メルクストーリア 【動物の国another ~牛睡の冀望と偶想のおねえちゃん~】 作:ひょうたんふくろう
「どうしよう……! きっと、私のせいだ……! 私が余計なことを言ったから……!」
ゾランが一人で霧吹き山へと向かった。フィネットからのその知らせを受けて、真っ青となったのはローフィだ。
頭に浮かぶのは、昨日の夜の光景。ほんの数時間前に、彼を元気づかせるためにかけた言葉。純然たる善意からのそれなのに、今となってはどうしてそんな柄にもないことをしたんだ──とローフィの中で後悔の念が絶え間なくあふれ出てくる。
「物事を恐れずに、とにかくやってみればいいって……! だからゾランは、きっとそのせいで……!」
「だいじょうぶ。大丈夫だから……落ち着いて?」
今にも泣き出しそうなローフィを、フィネットは柔らかく抱きしめる。ぽんぽん、と何かを言い聞かせるようにその背中を優しく叩いていた。
「でもフィネットさん……ゾランの靴も大剣もないのはわかりましたけど、霧吹き山へ向かったかどうかはわからないんじゃ……」
「──修練場にはいなかったわ。それと……水甕にね、新しいお水が入ってたの」
「それって……」
「ゾランの毎朝のお手伝いよ。普段だったら、もっと後にやるはずの。修練場に行くわけでもないのに装備をしっかり整えて、自分の仕事だけはきっちりやって……気まぐれでフラフラ散歩するような子がする行動じゃないわ」
ユウの疑問を、フィネットはやんわりと、しかしはっきりとした口調で否定する。もちろんあくまで状況証拠でしかないが、ゾランの性格を考えればまず間違いないと言っていい。むしろ、いかにもゾランらしい行動だと言えるだろう。
「大丈夫。ええ、本当に大丈夫なんだから。あの子を追いかけて連れ戻せばいいってだけ。どのみち霧吹き山には行くんだから、遅いか早いかの違いでしかないのよ」
ローフィを抱くフィネットの腕に、ぎゅうと強く力が入る。優しくぽんぽんと背中を叩くその手がわずかに震えていたことに、気づいた人間はいない。本来なら気づけるポジションにいるローフィも、それどころではなかったのだ。
「それで……どうする、”私”?」
「どうする? ……言っている意味が、よくわからないわ」
フィネットと同じ顔をしたもう一人のフィネット……西部の国の衣装に身を包んだシャルフィが、特に気にした風もなく続けた。
「元々、今日は段取りの確認や体力の回復に専念して、霧吹き山へ向かうのは明日以降という話だっただろう? 当然、準備なんてろくに出来ていない……理想を言えば、午前中いっぱいは準備に宛てたいところだけど」
「そんなに時間をかけてなんていられないわ! 最低限の準備をして、今すぐ向かわないと!」
「そうすると、出来るのはあくまでゾランの保護だけ……モンスメルムをどうにかするのはかなり難しくなる。……村守として、その意味はわかってるよね?」
「それは……っ!」
今からすぐにゾランを追いかければ、ことが大きくなる前にゾランを保護できるかもしれない。しかしその場合、本来の目的であるモンスメルムを鎮めることはかなり難しくなるだろう。ゾランを連れながら、あるいは探しながらあのモンスメルムをどうにかすることがどれだけ難しいかは、この場にいる全員がわかっている。準備もせずにあの霧吹き山へ向かえば、ろくな目に合わないであろうことも簡単に推測できた。
そして、モンスメルムをどうにもできないということは……フィネットの、村守としての責任を果たせないということになる。
一方で、準備をばっちり行ったうえで霧吹き山へと向かえば、モンスメルムを鎮められる可能性はグッと高くなるだろう。たった一つの薬瓶が、取るに足りないような装備の一つがどれだけ重要なのかは、癒術師の護衛として旅をしていたフィネットが一番よく知っている。旅の安全は事前準備にそのすべてがあると言ってもいい。
だけどその場合……最低限のそれを半日でそろえたとしても、もうゾランには追い付けない。考えたくはない最悪が起こる可能性すらある。
つまるところシャルフィがフィネットに問いかけているのは、天秤の皿のどちらを優先するのかということであった。
