メルクストーリア 【動物の国another ~牛睡の冀望と偶想のおねえちゃん~】 作:ひょうたんふくろう
静かで重い空気。何人もの人が集まったその部屋に、そんな空気が満ちている。窓の外はすっかり暗くなっており、じりじりと小さな音を立てながら燃える燭台の蝋燭だけが、この部屋を照らす唯一のものだ。
暗い空気とは裏腹に、部屋の中はこの時間にしてはかなり明るい。それは普段は使わない燭台まで引っ張り出してきていることに起因するのだが、その明るさが……夜に大人数が喋ることなく集まっているという異様な雰囲気を、より強烈にしてしまっていた。
いったいどれだけ、その沈黙は続いていたのだろう。もしかしたらほんの少しのことなのかもしれないし、長い長い時間だったのかもしれない。
「──!」
そして、突然に。何の脈絡もなく、その場にいた人間たちの厚い耳が一斉にピクリと動いた。
釣られるようにして、ユウがその方向を見てみれば。
「──姉ちゃんっ!」
「あら、ゾランったら。……ふふふ、今日は甘えん坊なのね?」
奥の部屋から出てきて、いつもと変わらない様子で嫋やかに笑うフィネット。そんなフィネットに、ゾランが我慢できないとばかりに飛びついた。フィネットはゾランを何の危なげもなくしっかりと受け止め、愛おしそうに背中に手を回す。
そんな様子を見て、ユウはホッと息を吐いた。
「フィネットさん……よかった、無事で……!」
「なのですよ~! もう、気が気じゃなかったのですよ~!」
「ふふふ、みんな大袈裟なんだから。あんなのかすり傷だったのに」
──あれから。
フィネットがゾランをかばった後、モンスターはシャルフィ、シロフィ、そしてローフィの活躍により山に追い返されることとなった。さすがに一度はノックダウンさせられた相手に、バカ正直に真正面から戦うつもりはモンスターのほうにもなかったのだろう。あるいは単純にフィネットやユディとの戦いですでに体力を消耗していたのかもしれないが、ともかくあの場はなんとかモンスターを撃退することに成功したのである。
あの場でのけが人はただ一人。ゾランをかばって攻撃を受けたフィネットだけだ。逆に言えば、彼女以外には誰一人としてかすり傷の一つも負わなかった……フィネットは、村守としての役目を確かに果たして見せたのである。
「あの後だって普通に歩けたのに、みんなして心配してくるんだもん」
「だって、だってぇぇぇ……!」
「……ふふふ、ありがとね」
フィネットはけらけらと笑っているが、「かすり傷」では済まないものであったことは他でもないユウ自身がよくわかっている。実際、フィネットの治療にはこの時間までかかったし、服に隠れて見えないだけで、おそらく彼女の背中には薬草の類を煎じることで作られた特製の薬布が貼られているはずだ。
その特徴的な清涼な香りは、動物の国の人間ではないユウでさえはっきりと感じ取れるものである。なにより、動物の国には自生しないその薬草を、『こいつはこの類の傷に良く効くじゃも。求めている人間がいるのに売らずに積み荷を腐らせるのは商人じゃないじゃも』……と、捨て値同然で譲ったのはジャモだ。
「それで……みんなまだ帰っていないってことは、つまり」
「うむ……まだ問題は解決していない。これからどうにか、あやつを何とかする方法を考えなくてはならぬ」
この家の主……おばば様は低くつぶやいて、そして部屋の中にいる人間を見渡した。
ユウ、メルク、ローフィにジャモといった癒術師一行。フィネットにユディの村守の二人。シャルフィとシロフィという新しく加わったばかりの不思議なもう一人のフィネット達に、今なおフィネットに抱き着いて離れようとしない……フィネットの無事を見るまで絶対に帰らないと言って聞かなかったゾラン。彼らのほかには、数人の顔役がいるくらいだ。
「まずは諸君……村を守ってくれてありがとう。諸君らのおかげで村の被害は最小限に抑えることが出来た。……特にフィネットは、その身を挺してまで役目を果たしてくれた。薬草を譲ってくれたジャモ殿にも、改めて礼を言わせていただきたい」
「いいのよ、おばば様。それがわたしの役目なんだから」
「そもそもわしはいつも通り商売しただけじゃも。……まぁ、もらえる物は借金と病気以外は貰う主義じゃも」
