死屍累々の丘に立つ   作:半睡趣味友

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第二十一話:屍山血河/2018年10月31日21:56

 眼下の景色が流れていく。身体の芯まで凍えそうな冷たい風を浴びながら、夜の東京の上空を飛ぶ。

 信号も道も関係なく目的地に直行できる空の道は、少し寒すぎる事を除けば今の状況なら何よりもありがたかった。このままいけば二十二時前後には渋谷に着くだろう。

 

伽楼堕(ガルダ)! 安全性は考慮しなくていい! もっと飛ばせ!」

『グガァァア!』

 

 今の渋谷は一級ですら容易く死んでもおかしくない。俺の実力は総合的には平均的な一級はあるだろうが、それは呪具呪物を創る事の出来る特殊性やそれを使った戦闘、索敵だとかを加味してのものだ。純粋な戦闘能力では一級の最低ラインぎりぎりだろう。

 

 そんな俺がたった一人で五条さんの封印を解きに行っても、道中で無為に死ぬだけだ。なら俺はどうにかして他の一級と合流し、そのまま渋谷駅の地下に向かうのがベスト。もしくは他の術師の負担を減らす為に改造人間の処理をし、出来るだけ多くの一般人の安全を確保するのもいいだろう。そうすれば俺よりも強い術師達が、五条さんの封印を解く事に専念できるはずだ。

 

「……あそこか」

 

 俺の目線の先には、渋谷という東京でも指折りの街に確かに帳が降りていた。報告を聞いていてもやはり非日常的な光景だ。市街地に帳を降ろす事はままある。それは心霊物件に巣食う呪霊だとか、潜伏する呪詛師だとかを討伐する為にだ。だが、やはり渋谷のような人の往来が激しい場所に、こんなにも大規模な帳が降りているのは異様だった。

 

 その帳に上空から突っ込む。非術師を閉じ込める為のそれは、僅かな抵抗すら感じさせずに俺と伽楼堕達を受け入れた。

 

「誰か助けて!」

「く、来るな!」

『えぎはどごでずがぁ〜』

 

 先ず聞こえたのは逃げ惑う人々の悲鳴と改造人間の戯言。次いで鼻で感じるのは濃密な血の臭いと死の臭い。眼下に広がる阿鼻叫喚の地獄絵図。

 

 ある程度は予期していたが、それを容易く超える数の改造人間の群れ。渋谷駅南口、ヒカリエの改札口近くは改造人間に占拠されていた。

 

「クソ! 伽楼堕! 近くのビルに降ろせ!」

『ガァァアァア!』

 

 あまりの状況の深刻さに思わず悪態をついてしまう。こんなにも一般人に被害が出ているのに、ここには術師の姿は見えない。人手が足りてなさ過ぎるのだ。いや、五条さんの封印を解く事を最優先にしなければならない事は分かるが、それ以上に敵の戦力が大きすぎて多すぎる。手が回らないのも仕方ないだろう。

 

 ビルの屋上に降り、背負っていたチェロケースを開けて複合弓を取り出す。俺の切り落とした左腕の腱を弦にして創ったこの弓は、俺の呪力との親和性が極めて高い。必要な物を取り出しすぐさまケースを背負い直した。

 

「影伏! 矢の四番!」

『かげ!』

 

 直垂の袖の影に潜んでいる袱紗影伏に号令を出すと、予め教え込んだそれに反応して俺の右手に矢が収まる。矢の先端には俺の血で綴られた呪符に包まれた鏃があった。

 

「まてまてまて!」

『ののの、のみにいきませぇんかぁ〜』

「『弥縫忌(びほうき)』!」

『のみゃ!』

 

 俺はビルから矢を弓に番えながら飛び降り、腰を抜かして動けなくなっている男性に飛びかかろうとした改造人間の脳天に向かって放つ。その脚が六本ある三つ目の犬のような姿の改造人間は、矢が脳天に突き刺さった後、少し痙攣して倒れた。

 

