コナンくんがめっちゃ見てくる   作:ラゼ

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一話

 ゲームの世界に閉じ込められた……というのは、創作だと割とありがちなことだ。ソードでアートなオンラインしかり、ドットでハックなゲームしかり、オンラインゲームという概念が生まれてからはよくネタにされる展開だろう。最近ではゲームのアバターと能力を持った状態で異世界に転移──なんてのもよく見受けられる。

 

 しかし自分の身にそんなことが起こるなんて、想定している人は少ないだろう。かく言う僕もその一人であり、いまだにこの現状を受け入れられていないというのが本音である。

 

 『名探偵コナン 追想のプライベート・アイ』──このゲームは、これまでに発売されたものとは一線を画すクオリティの作品だ。大人の事情で収録できなかったサブタイや映画はあるものの、ほとんどのエピソードを収録したコナン総集編とも言える近未来型のVRゲームである。

 

 僕はその開発に携わる人間の一人で、完成間近のこのゲームを実際にテストプレイしていたのだが……『バツン』と嫌な音がしたと思ったら、ゲームの世界に入り込んで出られなくなっていたのだ。いや、正直なところ本当にゲームの中なのかも怪しいとは思っている。

 

 なにせ近未来型のVRとは言っても、脳波を読み取るだの首筋に機器を挿入するだの、そこまでイカれた仕様ではない。少なくとも、ヴァーチャルと現実を混同するほどのクオリティじゃないのは確実だ。

 

 (ひるがえ)って、いま僕の目の前に広がっている町並みはどう見ても『現実』だ。全ての質感も匂いもリアルそのもので、通行人だって『人間』だ。異様に目が大きかったりはしないし、頭身も普通で不自然な髪型でもない。アニメや漫画的な造形ではなく、ちゃんと人として成立した存在だ。

 

 それなのに、ゲームの中に入ってしまったなどと考えてしまうのは──単純明快、僕の姿が『自分』じゃないからだ。テスト用のモブキャラに近い容姿であり、特徴という程の特徴もない高校生男子アバター。

 

 元の体が特徴的かと言われればそうでもないが、とにかくこれが僕の体ではないことは確かである。元の年齢から、おおよそ十歳近く若くなった計算だろうか。

 

 そして軽く歩き回って調べたところ、地名などから『名探偵コナンの世界』という結論に至った訳だが……いったい僕はどうすればいいんだ? 本当にゲームの世界だと言うならば、どうにかして現実世界に帰りたいところだ。

 

 しかしゲームにダイブした時のあの奇妙な感覚は……なにかこう、生命に甚大な被害があったというか、ありていに言えば命がシャットダウンしたみたいな感覚だったというか。

 

 …考えると怖いのでひとまず置いておこう。というかこの体に関しても、正直あんまり考えたくない。これだけ現実感のある景色だというのに、どうも僕の体はアバターの設定を一部引き継いでいるようなのだ。

 

 まあテスト用のキャラに一々設定を詰め込んだりはしていないし、戦闘パートの調整は別の人間が担当していたので、最強のステータスを持っているとかそういう感じの幸運はなかった。

 

 ストーリーを円滑に進めるため、チートキャラ状態で確認をする……というのは個人製作のフリーゲームなどでよく取られる手法だが、この体がそんな特別性を持っているかといえば、残念ながら否だ。

 

 このゲームは犯人になることもできるし、被害者になることもある。となれば、フラグの確認や調整をするにあたって『無敵状態』なんてものは邪魔になってしまうのだ。

 

 ならば何に関してアバターの設定を引き継いでいるのかと言うと──“速度”である。フラグ管理を確認していた都合上、ちんたら進める訳にもいかなかったため、移動速度を引き上げてプレイしていたのだが……これがそのままこの体で出せるようになっているようなのだ。

 

 しかし素手で石柱を殴り砕く男もいるし、弾丸見てから回避余裕でしたな女子高生がいると考えれば、大した技能でもないだろう。というか日常生活を送るにあたって『足が速い』って、あんまりメリット感じないよね。社会人になってから全力疾走をしたことがあるだろうか? 僕はない。

 

 …まあそれはともかくだ。そろそろ現状の確認より、差し迫った危機をなんとか解決しなければならない。そう……僕はとてもお腹が減っていて、なおかつお金がないという由々しき状態なのだ。

 

