メルクストーリア 【動物の国another ~牛睡の冀望と偶想のおねえちゃん~】 作:ひょうたんふくろう
「……ん?」
ガタゴト、ガタゴト。
のどかな小道を進む馬車。時刻はちょうど、お昼の少し前……と言ったところだろうか。いい加減目の前の霧吹き山がずいぶんと大きく感じられるようになった時、ふとそれは起こった。
「……雨、か?」
「みゅ?」
ぽつりと頭に冷たい感覚がして、ユウはふと空を見上げた。自身の頭上には青い空が広がっているが、次の瞬間にはまたしても、額に小さくぽつりと水滴が落ちてくる。それはどうやら決して気のせいではないようで、メルクもまた、自身が宿るその瓶の蓋に大きめの水滴が落ちてくるのをはっきりと目にした。
「ジャモさん、雨!」
「わかってるじゃも!」
ジャモが合図をして、そして荷台の全てに雨よけのシートが被せられる。何かの動物の脂を撥水材として沁み込ませた、行商人……いいや、旅人ならなら誰でも似たようなものを持っている必須アイテムだ。特有の変な匂いがするのでユウはあまりこれが好きではないが、しかしそんなことを言っている場合じゃない。
「むう……山の上に、雨雲がかかっているじゃも……」
「乙女の勘的に、あれはけっこう危ないタイプの雨雲なのですよ……!」
旅慣れているユウたちには……いいや、旅慣れていない人間であったとしても、霧吹き山にかかる黒々とした雨雲を見れば、それがいかに危険なものが察することができただろう。さっきまではくっきりとその生命力あふれる樹々を見せていた山肌は、今はすっかり霞んでいる。
時折ピカリと黄色い閃光が発しているところを見るに、すでにあそこは嵐の真っただ中になるのだろう。雷鳴は聞こえていないことから、こちらの方にまでそれがやってくるのは、まだ幾分か先であることがうかがえた。
「どうしよう、完全に進行方向だぞあれ……」
「……ローフィちゃん、ここらに馬車を停めて休めるようなところはあるじゃも?」
「ジャモさん、それって……」
「うむ。嵐の中の山を進むのはあまりに愚かじゃも、ならば、どこか安全なところでやり過ごすのが筋……むむぅ!?」
それはまさに、一瞬の出来事であった。
ぽつり、ぽつりと小さかったはずの水滴が、いきなりその勢いを増したのである。
「雨!? すっごい雨!?」
「ま、混ざっちゃうのですよ! 瓶の中に雨が混ざっちゃうのですよ!」
「待ってろすぐ蓋閉めるから! ……ローフィも早く、乗って!」
「う、うん!」
いきなりの大雨に全身を濡らしながら、ローフィはユウが差し出した手を掴んで荷台へと乗りあがる。雨が幌を打つバチバチという大きな音に混じり、はっきりわかるほどに雷の音まで聞こえてきた。
止めとばかりに、強い風まで吹いている。
「な、なんじゃも!? いったい何が起きてるじゃも!?」
「山の天気は変わりやすいって言うけど……!」
「さすがにこれは、変わりやすすぎなのですよ!」
少しでもマシな場所を探そうと、ジャモが馬を急がせる。轟轟と強く吹く風が樹々を大きく揺らし、馬の蹄が地面を蹴る音をかき消した。ユウたちの耳に入ってくるのは、尋常じゃない水の音と風の音……そして、雷の音くらいである。
「ローフィちゃん! どこか、何でもいいじゃも! 大きな樹とか、大きな岩とか……出来れば大きな洞窟なんかが理想じゃも!」
「ええと、ええと……!」
突然の異常事態に、ローフィがパニックになってしまったのも仕方がない。彼女はまだまだ子供で、本来ならこういう時は大人を頼る側なのだから。
しかしこの場において、最も土地勘に優れているのはほかならぬローフィである。そしてジャモは、今この瞬間においてもっとも頼れる存在であるローフィを、あえて使わないなんて手段を取るつもりはさらさらなかった。
