死屍累々の丘に立つ   作:半睡趣味友

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第一章『渡益山騒乱』
第三話:腑抜けと腑分け


 肉と合成繊維が焦げた臭いが混ざり合った異様な臭気が、鼻の奥を刺激する。喉の奥に胃の中のものが逆流してくるのを感じた。

 

「痛い、痛いぃぃい!」「何で、なんでなんでぇぇえ!」

 

 目の前で、ドス黒い炎に巻かれた親が熱と痛みに泣き叫んでいる。一切の光を吸い込む深い闇の具現のような、人の心の怨みを全て一つに凝縮したかのような禍々しい黒い炎だ。床もカーペットも燃やさずに、人体と服だけを執拗に焼き焦がしている。蛇が獲物を絞め殺すように、執拗に執拗に焦がしている。

 

「たす、けて、お兄ちゃ……」

 

 妹は両親よりも身体が小さいから、黒い炎に身体をもう殆どを燃やし尽くされてしまったのだろう。 黒い炎は真っ黒に焦げた小さな身体に僅かばかり燻るだけだった。しかし、目蓋が溶けて歪に固まり、もうまともに見えていないだろうに、最後の力で俺に向かって助けを求めて手を伸ばした。

 

 俺は、その手が灰となって崩れるのを、ただただ無力に見ていることしかできなかった。

 

「つ、うぇえぇ」

 

 びちゃびちゃと、ついに堪え切れなくなって胃の内容物が足元を汚す。それが妙に白いのは、みんなで食べたケーキが消化し切れていないからだろう。

 お祝い事がある時には、家族みんなでケーキを食べるのが我が家の決まりごとだった。少し前まで、家族で楽しく食卓を囲んでいたはずなのに、どうしてこんなことになっているのかについて思考を巡らすが、急な衝撃にその思考が中断させられる。

 

「っぐ、はぁはぁ。……がぁ!?」

「ハハハ、(きった)ねぇな」

 

 地面にうずくまった身体の脇腹を、思いっきり蹴り抜かれた。その衝撃はまだ六歳の身体には大きすぎ、居間の壁にすごい勢いで激突する。背中を強打して、口から空気の塊が出た。呼吸が上手く出来ない。意識が遠くなっていく。

 

「早いとこずらかるか。高専の奴らが感づいてもめんど……ハハ、もう来やがったか!」

 

 黒い闇に薄れゆく意識の中で最後に見たのは、能面を被った男が黒い炎を両手に纏う所だった。

 

 

 

 

 

「……さん! 司條(しじょう)さん! 高専に着きましたよ」

「……ぅ。ああ……すみません。助かりました」

 

 運転席に座る中年の補助監督の声で目を覚ます。ひどく昔の夢を見ていたようだ。背中が嫌な汗で湿っている。時計を見ると二時の半ば程で、“マジピンタ”とやらはされなくて済みそうだ。

 

「しかし、司條さん。大丈夫ですか。ひどくうなされていましたけど」

「心配かけてすみません。とんぼ返りのせいであまり眠れてなくて」

「大丈夫ならいいんですが……。お疲れ様です」

「お気遣い感謝します。運転ありがとうございました」

 

 一言そうお礼を言って、となりの座席に置いであるお土産と、足元に置いた大きめのペット用のキャリーバックを右手に持って車外へ出る。トランクに積んであったチェロケースを、四苦八苦しながら本来肩にかける部分をたすき掛けするようにして何とか背負う。

 久しぶり(・・・・)に左腕がなくなり、重心のズレと不便さを実感しながら、待っている五条さん達の元へと急いだ。

 

 

 

 

 

「上の連中全員殺してしまおうか?」

 

 扉を開けると、五条さんが殺気立った様子で物騒な事を言っていた。普通は絶対出来ないような事でも、実際に出来てしまう冗談みたいな実力を持つ人が言うと、冗談にならない事をこの人は知っているのだろうか。まぁ、この人はそんな事はしないだろうが。

 

「し、司條さん」

「お、司條。ギリギリセーフだね」

 

 高専の敷地は広大で、荷物も多く持っていたせいで少し時間がかかってしまった。時計は二時五十七分を指していて、何とか間に合った形だ。部屋の中に入って、伊地知にお土産の入ったビニール袋を渡しながら口を開く。

