死屍累々の丘に立つ   作:半睡趣味友

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第十五話:地下にて

 ひんやりと湿り苔の青臭さが鼻につく地下で、俺と猪野は改造人間と戦闘を続けていた。死への恐怖などないのか、俺に同胞が射殺されてもただ真っ直ぐに突っ込んでくる。……いや、つぎはぎ顔の呪霊の術式で、命を投げ出すことを強制されているのだろう。

 

「クソが!」

『ねんねぇねぇねえぇ!』

「一番『獬豸』!」

『あそぉぼおぉぉお!』

 

 命を最大限に冒涜しているとしか表現できない(むご)い姿にされた被害者たちを、俺は弓矢で射殺し刀で切り裂き、猪野は瑞獣の力で屠る。猪野の死角から襲ってきた、胴体を無理矢理に引き伸ばし、手足が何対にも増やされたムカデのような姿の改造人間の首を断つ。

 完全にその首が断たれる瞬間、『タスケテ』と泣いているような声を発した。

 

 本当に、趣味が悪い。

 

『め、め、めがぁねぇ』

『おかぁぁあざんん、おがぁあざん』

『くらいぃくらいぃくらぃぃぃい!』

「多いっすね!」

「数だけだ! せめてすぐに楽にしてやるぞ!」

「ウッス!」

 

 呪霊の呪力で構成された身体でなく、人間の肉の身体を切り裂く感覚が嫌に手に残る。彼らには罪はなく、ただ勝手にその命を弄ばれただけなのに、俺たちは彼らを殺さなくてはならない。

 

 数十を超える彼らは、錯乱した様子で俺たちを殺しにくる。一対一では俺たちが苦戦することはない。ならばせめて全員で一気に()し殺しにくればいいものを、タイミングさえ合わせずに愚直に襲いにくる彼らにはもはやまともに考える知性すら残っていないのだろう。

 

『おどろぃぃたぁぁあ!』

「『(レキ)』!」

 

 口の端からよだれを垂らし、悪夢にうなされるように意味のない言葉を吐き、獣のように地に這いつくばっている彼らは呪霊にその魂を犯されたのだという。

 

 人間としての尊厳を奪い尽くされた彼らは、野の獣となんら変わらない。いや、こうなってしまうと長くはない時間で死んでしまうのだから、魂や尊厳だけでなくその命すらすでに奪われている。自由に生きる獣以下の存在に堕とされてしまったのだ。

 

 戦い始めてかなりの時間が経つが、未だ数に底は見えない。むしろ、増えているのではないかという感覚すらある。

 

「キリがねぇな! クソ! 猪野!」

「っ! 何ですか! 司條(しじょう)さん!」

「俺が合図をしたら柱の陰に隠れろ! 危険な呪具を使う!」

「了解です!」

 

 改造人間を少しでも早く楽にしてやるために、胸元に入れておいた膨張と収縮を繰り返す呪符に覆われた呪具を取り出す。これは『心悸劫震(しんきこうしん)』という呪具を、対多数殲滅に特化、発展させたものだ。

 

 本来の『心悸劫震(しんきこうしん)』は、術師の心臓一つにその人物の血液と呪物化した歯、触媒に俺の呪力を込めた血液を詰めた呪具。だが、今回のこれは心臓を四つも使い、血液と呪力を込めた無数の小さな鉄球を詰め込んだ。通常のそれよりも、圧倒的に純粋な破壊力に特化した代物。

 

「猪野! 隠れろ!」

「はい!」

 

 猪野に合図を出してから、それを何十体もの改造人間がいる方へと投げた。自分も呪具の死角となる柱の陰に身を隠す。

 

「『心悸劫震(しんきこうしん)(サイ)』!」

 

 呪具はその言葉に呼応し、一度極限まで圧縮してから轟音を立てて炸裂する。とてつもない速度で発射された無数の鉄球が、襲いかかってきた改造人間の身体を貫き、トンネルの壁に抉り込み、俺たちが隠れる柱を削る。改造人間たちは、苦悶の声を上げる間も無く大部分が絶命した。

 

「え、エグいっすね。……何で、それもっと早く使わなかったんすか?」

「エグいからだ。出来るだけ遺体を傷つけたくなかった。……これは破壊力だけなら唯一無二の性能だ。一度っきりの切り札だが、特級にすら届くだろう。特級対策に温存しておくべきだと判断した」

