死屍累々の丘に立つ   作:半睡趣味友

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第二十三話:昏天黒地の都に謀つ

 京都のとある深い森に閉ざされた山中。その人目の届かぬ場所を拓き建てられた、永い歴史を経てきたのだと感じられる家々に住む者達は呪術師だ。

 

 呪術師達の集団の名は司條家。御三家よりは劣るが、それでも千年近く続いている。四つの一門が一つの家を成す、呪術界でも一風変わった家系。彼らは平安の世から此処で身を隠すように、ひっそりと血と術式を繋いで生き延びてきたのだ。

 

「……義導さん、いらっしゃいますか」

 

 その広大な寺院が如き敷地内の南殿、詞諚一門が住まう館。一門の長がいる一間の障子に人影が差す。影の主の声は重い。様々な強い負の感情が混ざり合い、もはやどうにもならぬ程に。

 

「……何のようだ。()、当主殿?」

「……少し、話したい事がございまして。お身体の方は宜しいでしょうか」

「勝手にしろ」

「ありがとうございます」

 

 詞諚一門の長──司條義導は、障子の向こうへとぶっきらぼうに吐き捨てる。だが、その相手は特に気にした様子もなく、障子を開けずに話し始めようとした。

 

「待て、障子越しで話す気か? 貴様はマナーというものを知らんのか? そんな者が当主となるなど司條家の品位が疑われる。嘆かわしい」

「すみません。……失礼いたします」

 

 すっと少しの音を鳴らしながら障子が開かれる。そこで正座していたのは、一世紀前に断絶したはずの四仗一門の術式を継ぐ者。現司條家当主、司條刻嗣だ。

 

 彼が障子を開けた瞬間、薄い死臭を義導は感じ取った。死に触れる呪術師であっても嗅ぎ慣れる事はない、根源的な嫌悪感を湧きださせる臭い。いや、死が近しい呪術師だからこそ、より一層強い嫌悪感を抱くのだろう。

 

 義導は与り知らぬところだが、刻嗣は京都の本家に帰ってから丸一日北殿の工房に籠り呪具呪物を創り続けていた。悍ましい死の匂いがもはや落ちきれぬ程、身体に染み付いてしまったのかもしれない。

 

 ……もしくは刻嗣自身が亡者に堕ちたのか。黒土の底無し沼のようなドロリとした情念が燻る、その深くドス黒い目を見た義導はそう感じ取った。

 

「少し前にお目覚めとなったと聞きます。どうか楽な姿勢で耳をお貸し下さい」

「この程度の傷どうということもない。それよりもなんだその臭いは。死と血の臭いを纏わせて怪我人に会うのが貴様の道理か?」

「いえ、申し訳ありません。一刻も早くお話ししたい事がありました。この非礼、どうかお見逃しください」

 

 淡々と答えて頭を下げる刻嗣に、義導は面白くなさそうにふんと一つ鼻を鳴らす。敷布団から上半身を起こしている義導の全身には、呪力を帯びた包帯が何箇所も巻かれており、所々痛々しい火傷の痕が見え隠れしていた。

 

「何の用だ? 無様な姿を笑いに来たのか?」

「いえ、そんな事はありません。……今回の出来事は全て私の責任です。家に迷惑をかけてしまい、本当に申し訳ありませんでした」

「は、だから穢れた術式など迎え入るべきではないと、二十年前に俺は反対したんだ」

「……申し訳ありません」

 

 刻嗣は再び深々と頭を下げる。何も言い返さず、全ては自分が悪いのだと認めて。

 

「お前の親代わりとなった彼奴は黒い炎に生きながら燃やされ、この世のものとは思えぬ程の苦痛を受けただろうな。最後の最後まで『痛い痛い』と呻いていたぞ」

「……」

「そしてその実の子まで攫われた。貴様は厄病神か何かか? よくもまぁ再びこの家の土を踏めるな。その厚顔無恥さには恐れ入る」

 

 司條家は二日前に黒い炎を操る呪詛師に襲撃された。当主を含む術師や下働きの者が多数殺され、当主の娘である司條香那は件の呪詛師に連れ去られてしまったのだ。その呪詛師は刻嗣と因縁があるという。