「怪我はありませんか?」

「え、は、はい」

「すみませんが、今は説明している余裕はありません。影伏、槍を」

『かげ!』

「槍を持っていない方は改造人間に追われている人をさっきのビルの屋上に連れて行け。槍を持っている方はそこで一般人を守れ。分かったな」

『ガァァアア!』『カァアァアア!』

 

 俺の袖の影伏が出した破魔槍を片方の伽楼堕に渡し、そう命令する。さっきのビルの屋上はそれなりに高さもあり、飛ぶ事ができない改造人間相手ならそれなりには粘れるだろう。一瞬しか感知できなかったが室内にも改造人間はいなかった。最悪建物の中で籠城できるはずだ。

 

「ちょっ、なん」

「伽楼……こいつらは味方です。安全な場所までお運びするので暴れないで下さい」

『ガァァアアァア!』『カァァアア!』

「うぉ!」

 

 人間の腕が生えた大鷲の化け物に怯えた様子の男性だったが、その恐怖心を解く為にいちいち説明する時間はない。伽楼堕達が飛び去った後、俺は射殺した改造人間の遺体に向き直る。その遺体には赤黒い紋様が浮き出ていた。

 

「『汝、我が僕、我が命に従いさぶらへ』」

『のみ、の、の、のみ』

「『汝、汝が同胞、異形なる者達を殺し尽くせ』」

『いぎまぜ、いぎまぜんがぁ〜』

 

 地に伏していた遺体は、俺の声に反応して出来の悪い操り人形のように、何処か違和感のある動きで立ち上がった。生まれたばかりの子鹿のようなその動きは、いくら改造人間相手とはいえ生命への冒涜に溢れている。

 

「……行ってこい」

『の、の、のぉ!』

 

 赤黒い紋様が輝く改造人間の遺体は、他の改造人間に向かって犬のように襲いかかった。その姿を見て、初めて使う呪具だが成功してよかったと安堵する気持ちと、こんな呪具を使わなければならない事への嫌悪感がせめぎ合う。

 

 さっきの矢は呪具だ。名を『弥縫忌(びほうき)』。射殺した人間を即席の殭屍(キョンシー)へと変質させる効果を持っている。縛りによって効果対象が人間でなければならないし、脳天を射抜かなければならない。そのくせ簡単な命令しか聞けない上に、一般人相手に使ってもせいぜい三級程度の呪霊と同等の戦闘力しか持ちえない。

 

 昔の俺はもっと戦闘に活かせそうな別の呪具や呪物を創れるようになる事や、戦闘能力を上げる事に拘泥していたのだ。だからつい最近まで創り方を覚えていなかった。

 

「影伏、矢の四番」

『かげ!』

『どんだ、どんだぁ』

 

 そもそも、呪術師が多くの人間相手に戦う事は殆どない。今回の渋谷ような事態が例外中の例外であって、俺たちが主に闘うのは呪霊だ。『弥縫忌』は戦国時代だとか戦乱の世で多くの死体を得る為、戦場に出た死屍創術の術師が創り出した呪具。言ってしまえば何百年前の時代錯誤の呪具だ。これが現代で必要となる状況などないと考えていた。

 

「『汝、我が僕、我が命に従いさぶらへ』」

「『汝、汝が同胞、異形なる者達を殺し尽くせ』」

『ど、どんだ!』

 

 しかし、あの地下での改造人間達の戦いを経て、そういった呪具の必要性を感じたのだ。袱紗影伏と契約する為に本家に戻った際、創り方を覚えておいて助かった。この場では少しでも戦力がいる。……こんなにも早く使う時が来るとは考えもしなかったが。

 

『のみ! のみぃいぎまぜんがぁ!』

『ど、どん! どんだ!』

『な、なぁんでぇ!』

 

 思いの外、この呪具によって生み出された殭屍は強かったようだ。次々と改造人間を殺している。殺されている方の改造人間が人間を襲う事に夢中で、同じ形をした殭屍に隙が多いのもその理由か。改造人間同士で戦う事などいままでに無かったはずだ。

 

