたけど、何もない状態スタートではありませんでしたから。現代に存在する点字と通ずるものがそれなりにあったことで、かなり時短にはなりました」

 

 当時の苦労を思い出しながらカイムは苦笑する。当時はまだジムリーダーになりたてということもあり、並行して進めることがなかなか苦労していた。ただ救いだったのは、シロナとプラターヌ博士の協力を得られたこともあってかなり時短にはなった。

 

「なるほど、シロナさんだけでなくプラターヌ博士の協力もあったんだね」

「ええ。実は私とプラターヌ博士は同門出身なんです。ナナカマド博士の教え子でして」

「シロナさんも、ナナカマド博士の教え子だったんですね!そうなると、カイム君もある意味ナナカマド博士の教え子ということになりますかな?」

「いや…教え子というにはあまりにも関わりが少ないんすけど…」

「あら、でも直接指導受けた経験あるでしょ?教え子と言っても、差し支えないわ。弟子とは言えないでしょうけど」

「つまり、カイム君はシロナさんの助手であると同時に弟子なんですね」

「そうなります、かね」

 

 最近は自分の活動を中心にやっていたが、元々カイムはシロナの助手。シロナの調査には必ず同行し、調査結果の整理などをやっている。それは今もやっているが、最近はシロナがカイムの手伝いをすることも多い。互いに瞬間的に立場を変えることができるのは、二人が考古学を学んでいると同時に、互いのテーマに関連することがある故だろう。

 

「二人は、シンオウ地方出身ですよね?さっきの発表にあったおふれの石室はホウエン地方にあるようですが…ホウエン地方まで調査を?」

「ああはい」

「シンオウから遠い…ってほどでもないかな?ただそれなりに距離はある中であれだけの調査をするのは大変だったのでは?」

「私の出身がホウエン地方なので。地理もそれなりに詳しいので、そこまで苦労はしませんでした」

「おお!カイム君はホウエン地方出身なのか!地元は?」

「ミナモシティです」

「ミナモシティか!海に面した美しい街だよね。僕もホウエン地方にずっといるからわかるが、ルネシティとはまた違う綺麗な街だ」

 

 オダマキ博士もホウエン地方出身ということもあり、ホウエン地方への理解は深い。そのためか、二人は暫しの間ホウエン地方談義に花を咲かせていた。シンオウ地方にいると、ホウエン地方に関する話はあまりできない。故郷の話をできることがやはり少し嬉しいためか、カイムの口調はどことなく弾んでいるようにも感じられる。シロナも何度かホウエン地方に行ったことがあるため話に参加しつつ、楽しい時間は過ぎていった。

 しばらくそうして研究やホウエン地方について話していたが、オダマキ博士は時間を思い出したように時計を見る。

 

「おっと、もうこんな時間か!すまない、妻と娘がシンオウ地方に来るのでね。迎えに行かねば」

「随分と遅い時間に来るんですね」

「娘のポケモンコンテストが終わってから来たみたいでね。私がシンオウ地方にいるから、明日は一緒にシンオウ地方観光に行くつもりなんだ。二人とも、今日は話せてよかったよ。また会おう!」

「故郷の話ができて、楽しかったです。またお会いしましょう」

「うん。ではまた!」

 

 そう言ってオダマキ博士は帰っていった。

 

「いろんな人に出会えるな、こういう場は」

「良い機会でしょ?たくさんの人と話すことは、知見を広げることができるわ」

「しかし、博士の娘さんがコンテストに出場してるとはな」

 

 先ほど博士は『娘のコンテストが終わってから来た』と言っていた。つまり博士の娘がコンテストに出場しているということ。コンテストに出場する年齢層は10代以上ならば年齢に制限はない。博士の年齢を考えると、恐らく娘の年齢は10代だが、10代でコンテストに参加しているとなると数はかなり少ない。もしかしたら、ルチアと近しい才能を持っているのかもしれないと考えた。

 

「そういやシロナ、前にトバリシティで出会った女の子もホウエン出身でコンテストに出てるって言ってなかったか?」

「ああ、ハルカね。そうよ」

「もしかしたら、オダマキ博士の娘とそのハルカは知り合いかもしれんな」

「あり得るわね」

 

 ハルカの年齢も10代前半。オダマキ博士の娘も同じくらいの年齢であるのなら、知り合いの可能性もあるだろう。今度ハルカに会った時に聞いてみるのもいいかもしれないとシロナは考えた。

 

「話し過ぎて、ちょっと喉乾いてきたわ。カイム、何か飲み物いる?」

「ジンジャエールで」

「わかったわ。じゃあ…」

「おや、シロナさん」

 

 声が聞こえてくる。

 声がした方を見ると、30代前半くらいの男性が立っていた。

 

「…デルフィ助教授、お久しぶりです」

 

 シロナの声にカイムは眉を顰める。どこか硬く、警戒するような声。

 

「ああ久しぶり。前の学会以来だね。それと、今は准教授だ。前の研究結果が評価されてね。これで、研究室の規模をもう一つ大きくできる」

「…おめでとうございます。それで、ご用件は?」

「前に言った件、考えてくれたかな?」

「…前の件?」

「共同研究の件だよ。そろそろ、僕の下に来てくれないかな?」

 

 デルフィと呼ばれた男性はそう言ってシロナに手を差し出す。シロナは表情を変えることなく肩をすくめた。

 

「前に、お断りしたはずですが?」

「断る理由が、僕にはわからなくてね。君の専門と僕の専門は近い。君はシンオウ神話、僕は古代シンオウ人。一緒に研究しない理由がないだろう」

「…私は、今の環境で研究するのが一番合っています。お気持ちだけ…」

「頑なだな君も。まずは試しにどうだい?あれほど素晴らしい環境もない。必ず気にいるよ。それに、今も一人でやっているのだろう?」

「生憎ですが、今は助手もいます。人手は足りてますので、お気遣いは不要ですわ」

「助手?」

「彼です」

 

 シロナはカイムに視線を向ける。視線を向けられたカイムはデルフィにお辞儀をするが、デルフィはカイムに目を向けるだけだった。

 

「君は…」

「カイムといいます。はじめまして」

「…ああ、今回発表していたね。はじめまして、デルフィだ。古代シンオウ人の研究をしている」

「私は…」

「レジポケモンだろ?発表聞いたよ。悪くないんじゃない?廃れていた分野だ。()()()()()()いいと思うよ」

 

 どことなく鼻につく話し方だが、カイムの表情は変わらない。

 

「見つけたものも分析も悪くなかったよ。もう少し詰めれば、それなりのものになると思うよ」

「ありがとうございます」

「悪いけど、僕はシロナさんに用があってね。君の発表については…」

 

 突如、バイブ音が響く。音はシロナのハンドバッグから響いており、シロナが音源であるスマートフォンを取り出した。

 

「あ…ごめんなさい、ポケモンリーグから連絡が」

「ああ、それは大変だ。行ってきなよ。僕は少し、()()()()()()()()()()

「…ええ、では失礼します」

 

 それだけ言ってシロナは会場から出ていった。

 それを見送ると、デルフィはカイムの隣にどかっと腰掛ける。手に持ったシャンパングラスを揺らしながら口を開いた。

 

「さて、助手君。今がチャンスだぞ」

 

 チャンス。その言葉の意味がよくわからず、カイムは視線をデルフィに向ける。その視線の意味を察したデルフィは、やや嘲笑するように肩をすくめた。

 

「鈍いな。わざわざ言わせるなよ。僕の気遣いを無碍にするとは…これだから凡人は」

「…凡才の身であることは重々承知です。才溢れる准教授や他の先生方と比較して未熟極まりないことは自覚しております。申し訳ないですが、発言の意図を教えていただけないでしょうか」

「自覚があるのはいいことだ。凡人が僕と同じステージにいると思っていないことだけは、好ましいね」

 

 デルフィは鼻で笑うとシャンパンを一口飲んで、グラスを軽く掲げた。

 

「ほら、帰りたまえ。君のような凡人がシロナさんの隣にいるべきではない。彼女のような才能溢れる人は、相応の者が隣にいるべきだ」

「たとえば、貴方のような?」

「話が早いね。わかるならほら、シロナさんがいない今なら帰りやすいだろう」

 

 以前、シロナから聞いたことがある。しつこく共同研究を迫ってくる者がいると。シロナの硬い声音などを鑑みると、このデルフィがその人物なのだろう。

 

