死屍累々の丘に立つ   作:半睡趣味友

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第十六話:強襲にて

 男が取り出した『能面』。冥さんが言っていた、呪詛師の間で噂になっているらしい呪具だろう。しかし、俺にとってはただの呪具以上の意味を持ち、家族を殺した呪詛師への手がかりだ。

 

 ──今すぐ捕まえて情報を吐かせるか? 

 

 脳裏にそんな選択肢が浮かんだ。二十二年間、能面の呪詛師についての情報を何も得られていない俺は、少しでも情報が得られるならば何でもする。

 

『司條さん! 大丈夫ッスか!』

「っ! ……すみません。取り乱しました」

 

 ベッドの横に立てかけられた刀を手に取り、部屋から飛び出そうとしたところで、携帯からの大声に正気を取り戻した。

 

 そうだ。そもそも猿顔の男は、俺の家族を殺した黒い炎を操る呪詛師ではない。猿顔の男は三十代前半ほどの見た目だ。見た目より老けているとしても四十手前あたりだろう。二十二年前の時点で、黒い炎の呪詛師は声の質からして二十は確実に超えていたはず。それに、記憶の中の呪詛師の体格はかなりがっちりとしていた。

 よって猿顔の小柄な男が黒い炎を操る呪詛師の可能性は、限りなくゼロに近いだろう。

 

 一度深く息を吸い込んで、荒んでしまった気持ちを鎮める。二十二年前からずっと渇望していた奴につながる可能性が急に降って湧いてきて、俺は浮き足立ってしまっていた。こんな状態で行動してもいい事は何もない。衝動的に動けば他の見るべきところを見失ってしまうだろう。冷静さを欠いた行動をしようとしてしまった事を反省し、電話先にいる新田さんに報告を続けた。

 

「辺りを警戒してから能面を取り出しました」

『能面っスか? ……どんなのか分かります?』

「……朱色の強い肌の彩色、比較的シンプルで少し幼い顔立ち……男面で童子類の『猩々』ですかね」

『いや、その……』

「どうかしましたか?」

 

 身軽な猿のような男の印象に合わせたかのような、その赤ら顔の面は確かに『猩々』だった。その面を見ても、二十二年前の呪詛師ではないと分かる。あの呪詛師は女面、若女類の『増』をかけていたのだから。

 しかし、その報告を聞いた新田さんは少し戸惑ったような声をあげた。何故だろうかと不思議に思い、その理由を問う。

 

『すみませんっス。能面の特徴だけでも、こちらで把握しようと思って聞いたんスが……まさか詳細な名称が出てくるとは思わなかったんス』

「……ああ、そういう事ですか。すみません」

 

 俺は少しでも情報が欲しくて、能面に関する知識を幼い頃に詰め込んだが、普通の人は能面の事細かな分類や名前を覚えていないだろう。むしろ覚えている俺の方が少数派だ。そこまで考えて報告すべきだったのに、やはり今の俺は冷静さを失っているらしい。

 

「能面の詳細については後で報告をします」

『了解っス。今の男の様子は?』

「能面をかけて……二階の窓へと飛びました。今、その窓を開けて部屋に入りましたね」

『な、複数の呪詛師の犯行じゃないんスかね?』

「……今のところ周囲に怪しい人影はありません」

 

 能面の紐を張り、両手に手袋をはめる。そして、猿顔の男は手慣れた様子で能面をかけた。その猿のような印象の通りの身軽な身のこなしで、一息に二階の窓の縁に手を引っ掛ける。まさか、もう窃盗を起こすつもりだろうか。他に仲間がいるのではないかと疑っていたので驚いた。

 

 ……いや、もしかしたら共犯者はすでに店内に潜入しているのか。それならば残穢がいくつあってもおかしくはない。

 あの能面を猿顔に渡した人物を特定できれば、そいつが俺の探している呪詛師自身、もしくはその呪詛師について何か知っている可能性がある。絶対に逃がさない。

 

「……男が出てきました。……?」

『どうかしたっス?』

 

