死屍累々の丘に立つ   作:半睡趣味友

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第二十二話:死屍累々/2018年10月31日22:16

 呪術界だけでなく、一般社会でも広く知られた呪いや祟りとは何か。

 

 呪いや祟りと聞いて思い浮かぶ者や化生の類は数あれど、その一番目に来る者はほぼ決まっているだろう。

 彼の者は呪術全盛の時代、平安の世において『新皇』の称号を僭称し、神の血統とされた天皇に叛逆した存在。現代最強の術師、五条さんの祖先である菅原道真と等しく日本三大怨霊の一角に数えられし呪いの頂点。

 

 名を、平将門公。

 

 曰く、その身は鋼のように強靭であり、矢も刃も一切の傷を与える事は出来なかった。

 曰く、余りにも強すぎ、全く姿形が同じ武者が何人もいたと言われる程の戦働きをした。

 曰く、晒し首になろうとも強すぎる怨念により死なず、雷雲を呼び寄せ稲妻と共に炎を吐きながら空を飛んで京へと向かった。

 

 彼の者の伝説は一千年の時を越え、今もなお語り継がれている。それらが真実であってもなくても、呪術の世界では触れてはならない禁忌の存在であることに変わりはない。

 

 そしてその伝説は過去のものではない。それらの伝説が未だ畏れを伴い信じられているせいで、彼の者に向けられる強すぎる畏れは呪霊として顕現する程だ。十六体しか存在しない特級仮想怨霊の一体、『平新皇将門公』として。

 

 俺もその事は知っている。いや、呪術界に関わる者で知らぬ者はいない。江戸城を彼の者の首塚の近くに築城したのは、その呪いの強さ故に一切の呪霊が近づけないからだ。現在、彼の者の首級は皇居に張られている天元様の結界と共に、比類なき効果を持つ魔除けとして崇敬され封印されている。

 

 『新皇祟総術(しんのうたたりのそうじゅつ)』という術式は、奴の発言やこれまでの戦闘から察するにほぼ間違いなく彼の者に由来する術式だろう。

 

 そんなにも強力な術式が刻まれている呪物(能面)を、なぜ奴が保持しているのかは分からない。術師から創るのか呪霊から創るのか。それとも彼の者の御霊を降ろしたものなのか。

 

 どれが答えにしろ、奴の扱う術式が強力な事に変わりはない。それだけは揺るぎない事実。奴を殺したい俺には余りにも酷すぎる現実だった。

 

「……よくもまぁ、そんな畏れ多い術式を扱えるな。祟られてもしらねぇぞ?」

「ハハ、何十年も使わせて頂いてるが、俺に祟りが降りかかった事はねぇよ。お前ら高専があくせく必死になって、将門公の封印を維持してくれているからかもな。感謝するぜ」

「チッ!」

 

 奴はヘラヘラとした態度を崩さずに、隻腕になった俺を観察するかのように能面の顎に手を当てていた。まずい。腕を切り落としたのは完全に失策だ。

 

 ──使うしか、ないのか。

 

 直垂の胸元に手を当て、そこにある匣の存在を確認する。だが、条件が足りない。もはや獄炎は消え、黒焦げの残骸になった左腕をちらと見る。そこには奴の残穢は確かにあった。しかし、この程度ではあまりに心許ない。欲を言うならば呪力だけでなく、奴の肉体の一部が欲しい。

 

 不完全な発動になってしまうと、奴を殺せるかどうかは完全に運次第になってしまう。そもそもまともに発動できるかすら分からない。

 

「!」

「おーおー、あっちも随分派手にやってるねぇ」

 

 渋谷駅の内から莫大な呪力の奔流を感じた。とんでもない量と悍ましさを兼ね備えた呪力だ。早くこんな奴を殺して俺も渋谷駅の内部に入らなければならないのに、恐らくそれはもう不可能だろう事を薄らと認識した。

 

「んで、お前の術式は何だよ? 最初は屍を操るだけの術式かと思ったが、どうにも違いそうだしな」

「……」

「おいおい、まただんまりかよ。折角術式開示のチャンスをやったのに、ノリが悪りぃなぁ」

 

 蒐獄からは戦闘中にずっと遊んでいる印象を受けていたが、どうやらそれは違うらしい。奴は俺に出せる限りの術を使わせたいのだろう。それが何の為がは分からないが、妙に俺に攻撃や術式開示の機会を与えてくるのがそのいい証拠。

