メルクストーリア 【動物の国another ~牛睡の冀望と偶想のおねえちゃん~】 作:ひょうたんふくろう
フィネットは、自分の目の前に広がっている光景が信じられなかった。
「こっちだモンスメルムっ! オレが立っている限り、ここから後ろへは一歩も行かせない!」
あのゾランが、小さくてかわいかったあのゾランが……守るべき弟であるはずのゾランが、モンスメルムという伝説のモンスターを前にして立派に戦っている。一歩も引くことも無くその巨体の前に立ちふさがり、大剣を振り回してその攻撃をいなしている。
「ゾランばかりに、集中させないんだから!」
「こ、こっちだって!」
ローフィが鞭を振り回し、モンスメルムがゾランに放った根っこを一気にまとめて打ち払う。鋭く内部に浸透する痛みにたまらずモンスメルムが怯んだところに、ユディがクロスボウでボルトを放ち、モンスメルムを大きくのけぞらせた。
──そうしてゾランがさらに距離を詰める。巨体に踏みつぶされても構わない……いいや、そんなことなんて絶対に起きないという自信たっぷりに。小柄な体格を活かしモンスメルムの足元を素早く駆け回るゾランは、しかし裂帛の気合と前に進み続けるプレッシャーをもって、はっきりとモンスメルムを気圧していた。
「ゾラン……」
そこにいるのは、ゾランだ。しかし、フィネットの知っているゾランではない。
フィネットの知っているゾランは、まだまだ小さくて甘えん坊だ。お兄ちゃんとして背伸びをするところが可愛くて、何か無くとも自分の背中をよちよちと追いかけてくる子供だ。ぎゅって抱きしめるのも、手をつなぐのも好きで、それと同じくらい自分のしっぽを握りしめながら……フィネットのしっぽを握りながらお散歩をするのが大好きな、愛すべき弟だ。
そんな弟が、雄たけびを上げ、たくましい背中を晒しながら力強く戦っている。フィネットを守るために、仲間と協力してモンスメルムと戦っている。
そしてあろうことか。
フィネットには、その戦いがとても安定しているように見えた。モンスメルムを十分に抑え込み、圧倒しているように見えた。
決して、ヒヤヒヤしながら……危なっかしい弟を見ているようには、思えなかった。
「どうだ、ゾランはよくやってるだろう?」
「ホントに、子供の成長って言うのは早いものね」
「”私”……」
いつのまにか、フィネットの隣にはシャルフィとシロフィがいた。フィネットと同じ顔をした、二人の”
「これを見ても、まだ不安かい? ゾランのことを、信じられないかい?」
「違う……違うわよ。信じられないってわけじゃない。ゾランのことは、わたしが一番よく知っている」
「ホントにそうかしら?」
「……あなたたちが”私”なら、わかるでしょう?」
二人のフィネットは、同じ顔で笑った。
「そうだね」
「信じてないわけじゃない。でも、不安だ。それには理由なんてない。この先一生、その気持ちが消えることは無いんだと思う」
「だったら──!」
「私たちが”
「”あなた”の知っていることは当然知っている。その逆もまた然り。だけど……」
「「”
フィネットの目の前で、ゾランが戦っている。泣き言を言うわけでもなく、強がりを言うわけでもなく。ただひたすら、前だけを見据えて──後ろを振り向かず、ただただフィネットのことを信じて戦っている。
「まだまだ失敗も多いけど……ゾランはもう、立派なお兄ちゃんだ。気づいているだろう?」
「【たまにはお兄ちゃんをお休みしましょ】って言葉は、本心でしょう?」
「お兄ちゃんとして、ゾランを認めているんだから」
「おねえちゃんとして、見守ってあげるのもいいんじゃない?」
そんなことは、言われなくてもフィネットはわかっている。わかっているつもりだった。
でも実際は違う。ゾランはいつだってフィネットの守るべき弟だ。村のチビちゃんたちのお兄ちゃんであるかもしれないが、全部全部ひっくるめて彼らは皆フィネットの愛すべき弟妹達だ。それは純然たる事実で、この先どう頑張って変わりようがない。
「でもね」
「今の”
「それは、どうい──!?」
フィネットの体が、ふわりと温かいものに包まれた。温かくて、柔らかくて、良い匂いのするものに包まれた。
フィネットはこの感覚を知っている。もうずっと、何年も前の記憶だ。この温もりが愛おしくて、こうして優しく背中をポンポンと叩かれ、頭を撫でられるだけで幸せだった。どことなく懐かしい、この朗らか気分になれるだけで嬉しくて、暖かい腕の中で微睡むのが大好きだった。
こうして、誰かにぎゅっと抱きしめてもらうことが。誰かに甘えて、一緒にお昼寝することが。
フィネットは、大好きだった。
「「──たまには、おねえちゃんをお休みしましょ?」」
二人のフィネットは、慈愛の笑みを浮かべてフィネットを優しく抱きしめた。
「おねえちゃんは誰かに頼っちゃいけないなんて決まり、ないんだよ?」
「頼りになるお兄ちゃんがいるのなら、そっちに頼ってもいいじゃないか。弱いところを見せたって、いいじゃないか」
言い聞かせるようにして、優しくフィネット達は囁いていく。
「
「お兄ちゃんもおねえちゃんも、一人で全部背負い込む必要は無いの。みんなで助け合って生きていく……牛族の村の掟でしょう?」
フィネットはなんだか、泣きそうになった。嬉しいようにも寂しいようにも思えて、今すぐ思いっきり走り出してしまいたくなった。丘の向こうまで全力で走り抜けて、人の目を気にせず大きな声で叫びたくなった。
そして、誰かに頭を撫でてもらいたくなった。優しく、ぎゅっと抱きしめてもらいたくなった。
「完璧なおねえちゃんである必要なんてないんだ」
「無理におねえちゃんを演じる必要は無いのよ。そのままのあなたが、あの子たちの大好きなおねえちゃんなんだから」
「……偉そうに。さすが、よくできた”
フィネットの頭を揶揄うように優しく叩いて、二人のフィネットはケラケラと笑う。
「偉そう? そりゃそうだよ、偉いもん」
「だって”私”は、あなたのおねちゃんよ?」
そして、再び強く、優しくフィネットを抱きしめた。
「おねえちゃんだって、最初は誰かの妹で……おねえちゃんに甘えていたんだから」
「おねえちゃんがお姉ちゃんに甘えて何が悪い?
