渚ニテ、綾ナス波。   作:hekusokazura

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 2人がただイチャついてるだけのお話しです。


☆これまでのあらすじ☆
エヴァにまつわる記憶を失った状態で“ねおんじえねしす”後の世界に帰ってきた2人がひょんなことから出会い、成り行きで同棲を始め、そのままねんごろになりましたとさ。



 


Seasons of Love


 

 

 

 

 巡り往く季節の長さを、早さをどのように測ればよいだろう。

 

 365日?

 

 52600分?

 

 31536000秒?

 

 水平線から昇るお日さまで?

 

 お月さまの満ち欠けで?

 

 降り注いだ雨の量で?

 

 畑に撒いた種の数で?

 

 包丁が刻む音で?

 

 釜土にくべた薪の量で?

 

 シャワーを浴びた回数で?

 

 伸びた髪の長さで?

 

 出会いの数で?

 

 別れの数で?

 

 喜びの数で?

 

 悲しみの数で?

 

 

 それとも・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私のお気に入りの場所。

 

 色々あるけれど、一番はやっぱりあそこ。

 太陽の光が燦燦と降り注ぐあの場所。

 青い海が見渡せるあの場所。

 山から駆け下りる緑の匂いを含んだ風が心地よいあの場所。

 東の稜線から顔を覗かせた朝日が、夕陽となって西の水平線に沈む様子が見えるあの場所。

 彼が、私のためにハンモックを作ってくれたあの場所。

 彼と、私との愛の巣。

 

 もし一日なんにもしなくていいって言われたら、一日中あのハンモックで過ごしたっていい。

 お弁当とお茶を用意して。

 ハンモックに寝そべりながら、日がな海を眺めて。

 海の上をひらひらと舞う海鳥の数を数えて。

 雲の形を色んなものに喩えて。

 時折、隣の彼に膝枕を提供して。

 

 私と彼が住まう海沿いの高台の上にある農園。

 斜面に広がる段々畑。

 その農園の、一番高い位置にあるあの場所。

 あの場所に行くためには、段々畑の間の長い長い坂道を上らなくてはならない。

 

 元気だった頃は、農作業の合間のお昼休みの時間は、決まって彼と2人で、あのハンモックで過ごしていた。 

 

 2本の杭の間にネットを張り、大きなパラソルで日陰を作っただけの、簡素なハンモック。

 今は、どんな様子になっていることだろう。

 今年も足もとのレンゲソウは花を咲かさているだろうか。

 

 久しく行けていないあの場所。

 体調を崩してからは、あの上り坂を上がるのも辛くて。

 それでも一番のお気に入りの場所だから、無理にでも行こうとしたら彼に止められてしまう。

 

 

 

「それじゃあ、行ってくるよ」

 朝ご飯が終わり、いつもの作業着に着替え、麦わら帽子を被った彼が、縁側に腰掛けている私の隣に座りながら言う。

 そんな彼に対して、私はそっぽを向きながら少しだけ唇をとんがらせてみた。今日はいつもよりも調子が良いのだから、一緒に農作業に出ると言ったのに、彼はダメだと言う。それに対しての不満を、ちょっとばかり表情に乗せてみたのだ。

 すると彼は、こっちの期待通りに困ったような笑顔を浮かべてくれた。

「無理をしてはいけないよ」

 涼やかな風のような声音でそう呟きながら、彼は去年から伸ばし始めた私の肩まで伸びた髪をそっと撫で、そして駄々っ子をあやすように私の頬に軽く口づけをする。

 頬に触れた彼の唇の柔らかい感触に、現金な私はとんがらせていた自分の唇を引っ込め、そして満足げに口もとを緩めた。

 そんな私の態度に彼も「現金なコだ」とでも思ってるのだろう。今度は彼の方がそのやや大きめな口を「へ」の字に曲げている。

 農作業に出れない鬱憤は、ここで晴らしてしまおう。

 彼の様子を横目で目ざとくみていた私は、すかさずひっこめていた唇を再度とんがらせ、その唇で彼の無防備な「へ」の字の唇にそっと触れた。

 私の不意打ちに、きょとんとしている彼。歳を重ねるにつれあまり動じたり驚いたりすることが少なくなった彼の、こんな顔を見るのはちょっと貴重だ。自分の口づけもたらした成果を満足げに見つめていたら、そのうち彼の方もやや大きめな口の両端を上げると、不意打ちのお返しとばかりに、まるで飼い主にじゃれ付いてくる大きな犬のように、私の体に腕を回し、その体重を預けてきた。

