家族を燃やした能面の男に蹴られ意識を失った後、目が覚めると俺は和服を着て見覚えのない和室に寝かされていた。和服など夏祭りと七五三ぐらいでしか着た覚えのない六歳の俺は、まだ夢の中にいるのかと寝起きの溶けた脳で考えていた。
「……目を、覚ましましたか?」
聞き覚えのない声。枕元からのその声に目をやると、上等な着物を着た女性が座っている。
「……おかあ、さん?」
「……いえ、私は貴方の母ではありません」
その女性を母と見間違えてしまい、ふと口から言葉が勝手に出てしまった。たしかに少し似ているところはあるが、この女性ほど所作が上品ではなかったし、母はいつも明るく笑っている人だ。俺の言葉を否定したこの女性のように、酷く悲痛そうな顔をする人ではなかった。
ああ、それに。母は、父は、妹は、家族は。
「本当に、みんな死んじゃったんですか」
「……はい。正体不明の呪詛師により、あなたの家族は皆亡くなってしまいました」
「……そう、ですか」
この女性は不器用な人だ。まだ小さな俺に対し、現実を包み隠さず伝えるのはこの人なりの最大限の誠意なのだろう。色々と思い出し、堪えていた涙が溢れでてしまう。しばらく泣いてばかりいたが、着物の女性はただ悲痛そうな表情を深くして黙っていた。
ようやく落ち着いてきた頃、着物の女性は口を開く。
「私は司條家当主、
「……呪い?」
「はい。きっと貴方も見たことがあるでしょう。他の人には見えない何かが。……そして、貴方には私たち司條家の断絶した一門、
真っ直ぐと俺の目を見ながら、着物の女性は言葉を続ける。
「
「……」
「しかし、まだ貴方の意思を聞いていません。貴方はどうし「その力をつかえるようになれば」……はい」
気がつけば、女性の言葉を遮って口を開いていた。
「お父さんやお母さん、妹たちみたいな目に合う人は減りますか?」
「……はい。きっと」
女性は一度目を瞑ってからそう答える。しかし、悲痛そうな声は変わっていない。むしろ、更に酷くなっていた。
「なら、今から貴方の名前は司條刻嗣です。四仗一門は既に絶えているので、私の養子となって頂きます。……刻嗣さん、これから宜しくお願いします」
「えっと……はい、おねがいします」
差し出された手を取る。その手には所々古傷があり、母よりも硬かった。その手を強く握る。
こうして、俺の名字は司條となったのだ。
「……っ」
懐かしい昔の風景から目を覚ました。そして、意識を失う前に特級と戦っていた事を思い出す。
奴は追ってきたのか。状況はどうだ。猪野はどこだ。
いくつもの疑問が頭に湧いて出る。少しでも周りの様子を確認するため、辺りを見回そうとすると人の声が耳に入った。
「どうやら、起きたみたいだね」
「姉様を待たせて寝坊けるなんて、いいご身分ですね!」
「憂憂、彼は特級を相手取って戦ったんだ。むしろまだ寝ててもいいぐらいさ」
「姉様がそういうのならば! ……司條さん! 今すぐ二度寝し体を休めなさい!」
「……いえ、もう大丈夫です。状況は?」
その声の主は、何度か仕事を共にしたことのある一級術師の冥冥とその弟の憂憂だった。高専に所属しないフリーの呪術師だが、その実力は俺よりも上だろう。補助監督が呼んだ応援の術師かと当たりをつけた。
「とりあえず、私が来てからも特に動きはないよ。烏たちを森に放って見張らせているけど、怪しい影はないね」
「それは良かった。猪野は?」
「彼なら今寝ているよ。彼も特級相手との戦いとその後の警戒で、かなり精神的にも肉体的にも疲弊していたからね」
「……そうですか。後で謝らなければ」
俺が限界を超えたせいで、猪野に警戒のその全てを丸投げしてしまった事を申し訳なく思う。彼も特級相手で相当消耗していただろうに、一級の俺が先にへばってしまって情けない。猪野に相当高い焼肉を奢ろうと心に決める。
「村の人々は避難させていないんですか?」