「彼女の研究成果は素晴らしいよ。僕の研究成果と比べても遜色がない。ポケモンリーグチャンピオンとしての地位を維持しつつ、あれほどの成果だ。本当に素晴らしい」

「………」

「彼女ほどの人が僕と研究をしたらどうなるか。今よりももっと、研究が捗るだろう。お互いにとって、良いことしかない。彼女も、僕が近くにいることはプラスにしか働かないだろう。ポケモンバトルを続けていることには少し不満はあるが…あれほどの実績があるんだ。僕との共同研究を始めたとしても、辞めさせることはしないさ。だというのに、頑なだからね。ま、そこも可愛いところかもしれないが」

 

 やれやれ、といった雰囲気を出しながらデルフィはグラスに残ったシャンパンを飲み干す。

 

(…要するに、シロナと共同研究して、あわよくば妻にって感じか)

 

 ここまで共同研究を頑なに迫る、ということは、恐らく別の意図もある。シロナの外面の良さを考えれば、そう考える者がいてもおかしくはないだろう。

 

「君のような凡人は、彼女に相応しくない。まあ助手という立場だけならまだわからなくもないが…例えただの助手だとしても、君のような凡人は彼女の隣にいるべきではないよ」

「なるほど」

「君の発表を見たが、平凡極まりない。どれだけ行こうと、運頼りの研究成果であの程度ではたかが知れてる。絶望的な才能差を思い知る前に、この業界からいなくなった方がいい。これは君のためを思って言っているんだ」

 

 デルフィの口調は本当に気遣っているようにも聞こえる。

 確かに、今回のカイムの発表は運によるものが大きい。少なくとも、古代塚の発見はほぼ運によるもの。幸運に恵まれた結果のものであり、カイムが積み上げてきたものが導き出したわけではない。大きな成果であることは認めるが、元々廃れていた故に大きな成果に見えるだけだとデルフィは判断した。そして、その認識は完全な間違いとは言えないことを、カイムは理解していた。

 

「言いたいことは、わかりました」

「そうかい。では、早々に立ち去るといい。シロナさんがいたら帰りにくいだろう。彼女には僕から説明しておいてあげるから…」

彼女(シロナ)がそれを望むのであれば、その通りにしましょう」

 

 カイムの言葉にデルフィは眉を顰める。

 

「…君、僕の話を聞いていたかい?それとも、理解力がないだけかい?」

「デルフィ先生の言うように、私は凡才です。そんな私を拾い上げてくれたシロナには恩がある。私はその大恩を彼女に返さねばならないと思っています」

「それが迷惑だと気づかないのかな?」

「シロナが『迷惑だ、やめてくれ』と明言したのであればやめますよ。でもそうは言われてない。シロナの意思がそうであるのなら、それに従うまでですが、そうでないなら私が去る理由にはなり得ません」

 

 淡々と、無表情のまま言うカイムに、デルフィは嘲笑するように鼻で笑いながらカイムに続ける。

 

「本当に鈍いなぁ君。それがシロナさんの気遣いだとわからないのかね?」

「シロナは礼節を重んじて、他者を気遣う心の持ち主です。ですが、過度な気遣いをする人物ではありません。必要のないことは『必要ない』と明言します。私が望み、シロナがそれを否定しない限り…今の場所を去る気はありません」

「君の望みなど、瑣末なことだよ。大事なのは、彼女に相応しいかどうかだ。君のような凡才は相応しくない」

 

 カイムにグラスを向けながら、デルフィはそう告げてくる。だがカイムは全く動じることなく、口を開いた。

 

「それを決めるのは、私ではないので。決めるのは、シロナ自身です」

 

 カイムの言葉にデルフィは目を僅かに見開く。

 

「私は助手である以上、シロナの助手として恥ずかしくない存在でありたいと思い研鑽を積んでいます。ただ、それはあくまで私の主観でしかない。シロナにとって、隣にいてほしいかどうか。私の基準はこれだけですよ」

 

 シロナの隣に相応しいかどうか。そんなものはカイムにとってはあまり重要ではなかった。隣に立てる人物でありたいとは思っているが、相応しいかどうかはあまり考えなくなった、というより考えることが無駄だと気づいた。

 その理由は、シロナがカイムに対して『隣にいてほしい』と伝え続けてくれたから。才能や実績ではなく、人として自分の隣にいてほしいと伝えてくれた。だから自分はそう伝え続けてくれるシロナの隣に立ち続ける。そう望まれる限り、いつまでも。

 

「シロナに私はもう必要ないと伝えられたら、潔く去ります。でも、そうでないなら…私がシロナの下を去る理由はありません」

「わからないかねぇ。君のような凡才が隣にいては、彼女の輝きが損なわれる。身の程をわきまえてさっさと帰りたまえよ」

「仰ることは理解いたします。彼女ほどの才覚を持つ人の隣にいるのが私のような凡才では釣り合わないと言いたいのでしょう。ですが、私は彼女の名を傷つけるようなことをしないように日々研鑽しています。少なくとも、私は自分のことを胸を張って人前に立てないような人間ではない。そう自覚しています」

「ははは!まったく…本当に出し難い。愚鈍とは、まさにこのことか。もういいよ、君の頭の悪さは十分理解した。そんな愚図が彼女の才覚を穢すなどあってはならない。考古学界における素晴らしい才能の一つを無為にするわけにはいかないんだ。だから…」

「お待たせしました」

 

 そこでシロナが戻ってきた。シロナが戻ってきたことでデルフィは即座に普段の余裕のあるような表情に戻る。一方、カイムはいつも通りの無表情だった。

 シロナは二人の表情を瞬時に見比べる。カイムの表情と波導に乱れはない。いつも通りの静かで優しい波導だった。対するデルフィの表情と波導は違う。瞬時にいつもの表情に戻していたが、目の奥には苛立ちと侮蔑の光が宿り、波導も苛立ちを表すように乱れていた。どんな話かはわからないが、デルフィがカイムに対して何かしらの理由で突っかかったのだろうとシロナは察した。

 

「やあ。もういいのかい?」

「はい。要件は終わりました」

「そうか、それは何より」

「有意義な話はできた?」

 

 シロナはカイムに対して少し意味深な目配せをしながらそう問いかける。カイムは一瞬だけ目を逸らすが、いつも通りの口調で答えた。

 

「ええ」

「そう、それは()()()

「そんなことより、先ほどの話の続きといこうじゃないか。僕の研究室には、いつ来てくれるのかな?」

 

 デルフィの言葉に笑顔を貼り付けたまま内心で辟易とする。

 確かにデルフィは非常に優秀で、考古学界隈では破竹の勢いで功績を残している。単純な研究成果でいえばシロナよりも高く、彼の論文を参考文献にしたことがあるほどだ。彼の言うように、彼の研究室に所属したら研究は捗るだろう。

 だがそれ以上に、シロナはデルフィのことが苦手だった。自らの才能に絶対的な自信を持つのはいい。その自信を裏付けるほどの功績があることも認めている。しかし、それは他人を見下す理由にはならない。彼が敬意を払うのは、才能と功績がある者のみで、他の人を見下している態度が滲み出ている傲慢な言動がシロナは苦手だった。

 

(何よりこの人、私のこと()()()()のよね…)

 

 そして何より苦手な理由が、デルフィはシロナという人間を見ていないこと。シロナの功績や外見しか見ていないことがわかるような言動が苦手で仕方なかった。

 

(しつこいわね…さっき断ったじゃない。これは一度釘刺しておいた方がいいかも)

 

 シロナは小さくため息を吐くと、カイムに目を向ける。カイムは視線の意味を理解すると、小さく頷いた。

 ちょうどそのタイミングで、ナナカマド博士が歩み寄ってくる。

 

「シロナ君、カイム君!おや、デルフィさんもいたか」

「博士。お疲れ様です」

「カイム君、今回の君の発表良かったぞ!よかったら、先の発表について語らないかね?」

 

 普段と比べて楽しげなナナカマド博士だが、酔っている様子はない。シロナ曰く博士は酒に強いらしいため、恐らく酔ってはいない。何故こんな楽しそうなのかとカイムは内心で首を傾げるが、シロナは『教え子の弟子が立派な発表をしたことが嬉しい』故だろうと理解していた。博士は元々、教え子の発表を聞いたりして成長を実感することが好きである。故に、今回もそれで楽しそうなのだろう。

 

「是非お願いします」

「うむ!シロナ君とデルフィさんは…」

「いえ、とりあえず私だけで。別件があるそうです」

「む、そうか?では行こうか。飲み物を用意しよう」

 

 楽しそうに笑いながら博士はカイムを連れて行く。

 残されたシロナは少しだけ彼らの後ろ姿を羨ましそうに見つめながらも、自分がやるべきことに集中しようと考え直した。

 

「さて、博士がちょうど(邪魔)を連れて行ってくれたことだし、話の続きといこうか。僕の研究室へは、いつから来てくれるかね」

 

 来る前提で話を進めようとしてくる態度に、シロナは内心で大きくため息を吐いた。口角のみを上げる貼り付けた笑顔でデルフィに答える。

 

