悪を殲ぼす金剛の棘   作:ぶびっぐ

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原作開始まで飛ばすかさんざん迷った挙句、結局このまま続けることにしました。やはり持つべきは知己。



決別:竜の呼び声

 息がデきナい。うマく思考ガ回ラナい。首の神経を切ラれた。視界がボやけテよク見エなイ。

 

 動カナい爪助に気をトラれた。ワたしノ体も動かナイ。せメて腕さえ動カせれバ。

 

 アカ色が見えた。私ノ胸を貫イてコぼれ出た血ト同じイロ。

 

 悔シい。悲しイ。イやダ。こんナ、こんな最期なンて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『────……起きて、滅理』

 

 

 

「ッはぁっ…!」

 

 空気が肺へと通う。再び思考が回りだす。視界がじわじわと鮮明さを取り戻す。

 目に映るのは日光に照らされた晴天空。場所は変わっていない。森の広場だ。

 

 爪助は、爪助はどこだ? 今すぐ安否を確かめねば。

 

「爪、助…」

 

「おおっと無理に動いちゃダメだよ、まだ傷が治ってないんだから」

 

 痛む右掌を地面について起き上がろうとした私を、いつ現れたのか白龍先生が押し留める。

 

「先生…? なんで、ここに…」

 

 しこりのような違和感が残る首を緩慢に動かして、あやふやな問いを投げかけた。

 記憶が正しければ先生は今頃遠出の真最中である筈。夜に帰ってくると聞いていたから、ここにいるのは不自然だ。

 

「なんでもなにも、貴方と爪助を連れ戻しに急いで帰ってきたんだよ」

 

 両の人差し指で小さく円を二つ描いた先生は、その指先を上体だけ起こした私と、少し離れた所で寝息をたてる爪助に向けた。

 

 あぁ、よかった。爪助は無事だったのだな。

 

 がらくたの波に紛れて流れ出た生気の感じられない爪助を見た時、私は生きた心地がしなかった。

 せわしなく動かしていた四肢はだらんと力なく垂れ下がり、神経の制御を断たれた全身の関節はがらくたがぶつかる度にぶらん、がくん、と曲がり揺れる。

 死体のそれと同じことをする爪助を見た私は、言い表しようのない喪失感で息が詰まり、まともに動けず隙を晒した。

 結果、喉元めがけて放たれた鉄の槍によって撃ち落とされた。

 

「まったくもう、子供一人で解決しようなんて某探偵工藤じゃあるまいし。次やったらもっと怒るからね?」

 

 屈んで視線を私に合わせると、先生は眉尻の高くなった顔を見せる。

 しかしその言動とは裏腹に怒気の籠っていない先生の声は、場違いな安心を覚える私をあらわにさせていた。

 父親と呼ぶのも憚られるアイツ、私の心に横槍を刺す不安の種は、もうこの場にいない。何処へ去ったのか知らないが、もうどうでもいい。アイツは私の家族じゃないから、どうであろうと全てが他人事だ。

 

「…ごめんなさい」

 

 でも、そうやって必死に言い聞かせて、決めつけているのかもしれない。

 私が龍の記憶(前世)を取り戻したのは、この山で先生に拾われた時のこと。ちょうど一歳だったらしい。今から数えて大体三年前か。

 打ち捨てられた私を先生はその手で抱き上げ、人肌の温度を教えてくれた。寒々しい灰色の世界を照らし、灯りとなる種火を私に(もたら)した。

 今でもあの時を鮮明に思い出せる。

 

 その暖かさは、先生が初めてではなかった(・・・・・・)ことも。

 朧げながらも知っていた原初の温もり。その根源が母か父か、はたまた全く関係のない他人かを、この先も知り得ることはないだろう。

 

 けれど、私が()を取り戻したあの時まで、そのか細い命の火が消えぬようにと篝火(かがりび)に木をくべ、吹きつける風から守ってくれた誰かがいたことは、決して潰えぬ聖火のように確かなことだ。

 

「よしよし、メッちゃんはえらいね。爪助(かぞく)のためによく頑張った」

 