「……ゾランの保護を優先するわ。守るべき子供の一人も守れないで何が村守よ。たとえ今回モンスメルムを鎮められなかったとしても、別に状況が致命的に悪くなるわけじゃない。例えモンスメルムがまたこの村を襲ったとしても……また、みんなで協力して戦えばいいだけだもの」
フィネットは、はっきりとした口調で断言した。
「ユウくん、メルクちゃん、ローフィちゃん……わたしのワガママにつきあってください。この村の人間じゃないあなたたちこんなことを頼むなんて、筋違いだってわかっている。それでも……それでも、お願いします」
「うん……! 私だって、止められてもゾランを追いかけるつもりだったもん!」
「ええ。危険なんていつものことだし、俺だってゾランを助けたい気持ちは同じですから」
「なのですよ! それに……たとえ牛族の村の人間でなくとも、私はもうフィネットさんもゾランさんも……この村の人たち全員、家族みたいに思っているのですよ!」
フィネットからの心からのお願いに、ユウもメルクもローフィも快く頷いた。迷った様子なんてかけらもない、それが当然だと言わんばかりの即答。きっとユウたちは、たとえフィネットが懇願しなくても黙ってついてきてくれただろう……そう思わせるほどに、意志に溢れる答えだった。
「……ありがと」
小さくつぶやいて、そしてフィネットはシャルフィに向き直る。
「聞いての通りよ。ゾランの保護が最優先。これは村守としての判断です」
シャルフィは、にっこりと笑った。
「ああ、もちろん。”私”ならそう言うだろうと思った……シロフィ?」
「うん。……ねえ、”私”? ゾランを保護するなら、やっぱりほんの少しだけ出発は遅らせるべきだと思うわ」
シャルフィからの視線を受けて、白衣に身を包んだ眼鏡のフィネット──シロフィが、フィネットに言い聞かせるように、注目を集めるように人さし指を立てた。
「ゾランはすでにかなり先行しているはず。そうなると、今すぐ追いかけても霧吹き山に入る前に追いつくことはできない」
「だったら、なおさら……!」
「霧吹き山の浅いところで探索することになるのは確実。だから、最低限の準備だけはしていこう? ……きっとゾランは朝ご飯も食べていないわ。今すぐ向かって保護できたとしても、あの子はおなかを空かせたまま。それに、準備無しで山を探索するより、少し時間をかけてでも準備をした方が安全で確実だもの」
──これは、みんなのために必要なことだからね?
シロフィがフィネットの目を見てはっきり宣言する。フィネットはただ、黙って頷くことしかできなかった。
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方針が決定してからの行動は早かった。各々時間が惜しいとばかりに朝食を胃袋に詰め込み、その間にジャモやおばば様の指揮で探索に必要なものが急ピッチで村中から集められていく。薬草や解毒薬といった旅のお供はもちろん、雨具や防寒具と言った山では必須の備品まで。ある者は矢やボルトの備蓄をかき集め、ある者は携帯食の準備をして。
ユウたちが行ったのなんて、それこそ荷物を自分のポケットや背嚢に詰め込んだくらいだろう。さすがは旅慣れているジャモというべきか、およそ必要と思えるもののほぼすべてをジャモはあの短い時間だけで完全にそろえて見せていた。
「ありがとう、ジャモさん……!」
「なぁに、このくらい大したことないじゃも。……使える商品を使わずに腐らせるなんて、商人の名折れ。滞在費に馬車の修理費……すでに貰えるものは貰っているから、気にすることないじゃも」
フィネットの心からの笑顔に、ジャモは大人の余裕たっぷりに返す。探索の準備のために用意された備品の中にはジャモから提供されたものが決して少なくなく、何も知らない傍から見れば、ジャモがかなり太っ腹で、そして義理人情に篤いように見えたに違いない。
実際、義理人情に篤いことも無いわけではないのだが、知っている人がその光景を見れば、「あ、こうして恩を売って次の商機を作ってるんだな」と見抜いたことだろう。結果としてみんなが幸せなのだから、誰もそれにケチをつけないだけである。
そして、ジャモがフィネット達──探索隊に提供したのはそれだけではなかった。