「なるほど。……確かに戦闘が始まってからだいぶ経っているのに、それっぽい呪力はありませんね」

「ああ、そうだな。……まだ余力はあるか? 残りの改造人間を処理したら、七海と虎杖の応援に向かおう」

「ウッス!」

 

 術式の技の出力を最大限に上昇させたものを、「(サイ)」と付けて呼ぶのが呪術界の伝統だ。俺もそれに倣い、呪具呪物の出力を最大限に引き上げ、用途を通常の物に比べ圧倒的に一点特化したものには「サイ」の漢字を当てている。その名の通り、圧倒的な破壊力だ。高いトンネルの天井にすら鉄球がめり込んでいる。

 

 ……こんな威力の呪具を、被害者である彼らには使いたくはなかった。遺体も鉄球による穴だらけだ。肉体の形を無理矢理に歪まされだからこそ、これ以上傷つけたくはなかったが、俺たちの消耗を危惧し使用した。本当に申し訳ないと、心の中で彼らに謝る。

 

 鉄球の死角にいてダメージを受けていない改造人間や、多少は喰らっていてもまだ戦闘を行える彼らにとどめを刺す。だが、呪具で残っていた半数以上が絶命したため、残りの彼らはもう少なかった。

 

「……こっちは終わった。そっちはどうだ猪野?」

「こっちも終わりました。……気分悪いっすね」

「俺も呪霊はともかく、こんな数の人間を殺したのは初めてだ。……こんなことをした奴の所に早く行こう」

「了解です」

 

 遺体の損傷は激しいが、大多数を即死させる事ができたはずだ。命を奪っておきながら傲慢が過ぎるかもしれないが、痛みを感じさせずに殺すのはこれしか無かったと無理矢理に飲み込む。

 

 怒りがふつふつと熱湯のように胸中を満たしていて、呪力もそれに伴い湧いてくる。もう一戦なら、全力で戦う事ができそうだ。ここの遺体をそのままにするわけにはいかないので、移動する前にスマホを取り出し高専の処理班に連絡を取る。

 

 丁度俺が連絡を取っている時、猪野のスマホにも着信が来た。七海からのようだ。

 

「え、はい! 司條さんも俺も無事です。今司條さんは処理班に連絡を取っています」

 

 電話が来たということは、里桜高校の件は何とかなったのかと思ったが、猪野の様子からどうやらその願望が間違っている事が察せられた。

 

「──ここから里桜高校の方へ!? ……っ、分かりました! 司條さんと手分けして探します!」

「何と言っていた?」

「つぎはぎ顔は排水口から逃亡したそうです! 俺たちに里桜高校の方を虱潰しに探してくれと!」

「分かった! クソ、もっと朽鼠(きゅうそ)を持ってくるべきだった!」

 

 その後、俺と猪野と俺の持ってきた『擬奴羅(きめら)』でトンネル内を隅々まで探したが、例の呪霊が見つかることはなかった。仲間に回収されたのか、ここを住処にしていたのだ、逃走用の経路を予め用意していても不思議ではない。

 

 とにかく、俺は奴を逃してしまったのだ。

 

 

 

 

 

「……すまん。七海。お前たちがせっかく追い詰めたのに、みすみすと逃してしまった」

「……すみません」

「いえ、貴方たちは悪くありません。……私もあの呪霊に大したダメージを与えることは出来なかった。奴が撤退したのは、全て虎杖君のお陰です」

 

 俺と猪野は高専に戻った後、合流した七海に頭を下げていた。七海は俺たちが悪くはないというが、話によるとつぎはぎ顔は領域展開すら使用したという。そんな危険度の高い呪霊を祓うことの出来る、千載一遇のチャンスを無駄にしてしまった。

 

 特に、俺は一級で索敵能力だけには自信があったのに、肝心な時にその能力を生かせなかったのが情けない。あんなにも被害者たちを俺は殺したのにも関わらずだ。

 

 何が楽にしてやりたいだ。本当に彼らに申し訳ない。

 

 渡益山での白い呪霊との戦闘時に、朽鼠を無駄に消費しすぎていた。……いや、言い訳にすらならないか。やはり、俺の持ち運べる呪具呪物の数の課題は早急に解決すべきだと、そう強く再確認した。

 

「……虎杖君は?」

「全身に大きなダメージを受けていましたが、家入さんが大丈夫だと言っていました」

「そうか。……なら、良かった」

 