 しばらくずっと頭を下げていた刻嗣だったが、不意に胸元から何かを取り出して畳の上に置いた。

 

「……『遺言状』だと?」

「はい」

「貴様が先代のものを預かっていたのか?」

 

 刻嗣は先代の司條家当主、司條瑞希の養子だ。その遺言状を預かっていてもおかしくはないと義導は考えるが、少し前に一門の者から先代当主の遺言状によって当主が刻嗣になった事を知らされていた。なぜわざわざ本人が此処に持ってきたのだと訝しむ。

 

「……いえ、これは私の遺言状です」

「……何?」

「司條家四十九代目当主司條刻嗣は、詞諚一門筆頭司條義導さんを司條家五十代目当主として指名し、司條家当主としての一切の権限を譲渡します」

「な!」

「ひいては司條家の忌庫の呪具呪物や高専に貸し出している呪具の全て、その他引き継いだ財産の全てを……」

「待て、どういう事だ?」

 

 一方的で矢継ぎ早に語る刻嗣の話は、まだ目覚めたばかりの義導にとってはまさに寝耳に水であった。ほんの少し前に当主となった刻嗣が、いきなりその座を義導に譲るというのだから混乱しても仕方のない事だろう。

 刻嗣は頭を下げたまま話を続ける。

 

「蒐獄……襲撃してきた呪詛師から連絡がありました。『この娘を返して欲しければ、俺の指名する人物が一人で指定する場所に来い。まだ何もこの娘には危害は加えていない。だが、指定した場所にこなければ殺す』と。……指名されたのは私です」

「まさかそんな戯言を信じる気か? 無事である保証などどこにも無いだろうに」

 

 わざわざ場所を指定してくるという事は、絶対に負ける事がないように場を整えるという事だ。それに人質も取られている。司條家の術師達、特にそれぞれの一門の長達は特別一級術師であり、それでもなおあの能面の呪詛師に敵わなかった。そんな相手が用意した場に、一級が一人でのこのこと行ったところで殺されるに決まっている。

 

「……それでも。それでも行かねばなりません。まだ香那が生きているのは確実です。それは分かっているんです」

「ふざけるな。業腹だが貴様は既に当主だ。助け出せるか分からぬ相伝術式を持つ者より、生きている相伝術式を持つ者を優先するべきだ」

「……すみませんが、それを聞き入れる事はできません。必要な事は全て此処に記してあります。身勝手で本当に申し訳ありません。……では」

 

 刻嗣は一切の義導の言葉を聞く事なく、立ち上がって背を向けた。義導は刻嗣と一瞬目があったが、やはり底なし沼のようなその眼には殺意と怒りしか見出す事ができない。その感情は呪詛師だけでなく刻嗣自身にも向けられているのだろう。唇の端を強く噛みすぎたのか血が一筋垂れていた。

 

「失礼いたします」

「……待て、一つ言わねばならない事がある。前当主の最後の言葉だ」

「……!」

 

 障子を閉めようとした刻嗣の手が止まる。刻嗣は、前当主様は俺を呪いながら死んだのだろうとそう思っていた。そうであって欲しかった。だからこそその言葉が聞きたかった。

 

 その言葉が少しでも自分への罰になってくれるだろうと、少しでも楽になりたいという気持ちだったのだ。

 

 無言で、義導の次の言葉を待った。

 

「『子供達をお願いします』。……家の者たちを守る為に能面に立ち向かい、その身体を黒い炎に巻かれながらも死の間際にただそう言った。死ぬ程の激痛だろうに自分の事ではなく、俺はお前達の事を託された」

「……」

 

 みしりと、刻嗣が閉めようとしていた障子の木枠が軋む。

 

「だというのに俺は無様だろう? 託されたというのに当主の娘をむざむざと連れ去れ、そして俺は命を繋いでいる。……俺が無様だとは分かっている。だが、言わせてもらう。お前は生きろ。彼奴の遺言を全うし、この家の当主となれ」

 

 その言葉を聞いていた刻嗣は、右手をかけていた障子を強く握り込んでいることに気がつかなかった。強く強く握りすぎ、欠けてささくれ立った木枠が手に喰い込んで血を流している事にも。