 

「伊地知、回収の手筈と新幹線の予約ありがとうな。助かった。これ、土産だ」

「え、い、いえ。仕事ですので。お土産なんて悪いですよ」

「ちょっとちょっと、僕の分は?」

 

 五条さんがさも自分の分があるのが当然のように口を挟んでくる。その声色にキレそうになるが、この人のせいでそれなり以上の呪霊と戦ったあと数時間しか寝れていないのだから、それこそ当然の権利だろう。

 

「ありませんよ。あなたの分なんて」

「えー、何でだよ。あ、もしかして怒ってる?」

「……逆に怒ってないと思いますか?」

「オイオイ顔怖いぜぇ。ほら、スマイルスマイル」

「……」

 

 新幹線で寝ている時に伊地知から電話が来て、急いでデッキに移動して出たら、伊地知の携帯を奪った五条さんだった時は本気でキレかけた。着信拒否した意味がない。

 

「おい伊地知。僕にお土産よこせよ。先輩命令だ」

「え、ちょ、五条さん」

 

 目隠し軽薄野郎の一々イラつく言動を無視していたら、今度は伊地知にうざ絡みし始めた。さすがに伊地知が可哀想なので口を開く。

 

「……二箱買ってきたんで、一箱ずつどうぞ」

「ちゃんと僕の分も買ってきてんじゃーん。やっぱ、司條は気がきくなぁ。さて、中身は……あれ?」

 

 伊地知からお土産の入ったビニール袋を奪い取った五条さんは、その中身を確認して少し間の抜けた声をあげる。わざわざコンビニで買い物してビニール袋を貰った甲斐があったようだ。細やかな復讐が成功したことに、少し気が晴れる。

 

「ちょっと、司條。なんで地方出張のお土産が東京ばな奈なのよ」

「仕方ないでしょう。向こうで買う時間なんてなかったし、お土産を買う場所のご当地を買って来いって言ったのはそっちでしょ」

「落語みたいなこと言いやがって。……まぁいいや。僕、甘いの好きだし」

 

 ささっと梱包紙を開けて、うまうまと東京ばな奈を食べ始めた五条さんに、今からここで解剖するんじゃねぇのか何でここで食ったんだコイツと思う。特級になる人はどこかイカれてるのかもしれないと変な所で感心していると、これまでのやり取りを黙って見ていた家入さんが口を開いた。

 

「騒いでるとこ悪いけど、宿儺の器を解剖(バラ)さなくていいの?」

「ふう、司條もきたし、もう初めていいよ」

「んー、好きに解剖(バラ)していいよね」

「役立てろよ」

「役立てるよ。誰に言ってんの」

 

 家入さんと五条さんがそんな会話をしているのを聴きながら、荷物を邪魔にならないように部屋の端に置く。

 

「司條、こっちに来て」

「はい? どうかしましたか?」

 

 ガンベルトも外した所で、家入さんに声をかけられた。宿儺の器の遺体が寝かされた解剖台の元へ行く。

 

「手袋はめるから、手を出して」

「え、い、いや。大丈夫です。自分は近くで観させもらうだけで大丈夫ですから」

「オイオイ司條。恥ずかしがってるんじゃねぇよ。ククッ、手袋はめてもらえって」

 

 目隠ししているのにニヤニヤしてるのがわかる顔と声で、クソ目隠しが囃し立てる。そんな五条さんの様子に、家入さんは少し怪訝な顔をしながらまた口を開く。

 

「少しでも多くの情報を得るためにきたんだろう? それなら触れた方がいいんじゃないのか?」

「あー、まぁ、はい。確かにそうですね。でも、自分ではめられますから、大丈夫ですよ」

「右手だけではめられるのか?」

「……お願いします」

 

 気が動転して今自分は右腕しかないことを忘れていた。家入さんが近づき、手袋をはめようとする。何故だか直視出来なくて、注射を怖がる子供のように目線をそらしてしまう。その先には五条さんがニヤニヤと笑っていて腹が立つ。こんな事なら一度家に戻り、左腕を“付けて”これば良かったと心の底から思う。

 

