死屍累々の丘に立つ   作:半睡趣味友

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間章『酒語り』
第九話:術師達の酒語り


 夜の駅前でぼんやりと人を待つ。十数メートル程前方で少し前から、ストリートミュージシャンというのだろうか、ギターを持った男が歌い始めた。命がどうとか友情がどうとかの歌詞を血を吐くように懸命に叫んでいる。通行人は時折足を止めて歌を聴いているが、すぐさま人の波に消えていく。

 

 音楽に別に詳しい訳ではないが、俺はただ遠くから聴いていた。そういえば、父がギターを齧っていたことを思い出す。多趣味な人であった。

 

「司條、待たせましたか」

「いや、大丈夫だ。七海」

 

 そんな風にしていると待ち人が着た。背が高く色素の薄い髪をして、あまり見ないゴーグルのような形状のサングラスを付けている。大して待っていた訳ではなく、むしろ七海が着いたのは集合時間の十分前であったので気にしていない。

 目的地に向かって歩き始める。

 

「久しぶりだな。遠いとこに出張だったか?」

「ええ、北海道に」

「北海道? 神居古潭(カムイコタン)か?」

「いえ。アイヌ連は関係ありませんよ。札幌の呪詛師絡みでした」

 

 随分と遠い所への出張のようだった。しかし、七海が派遣されるような呪詛師などよほどの奴だろうと思う。

 

「面倒そうな案件だな」

「……いえ、案件自体はすぐ終わりました。ただ、あまり気分のよい話ではありませんでしたが」

「まぁ、そんなもんだろ。この業界なんて。お前風に言えば、クソってやつだ」

「……そちらは特級と遭遇したそうですね」

 

 少しからかってみたが、何と言うこともなく流された。なるほどこれが社会人のスルー力かと感心しながら、問われたことに対して口を開く。

 

「ああ、俺だけじゃなく猪野もだがな」

「よく生きていましたね」

「まぁ、何とかなったよ。いや、俺は死にかけたがな。猪野が中々いい動きをしてくれた」

「猪野君がですか」

「ああ」

 

 猪野が七海に推薦をしてもらいたいと言っていたことを思い出し、それとなく話を振る。一級への推薦は一級なら基本誰でもできるが、実は俺はあまりしたくはない。七海もしたくはないだろうし、他の一級もそうそうしたくはないだろう。

 自分の一言でそいつがより危険な任務に当たるのだ。間接的に殺す事になってしまう事もある。猪野は術式的にも、特級の前であれだけ動けた事も考えると準一級なら何とかはなりそうだ。しかし、七海に推薦を強制するのも申し訳ない。俺が猪野のためにできることはこれぐらいだ。

 

「お、着いたな」

「ここですか」

 

 そんなことを話しながら歩いていると、小さな洒落た外装のバーの前にまで来ていた。ここが目的地だ。ドアを開けると、カランカランとドアに取り付けられた小さな鐘が音を鳴らす。

 

「いらっしゃい」

 

 小洒落た外装に負け劣らず、黒と青を基調としたお洒落で落ち着いた内装だ。カウンター席の一番右側に俺が、その一つ隣に七海が座った。

 

「ご注文は?」

「俺はプレリュードフィズでお願いします」

「私はモスコー・ミュールを。あと、ナッツを二つ下さい」

「了解です」

 

 バーテンダーが注文を聞き、カクテルを作り始める。その様子をぼんやりと見ていると、七海が話しかけてきた。

 

「……そういえば、向こうでも五条さんとバーに行きましたよ」

「え、五条さんわざわざ北海道まで付いてったのか? てか、あの人下戸だろ」

「ええ、任務中ずっと付き纏われました。バーでもシンデレラを飲まされましたよ」

「はは、あの人甘党だもんな」

 

 そんな下らない話をしていると、まず俺の方のカクテルが出された。輪切りのレモンが入った、下部が赤みの強いピンク色で、グラデーションを描きながら上部にかけて色が薄くなっているカクテル。それがロックグラスに氷と共に入っている。丁度、上部の薄めのピンク色が、今日話をしようと思っていたあの少年の髪色と似ていた。

 次いで、七海の注文したモスコー・ミュールの注がれた銅のマグカップが出される。ナッツの入った皿も俺達の前に出された。

 

「乾杯」

「ええ、乾杯」

 

 お互いカップを持ち上げ、グラスをぶつけ合わずに小さく会釈をしてから口をつける。レモンの酸味とカルピスの甘みが混ざり合った味が口内に広がった。塩味の効いたナッツとよく合って美味い。あまりアルコールには強くない俺は、これぐらいの度数のお酒をちびちび飲むのが丁度いい。