「こんな立派な馬まで……! これで、すぐにゾランを追いかけることが出来ます……!」
「馬車馬だから、伝令に使うような駿馬には負けるが……それでも、力強さは保証するじゃも」
ジャモの商隊の馬。それが、これから霧吹き山へと向かうユウたちの足だ。
もちろん、この牛族の村にも少ないとはいえ馬がいる。本当なら、わざわざジャモが大事な財産であるこれらの馬を提供する理由なんてない。消耗品の類ならコスト的な損失は少ないが、馬ともなれば下手をしなくても一財産。一頭用意立てるだけでもかなりのゴルドを必要とする。
それなのに、あの金にはうるさいジャモが自らの馬を提供したのは。
「すみません……俺、馬には乗れなくて……!」
「ユウさん……だから、きちんと乗れるように練習しておきましょうってあれほど……!」
涙目でうなだれるユウを、メルクがあきれながらも慰める。基本的に体力も腕力も、およそ身体能力が子供とあんまり変わらない……自他ともに認める貧弱であるユウは、当然のごとく一人での乗馬というものもできなかったのだ。
そして、牛族の村には鞍をつけるのに慣れた馬はいない。単純に、牛族の人間が……というよりも、動物の国の人間はそんなものなくても馬に乗りこなせるほど身体能力が高いからだ。そもそもとして馬に乗る機会も少ないものだから、二人乗りできるほど体の大きい馬もほとんどいなかったりする。
「い、いいのよ。人間、得手不得手があるのは当たり前だもの」
「ぐすっ。フィネットさん……!」
「そ、そうだよ。それに……その、私も一人で馬には乗れないし……」
「ローフィさんは単純に、機会がなかったというだけなのでは?」
「「……」」
ちなみに、そこらの村人ならいざ知らず、普通の旅人なら大半は一人で馬に乗れる。十五を超えてなお馬に乗れない男性は相当珍しいと言っていい。馬に乗れないとはつまり、そういうことである。
「はは……ゾランは、一人で馬に乗っていったんだよな。鞍も無しに、あんな大きな大剣を背負って馬に乗っていったんだよな」
「ユウおにいちゃん……その、何もかも終わったら、一緒に練習しよっか?」
「ありがとう、ローフィ……その優しさが心にしみるよ……」
そんな話をしている間にも、馬に荷物が載せられていく。馬の動きの邪魔にならないよう、左右にバランスよく。荷袋をただ二つ適当にぶら下げるだけでは馬だって走りにくく、結果として進行が遅れるのは旅の初心者にはよくあることだ。もちろん、ジャモがそんなミスを犯すはずはなかった。
あっという間に準備は整えられ、あとはもう乗馬するだけ。ジャモやおばば様、手の空いている村人たちが見守る中で、ユウたちはある決断をしなくてはならなかった。
「さて、諸君。馬は二頭いるわけだが……どうしようか?」
シャルフィが挑戦的に皆の顔を見渡す。
フィネット、シャルフィ、シロフィ、ユウ、ユディ、ローフィ……それにメルク。単純に考えて、この六人と一人で二頭の馬に分かれるなら、三人で一頭の馬に乗らなくてはならない。
「私は馬は結構得意だからな。手綱を握るのは任せてくれ」
「そっか……西部の国の保安官って、馬に乗ってるイメージあるもんな……」
えへん、と自慢げにシャルフィが胸を張る。誰も反対する人間はいなかった。
「ユウとローフィちゃんとメルクちゃんは後ろに乗るのが確定として……ユディ、シロフィ、”私”はどうだ?」
「う……その、わたしはそんなに得意じゃないから……」
「私も……一人ならともかく、誰かを乗せるのはちょっと……」
「”私”?」
「──問題ないわ。あなたが”私”なら、知っているでしょう?」
「じゃ、決まりだね」
一頭目の馬ではシャルフィが手綱を握る。そのすぐ後ろにローフィで、それをサンドイッチするようにユディが乗ることになった。二頭目の馬ではフィネットが手綱を握り、そのすぐ後ろにユウ、そしてシロフィが乗ることになった。
「ユウくん……ほら」
「──と、ととっ」
馬上のフィネットに腕を引っ張り上げてもらい、ユウはなんとか馬に乗ることに成功する。柔らかくてあったかい手だったな──なんて思ってしまったのは、男の子だからしょうがない。続くシロフィが誰の助けも借りずにひらりと馬にまたがって見せたのは、ユウは考えないことにした。