 こういう時って、都合よくお金の湧き出る財布なんか持ってたりするもんじゃないの? 着の身着のままで戸籍もなさそうって、ヤバすぎて草生えるんですけど。いや、草が生えてるなら食いたいレベルでお腹が空いている。

 

 役所や警察を頼りたいところではあるが……それは最悪の最悪、餓死しかねない状態になってからにしたい。まったく身分を証明できない人間なんてのは、怪しいを通り越して拘束されかねないし。

 

 ホームレスの支援団体を訪ねるという手もあるが、あれもあれで『社会復帰の支援』という前提がある筈だ。自分が何者なのかというバックボーンは必要だし、僕には説得力のある過去がない。

 

 ──自分で言うのもなんだが、僕は割と図太い人間だ。いよいよとなれば、恥も外聞も気にせず行動できる自信がある。しかしここまで厳しい条件で生活するというのは、想像よりも遥かに難しい。

 

 日本で生きる限り、何がどうなったって食うに困るなんてことはないと思っていたが……それは戸籍という前提があってこそなのだろう。

 

 自分が生きた証という、当たり前がない恐怖はちょっとくるものがあるね。とにかく日雇い派遣にでも登録して日銭を稼ぐのが、手っ取り早い手段だとは思うのだが──それにしたって、最低限スマホがないと厳しいだろう。スマホの購入にあたっては当然のごとく身分証明となるものが必要だし、どちらにせよお金がない。

 

 なんとかスマホの本体を手に入れて、コンビニかどっかでプリペイドSIMを購入できれば……いや、電話番号の取得ができないから意味がないか。どれだけ適当な派遣会社だって、連絡手段がIP電話──その中でも、LINEなどの通話アプリしか持ち合わせていない人間を登録させることはないだろう。

 

 即日勤務可能だとか、履歴書や面接不要だとか、そういうのを謳っているサイトはあるが──ああいうのはなんだかんだで手続きに色々といるものだ。今の時代、スマホすら持っていないような人間はあんまり想定されていないものである。

 

 考えれば考えるほど手段が無いなぁ……いっそのこと、記憶喪失の振りでもして公的機関に助けを求めてみようか? 元の世界であればともかく、ここが本当にコナンの世界だというならば、記憶喪失はそれほど珍しい現象でもないだろう。言ってて意味不明だが。

 

「はぁ…」

「お兄さん、もしかして家出中?」

「へっ?」

 

 小一時間ほど噴水のある広場で思案していたところ、なにやら眼鏡の少年に声をかけられた。将来はイケメン確実の顔立ちな上、見知らぬ人間に物怖じせず近付いてくる陽キャっぷり……これはエリートのレールを敷かれた、ナチュラルボーン勝ち組ボーイですねわかります。

 

 しかしいきなり『家出中?』とはよくわからない質問である。ため息を何度も吐いていたのは自覚してるし、傍から見ればなんか困ってそうってのは子供でもわかるだろうけどさ。

 

「一時間くらい前にボクが通った時もここに居たよね? 人を待ってるにしては長すぎるし、もし待ちぼうけを食らってるならまったくスマホに触ってないのはおかしいよ」

「…それだけの根拠で家出中ってのは、ちょっと発想が飛躍しすぎじゃないかな?」

「それだけじゃないよ! お兄さん、何度もお腹が鳴ってるくらいペコペコなのにどこへも行こうとしないでしょ? すぐ近くに売店だってあるのに。つまり財布を落としたか忘れたか……それなのに焦ってる様子もないし、家へ取りに戻ろうともしてない。ダイエットする程の体型にも見えないよ?」

「お、おお……まぁ、そう、だね…?」

「服も靴も仕立てが良い上、新品みたいに綺麗ってことは、普段お金に困ってる訳でもない──つまり親と喧嘩でもして衝動的に飛び出したはいいけど、財布もスマホも忘れて困ってる……だけど、すぐに戻るのはバツが悪いってとこかな?」

「おおー! 君、子供なのにすごいね!」

「へへへ…」

「まあ全然違うんだけど」

 

 『えっ』って感じの顔をする少年。まあ今の僕の現状を言い当てられる人間なんて、超能力者くらいしかいないだろう。彼は推理が外れたのがよほど悔しかったのか、顎に手を当てて更に考え込んでいる。

 

 その仕草が幼いながらも様になっていて、ちょっと可愛い。しかしこの洞察力に高山みなみ声……あれ、もしかしてコナンくん?