 

 なら、とっておきを見せてやる。

 

 どうすべきか少しの逡巡。だが、直ぐに決断した。もう奴に通じる手は一つしかない。ここで抱え落ちして死ぬのが最悪。使って死んで奴を殺す。もしくは呪力を少しでも削るべきだろう。他の術師の為にも、こいつがフリーになる時間も極限まで短くしたい。

 俺が殺せないのは業腹だが仕方ない事だ。此処には俺以外の術師もいる。彼らが奴を殺してくれることを信じ、俺は口を開いた。

 

「俺の術式は『死……?」

 

 違和感。さっきまで俺を観察していた奴の視線が、俺ではない何かに向いた。俺の左後ろへと。

 俺が奴の一挙手一投足を見逃さんと、隅々まで見ていたからこそ気付けた小さな違和感だ。

 全身の毛が逆立ち、死の予感を強く訴える。一切の呪力も気配も感じないのにも関わらずだ。

 

「がッ!」

 

 身体を捻りその方向に()を向ける。咄嗟のその判断は、背中に背負うチェロケースで身体を守るためにだ。

 その行動から一瞬遅れて、巨大な鉄球でぶん殴られたが如き衝撃が全身を襲う。呪力で強化していても身体がバラバラになったのかと錯覚する程の威力。

 

 ──何だ! 何が起きた! 

 

 訳もわからず吹き飛ばされ、そのままビルの壁に背中から激突した。全身が激痛を訴え、それに遅れて節々が熱を持ったのを感じる。感覚からして何箇所も骨折しているのが分かった。意識を手放さなかったのが奇跡といってもいい。

 

 俺が吹き飛ばされた方を激痛を耐えながら何とか見る。呪符で強化してあったはずのチェロケースの残骸と、中に入っていた呪具呪物が所々に散乱していた。チェロケースで防御していなければ、俺はもっと酷い怪我をしていただろう。

 

 壁に背中を預けながら何とか視線を上げきると、そこにはゆったりとした服を纏った黒髪の男の姿があった。乱入者は服の上からでも分かる程、凄まじく強靭な肉体を備えている。だが、何かがおかしい。何か当たり前のものが欠落しているような、言いようもない違和感を覚える。

 

 その口元に傷のある男の顔はどこかで見たような、しかし、もしそうだとしてもそれはおそらくかなり前だろうと確信できる程度の見覚えだけがあった。

 

「その服……オガミ婆の孫か?」

「……」

「おいおい随分と男前になっちゃってまぁ」

 

 だが、蒐獄にとっては知った顔らしく、どこか朗らかな雰囲気を醸し出してその黒髪の男へと近づく。

 

 最悪だ。どちらか一人でも勝てるか分からないような相手なのに、そんな呪詛師が二人もいて徒党を組んでいるなど考えたくもない最悪の状況。しかも俺の身体はもうボロボロだ。

 

「……」

「無視は酷いぜ。酒を飲み交わした仲──っ!」

 

 馴れ馴れしい態度で蒐獄が黒髪の男の肩に手をかけた瞬間、蒐獄が吹き飛んだ。ガゴンと、硬質な金属同士がぶつかり合うような音だけを残して。

 呪詛師同士の仲間割れなのか、目の前で起こっている事が分からず混乱する。

 

「ハハ、あっぶねぇなぁ。俺がお前を殺そうとしたのに感づきやがったか。折角面白い術式を見つけて、テンションが上がってきたイイ所だったのに割り込んできやがって。……だが、燃やしたぞ?」

「……?」

 

 蒐獄もただ殴られるだけではなく、あの一瞬のうちに黒髪の男の左手に黒い炎を着火していた。だが、黒髪の男はその炎を興味なさそうに一瞥し、そしてめんどくさそうに左腕を薙ぎ払う。たったそれだけの単純な一動作。それだけで、呪力を極限まで抑えなければ消えぬはずの獄炎は瞬時に消えた。

 

「な!」

「おいおい、マジかよ!」

 

