自分にとって大切な居場所ほど、失うかもしれない不安は途方もなく大きい。
パンチングマシーンから吐き出された手紙の内容はこうだ。
『ゲームクリアおめでとう。
さて、次のステージの場所だが、羽丘のグラウンドに来て欲しいんだ。
特別な場所を用意したからね。
知性、勇猛。これまでのゲームで君たちはその2つを確かに示した。
なら後に残るのは、お待ちかねの直接対決。
クライマックスに、白馬の王子と悪役の戦いは不可欠だ。
そうだろう?
怪盗ハロハッピー』
「知らねぇよ」
寝ぼけた内容の手紙だったが、自分の居場所を教える程度には怪盗も潔さを持っていたということか。
そして、グラウンドには随分と大掛かりな光景が広がっていた。
「なにコレ?アスレチック?迷路?少なくともさっき来た時は無かった筈……」
「俺たちが校舎で暴れてる間に作ったってのか?このサバゲーフィールドもどきみたいな場所を」
グラウンド全体を囲う仕切り、そしてその中に広がる仕切りで入り組んだフィールド。
取り敢えず、手紙に書いてあった『特別な場所』はここで間違いないだろう。
何をするつもりかは知らないが、入り口っぽいプレートとそのすぐ横のモニターが、普通にそれっぽい。
その証拠に近づいたらすぐにモニターは反応し、追っていた怪盗の姿が映し出された。
『やぁ、諸君。よくここまで辿り着いたね』
「御託はいいからさっさとこっち来て正座しろや泥棒!お望み通りぶっ飛ばしてやるからよぉ!」
『やれやれ、荒っぽいのは相変わらずのようだね。やっぱり君を白馬の王子様にするのは難しそうだ』
「テメェをスクラップにするのは簡単そうだがなぁ?」
『まさにそういうところだよ。少年』
「知るかよ。俺がそんな器じゃないのはハナから分かってんだろうが。そんなかったるいヒーローごっこは隣の女にでもやらせときゃいい」
『その卑屈さも残念なポイントだよ。もったいない』
「あぁん?」
なるほど。直接対決を謳ってた割に今の俺たちへのコンタクトがモニター越しな理由がよく分かった。
……殴れねぇからだ。
「取り敢えずさぁ。こんなヤツの相手なんかしなくていいからさっさと始めようよ怪盗さん」
「『こんなヤツ』って何だよ。テメェ、まだ煽り足りねえのか」
「あんたこそいつまで器小っちゃいままなの?」
「うるせぇぞ。このタコ」
「タコの何が悪いっての?」
「悪くねえけどタコ焼きにしてソースぶっかけんぞこの野郎」
「はぁぁぁ?」
『君たちの相性も……その……相変わらずのようだね』
「「あぁ?」」
ふざけたことを……!
「テメェがこいつと組ませたんだろうが!データだけじゃ飽き足らずふざけたことしやがって!」
「わざわざこの組み合わせな辺り悪意しか感じないんですけど!?」
『そうかい?私は結構お似合いだと思うけどね。穏やかで、優しくて、でもどこまでも不器用で、誰かに頼ったりすることも苦手なあたり、君たちは似たもの同士だ』
「こっの野郎……!」
「耐えがたい侮辱だ……!」
「モニター越しのくせに偉そうに」
「イライラするなぁ!!」
『君たち、なんというか、その、もう少し普段の平穏さをだね……』
何ちょっと引いてんだよコイツ。
お前が蒔いた種だろうが。
「で?お前どこにいるんだよ。いつまでモニター越しのつもりだ?」
『直接対決と言っただろう?ゲームが始まれば、いずれ鉢合わせる筈だよ』
「じゃあ怪盗さん。そのゲームの内容どうする訳?ずいぶん大がかりな場所まで用意してるけど」
『いいだろう。それでは、説明といこうじゃないか。今回のゲームは……』
・・・
『このステージをすべて使った網鉄砲バトルだ!』
「網鉄砲バトル?」