「…先ほどお話しした通りです。私は今の環境が一番合っているので、お気持ちだけ頂戴いたしますわ」

「断る理由などないだろう。気に入っている環境であろうと、研究に最適な環境よりも勝るものはない。いい加減、僕の下で…」

「お言葉ですが、私にとっては気に入った環境以上に重要なものはありません」

「…ふうん、随分とあの凡人を気に入っているようだね」

 

 理解ができない、とでも言うように、デルフィは立ち上がってシロナの目の前に歩み寄ると、柔らかくも冷たい視線を向けてきた。

 

「あんなどこにでもいそうな普通極まりない人間を気にいるとはね。僕からの忠告だが、あの程度の人物を側に置くことは君の品格を落とすことに繋がる。早急に手を切るといい」

「どういう意味ですか?」

「言葉通りだよ。才ある者は相応しい者と関わるべきだ。あんな普通以上の評価をできないような凡人を側におくことは、君自身のレベルを下げることに繋がりかねない。早急に手を切り、君自身の価値を落とさないようにするべきだ」

 

 デルフィの言葉に思わずシロナは手が出そうになる。心から愛している人を貶められて、冷静さを保てるほどカイムへの愛は浅くない。だが、デルフィの肩越しにカイムが視線だけを向けてくるのに気づき、踏みとどまる。ここで手を出すことは、何事も良い方向になつながらない。

 己が為すべきこと。そう自分に言い聞かせ、シロナはデルフィに視線を向けた。

 

「…デルフィさん。貴方の言うように、カイムは才能というのは凡庸の域を出ません。ですが、才能以上に素晴らしい努力量を誇ります。そして何より、彼の人間性が私には合っている。どんな環境であれ、自分にとって安息の得られる場所でないなら決して長続きしない。私は、彼との研究環境が一番合っています」

「努力なんて誰でもできることは誇れるものではない。真に価値のあるものは、努力だけではなし得ない才能だ。才能の無い彼に、君が時間を割くほどの価値はないよ」

「貴方が彼をどう思うかは自由です。ですが、私の弟子を侮辱することは許しません」

「君のような才女が、あんな凡庸な人間を弟子?僕の誘いを断るにしては、随分と下手な嘘だね」

 

 シロナにとって、大切な人を貶められることは自分を馬鹿にされることよりも耐え難い侮辱だった。何より、才能の無さを自覚しながらも懸命に、真摯に向き合って努力をする姿を侮蔑することは、シロナにとって逆鱗に触れることと同義だった。

 シロナの空気が張り詰める。シロナの顔は変わらず貼り付けた笑顔のままだが、纏う空気が明らかに冷たくなった。

 

「デルフィさん。貴方がどんな価値観を持とうが、私の知ったことではありません。ただ、私の前で私の身内を侮辱する行為は許しません」

「わからないかな。僕は君のために言っている。君のその才能を活かせる環境で、更なる才の発展と研究の促進をするためには僕の研究室が最も最適だ。僕の他にも、僕が認めた優秀な才能を持つ若人たちがいる。そんな凡人の助手しかいない環境よりも、はるかにいい。それに、ポケモンバトルを続けることも認める。ほら、君にはメリットしか…」

口を慎みなさい

 

 ピシリ、と何かがひび割れるような音が響く。視線を下に向けると、デルフィが手に持っていたグラスにヒビが入っていた。同時に、デルフィの指先が小刻みに震え始める。まるで、捕食者を前にした獲物のように、生命の危機を感じ取るように。

 

「…なん、だ」

「貴方がどう思うか、どう考えるかは好きにしてください。でもそれを私と私の身内に押し付けるのは侮辱に等しい行為です。それ以上のことを口にするのであれば、私なりに貴方へ報復することになります」

「…何を」

「何を言っているか理解できませんか?たくさんの人の歴史を知る考古学者とは思えない言動ですわね。無数の価値観と歩みを知ることが私たち考古学者だ。人の価値観を受け入れず、知ろうとすらしない貴方の価値観は考古学者とはとても思えませんね」

「…君、僕を侮辱したな?」

「貴方が私にしたことと同じことをしたまでですわ、デルフィ准教授」

 

 デルフィが怒ったように睨みつけてくるが、シロナは冷たい視線を向けるだけだった。

 

「同じこと?僕のしたことが?」

「ええ。理解できないでしょう?」

「全く理解できない。才能があり、価値のある人物と凡庸でどこにでもいる人物。どちらに価値があるかなど言うまでもないだろう?」

「才能とは、必ずしも人から見えるものだけではない。彼のように、必ずしも人目につくタイプの才能ではないこともあります」

 

 シロナは確かに人の目につきやすい才能を持ち合わせている。対してカイムはそうではないが、カイムが持ち、シロナが持たない才能というのも存在する。仮に人の目につかない才能であったとしても、それを侮辱されることは耐え難い屈辱だった。

 

「そんなものになんの価値がある。見つからなければ、それは無いのと同じだろう」

「ふふ、そうですか?世間には研究以外にも様々なものがありますわ。そして中には、私たちでは決して到達できない才能を持ち、世の中に貢献している人もいる。それを無価値と決めつけるのは、些か暴論だと思います。見当はずれな持論を展開して場を冷やすというのは、夏ならばともかく冬のこの時期には不要でしょう」

 

 ぞわりと、デルフィの背筋に悪寒が走った。

 顔は変わらず貼り付けた笑顔のままだが、明らかに圧力が強くなる。波導を感知できないデルフィですら感じ取れるほどの威圧感に、デルフィは手に持ったグラスを落としてしまう。だがシロナはそのグラスが床に落ちる前にキャッチした。

 

「あら、手元がおぼつかないようですね?少し…飲み過ぎてしまいましたか?」

「なに、を…」

 

 言葉がうまく紡がれない。気温的には明らかに震えるような気温ではない。だというのに、何かこう…生物の本能的な何かが己に訴えかけてくるように、デルフィの指先は震えて止まらない。

 

(なんだ…これは)

「酔いが回ってきていますね。これ以上は不摂生に繋がりかねませんよ?そろそろ、お帰りになってはいかがでしょう。ああそうだ。共同研究の件については、丁重にお断りさせていただきます。私たちは研究においても価値観においても、方向性が違いすぎるようですので」

「なん、だと…」

「まだ何か?」

 

 視線がデルフィを射抜く。まるで極寒の地に来たような感覚に襲われたデルフィはそれ以上何も言うことができなくなった。

 そんなデルフィにヒビが入ったグラスを押し付けると、相変わらず冷たい視線のままシロナは貼り付けた笑顔を向ける。

 

「では、私はこれで。共同研究は何があったとしてもしませんので、ご留意を。それではごきげんよう」

 

 それだけ言ってシロナは去っていく。

 デルフィはヒビが入ったグラスを手に持ちながら、その背中を呆然と眺めていた。

 

 

 

 その後、ストレスの溜まったシロナが少しだけ多めに酒を飲んでカイムに対してナナカマド博士と共に理詰めパンチ指導をしてカイムのメンタルが大きく削られたのだが、それはまた別の話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会食が終わり、二次会でナナカマド博士と飲んでホテルに戻ってきた頃には、11時を回っていた。カイムは途中から飲むのをやめていたが、シロナは最後まで博士と飲んでいたためか、少し顔が赤い。

 

「博士、マジで酒強すぎだろ」

「でしょ?すごいんだから」

 

 清酒、ウィスキーなど強めの酒であったとしても気にせず飲む姿は、歳をまったく感じさせないほど豪快だった。

 

「あんな飲むとは思わなんだ」

「嬉しかったのよ」

「何が」

「教え子の弟子の発表が見られたことよ」

 

 ナナカマド博士は教え子の発表や研究を見ることが好きであった。プラターヌ博士やシロナの研究についてもよく見にきていたのは、研究者として興味があるだけでなく、教え子の成長を見るのが好きであるが故の行動らしい。

 カイムはナナカマド博士から直接指導を受けた時間は短い。しかし、教え子であるシロナの弟子であれば、それは己の教え子に近い存在とも言える。そんなカイムの発表を見られたことが嬉しかったのだろう。同時に、シロナの指導力についても素晴らしいことが知られたのもあるだろう。

 

「本当、根っからの先生なんだな」

「そうよ。指導熱心なの」

「ところで、デルフィさんとの話は?随分と()()()()みたいだが」

 

 荒れてた、というのは、波導のことだろう。一般人はともかく、カイムは既に波導を認知できるようになっている。波導を感じられる者であれば、シロナの波導がどれほど荒れていたか感じられただろう。何せ最後は波導を認知していないデルフィにすら感じられるほどだったのだから。

 