「「
それはある意味、フィネットが最も忌避していた言葉だった。無意識的に避けていた言葉と言ってもいい。
自分はみんなの”おねえちゃん”である。ならば決して、弱音を吐いてはいけない。常に頼られる存在であり続けなくてはならない。フィネットの知っている”おねえちゃん”はいつだって優しく、余裕があって、甘えられる存在でなくてはならない。
決して誰かに甘えたり、弱音を吐いて挫けたり、愛すべき弟を危険な目に合わせたりしない。
──今のフィネットのような存在は、”おねえちゃん”足り得ない。
しかし。
シャルフィとシロフィが放った言葉は、今のフィネットが心のどこか奥底で、自分でも気づかないうちに求めていた言葉だった。
「ややこしく考える必要はないの。本当に、本当に簡単なこと」
「お互い素直になって、信じ、頼り、助け合うだけ……本当に、たったこれだけのことさ」
シャルフィはいつだって、みんなのことを考えて決断してくれた。いつだってフィネットのことを力強く引っ張ってくれた。
シロフィはいつだって、みんなのことを支えてくれた。いつだって、フィネットの背中を優しく押してくれた。
だからフィネットは、今度は本当にこの二人の”
「……いいの? わたしは本当に、誰かを頼っていいの? おねえちゃんなのに……誰かに甘えて良いの?」
二人のフィネットは、当然だと言わんばかりに笑った。
「私たちはおねえちゃんだぞ? ”
「そう、私たちはそのためにここにいる。きっと……そのために生まれてきたの」
「それって──」
「ルォォォォ!!」
モンスメルムの雄たけびに、フィネットは今の状況を思い出した。
「くっそぉ! あいつ、ホントにタフだな!」
「でも、動きはずいぶんと鈍くなってる! やっぱり体力自体はかなり削られているよ!」
ゾランとローフィがちょこまかと動き回り、モンスメルムを相手取っている。何がどうしてそうなったのかはわからないが、ちょうど二人でお互いの死角をカバーしあうような位置取りだ。ちょっと離れたところでユディがクロスボウを構えており、モンスメルムの注意がゾランたちやユウに引き付けられ過ぎないように牽制していた。
「おっと、かなり話し込んじゃったかな?」
「そろそろ、私たちも動かないとね!」
「でも、結局モンスメルムに癒術が効かない理由がわかってないんじゃ……!」
フィネットの問いは、意外なほどあっさりと否定された。
「ちっちっち。おねえちゃんを甘く見ないでほしいな」
「それについてはもう、実は見抜いていたり? ……まぁ、ユウくんの助けも大きかったけど」
「ほ、本当!?」
聞けば、すでにこの段階で何とかするための作戦が発動しているのだという。フィネットと合流する前から、シロフィは現在の状況を大まかに予測を立て、そして最善の行動を導き出したとのこと。実に恐るべき眼鏡のおねえちゃんパワーであった。
「実はね……モンスメルムも誑かされているの。だから、アレをどうにかしたところでどうにもならない。もちろん、癒術なんて効くはずもない」
「ええ……!? でもじゃあ、いったいどうすれば……!?」
「そりゃ当然、モンスメルムを誑かしている真の元凶をどうにかするに決まってるだろ?」
「……その、真の元凶って?」
「──モンスメルムの背中に生えている、あのでっかい樹さ!」
あの時。霧吹き山に足を踏み入れたユウたちはモンスメルムに誑かされた。モンスメルムに誑かされて、それぞれ理想の幻覚を見て暴走した。
これについてはシャルフィたちの努力によって正気に戻すことが出来たが……言い換えれば、シャルフィたちがその場でどうにかすれば何とかなってしまう程度のことであった。
──モンスメルムが「何か」に誑かされているのなら。ユウたちと同じように誑かされているのなら、あれだけの激戦を繰り広げてなお正気に戻らないというのはいささか不自然である。ちょっとやそっとの物理的刺激は効かなくとも、悶絶するほどの大きな痛みは精神的ショックとしては十分すぎる物のはずだ。
「つまりね、モンスメルムは……私たちとあれだけ戦っても正気に戻らないモンスメルムは、常にずっと誑かされ続けていたってことなんだよ」
「そして、そんなことが出来るのは……あの場にいた私たち以外の生き物は、あの樹しかない」
「そもそもアレ、明らかにチグハグで意志があるかのように動いてるじゃん」
「そ、そんな……!?」
シャルフィのあまりにもあけすけな物言いに、フィネットは開いた口が塞がらない。しかし、言われてみれば尤もな話である。思い返せば、モンスメルムの鼻の一撃と根っこの攻撃は器用と言うレベルを通り越して複雑だったし、そもそも鼻の振り払い攻撃をしたのに──思いっきり視線をこちらから外しているのに、直後に根っこの攻撃を的確に叩き込めるのはどう考えてもおかしな話だ。
「だけど、ちょっと困ったことがある。……狙うべきは背中の樹だとして、私たちはそこに対する有効的な攻撃手段が無い」
「ローフィちゃんの鞭じゃ届かない。ユディのクロスボウもシャルフィの投げナイフも直線的な動きだから、背中は角度的に無理。私の爆薬は山なりに投げれば届くかもだけど、速度が無いから叩き落される。だから、とりあえず全力で相手をして誑かされている方の体力切れを待ってる……って感じ」
