元人外の2人に平穏な生活が許されるわけないのです。
綾波レイは生業としている農業の合間に、海辺の高台の農園から原付バイクで麓の村へと下り、村を走る唯一の幹線道路沿いにある農産物直売所を兼ねた道の駅でアルバイトをしていた。日常の殆どを将来を誓い合った伴侶と共に農園で過ごしている彼女にとっては、道の駅でのアルバイトは地域社会に触れる貴重な時間でもある。
当初は直売所の売り子として入ったが、そのあまりの愛想のなさに2日目にはバックヤードへと回されてしまったレイだが、その素直な性格と真面目な仕事ぶりからパート仲間のおばちゃんたちからはいたく可愛がられており、今や職場のマスコット的扱いとなっている。
この日の休憩時間もいつものように、お茶の入った湯飲みを持ちながらお喋りに興じるおばちゃんたちの車座の中にしれっと混じるレイ。元来極端に無口な性格の彼女は、一言も喋らずに休憩時間が終わってしまうことも珍しくないが、「そーゆーコなんだ」と理解しているおばちゃんたちはそんなレイの態度にも全く気にすることなく、ぺちゃくちゃお喋りを続けながら各々の家から持ち寄ったお茶菓子をレイの前に次々と置いていく。休憩時間が終わるころにはレイの前にはお茶菓子の小山が出来てしまっており、それらはレイの手でお持ち帰りされた上でそのまま彼女の伴侶の胃袋の中に収まるのだった。
「君たちいつまで休憩してんの。はいはい、仕事に戻ってー」
道の駅の駅長である恰幅のよい男性がおばちゃんの群れに声を掛けた。
おばちゃんたちが湯飲みを片付けながらそれぞれの持ち場へ戻る中。
「ああ、高雄さん。それに綾波さんも」
レイと、パート仲間の一人であり、レイたちの世話人のような立場でもあるおばちゃんが呼び止められた。
「ちょっとお願いがあるんだけどさ」
「なんでしょ?」
「高雄さんたちが直売所に持ち込む野菜の数、増やすことってできないかな?」
「そりゃできんこたないですが。ねえ?」
頷くレイ。
「なんだか知んないけど、この頃やたらと野菜の売れ行きがいいんだよ」
「ああ、そう言えば、最近商品棚に野菜並べてもすぐに無くなってしまうよね」
「そうなんだよ。周辺の農家さんたちにもお願いしてるんだけど、君たちもぜひ。ね?」
「そりゃ、野菜が売れればあたしたちのお小遣いが増えるから嬉しいけどさ。ねえ?」
頷くレイ。
伴侶のために密かに貯めている電子ピアノ購入資金に対し、目標額はまだまだ遥か雲の上であるレイにとっても、駅長さんの話は喜ばしい提案であった。
「じゃ、よろしく頼むよ」
次のアルバイトの日。駅長に依頼されたレイは早速荷台と前籠に今朝採れたばかりのキャベツを満載した原付バイクで職場にやってきた。職員用駐輪場にバイクを停めながらふと駐車場へと目を向ける。駅長に言われるまであまり気に留めていなかったが、確かに最近の直売所は盛況だ。この日も平日の午前中にも関わらず、駐車場の半分以上が埋まってしまっている。よく注意して見れば、他県ナンバーの車も多い。
そしてレイが持ち込んだキャベツたちは、売り場に並べてから僅か30分で売り切れてしまったのだった。
次のアルバイトの日。荷台と前籠に今朝採れたばかりのゴボウを満載した原付バイクで職場にやってきたレイ。この日は平日にも関わらず、満車状態の駐車場にぎょっとしてしまう。駐輪場にバイクを停めていたら、店の方からパート仲間のおばちゃんの一人が血相を変えてレイのもとに駆け寄ってきた。
「ちょっとレイちゃん! 今日はバックヤードはいいから! 売り場を手伝ってちょうだい!」
おばちゃんの手に引かれるままに店内に入ったレイは、その光景を見て再びぎょっとしてしまう。
売り場を埋め尽くす、人、人、人。
皆、売り場に並んだ野菜たちを我先にと掴み取っては、手に持った買い物用のカゴの中に次々と入れている。是が非でも野菜を手に入れようとする客たちの表情は些か殺気立っており、店内は争奪戦の雰囲気に包まれていた。
「レイちゃん! 今、裏手に中原さんとこが新しい野菜持ってきたから! すぐに売り場に並べてちょーだい!」
レイは頷くとユニフォーム代わりのエプロンに袖を通し、店舗の裏に停められた軽トラックに向かって走っていった。