 ……いや、あのつぎはぎ顔の呪霊の術式によって、無理やりに呪力を扱える身体にされてしまったのが一番大きい理由だろう。俺の術式によって呪具や呪物の素体となる人間は、当たり前だが呪力が多いほどいい。

 

「らぁ!」

『ぐ、ぎゃぁ!』

「影伏! 四番!」

『かげぇ!』

 

 裂帛と共に刀を振るってゲジのような姿の改造人間を切り裂き、一般人を追いかけている遠くの改造人間を射殺す。

 こんな状態とはいえ、その遺体を使わせて頂いている事に謝意を忘れてはならない。そうさせて頂くのならば、俺はより多くの人々を助ける必要がある。

 

「クソ! 多すぎるだろ!」

 

 俺も殭屍もかなりの数の改造人間を殺したはずだが、未だその異形の数は尽きない。改造人間がいるのはここだけではないだろう。他の場所でも人々を襲っているだろうし、俺は五条さんの封印を解く為に渋谷駅へと向かわなければならない。

 

「司條さん! 大丈夫っすか!」

「虎杖君か! ここは大丈夫だ!」

「っ! でも、数が……」

 

 あまりにも多すぎる改造人間に焦れてきた頃、心配と焦りを含んだ虎杖君の声がした。冥さんや憂君といたはずだが、彼らはどうしたのだろうか。脳内に疑問が浮かぶが今はそれを聞く余裕はなかった。

 

 改造人間の数は多いが俺自身には怪我はない。伽楼堕も何人もの一般人を助けている。だが優しい彼にとっては、多くの人々が未だ改造人間に追われているのが見逃せないのだろう。

 

「明太子!!」

「その語彙は!! 狗巻先輩!!」

「しゃけ!!」

 

 だがまた別の学生が現れた。確か二年生で準一級の狗巻君だ。今この場では彼の呪言は何よりも有効だろう。心強い援軍だ。高専に待機していた術師が、夜蛾学長の判断によって渋谷に向かってきているのだろう。

 

「頼んます!! 狗巻先輩! 司條さん!」

「狗巻君! 赤黒い紋様が浮き出ている奴に害はない!」

「しゃけしゃけ」

 

 虎杖君も狗巻君がいれば何とかなると判断したのか、改造人間の間を縫って渋谷駅へと向かっていった。彼一人で渋谷駅へ行くのは危険すぎると考え声をかけようとするが、物凄い身体能力で渋谷駅へと入ってしまってその暇もない。

 キーンと、狗巻君が持っているメガホンが音を鳴らす。

 

動くな

 

 増幅された言霊を宿す言葉が響いた。瞬間、逃げ惑っている人々や俺の術式の影響下の改造人間を除いて、人々を襲っていた改造人間は動きを止める。メガホンを使って声も拡散しているだろうに、ここまで呪言の効果対象を絞れる事に驚いた。

 

「悪い。助かった」

しゃけ

「……声大丈夫か?」

 

 返ってきたその声はガラガラに枯れていて心配になる程だった。だが狗巻君は首を縦に振って、ポケットからノドナオールと書かれたスプレーを取り出す。

 なるほど、代償への対抗策は持ち合わせているらしい。いらぬ心配だったかと思ったが、狗巻君はそのスプレーの蓋を開けてぐびりと中の薬剤を飲む。……喉薬ってそういう使い方でいいのだろうか。 

 

「うめ?」

「え、あー……狗巻君は生存者の誘導を頼めるか? 俺は残った改造人間を処理した後、虎杖君を追って駅に入る」

「しゃけ!」

 

 どうやら納得してくれたらしい。狗巻君が生存者と共にいれば、改造人間相手ならどこから襲われたとしても呪言で守れるだろう。俺とは違い、声を発するだけで広い対象に効果を及ぼせる強い術式だ。それに駅の中という危険な場所に行くのは、学生ではなく俺の方がいい。

 

「あのビルにも生存者がいる。頼んでいいか?」

「しゃけ」

「ありがとう」

 

