XuanTao   作:くおん(出張版)

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序章03

 ずっと昔のことだ。

 キョウコはゲンドウについて回って、風祭の円空山と呼ばれている山によくでかけていた。もっとも、周囲のミカン畑のある山より少し高いだけの、丘のようなその山をそんな御大層な名前で呼んでいるのはその山の持ち主である真壁ウンサイと、それに関係する人間だけだったが。

 六分儀ゲンドウは、その一人だった。

 どうして普通の中学生だった彼が、果たしてどういう経緯でこの山で修行するようになったのか、それはまったくキョウコには不明だった。今に至るも解けぬ謎の一つである。ゲンドウに聞けば、あるいは教えてくれたかも知れないが、ウンサイの最期がどのようなものだったかを思い出すと、迂闊に聞くことはためらわれたのだった。

 とにかく今思い返してみても、あの山にいた真壁ウンサイという老人は奇妙な人物であった。

 白髪が七割ほど混じった鳥の巣みたいな頭をしてて、髭なんかは延ばし放題にしている。しかしそれなのに不思議と不潔というような印象はなく、その首から下はジーンズに綿の白いシャツというような若者めいた服を着ていることもあってか、細いが肉付きのいい身体は遠目には健康な二十代の青年であるかのように見えたりした。近くによっても五十代ぐらいにしか思えない。実際の年齢については多分、七十は過ぎていたのではないだろうか。

 

 そして、不思議な魔法――玄道を使う。

 

 その掌で巨岩を打てば二つに割り、池の水面を叩けば泳いでいた鯉は気死して浮かび上がり、桜の幹に当てれば堅い蕾が花開く……と言った具合に、数々の不可思議な現象を引き起こしたのをキョウコは目撃している。座したままで宙に浮かびさえした。水上を歩くこともできた。今から考えても、あれは眼の錯覚だとか催眠術だとか、そういう類のものではなかったように思う。

 ずっと後――小学生の高学年になった頃、キョウコはウンサイが使っていた力が〈氣〉とか呼ばれるようなものではないかと考えた。

 漫画なんかでよくでてくるようなヤツ。

 生命エネルギーの制御をして、あんな真似が可能であったのではないかと。

 それを確かめる術はなくなっていたが。

 キョウコの知る限りで唯一のウンサイの弟子であったゲンドウは、少なくともその頃はウンサイの真似なんかできなかったし、ウンサイが死んでからは稽古も表立ってはしなくなっていた。

 その頃から、彼女は繰り返して思うことがあった。

 もしもウンサイが死ななかったら――

 ゲン兄は今頃魔法使いになっていだろうか。

 そして、自分は今でもゲン兄の後ろにのっけてもらって円空山へ通っていられたのだろうか。

 あるいは魔法とは〈氣〉の力だとしたら、訓練次第で自分にも使えるようにもなっていたかも知れない。

 すべては仮定の世界の話だ。

 キョウコはそんなことを考えた後に、必ず思い出すことがある。

 炎に飲み込まれた円空山の小屋と。

 その炎に照らし出された鷲鼻の、異相の男。

 そして、うつぶせに倒れていた真壁ウンサイ……。 

 

『ヤツは――SEELEの男だ』

 

 思いもかけずにしっかりした声で、しかし息も絶え絶えにウンサイは言った。

 

『戦おうなんて思うな……仇とろうなんて、思うなよ』

 

 それだけを言い残し、真壁ウンサイは死んだ。

 キョウコはその後のことをよく覚えていない。

 何時間とたたずにウンサイの知人達が集まって後の始末をしたらしい……とまでは解っているのだが、自分とゲン兄がどういう風に家にまで帰ったのか、ウンサイの葬式に出たのか、いつまで幼稚園を休んでいたのか――その辺りは思い出そうとしても思い出せなかった。

 ただ、解っていたことが一つある。

 もう二度と、自分はゲン兄の後ろにのっけて貰えなくなったのだと。

 

 何よりも、それが哀しかった。

 

 

 

          ○●○●○●○●○●○●

 

 

 

(お兄ちゃん……ずっと追ってたんだ)

 今までの生活で、SEELEという言葉を口にしたことはお互いにない。ウンサイのことも、円空山の日々のことも。まるでそんなものは初めからなかったかのように振る舞って生きてきた。キョウコはだから、ゲンドウが全てを忘れようとしているのだと思っていた。それで自分も表向きはそのようにしていた。しかし違っていたのだ。忘れられるはずなんてなかったのだ。自分がそうであったように。