 『猩々』の能面をかけた男は、数分してから再びその窓から出て来た。外側から窓を閉めた後、すぐに飛び降りずに窓枠に触れ続けている。視界が不鮮明で詳しくは見えないが、何か呪符のようなものを押し当てているようだ。すぐに逃げればよいのに、その不可思議な行動には違和感があった。

 

 今すぐにでも捕まえて情報を抜き出したいが、上からの命令は“組織化しているらしき呪詛師たちの捜索及び捕縛”。今回の一件で単独犯の可能性も出たが、まだ組織化していないと決まったわけではない。

 目の前で犯罪が起こっているのに見逃さなくてはならない歯がゆさを感じながら、そうするならば確実に任務を遂行しようと心に決める。

 

「窓枠に触れて何かをしているようです。……あ、今逃げました」

『了解っス。では手筈通りに』

「はい。今から追手を放ちます」

 

 高専から持ってきた大きめの二つの桐箱を開け、中に入っていた『擬奴羅(きめら)』を取りだす。普通のカラスより大柄の、ワタリガラスを素材にした追跡用の『擬奴羅』だ。

 

「『葬頭河の淵より飛びて出よ』『鳬銀(ふぎん)』」

「『葬頭河の淵より翔けて出よ』『鵐忍(むにん)』」

『ガァガァ!』『カァカァ!』

閂鼠(せんそ)がマークしている呪詛師を追って、拠点が分かったら戻ってこい。分かったか?」

『ガァ!』『カァ!』

「よし、行け!」

 

 黒い羽毛に燻した銀のような美しい光沢がある二羽のカラスたちは、窓から夜の街の上空へと飛び立った。上空百数十メートルから追跡できるこの『擬奴羅』なら、呪詛師の潜伏場所が分かるはずだ。

 

「追手を放ちました。GPSはちゃんと機能していますか?」

『はい、大丈夫っス!』

「よかった。では後は頼みますね」

『了解っス!』

 

 鳬銀と鵐忍に取り付けておいた発信機によって、後は新田さんが猿顔の男についての情報を集める手筈だ。術師よりも補助監督の方が呪力は少ないので、尾行してもバレにくいからと新田さんから立候補した。もし戦闘になった時のために『擬奴羅』を何体か貸したので、相手が相当強くなければ逃げ切れるだろう。

 

 今日はもう俺が呪力を使う可能性はないはずだ。胸元から匣を取り出し、呪力を込める。ようやくだ。ようやく黒い炎の呪詛師について何か知ることができるかもしれない。そうすれば復讐を果たすことが出来る。暗い喜びが胸中を満たしていた。

 

 今まで一切の手がかりもなく、半ば諦めかけていたのだ。この死に近しい呪術界では、呪詛師同士の抗争でも死ぬことはあるだろう。しかし、絶対に奴は生きている。確信ともいえる直感があった。

 

 二十年以上渇望した願いがようやく形を取り始めた事に、いつもより何倍も多くの呪力が腹の底から湧いて出て、その呪力を全て匣へと込めていく。

 

 俺はこの呪物を使いたくはない(・・・・・・・)。匣の中の呪物は、死屍創術の極ノ番。俺では絶対に不完全な形でしか創り出せないはず呪物。しかし、これは唯一完全に効果を発揮出来るはずだ。

 

 これを使う時は、当主様との生きて俺が当主となる約束を反故にする事となる。

 

 この呪物を使用すれば、俺は死ぬのだから。

 

 

 

 

 

「これが奴について分かった情報っス」

「ありがとうございます」

 

 追跡から数日後、高専で新田さんが猿顔の男について調べてまとめた資料を俺は読み込んでいた。

 本名日壁正利(ひかべせいり)。職業フリーター。犯罪歴はなし。家系に術師もいない。おそらく、一般家庭から生まれた術師だということだ。高専関係者が術式や呪力を生まれ持った人間を高専にスカウトするのも仕事の一つであるとはいえ、それも完璧ではない。そういった者たちから呪詛師となってしまう者もいる。

 

「上から捕縛許可は出たんですか?」

「ようやく出たっス」

 