「……そんな諸君らに、これからまた酷なことを告げなくてはならん」
ごく、と誰かが息をのむ音が部屋に響く。
たっぷり二呼吸ほど置いてから、おばば様は改めて語りだした。
「あのモンスターは──おそらく、モンスメルムだ」
「モンスメルム?」
「聞いたことが無いモンスターなのですよ?」
「うん……私も、動物の国にそんなモンスターがいるなんて初めて聞いたよ」
今まであちこちを旅してきたユウたちでさえ初めて聞くモンスター。少なくとも王国で一般的に知られているようなモンスターでないのは間違いなく、そして動物の国出身であるローフィでさえその名を知らない。
となると、ごくごく狭い範囲にのみ生息するモンスターか、あるいは特殊な一個体の名称か。ユウのその経験則から来る推測は、少し意外な形で裏切られることとなった。
「モンス、メルム……!?」
「えぇ……!? おばば様ぁ、あれっておとぎ話じゃなかったの……?」
フィネットもユディも、驚愕に目を見開いている。顔役の人たちにも動揺が走っており、部屋の中にざわざわとした喧騒が生まれた。ゾランもまた驚きを隠せていないようで、信じられないとばかりにぽかんと口を開けている。
「フィネットさん、おとぎ話ってどういうことなのですよ?」
「え、ええ……そうね、メルクちゃんやローフィちゃんは知るわけないか。……昨日少しお話したの、覚えてる? 【霧吹き山にはこわーいモンスターが封印されているから、一人で近づくな】ってやつ」
「みゅみゅ……たしか、山の恐ろしさを教えるための訓話だとか……」
「──そう。訓話として、子供たちの寝物語に出てくるモンスター……それこそが、モンスメルムじゃ。そしてモンスメルムは、想像で生み出された虚構の存在ではない。……実際に存在するモンスターなのじゃ」
おばば様は語る。
かつて、霧吹き山を根城とするモンスメルムはしばしば人を襲っていたらしい。今でこそ大人しくしており、その存在がおとぎ話と思われてしまうほど動きがなかったが、昔はモンスメルムによる被害がかなり多く、おとぎ話ではなく実体験としてその危険性が説かれていたという。
「実際に被害に遭っていたのは私の母や祖母の代……おそらく百年ほど前が最後で、以降はすっかり聞かなくなった。私も子供のころに数回モンスメルムが出たと聞いただけで、実際に目にしたことも無い。封印されたとか永き眠りについたとか言われておったが、所詮は根拠のない噂……生物として、まっとうに寿命を迎えたものだと思っていた」
「だから、当時の話だけがそのまま残って……子供向けの訓話として、受け継がれていたのね」
「でもおばば様。見たことも無いのに、どうしてアレがモンスメルムだってわかったの……?」
不安そうに瞳を揺らしながら、ユディが問いかけた。
「ふむ。主らに伝わっている訓話は【山に怖いモンスターがいる】くらいだろうが……私の時は【雨の日に山に行くとモンスターに襲われる】といったものだった。実際のモンスメルムの被害は、【霧吹き山に霧がかかるとき、霧の中のモンスターが人を誑かし連れ去ってしまう】というものであり……被害者はみな、『霧の中でモンスターにであった』と証言していてな」
「そっか……霧吹き山に住んでいる、霧の中で生きるモンスター……」
「百年前のモンスメルムの
今ではもう、当時のことをわずかでも知る人間はおばば様くらいしかいない。そのおばば様でさえ、ほとんど忘れかけていたことなのだ。言い伝えにあるモンスターの名前が判明しただけでも、かなりすごいことだろう。
「話を戻すぞ。……奴がこうして活動を再開した以上、今まで通りと言うわけにはいかないじゃろう。しかも今回は、山に近づいた人間を襲ったのではなく、直接この村を襲ってきた。つまり……」
「……本格的に、モンスメルムとやりあうことになるってこと?」
「……」
村守を代表してフィネットが発した言葉に、おばば様は沈黙をもって肯定した。
「で……でも待ってください! 過去の伝承では、モンスメルムはあくまで山に近づいた人間だけを襲ったんですよね? つまり、今のあいつにはこの村を襲わざるを得なかった理由があるんじゃないでしょうか……!」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だが、いずれにしろ……このまま放っておくということだけはできない」