 先生は優しい。とげ立った私の髪なんて気にも留めず、大らかな掌で頭を撫でてくれる。

 今の私には、貰った恩を有り難く受け取ることしかできない。恩を別のものに変えて返すのは、無知で無力な私には難しい。ヒーローになることが、はたして恩返しになるのかも分からない。

 でも、足踏みしながらの拙い恩返しを、この人はきっと喜んで受け取ってくれるだろう。

 結局のところ、私は先生がくれたものを甘受することしかできないのだ。

 

 だからこそ決別しなければならない。

 心すらも棘で覆い尽くしていた自分を。弱さをひた隠し続けていた涙もろい自分を。

 それらを棘として破り捨て、再び棘を身に覆い、飛び立たねばならない。

 越えるべき関門の前で右往左往していては、いつまでたっても成長は夢物語なのだから。

 

 

 

「にしても、ずいぶんと無茶をしたね」

 

 先程とは対照に眉尻を下げて苦笑を浮かべる先生は、私の右腕に残る刺し傷を見てそう言った。

 首の穴は塞がったものの、それ以上再生に充てる体内の蓄えが無いのか、依然として右腕の傷は治らない。

 幸い流血は止まっているので放っておいても大丈夫そうだが、今は消耗した体力の方が問題だ。

 

 愚かしくも外壁の破壊をしてしまったあの時に、人間に産まれてから初めて生やした“黒い棘”。あれに体力をごっそりと持っていかれた。

 本来なら時間をかけて形成するそれを、壁の破壊に際して一気に生やしたせいで、私に残された体力は底を尽きかけている。

 まぁ、それは食事で賄えるからいいとしよう。再生力だけは自慢なのだ私は。

 初歩的な棘の生え揃えまで遠のいてしまったが、いつかは白、黒、そして金剛に至ると確信している。だから今は筋力に重きを置いて鍛えていくことにしよう。

 

「問題ない。それより先生、刺々しい髪型の少年をここで見なかったか?」

 

 広場に勝己がいないことを不思議に思った私は、あの特徴的な髪型を頭に浮かべながら聞いた。

 

「それってこの前言ってたカッチャン君? その子ならレイちゃんに任せてるよ」

 

 もし怪我を負わせてしまっていたら、という不安は先生のあっさりとした返答で無くなった。

 ちなみにレイちゃんとは麗貴のことだ。

 

「目立つような外傷はしてなかったけど、念のため回復薬は飲ませたかな」

 

「そうか…何はともあれ、無事でよかった」

 

 回復薬とは、施設の中庭で採った薬草を磨り潰して調合した液状の薬のことだ。起きていないと人は液体を飲めないから、恐らく勝己は意識があって比較的安全な状態なのだろう。

 

「はいコレ、メッちゃんの分。来てすぐに粉塵も使ったけど、それだけじゃ足りないだろうから」

 

 先生から手渡された実物の回復薬をしばし見つめて、緑色の液体が詰められた瓶の蓋をキュポッと開ける。

 熔介から回復薬の存在を教わっていたが、私は実際に飲んだことが無かった。恐る恐ると中身を嗅いでみれば、後悔するほどの苦味がひしひしと伝わってきた。

 

 飲むというのかこれを。この苦汁(にがじる)を。はっきり言って恐ろしいのだが。

 い、いや、物怖じするな私よ。龍であった頃はこれ以上に不味いものを幾度と口にしただろう。肥えた舌を叩き直すいい機会だと思えば、少しは気が楽になる…かもしれない。

 

 急造の覚悟が揺らぐ前に、粘着質なそれを一息で胃に流し込んだ。

 

「お、大胆だねぇ。どっかの誰かさんはタジタジだったのに」

 

 先生の言う“誰かさん”がどんな人物なのか分からないが、なぜか眉間をしかめて頬袋いっぱいに苦汁を溜める龍成の顔が思い浮かんだ。

 

 なるべく舌にかからぬよう飲んだおかげか苦味は感じない。

 しかし、なんだか意識がふわふわとしてきた。これは…眠気だろうか?