 俺が『眼』で見た情報や、新田さんが何日も張り込みした結果、奴は単独犯だという答えにたどり着いた。何日経っても別の呪詛師と接触することは無かったし、なによりも犯行時に一人であったからだ。ホストクラブの従業員や客にも怪しい人物はいなかった。

 

 あのホストクラブにも残穢は複数あったが、それは『能面』によるものだろうという結論だ。その事を中間報告書で上に伝えたのだが、なかなか捕縛許可が降りなかった。やはり、上層部は組織化を警戒していたのだろう。

 だがほぼ確実に奴が単独犯である事と、事件をいくつか犯したらすぐに犯行場所を変える事による逃してしまう危険性を何度も訴えた事によって、ようやく上から捕縛許可が降りたのだ。新田さんには感謝しかない。

 

「現在奴が借りてるアパートの大家さんから、警察内の高専関係者が合鍵を借りたっス。これがその合鍵っス」

「ありがとうございます」

「今日の深夜、奴の家に強襲するんスよね?」

「ええ、もういつ部屋を引き払ってもおかしくない。早い方がいいでしょう」

 

 鈍く輝く鍵を受け取って懐に入れ、立ち上がりながら新田さんの確認に応じる。もう確認出来るだけでも二件窃盗を犯したのだ。奴は二、三件の窃盗を行うとすぐに別の地域に移動してしまう。ならば、今すぐにでも捕縛するべきだろう。その為の呪具呪物も用意してある。

 

 その襲撃の予定をしっかりと共有し、日が暮れるのを待った。

 

 

 

 

 

「『葬頭河の淵より這いて出よ』『辰口縄(たつくちなわ)』」

『シャァー』『ジャァー』

 

 草木も眠る丑三つ時。呪霊も活発に蠢き始める深夜に、俺と新田さんは猿顔の男のアパートから少し離れた公園にいた。奴が家にいる事は朽鼠で確認してある。

 

「辰口縄、朽鼠、閂鼠。お前たちは換気扇や屋根裏から標的の部屋へと入れ。二階の一番右だ。俺の血でマーキングしてある。それを辿れ。辰口縄への合図は俺が。朽鼠と閂鼠へは鳬銀が出す。いいな?」

『ジャ!』『ピィ!』『キチチィ!』

「よし、行け」

 

 公園の草木の隅から、奴のアパートの方へ消えていく尾が二股の蛇や背中に目玉が埋め込まれた鼠、人の歯が縫合されている蝙蝠を見送った。数分もすれば指定の位置へ着くだろう。

 

「自分も行ってきます」

「ご武運を祈るっス!」

 

 新田さんに一言言ってから、俺もアパートの方へと向かう。俺の後ろを鳬銀が飛んで付いてきた。十月も近づき、ひんやりと冷たい夜風が吹いている。だが、そんな肌寒さも気にならないほど、俺の胸中には溶岩のようにどろりとしていて熱い情念が満ちているのだ。

 

 奴のアパートとへ向かう道のりが、二十二年間の宿願たる復讐のための情報が確かに近づいている事を表しているようで、形容しがたい感情が一歩進むごとに溢れ出る。

 

 残った理性で呪力が溢れ出てしまう事を防ぎ、両手に一本ずつ持った呪具の組紐の感触を確かめた。

 

 ほんの数分であったが、俺にとっては何十分にも感じられた短い道も終わり、奴のアパートの前へようやく辿り着く。階段を一階と二階の間の踊り場まで登り、肩に止まった鳬銀に命令した。

 

「鳬銀、合図を出せ」

『ガァ! ガァ!』

「よし。よくやった」

 

 意識を集中させると、俺の呪力を込めた『擬奴羅』たちが猿顔の男の部屋へと入り込んだのが知覚できた。俺も奴の部屋の前まで音を立てぬように近づき、鍵穴に鍵をさして回す。奴も起きたのだろう。物音と俺のものではない呪力の高まりを感じた。どうやら交戦しているらしい。

 俺は一つ息を吸って、思いっきりドアを開けた。

 

「高専だ! 日壁! 大人しく捕まれ!」

「な、クソ!」

 