 一番の歳下である彼が、彼が最も奮闘し最もダメージを受けている。まだ高専の一年生で、ほんの最近までは一般人であった彼が、俺たち大人よりその身体を傷つけたことを酷く痛ましく思う。そしてその事実に、自分の力不足を恨むことしかできない自分が嫌になる。

 

「……とにかく、今日は二人とも本当にありがとうございました。今度、ご飯でも何でも奢ります」

「……はい」

「……」

 

 時計の針はもう二十二時を回っていて、俺は自分の任務に戻らなければいけない時間だ。七海と猪野に断って、待たせてしまっていた新田さんの所へと向かう。黒い車の後部座席に乗り込みながら、その遅くなってしまったことについて謝罪した。

 

「……すみません。待たせてしまって」

「い、いえ、大丈夫っスよ。……七海さんの手伝いをしたんスか?」

「……はい」

「お疲れ様っス」

 

 俺の重苦しい空気を感じ取ったのか、新田さんは運転中も少し緊張気味のようだった。そんな俺に気を使ってか、新田さんはその話題から話を変える。

 

「……窃盗の呪詛師たちについて、何か分かったっスか?」

「……いや、まだ何も」

「あ、そ、そうっスか。……そういえば、司條さんの妹さんって京都校っスよね? 私の弟も京都校なんスよ」

 

 何とか場を明るくしようとしている新田さんが少し可哀想になってきた。仮にも大人であるのに、歳下を困らせてしまう自分が情けない。過ぎてしまった事実は事実としてちゃんと受け止め、その上で目の前の任務に集中しようと気持ちを切り替える。

 

 そうして何とか気持ちを整理して、捜索拠点のホテルへと移動するまで、兄弟の話や呪詛師を見つけた時の手筈などを確認した。

 

 

 

 

 

 二十四時を僅かばかり過ぎた頃、今日の捜索拠点となるホテルに着いた。それまで通り、閂鼠(せんそ)にこの色街を捜索させる。

 

 移動の合間合間で寝たりしているが、最近はずっと夜は起きているので睡眠不足だ。特に、今日は昼に戦闘を行って大分身体が疲れてる。いつもよりも眠気が強かった。その眠気に負けないため、スマホにイヤホンをつないで適当なプレイリストを再生する。

 激しいギターと主張の強いドラム、力強いベースと叫ぶようなボーカルの歌声が互いを殴り合うような曲が流れ始めた。

 

 窓の向こうの、騒々しい雑多な夜の街の音が聞こえなくなる。イヤホンから流れ出る力強い歌をBGMに、俺はこの街で盗みを働く呪詛師たちは一体何が目的なのだと思考を巡らせた。

 

 二、三ヶ月ほど前から、首都圏で起こり始めた夜の店の売り上げ金の窃盗事件。なぜ急に多発し始めたのか。呪術なんて一般人からしたら超能力とも違わない力を持っていながら、発想は妙に小物だ。しかし、手口はかなり手慣れている。

 そもそも、風俗店のような夜の店の売り上げ金を狙うなど普通の呪術師の発想ではない。適当な呪具もどきを作って売りつけるなりした方が楽に稼げる。

 

 数度の事件を起こしたらすぐに場所を変えることや、体毛や指紋は一切残していないらしいこと。そして、人を呪術で直接苦しませたりせずにあくまで窃盗のためだけに扱うこと。高専がギリギリ手を出さないような、そんなラインを見極めたかのような犯罪だ。

 

 だが、その部屋に人がいてもお金を盗むというのは、どうにもその慎重さからは考えられなかった。確かに相手は非術師だ。術師ならそうそう負ける危険性はない。だが、体毛も指紋も残さないような術師達が、わざわざ人の前に姿を現わすだろうか。そんなにも術式に自信があるのだろうか。

 どうしても、チグハグな印象を受ける。

 

 実際、複数の残穢が見つからなければ、(一級)が駆り出されることもなかったわけだ。それは何度も窃盗をしても、捕まることはないとタカを括っているからかもしれない。だが、もしかすると。呪詛師どもはこちらが想像するより、慎重でないのかもしれないと思い浮かんだ。

 

 ──急にこんなにも事件を起こし始めたのは、やはり新たな仲間を得たからだろうか。

 

 特にその部分が一番引っかかっている。組織化していることを高専が認知したら一気に警戒されるというのにも関わらず、件の呪詛師たちは事件を起こしている。それは実益によるものか、思想によるものなのだろうか。

 