『そう。このモニターの下の台に、2つの筒があるだろう?クラッカーのように後ろの紐を引っ張れば捕縛ネットが飛び出す仕組みだ。発射可能回数は一発ずつ。制限時間内にその網鉄砲でフィールドを逃げ回る私を捕まえることが出来れば君たちの勝ちだ。それが出来れば大人しくデータとりみちゃんを返そう』
「網鉄砲……これか」
『だがしかし、追われる身なのは私だけじゃないよ。既にそのフィールドには、網鉄砲を装備した、黒く染めあがった3体のメカミッシェルが解き放たれている。つまり……』
「全ての網鉄砲を使い切る、あるいはあたしたち2人が逆に捕まったら負けってこと?」
『そういうことさ。私自身は網鉄砲こそ装備していないが、頼もしい味方がいるから油断はしないことだ』
本来ならメカミッシェルとかいう不思議生物についてのツッコミもしてやりたいところだが、まぁいい。
あとは……
「牛込は無事なんだな?」
『当然。今も元気に待ってもらっているよ。そして……』
「お前……!!」
怪盗が懐から、俺のケースを取り出す。
『君のデータも、無傷で保管してあるよ』
「この野郎。気安く触ってんじゃねえぞコラ……!」
『ならば奪いに来るといい。返してほしければ、私を追い詰めてみせることだ』
「いいぜ。お望み通りブチのめしてやるよコソ泥が……!」
『そうだね。では折角だし、私が君に捕まった時にすぐに返すことが出来るよう、このデータは私がこのまま持って、持ったままの状態で逃げ回るとしよう。その方が君もやる気を出してくれそうだ』
「テメェ……!」
あぁ、どうやら今日はとことんイライラする運命にあるようだ。
「ここまで好き勝手にやっておいて無事に帰れると思うなよ」
『困ったものだ。私としては、ムキにならずにもう少し楽しんで参加してもらいたかったんだがね。今までだって本当なら殺伐とせずに、もっと楽しんでもらう予定だったのだよ?だってこれはゲームなのだから──』
ガンッ!!
「チィッ……!」
画面を殴っても、液晶には傷一つつかなかった。
どうやらかなり頑丈な作りらしい。
憎い憎い憎い憎い憎い……!
『どうやら彼も待ちきれなくなったようだ。では、ルールの説明も終わったし、この映像が途切れたらゲーム開始といこう。私の手にある2つの大切なものを見事に奪い返してみせるんだ』
その言葉を最後に画面が暗くなった。
俺も奥沢も網鉄砲は取っていたし、開始の準備は既に出来ていたのだろう。
どうやらゲームとやらは始まったらしい。
「ねぇ今井、怒ってるのは分かるけど、取り敢えず冷静になって作戦を考えよう。流石に無策で突っ込んで勝てるとも思えな──」
「黙れ」
「はぁ?」
「俺に命令するなって言ってるんだよ奥沢。次、俺に向かって偉そうに指図なんてしてきやがったらお前から潰すぞ」
「ちょっとは冷静になってよ!ただでさえ相手の方が数が……ってだから待てって──」
「触るな!!」
「……!」
俺の腕を掴んだ奥沢の手を振り払う。
もう、これ以上冷静じゃいられない。
俺の中にあるのは、暴走列車のような怒りと衝動だけだ。
「ゴチャゴチャうるせぇぞ。黙らせなきゃわかんねえのか?」
「あんたこそ分からないの?せめてちょっとぐらい時間かけて準備を──」
「だから俺が今から1分で全部片づければもうそれで終いだろ。邪魔はするな」
「話を聞け!」
「喋んなっつってんだろムカつくから!」
「……!」
「……牛込ともども、巻き込んだのは悪かったと思ってる。もう迷惑もかけないでやるから、お前は引っ込んでろ」
もう、誰にも頼らない。
目の前にはふざけた扉が一枚。
そこを抜けたら敵陣の中。
「ふぅ……」
だったらやる事は1つだ。
「いい音聞かせろや!!」
バゴアァァァァァァッッ!!!