 俺がドアを開けると、ちょうど日壁は能面をかけ終わったところだった。こんな場面で逃げるでもなく、能面をかける事を選択したということは、何らかの特殊な能力を持った呪具で確定だろう。警戒を引き上げた。両手に持った組紐を構えながら口を開く。

 

「抵抗しなければ怪我はしないぞ」

「は、寝込みを襲っといてよく言うな!」

 

 日壁の周りには、何体かの閂鼠と朽鼠が胴体の半ばで切断されて倒れていた。その手には呪符が巻かれた柄の血に濡れたナイフが握られており、それが獲物だろうと当たりをつける。

 

「喰らえ!」

「っ!」

 

 日壁はそのナイフに呪力を込め、いきなり俺に向かって投擲してきた。ナイフを躱し、俺もお返しと言わんばかりに呪力を込めた組紐を投げ、言霊を紡ぐ。

 

「『絡み奪え』『乱れ髪』」

「なっ! クソ!」

 

 空中で解けた組紐が、日壁の両腕に絡みついてその自由を奪う。遺体の髪の毛に、俺の呪力を込めながら編み上げた捕縛用の呪具だ。

 

 腕が使えないと瞬時に判断した奴は、その身体でタックルを仕掛けてきた。だが、直線的なその攻撃を食らうほど俺も舐めてかかってはいない。姿勢を低くして足払いをし、日壁の体勢を崩した。

 

 転んで芋虫のようにもがいている日壁の背中に乗り、刀を抜いて首筋に少し触れる程度に刃を押し当てる。その刃の冷たさを感じたのか、すぐにもがくのをやめた。

 

「動くな」

「チッ!」

「抵抗すれば、首が胴体と泣き別れすることになる。それが嫌なら大人しくしていろ」

「バーカ。呪術を使った犯罪とはいえ、窃盗しかしてねぇ俺を殺す命令なんて出てないだろうに」

 

 肝が座っているのか、それとも開き直ったのか。俺に命を握られているというのに、妙に日壁はふてぶてしく口を開いた。言っていることは確かに正しい。俺にはこいつを殺せという命令は出ていない。

 だが、呪詛師とはいえこんな態度で、余裕さえ感じるような声色でこの状況で振る舞えるだろうか。

 違和感を抱く。

 

「お前、何級だよ」

「……」

「おいおいだんまりか?」

 

 こんなにも得体の知れない自信を持つ呪詛師に対し、不用意に応答するべきではないだろうと口を固く閉ざす。何をしてきてもいいように、意識をこいつの一挙手一投足に向けて警戒を続けた。

 

「なんでもいいが──頭上注意だクソ野郎!」

「ッ!」

 

 意識をこいつに向けすぎていて、意識外の攻撃に少し反応が遅れてしまった。俺の頭上からナイフが降ってきたのを、風切り音と呪力で感知し何とか回避する。日壁は地に伏したまま体を無理やり捻り俺の方を向いた。能面の輝きのない不気味な死んだ目と目があう。

 

 ──マズイ! 何か来る! 

 

 危険を感じ、咄嗟に背後に飛ぶ。

 すでに能面の口元には呪力が集まっていて、大きなシャボン玉のような泡が高速で打ち出され俺の眼前で炸裂し──俺は何をしているんだ? 

 

「死ね!」

「な!」

 

 日壁がいる部屋の鍵穴に鍵を入れたところだったのに、なぜか俺は室内にいた。混乱で固まってしまった俺の目の前に飛来してきたナイフを、ほぼ反射的に躱す。だが、完全には躱しきれず頬を掠めた。

 

 とにかく距離を取ろうと背後に飛ぶが、背中に鋭い痛みが走る。何故か避けたはずのナイフが背中に突き立っていた。そのナイフが独りでに動き、更に深々と肉を抉ろうとしているのを柄を握りしめて抑える。

 

「俺の術式は『曰く憑き』! 呪霊を俺の血で綴った呪符や髪の毛に封じ込め物に憑かせる術式だ!」

 

 流れるような術式の開示。肉を抉ろうと独りでに動くナイフに加わる力が強くなる。

 

 ……だが、思い出した。こいつの犯した窃盗の不可解な状況を。

 