 

 そんな偶然ってあるか? やっぱりここはゲームの世界で、何らかのフラグが立ったのでは……いやまあ、本当にコナンくんかどうかもまだ定かではないけども。

 

 彼が漫画的な容姿であるならばともかく、見た目は普通のお子ちゃまなのだ。青いブレザーに蝶ネクタイ、半ズボンでも着てるならまだしも、そうでもないのにパっと見で判る筈もない。

 

「まあ困ってるのは確かだけど、それを推理しようってのは無理だろうね……ああ、超能力者か魔法使いかSF作家ならいけるかも」

「じゃあさ、困ってるならボクに相談してみない? 意外と子供の方が良い考え浮かんだりするって言うよ?」

 

 困っている人を助けるのは当たり前──といった雰囲気が半分。そして好奇心が半分といったところだろうか。子供に話して解決する事でもないが、しかし彼がもしコナンくんだと言うならば話は別だ。頭の良さなんか僕とは段違いだろうし、なにか建設的な案を出してくれる可能性がある。

 

 もちろんゲームの世界だのアバターの姿だのといった、荒唐無稽な部分まで話すつもりはない。要は経歴の一切が存在しない人間が生活環境を整えることができるか、という問題をどうにかしてほしいのだ。

 

「そうだね、じゃあ少し相談に乗ってもらおうかな」

「うん!」

「あ、自己紹介がまだだったね……僕は久住直哉(くずみなおや)。親しい人にはクズって呼ばれてるよ」

「それホントに親しく思われてる?」

「もちろんさ。それで、君の名前は?」

「そ、そう……えっと……ボクは江戸川コナンって言うんだ!」

 

 あ、やっぱりそうなんだ。うーん……何か運命的なものが働いてるのか、それとも本当に偶然なのか。実はやっぱりキャラクターでしかなくて、高度なAIが僕との会話を可能にしているという線もあるんじゃないか? であれば、先にそっちを明らかにしておきたいところだ。

 

 チューリングテストという訳ではないが、もしAIならば会話のキャッチボールにも限界があるだろう。数学的な質問はAIの得意分野だから、答えが曖昧で漠然としていて意図の読めない問題を出せばボロが出るかもしれない。

 

「…相談の前に、一つだけ質問するから答えてくれるかい?」

「うん、いいよ!」

「あっちに可愛い女の子がいるのは見える? 自販機のところ」

「…? 見えるけど…」

「あの子が実は男の子だとしたら、それはどれくらいお得かな?」

「お兄さん、もしかして病院から抜け出してきたの?」

「失礼な! …まあでも、君が相談に足る人物だってのは理解したよ」

「いまので!?」

 

 うんうん、あんな抽象的な言い回し、AIには出来ないだろう。頭のおかしいやつ呼ばわりされたのは心外だが、とにかく相談するとしよう。

 

 ただ、どうぼかして話すかが問題だ……まずは『作り話』として語ってみるかな? 最悪の場合でも、冗談として誤魔化せるような感じで。

 

「そうだね、じゃあまずは……信じなくていいから、()()()()()()()っていう(てい)で話を聞いてくれるかい?」

「う、うん…」

 

 とりあえず、そうだな……二十代後半から高校生くらいに若返ったというのは、問題の解決案を出してもらうにあたって必須の説明だろう。現状を話すにあたって『あり得ない事態』という認識は持ってもらわないと、どうしても話に齟齬が出てしまう。

 

「えーっと……んー……そうだね。君は僕のこと、どのくらいの年齢に見える?」

「うーん……高校生くらいかなぁ」

「だよね。でも実はアラサーなんだ」

「そ、それは無理がありすぎない?」

「いや、肉体年齢はたぶん君の想像通りなんだよ。ただ色々あって十歳くらい若返っちゃってさぁ」

「…っ!?」

 

 …ん? 『何言ってんだコイツ』くらいの反応になるかと思っていたが、やたらと驚いてるな。どういうことだろう──あっ、そういやコナンくんってそもそも工藤新一が若返ってるんだった…! この件に関してだけ言えば、馬鹿馬鹿しい話としては片付けられない……か? もうちょっと考えて話すんだった、僕の馬鹿。

 