扉を蹴り飛ばし、奥沢を無視して中の通路を全力で駆け抜ける。
「生きて帰れると思うなよド悪党が……!」
スタミナなんて知るか。全員ブチのめせばそれで全部解決なんだから。
暗雲立ち込める中、この迷路のような場所で、俺は戦いに身を投じるのであった。
「(今井。あのデータがなんだっていうの?一体あのデータの何が、あそこまで冷静でいられない程に、あんたをそこまで突き動かすの?)」
----------------------------------------------------------------------------------------------------
「出てこいこの野郎!どこに隠れていやがる!」
複雑な迷路を突き進み、自分がどこに居るのかさえも分からなくなってはいるが、俺はアイツを見つけるまでは戻る気もない。
少なくともただでは帰さない。
「おいコソ泥!ケンカ売ってきたのはテメェの方だろうが!戦う気すらも無いんじゃないだろうな?」
「それは無いとも。言っただろう?クライマックスに直接対決は外せないとね」
「……!」
振り返ると、すぐ後ろに憎たらしい姿があった。
「お前、どうしてここに……!」
「当然、さっきから君があまりにも熱烈に私を呼ぶものだから応えてしまったんだ。遠くにいても聞こえるぐらいの大声だったしね」
「だったらさっさとこんなことは止めてデータを返せ。これが最後のチャンスだ。これで返せば、暴力だけはしないでやる」
「あれだけの怒号で凄んでいたのに、まだ暴力を使わない選択があったとはね。やっぱり君はどこまでも優しいようだ。本当は暴力を使うつもりなんて欠片も無いんじゃないかい?」
「もう一度言っといてやるが、俺はあの説教くせぇバカ姉貴ほどお人好しじゃねえ。やる必要が無いならそれに越したことはないが……必要だったら俺はいつだって殺るぞ?不必要に暴力を振るうのは確かに野蛮だが、必要な時に拳も握れないなら、それはただの腰抜けだ」
「なるほど。だったら安心だ。少なくとも今の君は網鉄砲を持っているから暴力を振るう必要は無い。ゲームに正攻法で挑むだけでもデータは取り返せる」
「このくだらないゲームにこのまま付き合えと?」
「合理的ではあるだろう。君が持ってる網鉄砲の射程距離は2~3m。拳が届く距離まで近づくより、それを使う方がずっと妥当だ。私も逃げ足は速いし、そう簡単に捕まる気も無いからね」
「だったらさっさとやってやるよこの野郎!」
「君1人で私の相手が出来るかな?」
そう言って怪盗は身をひるがえして逃げ出した。
「待ちやがれ!」
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フィールド内で怪盗の姿を捉えたはいいが、俺はヤツとの距離を縮められずにいた。
ただでさえ向こうの足が速い上に、フィールドも入り組んでいて、ただひたすらにやり辛さだけが支配していた。
パンチングマシーンでの消耗も激しかったうえに、ゲームが始まって怪盗を見つけるまでの間にもかなりスタミナを消費している。
「はぁ……はぁ……」
「おや、もしかして息切れかな?私はまだまだこんなにも遠いというのに」
「うるせぇ!」
そう言ったはいいが、足はもう言うことを聞かない。
まだ走りたい。もっともっと走りたいのに、俺の足は既に限界を迎えていた。
汗を拭うことも忘れて、俺はその場にへたり込む。
「くっ……!」
「もう膝を折るのかい?君はまだもう少し追いかけてくると思っていたのだが」
「黙……れ……!」
言いながら膝を立てようとするが、もうそれすらも叶わない。
バイトで鍛えられてる筈なのに、すっかり俺の体はデスクワーク用に仕上がってしまっていたらしい。これまでの疲労を無いように扱うことは出来なかった。