 

 木枠に滴るその血が床を赤く染めた頃、黙りこくっていた刻嗣はようやく口を開いた。

 

「……俺は、あの方の子ではありません」

「貴様!」

「俺があの方の、貴方の妹さんの子だと名乗る資格も自信もありません。……せめて死に際にあの方の息子だと自分自身を認めるためにも、香那は絶対に助け出します。死んでも絶対に助けます。だから、その後の事は頼みました。伯父さん」

 

 ゆっくりと閉じられる障子の間から見えた刻嗣の顔は、もはや生者とは思えないような形相だ。死者か亡者か。ともかく、その命を捨てる気であることだけは確かなようだった。

 

「瑞希の子ではないだと? は、……お前たちは似ている。その自分を犠牲にする所が、特に」

 

 それ以上義導は何も言えず、ただ遠くなっていく足音を聞くことしか出来ない。その両手は白くなる程に強く握られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ざぁざぁと冷たい雨が降る。匂いがキツく厚いゴムの雨合羽に雨粒がぶつかり、それが鳴らす音が煩わしかった。もう人が生きられぬ死の街東京。その海岸沿いを一人歩く。

 

 此処が東京でもはずれの方だからか、もっと人が多い場所に呪霊がつられているのか。俺はあまり呪霊とは遭遇する事はなかった。これならば少しも指定の時間に遅れることなく目的地に着くだろう。

 

 蒐獄が指定してきた場所は海岸沿いの倉庫だ。海から流れてくる磯の臭いが、どうにも俺には死臭のように感じられた。いや、俺の身体に染み付いた臭いかもしれない。

 

 コンテナだとかを保管しておくための場所。こんな状況の東京ならばどこでも同じだろうが、何かしら奴には狙いがあるのだろう。歩きながら考える。奴の狙いをではない。自分の罪の重さをだ。

 

 俺のせいでまた人が死んだ。当主様が死に、司條家の術師が死んだ。奴がなぜ司條家を襲ったのかは知らない。知らないが、それが全て俺のせいである事は分かっている。

 

 どんな事をしても罪滅ぼしにはならないだろうが、せめて香那だけは絶対に助け出す。それだけは、絶対に果たしてみせる。それが当主様へのせめてもの恩返しだ。今までいただいた恩義の一割も返せていないだろうが、それでもやらなければならない。

 

「……あそこか」

 

 指定された倉庫が見えてきた。その付近には結界が張られている。帳ではない。帳のようにドーム状の黒い結界ではなく、単結晶やシングルポイントといわれる類の水晶のような形状だ。色も煙水晶のような褐色がかった透明で、中の倉庫の様子が透けて見えている。

 

 おそらくはただの結界術ではなく、何かしらの生得術式によるものだろう。あの能面の呪物の効果である事を祈る。もし協力者が相手にいた場合、香那を助け出すのは一気に難易度が高くなってしまう。

 

「……」

 

 倉庫の結界の手前まで近づきその様子を伺う。煙水晶のような褐色は結界の表面を無軌道に動いていた。それが何の意味を為しているのか検討もつかない。一瞬入る事に躊躇をするが、すぐに迷いを振り切って結界内に入り込む。此処で立ち止まっていても仕方ない。俺の命など惜しくはないのだから。

 

「……待ってろ」

 

 足を踏み入れ完全に身体が結界内に入り込んだ瞬間、結界の色が固まった血痕のように黒い赤に染まる。もはや生きて出るつもりはない。そんな変化などに構わず、人一人分程に空いた扉から倉庫の中に入る。雨合羽のフードは被ったままでだ。

 

 薄暗い倉庫内を真っ直ぐに歩く。強い呪力がある方へと真っ直ぐに。かなり広い倉庫の真ん中辺りだろうか。そこにいた。能面をかけた呪詛師、蒐獄が。

 背後にはそれぞれ違う能面をかけた影法師が七体控えている。その能面から感じる呪力は、少なくとも全てが一級呪霊並だ

 

「おっと、そこまでだ。背負ってるケースと刀を捨てろ」

 