「……なるほどね」
フィネットの中で、絵図が描かれていく。
それはフィネットが思っている以上に、簡単なことであった。
「……角度だけしか問題が無いのよね? じゃあ、わたしに考えがあるわ」
ちょうどついさっき、似たようなことをやっていた。そのポテンシャルの高さは、しっかりと見せつけてもらった。
なら、フィネットはそれを信じるだけだ。
「ゾラン、聞いて! 作戦があるの!」
フィネットは力の限り叫ぶ。
「ゾラン……あなたに任せたい! おねえちゃんを、信じて!」
ゾランはニッと口の端を釣り上げた笑った。
「──任せろ、ねーちゃん!」
▲▽▲▽▲▽▲▽
いったいいつまでこの戦いは続くんだ、とユウは心の中だけで声を漏らす。先ほどから何度も癒術を試みているものの、やっぱりモンスメルムにはまるで響かない。昨日お昼寝広場と戦った時と同様に、語り掛けても声が届いていないかのように──まるで、手応えが無い。
やはりこの”モンスメルム”も誑かされているというのは本当のことなのだろう。同じように誑かされていた自分はその時のことなんてほとんど記憶にないし、誑かされていたローフィやユディも、とても話の通じるようには見えなかった。それを考えると、心と心の対話に近いものがある癒術が効かないのも頷ける話だ。
「くっ……!」
じゃあ、その元凶であるモンスター……”本来のモンスメルム”であろう背中の樹に癒術が届くかと言われると、それもまた違う。泥まみれなラーファンのような”モンスメルム”の動きは鈍ってきているものの、依然として戦闘態勢であるのは間違いなく、背中の樹の方の”モンスメルム”は今も活発に動いてゾランを打ち倒せんと猛威を振るっている。
単純に、よくあるパターン。癒術をかけられる側があまりにも猛っているせいで、癒術の通りが酷く悪い。加えて物理的な距離感か、あるいはモンスメルムの特性そのものか、どうにもイマイチ癒術そのものが”モンスメルム”に届いていないような気もしていた。
「ユウさん……!」
「もう少し……! もう少しのはずなんだ! 癒術をかける対象が間違っていないんだから、きっと……!」
あと少しだけ動きを止めてくれれば。あと少しだけ、あのモンスメルムの注意を引いてくれれば。そうすればきっと、なんとかなるはず──いいや、なんとかしてみせるとユウは意気込む。昨日とは違い、前衛がしっかりと前線を構築し、中衛がそれを支えるという安定した戦いができている以上、必ずそのチャンスが来るとユウは信じていた。
──そして、その時は訪れた。
「──!!」
唐突に聞こえてきた甲高い声。思わず耳を塞ぎたくなるような、どこか不快な音。不思議なことにそんな金切り声を放ったのはフィネットで、その瞬間にユウとメルク以外の──六対十二の耳がぴんと立った。
「──わかった!」
「りょーかいっ!」
「えっ」
意を得たとばかりにゾランとローフィが頷きあう。遠目に見えるユディもこくりと頷いて、視線で準備ができた旨を告げていた。
「き……聞こえたか、メルク?」
「い、いいえ……私には、ただフィネットさんが甲高く叫んだようにしか……!」
どうやら、動物の国の人間……あるいは、牛族だけに伝わる何か暗号のようなものを使ったらしい。この騒音の中、あの一瞬の間に意思疎通を済ませたところを見れば、そうとしか考えられなかった。
いずれにせよ、ユウにできることなんて一つしかない。
──フィネット達がこれから作るであろうチャンスを逃さずに、役目を果たすことだ。
「ルォォォォォ!」
こちらが何かを企んでいることに、モンスメルムの方も気づいたのだろう。させてたまるかとばかりに、もう何度目かもわからない強烈な鼻の薙ぎ払いがゾランを襲う。
──それが、合図だった。
「でぇぇぇぇい!」
ローフィが、裂帛の気合と共にモンスメルムの鼻に向かって鞭を打ち付ける。手首の動きと、肘の関節の動き──そして、腕そのものの振り。それらを駆使した熟練の動きは、たった一振りの動きで都合三回、返しも併せれば合計六回ほどの連撃をモンスメルムに与えることになった。
ローフィ自身はまだ幼いとはいえ、鞭を使った攻撃だ。それが与える衝撃は計り知れない。まともに食らったモンスメルムの勢いが、多少なりとも削がれるのは当然のことだろう。
──そこに、付け入るようにして。
「えぇい!」
霧を切り裂く一条の光。限界まで狙いをすまし、タイミングをギリギリまで見極めたユディのボルトがモンスメルムの鼻の下……人間で言えば人中に当たる部位に叩き込まれた。激しく唸る鼻に常に隠されていたそこは、やはり人間と同じくモンスメルムにとって急所であったのだろう。
「ルァァァァァ!?」
モンスメルムが、一際大きな叫び声をあげる。もしフィネットに余裕があれば、的確に急所にボルトを打ち込めるほどに腕を上げたユディを、思いっきり抱きしめていたかもしれない。
しかし今はそんな余裕はない。すでに攻撃の態勢に入っていた……勢いづいてしまっているその鼻の一撃は、ローフィの攻撃を受けても、ユディの攻撃を受けてもなお止まらないのだから。
そして。
「うおおおおおお!!」
別に止まらなくてもいい。
だってこれから、止めるのだから。
──そう言わんばかりに、ゾランが全身でモンスメルムの鼻を受け止めた。