 私は鬱陶しいとばかりに彼の体を両手で押し返そうとするが、彼は強引に体を寄せてきてほっぺとほっぺをすりすりさせてくるので、腕力では勝てない私は仕方なしに彼の体に腕を回し返しながらくすくすと笑い出し、私の体を征服してしまった彼は得意げにはははと笑った。

 

 一頻りじゃれ合った後、彼は「それじゃあ行ってくるよ」と3分前と同じセリフを残し、農耕具が入った背負い籠と水筒を担いで、畑へと向かう。そんな彼の背中に向かって、私は胸の前で小さく手を振って見送った。

 

 彼の姿が生垣の向こうに消えたところで、私はふーと大きなため息を漏らしながら、縁側に腰を下ろす。

 たった3分じゃれ合っただけで、すでに体が重い。視界は微かな揺れを感じている。

 半日寝込んでしまった昨日に比べたら今日はまだ調子が良い方だが、こんな体調で農作業に付いていって畑の真ん中で倒れでもしたら、彼に大迷惑を掛けてしまうところだった。

 止めてくれた彼に感謝しながら、縁側にじっと座り、眩暈が去るのを待つ。

 

 

 私のお気に入りの場所。

 一番目があの丘の上のハンモックだったとしら、二番目はこの縁側だろう。

 

 私がここに住み着くようになった当時。彼の住処に私が着の身着のままで転がり込んだあの頃は、「あばら家」という表現がぴったりだった家。雨の日はあちこちで雨漏りが起き、風の日は屋根がどこかに飛んでいきそうになる家。

 そんな家を、彼のドゥー・イット・ユア・セルフによって少しずつ少しずつ補修と改築が重ねられ、最後に雨漏りを体験したのは去年の台風の時だった。

 最初の頃はトンカチを振るう度に指に血豆を作っていた彼。痛々しく見ていられず、無理しなくていい、今でも十分快適だと伝えてみたが、彼は「向上心の喪失は堕落への第一歩だよ」だの「自らではなく、世界の方を変えることで、人類は生態系の頂点に立ったのさ」だのいちいち大げさな理由をつけては生活環境改善活動に勤しみ、今や彼の大工の腕前はお世話になってる木工製作所の親方さんからも太鼓判を押されるほどになっている。

 

 私の体調が思わしくなく、家の中で過ごす時間が増え始めて。

 農作業に出ることができず、家の中のことも満足にできない日もあって。

 そんなある日、突然何を想ったか、彼が居間の南側の壁をぶち抜き始めた。古い土壁を解体用の特大木槌で壊し始めたのだ。日頃の溜まっていた「何か」が、彼を爆発させてしまったのだろうか。役に立つどころか、家に閉じこもっては鬱々とした顔を浮かべることしかできない私の態度が、彼をそうさせてしまったのだろうか。

 不安に駆られながら、一心不乱に壁をぶち壊す彼の背中を、ただ見つめている事しかできない私。

 そんな私を他所に、彼はついに南側の壁を綺麗にぶち抜くと、裏山から切り出した木材を使ってせっせと組み立てを始める。壁がなくなった箇所に木枠で作ったサッシをはめ込み、そこにガラス戸をはめ込んで雨露の侵入を防ぐ。そしてガラス戸の外の6か所に家の床よりも低めの支柱を立て、その上に格子状の木枠を乗せて釘で柱に固定すると、その木枠に板を張りつける。最後に保護塗料を塗って完成したのが、この縁側だ。

 土の壁がガラス戸へと変わり、自然光が入ることで部屋の中がとても明るくなっただけでも感動していた私。そんな私の手を彼が引いて案内された、縁側から見た風景。

 庭の生垣の間から見える、青い海。

 ハンモックに揺られながら見る海がとても好きだった私。そんな私に、家の中に居てもいつでも海が見えるように造ってくれたのが、この縁側だった。

 お気に入りになるのも当然。

 縁側の前の庭には大きな金木犀が立っていて、縁側の周囲に良い塩梅の木陰を作ってくれる。大人が5人くらい寝っ転がってもまだ余裕があるくらいの、広々とした縁側。

 もし一日なんにもしなくていいって言われたら、一日中この縁側で過ごしたっていい。実際に彼が仕事を早めに切り上げた日は、カボチャやニンジンを練り込んで焼いたスコーンをおやつに、彼と一緒にお夕飯までずっとこの縁側でのんびり過ごす日だってある。

