極ノ番。それは永き年月を経て研鑽された術式の奥義、終着点とでも言うべき術。その術式を極め理解し、最大限にその性能を引き出した術師に限り発動できる術だ。
であるならば、死屍創術の極ノ番である『ヒルコノカミ』とは何か。
その発端は呪術全盛、平安の世にある。
その頃、この術式は死屍創術という名ではなかった。『死屍操術』と、あくまで他の操術と同列の術式として扱われていたのだ。死屍操術の術師は大陸から渡来した術師──道士と言うべきか──の末裔であり、死屍を殭屍という傀儡として加工し、他の操術のように操る術式であった。
平安の世という現代とは比べ物にならぬ程に死体が手に入りやすい時代、死体が多ければ多い程その戦力を増す死屍操術を相伝とする一族は、
現代のように病や災害の原因が解明されておらず、それらに対する恐怖は強力な呪霊の胎盤となり、またその数も多かった。それに対抗するためには、戦力を多く保持できる死屍操術はうってつけであったのだ。
だか、最大限にその術式を扱えるような環境にありながら、それなりの地位以上にはなれなかった。
その理由は簡単だ。よその国から来たような術師がそう信用される訳がないし、元より京を守護する土着の術師たちからしても面白くないだろう。それに加えて屍に触れるという行為は、神道や同時期に大陸より伝来した平安仏教ではケガレとして禁忌扱いされていて、彼らはケガレに触れる者として忌々しがられ、迫害すらされていた。
そんな死屍操術を継承する一族の当主は考える。どうすれば家の名誉をより素晴らしき物にし、地位を盤石な物にできるのかと。そんなある日、死屍操術の一族に赤子が生まれた。しかし、その子は死産であった。
それは平安の世では珍しいことではない。七歳までは神の子。そんな言葉があるように、医療が発達していない時代では子供は死にやすかったのだ。
だが、当時の一族の当主は閃く。
『“これ”は使えるぞ』と。
この術式が忌々しがられ、迫害されているのならば、そんな扱いが出来ぬような圧倒的な力を御すればよい。未来ある幼子、成長していく胎児を素体にすれば、もっと強力な呪いを創り出せると同時の当主は考えたのだ。無垢なる赤子であればある程、その魂は呪いに染まりやすいと。
──そして、それは正しかった。
完成した『ヒルコノカミ』の原型は確かに強力な忌み物だ。しかし、当たり前というべきか何というべきか。そのあまりの製造方法の悍ましさに、いくら生命の価値が低い平安の世の呪術師たちでも許容する事は不可能だった。呪詛師の一族として族滅すべしという方針すら定まりかけた。
皮肉な事だ。一族の名誉を燦々と輝けるものにする為に創った忌み物により、その一族は危機へと陥ったのだから。
だが、族滅の危機を救ったのも『ヒルコノカミ』に他ならない。もはやそれを極める事しか一族が存続する道はなかったのだ。
元は呪霊を祓う為の『ヒルコノカミ』の原型は、縛りによって対人特化の性能となり、呪霊には使用不可となった。
『悪辣にして冒涜、人の禁忌を犯し尽くす非道の術理。語るも憚られる其の秘奥。悍ましき技法であり、唯一の例外なく生命を奪う忌むべき外法』
そんな風に言われるのも当たり前だ。その頃から、死屍を操る術式ではなく死屍を創り出す術式だと蔑まれ、『死屍創術』と恐れと嘲笑がない混ぜの呼び名で呼ばれるようになった。
本式の『ヒルコノカミ』は俺には創れない。古き死屍創術の術師たちは、あまりにその忌み物を強くする事に執着しすぎた。そしてその果て、極ノ番となったそれは女性の死屍創術の術者にしか創り出せなくなったのだ。……いや、あくまで効率的に家系を存続させる為に、男の血統を残す目的があってその方向へと歪んだ発展を遂げたのかもしれない。
本式の『ヒルコノカミ』は母体と胎児の死をもって完璧な物へと転ずるのだから。
体内は一種の領域であり、それは胎内もだ。領域とは自らの世界。自らの胎内ならば込める呪力は極限までロスを少なくでき、死体を呪物に転じさせる術式も最大限以上に発揮できる。
そうして母体の命を代償に産まれ堕ちるのが、日本神話における