 気付かぬ内に催眠作用の霧を撒かれていたのか…? あの男ならそれぐらいのことはしそうだ。まだ近くに潜んでいるかもしれない。

 

「先生、急に眠気が…」

 

 微睡む意識をこらえて言う。先生に眠たそうな様子は見られないが、警戒に越したことはない。

 

「えっ? …あ、ごめんメッちゃん、もしかしたら渡した回復薬ネムリ草入りのやつだったかも」

 

「ねむりぐさ…?」

 

「苦味が薄まるから子供用の薬には少量入れてるんだけど……そりゃ疲れてたら眠たくなっちゃうよね、ごめん…」

 

──あぁ、だから爪助は寝ていたのか。

 

 若干の焦りが見える先生を見て、どこか冷静な部分の私はそう思った。

 ネムリ草とやらが文字通りに眠りを誘う草なら、体力を消耗した今の私には毒だ。

 まったく心臓に悪い。いくら悪気が無いとはいえ、もう少し落ち着いて行動すればいいだろうに。いやその焦りの元凶が言うのはお門違いか。

 

 抗えぬ睡魔のゆりかごの中。最後に映ったのは、申し訳なさげな先生の紅い眼差しだった。

 

 


 

 翌朝。起きて早々に昨日の分の食事と風呂を済ませた私は今、急速な湯冷めを感じていた。

 

 高い体温を日常的に維持する私がなぜそんなことになっているかというと、両手足が氷に縛られた状態で空を飛んでいるからだ。行き先はとある樹海だそうで、先生曰くそこには私の師となる人物が住んでいるとのこと。

 背中と腰を凍らされている為、翼も尾も生やさせてくれない。無理矢理にでも生やそうものなら、麗貴によって氷の檻が更に厳しくなるだろう。

 

 そう。私は今、麗貴に凍らされた格好で空輸されていた。どんなに傷みやすい生ものでも安心だ。私は野菜じゃない。

 だがまぁ、施設の設備を壊してしまう問題児にはこれ(身じろぎすら許されないガチガチの状態)が妥当だ。納得はいかずとも理解はできる。麗貴も「溟人(しょくいん)の前で堂々と脱走した悪ガキにはそれがお似合いさ」と言っていたし、今は我慢するのみ。この冷たさと鼻の痒みは罰なのだ。なんともまぁ可愛らしい罰だな。

 

 ちなみに壁は築が直してくれている、らしい。

 らしいというのも何分(なにぶん)急ぎ足で施設を発ったので、人づてに聞いただけで直接目にはしていないのだ。「腕が鳴ります」と言っていたそうだが、築が作れる物の分野は些か広すぎるような。裁縫に料理ときて、建築までも扱うとは。衣食住が揃ってしまった。

 そういえば、スマホは無事だろうか。森では持っていなかったし、爪助の捜索中に部屋へ預けた記憶もない。恐らく壁付近に落ちてはいると思うが、壊れたりしていないだろうか。

 

『グルルア』

 

 氷の鎖で私を背中に繋いだ麗貴がこちらに振り向き、喉を鳴らして目的地へ到着した旨を伝える。

 ようやく存分に鼻を掻ける。と思ったのも束の間、今度は鼻水が垂れてきた。氷の仮面越しでも分かり易くぎょっとした麗貴は、鼻水で汚れるのは御免だと言わんばかりに氷の鎖を解いて、口先だけで器用に私を地面へと降ろした。

 

 うう、氷漬けとの温度差で頭痛が痛い……頭()()いとはなんとも違和()()じる文章だな。

 

 身に覚えのある鈍痛をこらえつつ、唐突だが話は三日前に遡る。

 

 


 

 

 

 ヒーローになると誓ったはいいが、私はその方法を知らなかった。思考を巡らせど答えは一向に掴めず、一日の終わりに差し掛かる時頃。

 