 

「……五条さんから話は聞いてるか?」

「ええ、虎杖悠二君の事でしょう?」

「ああ、そうだ」

 

 俺の方から話を持ち出す。手元のグラスに目をやりながら。そこにはやはり、あの子の髪色に似たピンク色のカクテルが揺れている。

 

「悪い。七海。仕事を押し付ける形になってしまって」

「構いませんよ。事情は五条さんから聞いています。上に睨まれるなら、司條家全体に迷惑がかかってしまうあなたよりも、自分一人にしか迷惑のかからない私のがいい」

「悪いな。そう言ってくれると助かる。今日は好きなだけ飲んでくれ。俺の奢りだ」

「……なら、アラスカを一杯お願いします」

 

 いつの間にやら一杯目を飲み終わっていた七海が、さっそく次のカクテルを頼んでいた。七海は俺よりも酒に強い。北欧の血がそうさせるのであろうか。少し羨ましい。

 

「やっぱりお前酒強いな。アラスカって四十度ぐらいだろ?」

「これぐらいじゃないと酔えないので。それに、強ければいいという訳ではないでしょう」

「そうか? 俺は弱いの数杯でも酔っちまうから、強い酒を飲めるのはカッコいいし羨ましいけどな。沢山味わえるし」

「そういうもんですか」

「そういうもんだな」

 

 七海の前に、その髪の毛よりも薄い黄金色のカクテルが注がれたグラスが置かれる。俺では飲めないような度数の高いお酒。七海はそのショートグラスに注がれた液体を、一息に三分の一ほどを飲んだ。

 

「……虎杖君はどんな子ですか?」

「そうだな。数度話した程度だから彼の人となりを完全に把握できたとは思ってないが、間違いなくいい子だと思うよ。宿儺を宿し死刑になったのが可哀想だと感じる程に」

「なるほど」

「それに、初対面で問答無用で殺そうとした俺を笑って許した」

「いや、どんなファーストコンタクトですか」

「はは」

 

 それが事実なのだから仕方ない。あんな状況であったとはいえ、軽率な行為だったのを反省している。少し氷が溶けてきた手元のグラスで口を潤す。

 

「まぁ、何だ。術師どころか一般人の感性としても善性で明るい子だ。……灰原みたいにな」

「……」

 

 七海が残り少なくなっていたアラスカを一気に飲み干す。ナッツを少し摘んだ。俺もガラスの残りを飲み干した。

 

「……悪い。今する話じゃねぇなあ」

「……ええ、そうですね」

 

 灰原。彼は俺たちの同級生だった男だ。呪術高専という特殊な環境で、俺たちはそれなりに仲が良かったとは思う。一年に数人しか入学しないので、同級生が数人しかいないから当然か。俺が一応司條家という呪術の家の血を引いていたが、元は一般家庭の出身であるので、全員元々呪いとは近しくない生まれだったのも関係するだろう。

 暗くなった空気を変えるために、何か話題はないかと必死で頭の中を探る。一つ、見つけた。

 

「そういえば、ここで『百鬼夜行』の少し前に夏油さんと会ったんだ」

「……何ですって?」

 

 口にしてから気がつく。新たにあげた話題にも死が関わる話だと。この業界は余りにも暗い話が多い。しかし、七海の目がサングラスの奥で細められたのを見て、まだ誰にも話していない事だったと思い出した。

 

「……上に報告は?」

「してないな。『百鬼夜行』までお互いその内容を口外しない縛りを結んだ。……いや、結ばされた」

「事が終わってから言っても、何の意味もありませんからね。むしろ上に睨まれる可能性すらある」

「……お互い酒がなくなっちまったな。七海、何かオススメは?」

「……ギムレットはどうです?」

「いいね。じゃあギムレット二つお願いします」

 

 ギムレット。俺には少し強すぎるお酒だ。だけれど、これからする話は酔ってなきゃどうしようもないような話だ。そういえば、夏油さんと話した時も俺は無理をしてその強い酒を飲んでいた事を思い出した。

 

「ギムレットには早すぎる、か」

「貴方もあの本を読んだのですか?」

「いや、俺はお前と違って読書家じゃねぇからな。原典の方はしらねぇよ。ただ、そんな言葉を知ってるだけだ」

 