 その後、少しの情報共有をして狗巻君と別れる。この渋谷で単独行動はすべきではないだろうが、あまりにも手が足りない。こうするのが最善だろう。

 ヒカリエ改札口前の広場では、殭屍が改造人間の首もとに噛み付いたり、無理やりに引っこ抜いたりなどの方法で同族を殺している。呪言の効力が切れる前に全て処理してしまおうと、俺も近くの改造人間へと駆け出した。

 

「お前ら! 遺体を集めろ!」

『の、のみぃにぃ!』

『ど、とんだ、どんどん!』

『どりっぐ、お、ぉおあどりぃど!』

 

 動きの止まった改造人間の首を刎ねながら殭屍に命令する。これだけの遺体があれば、新しく覚えてきた呪具……というより拡張術式を発揮できるはずだ。

 その拡張術式は死屍創術では珍しい術者の戦闘能力を上げるタイプの術。大量の屍が必要なのでこれも現代では使う機会がないだろうと思っていたが、まさに屍山血河としか形容できない今の渋谷では条件を満たしている。

 

「……これだけあれば足り……何だ、これは」

 

 ヒカリエ改札口前の改造人間の掃討が終わり、その遺体や一般人の遺体を一箇所に集めさせる。血が滴る小山のようになってしまったが、元の姿が判別できないような重大な損傷を受けた遺体だけを選び取ろうとして──気が付いた。

 その山に黒く焦げた遺体がある事に。俺の知る限り炎を操る術師は渋谷にはいない。纏わり付く悍ましい残穢。その残穢の主を俺は知っている。

 

 なぜならそれは、俺の家族を殺した呪詛師の──

 

『ガァァアア!』

「ッ!」

「ありゃ? 完全に不意をついたと思ったんだか」

 

 刹那、背中に悪寒が走る。背後に急激な呪力の高まりを感じるのと同時に、真横から衝撃を受けた。その衝撃は俺を伽楼堕が突き飛ばした事によるもの。

 俺が数瞬前までいた場所に、轟々と燃え盛るドス黒い炎が迸る。肌を焦がすような熱量を感じながら、その炎の発生源から距離をとった。

 

「お前、高専の術師だよな? 何級?」

「さぁ、何級だろうな。……お前が蒐獄か?」

「あ? 何で知ってんだよ。俺ってば有名人?」

「黙れ。殺す」

「ハハ、お喋りはお嫌いですかね。顔が怖いぜ?」

 

 黒い炎を差し向けてきた奴の姿を目に捉え、ギリィと無意識に歯と手のひらに力が入る。ようやくだ。ようやく見つけた。家族の仇を。能面の黒い炎の呪詛師を! 

 俺はこいつに自分の素性を話すつもりは一切ない。俺の家族を殺した理由など聞く必要も無いし、知る必要もない。そもそも言葉の一つも交わしたくないからだ。

 

 ただ絶対に殺す。

 俺の両親と妹が理不尽に訳も分からず殺されたように、俺が怒り狂っている理由を奴に教えずに殺す。

 二十二年間、ずっと追い求めていた復讐の成就を今ここで果たす。絶対に、絶対に。

 

 奴は薄っすらと不気味な笑みを浮かべる女面を被り、そして随分とふざけた格好だ。深い黒の経帷子を左前で着付けている。死装束のつもりだろうか。だが、此処で殺すのだからそんな事は気にならない。むしろおあつらえ向きだとすら思った。

 

 能面の男──蒐獄は、両の手に黒い炎を燻らせながら俺に話しかける。

 

「ま、もう名前がバレてようが関係ねぇ。丁度暇してたんだ。ちょっくら遊ぼう、ぜ!」

「ッ! 殭屍! 奴の動きを止めろ!」

『の、の、のみ゛ぃ!』

『どんだぁ゛あ゛!』

「おっと!」

 

 俺の声に反応した殭屍が、一直線に向かってくる蒐獄の軌道上に立ちはだかった。殺到してきた殭屍に対し、奴は少し距離をとる。無理やりに突破してくると思ったが、まだ様子見の段階なのだろう。あくまでこちらの出方を伺っている。