 

 彼が造ってくれた縁側。

 私のために造ってくれた縁側。

 そこに座ってじっとしていたら、感じていた眩暈も何処かに飛んでいってしまった。

 

 さあ、いつまでもこの体調に振り回されるわけにはいかない。

 彼が外で汗水垂らして仕事に励んでいる間に、私は家の中のことをしっかりとこなさないと。

 

 

 洗濯をしようとサンダルを履いて裏庭へと向かう。電気も水道もガスも通っていない村はずれの高台の家。もちろん、洗濯機もない。

 飲み水は庭の井戸から、その他の生活用水や農業用水は裏山の沢で確保している。以前は2人で天秤棒に水桶を抱えて、井戸や沢と家との間を何往復もしていたが、今は彼が沢から家まで水車による汲み上げ式の水路を作ってくれたおかげで、毎日の重労働が大幅に解消されている。

 裏庭にある蛇口を開いてタライに水を張り、重曹で手造りした洗剤を垂らし、その中に洗濯物を放り込む。サンダルを脱ぎ、スカートの裾を摘まみ上げ、裸足でタライの中に立ち、水と洗濯物の上でジャブジャブと足踏みをする。

 

 歌が好きな彼。いつも鼻歌を口ずさんでいる彼。そんな彼に影響されてか、近ごろの私も気が付けば知らない内にいつどこで耳にしたかもあやふやな、テキトーな鼻歌を口ずさんでいる。

 いつだったか、タライの中の水に浸された洗濯物を、素足で踏みながらジャブジャブと洗っていた時。自然と口ずさんでいた鼻歌。その鼻歌に乗せられて、自然と軽やかなステップを刻む足。

 ヒンヤリとした水。水を含んだ衣類を踏む感触。午前中の爽やかな空気。木漏れ日から注ぐ太陽の柔らかな光。

 自然と口ずさむ鼻歌も、タライの上で刻まれるステップの動きも大きくなって。

 興が乗ってしまった私は、スカートをひらりとはためかせながら、タライの上でくるりと半回転してしまい。

 彼と目があった。

 いつの間にか、裏庭の隅に立っていた彼と、目があってしまった。

 やや大きめな口を半開きにして、タライの上の私を唖然とした表情で見ている彼。

 そんな彼に対して、私はあっという間に熱くなった頬に手をやりながら、くるいと彼に背中を向けてしまう。

 見られてしまった。見られてしまった。恥ずかしい。恥ずかしい。

 タライの上で一人悶絶していたら、背後からスタスタと近寄ってくる足音。そしてパシャっと水を踏む音。

 背後に気配を感じ、振り返ると、すぐ側に彼が立っていた。水で浸されたタライの中に、裸足で立っている彼が居た。

 やや大きめな口をにんまりと曲げ、私を見下ろす彼。両頬を熱く火照らせたまま、彼を見上げる私。

 硬直してしまっている私の左右の手を、彼の右左の手が軽く握って。

 彼は握った私の両手を、そっと胸の位置まで持ち上げ。

 そして右に左に大きくぶらぶらと揺らし始める。

 彼の手に引っ張られて、右に左にと大きく揺れる私の体。足がつんのめってしまってコケそうになってしまったら、彼がすぐさま左腕を私の腰に添え、体を支えてくれた。

 左手は腰に。右手は私の左手を握ったまま。そして右に左に体を揺らす彼。鼻歌を口ずさみながら、大きく体を揺らす彼。

 彼の両足は水に浸された洗濯物の上でパシャパシャとステップを踏み。

 そんな彼の動きに引きずられるように、左右に揺れ始め、パシャパシャとステップを踏み始める私の体。

 いつの間にか両頬を支配していた火照りも引き、目の前にある顔を真似るようににっこりとした笑みを浮かべている私の顔。

 私の左手を握る彼の右手が頭上まで高く掲げられたら、私は彼の手を軸にくるくると回って。

 2人の男女がパシャパシャと跳ねるタライの周りは、4本の足が上げる水飛沫によってあっという間に水浸しになって。

 物干し竿でドングリを頬張っているリスと金木犀の枝にとまるヒヨドリを観客に、私たちは飽きるまでタライの上でのダンスを楽しんでいた。

 