 俺も日壁を捕縛する際にあの獄炎に右手を巻かれたから分かる。いくら術師が呪力を操作できるとはいえ、あんなにも一瞬のうちに獄炎が消える程度の呪力量にするのは至難の技だ。黒髪の男はどれだけ呪力操作の練度が高いんだと驚嘆し、そして今度は先に感じていた違和感の正体にようやく気がつく。

 

 黒髪の男が一切の呪力を持っていない事を。だからこそ、呪力を貪る獄炎がああも容易くかき消されたのだという事を。

 

 まさか、あいつは五条さんを死の淵まで追いやった化け物か。見覚えがあった理由も鮮明に思い出した。それは十年ほど前に奴の死体を俺は見たことがあるからだ。

 だからこそ、なぜその十年前の姿で奴が生きているのか分からない。クソ、今この渋谷では何が起こっているんだ。情報が足りなさすぎる。

 

「……」

 

 黒髪の男は俺が手放した刀を拾い上げ、具合を確かめるかのように数度振った。そして蒐獄に向かって斬りかかろうとする。

 

「!」

「思い出した。お前『術師殺し』だろ? 悪ぃが、お前みてぇな化け物と戦うつもりはねぇ」

 

 だが、その動きが止まった。何故ならば黒髪の男──術師殺しの影から四体程の影法師が姿を現し、その全身に絡み付いたからだ。いくら強靭な肉体を持っていても、動き出しから身体の自由を奪われてるとそう自由に動けないのだろう。その少しの隙をつき、蒐獄は背を向けて逃げ出す。

 

「お前が生きてたら、()()会おうぜ」

「ッ! 待て!」

 

 最後に俺の方をちらと見た蒐獄の目には、明らかに俺を憐れむような色が含まれていて、それが腑が煮え繰り返るほどに不快だ。俺は瞬く間に小さくなっていく奴の後ろ姿に叫ぶが、もう二度と振り返らずにその姿を完全に消した。

 

「ク、ソ! 動け、動け、動け! ……!」

「……」

 

 その背中を追おうとするが、全身に力が入らず立ち上がることすらできない。俺の反転術式で治せる範囲を大幅に超えている。それでも何とか立ち上がろうとした所で、俺に影がかかる。それは黒髪の男の影だ。

 

 呪力を一切感じさせないその肉体の圧力は凄まじく、俺の命がここまでだという事を察した。整った顔立ちだが、生気の宿らない無表情であるのが恐ろしい。その目は不気味に赤黒く濁っていて、尋常ならざる様子である事が分かる。その男が逃げることすらできない俺に対し、ゆっくりと刀を振り上げた。

 

 ──こんな所で、俺は死ぬのか……! 

 

 もはや打てる手なし。索敵用の擬奴羅はまだあるが、目の前のこいつに効果があるとは思えない。完全に振り上げられた刀から目を離してしまう。それは蒐獄を殺すこともできず逃してしまった無念からか、目前に迫った死に恐怖してしまったからか。

 

 だが、いつまで経っても俺にその刀が振り下ろされない。何故だと黒髪の男を見ると、奴は俺ではなく渋谷駅の方向を見ていた。渋谷駅の方からは再び莫大な呪力が現れていて、そっちの方に気を取られたのかも知れない。

 

 生気のない無表情をその顔に張り付けていた黒髪の男は、その口角を小さく持ち上げた。口元が三日月よりも細く弧を描くその肉食獣のような笑みは、何故だか無表情よりも背筋に悪寒を覚えさせる。

 

 黒髪の男は俺をもはや一瞥する事すらなく、その場から消えたと錯覚する程の速度で渋谷駅の内部に向かった。

 

「な、ん……だったんだ……あいつは」

 

 本当に訳がわからない。いきなり現れ俺を攻撃し、仲間だったらしき蒐獄にも攻撃し、最後は馬鹿でかい呪力の方へと向かったあいつは何がしたかったんだ。だが、その乱入者に助けられたのもまた事実。もしあのまま蒐獄と戦っていても、俺が無様に殺されるだけだっただろう。

 

「……っ、痛ぇ」

 

 目前にまで迫った死が消えた事により、それまでアドレナリンで薄れていた全身の痛みが一層強くなった。一箇所二箇所どころか、もしかしたらを二桁を超えているかもしれない箇所の骨折。右手の火傷も軽症ではない。意識が薄れていく。

 

「『没薬』を、使……」

 