 

 ……いや、本当に遊んでいるのかもしれない。憎悪で煮えたぎっている胸中で何とか冷静を保ち、奴の一挙手一投足のその全てに意識を注ぐ。そして気がついた。奴の身体に纏う呪力と能面の呪力が異なることに。

 

「んー、死体を操る術式……ってところかぁ? 悪趣味だな」

「行け!」

『の、のみぃにぃ!』

業火三昧(ごうかざんまい)

『のぉ゛あぁ゛あぁあ!』

 

 耳をつんざくような絶叫。俺が差し向けた殭屍に黒い炎が纏わり付く。俺の術式との(リンク)が急速に薄くなっていき、それと反比例するように黒い炎は猛々しく燃え上がった。

 ……やはり、あの黒い炎は呪力を燃やす炎だと考えていいだろう。厄介な術式だ。呪力で身体を強化していても防げるどころか更に火力を増すのだから。あの炎はまともに受けてはならない。警戒が必要だ。

 

「……そういうお前は、呪力を燃料に燃え上がる火を操る術式か?」

「ああ、俺の術式は『獄炎操術』。いい術式だろ」

「チッ!」

 

 嘘。おそらく奴の言葉は欺瞞だ。

 

 思い出すのは少し前、能面の呪物を所持していた日壁との戦い。奴は自前の『曰く憑き』という生得術式とは別に、記憶を消す術式を使ってきた。

 あの能面はどういうカラクリかは知らないが、別の術式を使用可能にする呪物と見るべき。そしてあの能面に刻まれた術式が黒い炎を操る術式のはず。だとすると、蒐獄も自前の生得術式を持っているのが道理だ。

 

 ……しかし、おそらくそれが能面を創る術式だと考えられる。決めつけは良くないが、奴が能面の呪物の流通源なのだからほぼ確実にそうだろう。

 

「影伏、矢の二番」

「かげ!」

「『射し指』!」

「遅──へぇ、追尾か!」

 

 わざと七割程度に弦を引き矢を放つ。それは先端が人差し指の鏃の矢。奴は軽々と回避するが、矢は避けられた後に物理法則を無視して旋回した。グルンと奴の背後を襲う。

 

 中った。

 

 そう確信する。矢は奴のがら空きの背中に突き──刺さらなかった。ガゴンと、硬質な金属をハンマーで殴りつけたような音が響く。いくら呪力で肉体を強化していても、絶対に人体からは鳴るはずがない音だ。

 

「な!」

「ハハ、危ねぇ危ねぇ」

 

 蒐獄は地に落ちた矢を掴み、その黒い炎で燃やした。おかしい。明らかにおかしい。確かに奴の油断を誘うために手加減した一矢だとはいえ、呪力で強化した肉体に突き刺さる威力はあるはずだ。

 

 まさか奴の自前の術式があの黒い炎で、別の何らかの戦闘用の術式を保持しているのか。もしくはその逆か。能面を創っているのは別の呪詛師なのか。

 

 そんな疑問が頭に浮かんでしまう。それは、生き死にをかけた戦闘中では大きな雑念。

 

「もう終わりか?」

「っ!」

阿餓利餓利(あがりがり)

 

 想定と違っていた事に困惑し、少しの隙を見せてしまった。急接近してきた蒐獄に対し僅かに反応が遅れてしまう。奴は手に纏う黒い炎を剣のような形に変え、俺へと振るってきた。

 

 その黒い炎──いや、あの獄炎は決してまともに喰らってはならない。呪力を貪る炎だ。一度その炎に巻かれてしまったら、消すには極限まで呪力を抑えるしかない。それは戦闘中だと致命的な隙を晒す事になる。そして、その事は奴が一番分かっているはずだ。

 

 ──だからこそ、真っ正面から迎え撃つ。

 

「『骨奪技巧(こつだつぎこう)』! シン・陰流居合『抜刀』!」

「!」

 

 俺は弓を投げ捨て、素早く刀に手をかけた。左腕に呪力を流してその腕の持ち主が積み重ねし技巧を再現する。奴の傍を抜けるように刀を一閃。

 奴もまさか正面から俺が突っ込んでくるとは考えなかったようで、そのがら空きの胴体に刀をまともに喰らった。

 

 ──硬い! 