 呪詛師達は適度な距離感でつるむことはあっても、組織化するほど馴れ合おうとはしない。それ当たり前で、高専という国にすら認知されている一番大きな術師の組織の上層部が、その地位と特権を死んでも守るためにその他の術師の組織化を許さないからだ。

 

 神居古潭のアイヌの呪術連や、御三家のような呪術の大家はともかくとして、高専はその他の新たな術師の集団にはあまりいい顔はしないだろう。腐った上層部によるものとはいえ、呪術師という超常の力を扱う者達をまとめ上げるための組織の一本化は、呪術界を安定させるためには必須だ。

 

 となるとやはり、組織化してまで行っている犯罪が金品の窃盗だけだというのは、どうもちゃっちい気がする。お金の取り分でも揉めるだろうし、崇高な目的を持って結成された組織ならば、その運営費を稼ぐために盗みなど下賎な行為に走るだろうか。……やはり、しっくりこない。

 

『チチチィ!』

 

 いつの間にやら深い思考に潜りすぎていたようで、窓際に戻ってきていた閂鼠に気がつかなかった。閂鼠があげた鳴き声で現実に引き戻される。呪力を補給しようとして、ようやく気が付く。その閂鼠が十分にまだ呪力を持っていることに。

 

「……戻ったのはお前だけか?」

『チチィ』

「怪しい奴を見つけたんだな?」

『チチチィ!』

「よくやった!」

 

 それがまだ件の呪詛師かは分からないが、ようやく得たヒントだった。急いで必要な呪物をカバンに入れてホテルを出て、路地裏の人気が全くないところへ向かう。

 

 周囲に人の目がないことを確認して、カバンから朽鼠(きゅうそ)と一枚の呪符を取り出した。朽鼠の腹にその呪符を貼り、アスファルトの上に置く。

 

「『葬頭河の淵より群れて出よ』『朽鼠』」

『ピィ!』

閂鼠(せんそ)朽鼠(きゅうそ)を対象まで案内してやれ、そのあと他の二体と帰ってこい。朽鼠はそのままバレないように対象を尾行しろ。分かったな」

『ピィ!』

『チチィ!』

「よし、行け!」

 

 路地裏の闇に消えていった二匹を見送り、再びホテルの部屋へと戻る。帰ってきていた別の閂鼠は回収し、自分の額に朽鼠の腹に貼った呪符の対を貼り付けた。

 

 その呪符に呪力を流し、目をつぶって意識を集中させる。そうすると、自分のものではない視覚の映像が脳内に現れた。朽鼠の背中に埋め込まれた人の目の映像だ。小刻みに振動していて酔いそうだが何とか堪える。死者の記憶を覗いた際の全ての感覚が重複する感覚より、今回は視覚だけなので何百倍もマシだ。

 

 しばらくの間、ずっと星の見えない空を映し、時折向かいの壁を映しているだけの代わり映えのしない映像だったが、ようやく振動が収まってきた。対象に追いついたのだろう。朽鼠の移動速度が一定のペースになった。

 俺が意識を飛ばして朽鼠の背中の目を動かし、怪しげな人物を探し始める。この目は術師の目を使っているので、呪力を多く持つ人物はすぐ分かるのだ。

 

 ……見つけた。

 

 その怪しい人物は、周りの人々と比較しても背が低い男だ。顔は濃く猿顔で、身長と相まって身軽な猿のような印象を受ける。両手を羽織ったパーカーのポケットに入れ、獲物を探すかのように視線をキョロキョロとさまよわせていた。

 周りの一般人が呪力を垂れ流しているのに対し、その男の呪力は自らの身体の周りを淀みなく巡っている。呪術に関わる人間で間違い無いだろう。

 

 呪術界という狭い業界だが、俺はその猿顔の男についての情報は持ち合わせていなかった。高専関係者全ての顔を知っているわけではないが、少なくともその猿顔を見たことはないはずだ。

 

 標的となる店の下調べ役なのか、辺りには他の術師のらしき人物は見当たらない。それは俺にとっては都合のいいことで、いくら街の人通りが多く朽鼠や閂鼠の呪力が少ないとはいえ、見つかる危険性は少ないほうがいい。

 

 十数分、ふらふらとお目当てのものはないかと物色するかのように街を徘徊していたが、ある店の前で急に止まった。それまで、男はキャッチだとかに強引に引き止められたりしない限り自分から立ち止まることはなかったが、監視してから始めて自分で足を止めた。

 