 浴槽から立ち込める湯気に曇った、風呂場の天窓。その磨り硝子に浮かぶ月をぼうっと眺めていると、喉が渇いていることに気が付いた。

 風呂場に入った時は左を差していた時計の短針も、今や真上に達しそうだ。

 軽い眩暈を覚えながら湯舟を脱し、脱衣所へ繋がる扉を開く。あがる前に水を切れという龍成の教えは、すっかり頭から抜けていた。

 

「あれ、メッちゃんたらまだ入ってたの?」

 

 脱衣所には先生が居た。こんな時間まで風呂に入り浸っていた私が言うのもなんだが、入浴時間の遅さが気になる。それほどまでに忙しいのだろうか? 普段はそんな様子を一片たりとも見せはしないが。

 私はそんなことを考えながら、入り口に敷かれた足ふきマットを踏みつけた。

 

 服の裾に手を回していた先生は、脱ぎかけていた服をやや不自然に着なおしていた。

 

「せんせ…」

 

 回らない呂律で呼びかけようとするも、急激な眩暈に思わず転びそうになる。

 まずい、頭まで回らなくなってきた。

 

「ちょ、大丈夫?」

 

 駆け寄ってきた先生に抱きとめられ、私は自分がのぼせたのだと理解した。当たり前といえば当たり前だが、湯に浸かっているだけで駄目になる体に、少し嫌気が差した。

 

「少し…のぼせてしまった」

 

「少しどころじゃないよ、体めっちゃ熱くなってる。急いで冷やさないと」

 

 そう言って先生は私を背負った。自分の服が濡れることも気に留めずに。

 

「私の部屋が冷房効いてるから、そこまで運ぶね」

 

「う…」

 

 仄かに香る白髪(はくはつ)の匂いに鼻をくすぐられながら、受け答えにならない言葉を返した。

 

 

 

「はいコレ、さっきレイちゃんがくれためっちゃ冷える袋。どう? 冷たすぎたりしない?」

 

 部屋に顔を見せた麗貴が先生に何か寄こしていたが、あれは氷嚢(ひょうのう)だったのか。

 手渡された袋をうなじにのせ、その冷たさに驚いてびくつきながらも言葉を返そうと口を開く。

 

「…大丈夫」

 

 ならよかった、と笑顔で返した先生は、飲み水を取りに冷蔵庫へと向かった。必要最低限の明かりであるからか、物が足に引っかかってこけそうになっている。

 そんな先生の様子を見ながら、漠然としたありがたさを感じ入る。入浴を中断させてしまったことを謝っていないのに、先生はなんの義憤も抱かず尽くしてくれている。湯気まみれの私を背負って、こうして部屋まで運んでくれるほどだ。

 龍成だったらここまでしてくれないだろう。それも(ひとえ)に昔の私が龍成にくっつきまわって離れなかったからだが。爪助と銀子を世話した身として、あの時の龍成の心労がよく分かった。

 

「九月でもまだまだ暑いからねー。地球温暖化はデタラメだって言う人いるけど、あれ絶対ウソだよね」

 

 先生らしい軽妙な話を聞きながら、貰った冷水入りのペットボトルを飲み干す。

 冷たい感覚が身に染みる。これが溟人の言っていた美味しい水というやつか。

 

「…」

 

 脱衣所で言いそびれてしまったことを口に出そうと、私は氷嚢を首から離した。

 

「アイス食べる? ちょっと食べづらいやつだけど美味しいよ。あっでも歯磨きは忘れないようにね」

 

「……先生。もう一つ、聞きたいことがある」

 

 夕方のように、はぐらかされないだろうか。そんな懸念を振り払って、私は先生と向き合う。

 

「?」

 

 控えめに首を傾げた先生の目を見つめる。

 どこまでも紅い瞳は揺るぎなく、私の言葉を寛容に待っていた。

 

「私はヒーローになる。しかし、どうすればヒーローになれるのか分からない。だから教えてくれないか」

 

 先生のおかげで熱が払われた頭をもたげ、私は改めて宣言した上で問う。

 

「ヒーローとは、何を志す者なのか」

 