近隣の農家から持ち込まれた野菜を次々と並べても、まるでイナゴの大群が過ぎ去った後のように、売り場からはあっという間に野菜が消えてしまう。遂には売り場に野菜を運んでいる途中のレイが抱える段ボール箱の中から、直に持ち去られてしまう有様だった。
次のアルバイトの日。この頃の過酷なアルバイトにややげんなりとしつつも、この日も今朝採ればかりのジャガイモを満載した原付バイクで職場に向かうレイ。この日は早出のため、道の駅が開店する前の朝7時頃に職場までやってきた。しかしレイのバイクは、道の駅の駐車場に入る前に停まってしまう。
開店前の時間にも関わらず、ついに駐車場から溢れ、道路に渋滞を作ってしまった車たち。
直売所の前に並ぶ、長蛇の人の列。
その様子を、口を半開きにした表情で見つめていたレイ。
レイが跨る原付バイクが、トットットと軽妙なエンジン音を響かせる。
その音に気付いた開店待ちの客たちが、レイの方へと視線を向けた。
途端に。
「そこの君!」
「ちょっとあなた!」
客たちが、一斉にレイの方へと向かって走り出した。
「その野菜を売ってくれ!」
「私にも!」
「何を言う!俺が買うんだ!」
「売値の倍払ってもいいから!」
物凄い形相で迫ってくる客たちにびびってしまったレイは、バイクをくるっと方向転換させると、スロットルグリップを限界まで捩じる。
急発進する原付バイク。
車体が大きく揺れ、荷台に積んでいた木箱の中からジャガイモが一個落ちてしまった。
遠ざかる駐車場の様子をサイドミラー越しに見つめるレイ。
道路に落ちたジャガイモ一個に群がり、争奪戦を始めている客たちを、唖然とした顔で見つめるのだった。
『はい! 本日のリポートはこちら! 〇△村の道の駅からお送りいたしております!
何の変哲もない道の駅ですが、ご覧ください! このお客さんの列!
ここが行列ができる道の駅として巷を賑わせております、「〇△の郷」なんですね。
なぜこのような田舎の道の駅に行列が出来てしまうのか。
お客さんたちの声を集めましたのでご覧ください』
『そりゃあんた、ここの野菜を食べてごらんなさいよ~。
うちの旦那なんてね。ここの青梗菜食べた次の日には腰痛が治ったんだから』
『おばあちゃん。ずっと車いすだったんです。
でもここのサヤエンドウ食べたら歩けるようになったんです。
嘘じゃないです。ホントなんです』
『たくのぼっちゃん。ここの白菜頂いたら第一志望校に受かりましたですの』
『カボチャ食べたらホッジ予想が解けました』
『ここの野菜のおかげで生涯現役です』
『背が伸びました』
『宝くじに当たりました』
『彼女ができました』
『いかがでしたでしょうか。我が番組にも同様の声が続々と寄せられています。
正に奇跡の道の駅。奇跡のお野菜。
我々は道の駅職員への直撃インタビューにも成功しました。
ご覧ください』
『大変な盛況ぶりですが率直な感想をどうぞ』
『……』
『こちらのお野菜にはどんな秘密があるんでしょうか。ご存知ですか?』
『……』
『あなたもお野菜を食べて何か幸運が恵まれましたでしょうか?』
『……』
『これからいらっしゃるお客さんへ何か一言どうぞ』
『……』
『以上、あまりの盛況ぶりに言葉を失っている職員さんでした』
『…ちょっと、これ、放送事故じゃないの…? 大丈夫…?
え? もう回ってるの?
おおっとー、失礼致しました。
さて。突如、田舎の道の駅を襲った狂騒曲ですが、取材を進めていくうちに興味深い情報を得ることができました。
こちらの男性のインタビューをご覧ください。
なお、男性の希望でモザイクと音声加工を施しております。ご了承下さい』
『いやぁ~、オレっち、地元の人間じゃないんだけどさ。
ダチのダチがこの村のもんでよ。
そいつがゆってらしいんだわ。
最近、この近くの山ん中に仙人と魔女が住んでるっつぅー噂があるって。
なんでも白いジジイと白いババアらしくてよ。
そいつらが山ん中に住み着くようになってかららしいぜ。
あんな怪しい野菜が出回り始めたのは』
『いかがでしょうか。
俄かには信じがたい証言ですが、この狂騒振りを考えれば、かえって信憑性がありませんか?
