電車のボックス席に向かい合って座る2人。
少女は車窓の外を過ぎていく景色を眺め、そして少年も車窓に顔を向けながらも、その視線は窓ガラスに写る少女の横顔をぼんやりと見つめている。
少年はこの旅行行きを決めた日のことを思い出していた。
「どうしてあそこに行きたいと思ったんだい?」
「…分からない」
「あそこに何か、あるんだね?」
「…分からない」
「君、もしかしてあの村の出身なのかな?」
「…分からない」
「あそこに行けば、君の過去が分かるのかい?」
「…そうかも…、知れない…」
畳みかけるような少年の問い詰めに対し、歯切れの悪い少女の返事。
少年は納得いかないとでも言いたげに眉根を寄せながら、頼りないランタンの灯りで照らされたちゃぶ台に頬杖をつく。少年としては少女の社会勉強の集大成という建前をもとに、農作業が忙しくなる前の息抜きのつもりで誘った旅行だった。もっと気楽に楽しめる旅行にしたかった。
ちゃぶ台の向こうでは、藁人形を抱き締めながら伏し目がちで正座している少女。そんな少女を、少年は横目でじろりと見る。
「…今更いいじゃないか。…君の過去とか…、そんなこと…、もうどうでも…」
思わず、本音を漏らしてしまう少年である。
「…ごめんなさい…」
藁人形を抱き締める腕に力を籠め、顔を俯かせてしまう少女。そんな態度の少女に、少年は鼻で溜息を漏らしながら頭を掻く。
少女は上目遣いで少年を見る。
「加地くんがダメって言うなら…、行かない…」
そんな少女の言葉に、少年はもう一度鼻から溜息を吐く。
「ずるいなぁ…。そんな顔で言われて、「ダメ」って言えるはずないじゃないか…」
旅行を提案した時の少年は、彼らが住む街の近くの観光地にでも原付バイクで行って、温泉街で一泊する程度の旅行を考えていた。しかし少女が「行きたい」と言った場所は彼らが住む街からは遠く、高速鉄道か旅客機で行くしかない。
朝一番の電車に乗って空港まで行き、飛行機に乗って約2時間。着いた空港からローカル線に揺られて1時間。そこから幹線に乗り換え、さらにもう一度ローカル線に乗り換え、現在に至っている。
移動時間も多いが、交通費もかさみ、懐事情が苦しくなってしまった少年だった。
向かいの席に座る少女。いつものプルオーバーシャツにロングスカート。ハーフアップで纏められた髪。そして膝の上にはトートバッグが乗せられている。1泊2日の短い旅行だ。2人分の荷物は、少年が持つダッフルバッグの中に全て収まっている。少女が持つトートバッグの中に入っているのは例の藁人形。藁人形を腕に抱き締めながら出かけようとした少女。せめて鞄の中に入れてくれという少年の頼みを少女は渋々受け入れ、人形をトートバッグの中に入れ、暇があればバッグの中に手を差し入れ、中の人形を弄っている。
窓の外を流れる田舎の風景を眺めていた少女は、少年の視線に気付き、少年に向けて微笑み掛ける。少年も釣られて、にっこりと笑顔を返す。
この旅が終わった時。
お互い笑いながら家路につくことができたら。
そう願わずにはいられない少年だった。
やがて電車は周囲に田んぼと山しかないような土地にぽつんとある、くたびれた駅に停まる。
もとより客足の少ない車内。ホームに降りたのは、少年と少女の2人だけだった。
無人の改札口から駅舎を出ると、自動販売機すらない寂しい駅前のロータリーがあり、ロータリーの向こうはすぐに田んぼが広がる。
天から降り注ぐ容赦のない日光が、2人の足もとに濃い影を作り出す。
「日傘、持ってくればよかったね」
「平気…」
駅前のバス停で口数少なく佇んでいたら、バスがやって来た。
バスに乗り込むのは、やはり2人だけ。
田園風景が広がる田舎道を走っていたバスは、やがて深い森の中へと入っていく。
『次は第3復興村跡地前、第3復興村跡地前。お降りの方はお近くの降車ボタンを押してください』
「え? ボタン?」
実は2人ともバス初体験。慌ててボタンの在りかを探す。
「あ、これだこれだ」
窓枠に設置された赤いボタンを発見した少年は、窓際に座っていた少女の上に身を乗り出してボタンを押す。
バスから降りようとして。
「整理券は?」
運転手に訊ねられる。
「え?」
間抜けな返事をしてしまう少年。
「乗るとき、整理券取らなかったですか?」
「え、ええっと…」
「どちらから乗られましたか?」
「ええっと、△〇駅からです…」
「お一人420円です」
「はい…」
排ガスを残して去っていくバスを見送る少年。
「これでまた一つ社会勉強になったね」