「ぐッ……! んぐぎぎぎぎ……ッ!!」
「ゾラン!?」
ガン、とまるで金属同士がぶつかったかのような大きな音。思わずユウは、自らの役目も忘れて悲鳴を上げてしまった。
あまりにも無謀だ、とユウは叫びそうになった。いくらゾランが平均的な子供より力があるとはいえ、それでも体格の差は覆しようがない。そのあまりにも強大な一撃は、いとも簡単にゾランを吹っ飛ばしてしまうだろう。お昼寝広場の相撲とはわけが違う。がっつり組み付いているのは同じだが、ここは土俵の上ではないのだ。
「ぎッ……! ぐぐぎぎ……ッ!!」
ものすごい勢いでゾランの体が押されていく。いや、ここまでくると引きずられていると言ったほうがいいかもしれない。懸命に鼻に組み付いてはいるものの、ゾランの踵は凄まじい勢いで地面を捲り続けていて……
「ま、けるか、よぉ……ッ!!」
ぴたり、と動きを止めた。
「ルォ……ッ!?」
モンスメルムが慌てて鼻を動かそうとしても、ゾランはがっちりとそれを掴んだままピクリとも動かない。全身の筋肉を膨張させ、腰を思いっきり落として。汗も涙も何もかも……文字通りの全力を振り絞って、重厚な金剛石の如き威圧感でそれを抑え込んでいた。
「おしえ、て、やるよ……!」
体中から汗を拭き出しながら、ゾランは不敵に笑った。
「オレたちは相撲で鍛えられてるんだよ……! こんなの、ねーちゃんのぶちかましに比べれば……!」
ゾランは、吠えた。
「全然大したこと無いんだよぉ──ッ!!」
いつのまにか、フィネットが駆けていた。これで最後だと言わんばかりに、全力でゾランに向かって駆けていた。
身動きの取れないモンスメルムからしてみれば、たまったものじゃない。明らかに何か良くないものが、自分に近づいてくるのだから。
「ルォァァァァッ!」
当然の帰結として、モンスメルムは自由が利く根っこでフィネットを迎え撃とうと試みた。
が、しかし。
「さすがにその手はもう見切ったぞ!」
銀閃。シャルフィの放った六本の投げナイフが、そのすべての根っこを叩き落した。
「そっちばかり気にしてちゃ、妬いちゃうんだから!」
爆撃。シャルフィの攻撃にかぶせたシロフィの連撃。六本のフラスコがモンスメルムの面前で爆発する。あの時と同様に、それはモンスメルムに少なくない衝撃を与え、そして──ほんの少しばかりの間、白煙によりモンスメルムの視界を塞いだ。
それが、決定的だった。
「ゾラン!」
「来いよねーちゃん!」
駆ける。駆ける。駆ける駆ける駆ける!
フィネットの勢いは止まらない。フィネットはもう止まらない。髪を振り乱し、痛むはずの足さえも無視して。ただひたすらに、ゾランを信じてそこへ駆けている。
にぃっと笑ったゾランが、片手だけで……差し出すように大剣を構えた。
「ま、さか──!」
「そんな──そんなことってあるのですよ!?」
ユウとメルクの頭の中に浮かぶ、有り得ない光景。そんなの絶対にあるわけないだろうと理性が言っているのに、きっとこの二人ならやってくれる……次の瞬間には現実になると、本能が叫んでいる。
そして、それはやっぱり現実となった。
「相撲で鍛えた牛族はァ!」
「足腰が強いのよッ!!」
勢いを全く落とすことなく、ゾランの大剣の腹に足をかけたフィネット。
「オラァァァァッ!」
渾身の気合と共に、ゾランは大剣を──フィネットを打ち上げた。
全く同じタイミングで跳び上がったフィネットは──弾丸のように霧を切り裂き、そして何もかもが遅くなった世界で、中空へと浮き上がる。
「フィネットさんは、どこなのですよーっ!?」
「あ、あそこだ! あんな上の方に!」
──あ、上の方は結構晴れているのね。意外と景色は悪くないかも。
なんとなくそんなことを思った直後、フィネットは眼下に目を回すモンスメルムを捉えた。
──地上からは絶対に狙えなかったはずの背中が曝け出ている。邪魔な鼻も根っこもすべて撃退済み。
だからだろうか。
モンスメルムの背中の大樹の根元。泥や枝に隠されるようにして……赤いキノコの帽子を被ったような
「──この一撃で、終わりにしましょう?」
物理法則通り落ち行く体が、中空でぴたりと止まる。逆さまになった視界。特有の浮遊感の中で、フィネットの目はそいつだけを捉え、腕はいつも通り淀みなく、矢を番えてそいつを狙っていた。
「──ふッ!!」
ィン! とひときわ大きな風切り音。時の流れが元に戻り、そしてフィネットの体は落下感に包まれる。
──あえてわざわざ確認するまでもなく。フィネットの放った矢は
そんな千載一遇のチャンスを、ユウが見逃す……見逃せるはずが無かった。
「あいつが……!」
もう、
「届けぇぇ──っ!」
──心を鎮め、開いて広げて。
──相手の心を包んで重ね、響き合わせて語り掛ける。
「……そうか。そういうことだったんだな」
──深い霧が、晴れていくように。
──心と心が響きあった。
無防備な心がさらけ出した本心に、心と心で繋がりあって。
ユウは癒術の成功を確信した。
「──! そうだ、フィネットさん!」
あの高さから落ちれば、ただじゃ済まない。しかも見間違いでなければ、フィネットは頭から落ちている。
「ふふふ……ありがとね、ゾラン。信じてたよ」
「言っただろ? オレがねーちゃんを守るって」