 

 しかしまともに入ったはずの一撃だが、刀は俺の手に硬質な感触を伝える。人間の硬度じゃない! 本当に金属に刃を突き立てたかと錯覚する程の硬度。ダメージは期待できないだろう。

 

 それに奴も馬鹿ではなかった。ただ攻撃を喰らうだけでなく、俺の刀を獄炎の剣で受けたのだ。不定形の炎の剣では受け太刀など出来ないが、獄炎は俺の刀に流れている呪力に燃え移り左腕を燃やす。

 

「おいおい、馬鹿だろお前。俺の話聞いてたのか? 俺の獄炎を喰らうなんて、暇つぶしにもならなかったぜ」

 

 奴は呆れた様子で左腕が黒い炎に巻かれた俺を見る。俺を嘲笑しているのが、能面の下が見えなくとも分かった。

 

「補助監督を殺せなんてつまらねぇ任務をブッチして術師を探しにきたのに、外れを引いちまったか」

「……馬鹿はお前だ。クソ野郎」

「あ?」

 

 轟々と燃え盛る左腕をちらと見る。確かにここで炎を喰らうのは想定外だった。だが、ちょうどいい。

 

 右手の呪力を極限まで抑えて、炎を纏う刀を持ち替える。右の手のひらが少し焼ける痛みを感じた。しかし、そんな痛みになど構っている暇はない。獄炎によって多大な損傷を受けている左腕の肩口に素早く刃を当てた。

 

「『この怨み、晴らさでおくべきか』!」

 

 シン・陰流を扱える“腕”のストックはこれが最後の一本だったが、そんな事はもうどうでもよかった。基本的に『換装義骸』に共通して付与してある原始的な呪詛返し。呪力を用いた攻撃で受けた損傷に対し、同等の損傷を相手に返す効果。これならば奴がどれだけ硬かろうと関係ない。この焼け爛れた腕と同じ傷を負うのだから。

 

 しかし、違和感。左腕を切り落とす瞬間、奴は俺をじっと観察しているだけだった。俺の行動を邪魔するわけでもなく、不気味に能面の下からただじっと見つめて。

 

 その様子に形容しがたい不安を覚えるが、それを断ち切るようにして左腕を切り落とす。そして刀を手放し、右手に微かに燃え移った黒い炎を払う。

 

「呪詛返しの術式……いや、呪具か? さっきの矢も……なるほど」

「何、だと……!」

「ハハ、いいね。死体を操るだけのつまらない術式だと思ったが、少し欲しくなってきた」

 

 奴は痛みを感じる様子もなく、平然とした様子で俺の観察を続けていた。最初はやせ我慢をしているのかと思ったが、奴の経帷子から覗く左腕に一切の火傷が見られない。

 

 ──『双穴穿ち』が発動しなかった? いや、そこまでの実力差はないはずだ! この呪具の縛りは重く、特級にすら有効だった!

 

 胸中の違和感が肥大化していく。俺の理解の埒外にいる相手に感じるそれは、不安か恐怖か。違うと首を振る。俺がそんな事を肯定してはならない。俺がそんな弱い感情を奴に抱いてはならない。抱くべきは殺意と憎しみだけだ。俺は奴を殺すと決めたのだから。

 

 まだ俺の攻撃は終わせない。このまま奴に対し攻め立てることを選択した。

 

「影伏! 種を三つ!」

『かげぇ!』

「ハハ、次は何だ? もっと見せてくれよ」

 

 影伏が取り出す呪符が巻かれた団子ほどの球体に呪力を込め、突っ立っているばかりの蒐獄に向かって投げつける。奴はそれを避けるそぶりもなく、全てを棒立ちでまともに喰らう。

 

「『荼毘華(だびばな)』!」

 