思わず見下ろしてしまった地面に、頬から零れた汗が沁み込む。
「はぁ……くそっ……」
「少年。思っていたより苦しそうだが大丈夫かい?なんだったら少し休んだ方が──」
「ふざけんな!!」
敵である筈の怪盗が、俺を労わろうと歩み寄ってくる。
さっきからコイツの行動はおかしい。ゲームに勝ちたいなら、最初から俺の前に現れる必要は無いし、今も俺なんか置いてそのまま逃げればいい。
それでもコイツは俺に語り、歩み寄ってる理由。
あぁ、俺にはよく分かる。
そうやって俺は何度も見下されてきたんだ。
コイツも同じなのだろう。だからよく理解る。
「俺を舐めるのも大概にしろよテメェ……!」
5m先まで近づいてきた怪盗に、うずくまりながら睨みを効かせる。
「どういうことだい?」
「お前の中じゃ、俺なんて敵としての数にすら入ってないんだろ?ケンカ売って、その後のゲームでもわざわざ俺の前に現れる舐めプ。そして極めつけは『大丈夫かい?』だと?冗談じゃない。俺という人間はそんなに弱く見えたか?俺が相手なら持ち物を盗もうがケンカ売ろうが心は痛まなかったか?俺はそんなに安っぽい人間に見えたか……?」
今すぐに怨嗟を込めて殴りかかりたいが、歩み寄る体力もなく、ただ体を引き摺るしか出来ない。
「待つんだ少年。君は誤解をして──」
「まぁいい。どうせ俺は何の才能も持ち合わせない不良生徒だからな。見下されるのには慣れてる。ただでさえクラスの嫌われ者だったからな。今みたいに嫌がらせで持ち物を盗まれることだって何度もあったさ。
クラスメイト全員から無視されるようになった時は、流石に心が折れかけたがな」
そう言いながら、俺はただ意地汚く地を這う。
「レン君、君は……」
「まぁ、その辺は別にどうだっていいし気にしてない。行事関係で好感度下げまくってた俺が悪いんだし、お前がデータを盗んだのだって、何か俺に対して気に入らないことがあったからなんだろ?気付かないうちに知らねぇヤツが敵に回ってることもよくあったからな。慣れてるよ。
所詮俺は、お前の望み通りに白馬の王子サマになんてなれっこないような半端者だ。俺がお前に舐められてムカつくかどうかは別問題だが、俺が他人から見下されても仕方ないような人間であることそのものは事実だ」
「待ってくれ。私は──」
「だからお前は喧嘩を売ってきたんだ。俺を見下していたから俺の前に現れた。俺を取るに足らない存在だと考えていたから油断して、見くびった…………だから気付かなかったんだろ。うずくまっていた筈の俺が、さっきから体を引き摺りながら『着々とお前に近づいてる』ということに!」
「何……!?」
ありがとう。俺を見下していてくれて。
「その油断がお前の敗因だ!」
5m近く離れていた俺たちの距離は、既に4mに差し掛かろうとしていた。
網鉄砲の射程距離は2~3m。足りないようにも見えるが、それはあくまで止まって撃つ場合の話。
だから奴が完全に反応する前に動く。
この一瞬が──
「勝負!」
ダッ!
と地面を蹴り上げ、一気に膝を伸ばして怪盗に飛びかかる。
この瞬間のためだけに、バレないよう少しずつ足のポジショニングをしていたのだ。
横方向への跳躍は俺と奴の距離を一気に詰める。
距離3m
そこから更に一歩を刻む。
距離2m
「ここだぁぁッ!!!」
腕を限界まで前へ伸ばし、網鉄砲の紐を引っ張る。
完璧な不意打ち。
仮に奴が後ろへ逃げたとしても、網鉄砲の射程範囲だ。
未来予知でもしてない限り回避は不可能。
──その筈だった。
「甘いぞ!」
「何!?」
奴は確かに逃げた。
しかし、後ろへ逃げたのではなく、『前へ』逃げた。
2m近く離れていた距離が、更に詰められる。
「(マズい。詰められ過ぎだ……!)」
そう気づいた頃には遅く、網鉄砲の銃口を、奴はそのまま手で握りしめる。
バスッ!