「ああ。私達がここに着いた頃にはもう夜だったし、結構時間があったのにも関わらず呪霊は君たちを襲わなかったからね。件の呪霊は撤退したか祓えたと判断した」
「……そうですか」
あの呪霊は祓えていないという妙な確信があった。しかし、今俺や猪野、村の人々が無事なのは純粋に喜ばしい事で、あの呪霊が再び襲って来なかったことに心から安堵する。
窓から外を見ると、真夜中の闇に覆われた村の風景は静寂にこそ包まれてはいるが、呪いの気配はなく全くの平穏そのものだ。
「そうだ。いま何時ですか?」
「今かい? 今は……十二時前ごろだね」
「ありがとうございます。……俺は六時間も寝てたのか」
確かにかなり無理をしたとはいえ、まだ敵が襲ってくるかもしれないのにそんなに寝てしまうとは。自分の不注意に恥ずかしくなるが、そんな俺に憂憂が口を開く。
「貴方、勘違いしています。姉様が着いたのは一日前、貴方は一日と六時間寝ていたんですよ?」
「な、そんなに?」
「まったく、姉様の貴重な時間をどれだけ使えば気が済むのですか?」
「憂憂、別に私は気にしていないよ。ただ、烏を森に放って警戒させておくだけで、一級任務と同じ報酬が支払われるからね。それに、お前とずっとゆっくり話せた」
「ね、姉様ったら!」
急に二人の世界に入った冥さんと憂憂に置いてきぼりにされた俺は、想像以上に眠ってしまっていた事に驚く。それだけ無理をしてしまったという事だ。呪具も呪物もほぼ総動員して何とかな戦いだった。それに、あの特級と戦う前には見張りをしていたことも思い出す。本当に良く戦えたものだ。
「そうだ。少し見てもらいたい物がある。いいかな?」
「ええ、もちろん」
「……これに見覚えは?」
冥さんはタブレットを操作して、一枚の画像を俺に見せてきた。一枚の紙に二つの顔が書かれている。何とも言えない味のある絵だ。しかし、その顔のうちの一つが襲ってきた白い呪霊に似ていた。
「……あります。俺たちを襲ってきたのは、この歯茎が剥き出しの方です」
「やはりそうか。これは、つい先日五条悟を襲った呪霊達らしい。最近過ぎてまだ君達に伝わっていなかったようだ。……まぁ、君たちを襲った方は仲間の回収をしただけらしいけどね」
「……待ってください。それは特級相当の呪霊が徒党を組んでいるということですか?」
「ああ、そういう事になるね」
仲間の回収をしただけというが、あの五条さんから逃げることができるなど相当な実力がないと不可能だ。それに、あのレベルが徒党を組んで行動しているなど考えたくもない。
「冥さんがまだ警戒しているのは、その呪霊の他の仲間を警戒しているからですか?」
「ああ、そうだよ。……まぁ、報復に来るにしては遅すぎるから、そこまで警戒しないでいいとは思うけどね」
「そうですか。……そんなに危険があるのに、ずっと警戒をさせてすみません」
冥さんの実力は一級でもかなりの上澄みだ。『黒鳥操術』という術式を極めることで特級すら屠る切り札までに昇華し、その肉体も極限まで鍛え上げられている。
そんな姉と行動を共にする憂憂君も、おそらく何かしらの切り札は保持しているのだろう。
とはいえあのレベルの特級相手が数体いるかもしれないこの場所に、俺の救援要請で彼女らが来てしまった事に申し訳なさを感じる。
「そうですよ! 姉様の身を危険に晒す可能性があるのにこんな場所まで来させるなんて! 貴方がその特級を祓えれば済んだ話じゃないですか!」
「憂憂、私は別に構わないと言っただろう。司條、君も気にしなくていい。むしろ、準一級程度の任務で特級とかち合ってしまった君達が可哀想だ」
「……そう言っていただけると助かります」
「ああ、そうだ。君の……『
「ありがとうございます」
ずっと布団に入ったまま上体を起こして話していた事に気づき、さすがに救援に来てくれた人の前では失礼すぎると立ち上がる。血が足りないのか少しふらつき全身が筋肉痛で痛むが、死にかけからこの程度で済んだのだ。御の字だろう。