 楊大人は、キョウコの内心なども知らず言葉を続けていた。

「そうなると、もはやわたしだけの問題ではないね。これは一百零八全てに関わる大問題アル……」

「一百零八?」

「日本語でいう百八竜のことアルよ。聞いたことはないかね? 清朝の初期に反清復明を志して野に散った少林寺の武術僧百八人を始祖とする伝説を持つ、青幇の流れを組む結社……ということになっている組織のことを」

 キョウコは「うーん」と唸った。何やら聞いたことがあるような無いような……記憶を溯れば、確かにそんな話を新聞か何かで見たような気がする。

「ふむ。何年か前に日本で大々的に報道されたが、すぐに忘れてしまうものアルかな」

 楊大人は苦笑したようだった。

 その直後に、キョウコの脳裏に閃くものがあった。

「もしかして、ちょっと前におっきい暴力団の組長が、たった一人の殺し屋に殺されたっていう――」

 その事件は二年前のことである。

 たった一人の殺し屋に、日本最大の暴力団組織がその頭領を殺害され、あげくに逃亡を許したというのだ。恐ろしく現実離れした話だったので、大々的に報道されたにも関わらず、キョウコはそのことをほとんど忘れかかっていた。そもそもからして、センセーショナルで、かつ移り気なマスコミの報道などというものをキョウコは好きではないのである。それでも少しは耳にしたり目にしたりはしていた。その中では確かにマスコミは殺し屋が中国系の組織の者で、その組織について憶測というかかなり造り入ってるだろうというような事柄を垂れ流していたように思う。

「その殺し屋こそが我らが百八竜最高の殺手アルよ。彼の手にかかれば、いかにLiufenyeとて」

「え? 『満漢全席』って言ってたのに……」

「それは私が率いている組織のこと。百八竜とは、本来は少林寺の百八人の僧侶のことなどではないアル」

 ないのかあるのかはっきりしてくれ、とキョウコは思ったが、さすがに口にはしなかった。

「それじゃあ――」

「百八竜とは、我らと始祖を同じくする組織を総称しての呼び名アルよ。竜とは一つの組織のことを指している……現在はさすがに全てが現存する訳ではないアルが、東洋の裏世界では百八竜に連なる組織は、幇の中でも名門として数えられているよ。新聞に載った組織も百八竜の一つで、現代の組織の中でも屈指の規模を誇る幇だったアルが、百八竜そのものではない。無知なマスコミはごっちゃにして流してしまったが、これは無理のないことね。真実は裏の世界の一部の者だけが知っていればいいだけのこと」

 それはつまり、自分などは知る必要のないことであり――

(わたしは生きて返すつもりはないってことなのね……解ってはいたけど)

 改めて認識するたびに気が滅入ってくる。

 しかし彼女は、それをおくびにも出さなかった。

 キョウコはまだ、知るべきことがあると自分に言い聞かせていた。

「つまり、百八竜がSEELEなのね」

 今までずっと謎だった。

 ドイツ語で言えば「魂」を意味する言葉。

 それ以上には解らなかったし、それ以上に知りたいとも思わなかった。

 しかしゲン兄はそれを追い続けていたのだ。

 だったら。

 だったら、自分も無関係ではいられない。

 いられるはずがないのだ。

 なのに。

 楊大人はあっさりと。

「ああ、それとはまた別ね」

 実に簡単そうに言ってくれた。

「え、でも」

 ――SEELEの主流からはずされて久しいとは言え、我らも誇り高き――

 そんなことを言いかけていたはずた。

「それね、“我らも誇り高き百八竜に連なる者”と言おうとしたのアルよ」

「それは――」

 つまり、SEELEとは百八竜の上にある組織ということか。

 楊大人は、どこか遠い目をした。

「違うね。アレは組織というより……もっと漠然としたものアルよ。まあ、組織といえば組織アルが。SEELEとは、ある目的のために統一された意志、とでもいうべきもの」

「目的って」

 そういえば、さっきまでのように答えはすぐ返るものだと思った。まさかここに至って「それは秘密ね」などと言われるとは思ってもいなかった。

「残念アルが、例え死する者であっても教えられないね。何処で誰が聞いているかも解らないし、それにここにいる部下達にも教えられないアルよ」

 理不尽と言うべきか不条理と言うべきなのか。

 犯罪組織としてはまともと言えなくもないが、今までの態度からは考えられない答えだった。

 しかしキョウコの脳のどこかが、それを聞いて納得してもいた。

 何をどう納得したのかは自分でもよく解らなかったが、あえて言うのなら“SEELEがそんなすぐ解るようなものではないと解ったこと”についてであろうか。

(そうだわ……容易にはその核心に辿り着けないから、全くその輪郭が掴めないから……)