 奴との距離が十メートル程になったところで、背後の影法師の一体が青白い稲妻を放ってきた。俺の足元のコンクリートをじじりと削り、黒い焼け跡の線が刻まれる。まともに喰らったら死ぬなと、どこか他人事のようにそう思った。

 

 俺が背負っているチェロケースと刀を捨てた事を確認すると、奴は嬉色を孕んだ嫌らしい粘度すら感じる声色で語りかけてくる。

 

「少しぶりだな。司條……いや、赤桐刻嗣君?」

「……指定通り来たぞ。香那は何処だ」

「ハハ、やっぱお喋りは嫌いか」

 

 赤桐。俺の旧姓。司條家に拾われる前の、呪術など知らなかった頃の名前だ。それを奴は悪意たっぷりに嗤いながら俺に言葉を投げかける。いつ奴は俺の事に気が付いたのだろうか。渋谷で会った時からか、一度戦った後だろうか。だが、もうそんな事はどうでもよかった。

 

 殺す。そして香那を助ける。それ以外に俺がすべき事はない。

 

「答えろ。香那は何処だ」

「ハハ、せっかちだな。ほら、ここにいるぜ」

 

 蒐獄がヘラヘラと軽い調子でそう言って、その身体を半身横に移動した。背後の影法師も少し動き、奴らに隠されていた俺の視界の先があらわとなる。そこには香那が両手両足を縛られた状態で倒れていた。意識はないが目立った外傷もなくその衣服に乱れはない。だが、その額には悍ましい呪力を放つ呪符が貼られていた。

 

「さて、安全は確認できたか? 人質の価値が下がるような事はしてねぇぜ。……まぁ、運んでる途中に何処かしら触ってるかもしれねぇが文句は言うなよ? 生きてるだけマシだろ?」

「……無事なんだろうな」

「ああ、もちろん。お薬で眠ってもらってるだけだ。……ただ、お前が変な事をすれば、この綺麗な顔に火傷が残るかもな。ハハハ!」

「……チッ」

 

 あの呪符から感じる呪力は黒い炎の残穢と同質だ。もし意識がない状態であの炎に焼かれたら、火傷どころか命に関わるだろう。俺は下手な手は打てないという事か。

 

「で、何で俺を呼んだんだ? 殺されたいならすぐに殺してやるよ」

「ハハ、怖い怖い。でも、これからこの国が面白くなるってのに死ぬ訳にはいかねぇよ。……忘れ物の回収に来たんだ」

 

 奴は黒い経帷子の袖から何かを取り出し、俺の方へとぽいと投げた。俺の足元にその物体がぶつかる。能面だ。木彫りの能面が無感動な目で俺を見上げている。

 

「俺の生得術式は『魂鎮法術(みたましずめのほうじゅつ)』だ。魂魄をちょっと弄る事ができるだけの、戦闘にはてんで使えねぇ雑魚術式」

「……」

 

 それは術式の開示。自らの術式を最大限に発揮するためのものだ。一切聞いてやる義理もないし、聞きたくもない。奴が急に術式について語り始めた事で、何をしようとしているのかを薄々と察した。

 

 今すぐにも殺してやりたい。だが、今の俺には黙ってそれを聞く事しか出来なかった。

 

「『魂鎮法術(みたましずめのほうじゅつ)』ができる事は大分して二つ。その名の通りに生者の魂魄を正しい形に整える事、死者の魂魄を鎮める事だ。その能面──甦魂能面(そこんのうめん)はその後者を応用させた呪物」

 

 俺の足元に転がっている能面から感じられる呪力は微量だ。蒐獄の背後に控える七体の影法師のかけるそれとは違い、奴の呪力しか感じられない。その能面のように、それぞれが全く別の呪力を纏ったりはしていない。今は、まだ。

 

「その能面をつけた状態の人間を殺すと、能面がその遺体から肉体の情報を複製するんだ。もちろん肉体に刻まれている術式の情報も含めた全てを。だが、ここまではまだ前座。大切なのはここからだ」

「……」

 