 私が知りたいのは、免許の取り方でも個性の鍛え方でも人との接し方でもない。もっと簡潔で、根源的なもの。

 ヒーローを“英雄”たらしめる、心の在りようだ。

 

「そうだねぇ…」

 

 持っていたチューブ状のアイスを机に置いて、椅子に座った先生は頬杖をつく。

 暫くの静けさを挟み、緋色の目は私を見返った。

 

「“英雄とは、自分のできることをした人である”。昔の人の言葉だけど、的を得てると思うんだ」

 

 その言葉を頭の中で反芻する。

 自分のできること。私にしかできないことには、何があるだろう。

 

 溟人と麗貴が有する、水や雷、氷などの自然物を操る力。

 植物が好きな熔介のように、何らかの分野に対する熱量。

 衣服や家具を自力で作り出す、築のような手先の器用さ。これら全てが私には無いものだ。

 純粋な身体能力には一定の自信を寄せているが、かといって筋力は昂獅(こうじ)に匹敵するほどではないし、飛行も久巳(ひさみ)ほど長けている訳ではない。速さだって、爪助と銀子に振り回され追いかけるばかりだ。

 取り柄である他より優れた再生力も、まず棘が無ければ話にならない。戦闘に()けるほとんどの動きが棘の破壊を前提としたものばかりでは、今の私が誇れるものは何もない。

 

「そう卑屈にならないの。メッちゃんにしかないこともあるよ」

 

 まるで私の思考を見透かしているかのような先生の言葉に驚く。

 

「声に出ていただろうか」

 

「顔に書いてたね」

 

 顔に…? 確認しようにも鏡がない。ぺたぺたと頬を触ってみるが、手触りには何も違和感などない。

 

「っはは、例えの話だよ。落ち込んだ顔してたってことさ」

 

 先生は綻ばせた顔の口元を隠すように、そっと鼻先に指の節を触れさせる。

 のぼせた頭だからか、私は妖しげなその姿に魅入ってしまった。

 

「私はメッちゃんの力を、メッちゃんの次によく知ってるからね」

 

 一度隠された紅い瞳を再び覗かせた先生の、どこか含みのある言い方が不思議だった。

 

「何度折れても何度破られても、再び飛び立ち上がって棘を剥く。そんな不倒の精神は、“滅理”が思い描くヒーローにとって、いちばん大切なんじゃないかな」

 

「私が思い描く、ヒーロー…」

 

 私は自身の右腕に目を凝らす。

 物を掴むことに特化した人間の腕。それはまだ細く、棘を生え揃わせるには心許ない。

 腕だけではない。顎も翼も体躯も未熟さの塊だ。身の丈に合わない両角は、伴わない実力を浮き彫りにする弱さの証でしかない。

 そんな非力の権化とも言える今の私だが、こう捉えることもできる。

 

 成功していないからこそ、失敗に頓着しない。

 財産でも権力でも信頼でも、一度出来たものが崩れてしまわないかという不安は必ず生まれる。

 積み上げてきた成果が崩れ去ることを、人は誰しも恐れるのだ。それは私も例外ではない。

 しかし。何も得ていないのであれば、そんな不安とは無縁の身だ。

 失い頽敗(たいはい)することを失敗というのだから、失うものが無ければそれは失敗とはいえないのだ。

 

「大丈夫、メッちゃんならできるさ。百年でも五百年でも千年でも、私は見守ってるから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 右腕から目線を戻し、私は樹海の最奥に佇む影を睨みつける。

 

 心を入れ替えるのは、棘を破り捨てると同じようにはいかない。過去の栄光に足を捕られて、どうしても今を卑下してしまう。

 一度は失敗に挫けた。己の失態に嫌気が差した。

 だから、もう二度と立ち止まってなるものか。蹲って泣くものか。

 何かを成し得るその時まで、私は苦渋を味わい続けよう。

 愚直の化身のような私には、それが一番性に合っている。

 

 樹々の騒めきに身を強張らせ、()でたる黒狼に気炎を巻く。

 