 

 彼との密やかな舞踏会のことを思い出しながら、今日も鼻歌混じりに踏み洗いをし、手洗いをし、衣類を絞り、物干し竿に干す。彼の話では午後から雲が出て陽が陰るかもしれないとのことだが、午前中の陽射しだけで充分に洗濯物は乾くことだろう。

 物干し竿に吊るされた、彼の作業着。その横に並ぶ、私の普段着と彼と私の下着類。あと数枚のタオル。それらが明るい陽光の下、山から吹き下ろす風にゆらゆらと揺れる様を満足気に見た私は、空になった籠を抱えながら家の中に戻ろうとして。

 

 ふと、視界がぐにゃりと曲がった。

 空と地面が逆さまになり、平衡感覚を失った私の体は、地面に両膝を付く。

 耳を劈くような耳鳴り。激しい胸焼け。さらに続けて襲ってくる嘔気に咄嗟に口を塞いだが間に合わず、少量の吐瀉物を地面に向けて吐き出す。

 

 

 

 縁側で目を覚ます。

 裏庭で眩暈を起こした後はこの縁側まで何とか這っていき、寝っ転がって、体を襲う不調の波が去っていくのをじっと待った。

 時計を見たら、1時間は寝ていたらしい。

 金木犀の枝葉の隙間から降り注ぐ木漏れ日をぼんやりと見つめながら、意識が定まるのを待つ。

 鼻から大きく息を吸い、お腹を膨らませて、そして口からふうと体内に溜め込んだ空気をゆっくりと吐き出した。

 それを3回ほど繰り返し。

 自分自身に、もう大丈夫だと言い聞かせるように2回ほど深く頷いて上半身を起こしたが、まだ少し吐き気が残っていたので、遠くに見える青い海の水平線を眺めながら、吐き気が飛んでいくのを待った。

 ふと視線を落とすと、み空色のギャザースカートの裾から覗く白い素足の踝の辺りに、一匹のナナホシテントウがぽつんと止まっている。テントウ虫はよちよちと時間を掛け、親指の先端を目指して進んでいる。足がむず痒かったが、ナナホシテントウは畑を荒らしてしまうアブラムシを食べてくれる益虫なので、無碍に払い落とすわけにもいかない。ようやく親指の先っちょに到達したテントウ虫は、黒い紋様が7つ浮かぶ赤い鞘翅を広げ、青い空へ向かって飛び立っていく。

 テントウ虫の小さな影が青い空の彼方に溶け込んでいく頃には、まるでそのテントウ虫が空へ一緒に持ち去ってくれたかのように、吐き気は綺麗に消えていた。

 もう一度時間を見ると、彼がお昼ご飯を食べに帰ってくるまで、あと30分くらい。

 よっと小さな掛け声と共に体を起こし、サンダルを履いて地面に降り立つ。

 

 

 

 我が家の食糧自給率は、ちゃんと計算したわけではないけれど、おそらく80パーセントは超えている。残りの15パーセントはお世話になっている村の人たちからのお裾分け。残りの5パーセントがお店で買ってくるもの。そのお店で買ってくるものも、塩や砂糖などの調味料が中心だ。もっとも私がそれなりに料理をこなせるようになってからは、炊事場の棚に並ぶ調味料の瓶は増える一方だ。彼に日々飽きない料理を提供したくて、街に繰り出す度に物珍しい調味料を見かけたらついつい購入してしまう。

 

 

 まだ私に街に繰り出す元気があった頃。

 彼と一緒に気紛れにふらっと立ち寄ってみた、西欧にあるらしい半島の国の郷土料理を出すお店。見たことのない料理の名前が並ぶメニューに私も彼も頭がくらくらしてしまい、給仕のおじさんに予算と私が肉類は食べられないことを伝えた上で伝家の宝刀「おすすめをお願いします」をオーダー。

 最初に運ばれてきたのは「シーザーサラダ」なる刻んだ葉物野菜の盛り合わせ。青々としたロメインレタスやグリーンリーフに黄色のパプリカ、その上に散らばる削ったチェダーチーズ、とろとろの温泉卵。

 見た目ですでに楽しい、色鮮やかな野菜の盛り合わせに目を輝かせている私。彼はトングを使ってボウルの中の野菜の盛り合わせを軽く混ぜ、2枚の小皿に取り分けてくれた。

 彼と一緒に「いただきます」を合唱し、あまり使い慣れていないフォークで一口、二口と、野菜の盛り合わせを口に運ぶ彼と私。

 三口、四口と野菜の切れ端を齧り。

 

 んんん?