「ああ、それね。別に、どうもないわよ」

 

 少しだけ苛立ちを含む声に、カイムは首を傾げる。

 

「…なんかイラついてんな」

「そりゃもう!あの人、本当に私とは合わないわ」

「何言われたんだ」

「……言いたくない」

 

 怒ったように唇を尖らせ言うシロナに、何を言われたのかなんとなく察する。恐らく、自分が言われたようなことをシロナにも言ったのだろう。

 

(凡人はシロナに相応しくない云々とかそのあたりだろうな)

 

 侮蔑されたはずのカイムはあまり響いていないのか、そんな程度しか考えていない。デルフィが言うように自分が凡庸であることは事実であり、シロナという幸運のおかげでここにいる。それをよく思わない人がいるのは、彼女が受けている外界からの評価を考えれば妥当とも言えるだろう。

 

「どーせ俺は凡人だからさっさと手を切って自分のところに来いとでも言われたんだろ?」

「わかるってことは、あなたも…」

「言われたよ。凡人はシロナに相応しくない。さっさと帰れってな」

「……それであなたは何て返したの?」

「シロナがそれを望むなら、とだけ」

 

 誰がなんと言おうと、シロナ本人がカイムのことを拒絶しない限りは決してシロナの隣を去るつもりはない。

 だがシロナはどこか不満げだった。何故不満げなのかわからず首を傾げると、シロナはジト目をカイムに向ける。

 

「…ねえ」

「あん?」

「髪、解いて」

 

 シロナはジト目のまま後ろを向き、カイムに髪を解くように促す。よくわからないが、とりあえず言う通りにしようと考えたカイムはシロナの髪に手を伸ばした。簪を外し、丁寧に髪を解く。机に置いてあった櫛を使って髪を綺麗に整えると、ぽんと背中を叩いた。

 

「ほれ、これで満足か」

「……ええ」

「…なーにが不満だ」

「あなたを侮辱されたこと」

 

 シロナの言葉は予想通りのものだった。

 自分が侮辱されるよりも、周囲が侮辱されることに怒る。シロナがここまで不満げなのもどうせそんなことだろうと納得しつつも、少しだけ呆れるようにため息を吐いた。

 

「凡人はお前に相応しくない云々とか言ったんだろ?俺も直接言われたし、そんなもんだろうと思ったよ。怒ってくれることは嬉しいが、せっかく綺麗なドレス着てんのにそんな不貞腐れたツラしてんなよな。勿体無え」

「…あの人があなたの努力を知らないのは当たり前。それにあの人は『努力することは当たり前。努力だけでは届かない才能こそに価値がある』という考えをしている以上、あなたとも私とも合うはずがない。でも、それは私の誇りを蔑む理由にはならないわ」

「誇り?」

「あなたのことよ、カイム。あなたは私の誇りなの。私が今こうして怒っているのも、あなただけじゃなく、私自身のためでもあるのよ」

 

 努力とは、確かに当たり前のものとも言える。やろうと思えば誰でもできるが、突き詰めることは誰でもできるわけではない。それこそ、カイムのように何も持たないにも関わらず突き詰めるというのは、並大抵の精神力ではできない。少なくとも、シロナは家事に関してはそうそうに匙を投げている。

 それでも尚、匙を投げずに挑戦し続けて今に至るカイムは、シロナから見てもすごいことだった。本人も言うように、彼は凡人。才能ある者と比較したら、どれだけ積み上げようと届かない領域がある。それを自覚しても、折れることなく歩み続けられるというのは、並大抵の精神力ではない。

 

「あなたがどんな思いでここまで来たのか…想像すらしようともしない人に、あなたのことを悪く言われるのは我慢ならなかったの。折れずにここまで来られることにどれほどの精神力がいるか…わからない人に批判する価値はないわ」

「…精神力、ねえ。自分で言うのもアレだが、確かに俺ぁメンタル強い方だろう。だが、結局一度折れてる。俺を立ち上がらせ、ここまで歩かせてきたのは…俺にとっての繋がり(世界)だ。俺一人の力じゃない」

「そう、私があなたを誇りに思う理由の一つがそれなの」

「おん?」

「自分の力だけでは足りない。だから人でもポケモンでも…たくさんの存在と出会い、繋がり、自分自身だけでなく他者の新しい価値すらも見出す。自分と他者、双方に素晴らしい成長を促すことができる、たくさんの存在と繋がれる心。海のように広く深い、たくさんの存在を包み込めるような心を持つあなたのことを、私は誇りに思う」

 

 誰もが目を向けないようなありふれた青年。そんな彼が宿す心の在り方が、シロナは好きだった。そしてその在り方がミオシティを、ダークライを孤独から救った。街も人もポケモンも救った彼の在り方を、シロナは心から誇りに思い、愛していた。言われた本人がなんとも思っていないことは予想通りだが、それでもシロナは許せなかった。

 

「自分の誇りを蔑まれれば、あなたも怒るでしょ?」

「気持ちはわかる。逆の立場なら、俺も怒る」

「でしょ?」

「だが、今の服装には似合わん。綺麗な格好してんだ。不貞腐れたツラは似合わん」

「なーに?このドレス気に入ったの?」

「ああ。正確には、それを着てるシロナだが」

「…調子いいこと言っちゃって」

 

 それで機嫌が良くなってきている自分も大概か、と思いつつ、シロナはベッドにごろりと寝転がった。

 

「おい」

「なに?」

「その格好で寝転がるな。ドレスにシワ入るぞ」

「………隣にきて」

 

 寝転がったままの状態でシロナは目を向けてくる。髪に隠れていない銀灰色の瞳が、流し目で向けられてどことなく艶やかに見えた。

 

「…はあ。わかった」

 

 カイムはジャケットとベストをハンガーにかけてネクタイを外すと、シロナの隣に寝転がる。

 

「で?どうしてほし…」

 

 言い終わらないうちにシロナはカイムの右腕を抱きしめ、カイムの首元に顔を埋める。

 

「…どうした?」

「ここにいたい」

「あん?」

「…私、ここにいたい。あなたの隣に。ずっと」

 

 シロナは体を動かすと半ばのしかかるように体勢を動かす。そしてカイムの頬を優しく撫でると、口付けを落とした。

 少しだけ驚いたようにカイムは目を見開き、シロナの錦糸のような髪を撫でる。

 

「…本当に、どうした?」

「…ねえ、私…あなたの負担になってない?」

 

 意味が全くわからず、カイムは怪訝な表情をする。表情からは『お前は一体何を言っているんだ』という思いが伝わってきた。

 

「私…自分で言うのもあれだけど、バトルの実力も研究者としての実績もそれなりにあるわ」

「お前レベルをそれなり程度ですませんなよ」

「話の腰を折らないで!」

「…わーったよ。続けてくれ」

「…それでね。同じ分野に身を投じているあなたは、私の隣にいると嫌でも比べられる。あなたはきっと、自分と私のためにこれからも研鑽を積む。それは嬉しいし、止める気なんてない。でも…無理をさせてないか、ほんの少しだけ心配になったの」

 

 シロナとカイムでは、元の才能のレベルが違いすぎる。秀才のシロナと凡才のカイムで、到達できる領域は大きく異なる。カイムはそれを自覚しているが、それが研鑽を止める理由にはならないと考え、日々努力をしている。

 カイムの性格はよく理解している。努力をあまり苦に思わないカイムならば、努力は決して惜しまないだろう。だがそれでも、才能の違いというものは努力を続けるほど如実に現れてしまうもの。もしかしたら、カイムが努力を続けてある程度成熟してきたことで、自分の平凡さにまた絶望してしまうのではないか。自分の存在が稀にカイムにとって知らないうちに負担になっているのではないか。デルフィの言葉のせいで、そんなことをふと思ってしまい、不安になっていた。

 シロナの言葉を聞いてなお、カイムの表情は変わらない。元々ほとんど表情に変化はないが、目に宿る光は微塵も動じていなかっな。

 

「そんなことか」

「…そんなことって…」

「シロナ」

 

 名前を呼ばれてシロナが顔を上げると、カイムの青い瞳と目が合う。

 

「おいで」

「…うん」

 

 シロナはカイムの首に腕を回して唇を合わせる。啄むようなキスを暫しの間二人は感じていた。唇を離すと、カイムはシロナの頭を優しく撫でながら抱きしめる。

 

「シロナ」

「…うん」

「お前が俺を誇りに思ってくれるように、俺にとってもお前は誇りなんだ。俺は、お前が輝く様を見るのが好きなんだ。ポケモンを大切にしていて、人を大切にしている。当たり前に聞こえるかもしれないことを、当たり前だからと言って蔑ろにしない。そして、自分が得た力が自分だけでなく、縁の力があったからだと理解している。すげえことじゃねえか」