苦笑いしながら少女を見ると、少女は車道から外れて鬱蒼とした森の中へと向かう未舗装の道をぼんやりと見つめながら立っていた。未舗装の道の入り口には「第3復興村資料館」の看板。
「ここ、見覚えある?」
少年の問い掛けに、少女はふるふると頭を横に振る。
「分からない…」
今にも消え入りそうな声で呟く少女。その横顔は普段と変わりない仏頂面に見えるが、少年はその表情の奥に、少しばかりの不安が滲んでいるような気がした。
「今からでも、引き返していいんだよ?」
柔らかい声で告げられた少年の提案に、少女はやはりふるふると頭を横に振る。
「行く…」
そう呟いて、少女は未舗装の道へと足を踏み入れていく。
暗い道を歩いていく少女の後姿を、暫く見つめていた少年。一度だけ肩を竦めて少女の後を追いかけ、こんな暗がりを女の子に先導させる訳にはいかないと、少女を追い越し、少女の前に立って歩いた。
車一台分が通れる程度の道。今日は快晴で、天からは容赦のない陽の光が地上に向けて降り注いでいるはずだが、木漏れ日が光の模様を地面に作るくらいで、鬱蒼とした木々が囲む道は天然のトンネルのようだった。
暫く歩いていると、木陰が途切れ、空から太陽の光が降り注ぐ。
涼やかな森のトンネルの中から一転して、うだるような暑さ。道を囲むように生い茂っていた木々が無くなり、2人の前に開けた場所が現れた。
「田んぼの跡…かな…?」
その開けた場所には山の斜面を削って作られた棚田、もしくは段々畑らしきものが連なっている。放置されて何年も経っているのか荒れ放題になっており、生い茂った雑草によって半分以上が隠れてしまっている。
この田畑が放置されてからどれだけの歳月が経っているのかまでは分からないが、土地を耕す苦労を知っている身である少年にとって、荒れ果ててしまった田畑を見るのは心が痛んだ。
少年が無残な姿の田畑を前に立ち竦んでいると、その隣で少女がふらふらと歩き始めている。荒れ果てた田畑に向かって。
「ツバメちゃん?」
少女は、人の腰の位置まで伸びた雑草が生い茂っていて、足を踏み入れる隙間もないような藪の中を、草を掻き分けて進んでいる。
「ツバメちゃん、スカートが汚れてしまうよ」
少年は慌てて少女の後を追う。少年が少女の前に立ち、草を掻き分け掻き分け、やがて2人は一本の大きな木の前に辿り着いた。
「あ~あ~。色んなひっつき虫が付いてるよ」
呆れたように指摘する少年が少女の前でしゃがみ、スカートに付いた様々な草の種子を取り払っている間、少女は大きな木を見上げ、その幹に触れていた。
「この木がどうかしたの?」
少年の問い掛けに、少女はふるふると頭を横に振る。
「分からない…。でも…」
振り返り、荒れ果てた田んぼに視線を向ける。
「ここ…、懐かしい…感じ、…する…」
「そうなんだ…」
「ここで…、お昼寝…、したい…」
そう呟いて、欠伸をし始める少女。
「いやいや、いけないよ。こんなところで寝てしまっては。ほら、行こう」
少年は瞼が落ちかけている少女の背中を押し、藪の中から未舗装の道へと戻った。
森の中を上ったり下ったりの道が終わり、木々が開けて平坦な道が続くようになり、藪の中にぽつぽつと古い家屋が立ち並ぶようになり。
そして道と交差する廃線と出会った。2本のレールは未舗装の道と並行して走り、やがて古い木造の駅舎へと辿り着く。
その駅舎の近くに立つ平屋の木造建築。
玄関には「第3村診療所」とある古い看板。
その看板の下には「第3復興村資料館」とある真新しい看板。
無人の資料館らしく、誰でも簡単に出入りできるようになっている。出入り口には「大人100円、小人無料」と書かれた木箱があり、少年は木箱の穴に100円玉硬貨を2枚入れて、資料館の建付けの悪い引き戸を開けた。
資料館に入ると、まず2人を迎えたのは壁に掛けられた古い黒板。黒板の上の方には「月・火・水・木・金・土・日」と印字がされており、おそらく診療所の一週間の開診予定などを書いていたものだろう。その黒板に、白のチョークで書かれたお世辞にも綺麗とは言えない文字。
『私たちは困難な時を、
この場所で過ごし、助け合い、励まし合い、
乗り越えてきました。
もし、あなたの前に困難が立ち塞がることがあれば、
その時はまたここを訪れてください。
私たちは、いつでもあなた達を待っています。
2043年○月△日
第3村 最後の村長 鈴原トウジ』
2人は資料館の奥へと入っていく。