 背中の痛みが気付けとなった。俺がこんなにもこの状況に困惑している事、そして、いくつかの窃盗のケースでその部屋に人がいたのにも関わらず、その姿を気づかれずに金品が盗まれていた事を可能にするのが奴の──いや、能面の呪具に刻まれた術式だ。

 

「……なら、その記憶を消す術式は何だ?」

「チッ! 大玉を当てたのに、術師だと効きが悪いのか!」

 

 正直当てずっぽうではあったが、奴の様子からしてそれが正解だったのだろう。奴の方から自白してくれた。奴は気づかれないのではない。気づかれてもその記憶を消していたのだ。あの能面の呪具を使って。

 ……いや、まだそれを確信するわけにはいかない。ほぼ確定とはいえ、他の可能性も考えつつ戦うべきだ。一つの思い込みと油断が術師同士の戦いだと命取りになる。

 

「返してやる、よ!」

 

 背中のナイフを抜き、日壁に向かって投げつける。だが、奴の眼前の虚空でぴしっと止まってしまった。

 

「は、ありがとさん。お返しにもっと増やしてやるよ」

 

 そのナイフに加え、更に三本の刃物が家の奥から飛んできて奴の周囲をふわふわと漂いだす。その刃物の全ての柄に、赤黒い文字が書かれた呪符が巻き付けられている。日壁がパチンと指を鳴らすと、その全てが俺に向かって殺到した。

 刀を一度納刀し、抜刀の構えを取る。狭い室内だが問題はない。

 

「『骨奪技巧』シン・陰流居合『露払い』」

「は! 一回弾いたところで意味ねぇよ! いつまで保つか……な?」

 

 居合の残心を残す俺に、日壁が再び刃物をさしむけようとするが刃物は床に落ちて動かなくなった。奴が自分で呪符に呪霊を憑かせていると言ったのだ。そのため柄の呪符を斬ったのだが、どうやら言っていた事は本当だったらしい。術式の開示にブラフはなかったようだ。

 

 その状況が飲み込めず、焦った様子の日壁に急接近し土手っ腹をぶん殴る。日壁はもろにそれを喰らい、ドアを破壊してそのまま居間へと吹っ飛んだ。

 

「辰口縄! 奴の脚と口を拘束しろ!」

『ジャァ!』『シャァ!』

「つ、来るな!」

 

 天井から落ちてきた二体の尾が二本の蛇の異形の片方が日壁の脚に絡みつき、片方が一本の尾を首に絡み付け、もう一本を能面の口から奴の口腔へと入れる。もがもがと声にならない声を上げるが、拘束はそのままだ。

 

 物を操る術式とまだ推定だが記憶を消す術式。確かに強力な術式だ。だが戦闘を主にした呪詛師でなければ、一級の末席程度の俺でも何とかなる。捕縛した事を新田さんに伝え、高専で待機してもらっている回収班を呼んでもらう。

 

 諸々の指示を終えた後、俺は出来るだけ距離を取って警戒しながら、まだもがいている日壁に話しかけた。

 

「どうやって記憶を消すのか分からない。そのままでいてもらう。俺の質問には首を振って答えろ」

「あぐわぁぐなうお」

「余計なことを話すな」

 

 口の中に蛇の尾が突っ込まれているのだ。相当な嫌悪感が湧くだろうが、こうするしか今の俺には安全な拘束方法がない。

 

「その能面はお前が作ったものか?」

「……」

 

 沈黙。首を縦にも横にも振らない。

 

「その能面を作った奴を知っているか?」

「……」

 

 やはり沈黙。こちらを見る能面の下で、俺を馬鹿にしているのだろう雰囲気だけが感じられた。

 

「答える気は無いんだな?」

「あうあうあー」

「チッ」

 

 その質問にだけは首を千切れんばかりに縦に振った。殺される事はないと分かっているからか、随分と舐めた態度だ。苛つく。その態度にではない。目の前に家族の仇への手がかりがあるのに、それを得ることのできない歯がゆさにだ。

 