「…うん」

「そんでもって、俺はその輝きを支えてるんだ。凡人の俺にゃあ十分すぎる栄光だ」

 

 自分は、決して輝けない。輝くのはいつも自分の周囲だけ。どんなに足掻いても、彼らがいる場所にはいけないことは、自分もよくわかっている。昔はその事実に苦しみ、嫉妬の心に焼かれ、最後は諦めた。

 だが今は違う。確かに、イサナならなり得た地位も、ダイゴとシロナがいる領域も、カイムでは決して届かない。でも、そんな彼らにもできないことがあり、自分はその足りない部分を補える。そして、補うことで彼らがより輝ける。つまり、その輝きの一部になれているということに他ならない。

 

「十分なんだよ、シロナ。俺には十分すぎる。お前の輝きを支えてるという事実は、俺にとっては十分すぎるほどの栄誉なんだ」

「……苦しくは、ないの?」

「一欠片も苦しく無いと言ったら嘘になるやもしれん。だがそれ以上のものを俺は既にお前からもらったんだ。俺一人じゃ絶対に見られなかった、十分すぎる栄誉を。だから俺は、それに見合う人物にならなきゃならん。気まぐれで始まった関係だったかもしれないが、お前の見る目は間違えていなかったと証明しなければならないんだ。俺は、自分ができることもしたいこともできることも…もうわかってる。そんな瑣末な苦しみ、無いに等しいんだよ」

「……そうなのね」

「ま、この結論に至るまで紆余曲折あったし、いまだに思い悩むこともあるから偉そうには言えんのだがな」

 

 自分の中の決意は変わらない。迷うことはあるだろうが、それでもシロナが隣にいる限りこの結論に至ることに変わりはない。迷う時点で偉そうに断言できはしないのだが、不恰好でも胸を張れるように生きていける。そう思えた。

 

「俺は、お前の隣がいい。お前が望んでくれる限り、隣にいる」

「嬉しい」

 

 小さく笑いながらシロナはカイムの首元に顔を埋める。シロナの息が首元に当たってなんとなくむず痒いが、ぽんぽんと頭を撫でながらカイムは息を吐いた。

 

「珍しく酔ってるみたいだな」

「…酔ってないもん」

「酔っ払いはみんなそう言うんだよ。それに、そういう弱みや不安を見せる時じゃないとそういう酔い方はしない」

「……詳しいわね、私のこと」

「数年、隣にいりゃわかる」

「むう…」

 

 ぐりぐりと頭を押し付けてくることに苦笑する。恐らく、理解してもらって嬉しいと同時に少し悔しいのだろうと考え、錦糸のような髪を撫でた。

 

「ね」

「あん?」

「…ありがと。ごめん、面倒な絡み方したわよね」

「面倒ではあいてででで!」

 

 耳を引っ張られて思わず呻いてしまう。自分から面倒云々言っておいてそれを肯定すると報復を受けたということに不満を抱きつつ、カイムはシロナの背中に手を回した。

 

「そのくらいでキレんなよ」

「そこは普通『そんなことない』ってフォローするとこでしょ」

「今更俺にそんなこと求めんな」

「いじわる」

「このくらいで意地悪扱いすんな酔っ払い」

「…次の特訓、覚悟しておいて」

「そいつは怖え。御免被りたいね」

 

 軽口を叩きながらもカイムはシロナの髪と背中を撫で、シロナはカイムの頬を撫でる。

 

「…ね」

「ん?」

「愛してるわ」

「ああ、俺もだ」

 

 ただ触れるだけのキス。触れていた時間は数秒にも満たないが、それだけで互いの心が十分感じられた。顔を離したシロナはカイムの青い瞳を見て優しく微笑み、カイムもほんの僅かだが口角を上げた。愛する人とこうしていられる事実を嬉しく思う心を互いに感じた。

 

「ところでお姉さん」

「なに?」

「そろそろ、上からどいてくれませんかね。着替えてえんだ」

 

 普通に寝転がっているが、カイムはまだワイシャツにスラックス、シロナはドレス姿のまま。とてもこのままの姿で眠ることはできない。

 

「えー…このまま…」

「寝れるか。俺はシャツとスラックスでお前はドレスだぞ。シワになる」

「ならないわよ…なってもどうにかなるでしょ?」

「誰が手入れしてると思ってんだおめぇ…つか、俺が来るまでどうしてたんだよ」

「業者」

「…金は有り余ってるお前らしい」

 

 ズボラの具現化であるシロナがアイロン等の手入れをするとは思えない。カイムが来てからはカイムがほぼ全ての服の手入れもしているが、それまでは全てにおいて業者に丸投げしていたらしい。

 

「というか…カイムはドレスの手入れ方法なんてどこで勉強したのよ〜」

「あ?そんなのネットに決まってんだろ」

「ネットでわかるものなの?」

「インターネット先生をなめるなよ。あの人は何でも知ってるんだからな」

「なんでインターネットへの信頼度が高いのよ」

 

 くすくすと笑いながら、シロナは起き上がる。

 

「綺麗でしょ、このドレス。カトレアと選んだの」

「カトレア?あいつ、イッシュだろ」

「オンラインでデザイン選んだのよ」

「ああ、そういう。つか、それなら余計大事にしろや」

「そうねぇ…じゃあ着替えようかしら」

 

 そう言ってシロナはドレスのホルターネック部分に手を回そうとする。慌ててカイムも起き上がりシロナの手を掴んで止めた。

 

「なに?」

「何ここで着替えようとしてんだお前は」

「んー?」

 

 なんとなく、シロナの頬が赤く雰囲気がほわほわしている。どうやら酔いが後から回ってきたらしい。恐らくナナカマド博士の前では多少の緊張もあり、理性が保たれていた。しかし、カイムだけとなり不安も取り除かれたことにより酔いが一気に回ったのだろう。

 

「あー…うん。うーん?」

「…唐突に酔っ払うのなんなんだよ。着替えんなら、まずはどいてくれや」

「なーに?はずかしいの?」

「おめーは寧ろ恥じらいを持てや」

「んふふ〜はずかしいんだ」

「話を聞け酔っ払い」

 

 これ以上言っても無駄そうだと判断したカイムはシロナの頬を撫でると、触れるだけのキスをする。シロナが一瞬呆気にとられた隙にするりと抜け出すと、伸びをしながら着替えを取り出した。

 

「ほれ、俺も着替えるからお前も着替えろ」

「むう」

「どこにむくれる要素があんだよ…」

「わたしの着替えもだして」

「へーへー…」

 

 少しだけ面倒に思いつつも、カイムはシロナの着替えを取り出して手渡す。渡されたシロナは着替えを一度ベッドに下ろすと、カイムの背中に抱きついた。

 

「今度はどうした」

「ねえ」

「ん?」

 

 抱きついたシロナはほんの少しだけ躊躇する素振りを見せたが、カイムの耳元で小声であるお願いをした。

 シロナの言葉を聞いたカイムは少しだけ驚いたように目を見開き、シロナに目を向ける。

 

「…どうした急に」

「んー?んー…」

 

 意外なお願いであり思わず問いかけたが、シロナからの反応は薄い。

 

(酔ってる…のもあるが、違うな。何を思ったかは知らんが、何かしら思うところがあったってか?)

 

 少しだけふわふわした雰囲気ではあるが、完全に意識を飛ばすほどの酔い方ではない。何かしら考えた結果なのだろうが、何を思ったのかまではこの雰囲気のシロナからは読み取れない。

 とはいえ、頼まれたことへの返答をしようと考え直し、カイムは口を開いた。

 

「いいぞ」

「…え、いいの?」

「別段、断る理由はない。それに、前に良いって言ったろ」

「そっか。うん、そうだったわね」

「で?どーすんだ?今からか?」

「うん。今から、あなたと」

 

 控えめながらも美しい、月のような笑みを浮かべてシロナは頷く。

 その頬が赤く染まっているのは酔いか、それとも別の理由か。

 

「で。行くのはいいが…せめて、着替えねえか」

 

 カイムはスーツ、シロナはドレスのまま。ホテル内のほんの僅かな外出とはいえ、ずっとスーツを着ていたこともあり、そろそろ脱ぎたいと思っていた。

 

「スーツのあなた、少し珍しいから見てたいんだけど?」

「珍しくはねえだろ…肩凝るから好きじゃねえんだよ」

「えー?かっこいいのに」

「せめてもう少しカジュアルな格好させてくれ。普段スポーツウェアなことが多い身からすると、こういうのは疲れやすいんだ」

 