 その店は『ロスティンペリダイ』と掲げられたピカピカと光る看板が目立つ店で、どうやらホストクラブのようだ。俺が監視している男には縁のなさそうな場所だが、男は少しの間ジッと見て、再び歩き出す。

 

 俺はこの店を標的にするのをやめたのかと思ったが、歩き出した後は色々な店を見ていたさっきまでとは違い、その店の外装だけを隅々までずうっと見ている。その目は品定めをするかのようで、俺はこいつが件の呪詛師一派の一人だろうとほぼ確信していた。

 

 しばらくしてその男は路地裏へと消えたが、流石に人気の少ない場所へはバレる可能性があるので追う事は諦めた。これ以上の深追いはするべきではない。そう判断して呪符を介し、朽鼠に帰ってくるように命令する。

 

 朽鼠が引き返したことを確認し自分の額の呪符を剥がすと、リンクさせていた右目にかなりの疲労が溜まっていることに気がついた。目薬をさしてから携帯を取り出して、怪しい人物を見つけたことを新田さんにメールで連絡をする。

 

 今日、あの猿顔の男が行動を起こすことはもう無いだろう。また別の日にあいつか、いるならばその仲間が、どの部屋に売り上げ金だとかが保管されているのかを調べたりなどの下準備をするはずだ。もしかするとこういうお店のどの部屋辺りに金品があるのか、これまでの経験から知っているのかもしれないが。

 

 ホテルの路地裏に帰ってきていた朽鼠を回収してから、ホテルのベッドへと入る。今日はもう休んでもいいだろうと、そう判断した。匣に呪力を込めようかと迷ったが、今日の改造人間たちとの戦いで少し消耗していたし、朽鼠に使った呪符はかなり呪力を食うので、ほとんどもう呪力は残っていなかった。

 

 今日は呪力を込めることをせずに、身体を休め調子を整えるべきだと判断し、ベットの中で目を瞑る。すぐに眠気が溢れ出て数秒で眠り落ちてしまった。夢も見ないほど、深い眠りだった。

 

 

 

 

「『汝、(はぐくみ)しその身体、捧げて我の物と成れ』」

 

 高専にある俺の呪具呪物を保存する為の冷蔵庫。そこの中から取り出してきた左腕を、自分の左の肩口に押し当てながら呪力を込めた言葉を紡ぐ。元々つけていた腕は、目の前のテーブルにおいてある。

 

「『汝、育しその術理、捧げて我の物と成れ』」

 

 破魔槍や散骨壷のような骨が主な素材の呪具はともかく、『擬奴羅』や『綴命畜生道』で創った呪物は腐ってしまう。『換装義骸』は俺が直接呪力を込め続けていれば腐ることはないが、俺が接続していない左腕のストックはどうしても腐ってしまうのだ。

 

「『汝、育しその技巧、捧げて我の物と成れ』」

 

 呪物を創る際に『腐らない』効果を付与することも出来るが、全てにそんな効果を付与していたらキリがない。コスト削減や出力の向上、もっと別の効果を付与するために、科学技術で何とかなる保存の面ではあまり力を入れていないので、わざわざ高専に専用の設備を用意している。

 

「『換装義骸』『点睛』」

 

 基本的に俺の『換装義骸』は術師の腕から創られる。術師と非術師の間には、肉体の強靭さや呪力への親和性に圧倒的な差があるからだ。基本的に非術師から創る意味がない。

 だが、唯一非術師から創られたこの腕は、呪霊の被害に遭って亡くなった画家の腕が素材だ。絵が苦手な俺では、せっかく手に入れた顔の情報もまともに伝えられない。しかし、この腕を使うことでかなり有効的に伝えることができる。これまでもよく使わせて頂いた腕だ。

 

「『骨奪技巧(こつだつぎこう)』」

 

 鉛筆を持った左腕に呪力を流し、その身体に刻まれた技術を再現する。目を瞑り、頭の中に猿顔の男の顔を思い浮かべながら。少しすると、左手が俺の意識とは関係なしに動き出した。数分の間、勝手に動く左腕がスケッチブックに鉛筆を走らせる音だけが響く。

 

「おにぎり買ってきたっスよ。しゃけとあさりしぐれでいいんスよね?」

「はい。ありがとうございます」

 

 書き終わったのと同時に、襖を開けてコンビニ袋をぶら下げた新田さんが部屋に入ってきた。俺がそのコンビニ袋を受け取りながら感謝すると、猿顔の男の似顔絵を見ながら口を開く。

 