 薄れゆく意識の中でなんとかポーチを開け、赤褐色の粉末が入ったカプセルを取り出す。これを使いたくはない。『没薬』。屍毒によって自らを仮死状態にし、死屍となった肉体を擬似的な呪具へと転ずる外法の術。

 

 死屍創術は創るという方面に特化した術式ではあるが、死屍限定なら多少の操作は可能だ。

 

「……くっ」

 

 何とか一錠の赤褐色のカプセルを口元まで持っていくが、そこからが進まない。肉体を仮死状態にするという劇薬だ。代償がない訳がない。

 

 寿命は確実に縮むだろうし、前に使用した時は一月以上は体調が戻らなかった。ひどい倦怠感と吐き気に悩まされるのだ。『没薬』の内容物である赤褐色の粉末は、遺体を俺の術式で加工して木乃伊とした後に削った代物。そして、その粉末の大半は俺の両親と妹だ。使いたい訳がない。

 

 ──『貴方は次期当主として、必ず生きてこの家の当主となってもらいます。復讐は許しますが、死ぬことは決して許しません。分かりましたね』

 

 それだけじゃない。俺がこれを使えない理由は他にもある。思い出すのは当主様の、天涯孤独となった俺の母親となってくれた人との約束。ここで『没薬』を使えば一、二時間なら戦えるだろう。

 

 だが、その次は?

 

 『没薬』の効果が切れた後、俺は戦闘不能になる。この魔境というべき渋谷では戦いの終端はまだまだ見通せない。過激化するだろう戦いの最中に効果が切れれば、俺は今度こそ確実に死ぬだろう。

 

 当主様のとの約束が。縛りも何もないはずの、強制力なんてないはずのただの口約束が、俺の行動を引き止める。意識が深い闇へと引き摺り込まれていく。

 

 この渋谷の真ん中で意識を失う事こそ自殺行為であり、五条さんを解放し一般人を守らなければならないのに、俺は意識が消えていくのを止める事が出来ない。

 

 俺は全身の激痛さえ遠のいていくのを感じながら、背中を壁に預けて完全に意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見ている。懐かしい夢を。それは、随分と懐かしい昔の光景だ。

 

『刻嗣? どうしたの? お母さんのいちご食べる?』

『うん! 食べる』

 

 それはどこにでもあるような家族。豊かでもなく、さりとて貧しいわけでもなく、慎ましく幸せに生活していた家族だ。

 

『お兄ちゃんばっかりズルい! ⬛︎⬛︎もいちごたべる!』

『え……なら、お母さん。おれはいちごいらないから、⬛︎⬛︎にあげて』

『ふふ。はい、どーぞ。……ほら、⬛︎⬛︎。お兄ちゃんにありがとうは?』

『ありがとう! お兄ちゃん!』

『刻嗣、えらいぞ! それでこそお兄ちゃんだ!』

『わ、もう、頭なでないでよお父さん。お酒くさいよ!』

『わはは、すまんすまん』

『ふふ』

 

 ただ、俺は知っている。これは俺以外のみんなが死ぬ直前の、最後の団欒だという事を。後数十分、もしかしたら数分もせずに奴が来る。能面をつけた黒い炎を操る男、蒐獄が。

 

『これなら、……と安心で……るね』

『……、刻嗣はいいお兄ち……だ。心……い』

『何……話?』

『ふふ、それはま……密だ……ね、お……ん』

 

 再び意識が薄れていくのを、いや、夢から覚めていくのを感じる。こんな平穏な日々など、俺が享受するべきではない。そんな資格は俺にはない。

 

 俺が一番最初に呪具呪物として加工したのは彼らだ。家族の遺体を切り刻み、数多の人々の遺体を切り刻み、彼ら死者たちの尊厳を犯す俺が幸せになって言い訳がない。

 

 だからこそ、俺には当主様と香那と家族になる資格など持ち合わせている訳が──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よかった! 意識を取り戻しはったんですね」

「……っ、悪い。誰だ?」

 

 意識を取り戻した俺の前にいたのは、どこがで見たような顔立ちをした高専生。何故だか全身の激痛はかなり収まっていて、気絶する前よりもだいぶ楽だった。

 