 だから、なのだ。

 だから、ゲン兄は追い求めたのだと。

 キョウコは思った。

 うまく言葉にできなかった。

 楊大人はキョウコの様子を興味深そうに見ていたが、やがてバックミラー越しに後ろを伺っていた運転手の目配せを見て、頷く。

「さて、そろそろ目的地アルが――Liufenyeはどう仕掛けてくる?」

 

 

 

「……そうだ。時間を稼いで欲しい」

 公衆電話のボックスで、六分儀ゲンドウは感情を抑えた声で話していた。

『まあ、どうにかできるが――相手は楊大人だ。せいぜいが二十分だ』

「三十分はもたせろ」

『なんとかしよう』

「頼んだぞ」

『ああ、それと』

「なんだ?」

『そのキョウコって女の子は、Xuantaoにとってはよっぽど大切な子なんだな』

「……何が言いたい……」

『あれ? ウチのMeisinが、お前のことを気に入ってたって言わなかったか?』

「――切るぞ」

 受話器を置いた。

 

 

 

 最初にそれに気づいたのは、運転手ではなく、後部座席に座っていた楊大人だった。

 アジトまであと数分というほどの場所にきて、何か「空気」が変わったことに。

「――妙だな」

 その呟きに、キョウコは俯いていた顔を上げた。だが、それだけだ。それ以上の反応を示していたのは、ハンドルを握っていた運転手だった。

「ボス! 先導と後衛の車が見えません」

 急ブレーキをかけ、叫ぶ。

 楊大人は目を細めた。

「護衛と分断されたか……しかし、どうやった?」

 口にしてから、ある可能性に思い至り、楊大人は外に飛び出した。部下の声など無視した。

 キョウコもそれに続いて出ようとしたが、さすがにそれは無理だった。「動くな」と外からの楊大人の低い声で一喝され、その通りに動けなくなった。

 そして楊大人は、そこで立ち尽くし、ギリっと歯を鳴らした。

「……どっちから来たのかも解らなくなった……見覚えのあるはずの道なのに……Liufenyeが日本に戻っているのなら、奴もいると考えてしかるべきだったアル……Longめ……この私にまさかDunjiaを仕掛けてくるとは」

 車の中のキョウコも、外を見ながら己の感覚の変調を察知した。何がどう変わったのかも解らないが、何かが狂っているのだと。こころなしか気分が悪い。吐き気、とまではいかないが、胸の中でもやもやするものが生じている。自然、拳を作ってそこを押さえる。

(何よ……これ?)

 あえて言うのなら、軽く目を回しながら軽く車酔いになったような感覚であった。……なんだか軽く気分が悪いと言ってしまえばそれで済むようでもあるのだが、かつて感じた変調とは全く違うという違和感がどうしてもある。そういえば初潮の時も得体が知れない気分の悪さに、危うく吐くところだった――どうでもいいようなことをキョウコは思い出した。その晩に惣流家の夕食に招待されたゲン兄が赤飯を見て「何かあったのですか」と聞いた時に、自分は顔を真っ赤にして俯いてしまっていたとか。それから一週間はまともにゲン兄の顔を見ていられなくなった。三年前の話である。

 楊大人は、車の中に戻るなりキョウコの様子を見て、「かなり強力な術だな」とぼやくように言った。

「術?」

「Dunjia……Qimen-dunjia。仙術の一種アル」

「それは――」

「日本で言う遁甲か――Liufenyeの仕業ではないよ」

 遁甲――それは中国に古くより伝わる仙術の一種である。一説には忍術の源流になったとも言われるこの術の詳細については、現代ではほとんど伝わっていない。恐らくは陰陽説などの概念から生じる吉凶を読み取り、凶事より身を避ける法ではないか、というのが一般的な解釈だ。対象や用法によって奇門遁甲とか天文遁甲などと呼ぶ。