必死のユウの問いかけ。しかしおばば様は癒術師にとってはあまり喜ばしいとは言えない返答を返す。伝承の時代を知っている人間……このメフテルハーネにおいて、人とモンスターが争っている時代を生きてきた人間の眼だ。ユウはこの目を見るたびに、悲しさと寂しさと悔しさと、そして自分の無力さが入り混じったやるせない気持ちになってしまう。
人とモンスターが争う時、必ずそこには何か理由がある。その理由さえわかれば、人とモンスターが争うことなく共存できることをユウは知っている。それは癒術師として、今までに何度もユウが見てきた、成してきた光景だ。
しかし、それを成すためには少なくない手間と労力、時間がかかるのも事実。そして実際にいつまたモンスメルムが襲ってくるかわからない以上、そんな悠長なことをしていられないのもまた事実であった。
「お願いです! まずは一度、俺にチャンスを貰えないでしょうか! 必ず、モンスメルムが暴れることになった原因を……!」
「……心配しなくとも、元々癒術師殿には頼ろうと思っている。というか、頼らざるを得ないんじゃ」
ふ、とおばば様は少しだけ表情を緩めた。
「モンスメルムは霧吹き山に住むモンスター……出てくるときは必ず霧を身に纏っていて、そして今日も霧を身に纏っていたという……雨の日に山に行くなと言う話も、今思えば霧と雨がいつの間にか混ざったものなのかもしれない……」
「……ばーちゃん、それってつまり、モンスメルムは霧の中から出られないってことじゃないのか?」
「そうなのだろう。ああ、そうなのだろうよ。だが、それ以上に……」
おばば様は、ここでなぜだかぶるりと震えた。
「モンスメルムに襲われるのは、霧や雨が降っている時だけ。モンスメルムが行動できるような、そんな悪条件の山に登るのは……モンスメルムに襲われた人間たちの共通点は、わかるな?」
「あ……!」
「ま、まさか……!」
雨。霧。山。そんな状況で襲われるのは、つまり。
「そう……モンスメルムが襲うのは大人の男だ。それも、悪天候の山に登れる……狩人や村守なんかがほとんどだ。なのに今まで、モンスメルムは手傷を負わされることが無かった。歴代の猛者でも敵わなかったのは……モンスメルムが、何らかの方法で男を誑かすことが出来るからだ、とされている」
霧の中だけでのみ行動し、大人の男を誑かして連れ去っていくモンスター。それこそがモンスメルムなのだという。
「わかるかい? 総出を挙げての山狩りや総力戦なんて、最初から無理なんだよ。肝心の男連中は、どういうわけかモンスメルムに誑かされてしまう。やるんだとしたら、少数精鋭だ。そう、例えば──」
「──ここにいるわたしたちみたいな、女子供で……ってことよね」
女性であり、実力が保証された村守であるフィネットとユディ。そんなフィネットと同等の実力を持つシャルフィとシロフィ。そして子供でありながらも癒術師の護衛としての実力と経験があるローフィ。普通ならば護られるべき存在である彼女らは、奇しくもモンスメルムに対抗できる実力を兼ね備えている。
「あの、俺は……」
「癒術師殿は十五歳、だったかの? ……どのみち、モンスメルムに誑かされるのは屈強な大人の男じゃ。心配せずとも、癒術師殿なら問題なかろう」
「……今だけは、筋肉の無いこのスレンダーボディでよかったって思った」
「ユウさん……いえ、前向きなのは良いことなのです」
「で……でも、ちょっと待ってぇ……!」
不安そうに声を上げたのは、ユディだ。
「あの……ユウくんが使った癒術はどうだったの? あの時、確かにユウくんは癒術を使ったんでしょう? もう、癒されて安全だったり……」
「いえ……あいつには、癒術はかかっていません」
癒術師として、ユウは断言した。
「こう……上手く説明することはできないんですが、感覚でわかるんです。成功していたら、心と心がつながって、響きあうような感覚が……でも、そうはならなかった」
「それは……モンスメルムに癒術は効かないってこと? わ、わたし癒術を見るのは初めてだから……」