ケースの状態を確認するが、少し汚れているぐらいで何ともなさそうだ。
「あいつらはどこに?」
「そのケースを持ってきた後、そこの鞄に入り自分で呪符を貼って封印したのかな? とにかく動かなくなったよ」
「そうですか」
「……しかし、面白いね。その子らは。君が気絶しているのに動いているし、自分自身で自分を封印するなんて」
「式神とは違って、俺の術式が関わっているのは創り終わるまでなので色々融通が利くんですよ。でも、結局は屍なので少しでも省エネしないと腐ってしまいます」
「ふぅん、一長一短ってことかな」
式神だとかは術師が意識を失い、術式が途切れてしまうと解除されてしまう事が多い。しかし、俺の創った『擬奴羅』と呼ばれるこいつらは、完成時点で俺の意識とは関係なく稼働する。式神とは違い術者の呪力で身体を構成しているわけではないので、俺が死んだとしても誰かが呪力を込め続ければある程度は動き続けるだろう。
これだけだと式神よりも使い勝手が良さそうだが、内臓だとか腐りやすいものを取り出し詰め物をしてもどうしても腐敗は進んでいる。腐敗が進みすぎると俺の命令を聞かなくなったり、襲いかかってくることもあった。あとその状態は臭い。偵察だとか隠密行動に使えなくなる。
なによりの問題は、肉体があるため一般人にも見えてしまう事だ。人目のあるところでは、大型の『擬奴羅』は式神のように運用することができない。
「私はね、あまり戦闘に向いていない術式を持った君に、勝手にシンパシーを感じているんだ」
「冥さんが俺に? ……確かに戦闘ではあまり使える術式ではありませんが、俺には一応相伝術式としてある程度の使い方が伝わっていました。それなしで一級でも指折りの術師になった冥さんの方が俺よりよっぽど凄いですよ」
「姉様のお褒めの言葉が受け取れないのですか?」
「え、あー。ありがとうございます」
「ふふふ、謙遜しなくてもいいよ」
憂君からの圧力に気圧されてそう答える。彼にとっては冥さんにシンパシーを感じられるという事は、かなりの名誉だという事なのだろう。しかし、謙遜しているわけではない。
『死屍創術』は生産に特化した術式だ。自分自身が戦力になるというより、戦力を増やせる術式というべきか。この術式自体に戦闘能力はないが、『擬奴羅』のような戦力を創ることが可能であるし、創った物によって弱い者を強く、強い者を更に強くする事が出来るため自分で戦う必要はない。
「その術式が相伝術式として重宝されているのは、呪具を創り出せるところにあるのだろう? 戦闘面では全く役に立たない術式じゃないか」
「それは……そうですが」
実際、家に残っていた術式の取説も呪具呪物の創り方ばかりで、自分が戦うための術式の使い方はほとんどなかった。せいぜいが『擬奴羅』の元となった『
呪具を作るためには時間と
「……それで、そんなに俺を持ち上げてどうしたいんですか?」
「シンパシーを感じているのは本当だよ。……君がその術式でわざわざ戦いの任務に出る理由について知りたくてね」
「……」
「だってそうだろう? 危険な戦いの場になど行かずに安全な場所で呪具を創っていれば、楽に稼げるじゃないか。実に羨ましい」
冥さんの言うことはもっともだ。俺が戦闘の場に行くよりも、呪具を創って他の術師に持たせた方がいい。補助監督だとか窓にも行き渡らせた方が呪霊の被害を減らせるはずだ。彼らの生存率も上がる。俺の術式はそれが出来る術式。
しかし、俺はしていない。高専から呪具の納品の依頼を受けたり個人で取引をする事はあるが、それは戦闘の任務の合間でできる程度の微々たるものだ。
「その質問に答える前に、俺も一つ聞いてもいいですか?」
「構わないよ。何だい?」
「……冥さんは、何で呪術師なんかをやっているんですか?」
「私? 簡単な事さ。稼げるからだよ」