 特に奇門遁甲とは陰陽と五行を組み合わせたいわゆる十干にその根拠をおいている。陰陽・五行ともに世界全体を構築する要素であり、この二つを組み合わせた十干は世界の盛衰・消長のさまを著わすものとされた。おおざっぱに要約すれば、世界全体をその変化する様相に合わせて甲(きのえ)、乙(おつ)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)の十種類の要素に分割したものと考えればいい。このうち誕生と盛運をあらわす甲を別格とし、残る九つをさらに三つの要素に分けて、それぞれを天の三奇、地の三奇、人の三奇と呼んだ。三奇はそれぞれが世界の一面を象徴しており、これを奇門と言う。遁甲は「甲に遁れる」と読み下せることからも考えて、乙丙丁戊己庚辛壬癸に象徴される凶運(とばかりとも限らないのだが)から、盛運を象徴する甲の領域に回避する術なのだろう。

 この遁甲を能くしたと言われているのが、三国志演義で活躍する蜀の軍師・諸葛孔明である。彼は赤壁の戦いに際して儀式を行って風を呼んだという話が有名だが、夷陵の戦いには奇門遁甲「無人八陣図」を敷いて、追撃する陸孫を惑わせた。それは一見して巨石を無作為に並べただけの布陣であるが、遠くから眺めれば十万の兵に相当する戦気を放ち、一度陣内に入ればその者の方向感覚を狂わしめ、閉じ込めてしまった上で川の水を引き込み、溺死させてしまうのだ。

 まあ、この諸葛孔明の話は所詮は演義(小説)であり、現実のそれではない。とは言え、日本に於いても天武天皇が壬伸の乱に際し、天文遁甲を用いて吉凶を占ったというような話が日本書紀に残っている。天文遁甲は星の変化、気象などから凶運を読み取り、盛運たる甲に逃れる法であったと思われる。より積極的な占いと考えれば現代人にも解りやすい。いずれ遁甲という観念は古代より東洋世界には遍く伝わっていたという証明にはなる。

 そして、楊大人もまたその力を知っていた。

「Qimen-dunjia――奇門遁甲とは即ち、追ってくる危難を惑わせて回避する法であったもの。今では待ち伏せて相手を誘いこんで密殺するのに用いられるアル」

 手段としては古典的なものだ。三国志演義の作者・羅貫中は元の末期の人物とされているから、その頃から「無人八陣図」などのような術は民間には知られていたのだろう。少なくとも概念としては存在していたという訳だ。今、楊大人やキョウコが遭遇しているのは、まさにそれの流れを汲む方術に間違いない。

 方向が認識できなくなっている。

 右も左も、どちらが北なのか南なのか、どっちから車がきたのかさえ解らなくなっていた。考えようとすると気分が悪くなる。嘔吐したくなってくる。

「形而上生物学の視点から見れば、限定された《場》においてA.T.フィールドに干渉し、方向感覚を司る脳の部位、神経を狂わせるものだというが」

「え?」

 さっきは仙術と言ってたのに……キョウコはそのことを問おうとしたが、やけに怖い顔をしている楊大人を見たら、さすがにそれはできなかった。

 楊大人もそれ以上の説明をしなかった。

 歯を食いしばり、精神を集中している。額に汗の珠がいくつも生まれては流れていった。

 キョウコには、黙ってその様子を伺う他はない。

(お兄ちゃんがしたんじゃないのなら、これは一体誰がしたことなの……?)

 

 

 

「……ほう、さすがは崑崙を祖とする一族の末裔だけある……思ったよりも時間が稼げないかもな」

 黄色の道服を着た男は、そこを見下ろすビルの屋上に立ち、そんなことをぼやくように言った。

 目の前には八っつの頂点を持つ星が描かれている。中心には陰陽太極、そこから八つに分かれたエリアには、それぞれ乙丙丁戊己庚辛壬癸と、それに並ぶように驚開休生傷杜景死の文字が書かれている。

 中国ではポピュラーな奇門遁甲盤だ。

 しかし、これこそが張天道に秘して伝わる、「奇門遁甲・無人八陣」の方陣であった。

 本来、この秘術は楊大人も言った通りに相手から逃げ延びるために使われていたものだ。それが相手を誘い込んで密殺すると言うようなものになったのは、時代が進み、研究が重ねられ、仕掛ける方法がより簡略化されていったからである。そもそも最初は逃げ道に布石として敷くのが常であったのだが、やがては撤退しながら敷けるようにまで簡易化されるようになっている。