いずれにしろこの騒動。
SNS上でも大変な盛り上がりを見せており、
「生命のお野菜」、「知恵のお野菜」というハッシュタグで瞬く間に拡散して…』
「え? あの直売所、しばらく閉鎖してしまうの?」
ちゃぶ台の向こうでは、右手にお箸、左手にご飯が盛られたお茶碗を持った彼が、驚いた表情で固まってしまっている。
レイは箸で摘まんだエンドウ豆を口に運びながら、こくりと頷いた。
「ふーん。最近じゃケーサツまで出動して大変な騒動だっていうのは聴いてたけど。怪我人が出てからでは遅いし、仕方ないのだろうね」
出汁がよく染みた高野豆腐を噛みながらこくりと頷くレイ。
「直売所が閉まっている間、レイは食堂の方で働くんだね。調理場だって?」
大きめに切ったカボチャの煮物を頬張りながらこくりと頷くレイ。
「じゃあ折角だからレイの手料理を食べに今度食堂を覗いてみようかな」
以前、彼が予告なしに職場にふらっとやって来た時は、彼を一目見た途端におばちゃん連中がきゃーきゃー騒ぎ出し、彼が帰った後はおばちゃん連中に囲まれて2人の生活ぶりを根掘り葉掘り訊かれたり冷やかされたりして大変メンドーな思いをしたことを思い出したレイは、ふるふると頭を横に振る。
「ふふっ。仕方ないな。分かったよ」
レイは笑う恋人に「絶対に来るよ、この人」と不審な目を送りながら、味噌汁が入ったお椀に口を近づける。
「あ、でも困ったな」
レイは味噌汁をずずずと啜りながら、「何が」と恋人に視線を向ける。
「今度直売所に出す予定だった大根、どうしよう。あれだけの量だよ? 僕たちだけじゃ食べきれないんじゃないかな」
恋人の言葉に、レイも「あっ」と思い出しように目を見開く。
「みんなにお裾分けするにしても、この辺りは農家ばかりだから配る相手が居ないからねぇ」
悩む恋人に合わせるように、レイも一旦箸をを止めて天井を睨みながら考える。そして何かを思い出したようにぱっちりを目を開け、恋人を見つめた。
「ん?」
レイは恋人の視線を、2人が居る板の間の隣にある土間の隅に誘導する。
土間の隅の、陰になっている場所に置かれた、茶色い大きな壺。
中には、レイが大切に育てているぬか床が収められている。
カヲルは茶色い壺を見ながら頷いた。
「そうだね。何本かは漬物にしちゃおっか」
こくりと頷くレイ。
「漬物にしてしまえば、お裾分けもしやすいからね」
こくりと頷くレイ。
「それにしても不思議なこともあるもんだね。野菜を食べたくらいで病気が治ったり、頭が良くなったりすることなんて、あるはずないのにね」
レイも「不思議だよねー」とばかりに首を傾けて恋人の意見に同調しながら、先程ぬか床から取り出して切ったばかりのきゅうりの漬物を口に運び、ポリポリと小気味よい音を響かせた。
直売所を閉鎖してから約1カ月。ようやく騒動も収まり、道の駅は平穏を取り戻していた。駅長さんたちがそろそろ直売所を再開しようかと相談し始めていたある日。
「おや。何だい? レイちゃん」
レイはパート仲間のおばちゃんの前にタッパーを差し出し、パカっと蓋を開けて中身を見せる。
「あらま。美味しそうだね~。レイちゃんが漬けたの?」
こくりと頷くレイ。
「じゃあ1個もらおっか」
おばちゃんはタッパーの中身に手を伸ばし、ひと欠片を摘まむ。
「いただきまーす」
欠片を口の中へと運び、ポリポリと咀嚼するおばちゃん。
そのおばちゃんの目が、まん丸に開いた。
「美味しいじゃないか! これ、本当に美味しいよ~!」
お世辞なしのおばちゃんの絶賛に、レイは恥ずかしそうに頬をぽりぽりと掻く。
「ちょっとみんな。これ食べてご覧よ。レイちゃんが漬けたんだそうだよ」
おばちゃんが呼ぶなり、あちこちからわらわらと沸いて出てくるおばちゃんたち。
方々から、レイが持つタッパーに手が伸ばされる。
あちこちで、ポリポリと咀嚼音。
「ありゃ。本当に美味しい」
「よく漬かってるね~」
「うーん。塩加減がちょうどいい塩梅」
「悔しいけどうちのよりも美味しいね~」
おばちゃんたちから口々に放たれる絶賛の声。人生の先達たちに手放しで褒められ、レイは恐縮してしまったように肩を窄ませている。
「ねえ、こんだけの味だ。お店に出してみちゃどうだい?」
「そうだね~。食堂の定食の付け合わせにぴったりだよ、これ」
「うんうん。それがいい。さっそく明日からでも出してみようじゃないか」
「それがいい、それがいい」
「そうしよう、そうしよう」
『はい! 本日のリポートはこちら! 〇△村の道の駅からお送りいたしております!
皆さん、覚えてらっしゃいますでしょうか?
そう。少し前に大変話題になった、あの道の駅です。
あまりの盛況ぶりに残念ながら野菜の直売所は一時閉店してしまっていたようですが、ご覧ください!
その道の駅に、またもやこんな大行列が出来てるんです!
SNS上でも大変な盛り上がりようで、
今回は「生命の沢庵」、「知恵のいぶりがっこ」のハッシュタグであっという間に拡散してしまい…』
―おしまい―