彩ちゃんの話を、書きたくなった。
それだけ。
84.丸山彩と歩くシチュ
『ねぇ、レン君。少し歩こうか』
なんてメッセージがいきなりチャットから飛んできたのは、つい先日のことだった。
本当に、そんなメッセージだけが何の前触れも無く送られてきた。
「ねぇ、彩さん。本当に何の目的も無く歩くだけなんですか?」
「そうだよ。もしかして、もっとデートみたいにした方が良かった?」
「いや、そうじゃないですけど……」
そして当日。
俺は彩さんの1歩後ろをついていく形で歩いている。
今日の彩さんの服装は白パーカーに黒いシャツにショートパンツと、普段のふわふわ可愛い彩さんにしては珍しい服装だったが、そんなラフな格好も下ろした髪によく似合っていた。
そんなカジュアルな後ろ姿を見ながら、俺はひたすら彩さんについていく。
「お、レン君。あんなところにクレープの屋台があるよ。折角だし食べながら歩こうか。奢るし」
「いいんですか?」
「これでも芸能人だからね。年下の子のクレープ代を出すぐらいの甲斐性はあるつもりだよ」
彩さんは俺の分のクレープを手渡すと、また目的も無く歩き始めた。
肌寒い風が、俺たちの間を吹き抜けていく。
クレープを取り出す音と、枯れ葉を踏みぬく足音だけがそこにあった。
そうして歩いていると、場所は街中から川沿いに変わり、俺の前を歩いていた彩さんは、足を止めて手すりにもたれかかった。
「レン君。クレープは美味しかった?」
「……?そりゃあ、美味かったですけど。いちごバナナ味」
「そっか。美味しかったんだ」
「ていうか、彩さんも同じやつ頼んでましたよね?」
「そうだね。確かに君が頼んだクレープはいちごバナナ味で、私が頼んだクレープもいちごバナナ味。そこには何の間違いもない。同じ店で買って、同じ店員さんが、同じ材料を使って、同じ調理器具を使って、同じ手順を踏んで、同じ紙に包んで手渡した、味も食感も何一つ違わないクレープだよね」
「そうですけど……?」
「じゃあ、君のクレープと私のクレープは、同一の存在?」
「……?」
彩さんは一体、何が言いたいのだろう?
でも……。
「同じなんじゃないですか?」
「なるほど、レン君はそう答えるんだね」
「あの、彩さん。禅問答の類がしたいなら、俺じゃ不向きですよ?アホだし」
「そんなに難しく考えなくていいよ。じゃあ、また歩こうか」
色々と聞きたいことは浮かんだが、普段とは違う、どこかクールでアンニュイな雰囲気の彩さんに流されるままに、俺はそのまま目的も無い散歩についていった。
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次に向かったのは公園だった。
今はベンチに2人で腰掛けながら、近くで買ったシャボン玉を彩さんが飛ばしている。
「私が食べたクレープと君が食べたクレープは『同一の存在』だと、レン君は言ったね?」
「まぁ、あんなに何もかも同じだったんですから、普通にそうだと思いますけど」
「だよね。仮に私とレン君がクレープを交換して食べさせたとしても、味や食感は何一つ違わない」
そんなことを呟きながら、俺の隣で彩さんはふぅっとシャボン玉を飛ばした。
大小、様々な大きさの球体がふわふわとその場を漂う。
変わり映えのしない公園の景色を、透き通った無数のレンズが彩る。
綺麗だ。そう思った頃には、既にいくつかのシャボン玉があっけなく割れていた。
「レン君、歩こうか」
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次に彩さんがふらふらと歩き、辿り着いた場所はCiRCLEのライブステージだった。
まだ昼過ぎだし、今日はライブの予定も無いので、今のこの場所に騒がしさは無い。
本来は入れない場所だが、ステージを見たいという彩さんの要望を、まりなさんが無下にしなかった。
「やっぱり音楽もお客さんも居ないステージは、寂しい感じがするよね」
「でも俺はこの静けさ、結構好きですよ。ステージがライブに備えて英気を養っているかのような感じというか、静かは静かでも、嵐の前の静けさみたいな」
「私も好きだよ。リハーサル直前とかに、もう少しでこのステージいっぱいのお客さんが、私達の歌を聞きに来てくれるんだって思うと、何だかたまらない気持ちになるんだ。まぁ、その分緊張もしちゃうんだけどね」
「で、その緊張した所を狙って日菜さんが背中から脅かしてくると……」
「そうそう。困っちゃうよね。助かるけどさ」
ライトアップされたステージに、彩さんが腰掛ける。
ショートパンツからスラッと伸びる綺麗な足が、観客席側に投げ出されてプラプラと揺れる。
俺は彩さんの正面に立つように、観客席の傍へと寄った。
「ねぇ、レン君」
少し上側の視点から、彩さんは俺を見据える。
「さっきのクレープの話さ。アレ、人間バージョンで考えてみると、どうなのかな?」
「というと?」
「ある日、私が突然この街から消失するとするじゃん?」
「はい……」
「そして、しばらくしたら私の代わりが現れるの。見た目も、性格も、記憶も、長所も、短所も、何もかもを完璧に模倣した別人が現れたら、それは『丸山彩』なのかな?」
「それは……」
「その『代わり』は、丸山彩と同一の存在と言えるのかな?」
「……」
「それとも、どれだけ完璧に模倣したとしても、所詮それは模倣に過ぎなくて、『本物』と『代わり』にはどうしても超えられない絶対的な壁があるのかな?別物はどこまでいっても別物で、偽物はどこまでいってもニセモノなのかな?」
「……」
「レン君は、どう思う?その『代わり』の女の子は、丸山彩と同一になると思う?それとも、丸山彩は街から消えた私だけ?」
どうだろう?