 轟音と共に赤い炎の華が三輪咲いた。爆炎に包まれる蒐獄。だがその赤い炎を塗りつぶすかように、ドス黒い炎が奴の輪郭を取った。

 

「ぬるい炎だ。これはイマイチだな」

「本命じゃねぇからなぁ! 伽楼堕!」

『グガァァアァ!』

「!」

 

 轟音も爆炎も、奴の注意を逸らすためのもの。本命は上空から勢いをつけて急降下する伽楼堕の槍。

 

「『貫』!」

 

 奴にその槍の穂先が突き刺さる瞬間に俺は叫んだ。貫通力ならば俺の呪具で一番の破魔槍。その効果を最大限に強化するために。今の俺に出来る最大限の攻撃。

 

「ハハ、ハハハ! 中々いいじゃねぇか!」

「なっ!」

 

 しかし、無傷。奴にその穂先は突き刺さっていない。

 何故だ。あの森で遭遇した白い特級呪霊にも、この呪具は確かに突き刺さった! 呪力量からしても奴はせいぜいが一級程度。特級にも通じだ呪具が一切効かないなどあり得ない! 

 

『グ、ガァァア!』

「うぜぇな。こいつ。やれ『影武者』」

『グギャァァァア!』

 

 何度も鉤爪で引っ掻き、破魔槍を突き刺そうとしている伽楼堕を邪魔だと思ったのか。奴はそう呟いた。すると影から奴と同じような背格好の影法師が現れる。黒一色で凹凸が感じにくく遠近感を狂わせるその影法師は、その腕部を刀のように変化させて伽楼堕を両断した。

 

「何、だ。そいつは。お前の術式は、その能面を創る術式じゃないのか」

「何だよそこまでバレてんのか。ブラフ張った意味がねぇじゃねぇか。日壁の野郎がゲロったのか?」

 

 思わず漏れた俺の言葉にそう反応した蒐獄に、さらに混乱が深まってしまう。

 戦闘前までは俺は奴自身の術式が能面を創る術式であり、あの黒い炎を操るのは能面に刻まれた術式だと考えていた。そして戦闘中には、奴の異常な肉体の硬度から、能面を創っているのは別の術師かもしれないという考えも浮かんだ。しかし、後者の考えは奴の言葉によって否定されてしまう。それこそ(ブラフ)かもしれないが、嘘だとしてもおかしい。

 

「もう品切れか? なぁ、おい?」

 

 奴自身の術式と能面の術式。どの考えが合っていても、扱えるのはその二つだけのはずだ。能面にいくつもの術式が刻まれている可能性も思い浮かぶが、それはない。断言できる。奴と能面の呪力は異なっているが、能面自体から感じる呪力は一つだけだからだ。

 

 様々な事ができる術式自体はある。例えば猪野の『来訪瑞獣』や香那の『祀神契法』、伏黒君の『十種影法術』だとかだ。いずれも強力な術式であり、多様な効果を持つ式神や瑞獣を扱う事が可能。しかし、それは式神や降霊術といった枠組み内だからこその話のはず。

 

 奴のように炎を操り、肉体を金属のように硬質化させ、影法師を操るような統一性のない事を可能にする術式などありえない。

 

 ──本当に、ありえないのか? 

 

「まさか、その術式は……!」

「お、分かったのか? この能面の術式がどういうものなのか」

 

 そこまで考えて気がつく。気がついてしまった。同時に深い絶望も襲ってくる。もし俺の考え付いた()に由来する術式ならば、その力は極めて強大だ。それこそ、あの五条さんに並んでしまうほどに。

 

 俺のその様子を見て、蒐獄は嫌らしい雰囲気を強くする。そして答え合わせをするような、幼児が自分の蒐集物(コレクション)を自慢するような優越感に満ちた声色で俺に語りかけた。

 

 それは、俺の最悪の想定が合っている事を肯定するもの。

 

「『獄炎操術』なんてそんなちゃっちい術式じゃねぇ。『新皇祟総術(しんのうたたりのそうじゅつ)』。それがこの能面に刻まれし本当の術式だ」

 

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