そのせいで、紐を引っ張ったにも関わらず、網鉄砲は不発に終わり、たった1発の残弾数が0になる。
射出される筈だったネットが、全て奴の手で封じられた。
「網鉄砲の弱点は3つ。一度に1発しか射出できないこと。距離が離れすぎていれば届かないこと。そしてもう1つは、距離が近すぎると対象を捉えられる大きさまで捕縛用のネットが広がらないことだ。ましてやこんな風に銃口を直接押さえつけられた網鉄砲はネットの射出すらままならなくなる。良い子は真似しちゃいけない方法だが、網鉄砲の無力化は想像よりも容易いんだよ」
「この野郎……」
不発に終わったネットを網鉄砲の本体から引っ張り出しながら、怪盗は余裕の表情で話す。
「さて、これで少しは伝わったかな?私は君を見くびってなんかいないし、最初からずっと警戒はしていたんだよ。うずくまりながら悲しい話をしているくせに、君の眼は欠片も死んでいなかったからね。藪に隠れた毒蛇のように、獲物の前でずっと息を潜めていたんだろう?」
「お見通しだったとでも言いてえのか?」
「この私に演技で挑むなら、もう少し化けなければいけないよ。人を騙すにしては、君はいささか素直過ぎる。油断を誘おうという心持ちは悪くなかったけどね。もしかしてさっきの悲しいエピソードも、私を油断させるための作り話だったのかな?」
「生憎そっちはガチ話だ。お前みたいに人生うまくいってそうな奴には想像も出来ねえだろうがな」
「……大した精神力だ。あんな経験をしておきながら、絶望も見せずに、あんな眼光で私を睨みつけられる程の『凄み』があるとは」
「憧れの先輩が不撓不屈のアイドルなもんでなぁ。絶望も屈伏もテメェに見せてやる気は無ぇんだよ。この状況で俺にお世辞なんて送ってるような、舐めた態度のテメェの前ではなぁ……!」
よく見たら随分と余裕そうじゃねえかよ。えぇ?
相も変わらず腹が立つ顔だ。
「君を見くびっているつもりは無いが、さっきの戯れで網鉄砲を使い切ってしまった以上、これは不屈の精神でどうにかできる状況じゃないだろう。『君1人で』私をどうにかすることは、もう不可能だと思うが」
この野郎、ここに来てまだ俺をバカにするのか。
あぁ、そういうことか。
「お前もしかして、まだ自分が死なないとでも思ってるんじゃあないだろうな?ちょっとばかりお前のお遊びに付き合ってやっただけで、俺がブチギレてることも忘れたのか?ブチギレちまった俺が、テメェ相手に手段を選ぶ理性を残すとでも思ったか?
やっぱりお前は人を舐め過ぎだ。俺が相手なら安全に事が済むとでも考えてたんならお門違いも甚だしいぞ。藪に隠れていた毒蛇が目の前に迫った、絶体絶命のこの状況下で」
「それは、どういう──」
目の前にいる悪党の言葉を無視して俺は続ける。
俺の激情は止まらない。
コイツは既に勝ったつもりでいるのかもしれないが、俺からしたらここからが本番だ。
俺が待ち望んでいた状況は、今やっと揃ったのだ。
「お前がこんな状況に陥ったりしないように、最初から俺は何度も忠告してやっていたというのに。暴力を振るわないでやる譲歩だけは、ギリギリまでしてやっていたというのに。さっきだって、あの場で大人しく捕まってデータを返していればよかったものを、お前はわざわざ『近づいた』んだ。
目と鼻の先……俺の拳が叩き込めるほどの至近距離に!」
「……!少年、君は……!」
「嬉しい誤算だった。まさかこんな形で、怪盗。お前の懐まで到達できるなんて。お前に再会するなんて……!お前から奪うべきものは『3つ』。牛込の身柄と……!新聞部から盗ったデータと……!」
そして!
「お前の命だ!」
忘れちゃいけないが、俺はデータさえ取り返せれば手段なんざどうでもいいのだ。
あのデータは俺の存在意義であり、俺の居場所なのだ。それを守るためならもうなりふりなど構っていられない。
人としてどこまで堕ちることになったとしても、この始末だけは付けなくてはならない。
これ以上、こいつを放っておくことは許されない!
「待つんだ少ね──」
聞く耳も持たずに俺は左の拳を振り抜いた。
「オラァッ!」
「甘い!」
「フェイントだからな!」
「……!」
ガシィッ!!