「京都校の新田です。身体は大丈夫ですか?」

「新田……補助監督の……いや、弟さんか。身体はだいぶ楽になってる。反転術式か?」

「それは俺の術式で反転術式じゃありません。怪我の悪化と痛みを和らげるだけです。なのでその左腕は治せませんでした。すみません」

「いや、謝る必要なんてない。この左腕は元々だ。おかげでだいぶ楽になった。ありがとう」

 

 辺りを見回すが、気絶した場所からは移動していなかった。こんな危険地帯で意識を失っておきながら生きているなど、ほぼほぼ奇跡に近い確率だろう。……いや、狗巻君や他の術師の奮闘によるものかもしれない。

 

「左腕が無い東京の術師……司條一級術師か?」

「ああそうだ。君は……東堂君か」

「え、司條先輩のお兄さん!?」

 

 顔に傷がある筋骨隆々の高専生。聞いていた噂からして京都校の東堂という一級術師だと当たりをつけたが、どうやらそれは正解だったようで彼はひとつ頷いてから話を続けた。

 

「この渋谷で共有しておくべき情報を教えてくれ」

「君たちと持っている情報はそう変わらないが、前情報になかった厄介そうな呪詛師を二人確認した」

「ふむ、どんな奴らだ?」

 

 蒐獄と黒髪の男についての情報を出来るだけ簡潔に彼らに教えた。奴らは最低でも一級相当の術師の力はある。共有すべきだと判断した。

 

「……成る程。分かった。他の情報はあるか?」

「他に……虎杖くんや黒髪の男はその入り口から渋谷駅へと入っていった。悪いが、他に俺が知っていることはない。すまない」

虎杖(ブラザー)が……」

 

 実際、俺が知っているのはこの程度だ。来てすぐにヒカリエ前で改造人間と戦い、その後に蒐獄と戦って意識を失ったのだから。

 

「情報感謝する。新田、司條一級を安全な場……」

「いや、大丈夫だ。俺は捨て置いてくれ」

「……大丈夫か?」

「ああ、俺は反転術式を使える。それに貴重な戦力を俺を運ぶためだけに浪費するわけにはいかない」

 

 何故京都校の彼らが渋谷にいるのかは知らないが、それでも術師の手が足りない渋谷では貴重な戦力である事には変わりない。東堂君は百鬼夜行の際に特級すら祓っているし、新田君の術式はかなり有用だろう。それは今、身をもって体感している。

 

「学生だけをあんな危険地帯に送り出してすまない。俺もあと少し回復したら後を追う」

「いや、気にする必要はない。俺達は呪術師だ。とうに覚悟は出来ている。……行くぞ、新田」

「は、はい! 東堂さん!」

 

 彼らが渋谷駅の方へと向かっていく。その後ろ姿を見て、聞かねばならない事があるのを思い出した。

 

「悪い! 一つだけ聞かせてくれ! 他の京都校の術師は渋谷に来ているのか?」

 

 一刻を争う事態だというのに、その事を聞くのが止められなかった。香那がこの魔境に来ているのかが気がかりだったのだ。彼ら京都の高専生がいるという事は、香那がここに来ている可能性もある。俺の言葉を聞いた東堂君は半身をこちらに開いて振り返った。

 

「いや、今ここにいるのは俺たちだけだ。他の京都校の術師も向かってはいる。誰が向かっているかは分からないが……司條一級術師の御兄妹も来ているかもしれない」

「……そう、か。……すまない。今そんな事を聞いてしまって。教えてくれてありがとう」

「いや、兄妹が大切なのは痛いほどわかる。俺も虎杖(ブラザー)が大切だ」

 

 そう言って東堂君はウインクをして去っていく。噂では相当な変人と聞いていたが、なかなかどうして好青年なのかもしれない。彼らが渋谷駅に入っていくのを見届けると同時に、ずっと行っていた反転術式によって身体が動かせるぐらいにはやっと回復した。

 

「これ、なら……っ!」

 

 何とか背中を壁に預けながら立ち上がるが、今度は頭がクラクラとして前方に倒れてしまう。新田君は俺に施した術式を、怪我の悪化と痛みを和らげるものだと言った。流出した血液や骨折が全て治ったわけではない。十分回復したと思ったが、痛みを感じていないだけでボロボロなのだろう。

 

 だが、それでも十分すぎる。もとから死に体の身体だ。痛みでずっと気絶しているより何十倍もマシだ。

 

「……まだある、な」

 