名前は呪術とは切っても切り離せない重大な要素。例えば、降霊術ではその対象の出生時の名を使うのがセオリーであるように。
名前はその存在を歪ませ、在り方を規定する。神様などと大層な名前を魂と紐づけられた忌み物は、その名の通りに荒御魂となって一族を襲う者達を殺し尽くした。
そのまま一族は山奥に隠れ潜み、一応は都から追い払えたがそれ以上この一族を刺激したくない他の家の術師達も静観を決め込んだ。より深まった嫌悪と迫害の理由を残して。
そしてその迫害された一族は、京都から他の家に取り込まれるぐらいならと逃げてきた術師達と手を組み、それが司條家の前身となるのだが──今はそんな事はどうでもいい。
今大切なのは、体内は一種の領域であるという事だ。
体内が一種の領域であるならば、領域は一種の体内と解釈できる。このやり方でしか『ヒルコノカミ』を完全な状態で成立させられなかった。男の俺でも領域内ならば『ヒルコノカミ』を“出産”できる。
俺の領域『死處胎蔵界』は条件を揃える為の舞台装置。領域の死体を領域内限定で、相当の呪力を消費して呪具呪物に換える事が出来るだけの効果など、元々蒐獄に対する戦力として見ていない。必要としたの環境要因による呪術行使へのバフ。
黒閃を発動できたのは僥倖だ。それで俺の実力以上、潜在能力の全てを発揮できた。
右手ごと骨片で突き刺された『ヒルコノカミ』が、ドクンと不気味にその死屍を胎動させる。
「……ッ!」
『ぁ゛あ゛』
瞬間、俺の接続されていた左腕が消えた。いや、違う。“喰われた”のだ。右手に握られた忌み物によって。──良かった。無事に生まれ堕ちた。
急激に質量が増えた事によって、“それ”が右腕から抜け出した。そしていまだ逆拍手を続けていた大地の屍達を喰らう。二十二年間の死は、その魂を酷く飢えさせたようだ。
『ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛』
大地が急激に凹んでいく。自分の何十倍の大きさの屍を、数秒単位でまるまる一つ喰らい尽くしていた。いや、遺体を喰らえば喰らうほどに、その姿をより巨大で悍ましきものへと変貌させている。
──その姿を黒い炎が飲み込んだ。
「ハハハ! 残念だったな! どんなに強力な呪いだろうが、呪力を持つなら俺の前では燃料と変わらねぇよ!」
蒐獄は灰にしてやると言わんばかりに、黒い炎をさらに激らせて『ヒルコノカミ』を燃やす。あの黒い炎は本当に強力だ。術師だろうが呪霊だろうが呪物だろうが、それらは全て呪力が根幹にある以上、その効果からは逃げきれない。あらゆる存在に対し、あの炎で燃やす事は最善策であると言える。
──だが、この忌み物に対してその黒い炎は最悪手だ。
『ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛あ゛づぃ』
「……な、に?」
黒い炎が掻き消える。いや、『ヒルコノカミ』がその大半を取り込んだのだ。すでに成人男性の体格を優に超えたその存在は、まだまだ飢えが収まらないのか、その身に少し燻る黒い炎など意にもかえさず屍を貪っている。
「……『ヒルコノカミ』はその身に受けたあらゆる呪術的事象を解析し、その身に取り込む」
『ぼぼ、ぼ、ほの゛お゛ほの゛お』
「ッ!」
俺の言葉は術式の開示。ダメ押しだ。ただ、もう大した意味もないだろう。蒐獄が死ぬ事はもはや確定事項となった。無限の可能性を持つ赤子や幼児のように、この忌み物は対象を殺し尽くすまで進化する事をやめない。
四つん這いで獣のように死肉を貪っていた『ヒルコノカミ』だが、やがてむくりとその身体を直立させた。人間のシルエットによく似てはいる。だが、違う。致命的な所で狂っているのだ。赤く輝く紋様が刻まれたその冒涜的な姿は、人間というよりもやはり荒御魂と呼ぶに相応しい。
三メートルほどの体躯の異形が放つ、異様なまでに濃密な呪力は死を強く想起させる。
『ほのお゛ぉ゛ぉ゛お゛お゛お゛!』
ようやくその飢えを満たしたのだろう。底無し沼のような夜空に咆哮する。夜空の綺羅星のような眼球が破裂して、赤黒い血の雨を降らせた。同時に全身から黒い炎を噴出させる。