「あ、いや、さっきも言ったけど──取り敢えずそういう態で聞いてねって話だから」

「あ……う、うん! それで?」

「そう、それで……要は存在しない筈の人間が一人出来上がったって考えてほしいんだ。ええと──元の人脈、環境の一切を頼れないって条件で。無一文で生活環境を整えるってできそう?」

「それは……ちょっと難しいんじゃないかな」

「だよね……だから困ってるって訳だよ。これ程どうしていいかわからない状況ってのは初めてでさ」

「そっか…」

 

 与太話に近いこんな話を、真剣に考えている様子のコナンくん。ええ子や…! まあ『若返った』っていう部分が、少しばかり気になってるってのもあるだろうけど。

 

 むしろチラっと組織関連の情報を出して、養ってもらうというのはどうだろうか。案外いい手かも──いや、組織に関係してそうな見知らぬ人間を近付けるようなガバい子ではないか。

 

 ゲーム製作にあたって『名探偵コナン』は読み込んでいるし、コナンオタクを名乗れる程度には詳しい自負もある。マニアと言える程かはわからないが、何巻にどの話が収録されているかくらいはパッと出てくる。だからその知識を利用して大金を得る手段というのは、実のところいくつか思い付く。

 

 しかしいずれにしても元手がいるし、時期やタイミングがわからなければどうしようもない。烏丸蓮耶さん所有の『黄昏の館』に出向いて壁を削るというせこいやり方も浮かんだが、そもそもあの館どうなったんだろう。もし明るみに出たとしたら大ニュースとかいうレベルじゃないよね。地球上に存在する黄金のうち、何%を占めてるんだろアレ。

 

 というかまず今の時期はいつなんだ。どれだけストーリーが進んでいるかも知りたいし、そもそもここはサザエさん時空なのか? ちゃんと時間は流れているのだろうか。知りたいことが多すぎてこんがらがってきた。

 

 もし今の時期が、組織の大幹部ラムちゃんの動き出す前であれば……馬券を購入して儲けるという手段もある。単行本九十二巻の『江戸っ子探偵!?』のストーリーで、レースの情報がいくつか書かれていたからだ。

 

 『東京競馬場で行われる』『G1レースではない』『第七レースかつ、パイレーツスピリットの枠順が八番』『パイレーツスピリットの単勝倍率が百倍』──ここまでわかっていれば、前日の枠順発表を毎回確認してどのレースか特定することは可能だろう。

 

 あの回は馬の名前が『劇場版のタイトルを弄ったもの』で、印象に残っていたからよく覚えている。倍率は変動するからあれだけど、それ以外の情報でも充分だ……まあ結局のところ元手がいる訳だけど。

 

 うーん……うん、やっぱりスマホだなスマホ。戸籍や住民票、マイナンバーなどは“まとも”なところで働こうとすれば、税金の関係上必須だが──胡散臭い派遣会社程度なら問題はない。

 

 しかし連絡手段くらいは持ち合わせていなければ、最初で躓いてしまう。いっそのこと、コナンくんに『スマホ貸してください』って拝み倒してみるか?

 

 …いや、まともな神経を持ち合わせていれば普通は断るか。まあ毎日のように新鮮な死体とかちあっている人間が普通の神経かどうかは疑問だが。でも阿笠博士とか工藤優作さんなら、アシの付かない特殊なスマホぐらい用意してくれそうな雰囲気あるよね……まあちょっと犯罪チックだけど。

 

 …ん? 犯罪チック……待てよ、そう言えば──

 

「…あ」

「どうしたの? お兄さん」

「いや、少し用を思い出してさ。あー……そう、ちょっとした()()()()()()()()だったけど、付き合ってくれてありがとね。僕はもう行くから」

「ふーん……そっか。じゃあまたね、お兄さん」

 

 あ、凄い怪しまれてる感ある。ちょっと強引だったか? まあ隠したい事はあっても疚しいところはないので、変に疑われても別にいいっちゃいいんだけど。いや、でも今から行くところを知られるのはちょっと問題か? …まさか尾行とかしてこないよね。有り得なくはなさそうなのが少し怖い。

 

「じゃ、またねコナンくん」

「うん! バイバーイ!」

「…あっ」

「…?」

「──やっぱり、一つだけお願いしていいかな」

「…っ! …なーに?」

「電車賃、貸してください」

 

 ずでっとズッコケたコナンくんを支え、改めて両手を合わせてお願いする。神に誓って寸借詐欺などではないと拝み倒し、なんとか五百円玉を頂戴することができた。高校生が小学生をカツアゲしている図になっているような気もするが、背に腹は代えられん。流石にここから歩いて練馬区まで行くのはちょっとキツイ。