 八角形の中心には楊大人の乗っている外車と同じモデルのミニチュアが置かれていた。

 男はその車に、桃の木で作った剣の切尖を向ける。

 魔術の種類としては、フレイザー卿が『金枝篇』で語るところの“類感魔術”の一種であろう。形状の類似しあっている物同士は感応し、一方に何かを与えたならばその影響はたちどころにもう一方にも生じると言う。この魔術は世界各地に同様のものが存在するが、破る方法は全てに共通して術者が仕掛けているミニチュアを壊すことである。しかし、その絶対とも言えるルールがこの場合は適用されないことを、男は知っていた。

「ここまで極まった方陣を意念で破る――か。こちらも香港一の道士を名乗っている手前、簡単にはやらせるつもりはない」

 男は剣を持たない手で刀印を組み、額の前にかざした。

 彼の額もまた、汗の珠でいっぱいになっていた。

 

 

 

 人間は目隠しして見知らぬ場所に来たとしても、ほとんどの人間がかなりの割合で正確な方位を察知することができると言う。

 どうしてそのようなことができるのかということについては未だ確たる説はない。ただ、野生動物などは人間よりもかなり正確に方位を察することができることはよく知られ、恐らくは地磁気を感知する機能が脳に備わっているのだろうと思われている。人間の方向感覚についても同様の説明がなされる場合がある。いずれにせよ、定説と呼べるようなものではないのが現状だ。

「無人八陣図」は、そのいまだ未知たる人間の感覚能力に作用するのであるものらしい。

 キョウコは口を押さえ、耐えている。

 彼女の場所からはよく見えないが、運転手もそのようにしているのが解る。

 一人、楊大人だけが目を閉じて何かを念じているかのようだった。

(……何か手立てがあるの?)

 もしもこれが楊大人のいうように六分儀ゲンドウの仲間がやったことだとしたら、彼女を助けるための行為だろう。自分は文句を言ってはいけないはずだ。そのことは彼女だってよく理解している。にも関わらず、キョウコは楊大人がこの状態をどうにかして破ることを期待してしまった。つまるところは、それほどに耐え難い状態であるということだ。嘔吐感と酩酊感は最初こそ軽いものだったが、寸秒ごとにいや増していた。あと五分も続けば、意識は混濁したまま帰ってこれなくなるのではないか。

 彼女の期待(?)を受けていた楊大人は、やがてかっと細い目をその三倍にまで見開き、

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッッッ」

 歯を食いしばった。

 キョウコは、生まれて初めて「声にならない声」というのを聞いた。

 

 

 

「む?」

 道服の男の目の前で、車が動き出した。時計回りに。初めはゆっくりとだった。桃剣を向けると一瞬だが止まりもした。だが、すぐに動き出す。

 桃剣の切っ先は何度も上に向けられ、またミニチュアを差した。そのたびに動きは鈍り、しかし回転の速度はいやます。やがて向けらけてもそれは衰えることもなくなった。差し向けられ続けるようになった頃には、まるで走行中の自動車のホイールであるかのようになっていた。

「なんたる意念……だが」

 男は口訣を呟き、剣指を左右に切る。

「簡単には逃さん――」

 指が向けられた瞬間、回転が止まった。

 

 

 

「今だ! 車を出せ」

 声を止めた楊大人は、車に乗り込んで運転手に命じる。

 慌ててアクセルが踏まれた。

 

 

 

「無駄なことを――おお!?」

 ミニチュアが突如として走り始めた時に男が口元に浮かべたのは嘲笑であったが、それは刹那の間もおかずに驚愕の形になった。

 動き出したその先にはありえない九番目のエリアが出現していたのだ!

 

『甲』

 

 遁甲は「甲に遁れる」と読み下せる――

 

 車がそこに至った瞬間、方陣の太極から光が生じた。

 

 

 

「――破れたり、無人八陣図」

 

 楊大人が会心と言える笑みを浮かべてそう呟いたのを、キョウコは確かに聞いた。

 

 

「破れたか……だが、目的は果たせた」

 

 男は言ってから、深く息を吸って吐いた。

 

 

 

 急ブレーキがかかる。

 

 

 

「――何事アル!?」

 まだ走り出して二分とたっていない。

 途中で感覚が狂わされる「無人八陣」を仕掛けられたとはいえ、時間的にもまだ彼らのアジトには遠いところにいるはずだ。そして仮に到着したのだとしても、このような乱暴な運転をするはずがない。