見学客の一人もいない、貸し切り状態の資料館の中。ガラスケースすらない手造り感満載の展示物が並んでおり、その内容は主に当時の生活の様子を伝えるものだった。第3村の成り立ちから終わりまでを綴った年表。村の地図。人口や出産数、農業生産量などの推移を示したグラフ。村の創設に尽力した葛城ミサトなる人物の紹介。第3村の運営を支援した「KREDIT」という支援組織の概要。当時村で使われた道具の展示。図書館や銭湯など、当時の村の主要な建物を撮影した写真。
一通り見終えて、2人は出入り口の側のベンチに座る。
「どうだった?」
少年は少女に静かに話しかける。
少女は天井の梁を見上げながら、ゆっくりと頭を横に振る。
「よく…、分からない…」
「もう1回、ゆっくりと回ってみたらどうかな? 何か思い出すかもしれないよ?」
「うん…」
少女はベンチから立ち上がると、資料館の奥へと入っていった。
少女の背中を見送った少年は、緊張していた肩をほぐすように両腕を上げ、背筋を伸ばす。
ふと、ベンチの横に置かれた棚にある、一冊のアルバムの存在に気付く。
少年は何とはなしにアルバムを手に取り、ページを捲っていく。
アルバムの中身は、当時の村の日常生活を写した写真で溢れていた。
白衣を着た青年が、老人の背中に聴診器を当てている写真。写真の下には「患者さんを診察する鈴原医師」。
メガネを掛けた青年が、手や顔を油まみれにしながら六角レンチを振るっている写真。写真の下には「発電機を修理する相田氏」。
高い塔の上に立つ、女性らしき細いシルエットを写した写真。写真の下には「村の監視塔に立つ式波少佐」。
写真の一枚一枚に、簡単な説明文が添えられている。
その中の一枚は、先ほど目にした荒れ果てた田んぼだろうか。写真の中の斜面に連なる田んぼは綺麗に整備されていて、水が張られていて、数人の女性たちが稲の苗を手植えしている。写真の下には「田植えに励む婦人会の皆さん」の添え書き。お揃いの青いつなぎの作業服を着ている女性たちに混じって、田んぼの奥の方には、麦わら帽子に真っ黒な服という奇妙な格好をした一際細い女性が居るが、その女性は今正に右手に持った苗を水田に植えているところらしく前屈みになっているため、顔は麦わら帽子に隠れてしまいはっきりとは見えない。
今は生活の息吹など全く感じさせない廃村。しかしアルバムからは、ここで力強く暮らしていた人々が放つ生命力が、時を越えて伝わってくるような気がした。
「いいね…、写真って…」
アルバムのページを捲りながら、少年はぽつりと呟いた。
そう言えば、我が家にはカメラというものがない。長い一人暮らしでわざわざ写真に収めたいという物や場面に出会うことがなく、カメラの所持など考えたこともなかった少年だが、今の彼の側には最高の被写体が居る。
「カメラ…、買おっかな…」
今の懐事情ではすぐは厳しいけれど、これからお金をコツコツと貯めて、ちょっといいものを。
などと、楽し気に思考を巡らせながら、アルバムのページを捲っていく。
資料館を一人で回った少女。出入り口前のベンチで待っていた少年の前に立った。
「加地くん…」
少年に呼び掛けてみる。
返事はない。
「加地くん…」
返事はない。
「加地くん…。終わった…。やっぱりよく、分からない…。もう行きましょう…」
そう告げて、少年の肩に触れた。
少年が、はっとした顔で顎を上げる。その少年の慌てように、少女はびっくりして少年の肩に触れた手を引っ込める。
「加地…くん?」
少年は返事せず、少女の顔と、少年が手に持つ何かとを、交互に見ている。
「どうしたの…? 加地くん…」
少年は返事をせず、少女と手もととの視線の往復を何度か繰り返した後、少年の手もとに視線をやったまま動かなくなった。
「加地くん…」
「ねえ、ツバメちゃん…」
少女の呼び掛けに重なるように、少年の声。
「なに…?」
「ツバメちゃんは…、本当に…、ツバメちゃんなの…?」
「え…?」
少年が問う言葉の意味が分からず、少女は声を詰まらす。
暫く手もとのアルバムを睨んでいた少年。
やがて意を決したように目を一度だけぎゅっと瞑ると、少女の顔を見上げた。
「これ…」
少女に向けて、自分が見ていたアルバムのページを広げる。
そのページに貼られた写真。
写真に写る人物。
少女の手が震えた。
古びた写真。
少し色褪せた写真。
そこに写る、空色髪の少女。
空色の髪を襟元で無造作に切り揃えた少女の写真。
突然カメラを向けられたのか、少し驚いた様子でこちらを振り返っている少女の写真。
奇妙な黒のスーツを着た少女の写真。
その少女の背中に背負われた、栗色髪の小さな赤ん坊。
写真の添え書きにはこうある。
『ツバメちゃんをおんぶする「そっくりさん」』