彩さんが突然居なくなって、そして彩さんを騙る偽物が現れて、でもソイツは何もかも完璧に彩さんで……。
「分かんないです」
「……そっか」
「でも、どっちの彩さんも、『大切にすべきもの』だとは思います」
「大切に?」
「俺は街を去った彩さんを忘れたりはしないです。でも、『代わり』に現れた誰かを、ぞんざいに扱うような真似も、多分、出来ないんだと思います」
「優しいね」
「どうだか」
そりゃあ、そんな状況になったら死に物狂いで彩さんを探すし、『代わり』になった誰かを受け入れることも出来ないだろうが、でも、それがその誰かを大切にしない理由には、きっとならないと思う。
どこの誰にだって、大切にされる権利はあっていい筈だ。
「本物と、本物と区別のつかない偽物、どちらの方が価値あるものか……この問いに君は……」
「『どっちも尊い』……としか答えられないです。優柔不断で煮え切らない答え方だと思いますが」
「いいや。レン君らしくていいんじゃない?」
「ま、偽物如きが彩さんの偉大に辿り着けるかは疑問ですがね」
「でも、偽物が本物に敵わない、なんて道理は無いよ。レン君」
「てか、このよく分かんない哲学みてぇな難しい質問、どう答えたら正解なんですか?俺、的外れなこととか言ってませんか?」
「さぁね。少なくとも正解が存在する質問じゃないよ」
ステージ上のライトに照らされた彩さんが少しだけ微笑んだ。
「レン君は、私のこと好き?」
「なんですかいきなり?」
「いいから」
「……大好きですけど」
「見た目が好き?それとも性格が好き?」
「全部ひっくるめて大好きです」
「ふふっ、そっか」
そう言うと彩さんは、また少しだけ笑った。
「じゃあレン君。今日はもう解散しようか。休日に長い距離歩かせちゃったのは申し訳ないけど、結構楽しかったよ」
『えいっ』
なんて可愛い掛け声と共に、彩さんはステージから観客席側へと飛び降り、そのまま俺を置き去りにして扉まで走っていった。
この感じだと、一緒に帰るという感じではなさそうだ。
「なぁ、彩さん」
あのまま解散をしても良かったが、何かを言っておきたかった。
そんな衝動だけで呼び止めると、彩さんは扉の手前で立ち止まった。
彩さんは扉の方へ向いたまま振り返ってくれないし、距離も少し遠くなってしまっているが、充分だ。
「なんでこんなこと言いたくなったのかは分かんないけど、なんか言いたくなったから言うぞ」
「……?」
「俺は、あんたを覚えておくよ。あんたという人間が居るってこと。この場所で過ごしているってことも、丸山彩が、人々の心に残る程の偉大な『アイドル』だってことも」
「そっか。君は私という存在を、覚えていてくれるんだね」
「あぁ、そうだ。絶対に忘れてやらない」
というよりも、忘れられないのだと思う。
それほどまでに、魂に刻み込まれた存在だったから。
「君は本当にいい子だね」
彩さんがステージの扉を開く。
「(ここでお別れか……)」
「大丈夫」
俺がちょっとした寂しさを抱いた刹那、まるでそんな心情を見透かしたかのように、彩さんは振り返った。
「私は死なないよ」
それだけを言い残して、彩さんはライブ会場を後にした。
俺には何も出来ないし、何かが変わる訳でもないし、こんなことしても無意味だとは思うけど。
それでも、俺はあんたのことを覚えておくよ。