怪盗は身を翻して俺の左の拳を躱し、軸回転で放たれた俺の右肘の一撃を両手で受け止める。
「少年、本気なのか……?」
「暴力は初めてか?いかにも人生バラ色っぽいもんな。顔面を粉々にされるかもしれない状況は結構な恐怖だろう?さぁどうする?大人しくデータを返すか?それともここでデスマッチを続けるか?尻尾巻いて逃げたって構わないぞ。逃がさんがな」
「流石に想定外だったね。まさか君がここまで激情と敵意を剥き出しにしてくるとは……!」
「確かに普段の俺ならこんな真似はしないだろう。お前が素直に返せば暴力なんてしなかった。でも、お前はそんな俺がこうなっちまうぐらいのことをしたんだ!俺はデータを奪い返して必ずお前を叩き潰す!人の存在意義を奪うような人間にかける情けなどありはしない!人を怒らせるとはそういうことだ!」
「必死だな少年!そんなに私が憎いか!?全てを奪われたことへの怒りか!?」
「あぁそうだ。俺はお前が許せない!必ず殺す!」
「……!」
バッ!
普段の俺が絶対に言わないであろう発言を受けて、怪盗が俺の右肘を振り払って距離を……取らせる訳ねぇだろクソが!
ガシィッ!
左手で怪盗の手首を掴み上げて無理やりこちらへ引き戻し、慣性によって引き寄せられる怪盗に叩き込もうとした右の拳を、怪盗が俺の右手首を捕らえて防ぐ。
お互いに手首を掴み合って、再度睨み合う。
「俺は……お前をどこにも行かせは……しない……!」
「凄まじい執着だね。『殺す』だなんて言われたのは生まれて初めてだ」
「そんな温室育ちのお前には一生分からないだろうな。誰からも必要とされない孤独も、友達だった人から『役立たず』だと見限られるかもしれない不安も、自分に生きてる価値が無いことに自分で気づいてしまった時の絶望も……!」
「だから『役に立つ人間』になって、周囲の友人から必要とされて、自分で自分に生きてる価値が無いと思わなくてもいいように、取材活動を続けていると?それが新聞部である君の存在意義だとでも?」
「あぁそうだ!俺が皆の友達でいるために!俺が俺を生きてていいって思えるように!オマエは……殺さなきゃいけないんだ!」
お互いに握り合った手首がギリギリと軋みだす。
「自己肯定か。必要なものではあるが少し利己的が過ぎるぞ。君が持っていた本来の活動理由はもっと純粋で、もっとシンプルなものだった筈だ」
「うるせぇぞ!とにかく俺はどん底から這い上がって今までの自分を変えるんだ!俺を信じて絶望から救ってくれた先輩や友達のためにも!あんな生き地獄へは二度と戻らねぇ!初めて胸に灯ったこの情熱だけは絶対に棄てる訳にはいかねぇんだ!」
「変わりたいと言ってるくせに君はまだ過去の恐怖に縛られているぞ!今の君は新聞部を通して承認欲求を満たそうとしてるだけだ!そんなものは『情熱』でもなんでもない!ただ『依存』してるだけだ!データの1つだけで簡単に揺らぐような存在意義で、君は自分を誇れるのか!?」
「黙れ!俺には部活しか無いんだ!アレが無くなったら俺なんてただのゴミなんだよ!必要とされない、役目を与えられない、そうやって何者にもなれなくなる恐怖がお前に分かるか!?テメェからしたら何でもない部活動に見えるものでも、俺にとってはドブ川の底で見つけた唯一の希望なんだ!」
「その『希望』大切さに、自分が見限られる不安や恐怖を抱えながらずっと生きるつもりなのか!?君はそれで本当に『幸せ』なのか!?君が守りたかった『日常』は、そんな閉ざされた生活なのか!?」
「窃盗犯の分際でこの俺に高説を垂れるんじゃあない!何を言おうがテメェを痛い目に遭わせてやらなきゃいけねえのは確定しているんだ!」
「聞く耳持たずか……!」
「そして何より!ただの嫌がらせに俺とは無関係な牛込や奥沢まで巻き込もうっていうその腐った根性が!シンプルに気に入らねぇ!」
右足を振り上げて怪盗の側頭部を狙うが、これも身を翻して怪盗は避ける。
そしてその反動でお互いの手が手首から離れ、俺たちに距離が生まれて自由になる。
「『データ』はすぐそこにある。自分の居場所を取り返すためなら俺はなんだってやるぞ。汚名だって被ってやるし、誰であろうとブチのめす……!」