「ある意味ではそうで、ある意味では違うんです……ええと、何て言ったらいいんだろう……!」
落ち着いて、とフィネットが優しくユウの背中を叩く。知らず知らずのうちに体全体が緊張でガチガチになっていたことにユウは初めて気づき、自らに言い聞かせるようにふう、と大袈裟に深呼吸をした。
「癒術をかける時……あの時もそうだったけど、とにかくモンスターの気を引いて、なだめて落ち着かせてほしいって言いましたよね。あれは、単純に
「かべ?」
「うん。イメージ的には、燃え盛る炎って言う方が近いかも。怒りで我を忘れているモンスターは、癒術で心に語り掛けようにもその炎のせいで声が届かない。だから、その炎を取っ払ってやる必要があるんだ」
「なるほど……なんとなく、イメージはできたわ。確かに以前一緒に旅した時も、そうやって落ち着かせてから出ないと癒術は効かなかったわよね」
「ええ。逆にいえば、語り掛けることさえできれば……どういう形であれ、相手の心を向き合うことが出来れば、もう癒術はほとんど成功したようなものです。どんなモンスターでも心はある。そこに向き合うまでが大変なだけで、癒術とは本来そのための技……だと、俺はそう思っていますから」
「──でも、モンスメルムは違う?」
フィネットの問いに、ユウは小さく頷いた。
「あいつは違う。心に燃え盛る炎を纏っているんじゃない。それは間違いなく、あの時確かに無くなっていた。フィネットさんならあの感覚、なんとなくわかると思うんですけど……」
「そうねぇ。たしかに、わたしも経験は少ないけど……以前の旅の感じからしてみれば、アレは間違いなく「決まる」やつだったかな。……なんで、ダメだったの?」
「──あいつは、こっちを見ていないんです」
ユウの言葉が、静かに部屋に響いた。
「目の前にいるのに、こっちを見ていない。話しかけているのにそっぽを向いているような……あるいは、目を開けたまま眠っているような。障害物なんて何もないのに、語り掛けてもことごとくが空回りしていて……だから、癒術が効かない。……こんなの、初めてです」
「そんな……じゃあ、モンスメルムは……」
「──なんとかします。絶対に何とかして見せます。それが俺の、癒術師の役目だから」
フィネットに言ったわけでも、ユディに言ったわけでもない。もちろん、不安そうな顔役たちや、おそらく
ユウは、自身に言い聞かせるために──自身の決意の現れとして、その言葉を口にしたのだ。それが、ユウの癒術師としての誇りであり、責任であるのだから。
「……なんにせよ、やり方は任せる。奴が大人しくなるのであれば、こちらとしては問題ない」
おばば様は、改めてユウたちに語り掛けた。
「幸運なことに、今は霧吹き山の霧も落ち着いて、空に雲はかかっていない。西の空にも雲は見えなかったから、この数日であれば……おそらく、晴れていることだろう。モンスメルムもきっと、霧吹き山のねぐらで今日の傷を癒しているはずだ」
「……」
「じゃが、もし雨が降れば……もし、霧が発生してモンスメルムが自由に動けるようになれば。晴れている今日でも、あいつはあれだけ暴れたのじゃ。もし万全の調子で、どこでも自由に動けるとなれば……もう、手が付けられない。今度はどうなるか、わからない」
霧の中でしか動けないモンスメルム。そんなモンスメルムと対峙するならば、晴れている今しかない。
助けを呼びに行くことも、準備を整えることもできはしない。今ここにいる人間だけで、なんとかしなくっちゃいけない。
「──頼む。なんとかしてモンスメルムを止めてほしい。今この村で頼れるのは、お主たちしかいないのじゃ」
おばば様の悲痛な願いに、ユウは力強く頷くことで答えた。
▲▽▲▽▲▽▲▽
「……」
しん、と静まり返った夜の空気。この時期にしては珍しく、虫の鳴き声も、獣の遠吠えも聞こえない。いっそ不気味なほどに晴れ渡った夜空では綺麗な星が輝いているが、その輝きはゾランの暗い心を明るく照らすには、ちょっと不十分なものだった。
フィネットの家の裏手にある、ウッドデッキ。本来なら、ぽかぽかの陽気の元でうたたねを楽しむためのそこで、ゾランは冷たい夜風を肌に感じながら小さくため息をついた。