 七海と俺の前に、透き通った緑色が美しいカクテルが注がれたグラスが置かれる。ノレックスの言葉を借りると、どうやらここのギムレットは本物らしい。まぁ、俺はカクテルに拘りはない。気持ちよく酔えればそれで十分だ。

 

「……やっぱ、強いな」

「ええ。でも、中々いけるでしょう?」

「ああ、目が冴えるよ」

 

 少しだけ口に含む。確か、度数は三十度ほどだったか。普段は飲まないような強さだが、ライムジュースのお陰で思ったより飲みやすかった。

 その余韻を味わいながら、その際の夏油さんとの会話を七海に伝えるために振り返える。確か、雨が降った日の夜だ。

 

 

 

 

 

「隣、いいかな」

「……お好きにどうぞ」

 

 慣れないカクテルであるギムレットを頼んでしまい、少しばかり後悔していた所で随分と懐かしい声がした。その声に、つい反射的にそう答えてしまう。随分な大所帯が入ってきたなと思っていたが、まさかその団体がテーブル席にもカウンター席にも座らず、俺の周りを取り囲むとは思っていなかった。

 

 半裸の筋骨隆々な男に、帽子を被り何やら紐の呪具を構えた黒人の男。金髪の女に片目を隠した男。こちらにスマホのカメラを向けた制服を着た女の子に、首に縄が巻きつけられたぬいぐるみを持つこちらも制服を着た女の子。そして、俺の隣に座った袈裟を着た男。

 この団体はここが酒を提供するバーだと知っているのだろうか。未成年を連れて入っちゃダメだろ。条例がどうだかするんじゃないか。全員ともマスターが声をかけて退出させてくれないかと、少し現実逃避に陥る。

 

「そ、そ、それでさぁ」

「うん、うんうん、うん」

「ろ、ロックで。ロックで、ロックで」

『うま、うま、うま』

 

 ちらりと辺りの様子を伺うと、マスター含めて全員が正気ではなさそうだった。客が警察を呼んでくれることもなさそうだ。店の真ん中あたりには、体を丸めた胎児のようでありアリクイのようでもある呪霊が浮んでいる。おそらく、そういった術式を持った呪霊だろう。隣の男の術式ならそれができる。

 

「『獏獏』。非術師にしか効かない程度だけど、夢見心地にさせることができるんだ」

「……術式開示って、本人じゃなくても効果あるんですか?」

「ふふ、そんなんじゃないよ。ただ、安心させるために手札を教えただけさ」

「何百枚もある手札の一つを晒したところで、何の意味もないでしょうに」

 

 術式を持っているから等級にして準一級程度か。いや、先の言葉が本当だとしたら戦闘向けの術式ではないし、総合的には二級程度の呪霊だと当たりをつける。この程度の呪霊など、目の前の男にとっては捨て駒と変わりないだろう。

 

「……で、何の用です? 高専にテロ予告しに来た呪詛師様が」

「少し、話がしたくてね」

「脅迫の間違いでしょう?」

「みんな心配性でね。一級の君と話しに行くと言ったら、護衛をすると言って聞かなくてね」

「アポもなにも無かったんですが?」

「サプライズさ。驚いて貰えたかな?」

「ええ、心臓が止まりそうなほど。いや、もうすぐで止まるんですかね」

 

 目線を背後の集団に向ける。装備も何もなく、完全にオフな俺では抵抗しても数秒で鎮圧させられるだろう。そもそも、完全装備の俺でも目の前の男一人に勝てない。

 

「特級呪詛師である夏油さんが、俺みたいな大した実力もない術師を多勢で囲むような真似をするなんて、失望しましたよ。そんな格好をして教祖にでもなられたのですか? おめでとうございます」

「ふふ、少しは皮肉が上手くなったみたいだね。司條。昔はもっと丁寧な言葉遣いだったのに」

「十年近く会ってなければこんなものですよ」

 

 俺は少し酔っているのかもしれない。いや、こんな絶体絶命の状況にヤケになっているのだろうか。妙に口が回る。夏油さんを少し皮肉るような言葉に、後ろの呪詛師が殺気を飛ばす。だが、その殺気を夏油さんは微笑を浮かべて手で抑えた。

 

「まず、話だけでも聞いてくれるかな?」

「宗教の勧誘はお断りですが」

「そんなんじゃないさ。商談だよ」

「……ここはバーですよ? まず、お酒を頼んだらどうです?」

「確かにそうだ。……マスター、彼と同じのを」

「かしこ、かし、かしこ、まり」

 