「……そうだ! たしか、ちょっと道は逸れるけど……ここから北西の方に、別の牛族の村があるって、お母さんが言ってた!」
「北西!? しかし、我々が目指すルートは北東の方で……!」
ジャモの反論の言葉は、雷鳴すら消し去るほどの大きな音によりかき消された。
「ひゃっ!?」
「ああもう、今度はなんだ!? なんか、雷に混じって遠吠えみたいの聞こえたぞ!? それも結構腹に響くやつ!」
腹の底に大きく響く重低音。ゴロゴロ、ドカン……という音の響きそのものは似ているが、それは決して雷の音ではない。例えるなら、興奮したモンスター……いいや、恐竜の国に存在する恐竜が地団駄を踏んだかのような、大地を揺るがすものだ。
「……がけ崩れじゃも。ちょうど進行予定のルートが、目の前で崩れたじゃも」
「えっ……」
泣きながら笑っているような、そんなジャモの声。荷台の上で何とか身を捩り、ジャモの後ろ手へと回ったユウは、視界右前方にて、この土砂降りの中なお立ち込める土煙と、茶色い土石が晒された山肌を目にした。
加えて。
「あの……ジャモさん」
「なんじゃも?」
「なんかあの辺……変な、霧みたいのが噴き出ていません?」
「でているじゃもな」
土煙を巻き上げている、白い何か。雨飛沫と判断するにはあまりにも主張しすぎなそれ。
「時にユウ。この山が何で霧吹き山と呼ばれているか……知っているかね?」
「なんですか、その妙な前振りは」
逆に心配になってくるような、妙に晴れやかな顔をしてジャモは語りだした。
「何でもこの山は、中が大きな空洞になっているらしいじゃも。そして、山の表面のところどころにひび割れ……間欠泉みたいなそれがあるらしいじゃも」
「うわあ、この段階でオチが読めてきたぞ」
「普段は何ともないらしいが、しかし例えば雨などによって急激に冷やされたりすると……その空洞の中で、空気の極端な温度差が生じるらしいじゃも。その温度差は空洞内での空気の流れを生み、やがて気圧差を生じさせるらしいじゃも」
「その結果、内部の空気が山の表面に噴き出してくる……ですか?」
「うむ。それも、聞くところによると結構な勢いで。実はモンスターの仕業だという話もあるが……それこそが、あの山が霧吹き山と呼ばれる所以らしいじゃも」
「……ちょうど、横から吹き降ろしてくるアレみたいなかんじ?」
「まさしくアレじゃもな。いやぁ、正直びっくりするほどの直撃コース。ここまで綺麗なコースだと、逆に感心してしまうじゃも」
「荷を守れぇぇぇ!」
「みゅわわわわ!?」
「きゃああああ!?」
馬車を襲う、強い風。濃いミルクのような深い霧は、しかし霧と呼ぶにはあまりに暴力的な勢いをもって馬車を襲う。それは途中で巻き込んだのであろう土や砂、葉っぱや小枝なんかも含んでおり、馬車の幌に小さな穴をあけた。
「あっ……!」
水滴、砂、葉っぱ。わずかとはいえ、轟音に混じってそんなものが馬車の中へと入ってきた。ガタつく馬車の中では、もはや上も下もわからないほどの大混乱である。
「どどど、どうしよう!? せっかくの本が……!」
「あ、穴をなんとか塞がないといけないのですよ!」
「落ち着くじゃも! 素人の応急処置じゃ、またすぐダメになるのはわかりきってるじゃも!」
「じゃあ、どうすれば!?」
「日よけのシート! 予備がそこにたくさんあるはずじゃも! なんとかそれで積み荷をカバーするじゃも!」
「あった、これだな!」
「これだけの大きさなら、なんとかなりそうなのですよ!」
シートを広げ、荷を覆って。激しく揺れる馬車の中では、そんな簡単なことでさえ難しかったが、それでもユウは何とかやり遂げた。視界の端の方では、同じくローフィがシートを広げ、それが飛ばされないようにしがみつくようにして抑えている。