 と目を合わせながら同時に首を傾げる彼と私。

 

 彼はグラスに注がれた水を口に含み、口の中の野菜を飲み込んで。

 ふ~と一息吐いたところで、彼がぽつりと言う。

 

「なんて言うか…。お店の人には悪いけど…、うちで作ったサラダの方が美味しいね…」

 

 そんな彼の発言に、フォークの先端を咥えながらこくりと頷く私。

 

 どんな調理法でこしらえ、どんな調味料で味を調えようとも、とれ立ての新鮮な食材の味の前には敵わないと知った私たち。ただでさえ外食とは縁遠い私たちの足は、さらに飲食店から遠ざかってしまうことになる。

 

 しかしながら、その後運ばれてきた「パスタ」という麺料理は彼も私もとても気に入った。時々突然思い立った彼が作るうどんやお蕎麦とは全く違う歯ごたえ、舌触り、のど越し。そして麺に絡みつく濃厚なソース。聴けば、その日私たちが口にしたペスト・ジェノヴェーゼというソース以外にも、色んなソースがあるらしい。

 さっそく帰りに寄った食料品店で乾麺タイプのパスタを買い物かごの中に放り込んた。

 なにしろ、我が家には冷蔵庫がない。だから、常温保存が効く乾麺のような食材は大歓迎だ。

 

 

 よし。今日のお昼ご飯はパスタにしよう、と思い立ち、さっそく食材調達のため盆ざるを手に、麦わら帽子を被って家から一番近い生垣の裏の畑に出た。

 

 彼も私も「無法地帯」と呼んでいる、色んな野菜が無秩序に生えている小さな畑。食べ残した色んな野菜の残りを適当に撒いてたら、勝手に芽が出て、いつの間にか様々な野菜の葉や蔓が入り乱れるカオス状態になっていた。

 実はここも、私の密かなお気に入りの場所。どんな物が採れるのか、手を突っ込んでみないと分からない、整理整頓が苦手な子供のおもちゃ箱のような畑。

 そして今日採れたのは、小さなトマトと葉にんにく、収穫し損なった白菜の菜の花の蕾。そして油断したらどこまでも勢力図を広げてしまうスペアミント。

 摘んだ食材たちを盆ざるに乗せ、おうちへと帰る。

 

 釜土に火をくべてお湯が沸くのを待つ間に、食材を適当な大きさに切る。

 空いている釜土にも火をくべ、フライパンを乗せると、オリーブオイルをやや多めに浸して鷹の爪を一本落とす。香ばしい匂いが漂い始めたら、まずは刻んだ葉にんにくをさっと炒め、ぶつ切りにしたトマトも入れる。トマトに火が通った頃には鍋の中のパスタが茹で上がっているので、ざるでお湯を切ると一気にフライパンの中に投入。ソースとパスタを絡めながら、菜の花の蕾も入れて和える。最後に塩と胡椒で味を調えて、出来上がり。

 パスタを2枚の皿の上に盛り付ける。ガラス製のティーポットの中にはスペアミントのフレッシュハーブティー。トレイの上にパスタを盛り付けた2枚の皿とフォーク、それにティーポット、ガラスカップを乗せて、縁側へと向かう。

 時計の針は、ちょうど彼が午前中の作業を終えて帰ってくる時刻。

 

 