 

 ──じゃ、またねコナンくん。お金を返しに行った時、ちょうど殺人事件が起きてたとかだけはやめてね……うん、なんかフラグだった気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電車に乗って向かうは、練馬区にある『江古田高校』……黒羽快斗こと、怪盗キッドが通っている筈の学校だ。ここにきた目的は二つある。一つはキッドさんに脅迫という名のお願いをすること、もう一つは『小泉紅子』という魔法使いに会うことだ。

 

 前者については、『君が怪盗キッドってことは黙ってるからちょっと援助してくれませんかねぇ、げへへ…!』という相談をするため。アングラな部分を持つ彼なら、名義が曖昧なスマホの調達くらいお手の物だろう。脅迫が卑怯な手段というのは認めるが、他に頼れる人間がいないのだ。

 

 後者は……そう、彼女が『魔法使い』だから。僕の身に起こった超常現象について、科学とは別の視点で観測できないかという期待である。とはいえ『まじっく快斗』世界の小泉紅子は魔法使いだが、『名探偵コナン』世界では特別な能力を持ち合わせていないと、作者によって明言されている。こっちは望み薄と見ていいだろう。

 

 さて、時刻はだいたい四時過ぎ。一般的な高校生であれば授業が終わったかどうかくらいの時間だ。黒羽快斗が通っている高校は知っていても、流石に自宅までは知識の範囲外だ。できれば帰っていないことを願おう。

 

 目立ちたくはない──なんてことは特にないので、親戚を装って校内放送でもかけてもらえればそれでいいんだけど……まだ学校まで距離があるというのに、帰宅途中の学生をちらほら見かけるので少し遅かったかもしれない。でも明日出直すとなれば、今夜は野宿ということになる。

 

 電車賃が三百四十円だったから、残りの所持金は百六十円……飲み物が精一杯だな。やっぱり千円くらい借りときゃよかった。でもチラッと見えた限りでは、コナンくんもそんなに持ち合わせがなかったように見えたしな。たぶん小学生の常識の範疇に合わせているんだろう。

 

 …ん? いま聞き覚えのある声が聞こえたような……ぶっちゃけて言えば山口勝平の声が聞こえたような。声優にそこまで詳しい訳ではないが、仕事の都合上で知る必要があった人物くらいは覚えてる。

 

 それにコナンくんもそうだったけど、アニメの声優さんって地声も本当に『アニメ声』の場合が結構ある。特徴のある声と言い換えてもいい。だからこそ、その道に進んだという声優さんも昔は結構いたらしい。

 

 …あのイケメンが黒羽快斗くんってことでいいのかな? 少し幼い印象の女の子と一緒に歩いている……おそらくあの子が中森青子ちゃんだろう。

 

 しかしこうも容易く見つかるってのは──さっきのコナンくんとの出会いもそうだが、なにか運命力とか働いてない? 実はなんかの実験に巻き込まれてて、どう行動するかを逐一見られてるとかじゃないだろうな。

 

 はっちゃけて変なことをした瞬間に目が覚めて『はい、実験終了でーす。最低ですねあなた』とか言われたらどうしよう。いやまあ、流石にそんな技術はないと思うけど……ないよね?

 

 ──あ、女の子の方が男の子を『快斗』って呼んだ。呼ばれた方も青子って呼んだからもう間違いないだろう。となれば、ちょっくら声をかけてみるとするか。逢瀬を邪魔してごめんよ青子ちゃん。

 

「ごめん、ちょっといいかな?」

「あん?」

 

 不審人物扱いされるかなーとも思ったが、僕の見た目が高校生くらいなのが幸いしたのか、特に警戒されている様子はない。隣の彼女もはてなマークを浮かべているだけで、特に僕を怪しんではいないようだ……ありがたやありがたや。

 

 取り敢えず僕はそっと彼の耳に口を寄せ、いくつかのワードを口にし、人のいないところで話さないかとお誘いをかけた。

 

 すっと目を細めた快斗くんは青子ちゃんを先に帰らしつつ、くいっと顎で路地裏を指し示した。ちょっと怖いけど、まあ怪盗キッドって泥棒ではあっても強盗ではないからな。路地裏でボコられるようなことにはならないだろう。僕が先にそちらへ入ると、彼もすぐ後ろを追ってきた。