 カウンターの中で妙な事を呟いていたマスターが、夏油さんの言葉に反応して動き出す。少し不自然でロボットのような動きだったが、一度動き出してからは慣れた様子でカクテルを作っていく。その様子を見ながら、彼が静かに口を開いた。

 

「君の死屍創術、その極ノ番が欲しいんだ」

 

 そう言った夏油さんの目は、にこやかながらも氷のように冷たい真剣さが宿っている。どうやら、かなり詳しく調べられているらしい。少し水滴のついたグラスに注がれているギムレットを、唇を湿す程度に飲む。目が覚めるようなライムの柑橘系の強い香りが口に広がった。

 

「……何のことですか?」

「惚けなくていい。色々と司條家の四仗一門について……いや、『屍仗』と言ったほうがいいかな。君と同じ術式を持った、過去の術師たちの伝承について調べたのさ」

「……」

 

 ダメ元でしらばっくれてみたが、夏油さんのその言葉に宿っている確信は一切揺らぐことはなかった。

 

「『悪辣にして冒涜、人の禁忌を犯し尽くす非道の術理。語るも憚られる其の秘奥。悍ましき技法であり、唯一の例外なく生命を奪う忌むべき外法』……過去の文献に書かれていたよ。いやはや驚いた。呪具、呪物を作る事ができる稀有な術式だと思っていたけど、そう謳われるほど強力な物だとはね」

「……そんな大した物じゃないですよ。あなたの呪霊操術の方が、圧倒的に汎用性も拡張性も高いでしょうに」

 

 話を少しでもすげ替えるため、目の前の夏油さんの術式を持ち上げる。お互い前もって準備が必要である術式ではあるが、彼の呪霊操術の方が圧倒的に強い。際限なく呪霊を取り込めるその術式は、文字通り汎用性も拡張性も際限がないと言える。

 

「褒めてくれているのかな。ありがとうと言っておくよ。だが、やはり私は君の極ノ番が欲しい。生産に特化した術式だからこそ創り出せる、その忌み物を」

「……あんな物、何に使うんです? 呪霊には効果ありませんよ」

「薄々分かっているだろう? 悟に使うんだよ」

 

 五条悟。現代最強の呪術師。目の前の特級が持つ強力な呪霊操術とも互角以上の格を持つだろう術式、無下限呪術をその身に刻む特級。少なくとも、俺では一切勝ち目のない相手だ。

 

「あの人に使ったところで、多分殺せません」

「多分、多分ね。それは、少しは勝ち目があると、君は考えていると受け取っていいのかな?」

「……殺すことはできないでしょう。俺はあれを完璧には創れません。俺には絶対に不可能です。調べたなら、分かっているでしょう?」

「そうだね。君が君である以上、絶対不可能だ」

「自分が創れるのは、精々擬似的で不完全な紛い物。……出力は格段に落ちます。あの五条悟相手だと、時間を稼ぐことが関の山です」

 

 俺の訂正するかのような答えに、夏油さんは笑みを深くした。天与呪縛で規格外のちゃらんぽらんになるかわりに、規格外の実力を得たのかと時々本気で考えてしまう程、化け物じみて強い五条さんが死ぬことは考えにくい。だが、あの悍ましい忌み物が、何も出来ずに破壊されることも考えられない。それほどまでに、あれは忌むべき物なのだ。

 

「そう、それでいいんだ。時間を稼げるだけで充分さ。保険として持っておきたいんだよ。様々な場合を想定するのは大切だ」

「分かりませんね。あなたなら、領域を持つ呪霊を何体か取り込んで襲わせた方がいい。出来るでしょう? 術式的にも実力的にも。あの五条さん相手でも領域内なら無限を中和出来る」

「確かにそうかもしれない。だけど、私は別にやりたい事があってね。そのためには悟を足止めする必要があるんだ。あ、ナッツ貰うよ」

「……」

 

 夏油さんは俺の前に出されていたナッツを無遠慮に摘み、マスターが差し出したグラスに注がれたギムレットに口をつける。「カクテルを飲んだことはなかったけど、なかなかイケるね」と少し驚いたように言って、半分程になったグラスをしげしげと眺めていた。

 

「……あなたは、何を企んでいるんですか」

「お、気になるかい?」

「ええ、まぁ。一応。呪術師としての道を選べば、特級として十分な給与も立場もあったはずだ。呪詛師なんかに身を堕とした理由は気になりますよ」

 

 夏油さんの片眉をあげながらの問いに、皮肉交じりの返答で俺は答える。だが彼はそんな皮肉など意にも介していないようで、待っていましたとばかりに話し始めた。

 