「閂鼠。俺の周りを飛べ」

『キチィ!』『チチィ!』『キチチィ!』

「辰口縄。口から尾を抜け」

『ジャァ!』

「ブハッ。クソが。汚ねぇもん口に入れやがって」

 

 口から辰口縄の尾を抜かれた日壁の第一声は、こちらを蔑む言葉だった。だが、そんな事は気にならない。俺は今すぐにでも手がかりが欲しい。

 

「もう一度聞く。能面はお前が作ったものか?」

「さぁ、どうだろうな」

「答える気は無いんだな?」

「さぁ、どうだろうな。もっと近づいたら教えてやる、ぜ!」

「閂鼠!」

 

 日壁の能面の口元に呪力が集まり、俺に向かっていくつものシャボン玉のような球体が飛来する。おそらく、それを喰らったら記憶が消されるのだろう。閂鼠が俺の目の前で守るよう滞空し、代わりにシャボン玉を喰らった。だが、閂鼠に何の変化も見られない。

 

「な、これは式神にも効くはずだぞ!」

「これは式神では無い。死体を材料にして創った『擬奴羅』だ。呪いを宿す呪骸よりも傀儡に近い。入力された命令を実行し続けるだけのな」

「術式の開示か!」

「ああ、俺の術式は『死屍創術』。屍から呪具呪物を創り出す術式。……お前は自分が殺される事はないと思っているようだが、別にそんな事はないぞ」

 

 嘘だ。任務は捕縛のままだ。だが、こんな舐めた呪詛師に対して、本当のことを言ってやる義理はないだろう。

 

 基本的に『擬奴羅』は自立して動くが、俺の近くにあるならば特殊な呪符がなくとも俺が操作できる。奴が胴体を切り裂いて真っ二つになった朽鼠と閂鼠に意識を集中させた。術式を開示した今なら、ある程度精密な操作も可能だろう。

 

「俺は殺した相手の脳が無事なら情報を抜き取れる。お前が何も言うつもりがないなら、殺した方が早い」

「……は、せいぜい俺は高専で有る事無い事言った後、刑務所で臭い飯を食うことになるだけだろ」

「普通ならそうだな。だが、高専は今その能面に関わる呪詛師を警戒している」

「……」

 

 これも嘘。高専はまだ能面については把握していないだろう。だが、何か心当たりがあるのか、日壁の雰囲気が変わった。この線で押していこうと決める。実際、高専の上層部が組織化を警戒しているのは本当のことだ。

 

「高専の上のお偉いさんは、呪詛師の組織が出来るのを恐れているんだ。去年に百鬼夜行があっただろ? 現体制への叛逆どころか非術師を皆殺しにするなんてのが目的の。だから盗難なんてちゃっちい事件に、組織化の気配ありという理由で一級の俺が駆り出された」

「……チッ、お前一級かよ」

「早く吐いちまった方が楽だぞ。言えば命までは取られないだろう」

「……」

 

 日壁が少し逡巡しているのが察せられた。交渉や脅迫において重要なのは、どれだけこっちが冷静でイカれているのかを分からせる事がコツだと何かで読んだことがある。ならば、狂人を演じよう。

 

 首だけや下半身だけの鼠や蝙蝠を、モゾモゾと床に這いずらせながら日壁の方へと向かわせる。床に血の線を引いて近づいてくるそれらに、ようやく日壁は気がついたのか小さな悲鳴をあげた。

 

「ちょ、おいおい! 何だそれ!」

「実はな、俺はお前を殺したいんだ。だから、何も言わなくてもいいぞ。殺す理由が出来るからな」

「な、何を言って」

「死屍創術で呪具呪物を創る際は、自分が殺した人間の死体から創るのが一番いいんだ。それこそ、死の間際まで苦しんで死んだ遺体だとなおいい」

「やめ、やめろ!」

 

 血の滴る頭部や下半身が日壁の身体を登ろうとする。呪詛師とはいえ悍ましいその光景は堪えるのか、日壁は身体を揺り登ろうとしてくるそれらを振り落としていた。

 