「……よし。ほら、司條でき……どうした、顔が赤いぞ。大丈夫か?」

「大丈夫、です。寝不足でして」

「ふぅん? まぁ、自分の身体は大事にしろよ」

「そうします。手袋、ありがとうございます」

「んー、気にするな」

 

 家入さんはそう言って、今度は自分の手に手袋をはめ始めた。深く呼吸をして心を落ち着かせる。何とか落ち着いた所で、解剖台の上に寝かされた宿儺の器に目をやった。

 

 高校生にしてはかなり出来上がった身体だ。よほど鍛えていたのか、筋肉が発達しているのが見て取れる。胸部に空いた痛々しい穴は宿儺が開けたらしい。学友が身体の主導権を奪った宿儺に襲われている際に心臓のないこの身体に戻り、自らの命と引き換えにその友を救ったそうだ。その話だけでもこの眠っているかのように亡くなっている器が、いや、虎杖君が善性の人間である事が分かる。

 

 正直、彼の遺体はそのままにしてやりたいのが個人の意見だが、宿儺の器に成り得る千年に一人の逸材ならば調べる必要があることも納得してしまう。千年以上厄災を振り撒く呪物である『宿儺の指』を取り込みが可能ということは、これから先その指が引き起こすであろう数多の災いを未然に防ぐということ。それは確かに素晴らしいことではある。

 

 だが、それは同時に彼は宿儺を復活させることができる千年に一度の逸材でもあるということだ。呪術全盛の平安時代の術師たちでさえ、宿儺をどうにもすることができなかったのに、今の時代に宿儺が復活したら被害は甚大なものとなるだろうことは火を見ることよりも明らか。

 

 実を言うと、俺は『宿儺の器』を即刻死刑にしない事に否定的であった。関わりがないからこその冷たさと言うべきか。五条さんから直接彼の人柄や死の理由を聞かなければ、その若さと早すぎる不幸に可哀想だとは思っても、『宿儺の復活』と言う最悪の事態の回避のために、死んで良かったとすら考えたかもしれない。

 

 一般人である彼が少しでも多くの人々を救うため、このクソみたいな呪術界へと足を踏み入れたことを思い出し、ならせめて自分にできることはしようと決めた所で、背後で上層部がクソだとか話している五条さんと伊地知に家入さんが話しかけた。

 

「ちょっと君達、もう始まるけど、そこで見てるつもりか?」

 

 そこまで家入さんが口にした所で、絶対にありえない事、ありえてはいけない事が起こった。完全に絶命していた虎杖君が、解剖台からむくりとその上体を起き上がらせたのだ。昼寝の微睡みから目覚めたかのように自然体で、死という人間が超克できぬはずの絶対的事象を容易く否定していた。

 当然のように起き上がったので反応が遅れる。しかし、虎杖君の身体に巣食っていたのは呪いの王両面宿儺。死後千年以上厄災を振りまく存在。死をも超越してもおかしくない化け物だ。

 

 そして、今その化け物の一番近くにいるのは──家入さんだ。

 

「おわっ!! フルチって! ちょっ、なになになに!」

「ッ!」

 

 気がつけば、反射的に腰に差していた刀で斬りかかっていた。

 だが、彼はとんでもない反射神経で刀を避けたものの、本当に自分の身になにが起こっているのか分かっていないような声色で慌てていた。

 その様子を見て判断が鈍る。彼は虎杖君のままなのか、それとも両面宿儺なのか。俺は虎杖君はもちろん、両面宿儺に面識があるわけがない。今の“彼”がどっち(・・・)なのかは分からない。

 

 彼は解剖台の上で体勢を大きく崩していて、今追撃すれば片腕の斬撃でも深手を負わせる事ができる。どうするべきか迷ったところで、目の前に黒い壁が現れた。

 

「ストップ。司條、“大丈夫”だよ」

 

 目の前の黒い壁はこちらを向いた五条さんだった。俺から虎杖君を守るように立ち、俺に声をかけたのだ。五条さんが言うならばおそらく大丈夫なのだろうと納刀する。第一、五条さんがこの距離にいてどうにもできない事が起きたら、俺にはどうしようもないからだ。

 

「えっとぉー、どう言う状況?」

 

