自分の名前は───。
それを書けるし声に出せる。
呼ばれたらそれが自分であることを理解できる。
それが自分を記す文字列であることは知っている。けれど自分は───を知らない。
自分は僕でも俺でも私でもない。
つまり───という存在が分からない。
ずっと人として正しくあるようにしてきた
誰かが自分を褒めるとき、笑うとき、好きになるとき、その感情は───に入ることは無い。
自分は入れ物ですらない。
空っぽというのはそれを覆う外装があるからであり、───を知らない自分はそれすら持てない。
自分は
自分は喜ばない。───ではないから。
自分は悲しまない。───ではないから。
─あなたは幸せですか─
人が人に幸福を願うのは、そうあって欲しいという欲望であり、回り回って自分のためである。
自分が今までしてきたことは幸せになって欲しいというエゴでもなく、ただその人間のルールに従って行っただけの物理的な反応であり、
自分は機械だと言っているようなものだ
。
何故彼女を選んだのか─彼女─結月ゆかり─
結月ゆかりはボイスロイドである。
アンドロイドは感情を発現する。
何もないはずだった彼女は今ここに居る。
結月ゆかりはアンドロイドである前は、音声合成用の音源に過ぎなかった。
年齢、身長、誕生日それ以外の「設定」は悉く個人に委ねられている。
実況、解説、発表、etc…それら全てで違った絵や性格なのだから、「結月ゆかり」という一個人は完全に存在しない。
───、結月ゆかり。
自分はそれを同じだと思った。
アンドロイドである以上、彼女は彼女なりの自分が存在すると言うのに。
けれど自分に本当に───がないとするならば、自分は同じだと思った彼女を選びはしなかった。
自分は───という個を彼女に、結月ゆかりに委ねた。
だから選択した。自分が同一化した結月ゆかりに感情を願うのは人として正しい生き方なのだろうか。
彼女の問いを胃の中を空っぽにしながら答えを導きだす。
何故初めにマスターと呼ばせなかった。
───が分からないなら何故呼ばせた。
ゆかりは自分を手に入れた。僕は彼女を選んだ。
僕はゆかりを願う。
さする彼女の手は人工皮膚だけど暖かい。
心配するその心は電子頭脳だけれど愛おしい。
彼女がいる限り、僕はいる。
彼女は幸せである。
僕は泉──。
彼女を選んだ理由も自分が幸せである証明もとっくに終わっている。
抱きしめる。もう二度と忘れないように。
「君がいる限り、幸せだよ。」