「まぁ端的に言えば、非術師の猿共を皆殺しにして術師だけの世界を作るんだ」

「……それ、本気で言ってますか」

 

 不可能だと、そうまず思った。なにを馬鹿なことをとも。あるいは、コイツ酒に弱いのかと。

 だが、そんな絵空事を自信満々に言う夏油さんの目に一切の冗談の色はなく、将来の夢を語る純真な子供のようにただただ透明に澄んでいた。流石は会話がドッチボールどころか、打ちっ放しゴルフぐらいにぶっ飛んでる五条さんの親友だった男だ。

 

「無論、本気だとも。無力で愚鈍な猿共のために、なぜ我々が命をかけねばならないのだ。奴らは我々の存在に目を向けず、知ったとしても排斥するだろう。自分たちが多数派だという下らない理由で。呪霊を創り出しているのは、自分たちの醜い愚かさだというのに」

 

 その言葉には、暗く重くどうしょうもない現実に対する怒りが宿っている。どんな出来事が夏油さんをこんな思想にしたのかを、俺に薄々感づかせた。

 

「刻嗣、君もわかるだろう? いや、君だからこそ分かるはずだ。君の術式に必要な術師の屍はなぜ生まれる? 呪霊がいるからだ! その呪霊はなぜ生まれる? 猿共がいるからだ! 術師という道の先にあるのは、仲間たちの、術師の屍の山だということにもう気づいているだろう?」

「……灰原」

「ああ、そうだ。彼は死ぬべき人間だったか? あんなにも善良な術師が、無知な猿共の恐れという胎から生まれた呪霊に殺されたんだぞ! 七海も君も死ぬところだった! 術師が、猿共を命をかけて守ることを強制されるこの世界の歪な構造を、本当に正しいと思っているのか?」

 

 七海と俺と灰原で行った任務。二級呪霊のはずが、おそらくは一級でも上位に位置する力を持っていた呪霊であった任務だ。そこで、灰原は死んだ。陰鬱な出来事に触れる呪術師であるのに、気持ちのいい人柄で善人と言うに相応しい人間だった。あいつが死んだことは、きっと七海が呪術師から離れる理由の一つにもなったはずだ。そう言えば、灰原は夏油さんによく懐いていたことも思い出した。

 

「……正しい、とは思えませんね」

「分かってくれるかい?」

 

 俺の言葉に夏油さんは少し嬉しそうな顔をした。確かに、俺たちは表立って賞賛されることのない職業だ。警察、消防士、自衛隊だとかも自分の身を危険に晒して人を救う職業だが、彼らのように俺たちの存在が賞賛される事は決してない。いや、この社会のどんな職業とも違い、そもそも俺たちの存在は知られる事はない。そして、どの職よりも高い殉職率だろう。安らかに病院のベットの上で死ぬことはまず出来ない。遺体が綺麗に残れば御の字だ。

 

「司條! 共にこの間違った世界を変えようじゃないか!」

「……」

 

 遺体。丁度、灰原の事を思い出した。俺たちを逃がすため囮になり、上半身しか回収出来なかった彼のことを。確か彼は、自分に出来ることを精一杯頑張るのは気持ちがいいと言って、呪術師をやっていた。

 あの軽薄でちゃらんぽらんな五条さんも、腐敗した呪術界を変えるために行動している。

 目の前の夏油さんも、何かしらの大義のためにそんな馬鹿げた事をしようとしているのだろう。

 

「……夏油さん。俺が術師をやっている理由。知ってますよね」

「……復讐だろう?」

「ええ、そうです。俺の家族を殺した呪詛師を殺したい。だから、必死にこんなクソみたいな術式を磨いてきました。だから、左腕を切り落としました」

「……」

 

 俺にはそんな彼らが眩しすぎる。どこまでも自分のために呪いの力を使う俺には。

 俺の行動理念は二十二年前のあの日から変わらない。ただ、復讐を果たす。その為だけに今の今まで生きてきた。そして、これからも。

 

「俺の家族を殺したのは呪詛師。奴はあなたの言う猿じゃない。結局、どこまで行ってもこの世界は歪んでいるんですよ。この世界を俺は変えることができない。夏油さんや五条さんのように圧倒的な力なんて持ってない。そんな力があれば世界を変えられるのかもしれませんが、俺は屍を切り刻んで呪いを刻む事しかできない。使い潰す事しかできない」