「体内から内臓や皮膚を食い破られた事はあるか? 術師とはいえ、体内からの攻撃は中々効くらしいぞ。……いや、術師だからか。普通の人間より丈夫だから長い時間苦しんで死ぬ。これがまたいい呪具の素材が出来るんだ」

 

 嘘だ。流石にそんなエグい事はやった事はない。だが、脅しとしては中々効いたらしい。もう一押しだろう。俺には探偵の才能はなくとも、詐欺師か恫喝の才能はあったのかもしれない。自分のこんな悍ましい術式に珍しく感謝をした。

 

「『解除』」

 

 左腕の換装義骸の接続を解除して、日壁に向かって投げつける。左腕は尺取り虫のように動き、奴の周りに散らばった鼠や蝙蝠を掴み、能面の口元へと恐怖を煽るようにゆっくりと運ぶ。

 

「い、言うから! この腕を退かせ!」

「……チッ、分かった」

 

 奴の口元で鼠の頭部だけを蠢かせながら、腕やその他のパーツの動きを止める。ようやく話してくれる気になったらしい。だが少しでも舐められないように、殺せなくて残念だ、と一つ芝居を打った。

 

「その能面はお前が作ったものか?」

「ち、違う! これは俺が作ったものじゃないし、組織なんかにも参加してない! 組織があるのかも知らない! ただ買わされただけだ!」

「誰にだ?」

「そ、それは……」

「まただんまりか?」

 

 再び口籠った日壁に、無言で左腕を操作して口元へと近づかせる。奴はそれに焦ったのか必死な声色で声を上げた。

 

「違う! 言わないんじゃない、言えないんだ! 頼むから分かってくれ!」

「……」

 

 ほぼ泣きそうで必死なその声に、嘘はついている様子は感じられなかった。……言わないではなく、『言えない』。何かしらの縛りだろうか。

 

「なら、能面はどこで手に入れた?」

「い、言えない」

「どれぐらい前だ?」

「言えない」

「その呪具の名称は?」

「言えない!」

「……」

「本当なんだ! 信じてくれ!」

 

 あまりに必死なその声に、やはり嘘をついている様子はない。二十二年間尻尾を見せなかった奴へのせっかくの手がかりだったのに、何の成果もせられない事に右手に籠る力が強くなる。

 

 ──本当に殺すか? 

 

 一瞬その選択肢が脳裏に浮かぶが、何とか踏みとどまる。俺の術式なら能面を手に入れた時の記憶を覗く事はできるだろう。だが、確かにこいつが起こした犯罪は窃盗だけだ。殺すほどの大罪ではない。私怨の巻き添えで殺してしまう訳にはいかないだろう。

 

「……ハァ」

「お、おい! 俺に近づくな!」

「お前が何もしなければ、俺も何もしない。その能面を回収させてもらうぞ」

「わ、分かった」

「辰口縄。もしこいつが何か不審な行動をしたら、体内に入り込んで殺せ」

『ジャァ!』

 

 ほぼ戦意を喪失してはいるが、最大限に警戒をして日壁に近づく。妙な呪力の流れもなく、大人しく捕まる事にしたのだろう。俺が能面を掴み、無理やり剥ぎ取ろうとした瞬間──能面から黒い炎が噴き出した。

 

「な! 日壁! お前何をし……クソ!」

「熱い熱い熱い!」

 

 急に能面から噴き出したその炎は、日壁が何かをしたから発生したのかとまず考えた。だが、こいつが何かをした様子はない。むしろ能面以上に、日壁に纏わりつくその炎は轟々と燃え上がっている。

 

 日壁の顔面と俺の右腕に纏わりつくその黒い炎は、俺の家族を焦がし殺した呪詛師の炎だ。間違える訳がない。今まで何度も何度も夢の中で見てきたのだから。家族が生きながら、この黒い炎に巻かれる光景を。

 

「あづぃあづぃあづぃ!」

「チッ!」

 

 炎を振り払おうとしても、全く消える様子がない。キッチンの蛇口をひねり、流水を黒い炎に巻かれた右腕にかけるが何の変化もなかった。

 

 ──普通の炎じゃない! 何故消えない! 