「なるほど。そこまで言うなら仕方ない。走って逃げるのは簡単だが、やめよう。予想外とは言え、私には君をそんな激情に駆らせてしまった責任がある。言いたいことは色々あるが、君の怒りそのものは正当なものだ。正当な怒りを無下にしないためにも、君の気持ちは正面から受け止めよう」
「あぁ?」
「しかし私は怪盗ハロハッピー。私は決して誰も傷つけない。君を傷つけることはしないし、君に誰かを傷つけさせることもさせはしない。君の気持ちは受け止めるが、必ずこの場は2人無傷で乗り切らせてもらおう!」
無駄になった俺の網鉄砲のネットを拾い上げて、怪盗は俺を見据える。
「誰も傷つけさせないだと?10秒後にも同じ綺麗事が吐けるか!?」
「いいや違うぞ少年。これは綺麗事とは呼ばない」
「再起不能になってもらう!」
「こういうものは『覚悟』と言うのだ!」
俺が再び右の拳を振りかぶっているのに、怪盗は少しの動揺も見せずに、拾い上げたネットを、広げもせずに縦に構え、俺の拳に横から合わせる。
縦に構えられた網は、そのまま俺の拳を横へズラし、ズレた拳がネットの残りの部分で拘束される。
「なっ……!?」
「紐の防御に力は要らない。直線的なパワーのパンチは、ほんのわずかにその方向を逸らすだけで、軌道を大きく外れていく」
「オラァッ!」
「ふっ!」
続けざまに左の拳を叩き込もうとするが、怪盗が持っていたネットの残りが更に俺の左腕を拘束する。
「かかったな。両腕を出したことによって君の動きは全て封じることができた。そして今、防御に使っているのは捕縛用のネットであり、君の腕の拘束以外で使っていない部分はこんなにもある。つまり……」
バサッ!
俺の腕を起点にして、紐の束にしかなっていなかったネットが一斉に広がり、俺の体を全て包み込む。
華麗な動きで怪盗が俺の横を通り過ぎる頃には、既に俺自身の捕縛が完了していた。
「ぐっ……!」
体中がネットに覆われ、自由を奪われた体は足取りもおぼつかなくなり、そのまま情けなくすっ転ぶ。
「そういえばさっきの君のパンチだが、凄んでた割にパワーが弱かったぞ。ピッチャーフライ取るみたいに簡単に見切ることができた。もしかして君、やっぱり最初から暴力を振るうつもりなんて無くて、私がちょっと動揺した隙にデータだけ取り返そうとしていた、なんてことはないかい?それともパンチングマシーンで腕を使い過ぎて、単純に腕力が弱かっただけなのかな?もしかして……君の方こそ暴力は初めてだったとか?」
「テメェこの野郎!好き勝手に煽りやがって!これで勝ったつもりか!?」
「いいや。これは私の勝ちでも何でもない。不発したネットの再利用は網鉄砲による捕縛じゃないし、君はアウトじゃないよ。そのネットから抜け出すことができたら、また愉快に私を追いかけてくるといい。そういう訳だから、私はそろそろ退散しよう」
「待ちやがれ!」
「おっと、言い忘れていたが、ネットから抜け出したいなら急いだ方がいい。君の熱烈な叫び声を遠くから聞きつけているのは、私だけではないだろうからね。では今度こそさらばだ!」
「くそっ……!」
奴はそれだけを言い残し、そのまま見えない場所へ消えていった。
「マズいな。このネット、伸縮性はあるがかなり頑丈だ。引きちぎることも出来ない。それに、こんな身動きも出来ない状態であのメカミッシェルとやらに見つかりでもしたら──」
『pipipi……!pipipi……!』
「ん?」
『対象、捕捉』
「見つかってるぅ……!」
通路の陰から、電子音声と共に、無機質なデザインのミッシェルが現れた。
マズい。奴が来る前にこのネットを解けるか?いや、無理だ。思ったよりも絡まり方が複雑だ。
でもそうこうしてる間にあのミッシェルもどきは近づいてくる。向こうが網鉄砲の装備をしている以上、射程圏内に入られたら終わりだ。
「くそっ、ちょっとばかりカッコ悪いが仕方ない!網の目は思ってたより大きい。手も足も中から出せる!ならばやらない手は無い!やるしか無い!考えている暇は無ぇ!」
網の目から足を膝上まで出す。体は中に入ったままだが、取り敢えず足の自由は確保した。太ももがうっ血しそうではあるが、地面を引き摺ってるネットの部分を手で確保すれば走れる!