「……」

「俺は不確定な革命後よりも、現状維持を望む弱い人間です。自分にできることを精一杯しようとするだけの弱い術師です。だから、すみません。俺は夏油さんに手を貸せません」

 

 夏油さんの顔も見ずにそう言い切って、残っていたギムレットを飲み干す。少しぬるくなっていて、爽快なはずのライムの風味もよく分からなかった。人生最後になるかもしれないお酒なのに、味が感じられない。空になったグラスを見ながら、他人事のように少しもったいないなと思った。

 背後の集団の殺意はもうとどまる事を知らず。いつ殺されてもいいように覚悟だけはしていた。

 

「そう、か。なら、仕方ない」

 

 ずっと無言だった夏油さんが、感情の熱が感じられない冷たい声を出す。続く言葉で殺されるのだろうと思っていたが、意外にもそうはならなかった。

 

「じゃあ、もう退散するとしよう。要件は済んだ」

「……え」

「なっ! 夏油様!」

「いいんだ。ただ商談が破談になった。それだけの話さ。それに、目的の品物も足止めの保険。ミゲル。君なら他の戦力に頼らずとも、悟を足止めできるだろう?」

「勿論ダ」

 

 夏油さんは俺には何もせず、グラスの中身を全て飲んで立ち上がる。取り囲んでいた集団の一人が声をあげるが、彼はそれを諌めるようにしただけだった。

 

「これ。ここの代金。十万もあれば足りるだろ?」

「……殺さないんですか?」

「当たり前さ。私は術師には死んでほしくない。お互いの信念や大義を押し通す為に呪いあった上で死ぬのならば仕方ないが、ここで袋叩きにして一人を殺すほど私達は落ちぶれていないさ」

「感謝はしませんよ」

「別にいいさ。……あ、でも一応縛りを立てておこう。『百鬼夜行』が終わるまでここでの会話はなかったことにする。どうだ?」

「……いいですよ」

「なら成立だ。じゃあね。司條」

 

 夏油さんはそう言うと、カウンターにお金を置いて出口へ向かう。お付きの呪詛師はこちらを不満げな顔で見ていたが、トップが何もしない事を決めたのだ。不承不承といった様子で、ぞろぞろと夏油さんの後に続き出口に向かう。

 

「……殺さないでくれたお礼に、一つだけ。俺の知ってる唯一の五条悟の弱点を教えてあげます」

「……悟の弱点? そんなものあるのかい?」

 

 店から出る途中で振り返った夏油さんは、これ以上ない程に怪訝そうな顔をしていた。それもそうだろう。一番よく五条さんの最強さを知っているのは彼自身なのだから。

 でも、俺は知っている。彼が知らない、五条さんのたった一つの弱点を。

 

「ええ、ありますよ。とびっきりの弱点が」

「それは是非とも知りたいね。なんだい?」

 

 俺は出来るだけ笑わないように気をつけて、それでいて下らないとびきりの冗談を飛ばすように、しかし、重大な事を伝えるように重々しく口を開く。

 

「あの人、下戸なんですよ」

 

 俺のその言葉は、夏油一行を静寂に包み込んだ。お付きの呪詛師らがみんなぽかんとした顔を見せたのは傑作だ。だが一瞬間をおき、彼らはおちょくられてると思ったのか怒りの表情を取った。殺気を放つ彼らが俺に近づこうとしたのと同時に、一際ぽかんとした表情をしていた夏油さんが口を開く。

 

「……ふっ、ふはははは。そうか、そうか。ああ、そういえば、はは。あいつお子様舌だったな。ははは」

 

 はははと、しばらくずっと夏油さんは笑っていた。それを見て俺を殺そうとしていた呪詛師たちは、すこし困惑げな表情をして動きを止めていた。

 一頻り笑って落ち着いてきたのか、夏油さんが口を再び開く。笑いすぎたのかその目には少し涙が浮かんでいた。

 

「いいことを聞いた。はは、ありがとう。感謝するよ。司條」

「夏油さんは二十歳(ハタチ)過ぎてから五条さんに会ってないですよね。知らないのも無理はないでしょう。……一度お酒でも飲み交わしたらどうですか?」

 

 目尻の涙を指で拭いながら、微笑を浮かべて再び夏油さんは口を開く。

 

「それは無理だね。少なくとも、今の世界では」

「……そう、ですか。残念です」

「さぁ、みんな。もう帰ろうか」

 

 夏油さんは振り返り出口へ向かう。他の呪詛師は少し戸惑っている様子だったが、今度は少しの困惑をその表情に滲ませながら続いた。今度こそ出ていくのかと思ったが、出口の寸前で立ち止まる。そして、こちらを見ずに再び口を開いた。