「……どしたの、こんな夜中に。もうみんな寝ているし……風邪ひいちゃうよ」
「……ローフィ?」
ゾランと同じく──寝間着姿のローフィが、ゆっくりと歩いてくる。ふと気づいた瞬間にはローフィはゾランの隣にいて、そしてゾランと同じようにウッドデッキの手すりに体を預けていた。
「……ん、ホットミルク。飲むでしょ?」
「……ありがと」
勝手知ったるなんとやら。ユウやメルクが見たら卒倒するかもしれないが、ローフィは牛族の流儀に従って、フィネットの家の台所よりホットミルクを作って見せた。幸いにして新鮮なミルクはたくさんあるし、火を熾すのだってローフィはもう子供じゃないから簡単にできる。いつもとちょっと違うのは、少しばかりの遠慮として、カップに入れる砂糖を三杯から二杯に減らした……というところだ。
「……悩み?」
「……まぁ、そんなところ」
ゾランの方から語りだすまで、ローフィは静かに待つ。自分だったら、その方が嬉しいな……と、そう思ったからだ。
ホットミルクをちろりと舐めて。ゾランは、静かに語りだした。
「オレ……何もできなかった」
「……」
「モンスメルムが襲ってきたとき……オレ、何もできなかった。オレはあいつらの兄貴なのに、何もできなかった。……せっかく毎日鍛えているのに、体が震えて、頭が真っ白になって……何も、何もできなかった」
ああ、やっぱりそうだろうな……と、ローフィは思った。モンスメルムを撃退した後のゾランの様子は尋常じゃなかったし、大剣を操る重剣士の割には、ゾランの恰好はあまりにもきれいすぎた。
それだけ見れば、モンスターを目の前にして体が動かなくなったのだろうということくらい、簡単に予想がつく。ローフィだって初めてモンスターと相対した時は同じようになったし、初めて護衛として誰かを護るためにモンスターと向き合ったときも、体が思うように動かなかったのだから。
今までモンスターとろくに関わったことのない
「しょうがないよ、あんなにおっきなモンスターだったんだもん……。私だってほとんど何もできなかったから同じだよ。あの場にモンスメルムを引き付けていたのはフィネットさんとユディさんだし、モンスメルムを追い返したのはシャルフィさんとシロフィさんだしね」
「──同じ? オレとローフィが?」
あ、しまった──とローフィが思ったときには遅い。
「ローフィはチビたちを守ったじゃないか! モンスメルムがやってきたときも、すぐに動いてチビたちを避難させていたじゃないか!」
「……」
「オレなんて、モンスメルムを一目見た瞬間に動けなくなって、バカみたいに突っ立っていたんだぞ! こんなに立派な剣を持っているのに、守らなきゃいけないはずのユウにーちゃんに気を使われて、助けられたんだぞ! 普段は兄貴だ、稽古をしているだ……ってカッコつけているのに、役立たずどころか足手まといだ! それどころか、オレは、オレのせいで、ねーちゃんが……!」
「ゾラン……! おねがい、落ち着いて……!」
「…………悪い、熱くなった」
ふう、とゾランは自分に言い聞かせるように深呼吸をした。気分を落ち着かせようと、ローフィが作ってくれたホットミルクをのも……うとして、まだまだ熱くて口を着けられないことに気づく。
ふと隣を見れば、ローフィは何でもないといった様子でコクコクとホットミルクを飲んでいる。なんてことの無い光景のはずなのに、ゾランにはそれが堪らなく羨ましく、そして悔しかった。
「……すごいよな、ローフィは」
「どしたの、急に」
「ピーマンも食えるし、相撲だってオレより強い」
「そんな人、世界にいっぱいいるよ」
「──角だって、オレよりずっと長い」
「……っ!」
牛族にとって、立派な長い角と言うのは一人前の証のようなものだ。いや、もっと大きな意味を持っていると言ってもいい。長く、太く、大きな角であればあるほど、それは角の持ち主自身も立派で偉大であるとされているし、当の本人もその角に相応しい人物であるべく努力をする。
逆を言えば、小さくて未熟な角はそれだけ本人も未熟であり、同時にまた格そのものが小さいということも示している。牛族以外にはなかなか理解されない因習ではあるが、しかし牛族はみんな、このことを心の底から信じているし、疑ってもいない。