 縁側に戻ると、畑仕事から帰ってきていた彼が、30分前の私のように縁側で横になっていた。

 トレイを置き、仰向けになっている彼の頭の近くに両膝を折り、逆さまの彼の顔を覗き込む。

 おかえり、と言うと、彼は目を瞑ったまま「ただいま」と言う。疲れた? と訊ねると、彼はゆっくりと首を横に振る。

「台所から君の鼻歌が聴こえたからね。聴き惚れているうちに、ついつい夢の国さ」

 どこか得意げにそう言いう彼の目は閉じたまま。

 どうしたら目を覚ましてくれるの?と訊ねたら、こう言う彼。

「決まってるじゃないか。僕の右ほっぺと左ほっぺ。最後に唇に君の口づけがあれば、この目はすぐにでも覚ますさ」

 そう言って、目を閉じたままうーと唇を突き出す彼。

 私はそんなちょっと間の抜けた彼の顔を見つめながら、浅く溜息を吐き、そして。

「あいた!」

 彼の無防備な額にデコピンを食らわせると、彼の隣に腰を下ろした。パスタを盛った皿を彼の側に置いて、ガラス製のティーカップにハーブティーを注ぎ入れる。

 冷めないうちに早く食べてちょうだい、と言うと、彼は「つれないな~」とぼやきながら体を起こす。そんな彼に、私は湯気が立ち昇るティーカップを差し出した。「ありがとう」と言って受け取る彼は、目覚めの口づけを与えられずに寂しさが残る唇をとんがらせ、ティーカップに付ける。カップの中身を一口飲み込んで。

「うはっ。スース―する」

 ハッカの香りが鼻にツーンと来たらしい。しわくちゃになってしまった彼の顔に、私はくすりと笑った。寝起きにはちょうどいいでしょ、と言うと、「君の口づけの方がよかったな」などと未練がましく彼は言う。そんな彼の発言を私ははいはい、と軽くあしらって、私もカップに口を付けて一口二口飲み込んだ。

 たちまちしわくちゃになってしまう私の顔。

「ふふっ。ちょっと葉っぱを入れ過ぎちゃったみたいだね」

 そんな指摘をする彼に、ちょっと意地っ張りになってしまった私は、私はこれでいいの、とばかりにカップの中身をぐいぐいと飲み干した。

 

「うん。美味しい美味しい」

 パスタの出来は上々らしい。にんにく草をベースにトマトの酸味と塩コショウだけのシンプルな味付け。菜の花のしゃきしゃきとした歯触りと苦みがちょうど良いアクセントだ。

 美味しい以外の感想はないの? と彼に意地悪く訊いてみたら。

「母なる土壌の栄養をふんだんに蓄えたにんにく草がもたらす味わいはまるでヴィーナスの乳房から滴る母乳のように濃く、処女のように瑞々しくて甘酸っぱいトマトの赤はパスタという生娘の肌の上に散った破瓜の血のようだ…」

 べらべらと喋り出した彼の声を掻き消すために、私はわざとズルズル音を立ててパスタを啜った。

 

 自分の料理の腕が良いとは思わない。その日採れた食材をテキトーに炒めるか茹でるか蒸すかして、手もとにある調味料を和えているだけだ。きっと採れ立ての食材の新鮮さの他に、山から吹き下ろす緑の匂いを含んだ爽やかな風、生垣の間から見える青い海、金木犀が作り出す木陰。彼が造ってくれたこの縁側を取り巻く空気が、私の拙い料理の味を5割増しくらいに引き立ててくれるのだろう。

 

「ふ~、ごちそうさま」

 今日も私が作った料理を残さず平らげてくれた彼。空っぽになっていた彼のカップに、ハーブティーを注ぎ入れる。そのハーブティーを一口飲んで。

「うん。この清涼感は食後にはちょうどいいね」

 と言ってくれる彼。

 私もカップにハーブティーを足し入れ、今度はちびちびちと飲んでいく

 

 私の膝の上に乗せられたソーサー。そのソーサーと、私の口の間を行き来するガラス製のティーカップ。

 それを横目でじっと見つめている彼。

 彼の視線には気付いているし、彼の思惑も分かっているが、私はあえて一口一口ゆっくりと、時間を掛けてハーブティーを飲んでいく。

 ここは焦らす作戦だ。

 

 彼の縁側の床の上に置かれた右手人差し指の先端が、コツコツと床板を叩き始めた。

 そろそろ、限界らしい。

 私はカップの底に残ったハーブティーをぐいっと飲み干すと、ソーサーと一緒にカップを膝の上から床の上に移動させた。

 

 空っぽになった私の膝の上。

 たちまち。

「ふあ~あ」

 隣で大きく伸びをした彼は、そのまま上半身をごろんと転がし、その頭は私の膝の上に着地。

 