 普段の職場がポケモンジムであり、自分自身もポケモンと組手をしたりするカイムの仕事着はスポーツウェアになる。ちゃんとした時でないとスーツは着ないため、スーツを着ているといつもより少し疲れやすい。シロナに着て欲しいと言われる事自体は悪い気はしないが、さすがに学会と会食の後では慣れていないカイムの疲労度合いは高い。少しの外出とはいえ、もう少しカジュアルな格好になりたかった。

 

「ま、今日は頑張ったから許してあげようかな」

「そいつは何より。シロナはどうする?」

「うーん、どっちがいい?」

 

 ドレスは少し疲れやすくなるが、今日は発表もせず会食で少し体力を使ったくらいのシロナは、別段着替えが必要なほど体力は減っていなかった。だがカイムが望むのなら、このままでいるのも着替えるのもどちらでも受け入れるつもりだった。

 

「好きにしろ。そこは俺が言う事じゃねえよ」

「カイムが好きな方選んでいいのよ」

「俺が決めることじゃねえだろ…」

「んー…じゃあ、カイムが着替えさせてくれるなら着替えるわ」

「阿呆」

 

 呆れたようにため息を吐きながらカイムは立ち上がり、ワイシャツを脱いだ。下には保温性のインナーを着ているため素肌は見えない。だからこそシロナの前で着替えられたのだろうが、かつてのカイムならこんなことはしなかっただろうなとシロナは内心で考えた。

 普通のシャツに着替え、スーツよりもカジュアルなジャケットを羽織ったカイムは振り返る。

 

「ほれ、準備できたぞ」

「スラックスはいいの?」

「いい。時間もあんまねえ。行こう」

 

 差し出された手を取り、シロナは微笑む。

 

「ええ、ありがとう」

 

 二人は手を取り合って、部屋を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝、目を覚ます。

 冬ということもあり、まだ外は暗い。若干空が白み始めている程度の時間にシロナは目を覚ました。

 

「ん…」

 

 むくりとベッドから起き上がる。少しひんやりした空気がシロナの肌を撫でた。

 隣を見ると、カイムが穏やかな寝息を立てて眠っている。優しく髪を撫でても起きる気配はない。相変わらず眠りは深いようだった。

 シロナはベッドから抜け出すと、椅子にかけられていたカイムの厚手のパーカーを羽織る。身長が同程度でもやはり体格はカイムの方がいいためか、少しだけサイズが大きい。手が半分ほど隠れているのを少しだけ楽しそうに見ながら、シロナは部屋のベランダへと足を踏み入れた。

 冬の早朝ということもあり、気温は非常に低い。厚手のパーカーを着ていたとしても足はほぼ剥き出しである以上、寒さ耐性のあるシロナでもこの寒さは堪える。

 

「はぁ」

 

 吐く息が白く染まる。特に何かあるわけではないが、空を見上げた。

 暗い空は少し白み始めているが、街全体がまだ眠りについているように静かだった。

 特に何も考えず少しぼんやり街を眺めていると、背後に気配を感じる。

 

「…何してんだ」

「あ、ごめん。起こした?」

「いい。んで、どうした」

 

 ベッドから起き上がりつつ、カイムは自分が脱いだであろうパーカーを探す。すぐにシロナが着ていることに気づいたカイムは別の上着を手に取り羽織った。

 

「お前、もう平然と俺の服着るようになったよな」

「だめ?」

「俺が着る服がなくなるんすけど」

「知らない」

「このやろう…」

 

 小言を言いながらカイムはシロナの隣に立つ。寒さ耐性の低いカイムは少し身震いしながら息を吐いた。

 

「寒い…」

「わざわざ来なくても良かったのよ?」

「ほっとけ…で?何見てたんだ」

「何かを見てたってわけじゃないんだけど、目が覚めちゃったから」

「また何か考え事か?」

「ううん。()()はもう大丈夫。あなたが解決してくれた」

 

 昨晩のやり取りでシロナが瞬間的に抱えた影はもう消えた。今は本当に目が覚めたからぼんやり外を眺めていただけだった。

 

「じゃあどうした」

「心配性ね…まあ今回は私のせいか。でも、本当に何もないの。ただ目が覚めただけ」

「ならいい」

 

 カイムはちらとシロナの服装を眺める。厚手のパーカーを着てはいるものの、気温を考えれば薄着。しかも足はほぼ剥き出し。寒くないのかと思える格好であると同時に、色々と目に毒な服装だった。

 

「…寒くねえのか?」

「ん?」

「いや…そんな……いや、うん」

「なによ」

「…足」

「ああ、うん。寒くないと言ったら嘘かもしれないけど、平気」

「寒さ耐性は俺とは比較にならんな」

 

 それなりに着込んでいるのに寒さを感じるカイムに対して、シロナはそこまで気にしていない様子だった。

 寒い風が吹き抜け、ぶるりとカイムは体を震わせる。寒さに耐えられなくなったため、シロナの体を抱き寄せて暖を取ろうとしたが、大きな効果はなかった。

 

「どうしたの?」

「寒い」

「中、戻る?」

「お前が戻るなら」

「じゃあ、もう少しここにいようかな」

 

 抱き寄せられた腕を撫でながらシロナは楽しそうに笑う。シロナとしてはもう少しぼんやりしていたいし、こうして抱き寄せられていること自体が役得でしかない。ならわざわざ戻る理由はなかった。

 

「…意地悪いな」

「そう?あなたが意地悪な時もあるからかしら」

「人のせいにすんな」

「事実だもん」

 

 くすくすと笑いながらシロナは抱き寄せられたカイムの顔に自分の頬を寄せる。

 

「…カイムは、暖かいわね」

「寒いだけだろ」

「それもあるかも」

 

 視線を空に向ける。空は少しずつ明るくなっており、夜明けが近づいていた。

 

「…大会、もうすぐね」

 

 ふと呟いたシロナの言葉は、楽しみと同時に不安も少し混ざっているような声色だった。

 

「ああ。タッグバトル大会なんて初めてだ」

「ダブルの大会はあれど、タッグはそうそうないものね。楽しみだけど、少し不安だわ」

「運営側としちゃあ不安もあるだろうな」

「やりたかったことだけど、不安もあるわ」

「どうにかはなるだろ。色々細かいところまで気を配ってるし、多少不具合はあるやもしれんが…まあうまくいくだろ」

「ありがと。あなたは参加者だけど、参加者としては頑張ってよね」

「そらな。最善を尽くすさ」

「あなたは良いところまでいきそうよねぇ」

「そうか?」

 

 シロナ目線、カイムのタッグバトル適性は異様に高い。以前レッド、グリーンを交えてタッグバトルをした時も一人だけ純粋な実力は大きく劣るにも関わらず、全試合引き分けに持ち込むだけの適性を見せた。単純な実力で劣る中、嫌がらせと適切な状況判断能力で実力をカバーした。ほぼ即興でありながらあれだけのことをできるのなら、誰がペアであったとしても相当いいバトルをしてくれるだろうという確信があった。

 

「そうよ」

「期待に添えるように努力するとしよう。話は少し変わるが、大会のチケットはどうなんだ?」

「キャンセル分の抽選はあるけど、事実上完売よ。珍しい大会ってのもあるけど、それ以上にこういう公認トレーナーだけの大会ってあまりないから」

「いいじゃねえか。シンオウ地方の可能性を見せつけるって名目の大会だ。注目が集まるのは僥倖だろう」

「そうね。嬉しい限りよ」

 

 シンオウ地方の可能性を見せる。それこそがこの大会の目的だった。後に続くトレーナー達のために、今のシンオウ地方がいかに素晴らしいかを伝えることこそが目的であるため、注目されることは大会の趣旨に沿っている。

 

「ね」

「ん?」

「誰と組みたい?」

 

 シロナの問いかけにカイムはほんの少しだけ考える。

 

「……お前と一番組みたいってのは変わらん。だから他の人ってのを考えると…正直、全員と組んでみたい。だが敢えて選ぶなら、ヒョウタ、スズナ、ジュンあたりかねぇ」

「あら、トウガンさんやヒカリ、スモモちゃんは?」

「組みたい気持ちはあるが、それ以上にその三人は俺にとっちゃ超えたい壁に近い」

 

 トウガンとスモモはジムでの関わりがあったということもあり、どちらかと言うと組みたいより越えたいという思いが強い。また、ヒカリは選ばれた存在ということもあり、かつての姉と重ねていたこともある。

 

「なるほど、そっちなのね」

「そういうシロナは?」

「んー?組みたいのはあなた。他に敢えて選ぶなら…そうねぇ。ヒカリちゃん、キクノさんとかかしら」

「お前とヒカリが組んでるの強すぎんか」

「そう?ヒカリちゃんの能力上限値を考えればそうかもしれないけど、あの子の大会戦績考えるとそこまでよ。天才なのは間違いないけど、レッド君と比べるとまだまだ能力にムラがあるわ。いつでも能力の上限を出せるわけじゃない部分は若さがあるなって感じね」