 視線を上げると、遠くには俺が集めていた遺体の山がある。あそこまで行けばもう一度戦えるはずだ。残った右腕で匍匐前進するように這って進む。匍匐前進といえない足を潰されたヒキカエルのような不恰好な進み方だが、ゆっくりと着実に近づいていく。

 

 むせかえるような血の臭いと吐き気を催す消化器系の分泌液の臭い。それらが混ざり合った臭いが強くなっていくが、何とか胃の中の物が逆流してくるのを堪える。

 

「影伏。朽鼠を出せるだけ出してくれ」

『かげぇ!』

『ピィ!』『ピィピィ!』『ピィ!』

 

 数分かかって何とか遺体の山へと辿り着き、俺はその遺体の状態を確認した。だいぶ冷たくなってはいるが、死後硬直はまだ酷くはない。良かった。これならばまだ使う事ができる。

 

「朽鼠、この遺体の皮を剥いでくれ」

『ピィピィ!』『ピィ』『ピィ!』

 

 出来れば遺体は綺麗にしておきたい。だが、この状況からしてそれはもうほぼ不可能だ。後々回収することも不可能だろう。ならば俺がその遺体を使わせて頂く。そして少しでも多くの人々を助けよう。そんな事を遺体や遺族が思っているわけではなく、俺の自己満足でしかなくともだ。

 

『ピィ!』『ピィピィ!』『ピィ!』

 

 遺体にその歯を突き立てる朽鼠を見てから、俺は目を閉じて集中する。少しでも身体を癒すために。痛みはかなり薄れていて集中しやすかった。新田君には感謝しかない。彼に俺を安全な場所に運ばせなくてよかったと強く思う。あの術式はこの渋谷では単純な戦闘能力以上に重宝されるだろう。

 

 体内の傷を癒すのは最小限に、体表の傷だけを意識して癒す。今から発動する術式は、遺体が血液感染をする病気を患っていたら俺に感染するリスクが高い。亡くなってから少し時間が空いているが、それでもリスクは最小限に留めておくべきだ。そもそも遺体に多く触れる拡張術式なのでその他の病や菌も怖いが、背に腹は変えられない。

 

 一刻も早く戦える状態になるために、一層深く俺は集中した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──急ぐ。急ぐ。自分の肉体では出せないような、普段の何十倍の速度でひた走る。全身を生暖かい水気のある何かが覆っている嫌な感覚を無視しながら。

 

 それは屍。俺は今、全身に屍から剥ぎ取ったばかりの血が滴る筋繊維と骨を纏っている。

 

 死屍創術拡張術式『屍䌂大僧正(しおうだいそうじょう)』。言ってしまえば生体パワードスーツや強化外骨格とでもいうべき代物。単純な筋力量だけなら何十倍。呪具化した事を含めると普段の百倍以上を発揮できるかもしれない。

 

 本格的な死後硬直が始まる前の、死後まもない新鮮な遺体が大量に必要な術式。現代では使用する事が可能な量の素材すら揃わない、遠い過去に忘れ去られた術だ。

 

 あと数十分しか使えないが、それまで俺は純粋な身体能力だけならば特級にすら届くだろう。

 

 向かう先は呪力が急激に高まった場所。そこは渋谷のはずなのに、一切の建物が消え去った荒野だ。どんな術式があればこんな事が可能になるのか検討すらつかない。

 

 ようやく目的の場所が見えてくる。そこにいるのは夏油さんの姿形をした何者かと虎杖君、そして高専の制服を纏った者達。東京の高専を活動の拠点にしている俺には、あまり見知った顔ではない高専生達だ。つまりはそこにいるのは京都校の生徒達。──そこには、香那もいた。

 

 香那は青髪の子を守るように立って式神を出しているが、正対する夏油さんの背後で渦を巻いている呪力の塊を防ぐ事はできないだろう。その悍ましい呪力は身震いするほどの量だ。

 

「間にッ、合え!」

 

 夏油さんと香那達の間に割り込もうとして、気がついた。俺以外にもここに向かっている者達がいる事に。

 

「ッ! なら!」

「『うずまき』」

 

 接近してきた術師──日下部一級術師のが、俺よりも香那達を守るのに適していると判断。俺は夏油さんと香那達の間に割り込むのをやめ、呪力と屍を纏った拳を夏油さんに振りかぶる。