当然、ゾランもその一人だ。だから、ゾランは立派な角を育てるべく日々鍛錬しているし、夜寝る前の角の手入れだって欠かしたことはない。牛族の男なら、みんなやっていることだ。
「はは……オレの倍くらいはあるんじゃないか? さすがローフィだよな。女の子なのにすげえよ」
「……そぉい!」
「い゛っ……!?」
ローフィの鉄拳が、ゾランに炸裂した。
「な、なにすん──!?」
ぴた、とゾランの動きが止まる。
思わずそうしてしまうほど、ローフィの様子がおかしかったからだ。
「ろ、ローフィ? どしたの? ……オレ、何かローフィを傷つけるようなこと、言っちゃった……?」
「ん゛っんー……」
「ね、ねえ……」
「──ほぅほぅほぅ。少年よ、何かお困りのようだね? どうだい、ここは一つ……今の君にぴったりの物語を語ってあげようじゃないか」
「ろ、ローフィ?」
「黙って聞いて」
すぅ、とローフィは息を吸う。そして、あの日の自分と同じように……あの日、あの精霊さんたちが自分にしてくれたことを思い出しながら、ゆっくりと語りだした。
「──昔、昔の話さ。とある牛族の村に、一人のそれはそれは可愛い女の子がいた。それはもう、可愛くって運動神経抜群で、とにかく可愛い娘だった」
「……」
「──娘はそんな村ですくすくと健やかに育ったが、ある日気づいてしまった。そして、こう問いかけたんだ。『──ねえママ、どうして私の角は、みんなよりずっと長いの? 男の子だってまだ生えていないのに、どうして女の子の私に角が生えているの』……ってね」
「……」
「女の子は、自分が牛族だと思っていた。牛族の村で過ごしていて、牛族のパパとママがいる。だから自分は牛族のはずだと、そう思っていた……いや、思いたかった。でも、時が経てば経つほど、その違いは浮き彫りになってくる」
「……」
「牛族なのに、男の子よりも長い角。長い角が生えているから、女の子は特別なんだってみんなが言った」
「……実際、特別じゃん」
「違う、違うんだよゾラン……ん゛ん」
ローフィはホットミルクをこくりと飲んで、喉を湿らせた。
「女の子は元々運動神経はよかったけど……結局はそれだけ。やっぱりどうしても、単純な腕力は男の子には敵わない。もう、お相撲を取っても力押しだと普通に負けちゃうくらいになっていたの」
「え……」
「だから、力に頼らない技を磨いた。みんなに負けないように努力した。でもね……ダメだったの」
「ダメだった?」
「あの子は角があるから特別だ、だから負けちゃうのはしょうがないって……女の子が必死にした努力を、誰も褒めてくれなかったの」
「そんな……」
「それからはもう……大変だった、のかな。女の子はどうして自分だけこんな角が生えているんだ、どうして自分だけみんなと違うんだ……って、ずっとずっと悩んでいたの。もう、何もかもイヤになって家を飛び出しちゃったくらい」
「ええーっ!? ローフィ、そんなことを……!?」
「あ……! わ、私じゃなくって物語! 物語の話だからっ!!」
ゴホン、とローフィは恥ずかしそうに咳払いをした。
「でもね……私もその子と同じように、少し前までこの角が嫌いだったの」
「……」
「あはは。チビちゃんたちはまだわかってないかもだけど……さすがにゾランは気づいているよね? ……そう、ホントは私、牛族じゃないんだよね」
「……なんかちょっとおかしいな、とは思っていた。でも、そういう人もいるのかもって思ったし、ねーちゃんも何も言ってなかった。あと……牛族の服を着ているんだから、見た目がどうであろうと牛族なんだって……牛族として認められているんだって思った」
「……で?」
「だったら……そんなの気にしてもしょうがない。牛族なら、家族を受け入れる……それだけの話だろ」
「……ふふっ!」
たまらず、ローフィは噴き出した。
「な、なんだよ……オレ、なんか変なこと言った?」
「ううん、ちょっと……あまりにも、昔の自分がバカだったなあって思っただけ。……そっか、ゾランでさえも当たり前のようにわかっていたことに、私はあんなに気づくのが遅れたんだ」
「ローフィ?」
