チュチュのスタジオでの秘密の特訓は続いた。
まりなさんの都合がつかない時は、1人で自主練にも励んだ。
そう。今の俺は、自主練が出来るまでに成長したのだ。
そして、今日はスタジオ入りも遅かった。夜8時から遅くまで長いこと居座るのは迷惑かとも思うが、本当に迷惑なら直接追い出しに来るだろう。いくら別の部屋の作曲作業で忙しいとはいえ、そのぐらいはしてくる筈だ。
~♪~♪~~♪
まりなさんに教わった簡単なフレーズと、俺の呼吸音だけが、このスタジオを支配している。
「次・・・。次のフレーズ・・・」
何度も何度も、全く同じ、決まったフレーズを繰り返し、繰り返し練習していく。
何度も・・・。何度も・・・。
「すぅぅ・・・ふぅ・・・」
~♪~♪~♪
今日は、やけに頭が冴える。どこまでものめり込める気がする。
決まったフレーズを何度も弾いて、手が馴染んできたら、また別のフレーズを弾いて、そのループを何度も繰り返し、そのまま夜は更けていく・・・。
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いくら時間が経っても、俺の頭は冴えたままだった。
もしかしたら、そこまで時間は経ってないのかもしれない。疲れも感じないし。
「次・・・」
同じことの繰り返しなのに、飽きる気配は全く無い。
寧ろ、この繰り返しに快楽を見出してさえいるのかもしれない。
指の感覚は、ふわふわしているようで、どこか研ぎ澄まされてもいて・・・。
揃った音が、たまらなくキモチいい・・・。
「ふーっ・・・次・・・」
この調子なら、このまま何時間でも―
「レン!ちょっと!!」
「次・・・次・・・」
「無視してないでこっち向きなさいよ!!」
「うおぁい!!!」
次のフレーズを弾こうとした途端、突如としてチュチュに胸ぐらを掴まれた。
「まったく・・・。こんな時間までやってるなんてどういうつもり?」
「あっ、悪い!夢中になってて気づかなかった!今何時!?」
「9時よ」
「なんだよ焦らせやがって。スタジオ入り8時だし、まだ1時間ぐらいしか経ってないだろ。あ、もしかして、今日は都合悪かったりしたのか?」
「・・・?」
「えっ?何?」
「アナタ、本気で言ってるの・・・?」
「はい?」
「・・・外、見てきなさい」
「・・・?おう」
チュチュの指示通り、スタジオを出て、リビングの窓からベランダの外の景色を見る。
見えたのは、高所から見える綺麗な夜景・・・
などではなく。
「めっちゃ朝日差し込んでる・・・」
「作曲中に寝落ちしてアナタをほったらかしにしたワタシも悪いけど、まさかオールされるなんて思ってもみなかったわ・・・」
「いや、マジでごめん。俺も予想外だったわ・・・えっ?じゃあ俺、1時間練習したんじゃなくて、12時間練習して時計を1周させてから、更に1時間練習したってこと?」
「というか、スタジオにも時計あったでしょ?休憩中とかに気付いたりしなかったワケ?」
「ごめん。そもそも休憩入れてなかったから分かんなかった」
「は?」
「いや、だから、夢中になって休憩するの忘れたんだよ」
「・・・13時間、ずっと?」
「俺だって13時間なんて感覚じゃないよ。長くても2時間とか3時間ぐらいのつもりだったし」
「アナタ、そんな長時間、時間の流れも忘れてスタジオに籠り続けたって言うの!?」
「まぁ、そうなるな」
「夜の8時から深夜、そして朝方にかけての時間を、休憩無しの、飲まず食わずで、あの場所を1歩も動かずに、弾けるフレーズのループだけを、ぶっ通しで?」
「そうだな」
「(どんな集中力してるのよ。コイツ・・・!!)」
「あれ?チュチュ?」
「手、出しなさい。両手」
指示通りに両手を出すと、チュチュは俺の手を掴んで、手のひらと指をじっと見つめる。
「ボロボロじゃない。ただでさえ絆創膏だらけなのに、痛くなかったの?」
「窓の外を見たあたりで、やっと痛く感じてきたところだ。突き刺す感じというか、痺れる感じというか・・・」
「そのぐらい熱中していたのね」
「ダメだったか?楽器弾くのに、こんな状態にして」
「そうね。大事にしろって言いたいけど、これはアナタが頑張った証だもの。そう思うと何も言えないわ」
「そうなのか?」
「えぇ。これまでの度重なる練習で、アナタの指も強くなっていた筈なのに、今日の練習でまたボロボロになって。はぁ・・・本当に13時間ぶっ続けで弾いてたのね」
「ははっ。仕事柄、よく締め切りに追われてるお陰で徹夜には慣れてるんだ。まぁ、今回に限っては、特に集中しちゃった気はするけど」
「なるほど。何だかんだ下積みはあった訳か・・・能力って、どこで活きるか分らないものね」
「そう、かな?」
「えぇ。アナタのそれは間違いなくギタリストの指よ。実力は半人前もいいとこだけど」
「チュチュ・・・」
「ワタシ、結構好きよ。アナタの手・・・」
「それは、ありがとう?」
「えぇ。どことなく憔悴してる雰囲気も、充血して血走った目も、ボロボロなくせに必死な感じがして好きよ。口元にヨダレがあるのが残念だけど」
「えっ!?うわマジだ!なんで!?」
「集中し過ぎるとそれにも気付けないのね・・・」
「どうしよ?スタジオ汚したりとかしてないよな?」
「それはさっき確認したから大丈夫。でも」
「でも?」
「アナタの相棒は、後で入念に手入れすることを勧めるわ」
「はい。マジかぁ・・・」
「あと、着信も凄いことになってると思うから。姉への言い訳もちゃんと考えておきなさい」
「あっ・・・」
案の定、凄いことになってる。
遅くなることは伝えてあるし、帰りが遅いのは今日以外にもよくあったが、流石に怒ってるだろうか・・・?