荷物に多少泥にも似たそれがついてしまったように見えたが、ユウはそれを気づかなかったことにした。幸いにも生ものはないし、拭けばなんとかなるだろうと信じるほかない。それよりも、この霧の中、馬車が横転しないという奇跡が続くことを……ジャモの運転の集中が切れないことを、強く強く祈るしかない。
「ジャモさん、どうするんですか!?」
「どうもこうも、本来のルートは絶たれたじゃも! こんなところで棒立ちするのはただのバカじゃも! だっだら……」
「牛族の村に行く、ですね!」
「そうじゃも! ……それまで何とか耐えて荷を守るじゃも! 守り切れたら特別ボーナスを支給するから、ぜーったいに守りきるじゃも!」
濃い霧の中、雨風を切って馬車は進む。
──彼らが霧を抜け、遠目に牛族の村を見つけたのは、それから約二時間後のことであった。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「ひ、酷い目にあった……!」
「うう……なんか、お口の中がじゃりじゃりするよぅ……!」
先ほどまでの荒天が嘘だったかのように、空には晴れ間が広がっている。そんな暖かな日差しが降り注ぐ中を、ユウとローフィは文字通り濡れたチューダーのような有様で歩いていた。
二人の隣でゆっくりと走っている馬車も、また酷い有様だった。車体のあちこちに傷がつき、車輪の所には小枝だの葉っぱだのがこれでもかと言うくらいに絡みついている。幌には決して少なくない数の穴が開いており、とても行商人のそれとは思えないくらいにみすぼらしい状態になっていた。
それでもなお、こうして動かすことができるのはジャモの類稀なる強運のおかげであり、同時にまた、馬車の被害に比べて積み荷の方はほとんど被害が出なかったのは、あの酷い状況の中、必死になって体を張ったユウとローフィのおかげであった。
「うう……せっかくの商機が……! わしの馬車がぁ……!」
「ま、まぁまぁ……きっとあの牛族の村でも、良い取引ができるはずなのですよ。……いいえ! ジャモさんはこのピンチこそチャンスにできるすごい商人だって、私は信じているのですよ!」
「……そうじゃも?」
ユウたち一行の状態は酷いとはいえ、すでにここらはあの牛族の村の管轄に入るのだろう。先ほどまでの道と比べれば明らかに進みやすいし、村人が拵えたのだろうか、ぐるりとどこまでも続く柵がある。その傍らには、【ようこそ、牛族の村へ!】……と、少々古ぼけた文字が彫られた看板があった。
そこから先に、一歩踏み出せば。
「おお……!」
「ようやく、着いたのですよ……!」
動物の国、牛族の村。初めての村の匂い、初めての風の匂い、そして初めて感じるこの空気──新しい場所へと訪れた時の感動が、ユウとメルクを包む。
ちょっと遠くの方では、誰かが鍬を担いで農仕事に精を出している。また別の場所では、誰かが木陰で額の汗をぬぐっていた。
どうやらここでは、農耕を主として日々の生活を営んでいるらしい。都会でなければどこの国も農村はそんなものだが、鼻に感じた特徴的な匂い……栽培されているそれが牧草であったことから、農耕だけでなく牧畜も栄えているのだろうとユウはあたりを着けた。
「なんというか……いいな、こののんびりした雰囲気」
「うん……同じ牛族の村だからか、私も結構落ち着く気がして好きかな」
「みゅ……でも、ローフィさんの村とはまたなんとなく雰囲気が違う気もするのですよ」
「たしかに。それが個性ってやつなのかも?」
長閑な農道を、ユウたちは他愛もないおしゃべりをしつつ進む。さすがにこのボロボロの状態が珍しいのか、それとも単純に旅人の存在自体が珍しいのか、遠目に見えた牛族の人間は、皆が驚いたように大きく手を振って挨拶をしてきた。