 肉を食い破る牙。空を掌握する翼。数多の強者を捻じ伏せた腕。そして、尽くを威圧する大角。

 今ほど心強く思うことはないだろう。私の身体に巡る血を熱するように、心臓は早鐘を()いた。

 

「…娘。名を名乗れ」

 

 紫混じりの銀髪を陽に反射させ、男は鋭い眼光を突きつける。

 

「私は黒創滅理! (くろ)を創り(ことわり)を滅する、誇り高き紅雷の子龍(こりゅう)だ!!」

 

 角の重みは、いつしか無くなっていた。

 

 


 

 

 

 

 

 

 所変わって時戻り、すっかり夕焼けた空。

 

 寝こけた少年を交番に届け終え、麗貴は腰の職員用ポーチに手を入れる。

 取り出したのは、ヒーローだった頃によく使っていた仕事用の携帯端末。やたらと充電量の多いそれを久方振りに点けて、今回の下手人である男の素性を調べる。

 名前の上に添付された顔写真と記憶を照らし合わせ、この地域周辺の(ヴィラン)情報をHN(ヒーローネットワーク)で探る。男の情報は容疑者リストに記載されていた。

 

 

異空(いそら) (おさむ)25歳男性

身長:174cm

血液型:A

指紋サンプル:未

個性:ストレージ ── 物体を固有の異空間に出し入れできる

【概要】

・自身のみが干渉可能な異空間を持ち、中空に出現する穴を通して現実世界と物体の交換をする。

・対象となる物体はあらゆる固体,液体,気体であり、物理的な形を持たない音や光は対象外。

・微生物を除いた全ての生命体は異空間を認識できず侵入は不可能。

・穴は光を遮断する為、視覚のある生命体は空間にぽっかりと空いた真っ暗な穴から物体が飛び出したり、または吸い込まれたりする様子を視認する。

なお、死骸は生命体として認識されず、異空間への出入りが可能

 

 

 線が引かれた箇条に麗貴の目は留まった。

 男はその性質を利用し、殺害した女性の死体を運び、施設の建つ●●山へ投棄していたようだ。

 死体が発見されなければ罪には問われない。男の犯行も容疑止まりであったらしく、証拠を確認しようにも、山は白龍の領域である為警察の立ち入りが許されていない。龍ノ巣などと言われ煙たがられるぐらい施設への風当たりは強い。だから公安が観察員と称してエージェントを送り出したのだ。麗貴たち施設の職員にとっても、出処不明な人骨や服に度々困らされていた。

 これだけだと只の胸糞悪い事件で終わるが、麗貴はこの件に関して一つの突っかかりを覚えていた。

 

 爪助が脱走したのは、投棄された死体の腐臭を嗅いでしまったからだ。腐肉食のハイエナじゃあるまいし、スカヴェンジャーの真似事などしないでほしいところだが、そこではない。

 死骸が対象なら、なぜ爪助は今生きているのか。だがこれには答えがある。

 どうやら、爪助は“仮死状態”であったらしく、その為異空間への出入りができたのだと。

 

 麗貴にはそれが理解できなかった。爪助のそれは普通の仮死状態ではない。他者の個性が誤認するほど、ほぼ死亡している(・・・・・・)のと変わらないくらい精度が高い擬死だ。僅か2歳の子供ができる芸当ではない。そう進化した生物ならまだしも、“個性”は人間の持つ身体機能の延長に過ぎないのだ。

 それが防衛本能として組み込まれているのか、はたまた臨死体験などの偶然に依るものか。当の本人は「言われたことを聞いた」だの「声がした」だのと言っていたが、言葉の乏しい説明では理解に及ばない。

 

 あの人なら分かるだろうか。麗貴は思考の先を白龍に投げて、端末の電源を落とした。

 




オドガロン(爪助)の仮死設定は捏造です。過酷な瘴気の谷を生き延びる能力とこじつけました。
実際、あそこの主はガロンじゃないですしね。
何か意見がありましたら、感想にてお書きください。
こんな感じで捏造した設定やらを今後も小出しにするかもしれません。どうかお慈悲を

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