俗にいう、お姫様抱っこ。ゾランにしっかりと抱き留められ、照れくさそうに笑うフィネットを見て。
ユウは、ようやっと心の底からほっと一息を突くことが出来た。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「まさか、モンスメルムの正体がこんなに小さかったとは……」
「意外とチャーミングな見た目をしているのですよ」
戦闘後の一息。実際にフルで戦っていたみんなより早々に休憩を切り上げて、ユウは改めて”モンスメルム”を見た。
モンスターとしては人型に近く、植物のような体質をしているらしい。体長としてはユウの背丈より少し低いくらいで、頭の部分に赤い帽子のようなキノコ状のものがある。
どうやらこの”本体”が、あの触手のような根っこを操っていたらしい。今は疲れて眠っているため詳しいところはわからないが、普通に切り離されても問題なさそうなところを見るに、ほぼ間違いないだろう。
「でも、誑かしてきたのはこっちだから……こっちがモンスメルムで、あのでっかい泥まみれのラーファンみたいなやつは……」
「モンスメルムって呼んでましたけど、実は違う名前のモンスターのはずなのですよ」
その名も無きモンスターは、モンスメルムと同じくぐっすりと寝こけている。すでに癒術はかけているから、少なくともいきなり暴れ出すことは無いはずだ──というのが癒術師としてのユウの見解だ。モンスメルム自身が落ち着いて幻惑が解けたからか、今までの癒術の通りの悪さはなんだったのかと思えるくらいにあっさりと癒術が効いたのである。
「なにはともあれ……一件落着、かな?」
シャルフィもシロフィも。ユディにローフィも。みんなケガらしいケガはしていない。ゾランが少しボロボロで、フィネットが足を痛めているようだったが、既に応急処置はしたし、動けないほどひどいわけでもない。こうしてみんな無事と言うことはつまり、当初の目的は概ね達成できたことになる。
「いやいや、肝心なところを忘れてないか?」
「シャルフィさん」
「結局……なんでこいつは、ウチの村を襲ったりしたんだ?」
ユウたちの本当の目的は、牛族の村を襲うモンスメルムをどうにかすることである。癒術が効いた以上、鎮まっていることは間違いないが、その根本的な理由が判明しなければまた同じことを繰り返すだけだ。
「襲った……まぁ、襲ったことには違いないですね。本人にその気はなかったようですけど」
「……ふむ?」
癒術をかけた際に響いた、モンスメルムの心。加えて、誑かされたときに感じたあの叫びの残滓。それらを加味すれば、その理由もある程度推測することができた。
「モンスメルムは……寝起きが悪かったみたいです」
「……えっ?」
「ここ最近、霧吹き山の天気が荒れがちだったんですよね? たぶんですけど、そのせいで永い眠りから覚めちゃったんだと思います」
「……」
「そしてこいつは、眠るのが好きみたいです。だけど、この霧吹き山のジメジメとした環境はとても昼寝には向かない。ようやく寝付けたのに叩き起こされて……まぁ、イライラしていたのかも」
「い、いろいろ言いたいことはあるけど……続けて?」
シロフィに促され、ユウは次の言葉を紡ごうとする。いつのまにか、他のみんなもユウの周りに集まってきていた。
「ここからは……というか、今までもあくまで俺の推測なのですが……。このモンスメルムは、自分で自由に動けないモンスターだと思うんです」
「ま、見るからにキノコか植物かって見た目だもんなぁ」
「だから……その誑かす能力を使って、この……ラーファンみたいなモンスターの背中に乗り、この辺をあちこち彷徨った挙句、一番お昼寝するのにぴったりな……」
「──お昼寝広場に行こうとしたってこと? それを邪魔したから、私たちを襲ったってこと?」
「少なくとも、ゆっくり寝たいって言うのは間違いないと思います……」
「……そういえば、わたしの夢もゆっくりお昼寝したいってやつだった」
元々モンスメルムは、この山に生息する眠ることが大好きなモンスターだった。しかしこの霧吹き山は気持ちよくお昼寝するには不向きな環境で、個体としての嗜好か、あるいはモンスターの生態としての特徴かわからないが、ともかく住処と嗜好の傾向が合致しなかった。
そのせいでなかなか寝付けず、ようやく寝付けたと思ったのに荒天で叩き起こされた。で、起こったモンスメルムは近くにいた手ごろなモンスターを誑かし、動けない自分を運んでもらうことで新たなお昼寝スポットを探していた。
そして、ようやく見つけた素敵なお昼寝スポットの前に、立ち塞がる邪魔者たちがいた。しかもあろうことか、その邪魔ものたちは自らの縄張りまで追いかけてきた。
そう考えれば、怒って襲ってくるのもわからないではない。
わからないではないが……あまりにもあんまりな理由に、その場にいた全員の肩の力がガクっと抜けた。
「い、一応あくまで俺の推測だからね!? ホントかどうかは、こいつらだけが知っていることだからね!?」
「ま……良くも悪くも、モンスターらしい理由ってことか。やっぱ世の中意外と単純だったりするのかな」
「そうかも……でも、最後になんとなくでも答えがわかってよかったわ」
「──え?」
思わずユウは、目を見開いた。