 元々推測はしていたが、あの能面がそれ程までに悍ましい過程を経て製作されているものだとは。肉体だけ複製したところで、あんなにも禍々しい呪力を纏う呪物にはならないだろう。その話の続きは簡単に予想できた。

 

「完全に肉体の情報を複製した甦魂能面は、新たなる魂の『器』となる。魂の情報などではなく、その魂そのものを受け入れる器に」

「……」

「つまり、この能面は生きている。勿論永遠というわけではない。だが、数世紀は魂を能面に抑留する。……まぁ、身体が木彫りの能面になっちまってるから、魂を死ぬ程の苦痛が絶え間なく直に襲う。その拒絶反応を利用して、能面自体が呪力を生み出し続けるんだ。イカすだろ?」

 

 こいつは俺を能面にする気なんだ。命を奪い魂を抑留し、自らの蒐集品を増やすために。随分といい趣味をしている。

 

「さて、術式の開示も呪物の詳細も開示した。ご静聴感謝するぜ? 刻嗣君?」

「……で、俺にどうしろと?」

「おいおい分かってるだろ? その能面をかけろ。そして俺に殺されんだよ」

「……」

 

 そういう事だろうと思った。足元の能面を拾い上げる。薄紅、橙色の肌をした小さなツノの生えた能面だ。

 

「……『生成(なまなり)』か」

「お、知ってるのか。お前らしくていいだろう?」

 

 俺はその能面の面種を知っていた。二十二年前のあの日から、少しでもこいつのことを知るために様々な事を調べたからだ。余りにもこいつの情報がなく、能面の種類のようなどうでもいいだろう事すら覚えるほどに。

 

「『般若』の成り損ないの半端者。二十何年も女々しく怨み続けたのに、俺への復讐も果たせず呆気なく無様に死ぬお前に相応しいと思わないか? その空虚な人生にピッタリだろ? ハハハ!」

「……」

「お前のことを考えながら丹精込めて打ったんだぜ? あぁ、お代と感謝はいらねぇよ? 死んでくれればな」

 

 無表情に見つめる『生成』の能面は、確かに俺にピッタリだろう。そればかりはあいつの言うことに賛同できた。きっと愚かな俺にはこんな最後が相応わしい。死後も魂だけになっても苦しむ最後が。

 

「俺がこれをつけて殺されたら、香那を無事に解放するんだな?」

「ああ、もちろんだ。これは縛り。俺はもう二度とこの娘に指一つ触れない事を誓おう。……あ、呪符を剥がす時に触れるのはノーカンな?」

「チッ」

 

 最後までヘラヘラとした野郎だ。どこまでも神経を逆撫でてくる。だがそれに従うしかない。そうしなければ、すぐにでも香那は殺されてしまうのだから。

 

「さ、もうつけていいぞ。殺すから。……いや、最後に遺言の一つぐらい聞いてやるよ。言い残した事は?」

「……そうだな。お前は、お前が殺した俺の家族の数を覚えているか?」

「質問かよ。まぁいいや。……二十年前のお前の両親に妹だろ? 三人だ」

「違う」

「あ? ……ああ。司條家の当主か? お前を養子として育てたそうだったな。じゃあ四人だ」

「……」

 

 こいつにとっては他人の命などどうでもいいのだろう。昨日の夜ご飯を思い出すかのような気楽さで、何の負い目もなく殺した者達の命を数えた。本当に理解し難い悪人はいる。こいつのように腐った魂で他者の魂を易々と穢すような奴が。

 

 俺はその『生成』の能面をつけた。削ったばかりの檜の匂いが鼻につく。雨合羽のゴムの臭いよりは幾分かマシだった。

 

 俺がちゃんと能面をつけたことを確認し、蒐獄は黒い経帷子から拳銃を取り出した。その重厚感のある鈍く黒光りした金属の塊からは呪力は感じられない。奴自身は近づいてくるつもりはなさそうだ。付き従う七体の影法師も、それぞれ油断せず俺に警戒を向けている。隙はない。

 

 ……ああ、しかし。拳銃か。どんな術師も人間だ。銃弾一発当たれば十分殺傷できる。動かない相手を安全な場所から殺すのに、これ以上確実な武器はないだろう。あの五条悟でも拳銃に撃たれたら怪我を負う。まぁ、当たればの話だが。だからこそ思う。良かったと。