 自分の膝が空になればこうなることは分かっていた上で、私はあえて、もう、と不満げに唸ってみせる。

 そんな私の唸り声を無視して、鼻歌混じりに私の膝の上で頭をごろごろさせている彼のその様は、最近この家にちょくちょく顔を出すようになった野良猫のようだ。

 私はくすりと笑いながら、猫をあやすように、彼の収まりの悪い白銀の髪を両手でわしゃわしゃと掻き混ぜてみた。すると彼は海側に向けていた体をごろんと半回転させ、私の方に体を向けると、私の胴に腕を絡ませて顔をお腹にくっ付けてきた。

 そんな彼に私はくすくすと笑いながら、擽ったいと抗議の声を上げて、彼の顔を私のお腹から引っぺがす。

 すると今度は彼の方が不満顔。

「いいじゃないか、減るものではないのだから」

 と駄々っ子のように言う彼に、私は、はしたないよ、と言ってみる。

 すると彼は残念そうに眉尻を下げながら言う。

「こうやって2人で過ごしていられる時間も、そう長くないんだからさ」

 私が意地悪く、そう? と訊き返すと、彼はやはり不満げに「そうだよ」と言う。

 そして彼は私の顔から外した視線を、目の前の私のお腹へと向けた。

 私が着るクリーム色のチュニックブラウス。その前ボタンの下2つのボタンを外し、前立てを開く彼。

 露わになる、私のおへそ。

 私の、もう、という抗議の声を無視して、彼はそのおへそを人差し指でちょいちょいと突っつき始めた。

 

「おーい、そこに居る君」

 

 私のお腹に向かって、話し掛ける彼。

 

「君の所為で、最近の彼女はあんまり僕に構ってくれないんだよ~」

 

 情けない声を出す彼に、私はくすくすと笑ってしまう。

 

「早くそこから出ておいで。出てきてくれたら、君のことは僕が精一杯構ってあげるからさ」

 

 「君」がそこから出てくるのはまだまだ先のことなのに、やたらと気の早い彼。

 

「そしたらきっと彼女は僕のことを精一杯構ってくれると思うんだ」

 

 そんなことを言う彼に、私は口を「へ」の字に曲げる。

 彼の両頬を両手で挟みこみ、ちょっと強引に彼の顔をこちらへと向けた。

 私と同じ彼の赤い瞳をまっすぐに見つめながら、だったら私のことは誰が構ってくれるのかしら、と彼に問うと、彼はやや大きめな口を曲げてにんまりと笑う。

 

「そんなの決まってるじゃないか」

 

 そう言って、彼の顔が急に近付いてきて。

 あーもう油断した、と私は心の中で彼との攻防の敗北を認めつつ、せめてもの抵抗とばかりに自らも顔を彼の方へと近付けると、彼の唇と私の唇は無事に空中で交差する。

 そっと触れるだけの軽い口づけ。

 顔を離し、私は頬を赤く染めた顔で彼の顔を見下ろし、彼はにっこりと笑った顔で私の顔を見上げ。

 

 あなた一人で私と「この子」2人も同時に精一杯構えるのかしら、とまた意地悪く問うてみたら。

 

「もちろんさ。僕の愛は無限大なんだから」

 

 自信たっぷりの顔で答える彼。

 

 私はそれで満足できるのかしら、と畳みかけてみたら。

 

「満足させてみせるさ。お姫さま」

 と彼は言いながら、再び顔を近づけてきたので、私の唇は素直に彼の唇を受け入れる。

 今度は少しばかり長めの口づけ。

 

 彼と私の顔は離れ。

 

 私は、やっぱり嫌、と言う。

 私の言葉にとても残念そうに眉毛の両端を下げてしまう彼。

 

「なぜなんだい?」

 

 そう訊いてくる彼に私は自分のお腹を摩りながら、私も「この子」のことを精一杯構ってあげたいから、と言ったら彼は唇をとんがらせながらこう言ってきた。

 

「だったら僕は誰が構ってくれるのさ」

 

 まるで子供のようなことを言う彼。彼に大人になる準備はできているのだろうか、と先々のことを少々不安に思いつつ、口もとを緩めながら私は言う。

 

「そんなの決まってるじゃない」

 

 今度は私の方から顔を彼の顔に近付ける。

 

 顔を離すと、少しばかりぽかんとした表情の彼の顔。

 しかしすぐに少し大きめな口の両端を上げて彼は言う。

 

「それで僕は満足できるのかな?」

 

「満足させてみせるわ。王子さま」

 

 私はそう言って、この問答はこれでおしまいとばかりに彼の唇を私の唇で塞いだ。

 

 

 

 

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