シロフィが意味深なことを言ったから……ではない。いや、きっかけとしてはそうなのだが、本当に驚いた理由は別にある。
「シロフィさん……! シャルフィさんも!」
「どうして……なんで、体が透けてるの!?」
フィネットの叫びは、その場の全員の心を代弁していた。二人の体はうすぼんやりと霞がかかったように揺らいでいて、すでに体の向こうの景色が見えるほどに透けてしまっている。今この瞬間もゆっくりと、しかし確実にそれは進行していて、そう遠くないうちに
「んー? ……まぁ、時間切れかな」
「よくよく考えなくても、”私”が二人も増えたこと自体がおかしいんだもの。むしろこっちが正常なのよ」
「そうじゃないでしょ……!」
自分たちが消えかかっているというのに、シャルフィもシロフィも随分と達観している。まるでそのことが当然だと言わんばかりで気にもしてない。他人事のように思っている節さえある。
それが、フィネットには堪らなく悲しく、許せなかった。
「みんなで……! みんなで無事に帰れなきゃ、意味が無いのよ! そんなの”私”ならわかっているでしょう!?」
「──”私”だって言うのなら、こうなるのもなんとなくわかってるだろう?」
「気づいてないわけないもんね。だって”私”なんだもの」
「──ッ!」
フィネットには心当たりがあった。この、目の前で優しく笑う"
だからこそ、それがもう避け得ないことであることも、気づいてしまった。
「モンスメルムが、癒されたから……!」
「「──違うよ」」
二人のフィネットは、声を揃えて言った。
「もう、私たちを頼りにする必要なんてないからだよ」
「だってもう、あなたの周りには……こんなにも頼りになる人たちがいるんだもの。あなたを支えてくれる人が、こんなにもいるんだもの」
「「だからもう、”私”は要らない」」
「「いいや……あるべきところへ、”わたし”になるだけ」」
「「すでに十分、役目は果たせた。それだけのことなの」」
なにがなんだか、もうフィネットにはわからなかった。わかりたくもないのに、心では気づいてしまった。他でもない自分自身のことだから、何よりもそのことがわかってしまった。
そう、自分のことだ。自分自身のことなのだ。
この二人は──フィネットと全く同じ顔をしたこの二人の”おねえちゃん”は、他でもないフィネットのことなのだ。
「ねえ、
どんどんと体が透け、実体を失っていく”自分”に、フィネットは甘えた。目の端に涙を溜めながらも、精いっぱいに明るい笑みを浮かべて、何年ぶりかもわからない「おねだり」をした。
「皆まで言うな。言わなくてもわかる」
「ええ、自分のことだもの」
二人のフィネットは、誰よりも優しく笑い、誰よりも慈しみを込めて、誰よりも暖かくフィネットを抱きしめた。
「「──よくがんばったね、おねえちゃん」」
「……うんっ!」
──やがて、フィネットの体を包んでいた温かい感覚はすっかり消え去った。
颯爽と現れ、フィネットを導いた二人のフィネットは。
フィネットの心の中に温かいものを遺して、あっさりといなくなった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
うららかで暖かな午後。柔らかい風が心地よく吹き、長閑な雰囲気がそこに満ちている。乾いた草の匂いに、ほんの少しばかりの土の匂い。なにより、お日様の匂いとでも形容すべき……この、自然全てをまとめた言葉にできない独特の匂い。
「隣、邪魔するじゃも」
ぽかぽかと温かい陽ざしに気分よく額を拭いながら、ジャモはお昼寝広場の端──全体を見守っていたおばば様の隣に腰を下ろした。
「おお、ジャモ殿。……馬車の修理は順調かえ?」
「ぼちぼちと言ったところじゃも。どのみちそう簡単には直らないし……のんびりゆっくり確実にやっていくことにして、休憩じゃも」
「それがいい。
朗らかに笑って、おばば様はお昼寝広場のまんなかではしゃぐ子供たちを見つめる。今日も子供たちは元気いっぱいにみんなで相撲を取っていて、嬉しそうな歓声がお昼寝広場には響いていた。
そこには、子供たちにもみくちゃにされている癒術師の少年と、その護衛である
そんな様子を、少し離れたところで牛族の姉と弟がにこにことほほ笑みながら見守っていた。
「霧吹き山から戻ってきたときは、幾分消沈していたように見えたが……」
「フィネットとて、伊達にみんなの”おねえちゃん”をしていたわけじゃない。そりゃあ、自分と同じ顔をした二人が消えて気分も落ち込んだじゃろうが……」
ほんの数日前に、モンスメルムをどうにかしてほしいと依頼したあの日。いろいろとイレギュラーが重なったものの、結果として霧吹き山に向かったメンバーは見事にその依頼を達成して帰ってきた。
ただし、出発したメンバーと帰ってきたメンバーの数は違った。それも、最悪の事態に陥ったとかではなく、まるで夢か幻かのように忽然と姿が掻き消えたのだという。
その二人の出自を考えればあり得ないことも無い話ではあった。だが、ほんの短い間だったとはいえ共に過ごした「家族」がいなくなってしまったとあれば、普通でいられるはずもない。
「結局、あの二人はやはり……」
「報告を聞く限りでは……ああ、フィネットがモンスメルムに誑かされたことによって生まれた、幻影だったのではないかと思う」