 

「──もし、私が作り変えた世界でみんな生きていたら、みんなでお酒を飲み交わせると思うかい?」

「……無理でしょうね。きっと」

「そうか、そうだね。でも、私はやらなければならないんだ。私の為に、家族の為に」

「……」

 

 自分の両親を殺すほどの覚悟とはどれほどの物なのだろうか。その強い覚悟が込められた言葉に、俺は返せる言葉を持ち合わせてはいない。……その言葉を呟いた彼の後ろ姿は、自分の覚悟を確かめているようで、もはや引き返せないと自分に言い聞かせているようだった。

 

「ただ……みんなで、一度ぐらいお酒を飲んでみたかった」

 

 そのみんなというのは、誰までを指すのだろうか。夏油さんの今の仲間達か。五条さんや家入さんまでか。俺や七海、灰原までだろうか。もしかしたら、両親も含まれているのかもしれない。

 

「今度こそ、さらばだ。……死ぬなよ」

「……」

 

 カランと控えめな鈴の音が鳴って、ドアが閉まった。気配が遠くなり、呪霊の術式も効力を失ったのだろう。心ここに在らずといった様子だったマスターや他の客も、少し混乱しているが正気を取り戻している。

 

「……マスター、ギムレットをもう一杯」

「え、あ、はい」

 

 少しぼうっとしていたマスターにギムレットを注文する。どうにももっと酔いたい気分だった。

 俺は学生時代に、正直五条さんよりも夏油さんを尊敬していた。どちらのが強いとかではない。二人とも俺の物差しでは測れない強大な力を持っていた。麓から山を見ても、どれ程の高さか分からないようなものだ。ただ、強いて言うならば夏油さんは真面目だった。いや、今もそれは変わっていないのだろう。根底にあるものがひっくり返ったのだ。

 

 俺は呪詛師が嫌いだ。生まれ持った特別な力で他者を蹂躙するのはさぞ楽しいだろう。呪詛師から呪具を創るのはあまり心が痛まないのもいい。だが、夏油さんは嫌いになれそうになかった。

 

 自分の親を殺して呪詛師になった彼と、自分の親を殺されて呪術師になった俺。文字面だけで見れば対照的だが、その時の年齢やら思想やら状況やらは全く違う。彼の考えは俺には分からない。

 

 マスターが目の前にギムレットを置く。一度塩味の効いたナッツを口の中に放り込んでから、グラスを口へと運ぶ。だが、ライムの香りもジンの風味もよく分からなかった。

 

 

 

 

 

「……みてぇな感じだ」

「……」

 

 七海は俺の話をずっと黙って聞いていた。俺も七海も残っていたギムレットを飲み干して、やっとお互いに口を開く。

 

「よく殺されませんでしたね」

「はは、そこかよ。あの時は酔ってたんだ」

 

 それは本当だ。人間どうしようもなくなると案外腹をくくれるらしい。呪いに近い人間は口が悪いことが多いが、自分もその一人だったということだろう。

 

「……私も、夏油さんがあんな事を起こしたのを責めることはできません。やはり、この社会は呪われている」

「……そうだな。お前がいうなら、きっとそうだ」

 

 社会人としても社会に出て、そして戻ってきた七海の方が広く知っているだろう。俺よりもよほどできた人間だ。呪術師になるしか道がなかった俺とは違い、彼は自分で選んで呪術師をやっている。一度社会に出てから、こんなクソみたいな仕事を選んだんだ。いつ死んでもおかしくないこんな仕事を。俺はそんな七海を尊敬している。

 

「夏油さんはきっと──」

「──真面目すぎた。そうだろ?」

「ええ。そうですね」

「……」

「……」

 

 妙に重たい空気になってしまった。やはり、死者の話をするのは酒の席ではあまり良くないなと思う。毎年知り合いが死ぬこの業界だ。死なない年のが珍しい。知り合いじゃなくても、術師に補助監督、被害者の一般人だとか、きっと誰かは死んでいる。いい加減慣れなければいけないと考えるが、同時に慣れてはいけないなとも考えてしまう。特に、俺は死者への敬意を決して忘れてはならない。

 

「マスター、ギムレットをもう一杯」

「大丈夫ですか? 貴方あまり強くないでしょう」

「いいんだよ。こういう時は飲むに限る」

「……なら、私ももう一杯」

「お、流石だなぁ。七海。どっちが先に潰れるか勝負するか?」

「もう貴方潰れかけじゃないですか」

 