「レン」
「何だよ?」
「その手の傷が治る頃には、アナタの手は更に強くなってる」
「・・・」
「多分、アナタはこれからもっと上手くなるわ」
「そんなこと、初めて言われた・・・」
「仕方ないでしょ。アナタの手がその証拠。特にアナタの集中力は目を見張るものがある。・・・才能あるわよ。アナタ」
「えっ!?嘘。マジで!?そこまで言う?」
「音楽的なセンスとは違うけど、確かに才能よ。ガールズバンドに触れることによって得た、誰もが持ってて当然な『普通』の音楽性、そしてそれに加えて、記事を書くことによって得た驚異的な集中力・・・」
「・・・」
「才能は才能でも、天性のものじゃない。後天的に、アナタがこれまでの人生から、自力で勝ち取ったチカラ。結構な値打ちよ?」
窓からの朝日に照らされるチュチュは、何よりも輝いて見えた。
「・・・」
「ちょっと?人が珍しくここまで褒めちぎってるんだから、感謝の一つでもしたらどうなの?ただでさえらしくないことしてるのに・・・」
「ぐすっ・・・だってよぉ・・・」
「ちょっ、なんで泣いてるのよ!?今はそんなタイミングじゃないでしょ?」
「仕方ないだろ。あんなっ、俺が今まで言われたこともないような誉め言葉ばっかり・・・何なんだよぉ・・・」
崩れ落ちる俺に、チュチュは困った様子で寄り添ってくれる。
膝をつき、俺の頭をそっと撫でるチュチュ。
「ごめんなさいね。普段バンドで才能に恵まれた連中ばかり相手にしてるから、アナタが才能で苦しんでたこと、すっかり頭から抜けてたわ。こんなに誉め言葉に弱かったなんてね」
「俺こそ、ごめん。さっきから困らせてばっかりだよな・・・」
「いいえ。そうでもないわ。アナタには良いものを見せてもらった」
「良いもの?」
「えぇ。今のアナタや、その傷だらけの手先を見てると、何だかインスピレーションが湧いてくるもの。今なら作曲も捗りそう。間違いなくいい曲が書けるわ」
「そう言えば、作曲中だったんだっけ?ご苦労なことで」
「別に苦労でもないわ。この作曲は趣味の範囲だし」
「そうか」
「それに、昨日は苦戦したまま寝落ちしたけど、今のアナタを見て最後のピースが埋まった気がする。だから寧ろ感謝したいぐらいなの」
「ははっ、まさかこの俺が、作曲のお手伝いとして力になれる日が来るとはな・・・」
チュチュとの会話で元気も戻り、俺はようやく立ち上がった。
流石に、そろそろ帰らないとヤバいし。
「じゃあ、撤収だな」
「そうね。RASの練習、今日は昼からだし、早く片付けてもらわないと」
「マジかよ!?それ早く言えよ!」
「さぁ急ぎなさい。パレオの現場入りは早いわよ?」
「くそっ!せめて片付けてからスタジオ出ればよかった!!」
大急ぎで撤収して帰った後、心配する姉への言い訳には大変苦労させられた。
丸一日、スタジオに籠って風呂にも入っていなかった状態での入浴は、かなり気持ちよかった。
湯船で寝落ちしそうになるほどに俺が疲れていたことは、誰にも話していない。
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俺がチュチュのマンションでオールを決め込んで数日後、俺とまりなさんにチュチュからの連絡が届いた。
『そろそろ、次の段階の話をしましょうか』
これまでも、チュチュからの連絡を合図に俺とまりなさんがマンションへ向かうという形は取っていたが、ここまではっきりと招集のような文面が送られてきたのは、初めてだったと思う。
そして俺達は今、スタジオ内に並んでチュチュの方を見ている。
「それでチュチュ。次の段階ってのは・・・?」
「アナタの目標の話よ。今までの練習でレンのギターぢからも、TAB譜で1フレーズを自然に弾けるまでにはなった。でも、レンの目標はそこで終わりじゃない。寧ろ、これでやっとスタート地点に立ったのよ」
「そうだね。レン君の目標はあくまで、「ライブをしてみたい」と「リサちゃんや友希那ちゃんをあっと言わせたい」だもんね」
「確かに。俺が自分勝手でチュチュやまりなさんを巻き込んでまでギターの練習をしたのは、その目標を達成するためだ」
「えぇ。そしてレンのギターは、あともう少し鍛えれば、そのレベルにも到達できると思う。ただ・・・」
嬉しいことを言ってくれる反面、テンションはあまり高くない。
「やっぱり物足りなさがある。多分アナタのギターソロ1本『だけ』では、あまり良い成果は得られないし、仮に形だけなんとかライブが成立したとしても、湊友希那のすまし顔は崩せない」
「そうだな。俺がロックみたいに、ソロだけで会場全部を虜にするぐらいのことが出来ればいいんだけど・・・」
「それに、どの道ギターの演奏だけやっても、技術とか関係なく派手さに欠けるのよね・・・」
「そうだよねぇ。やっぱりバンドみたいに、数種類の楽器で構成された音の厚みに慣れた人に聞かせるとなると・・・あれっ?チュチュちゃん、まさか・・・」
「その「まさか」よ」
チュチュはターンテーブルの近くに置かれた台に登壇し、俺達を見下ろす素振りを見せる。
そして彼女はその小さな体で、高らかに宣言した。
「バンドを組むわよ!!アナタのファーストライブに向けて!!」
俺の中の歯車が、また一つ動いた瞬間だった。