 

「……シン陰か……よかったよ。少しは蘊蓄がある奴が来てくれて。……でも、君はお呼びじゃないかな」

「──ッ!」

 

 拳が夏油さんに届く瞬間、俺の足元から異様な呪力を察知。すぐさま後ろへと飛ぶ。俺の数瞬前までいたその場所に、巨大なウツボのような呪霊が地面から飛び出た。車ぐらいなら丸呑みできそうなサイズだ。

 

「お兄ちゃん!」

「日下部さん! 歌姫さん! そっちは任せます!」

 

 体勢を立て直してから、ちらと香那達の方を見る。香那と青髪の子は無事で、日下部が刀を構えていた。シン・陰流の技を使ったのだろう。日下部さんは一級で歌姫さんは準一級。特にシン・陰流を修めている日下部さんならば心配はいらないはずだ。

 

「久しいね。司條」

「夏油さんのその身体、返してもらうぞ」

「ふふ、君の物じゃないだろう? 呪具でも創るのかな?」

 

 目の前の夏油さんと全く同じ姿の存在は、俺に馴れ馴れしく話しかけた。感じる呪力も記憶にある本物と同一だが、俺の言葉への反応から偽物と見て間違い無いだろう。

 再び殴りかかる隙を窺うが、この拳が届くビジョンが浮かばない。

 

「死者は安らかに眠るべきだ」

「──ふ、ふはは! まさか化野の死体に群がる蛆虫の末裔に死者の尊厳を語られるとは。長生きはしてみるものだね」

 

 余裕ある態度を崩さない夏油さんの偽物は、こちらの神経を逆撫でするような戯言を吐く。それでもやはり一切の隙が見いだせない。

 

 夏油さんが呪術界に反逆した大罪人であっても、その遺体をこんな風に使われているのは我慢ならない。どの口がほざくのだと自分でも思うが、夏油さんは学生時代世話になった先輩だ。その尊厳を守りたいと思ってしまう。

 

「死屍創術は私の術式と相性が悪い。万が一が怖いからね。君にはこの場から退場してもらおう」

「!」

「知っているかい? 天狗という概念の源流は、大陸の流れ星への畏れから来たものだ。それが日本へと伝わり、山岳信仰と習合したのさ」

 

 その言葉に身構える。恐らくそれは術式の開示。奴の手元に黒い球体が出現し、キャンバスに黒い絵の具をぶちまけるかように一瞬のうちに黒い穴が広がった。そこから現れるは赤い面を被りし成人男性ほどの異形。山伏のような格好をしていて、感じる呪力は一級を優に超えている。

 

「行け『赫星(チーシン)』」

『るる、るるる』

 

 現れた呪霊は力を溜めるような動作をし、赫い閃光を放って──消えた。違う、あの呪霊が俺には知覚できない速度で突っ込んできたのだ。目の前が真っ赤に染まる。そして胸部に物凄い衝撃。

 

「──ッァァア!」

「避け──」

 

 一瞬聞こえた香那の声が遠くなる。見えている景色が高速で流れていく。衝撃を感じてから数秒後、今度は背中側に大きな衝撃。ビルの外壁へ激突したのだと、その衝撃を感じてから少し遅れて理解した。

 

『るるる、るる?』

「……痛ってぇなぁ!」

 

 生身の俺ならば万全でもとっくに死んでいる衝撃だったが、今は全身に筋繊維と骨の鎧を纏っていた。再びいくつかの骨が折れただろうがその程度。まだまだ戦える。

 

「『殭掌握』」

『るるる!』

 

 『屍䌂大僧正』の左腕の筋繊維を呪霊に絡ませ、骨を打ち込んで逃げられぬよう固定した。呪霊もされるがままではなく、俺を吹き飛ばした時のように再び赫く輝き始める。

 

「させねぇよ! 『乱杙骨拳(らんぐいこっけん)』」

『る! る!』

 

 右の拳を強く握れば、身体に纏った筋繊維から鋭く尖った骨の槍が突き出た。呪力を込めて左腕ごと何度も殴る。

 

「いい! かげん! 祓われろ!」

『るぎゃ、るぎ、ぎゅ、が!』

 