「うおおぁぁぁぁぁ!!!」
威勢よく挑んだ戦いは、なんともカッコ悪い逃走劇に早変わりした。
----------------------------------------------------------------------------------------------------
メカミッシェル、という名乗りではあったが、着ぐるみの質感や、走り方を見ていると、どうやら中身は機械ではなく、人が入ってるだけらしい。電子音声も、きっとボイスチェンジャーか何かだったんだろう。
しかし、それが分かったからと言って向こうが脅威であることに変わりない。寧ろ、そんなことが分かってしまうぐらいに奴の観察が出来ている時点で、それは逃げても逃げても撒けてない証拠だ。
「くそっ、やっぱり走り辛いなこのネット!走りながらもちょっとずつ解いちゃいるが、自由になる前に捕まりそうな気がしてならない!」
しかも、通路が相変わらず入り組んでて自分がどこにいるかも分からない。
あと、疲れた。
この曲がり角を曲がってから次の曲がり角へいけるかも分からない。
「くっ……」
なんとか曲がる。
だが、もう持たない。
そんな思考が出てきそうになった瞬間、俺の体はいきなり真横へ引っ張り込まれた。
「今井!」
「ガッ──」
首根っこを掴まれて、そのまま横の通路へ引き込まれる。
「奥沢、何すん──」
「喋るな。動くな。声を出すな。物音を立てるな。息もするな。今は黙って、存在しないフリをするんだ」
「でも追われて──」
「いいから」
やけに真剣な表情で、いきなり現れた奥沢が小声で囁く。
何を言ってるんだコイツは。今は追われて、メカミッシェルがすぐそこに迫ってるんだ。その場で止まるなんて、ただの自殺行為だ。
しかし無理やり口を塞がれて、文句の1つすら言い出せない。
「そう。しゃがんで、限界まで身をかがめて、ただの置物になって気配を消すんだ」
「(こいつ何を言って──)」
『pi……pi……』
「……!」
メカミッシェルが、すぐそこにまで接近していた。比喩表現なしで目と鼻の先だ。そしてもうこちらの通路側に顔を向けている。
マズい。見つかる……。
『……』
「……?」
『pi……pi……』
奴は俺たちをスルーして、そのまま向こうへ去っていった。
見逃してくれたのか?いや、そんなんじゃない。あれは見つけられなかったみたいな反応だった。
でも、どうしてだ?俺たちはすぐそこに居たのに。
「ふぅ。やっと行ったか。やれやれ……」
「……???」
よく分からないが、危機は脱したようだった。
ハロハッピーの誤算だったのは、普段の優しいイメージのレン君を想像してたら、地雷を踏み抜かれたレン君が想定の500倍ぐらいブチギレたこと。
本当ならスマイル号での追いかけっこぐらいの楽しさとマイルドさで進行するつもりだったのに、参加者2人はギスギスしたままやし、最後のゲームで目の前に単独で現れた参加者はどんな言葉をかけても曲解して怒りの火に油を注ぐ結果にしかならないバーサクっぷりだったこと。
そんなバーサク状態の高1男子が本気で放ってくる殺意と暴力を、高2女子の身でありながら演劇部仕込みのフットワークと殺陣の経験、王子様スキルで培われた『儚さ』だけでどうにかしなければならなかったこと。
そんでそれを誰1人傷つけることなくどうにかした。
……にも関わらず、この状況が好転するビジョンが欠片も見えないこと。
「両腕に強く残ったパンチングマシーンでの蓄積疲労と、私を見つけるために消費された大量のスタミナ。これが無ければ私も危なかったかもしれないな。
まったく、骨が折れる仕事だね。儚い……」
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次の更新は明日。
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