「はは、冥さんらしいですね」
お金。随分と分かりやすい理由だ。だが、それはこの社会では十分に仕事に就く理由になる。呪術師だけに限らず、この社会で職についている理由でお金が目的ではない人はそういないだろう。
だが、俺はそんな真っ当な理由でない。一個人的な感情による理由だ。
「……俺は、どうしても殺したい奴がいるんです」
「……復讐、か」
「はい。家族を殺した呪詛師を殺したい。そのために、この術式で強くならなければいけないんです」
そんな非生産的な目的のために、罪のない被害者や仲間だった術師、動物達の遺体を切り刻み、加工している。それが死者の尊厳を踏み躙り、使い潰す行為だと知りながら。
だが、この心に燻る家族を焼き殺した黒い炎のようなドス黒い感情は、奴の死体を見るまで消える事はないだろう。
「冥さん。貴方はフリーの呪術師だ。だからこそ、高専が知り得ない情報源を持っていますよね?」
「否定はしないよ」
「その情報源がどんな後ろ暗い奴等かは聞きません。その呪詛師について調べてくれませんか?」
「いいよ。私から聞いた話だ。勿論、それなりの報酬は貰うけどね」
高専のマークしている呪詛師の情報は自分も目を通している。だが、奴に繋がりそうな情報はない。あの日から二十二年も経っていて、呪いという死に近しい業界だ。どこかでのたれ死んでいる可能性もある。それならそれで、家族の眠る墓に報告をしたい。
「はは、お手柔らかにお願いします」
「で、その呪詛師の特徴は?」
「『能面』……一番知られている女面を被った男でした。声からして若い男でしたが、二十年以上前の話なので、今は少なくとも四十以上でしょう」
「なるほど。術式は分かるかい?」
「……黒い炎を操っていました」
「分かった。それで調べてみるよ。何か分かったら連絡する」
「ええ、よろしくお願いします」
そんな話をして、夜は更けていく。途中から俺も見張りに参加して警戒していたが、奴らが襲ってくる事はなかった。上の人らはもう危険性は低いと判断したのだろう。俺たちには昼ごろに撤退の命令が下った。
薄暗い闇に満ちた部屋の中、二人の人間が向かい合って座っている。片方は袈裟を着た男とも女とも見分けのつかない中性的な美形だ。
「失礼」
もう片方の人物がタバコを取り出し、ライターやマッチを取り出すでもなく先端に指先を近づける。その指先から黒い炎が吹き出て火を着けた。顔は部屋の薄暗い闇で隠れていて見えない。
タバコを咥え込んだ人物は、応接用の机を挟んで座る中性的な美形に対し、覗き込むような前屈みな体勢となり口を開いた。
「それで、五条悟を封印するってのは本当か?」
「はい。私たちにはその手立てがあります」
「あの化け物をねぇ」
タバコを咥えた男は前屈みだった体勢を変えソファーへと深々と背を預けながら天井を見上げ、何やら思案しながら肺に行き渡らせた煙を深く吐いた。吐き出された紫煙が部屋の中の空気に溶けていく。
「勝算は?」
「勝算なしで手を出す相手だと思いますか?」
「ハハ、確かに」
窓の外の厚い雲に覆われた月が、切れ目からその月明かりを覗かせる。薄暗い部屋にもその明かりが差し込んできた。翁面、尉面、男面、女面、鬼面、仏面、畜類面。いくつもの能面が壁中をびっしりと埋め尽くしたその悪趣味でぶきみな部屋に。
「……乗った。あの化け物がいたんじゃ、俺らは死ぬまで好き勝手できねぇからなぁ」
「決行日は十月三十一日。場所は渋谷。詳細は追って連絡します」
「ハハハ、ハロウィンか。人が多そうでいいねぇ。ハハ、ハハハ。ハハハハハ!」
愉快げに笑い声を上げているその男の顔を、月の光が照らし出す。そこには笑い声とは対照的に、なんの表情も見出せない不気味な女面の能面があった。
目の前の中性的な人物に冷ややかな目で見られているのに、能面の男はハハハ、ハハハハハと不気味に笑い続ける。不気味に、狂ったように。ただただ笑い続けていた。