「全然大丈夫っス。……わ、めっちゃ絵上手いっスね」

「そういう呪物なので。これ、他の人たちに伝達をお願いします」

「了解っス!」

 

 俺はスケッチブックのページを切り取って新田さんに渡すと、それを持って部屋の外へ出ていった。猿顔の男についての情報を俺は知らないが、補助監督や窓などの他の高専関係者は知っているかもしれない。彼女には、そっち方面からの情報収集を頼んでいたのだ。

 

 コンビニ袋からおにぎりを取り出し、梱包を開けて食べる。ほぼ二時の遅めの昼食だ。

 

 猿顔の男が標的にするだろうホストクラブ(『ロスティンペリダイ』)を監視するため、俺は高専にその為の『眼』や『擬奴羅』を取りに戻っていた。戦闘には全く使えない呪物なので、そういった呪物は基本的には高専に保管してある為仕方ない。

 

 今回の任務は、“組織化しているらしき呪詛師たちの捜索及び捕縛”。討伐ではない。単純に殺すだけなら簡単で話が早いが、上層部は少しでもその組織の情報を得る為、猿顔の男を泳がせとのことだ。やはり、組織化していることを恐れているのだろう。

 

 死屍創術の拡張術式である『綴命畜生道』を極めた術師は、蚊のような虫でさえ操ることが出来たという。そしてその蚊によって、疾病で亡くなった遺体の血液を対立している術師に注入したり、機密情報を盗聴したりしたそうだ。……そんなことをしているのだから、忌み嫌われるんだよと始めて聞いた時に思った。

 

 戦闘には向かない術式の為、過去の術師たちは戦闘面への術式の発展を切り捨て、卑劣ともいえる方向へとこの術式を研鑽したのだ。俺は戦闘へ何とか使えるように色々と試行錯誤したせいで、生産面ではどうしても切り捨てている分野は多い。

 

 俺も虫を操ることが出来れば今回の任務も簡単だろうが、俺の『綴命畜生道』は哺乳類と鳥類、爬虫類しか素材(対象)にできない。魚類は必要性を感じないから切り捨てたのだが、両生類とその他無脊椎動物を素材にするのは難易度が高すぎる。

 

 今日は他の呪詛師たちの仲間を捕捉出来れば上出来だなと、そう考えながらおにぎりの残りを口に放り込んだ。

 

 

 

 

 

「今、標的を確認しました。猿顔の男です。……一人みたいですね。辺りに他の術師がいる様子はありません」

『了解っス。今日も下見っスかね。そのまま司條さんは監視を続けて下さいっス』

「了解」

 

 その日の深夜三時ごろ、再び猿顔の男はホストクラブの周辺に現れた。俺はホテルから、新田さんに電話でその男について情報を伝えている。描いた猿顔の男の似顔絵は大体の高専関係者に回ったが、有力な情報は得られなかったそうだ。

 

「対象が路地裏に入りました。『眼』を変えます」

『了解っス』

 

 まだ日が明るく人通りも少ない六時ごろに、蠅頭以下の呪力しか持たない視覚映像を飛ばすだけの呪具をいくつか店の周りに設置しておいた。あまり鮮明とはいえない上、呪力も感知できない視覚だが、予め対象が分かっていれば何とかなる。

 

 隠密特化のため機能は切り捨てていて、この呪物は移動すら出来ない。なので現在視覚を同期していた『眼』から別の『眼』へと感覚を移す。一瞬、瞬きをするように視界が暗転して、ホストクラブの路地裏を移す視点となった。

 

 今日の猿顔の男の服装は、地味な黒いパーカーと動きやすそうなジャージに運動靴だ。昨日よりも寒いのに軽装で、男の身軽そうな印象をさらに強くしていた。

 

 男は周囲をきょろきょろと見回していて、どうにも落ち着きがなく辺りを警戒しているようだ。まさか見ていることがバレたのかと思ったが、男が確認しているのは呪物を隠している場所ではなかった。通路に人がいないことを確認していたのかも知れない。

 

『今の対象の様子どうっスか?』

「どうやら辺りを警戒して──は?」

『司條さん? どうかしたッスか! 司條さん!』

 

 電話の向こうから、新田さんのこちらの様子を聞く声が聞こえるが、今の俺にはそれを気にする余裕がなかった。『眼』が捉えている視界で、猿顔の男がパーカーの下から取り出した物体に、全ての意識が持っていかれたからだ。

 

 それは──『能面』だった

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