 

 ヒカリは確かに強い。ただ、まだまだ集中力にムラがあるのか、実力の割に大会戦績は奮っていないこともある。何かを試すことも含めているのだろうが、それでもまだまだ能力にムラがあるのはやはりトレーナー歴の短さがあるのだろう。

 

「ただ、あの子の能力的に集中力がマックスの時は恐ろしいわよ。その時の100%以上の実力を発揮できるからね」

「天才は怖いねえ」

「その天才以上のトレーナーにタッグバトルとはいえ引き分けたあなたも相当よ?」

「そらどーも」

 

 わかっているのかいないのか、カイムは適当な相対で返してくる。相変わらず自分の素質を理解していないなとやや呆れつつ、シロナはカイムに頬擦りした。

 

「あなたと頂点に立ってみたいわ」

「それができたらいいがな。ペア自体はランダムだし、確定できないのが惜しいが…これだからこそこの大会は面白い」

「ランダム故だからこそ、公平性が保たれる。そして即興のコンビネーションこそが、私たちのポテンシャルを見せてくれるわ」

「ポテンシャルって言われると自信ねえな」

「あなただけは例外かもね」

「おん?」

「大会が終わったら、教えてあげる。まだ敵になる可能性もあるし、今はまだ教えてあげなーい」

 

 なんだよそれ、と呟きながらもカイムはシロナの体を後ろから抱きしめ直してシロナの体を撫でる。撫でられることで少しくすぐったさを感じるが、シロナもカイムの首筋を撫でた。

 

「カイム」

「ん」

「愛してるわ。でも、敵になったら容赦はしない」

「心配なんてしてねえ。敵になったら、お前は全力で来る。特定の場合を除いて手を抜くことは、相手への敬意を欠く行為だってわかるから」

「それがわかってるならいいわ」

 

 そう言ってシロナは振り返ると、カイムの首に腕を回して口付けを落とす。

 

「ん、はぁ…ちゅ、んむ」

 

 少し冷たい唇の感触を感じる。互いの体温を感じながら、シロナは至近距離でカイムの青い瞳を見つめた。深い海のような青い瞳と、星のように美しい銀色の瞳が見つめ合い、互いに互いのことしか目に映らない状態で暫しの間二人の影は一つになっていた。

 二人が離れると、細い銀色の糸が二人を繋いでいたが、すぐに切れる。そしてお互いほんの僅かに赤くなった頬で見つめ合った。

 

「寒くなってきたわ。戻りましょ」

「ああ」

「抱き上げて」

「へーへー…」

 

 カイムはシロナのことを所謂お姫様抱っこで抱き上げると、部屋に戻る。半ば放り投げるようにベッドにシロナを置くと、体温を感じるためにカイムはシロナのことを抱きしめた。

 

「ふふ」

「なんだ」

「んーん。こうしていられるのが嬉しいだけ」

「…そうか」

「明日、どうする?コトブキシティ散策する?」

「あー、そうだな。そのためにも少し眠ろう。まだちょいと眠い」

 

 ふあ、と小さくあくびをしたカイムに小さく笑い、シロナは頷く。そしてカイムに身を委ねるようにシロナも目を閉じ、二人は再び夢の中に落ちていった。

 

 願わくば、夢の中でもこうしていられることを願って。

 

 




Cパート

 シロナとカイムがNと出会ってから、二週間。怪我らしい怪我はなかったため現場に復帰した二人だが、復帰早々で二人は会議に出ていた。
 会議内容は時間の停止について全ギルド支部からトップが集まり、会議を開くことになっていた。以前出会ったプラズマ団からの技術提供されたホロキャスターの技術を応用し、現地に行くことなくホログラムでカントー地方の冒険者ギルド総本部に擬似的に各支部のトップが集まっていた。シンオウ地方支部トップのナナカマドと共にチャンピオンのシロナが参加していた。
 全員が集まった中、カントー総本部マスターであるオーキドが口を開く。

『さて、この緊急事態の中で招集に応じてくれて感謝する。今回は、事前に伝えた通り…世界各地で起きている時間の停止について、諸君に情報交換をしておきたかった』

 シロナ視点、ホログラムのオーキドが重々しく言葉を紡ぐ。時間の停止は各地方で起きており、徐々に停止している区域が広がっている。地域によっては人が住む街を侵食し、避難を余儀なくされている人も増えてきていた。政府と協力しているが、ギルドも対応に追われており、治安も悪くなってきている。どうにかしなければならない状況の中、()()()()()()()があるとのことで、各地方のトップが招集された。

『内容は、諸君も察しておる通り、時間の停止について。これについて、重要な情報が提供された。その情報について、皆に共有と精査をしようというのが今回の趣旨となる』
『トップを招集するくらいです。信憑性はあり知っておくべきだが、公にするかどうかを精査する…といったところですか』
『その通りじゃマスター・アララギ。早速、情報内容について本人からお話ししてもらおう。プラズマ団のゲーチスさんじゃ』

 オーキドに言われて、新たにホログラムが一つ現れる。以前出会ったプラズマ団のトップであるゲーチスだった。

『皆様、ワタクシの呼びかけに応じてくださったことを心より感謝いたします。此度は、ワタクシが()()()()()情報を皆様に…お伝えしたく存じます。では、早速内容に移ります』

 ゲーチスは一度言葉を切ると、真剣な表情で口を開く。

『皆様には既にお伝えしていると思いますが、今回の件の下手人は…Nと名乗っている者です。もう一人、彼の協力者がいますが…協力者については情報がないので一度置いておきます。彼、Nは…未来からやってきた人物です
『……未来、だと?そんなことが…』
『荒唐無稽な話だと思われても仕方ないでしょう。しかし、事実です。一度、これが事実である前提でお話を聞いていただきたい』

 ゲーチスの言葉に、参加者は口を閉じる。この沈黙が続きを促していると理解したゲーチスはさらに続けた。

『Nは未来でも指名手配されている人物です。指名手配から逃れるために、この時代へやってきた。そして、この時代で未来ではできなかったことを企てています。それは、星の停止』
『…星の停止?』
『時間の停止が、この星全体に広がった結果か?』
『さすが、ギルドのトップである皆様は理解が早い。今も尚広がり続ける時間の停止。この停止が広がり続けた結果、星の全てが停止する。それが星の停止。星が停止すると、全ての地域で時間が流れず、風も吹かず水も流れず…色すらも無くした、永夜とも言える世界になります。世界の破滅といっても、過言では無いでしょう』
(…時間の停止した地域がこの星そのものの()()になるってことね)
『質問、よろしいでしょうか』

 そこでパルデア支部トップであるオモダカが声を上げる。

『構いませんよ』
『このまま時の歯車が無くなることに大きな問題がある。それは理解いたしました。ですが…何故貴方はそんなことを知っているのですか?今も尚侵食を続ける時間の停止を見れば、なんとなく想像はつきますが…貴方の言葉には裏付けされた何かがある。それが何なのか、教えていただかなければ…少なくともパルデア支部としては貴方の言葉を鵜呑みにすることはできません』
『仰る通りです。理由はこれからお話しいたします。ワタクシが何故、こんなことを知っているのか』

 ゲーチスは一度言葉を切り、杖を握りしめながら続ける。

『ワタクシも、未来から来た人間なのです』

 ゲーチスは全員の手元に資料を映し出す。資料の内容は、プラズマ団がギルドに提供した様々な技術についてだった。

『ワタクシは、Nを捕まえるために未来から来ました。ですが、未来から来た人間だと言って皆様に協力しようとしても、信じられるとはとても思えません。なのでワタクシは皆様にこうして事実をお伝えできるだけの実績が必要だった』
『それがこれまでの技術提供だと』
『ええ。未来で扱われている技術をそのままこの時代に持ち込み、皆様に提供する。そうしてワタクシの価値を示して初めて、ここまでのことをお話しできる状況を作り出したということです』

 確かに、今の話をそのままされても誰も信用しないだろう。そのために未来の技術を持ち込み、実績を作る。なるほど、確かにそうする他ないだろうとシロナは納得した。

『皆様にこうしてNの企みをお伝えし、全面的に協力する。そのためのプラズマ団であり、それこそがワタクシの目的なのです』
「…ゲーチスさんのお話しは理解し、納得しました。それと同時に、我々にはいくつもの疑問点が浮かんだ。状況説明が以上であるなら、我々の疑問に答えてもらうことはできますかな?」
『もちろんですマスター・ナナカマド。ワタクシに答えられる範囲であれば、なんでもお答えいたしましょう』
「ではまず一つ。Nの目的について。彼の目的が星の停止だということは理解しましたが、何故彼が星を停止させようとしているのか。これについてはご存知ですかな?」
『はい。彼が従えているポケモン…ゼクロムは、時間が停止した地域であっても、その影響を受けることなく活動ができる存在です。人もポケモンも、時間が停止した地域では大きく弱体化します。彼はゼクロムの力を使い、世界を支配しようとしているのです。未来でワタクシは、辛うじて彼の企みを阻止することができましたが…彼は諦めていませんでした。過去に行き、星の停止を実現しようと、この時代までやってきたのです』