 

 少しでもダメージを減らす為、更に右腕に呪力を流し強化しようとした瞬間、一層黒い炎は強く燃え上がる。それに気がつき、この黒い炎の悪趣味な性質をようやく理解した。

 

「クソ! そういう事か!」

「あ゛あ゛いぃぃあ゛あ!」

「司條さん! 何で日壁が燃えてるんスか!」

「日壁に近づくな! その炎は呪力で燃え上がるぞ!」

「っ!」

 

 日壁の絶叫を聞き入ってきた新田さんに叫ぶ。おそらくそれが黒い炎の性質だ。痛みや恐怖を感じ、呪力が高まれば高まるほどより一層激しく炎上するのがこの黒炎(こくえん)。呪力を多く持つ術師に対して絶大な威力を持つ炎だ。……いや、非術師にも呪力はある。むしろ呪力の操作ができない彼らに対しては、死ぬまで消えない致死の炎だ。

 

 俺は出来る限り呪力を抑えた。痛みに耐え、こんな趣味の悪い事をした奴への怒りに無理矢理蓋をしながら。読み通りドス黒かった炎は、少しずつ薄くなり弱まっていく。少しして俺の右腕の炎は何とか鎮火した。

 

「日壁! 呪力を抑えろ! 早く!」

「あ゛づぃ゛あぁ゛あ゛!」

「クソ! 新田さん! 高専に家入さんがいるか確認を! いないなら救急車をお願いします!」

「り、了解ッス!」

 

 キッチンの蛇口から流れ出る水を、目に付いた大きな鍋に入れて日壁に何度もかける。それを何往復もしたが、日壁の黒い炎は轟々と燃え上がるばかりで焼け石に水にすらなっていない。

 やがて黒い炎は消えたが、そこには日壁だった黒焦げの遺体があるだけだった。

 

「家入さんは今いないそうッス! 救急車を……」

「……いや、もう手遅れです。……高専の処理班に連絡を。あと、こんなにも叫んでいました。近隣住民が警察に通報をしている可能性があります。高専から警察に連絡をしてもらってください」

「っ、了解ッス」

 

 携帯を操作して各所に連絡を取り始めた新田さんを横目に、俺は真っ黒になった能面に手を伸ばす。だが、触れた端からぼろぼろと炭になって崩れた。遺体の脳から情報を抜く事も不可能だろう。死ぬほどの罪を犯した訳でないのに、こんなにも惨たらしく殺された事に同情した。

 

「……クソ」

 

 やはり、奴は自分に繋がる情報を残さない事を徹底している。だが、あの黒い炎は奴がまだ生きているという確たる情報を残した。今はそれだけでいい。それに、黒い炎も奴の術式に関係があるはずだ。少しでも手札が分かっただけマシだ。そう、自身に言い聞かせるように脳内で呟く。

 

 人肉が焦げた生理的嫌悪感を想起させる臭気を逃すため、近くの窓を開けて換気をする。深夜の冷たい空気が流れ込んできた。最近はずっと煌々とした夜の街で張り込みをしていたので、静寂な住宅街がかえって異質に感じる。

 

「もう少しで処理班が来るそうっス」

「分かりました。連絡、ありがとうございます」

 

 ある程度その臭気も薄れてきて、部屋の窓を閉めようとした時に不気味な視線を感じた。深い夜の闇から、こちらを嘲笑うかのような不気味な視線。だが、意識を集中させても妙な呪力は感じられない。目を凝らしても、所々街灯に照らされた深く暗い夜の闇が広がっているだけだ。

 

「来たみたいっスね。……どうかしたっスか?」

「……いえ、何でもありません。行きましょうか」

 

 近頃、未登録の特級呪霊たちが徒党を組んでいる事。二十二年間、何も手がかりのなかった黒い炎の能面の呪詛師が再び動き出した事。そして、虎杖君による両面宿儺の受肉。

 

 これらは全て偶然だろうか。どうにも俺にはそう思えなかった。

 

 呪術界の闇で煮詰まった底知れない悪意の、その一端に触れてしまったような気がして、妙に背筋が冷たくなる。

 

 不吉な災厄の影が、すぐそこにまで近づいている気がした。

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