「ううん、なんでも。えっと、どこまで話したっけ……そう、ゾランはすでに分かっているんだよ。私を見て牛族の一員だって思ってくれるゾランなら、気づけるはずなんだよ」
「……どういうこと?」
しょうがないなあ、とローフィはおねえちゃん風をびゅうびゅうと吹きながら自慢げに答えた。
「角が長いとか短いとか、そんなに大事なことかな? ホントに大事なのは……今の自分を受け入れて、成りたい自分になれるように行動することだと思うよ」
「あ──!」
「少なくとも、物語の女の子はそうしたの。もちろん、それに気づくまでにいろんな人に助けてもらったんだけど……そうしたらね、あれだけ苦しい思いをしていたのに、あれだけ悩んでいたのに、ぜーんぶなんとかなっちゃった! なにもかも、うまくいっちゃた!」
「……」
「ゾラン、わかる? うじうじ悩んでいたことでも、やってみたらなーんにも心配いらなかったり……ううん、うじうじ悩むよりも、ありのままを自分を受け入れて、物事を恐れずとにかくやってみる! そうすれば、きっとうまくいく……まぁ、これは私の個人的な経験談からなんだけど」
「……すごいな、ローフィは」
「ふふん、これでもゾランよりはお姉ちゃんだからね!」
もうすでに、ゾランの顔に陰はない。あの時のローフィと同じように、暗い洞窟の出口を見つけたかのように顔に光が宿っている。もしかしたら、今まで見てきた中で一番輝いている顔かも知れない──だなんて、ローフィはそんなことさえ思ってしまった。
「でもさ、ローフィ」
程よく冷めたホットミルクを豪快にごくりと飲み干し、ゾランが問いかける。
「言いたいことはわかったし、励ましてくれるのも嬉しかったんだけど……」
「けど?」
「あの……あの、ヘンな喋り方はちょっとどうかと思う……」
「うう……! 即興とはいえ、思った以上に難しかったんだよぅ……! 精霊さん、あのときはごめんなさい……!」
精霊さんがいるであろう方向に向かって、ローフィはお祈りをささげた。今度会えたら、きっちり謝るから今はこれで許して……と付け加えておくのも忘れない。ついでに、読み聞かせの練習を一緒にするのも悪くないと、心の中で”これから”のことを考える。
「……ありがとな、ローフィ」
「ん、どういたしまして……」
夜風は相変わらず冷たいが、しかしゾランの心も体もぽかぽかだ。温かいホットミルクがそうさせたのか、はたまたそれ以外の理由によるものか。それはゾラン自身にもわからない。ただ一つ確かなのは、ゾランの心に覆っていた例えようのない暗くて冷たいもやもやは、いつの間にか消えてなくなっている、とういうことだ。
「……ところで」
「……うん」
ローフィとゾランの思いは、奇しくも一致していた。
「見てくれは気にしない、ありのままの自分を受け入れるほうがいいってのはわかったけど……!」
「それはそれとして、見てくれをおろそかにしていいわけじゃない……! できることなら、理想を目指したい……! 成長が止まらないうちに、しっかり育てておきたいよね……!」
ローフィもゾランも、それぞれ体のある部位にちょっとしたコンプレックスを抱いている。お互い似た者同士であるからか、直接口に出さずとも二人はそれをほぼ正確に感じ取っていた。
「牛族の女の人って……その、私もお母さんもそうなんだけど、おっきいよね……。でも、同じ食べ物を食べている私は……」
「……ここのミルク、角にいいってよく言われてるんだ。だからオレも、毎日五杯は必ず飲んでる……だからきっと」
「うん……それにフィネットさん、牛族の中でも特に……というか私が見てきた中で、一番……」
「……ねーちゃんの好物は、ここのミルクだ。毎日欠かさず、ずっと飲んでいる」
「……ゾラン」
「……ローフィ」
「「お互い頑張ろう!」」
掟破りのホットミルクのお代わり。星空の下で、ローフィとゾランはミルクで乾杯をした。
▲▽▲▽▲▽▲▽
そして、翌日。ちょうどお日様が顔を出してちょっとしたくらいの頃合い。
「……んぅ?」
まだ寝ぼけ眼なローフィの耳に、飛び込んできたのは。
「大変──! ゾランの靴と大剣が無いの!」
「え──」
「あの子──一人で霧吹き山に行ったんだわ!」
ゾランが、一人で霧吹き山に向かったという報せであった。