 対峙したシロナとカイムにはわかる。時間の停止がどれほど弱体化の影響を齎すかはわからないが、ゼクロムほどの力があればそれすらも跳ね除けられる可能性があると。

「世界の支配か。なるほど、人もポケモンも時間の停止による影響下であればできなくはないと。ゲーチスさんは、Nをどのようにして止めたのですか?」
『ゼクロムの力を強制的に封じる手段を用いましたが…技術の発展した未来だからできた手段です。現代で同じ手段を用いることは、難しいでしょう』
『未来の技術を使った、と。今、我々に提供してくださっている技術の中に、封じる手段に関係するものは無いのですか?』
『持ち込める技術にも限りがありました。中でも封じる手段に用いた技術は、未来でも確立されていない試作段階のもの。我々も差し迫った状況にあったので、試作段階の技術を使うしかなかった。そもそも未来でもギリギリであった技術なので、現代で扱うことはほぼ不可能でしょう』

 その後、いくつもの質問がゲーチスにぶつけられるが、ゲーチスは全て完璧に答えてみせた。中には、未来から来たと頷けるようなものもあり、ギルドトップ達はゲーチスな話を信じるしかない状況になっていた。

『ではワシから、最後にいいかの』

 一通り質問が出たところで、オーキドが口を開く。

『無論です』
『ゲーチスさん、貴方は…貴方とNは、どうやってこの時代に来たのですかな?』

 未来から来る。つまり、時間を越えるというのは、現代では確立されていない技術。もしかしたら未来では確立されているのやもしれないが、それがどういうものか。オーキドは聞かないわけにはいかなかった。

『当然の疑問ですね。時間を越える…いわゆる、時渡りをして、ワタクシはここに来ました。しかし、未来でも時渡りは容易ではありません。いくつもの制限があります。まず、時を越えるため…時空間の歪みを見つけなければならない。現代でも既に時空間の歪みを見つけるくらいは可能ですので、これについては説明不要でしょう。この歪みを見つけたら、時渡りの力を持つ存在の力で、時空ホールを作り出すのです。時空ホールさえあれば時渡りそのものは可能ですが…どの時代に飛ぶかは、時渡りの力を操作する存在の能力次第でズレが生じます。力が弱い者でも大まかな時代の指定は可能ですが、力が弱いと完璧に指定することはできません。加えて、世界の理に反することを行っているのですから、それ以上の障害も存在します』
『障害?』
『時間を越えるには、制限があるのです。まず、一つの時空ホールから時渡りができる人数には限りがあります。力を扱う者の程度にもよりますが、多くても5、6人が限界です。また、超えた先の時間に()がなければならないのです』

 楔、という言葉にシロナは思わず反応しそうになる。だが、話の腰を折ることになり、なおかつ確証が何も無いため黙ってゲーチスの話を聞いていた。

『楔?どういうことですか?』
『楔とは、端的に言えば()()()()()()()()()()()()()()()のことです。時間を越えた先に、自分を知る者がいる。そうでなければ、代償を支払うことになる』
『…え。少しならともかく、大きく時間を越えたら…自分を知ってる人なんて…』
『ええ、いないに等しいでしょう。著名人ならいざしらず、普通はいない。そしてこの楔の機能は、その者との精神的な繋がりの強さによって左右されると言われています。ワタクシはNが先に時渡りをしていたこともあり、皮肉にも彼がワタクシの楔となった。とはいえ、彼との繋がりは因縁に近く、楔の機能としては弱い。元々肉体が弱いこともあり、ワタクシは代償として左目を持っていかれ、左半身は麻痺してしまいました』
『では、Nの場合は…』
『はい。彼は、恐らく楔無しで時渡りをしています。何を代償にしたのかはわかりませんが…』

 このことを聞いて、シロナはNとのやりとりを思い出す。
 確かにあの時、Nは『楔』という単語を()()()()用いていた。カイムの失われた記憶にNがいたことも考えると、シロナは嫌な想像をしてしまい冷や汗が背中に流れるのを感じる。

『何かしら大きなものを代償とした今、Nは大きく弱体化しているはずです。彼を捕え、現代を、未来を守るために、皆様のお力をお借りしたい。どうか、どうか…ワタクシ達に、お力添えをお願いできないでしょうか』

 ゲーチスの言葉を否定できる材料もなく、ゲーチスは今まで時間の停止を止めるべく尽力してきた実績もある。ギルドとしても彼に協力することは願っても無いことだと言える。そのため、ギルドトップ達はプラズマ団と全面的に協力する方針を決定した。

 会議が終了し、通信を切る。ナナカマドとシロナは渋い顔をしながらため息を吐く。
 ゲーチスの実績は、信用している。だが、直接会話をしたことのあるナナカマドとシロナはどうにもゲーチスを信用しきれなかった。ただ、これについて根拠はない。本当にただの勘でしかないため、口にすることはできなかった。
 加えて、カイムについての報告を受けているナナカマドからすれば、カイムの存在については疑念が浮かんでしまっていた。

「シロナ君」
「はい」
「……君の目から見て、カイム君は…敵では無いと言えるかね」

 楔。もしかしたら、カイムがNの楔としてこの時代に来たのではないか。そういった疑念が、シロナにもあった。カイムが楔無しで時渡りを実行し、記憶を代償として存在。その後、Nがカイムを楔として時渡りをしに来た。記憶を無くした存在が楔たり得るかはわからないが、最低限の辻褄は合う。

「カイムも、カイムのポケモンも…世界の破滅を企むような人物だとはとても思えません。信頼、しています」
「……記憶を無くしたことによる、弊害…そう考えることは、できないかね」
「…できない、とは言えませんが…少なくとも、今の彼は…そんなこと望みません」

 ナナカマドとしてもカイムは信用したい。だが、ゲーチスからの情報とカイムの状況があまりにも合っている。ギルドのトップとして、彼のことを無条件で信じることができない状況になってしまった。

「…もう少し、様子を見よう。今は、彼の動向を見ておきたい。君には、監視を任せる。酷な役目だとは思うが…頼む」
「…はい」

 シロナは頷くしかなかった。





Q.ブラッキーの等身大ぬいぐるみ出たけど、デカくない?あのデカさのポケモンを肩車してるカイムどうなってんの?
A.いや…だって、ゲームだとせいぜい柴犬くらいのサイズだったじゃないですか…。


シロナ
本話はシロナさんにホルダーネックのドレスを着て欲しかったという欲望から生まれています。
ハルカがオダマキ博士の娘であることは知らない。
今回の最後のお願いは、一応過去の話の中で少しだけ触れた部分になります。ただ、そんな重要でもないので知らなくていいです。探すのが面倒な人は普通にデートに誘ったと思ってください。間違いではないので。

カイム
ちゃんとした場だと一人称は『私』になる。大学卒業後すぐにシンオウ地方に来たため、実はちゃんとした社会人として働いたことはジムトレーナーが初めて。そのため、スーツに着慣れていないが、パッと見た感じ落ち着いているため着慣れているようにも見える。

ナナカマド博士
完全師匠ポジ。オダマキ博士にカイムが教え子の弟子で、良い論文を書いたとかポジティブキャンペーンしてたらしい。厳しい指導に反して、外では結構親バカ気質。

オダマキ博士
ホウエン地方のポケモン博士。カイムが旅に出た時はまだ助手だったため、初対面。娘のハルカとシロナに面識があることは知らない。

デルフィ
オリキャラ。砂糖をより甘く感じさせるためだけに出てきた。
カイムの名前は覚えてない。シロナのことは研究の相方として欲しいだけで、妻にしようとはカケラも思っていないし、そもそも既婚者。今回以外出番はない。ちなみにこういう人、案外現実にいます。


作者
サボってた人。書け。このペースだと今年の間に本編完結させられないぞ。


みなさんはシロナさんにどんなドレスを着て欲しいですか?


水着シロナさん実装決定!!!
これを待ってました。


こんな情緒不安定な作者ですが、残り数話頑張って書きます。
アンケート載せておくので、お答えしてくださると幸いです。

次回もよろしくお願いします。



タッグトーナメントでシロナさんが組むペア

  • カイム(2話構成)
  • カイム以外(1話構成)
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