 

「呪力で殺しちまうと上手く肉体の情報を複製できない時があるんだ。俺の術式で強制的に呪いに転じさせてるからか、こういうの(拳銃)で殺すのが一番いい」

「……どうでもいい。とっとと殺れよ」

「ハハ、あばよ。いい死出の旅を。──まぁ死ぬのは一瞬で、お前は俺に一生能面として使い潰されるんだがな」

 

 パンパンと、乾いた銃声が二度響く。それは倉庫の中で錆の目立つコンテナ群を震わせ、そして反響し味気ない余韻を残して空気に溶けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つまんねぇなぁ。あー、つまらねぇ」

 

 力無く倒れた刻嗣の遺体を見ながら、蒐獄はそう呟く。まさかこんなにも呆気なく死ぬとは。少し拍子抜けしていた。

 

「この娘を犯すなり半殺しにするなりしておけば、怒り狂って襲いかかってくれたのかね?」

 

 蒐獄は戦いは好きだ。拮抗した戦いが好きなのではない。自分を殺すのに必死な相手を一方的に殺すのが好きなのであって、別に戦闘自体に拘りはなかった。二十何年間も呪ってきただろうに、こうも簡単に死んでくれるとは大した呪いでもなかったんだなと考える。

 

「……今回は奪える術式が分かっちまってるからなぁ。あんま面白くねぇし」

 

 蒐獄が標的として狙うのは、一般家庭に時折現れる術式持ちの子供だ。各地に適当な呪霊を置いてそれを認識出来ている者を標的とする。

 

 呪力だけ持っている者であったり、呪霊が見える程度の者も多いが、偶に大当たりが出る。その不安定さを蒐獄は楽しみにしているのだ。一種のくじ引き、ガチャとでも表現しようか。他者の命を理不尽に奪い自らの娯楽に使い潰す事に、蒐獄には一切の良心の呵責を覚えない。むしろ弱者の命を自分のために使うことに、優越感からくる快楽さえ得ていた。

 

 子供はいい。家族を目の前で殺して少し痛めつけるだけで、簡単に恐怖を覚えてくれる。能面には魂も縛り付けてある為、術式は未成熟な子供から奪った方が研鑽しやすい。それに能面にその魂を縛りつける直前、負の感情を強く覚えれば覚えるほど能面となっても強い呪力を発するのだ。

 

「『死屍創術』ねぇ。……ま、七十点ぐらいだな。相伝術式らしいし、蒐集物(コレクション)の片隅にでも加えてやるか」

 

 蒐獄がもう術式が割れている刻嗣から能面を創ろうとするのは、過去のやり残しを綺麗に生産する為だ。慎重に計画してから標的を襲う蒐獄だが、今までで唯一刻嗣から能面を創るのには失敗してしまったのだ。それが蒐獄にとっては何かしこりのようなものをずっと感じていた。

 

 茶碗に残った一粒のご飯のような、綺麗なトイレにへばり付いた少しのクソのような何かを。

 

「……そろそろだな」

 

 体感からしてもう肉体の情報の複製も、魂をその偽りの器に縛りつけるのも完了する時間だ。ちらと後ろで気絶する娘──香那をちらと見てから、刻嗣の遺体へと向かう。 

 

 確かには手を出さないという縛りはした。縛りは絶対だ。特に他者間との縛りは。だから能面を回収し呪符を剥がした後は、この結界を解き呪霊を呼び寄せよう。そして四肢が拘束された状態で呪霊に貪り喰われるのを鑑賞しようと、蒐獄は考えていた。

 

 わざわざ安全な場所に運ぶ義理もない。蒐獄はいまいち刻嗣の呆気ない死に様に満足しなかったし、生きながらに喰われる絶叫を聴けば少しは心が満たされるだろうかと思ったからだ。指一本も触れないという縛りは結んだが、香那を呪霊から守るなんて縛りは結んでいない。

 

「しょうもねぇ人生だったな、お前」

 

 力無く倒れている刻嗣の遺体を見下ろした蒐獄は憐れむような声色で語りかけた。本心からそう思っていたのだ。馬鹿な奴だなぁと。

 