「ユウくん、その……もうちょっと前に詰めてくれる?」
「あ、すみませ……!?」
背中に感じる、柔らかくてあったかいなにか。自分の腰にそっと添えられている、くすぐったい感覚。
決してシロフィに他意はない。単純に、馬に慣れていないユウをしっかり補助しようと……ユウが馬から落ちないように、その背中をしっかり抱きしめているだけである。そもそもとしてシロフィ自身がユウをその手の対象として見ていないので、その行為には一切の遠慮が無かった。
それが、ユウにはあまりにも刺激的すぎた。
「……ユウさん? すごくすごく手が震えて、私が零れそうなのですけど」
「お、おおお、おう……!」
「…………」
「うーん、もっとしっかり抱きしめておいた方がいいかなあ」
「ひゃあっ!? お願い、耳は止めて……っ!」
耳元でそっと囁かれた言葉に、ユウは思わず情けない言葉を漏らした。
「…………」
呆れるやら情けないやら、メルクの中にたとえようのない感情が沸き上がった。
「……フィネットさん」
「なにかしら?」
「ユウさんが見ての通りのザマなのです。このままでは私はきっと、走っている間に落っこちちゃうのですよ」
「あら、それは困るわね……じゃあ、お姉さんの所に来る?」
「みゅ?」
ひょい、と当然のように自分を取り上げられメルクは困惑した。てっきり年長としてびしっ! っと一言言ってくれるだけのものと思っていたのに、この扱いはこれ如何に。代わりに持ってくれるというのであれば万々歳だが、手綱を握る以上フィネットの両手が空いていないのは疑いようがない。
「──ちょっとはしたないけど、特等席よ」
「みゅみゅみゅみゅ……!?」
ぐい、と突っ込まれたそこ。
なるほどたしかに、特等席だ。
「こ、これは……! この懐かしさすら覚える温かさと、ちょっぴり新鮮な視界は……!」
いつもの膝元より高く、普通の人の頭の位置よりかは低い場所。フィネットの体の真ん中とで言うべきそこは、あったかくて抱擁されているようで、安定感が抜群なのにふよふよと揺れる。
「そ、そんな……! こ、こんなことが可能だったのですよ……!?」
両手を使わずにメルクを持つ。その目的を達成するのに、そこはまたとない場所であった。
一つだけ欠点があるとすれば、それをできるのは牛族の女性くらいしかいない……ということだろうか。
「さ、そろそろ出発するわよ……ユウくん、ちゃんとお姉さんにしがみついて」
「え、ええっ!?」
「……何恥ずかしがってるの? もっとちゃんと腰に腕を回してよ。じゃないと落っこちちゃうでしょ?」
「で、でも……!」
フィネットの腰。柔らかそうなのはもちろん、とても細く見えるのにしっかりとした安定感がある。思わずまじまじと見てしまったユウは自分の顔が真っ赤になるのを確かに感じ、そして前のフィネットにも後ろのフィネットにもそれを見られない今の状況に心から感謝した。
「”私”も、もっとしっかりユウくんを……そう、わたしと一緒に挟み込むようにして。……ちょっと、本気で走らせるから」
「うん、わかった!」
「あわわわわわ!?」
「おばば様、みんな……行ってきますっ!」
おばば様とジャモに軽く一声かけて、フィネットは踵で馬の腹を軽く小突く。その意図をしっかり汲み取り、馬は確かな足取りで村の外へと歩きだした。同じくシャルフィたちの馬もそれに続いて、辺りには静けさだけが残る。
「行った、か……」
すでに、フィネット達の背中は見えない。柵を超えた瞬間に、彼女らは馬を全力で走らせたからだ。
「のう、ジャモどの」
「うん?」
「既に癒術師殿はかなり、その……疲れているように見えたが、大丈夫だろうか」
「……あやつも小童とはいえ男じゃも。察してやるのが大人ってやつじゃも」
「……モンスメルムに誑かされたりしないじゃろうか」
「……そこはたぶん、大丈夫じゃも。奴は決して、屈強な男ではない。そういう意味では、モンスメルムのお眼鏡にかなうとはとても思えないじゃも。じゃが……」
そこで、ジャモは一度言葉を区切った。そして、確かな確信の元に言い切った。
「──ユウは、必ずやると言ったらやり通す。自分の役目は、きっちりと果たす。それはこのわしが保証するじゃも。だから……わしたちは、ただ信じて待てばいいじゃも」