 やはりあの速度で動くには溜めが必要なようで、何度も何度も赫く光り輝くのを殴りつけて妨害する。その度に呪霊が纏う赫い輝きが血飛沫のように四散した。

 

『……るぎぃ、ぎぃ……』

「これでっ! 終わりだ!」

 

 拘束する左腕の筋繊維がぐちゃぐちゃのミンチが如き肉塊へと変貌し、もはや拘束の体をなしていない状態になった頃、ようやくこの天狗擬きの呪霊にとどめをさせた。ザフッという音共に、その身体を構成する呪力が虚空へとかき消える。

 

「クソ! 早く戻らねぇと……いっ!」

 

 肋骨辺りが痛みを訴える。だがこの程度の痛みに屈するわけにはいかない。もう使い物にならなくなった左腕を切り離し、すぐさまビルから飛び降りて先の場所へと急ぐ。

 

「何だあれは!」

 

 向かっている途中、目的地付近の上空に黒い紋様が現れた。訳の分からない状況。その紋様の意味も分からなくとも、何か不吉な予感だけはずっと脳内で鳴り響いている。

 

「これが、これからの世界だよ。じゃあね。虎杖悠仁」

「五条先生!!」

 

 ようやく辿り着いた瞬間、偽夏油の周囲から数え切れないほどの呪霊の気配を感知した。偽夏油は手に持った悪趣味な賽子(サイコロ)のような呪物をまざまざと見せつけている。あれが五条さんを封印した呪物なのだろう。目標物が目の前にあるのにも関わらず、それを取り返せない事に歯噛みした。

 

 俺もその場にいた術師達も、無数の呪霊の影にその姿を消していく奴を、ただただ見送ることしかできなかった。

 

 五条悟の封印は解けず、その首謀者らしき存在も取り逃してしまう。

 この日、高専は負けてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──へぇ、あいつ司條っていうのか」

 

 渋谷から遠く離れた何処かの高層ビル。その屋上に能面を被った男が一人いた。その男は蒐獄。術師殺しから逃げた後、安全な場所へと逃げてきたのだ。そこは渋谷から十キロは離れた場所であるが、渋谷の戦闘を確かに()ていた。

 

「いやはや、一仕事終えた後の酒は身体に染みるねぇ」

 

 枡に注がれた日本酒を能面をつけたまま一気に呷る。その能面は司條と戦っていた時とは違う能面だ。延命冠者の面は、その目と耳があるべきところに青白い光を湛えている。

 

「んー。それにしても、どっかで見た覚えが……」

 

 酒が少し残った枡を揺らしながら蒐獄は考える。あの司條という男について。職業柄恨み辛みの感情をぶつけられるのは慣れているが、司條からのそれはどこか違うものを感じていた。普通の術師や呪霊よりも一層どろりとして刺々しい呪いの感情、まるで実害を受けたかのように。いや、殺意といった方が正しいか。

 

「つっても、俺のターゲットはあんな呪いの大家じゃねぇし……あ、いや、まさかあのガキか? ハハ、ハハハ! 数奇な偶然もあるもんだ!」

 

 そこで蒐獄はやっと思い出した。二十二年前、今までで唯一能面を創る事に失敗した子供の事を。手元の枡の残り僅かな酒を飲み干して立ち上がる。

 

「折角新しい時代が来るってのに、心残りがあるのは違ぇよなぁ! 忘れ物は回収してやらねぇとダメだよなぁ! ……ハハ! ハハハ、ハハハハハ!」

 

 蒐獄は喜悦を孕んだ声色で嗤って、嗤って、嗤うだけ嗤って。その場から姿を消した。

 

 

 

 

 

 あの悪夢のような10月31日(ハロウィン)から三日ほどが経ち、家入さんに治療してもらって即日復帰した俺は、避難する都民の警護を行っている。いや、即日復帰したというより、させられたという方が正しい。死に体の俺でも駆り出さなければならない程、事態は逼迫しているのだから。

 

 都内には数十万を超えるとも言われる呪霊が放たれ、もはや東京ではまともに暮らせなくなってしまった。

 

 そんな時、京都の本家から連絡が来た。

 

 司條家が何者かに襲撃されたというもの。

 

 詳しく聞くと、当主様が殺され、香那が攫われたそうだ。

 

 その襲撃者は能面を被り、黒い炎を操っていたという。

 

 ……全部、俺のせいだ。

 

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