同じ顔の人間がいきなり二人も現れたという不思議な現象。そして、モンスメルムの誑かし──幻惑の能力は、個人の中の理想を具現化するという。ローフィが誑かされたときはヴォルガルの幻影が現れたことを考えれば、【理想的な姉】であるあの二人が、フィネットにより生み出されたのはそう不思議でないことのように思えた。
「大本であるモンスメルムが癒されたから消えたのか……あるいは単純に、時間切れか。少なくとも二日は保っていたのだから、時間切れの線が濃厚だとは思う。そんなに長い間も幻惑が続くとも思えん。しかし……」
「しかし?」
「いったいいつ誑かされたのかがわからん。モンスメルムが現れる前に、あの二人は現れた。それまでフィネットがあの霧吹き山に登ったわけでもない」
「……」
「モンスメルムは確か、霧を使って相手を誑かすのだろう? あの霧がこの村にまで降りてきたことは無かったと思うんじゃが」
「……そういえば、思いっきりモンスメルムの霧に飲み込まれた品がフィネットの手に渡っていたような」
「……ん?」
「いや、なんでもないじゃも」
ジャモの頭の中に浮かんだ二冊の本。霧がモンスメルムの誑かしの力の源だというのなら、それに思いっきり飲み込まれたあの本にその残滓が残っていてもおかしくはない。いいや、霧と言うのだってあくまでこちらの予想なのだから、もっと別の理由もあるかもしれない。
いずれにせよ、今となってはわからないことで、わかったところでどうにもならない。考えてもしょうがないことは考えないに限る──と、ジャモはそう思うことにした。
「それにしても……フィネットとゾラン、か」
霧吹き山に登る前と後であの二人の関係性が変わっていることには、本来部外者であるはずのジャモにもはっきりとわかった。
「ゾランは……まだまだ家族に甘えたい年ごろじゃも。しかしそれでいて、子供扱いはされたくない……一人前として自分を見てほしくもあるという」
男の子特有の、多感な時期。もう何十年も前とはいえ、ジャモにもそんな時期があった。今となっては懐かしい限りだが、当の本人からしてみれば重大なことだろう。
「フィネットのほうも……”弟”が成長したのが嬉しい反面、自分の手を借りずともどんどん進んでいくそれが寂しくもある」
兄姉なら一度は通る道。成長に喜びを感じながらも、まるで自分の役目はもう何もないと突き付けられるかのような感覚。そんなことは決してないのだが、事実として手がかからなくなるのは間違いないせいで、余計にそう思えてしまう。村の知恵袋として頼りにされているおばばでも、確かにそんな道を通ったことがあった。
「……思えば、あの二人がもっと素直だったら、ジャモ殿たちにもこんな手間をかけさせることもなかったのやもしれぬ。そういう意味では、ご迷惑をおかけして本当に申し訳ない」
「なんのなんの。そんなの推測に塗れた結果論じゃも。トラブルなんて起きる時はどうしたって起きるし……こっちだって、こうして滞在時間が伸びて親交を深められたから……美味しいミルクとチーズの仕入れルートを確保できたじゃも!」
「それを言えば、こっちだってチョコレートとかを卸してもらえるようになったからのう。この類の嗜好品は今までなかったから……ああ、やっぱりこれも子供たちが喜ぶ」
「帰ってきた後、景気付けでお菓子を提供した時のフィネット達のあの笑顔……ま、わしからしてみればどちらもまだまだお子様ってことじゃも」
「……私から見れば、ジャモ殿も変わらぬがね」
「はっはっはっ! おばば様からしてみればそりゃそうじゃも!」
──るぉぉぉ!
お昼寝広場に響く、モンスターの声。続くようにして、きゃあきゃあと子供たちの歓声が響き渡った。その周りでは、ダンスを踊るかのように根っこがゆらゆらと揺れている。
「どうやらお昼寝の時間のようじゃの。……それにしてもまあ」
「まさか、モンスメルムと……いや、あいつはグラタピルス、と名付けられたのか。まぁ、あの二匹が毎日のようにここにやってくるようになるとは、さすがに予想外じゃも」
「そうかね? 王国では街中にも結構な数のモンスターがいて、共生していると聞くが。子供たちの遊び相手にもなって、一緒にお昼寝もしてくれて……こちらとしては万々歳じゃ」
おばば様は、にやりと悪戯っぽく笑った。
「どうかね、ジャモ殿? 休憩がてら一緒にお昼寝していくというのは。今ならこのおばばの子守唄と……特別に膝枕もつけて進ぜよう。最近ちょいとサビついているが、この道ン十年の超ベテランじゃぞ?」
ジャモは、これ以上に無いくらいの笑みを浮かべて言った。
「わしには畏れ多いじゃも。気持ちだけ受け取っておくじゃも」
「……大人の男は、これだからからつまらんのう」
──お昼寝広場に、爽やかな風が吹く。
▲▽▲▽▲▽▲▽
暖かな日差し。煌めく木漏れ日。ぽかぽかの陽気に満ちるお昼寝広場は、今日も絶好のお昼寝日和だ。肌を優しくなでる柔らかな風が心地よく、何もしなくても眠くなってくるくらいに絶好のコンディション。
自分の周りできゃあきゃあとはしゃぐ子供たちをひょいと捕まえて、フィネットはいつもの大樹に寄りかかった。
「ほらほら、みんな……集まって」
「るぉぉぉ!」
「きゅぅ!」
「うおお、すっげー!」
「今度わたし! わたしも登るっ!」