警戒心も無く笑顔で手を振っているあたり、平和でのどかなところなのだろう……と、ユウも大きく手を振り返しながらそんなことを思う。
「ふむ……どうしてなかなか、ゴルドの匂いがするじゃも」
「え……こういう言い方もアレですけど、ごく普通の農村ですよ?」
「だからこそ、じゃも。需要さえあれば、そこに取引の機会は生まれるじゃも」
さて、とジャモは良い笑顔で横を歩くローフィに声をかけた。
「まずはこの村の長に挨拶じゃも。そしてできれば馬車の修理の依頼と、しばらく滞在する旨を告げて……これからのことを考えないといけないじゃも。案内と取次ぎを頼めるじゃも?」
「うん。それが私の役目だもんね」
誰かに道を尋ねるにしても、王国の人間よりかは同じ動物の国の人間であるローフィの方が、警戒心も薄れるだろう。ましてや、動物の特徴を宿していないユウたちはこの国では酷く目立つ上に、明らかに国外の人間であるということがわかってしまう。
だからこそ、ジャモはローフィを一行に引き入れた。こういう時、現地に詳しい案内人がいることが何よりも心強いことを、ジャモは長年の経験で……若い時の苦い経験の故に、知っていたのである。
「誰か適当な人は……あっ」
「……お?」
村の中でもちょっと珍しい、ふわふわの芝生が生えている原っぱのような広場。その真ん中には大きな樹がそびえていて、その陰に木漏れ日をもたらしている。
そんな光あふれる空間──光と影が瞬きゆらゆらと揺れる中で、大樹に寄りかかるようにして眠っている妙齢の女性がいた。
ふんわりとした横にボリュームのあるブロンドのミディアムボブからは、牛族らしい厚みのある耳がぴょこんと垂れている。すうすうという小さな寝息と共に、これまた牛族の女性の特徴を見事なまでに表した胸がゆっくりと上下していた。
彼女もまた牛族の女性として、牛柄の民族衣装をまとっている。ただしそれはローフィのものとは違い、大きく開いた胸元にフリルをあしらった、大変オトナなそれであった。よくよく見れば肩のほうも同じく牛柄かつフリルがあしらっている、オフショルダーのそれとなっている。
特筆すべきはその、柔らかで触り心地のよさそうな薄手のベージュのスカート……否、彼女の健康的な白いふともものところに頭を乗せて、やはり心地よさそうに小さく寝息を立てている女性がいることだ。
「あれは……」
「お昼寝中、なのですよ?」
さらに言えば、寝息を立てているのは彼女ら二人だけではない。
ベージュのスカートの端をきゅっと握って眠っている女の子。彼女の右手をそっと掴んで寝ている男の子。彼女の左肩に頭を預けて微睡んでいる女の子。
たくさんの子供たちが彼女に甘えるように寄り添って、そして幸せそうな寝顔を晒している。
そして、ユウとメルクは子供たちに囲まれて眠る女性のその顔に、見覚えがあった。
「みゅ……! ユウさん、あれは……!」
「あ、ああ……!」
じゃり、と一歩。
たった一歩ユウが踏み出しただけで──それなりに距離があったのにも関わらず、眠っていた女性の耳がピクリと動く。
そして、ふるふるとその長い睫毛が震えて。
「……あら?」
彼女の翡翠の瞳が、ユウとメルクの顔を捉えた。
「こんなところまで、お姉さんに会いに来てくれたのかしら? ふふふ、もしかしてお姉さんのこと、忘れられなくなっちゃったのかな?」
ふぁふ、と小さくあくびをかみ殺した彼女は、同性であるはずのローフィとメルクが思わず赤面してしまうほどの魅力的な笑みを浮かべた。
「久しぶりね、小さな癒し手さん──ユウくん、メルクちゃん」
微睡みから目覚めた彼女──フィネットは、そうして再会を祝うべくひらひらと手を振る。
──『あの笑顔は、世界を獲れるのですよ……!』と、後にメルクは語ったという。