その黒い炎は蒐獄の怨恨を凝縮したかのような黒色ではない。夜空の星々の間隙を埋める黒い空白のような、その虚無のような一切の艶が無い黒。炎からは温度を感じられない。むしろ理解し難い深淵を覗き込んだ時に背筋を襲う、恐怖を伴った底冷えのような悪寒すら感じた。
「『七騎影塚守』!」
蒐獄の影から七体の黒い人型が現れ、それらが一つの巨大な存在となった。『ヒルコノカミ』と同等に巨躯の、大槍で武装した鎧武者のような姿だ。鈍重そうな姿からは予測できないほどの健脚で駆け出し、その影の大槍を突き刺した。
『ぃい゛ぃだぁ゛い゛』
「!」
だが『ヒルコノカミ』は胴体に風穴を開けられながらも、影の鎧武者にその腕を一振りする。鎧武者はなんの抵抗もなくハサミで紙を両断するが如き容易さで二分され、その姿を力無く影に溶かした。
「ッ!」
呆気なく鎧武者が破壊された蒐獄は、身体を反転させて逃げ出そうとする。領域の中で何処に逃げるというのか。すぐに屍にその足を掴まれ、屍達が群がり身体の自由を奪った。
ゆっくりと、『ヒルコノカミ』が蒐獄に近づいていく。
「クソクソクソ! 『
『ほ゛の゛お゛ぉ゛ぉ゛お゛!』
蒐獄の炎と『ヒルコノカミ』の炎は一瞬の拮抗すらせずに、後者の夜空の果ての虚無が如き黒い炎が飲み込んだ。蒐獄の全身を燃やし、爛れさせる。今まで何人もあんな風に殺してきた奴にはお似合いの最後だろう。
「お゛ぉ゛! ぉぉお゛ぁあ゛ぁぁあ!」
『うぅ゛ま、うま゛ぅ゛ま゛』
蒐獄は生きて焼かれながら、その肉体を『ヒルコノカミ』に貪り喰われている。想像しうる限りで最悪の苦痛。
だが、その姿を見ても俺はなんとも感じなかった。もちろんこんな奴に可哀想だとか憐憫の情は抱かない。しかし、二十二年間の恨みを果たせたのにも関わらず、俺は何の達成感も感じていなかった。
「……復讐なんて、するもんじゃねぇな」
頭の中に『復讐は何も生まない』なんて、そんな安っぽい映画で三流役者が叫んでそうな言葉が浮かぶ。この復讐に意味なんてなかった。何も生まなかった。いや、それどころか余計な犠牲を生んだだけだ。
当主様は死に、香那を危険に晒してしまった。俺が二十二年前に復讐を決意してしまったせいで。
「お゛前も゛ごろ゛ず!」
黒く炭化しかけている能面をかけた蒐獄の生首が、俺に向かって突撃してきた。その光景を見て、あぁ、将門公は首だけで京を目指して飛んだのだったなと、彼の者の伝説を他人事のように思い出す。
『ぁぁ゛』
「ぐびゃ」
俺の目の前でその生首が潰れる。呆気なく、完全に蒐獄は絶命した。その理由は『ヒルコノカミ』が叩き潰したからだ。手にこびりついた潰れた蒐獄の頭部を、『ヒルコノカミ』は啜るように喰らう。喉がゴクリと動いてそれが嚥下された事を示した。
俺を助けた訳ではない。むしろ真逆だろう。『獲物を取られる訳にはいかない』と、そんな理由。
次は俺だ。
俺も黒い炎に焼かれ、そして生きながら喰われるのだ。
『あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛』
「……俺の下らない復讐に付き合わせて悪かった」
目の前の弟か妹になる筈だった存在に謝る。過ぎた力を貪った代償は、命を持って精算しなければならない。
抵抗はしない。できない。もはやこの領域は俺のものではない。既に目の前の『ヒルコノカミ』に乗っ取られている。
二十二年間の俺の罪の証。俺は彼か彼女に殺されるべきなのだ。
悔いはもうない。香那を助ける事が出来た。俺のクソみたいで空虚な人生で唯一の成果。それを最後に達成出来ただけよかった。あの世とやらがあるならば、当主様に土下座できるだけの面目は守れただろう。
目を瞑る。死を受け入れる為に。
ぱりんと、薄いガラスを割ったかのような音。冷たい死屍の肉だけがなす世界ではあまりに浮いたその音に、思わず俺は閉じていた目を開ける。
「ッ! お兄ちゃん!」
赤と黒一色の世界にヒビが入っていた。『ヒルコノカミ』の右後ろ、数メートルの場所に現れた空間のヒビ割れ。そこから香那が身体を乗り出していて、左手首の銀のブレスレットが白く輝きだす。
一瞬の内に世界は白い光に包まれた。