「……もう」
ほんのうっすらと立ち込めた霧の中、子供たちは嬉しそうにモンスメルム──ではなく、グラタピルスと新たに名付けられたそのモンスターの背中によじ登ろうと目を輝かせている。そして、そんな子供たちをモンスメルムが根っこを操って、上手い具合によじ登らせてあげていた。
これではお昼寝するのに、もうしばらくかかるだろう。遊んで遊んで、遊び疲れて……そして、いつの間にかみんな眠ってしまうのがここ最近のよくあるパターンだ。以前のように、聞き飽きた物語を聞きながら眠る、だなんてことは霧吹き山から帰ってきて以来、一度だってない。
「ねえ、ゾラン……おねえちゃん、みんなにフラれちゃって寂しいの。くすん」
「オレ、チビたちにもみくちゃにされてるにーちゃんと、あとローフィの手伝いをしようかなって思ってたんだけど……」
まぁいいか、とゾランはフィネットの隣に腰を下ろした。既にユディはすっかりおねむであり、フィネットの膝枕ですやすやと幸せそうに寝息を立てている。もう一人の姉がここまで健やかに寝ているのだから、自分だってこうしてもいいだろう……と、ゾランはそう思ったのだ。
「ゾラン……おねえちゃん、寂しいから……ね?」
フィネットは、甘えるようにゾランの肩を引っ張って、そしてぎゅっと抱きしめた。
「……いつの間にか、大きくなったね」
「子供扱いするなよ……って言いたいけど、今日は特別にねーちゃんを甘やかせてあげよう」
「もう、ナマイキ……この、おにーちゃんめ」
くすりと笑って、フィネットはゾランのおでこをツンと押した。
「──わたしね、あなたに嫌われたのかと思っていた」
唐突な、フィネットの告白。小さな小さなその声は、子供たちの歓声にかき消され、ゾランだけにしか届かなかった。
「ええ? そんなわけないじゃん! なんでオレがねーちゃんのことを嫌いにならなきゃいけないんだよ!」
「だってあなた……前までは一緒にお昼寝してくれたり、ぎゅ! ってするのも大好きだったのに……最近はずっと、避けてたじゃない。お相撲だって相手してくれなかったし、水浴びもそう」
ゾランはかぁっと赤くなった。その理由は、ゾランだけが知っている。
「……別に、ねーちゃんが嫌いだからじゃない。ただ……」
「ただ?」
「その……なんかちょっと、恥ずかしい」
「……おませさんね」
堪らなく嬉しくなって、フィネットはゾランのことをぎゅっと優しく抱きしめた。優しく抱きしめて、その頭を愛おしそうに撫でた。
ゾランもまた、それを受け入れた。フィネットに完全に身を任せ、その温かさと心地よさにゆっくりと目を閉じた。
「ねえ、ゾラン……」
フィネットが、ゾランの耳元で優しく囁いた。
「……あなた、少し角が大きくなった?」
「ん……そうかも」
──お昼寝広場に、爽やかな風が吹く。
▲▽▲▽▲▽▲▽
──お昼寝広場に、爽やかな風が吹く。
ユウの膝元に抱きかかえられたメルクは、ローフィが持ち込んだ本をペラペラと捲って上機嫌だった。
たった一人の、静かな時間。静かで、穏やかで、安らぎに満ちた空間。こののんびりとした雰囲気の中でする読書が、メルクは堪らなく好きだった。
──ぶしゅうう
「あ──」
少し強めの風が……グラタピルスから噴き出された霧が、本のページをパラパラとめくる。全身を使って慌ててそれを止めたメルクは、身を持ち上げた際に気づいた。
薄い霧と心地よい陽ざしが交差して、お昼寝広場に見事な虹がかかっていた。
「ユウさん、綺麗な虹なので……おっと」
慌ててメルクは口をつぐむ。
自分を抱えてスヤスヤと眠るユウ。そんなユウに寄りかかって眠るローフィ。二人には子供たちが群がる様にひっついていて、その中にはモンスメルムも混じっている。少し離れたところで眠るグラタピルスの大きなおなかはゆっくりと上下しており、それに寄り添って眠る子供たちもゆったりと揺られていた。
フィネットとゾランは、互いに肩にもたれかかるようにして静かに寝息を立てている。よくよく見れば、ぎゅっと手を握り合っていることにも気づけただろう。そしてフィネットの膝元では、小さい子供に混じってユディがその柔らかなものにほおずりをしていた。
「フィネットさんも、ゾランさんも、ユウさんも……みんな、おんなじ──」
誰もが全く同じ表情をしていて、メルクは思わず笑顔になってしまった。これを見ることが出来ただけで、たまらなく幸せになってしまった。
「──見ているこっちが嬉しくなってくるくらい、幸せそうな寝顔をしているのですよ」
メルクストーリア 【動物の国another ~牛睡の冀望と偶想のおねえちゃん~】:了
フィネットさんの☆4進化および追加エピソードと顔差分、いつまでも待っています。
なお、フィネットさんおよびゾランくんを始めとした牛族の特性について、原作内ではまだ詳細な描写が出てきていなかったため、フィネットさんほか関連情報より牛族は乳牛の特徴を併せ持っていると判断し、以下の資料より牛族としての特性・反応を参考とさせていただきました。
【参考文献】
根室生産農業協同組合連合会、根室農業改良普及センター,"根室振興局 平成27年営農改善資料 続・こうしよう! 乳牛の飼養管理",2015,P.8~P.17 乳牛の特徴と特性 乳牛の行動 乳牛との接し方