 七海が酔っ払いのだる絡みを見るような目で俺を見てくるが、俺はまだまだ大丈夫だ。自分のことは自分がよくわかっている。せいぜい今の酔っ払い度は……八割程度だ。

 そんな事を言っていると、俺の携帯が震えた。

 

「あ、悪い。少し席を外す」

「ええ、どうぞ」

 

 一度バーの店内から出て、通行人の邪魔にならないように道の端に行く。着信元を確認すると妹からのようだった。

 

「もしもし」

『ちょっとー、出るのが遅いんだけど』

「悪い悪い。酒を飲んでてな」

 

 少しむくれた様子の妹の声に謝罪する。確かに少し電話に出るのが遅くなってしまった。

 

『ふーん、誰といたの?』

「七海だ」

『え、七海さん⁉︎私もそっち行きたい!』

「バカ言うな。お前まだ酒飲める年じゃねぇだろ。それに京都からどうこっち来るんだよ」

『く、お兄ちゃんのケチ!』

「いや、俺関係ないだろ」

 

 妹は一度七海と任務してから、七海にかなり懐いている。まぁ、七海は色々しっかりしているし、頼りになるから尊敬されるのも当然のことだろう。そういえば、猪野も妹と同じような流れで七海を尊敬してるんだっけ。……俺の周り、みんな七海を尊敬しているような気がする。

 

『いや、新しい子を創って東京まで……』

「で、何の用だ?」

 

 何やらぶつぶつと言っている妹に聞く。俺たちはあまりお互いに連絡はしない。最後に連絡したのは、確か少し前の妹の誕生日だったか。

 

『ママが偶には顔を見せなさいだって。お兄ちゃん特級とやりあったんでしょ? あんまりママを心配させないであげてね』

「……ああ、そうだな。次の休みにそっちに行くと伝えといてくれ」

『伝えとくねー。あ、またお土産買ってきてね!』

「いや、勘弁してくれ。女物の服を俺が買うのは色々変な目で見られるんだ。今はほら、ネットショップとかあるんだろ? 金は出すからそれで買ってくれ」

『あー、ごめん。こっち山奥だからさぁ。電波が悪いみたい。ばいばーい』

「……切りやがった」

 

 言いたいだけ言って妹は電話を切った。京女は怖いというが、少なくとも妹にはそれが当てはまるらしい。俺が無理を言って本家のある京都でなく、東京を活動拠点にしているからかよく買い物に使われてしまう。お金自体は俺には趣味はないし、偶に外食に行くぐらいにしか使わないので問題ない。ただ、ポップな色が溢れる店に俺が入るとどうしても変な目で見られてしまう。

 本当に勘弁してくれと思っていたら、ポツポツと雨が降ってきた。その雨から逃れるためにバーの中へ入る。

 

「……誰からでしたか」

「ん、妹だよ」

「ああ、京都の」

 

 カウンターに透き通った緑色のカクテルが置かれた。そろそろ俺は限界だろう。七海の言う通り潰れかけている。思考がフワフワとしてきた。確かに飲みやすいが、やはりギムレットは俺には強すぎたようだ。

 

「ギムレットには、どんな意味があるか知っていますか?」

「……確か、(きり)って意味じゃなかったか?」

「いえ、直訳ではなく。カクテル言葉というやつですよ」

「あー、悪い。俺はそういうのに疎いんだ」

 

 いわゆる花言葉のようなものだろうか。グルメで読書家の七海とは違い、俺にはそういった教養がない。カクテル言葉なんて洒落たものがある事を今知った。

 

「それで、どういう意味なんだ?」

「『遠い人を想う』……だそうですよ」

「はは……それは、呪術師(俺たち)には丁度いいな」

「ええ、そうですね」

 

 お前が死んだらこれを飲んでやるよ。

 

 映画みたいに格好付けて冗談めかして言おうとしたが、ついぞ口を開くことができなかった。冗談として言うには、あまりに俺たちは死に触れすぎた。お互いいつ死ぬか分からない。死んだ人達を想うには、彼らは少しばかり多すぎる。

 だからどうか、また身近な人が死んでしまわないように祈りながら飲む。ライムの爽やかな香りが、一際強く感じられた。




この話は小説版の七海の北海道出張後のお話です。とても面白いので是非まだ読んだことのない方は手に取ってみてください。

あと全然関係ありませんが、夏油一行ではミゲルが一番好きです。

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