 やっぱり状況が飲み込めていなさそうにしている彼が、困惑した声をあげる。俺の方を向いていた五条さんが彼のほうを振り返り、手を上げながら嬉しそうな声色で口を開いた。

 

「とにかく悠二! おかえり!!」

 

 五条さんのその声に、虎杖君も色々と疑問はあるだろうに、人懐っこい笑みを浮かべて手を上げながら答える。

 

「オッス、ただいま!!」

 

 パンっと、爽やかな音が部屋に響いた。

 

 

 

 

 

「あー報告修正しないとね」

 

 虎杖君が生き返った後に部屋を出て、これから彼の処遇をどうするべきか話している五条さんと家入さんの後ろを歩く。どうやら、しばらくは身を隠して実力を蓄える方針らしい。上層部に目をつけられているのだから、死んでいることにした方が色々と都合がいいのだろう。

 

「ねぇ、司條。悠二に実力がついてきたら任務を振ろうと思うんだけどさ、その時の同行者やってくんない?」

「……それは、少し気まずいと言うか」

「あー、やっぱり初対面で思いっきし殺そうとしたのは気まずい感じ? 大丈夫でしょ、悠二も全然気にしてなかったし」

「それは、そうなんですが……」

 

 色々落ち着いた後、虎杖君に斬りかかったことを謝った。いきなり理不尽に殺されそうになったのだから、彼にブン殴られても文句は言えないと覚悟していたのだが、彼は笑って俺を許したのだ。

 

『いやいや、気にしなくて大丈夫っすよ。目の前でいきなり死んだと思っていた人が生き返ったら、俺もびっくりして手が出ちゃうかもしれないんで!』

 

 その溢れ出る善性に、殺そうとしてしまったことが更に後ろめたくなった。こんなに根明な子を、問答無用で殺そうとしてしまった自分が恥ずかしい。そして、こんなにいい子が両面宿儺という呪いに宿られているのがひどく可哀想だとも感じた。

 

「彼って、徒手空拳(ステゴロ)の近接で行くんですよね? それだと俺の戦い方とは違いますし、それに……」

 

 術式そのものには戦闘能力が基本的にない俺は、呪具を用いた中距離か遠距離が得意な間合いだ。一応一級術師ではあるが、近接戦闘では他の一級と比べると見劣りするだろう。

 

「それに?」

 

 言い淀んだ俺の言葉を急かすように、五条さんが口を開く。

 

「俺の術式に、抵抗感があるんじゃないですかね。虎杖君、感性がかなり善良でいい子でしょう?」

「あー、そうかもね」

 

 少し前まで呪術界とは縁がなかった彼には、俺の術式はあまり気分のいいものではないだろう。呪いを継ぐ司條家でも、穢れた術式と蔑まれることがあるこんな術式だ。

 

「それにこれ以上肩入れするのは、上層部に睨まれて家に迷惑がかかりそうで少し怖いので」

「えー、いいじゃんいいじゃん。五条家(ウチ)が守れば済む話でしょ? 前にアレあげたじゃん。例のブツ」

「あの分の依頼は果たしたじゃないですか。ちゃんと禪院さんに渡しておきましたよ。やっぱり、一応義理とはいえ、孤児の俺を拾ってくれた(司條)に迷惑がかかる可能性は避けたいので、すみません」

 

 司條家はそれなりの歴史があるとはいえ、御三家の五条家と比べるとその力は圧倒的に下だ。強力な術式を持ちその地位を確固たるものとした五条家のような御三家とは違い、司條家は迫害された術師や無理矢理取り込まれそうになった家が団結してできた家系。そもそもの成り立ちが違う。

 

「そっか、まぁそれなら仕方ないね。僕がずっと悠二の面倒を見るのは、流石にできないしなぁ。……悠二に色々教えられて、十分戦闘能力のあって、信頼できる術師なんて、そうそういな……あ、ちょうどいい奴が一人いるね」

 

 五条さんが思い浮かんだ人間に、俺の同級生のあいつだろうなと思いながら、仕事を押し付けてしまった形になった事を心の中で謝る。

 

 今度お酒でも奢ろうと、そう心に決めた。




東京ばな奈、おいしいですよね。

過去編の家入さんが呪術廻戦で一番可愛いと思いませんか?
異論は認めます。
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