 とっととその能面を回収しようとして手を伸ばす。『生成(なまなり)』の橙じみた表面に触れ──その腕を強く掴まれる。

 

「──少しぶりだな、蒐獄」

「な! 俺は確かに心臓を……ッ!」

 

 蒐獄は確実に心臓を撃ち抜いていた。今まで何度もやってきたのだ。失敗する訳がない。銃創から流れ出る血液は地面に血の水溜りをつくっていて、その量は致死量をとうに超過している。

 

 蒐獄は数秒の間殺したはずの男が自分の手を掴んだ事に驚く。だが、瞬時に今目の前の男がされたら嫌な事について考え、すぐに行動に起こそうとした。

 

「『起ば』」『あ゛ぁぁあ゛ぁ゛あ゛!』

『くるなくるなくるなくるな!』

『いやだいやだいやだいやだ!』

『たすけてたすけてたすけて!』

「……ッ!」

 

 香那の額の呪符を起爆しようとした所で、蒐獄と刻嗣の周りにボーリングの球ほどの歪な球体が何個も落ちてきた。それは耳障りな絶叫を上げ、それを聞いた蒐獄とその影法師の動きが止まる。その絶叫は断末魔というのに相応しかった。

 

「らぁ!」

「……かはぁ!」

 

 刻嗣が寝転んだまま両足を揃え、蒐獄の腹をドロップキックをする様に蹴り飛ばす。身体の動きが固まったままの蒐獄のどてっ腹に突き刺さり、そのまま数メートル吹き飛んだ。

 

『いだいいだいいだいいだい!』

『しにたくないしにたくないしにたくない!』

『どこどこどこどこどこ!』

「これは『殭星頭(きょうせいず)』。死の間際の人間の言葉、その断末魔に宿る言霊を増幅させる呪物だ。呪言なんて高等術式じゃねぇ。聞いた者の体の自由を少しの奪うだけの、呪詛とでもいうのが正しい」

「……ッ!」

 

 ゆらりと立ち上がった刻嗣の術式開示。それによって緩みかけてきた身体の拘束が、より一層強固なものになったのを蒐獄は感じ取った。蒐獄に向けられる呪いは影法師に分散されるが、その影法師も全てが呪詛を喰らっているせいで容量が溢れてしまう。いや、七体も出していたせいで、受ける呪詛の総量が増えていたのだ。

 

「はァ!」

 

 刻嗣は自分の能面を握り砕き、顔をあらわにさせる。怒りと殺意だけが溢れるその顔には赤黒い紋様が直接刻まれていた。代赫の隈取りのようなそれは、雨合羽を深々と着ていたから隠されていた紋様だ。雨合羽を邪魔だと言わんばかりに脱ぎ捨てる。

 そして、腰に巻かれたガンベルトのポーチの一つを開けた。

 

「なっ、……ぜ……!」

「心臓を撃ち抜いたのに俺が生きているか不思議か? 簡単な事だ。俺は元から死んでいた。死人の心臓を撃ち抜いた所で、何の意味もねぇよなぁ!」

「……っ、お、ぉおおぉおおお!」

 

 ポーチに右手を突っ込んで取り出すのは、赤褐色の粉末が入ったカプセルだ。掴めるだけ掴んだそれを、躊躇いなく全て飲み込む。刻嗣の呪力は禍々しく膨れ上がっていく。

 

「『殭星頭』の効果ももう切れる。だから、その前に決めさせてもらうぞ!」

「!」

 

 刻嗣は胸の前で両手首を交差させ、小指だけを蛇が絡み合うように交差させる。そして残った両手の指をそれぞれ影絵の鹿のような形にした。

 それは掌印。降三世印と言われる印相だ。貪瞋痴の三毒を伐ち祓うとされる守護神を表すもの。

 

「領域展開『死處胎蔵界(ししょたいぞうかい)』」

 

 莫大な呪力と確固たる決意を宿し、刻嗣は静かにされど力強く言葉を紡ぐ。次の瞬間、刻嗣と蒐獄の目の前が黒く染まった。

 

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