 考えられる可能性としては――

「ゲン兄」

 とキョウコは言った。

 彼女は信じていたのだ。

 フロント硝子の向こう側、二台のベンツが道路を塞いでいるのが見える。それはこの車を先導し、後衛を守っていたはずの車だ。

 そして。

 

 彼は……六分儀ゲンドウは、それらとこの車の中間の距離に悠然と立っていた。

 

 

 

 

 




はい。というわけで、くおんです。
はじめましての人もいれば、お久しぶりの人もいるかと思います。

実は昔、エヴァSSを書いてました。今もこそこそ私的に書いてるのですが、特に発表していません。

この作品、『XuanTao』は、拙作で自サイトで発表していた、EOEアフターの『新世紀エヴァンゲリオン2nd』という作品の前史……として構想し、書いていたものです。

当時の私は悪ノリに様々な作品のキャラを出してクロスオーバーさせた、エヴァンゲリオンの二次創作を構想するのが大好きでした。
あくまでも「構想」ですが。
SSもほとんど書かずに、毎日変な作品を考えてはチャットなりメッセで話しては盛り上がり、ということを繰り返していたような気がします。楽しんでいたのは私だけで、周りの人たちはそれに合わせてくれていただけかもしれませんが。

そのなかで、『新世紀エヴァンゲリオン2nd』というのを考え、書き出したわけですが……当時は前述のとおり、とにかく構想を考える方が楽しくて、構想を面白くするためにまた別の作品を考えて……の繰り返しで、自分でもわけが解らない状況になってしまってました。

当時の私はエヴァンゲリオンの二次創作を作るに際して「逆行モノ」「異世界」「再構成は書かない」という縛りで書いてました。それは個人的な事情が絡むのですが、創作をされている方々には覚えがあるかもですが、縛りがある方が、むしろその縛りをどうくぐりぬけて自由に構想するかが楽しくなってくることがあったりします。

本作もそのような縛りで本編設定に矛盾しない限り、どんなむちゃくちゃができるのか、その限界にまで挑んだ作品であります。

まあ、今から考えればセカンドインパクトとサードインパクトで何もかもちゃらにできるわけですから、別にそんな挑むとか大仰に書くほどのことではなかったわけですが。

アスカの母である、少女時代の惣流キョウコが巻き込まれた事件を発端にして、若き日の六分儀ゲンドウの過去、そして未来を描く……というこの作品、今読み返すと、のっけに謎の中国人とかでてきたり、むちゃくちゃもすぎますね。

ちなみにこの謎の中国人、楊大人は、藤井青銅先生の『死人にシナチク』に登場するキャラで、作中で彼が述べている話は、その時のエピソードだったりしますが、なんでそのまま書いたか私。

他にサザンアイズとか色々と混ぜてますが、本当、なんだこれって感じです……

ファイルの保存ログを確認すると、2004年くらいに書いてたようです。
17年くらいたつんですね。

この作品の続きが書かれるかどうかは、今のところ考えていません。
なんか突然、昨晩にエヴァの前史としての伝奇長編エヴァンゲリオンZeroというネタがTwitterで盛り上がってたので、思い出したついでに供養として発表するものです。

だから当然、この作品に関連した、EOEアフターのアスカを中心としたチルドレンたちの日常を書いた『ハイパーあすか』だとか

ゲヒルン時代の葛城ミサトがミャンマーに出向して謎の遺跡をめぐる戦いをする『月の王』だとか

形而上生物学の研究者である冬月助教授が遭遇する事件『冬月助教授伝奇考』

EOEアフター、アメリカ留学したシンジが記憶喪失の青年、南コウタロと共にゴルゴムの陰謀を暴く『世紀王』

……
それらを結びつけた大長編『新世紀エヴァンゲリオン2nd』も、さらにその後、キョウコとゲンドウとの一夜の過ちから受精した卵子を保存して、チルドレンたちと同年に生まれ、謎の組織を支配している惣流ツバサを敵とする『新世紀エヴァンゲリオン3rd』も、密かにテラフォームされた火星にゼーレが20世紀に作り上げていたコロニーと、その世界の興亡を巡ってチルドレンたちが戦う『新世紀エヴァンゲリオンMARS』も、書かれることはないのでした。

そのような経緯で書かれて、発表されるに至ったこの作品、ご笑覧ください。

では。
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