 

「…で? オレの正体がなんだって?」

「二代目怪盗キッドにして──怪盗淑女(ファントムレディ)と初代怪盗キッドを親に持つ、怪盗のサラブレッド……であってるよね。ああ、否定も肯定もしないで大丈夫。確信してるから」

「ほー……それをオレに聞かせて何がしたいってんだ?」

 

 もっと『ギクッ』とか『あわわ』みたいな反応をするかと思いきや、飄々とした姿勢は崩さない快斗くん。まじっく快斗のギャグ寄りな彼ではなく、名探偵コナン寄りのクールガイでミステリアスな感じ。二つの作品を比べると性格が割と違ってるんだよね。

 

「君の正体をバラされたくなければ──」

「…!」

 

 ──僕は彼の瞳を真っ直ぐ貫いて、その後に視線を下げた。そして両手の指先を地面につけ、追うように額を擦り付ける。いわゆる土下座のポーズだ。

 

「お金貸してください…!」

「脅迫か懇願かどっちだ!?」

「男の価値は頼られる回数で決まるらしいぜ。ここで一つ、男を上げてみないかい?」

「脅された回数が増えただけじゃねーか」

「あとできればスマホと、住むところも世話してほしいな。もし可能なら偽造戸籍とか……ありやせんかねぇ、旦那ぁ」

「無茶言うなよ……つーかお前はいったいどこの誰なんだ?」

「どこの誰でもない状態に、望まずなっちゃった男です。僕が存在した痕跡が一切ないから困ってるんだ……お金も恩も必ず返すから、援助してくれない? 怪盗なら多少は裏に通じてるだろ?」

「初対面の怪しい男に援助ねぇ…」

「頼むよ、ホントに…! 君が最後の頼みの綱なんだ! あとはもう、キッドの正体を新聞社に売るくらいしか…」

「やっぱり脅迫じゃねぇか!」

 

 なおも土下座を続けると、彼は『外で話すようなことじゃない』と言って家へ連れていってくれることになった。よーし、そこまでいけばこっちのもんだ。人の目を気にせず、思う存分土下座してやろう。

 

 それに時期が良ければ、さっき考えていた『競馬で一獲千金計画』が使える。『十倍にして返すから!』という、クソ野郎のお決まりムーブを実践できる貴重な機会だ。

 

 …時期といえば、そうだ。僕が知るよりもっと未来だとかいう可能性もあるのか? コナンくんが元に戻ってない以上、完結後ってことはないだろうけど。一応、怪盗キッドの活動内容で推測はできるか…? ちょっとさりげない感じに聞いてみよう。

 

「いやぁ、ほんと悪いね助かるよ」

「まだ援助するなんて一言も言ってねえぞ」

「まま、一緒に肩を並べて歩けばもう友達さ。そうだろ? 友よ」

「こんなに手を差し伸べたくないダチはいねぇよ…」

「じゃあさ、親睦を深めるために世間話でもしようぜ。んー……よし、じゃあ百円ライター豆知識でも一つ」

「どっから出てきたその話題」

「ライターを思いっきり壁や床に叩きつけると、爆発したり破裂することがあるよ!」

「なんつーどうでもいい話だ…」

「爆発といえば、ベルツリー急行で爆死しかけたことってある?」

「どんな繋げ方だ!? ──つーかそれ知ってるってことは、お前あのボウズの関係者か?」

「関係者かって言われると微妙だね。こっちが一方的に知ってて、実際に会ったのはついさっきだから……あ、でも──そう、今の僕ってあの子みたいな感じなんだよ」

「うん?」

「つまり……急に若返っちゃったみたいな? あの子みたいに小学生になったんなら、何もわからない振りして保護されるって手もあったんだけど──こんな中途半端な年齢じゃどうにもなんないんだよね」

「…そこまで知ってんのか」

「ホントに知ってる“だけ”さ」

 

 興味深そうに僕を見る快斗くん。いや、ホント知ってるだけで何が出来るって訳でもないからさ。でもまあ、これでベルツリー急行編は終わってると確認ができた……それと劇場版の事件が起きた可能性が高いってことも。

 

 怪盗キッドがコナンの正体を知ったのは映画が初出だし、コナンくん=新一くんという前提で会話しているのは、基本的に映画やゲームがほとんどだ。

 

 ふむふむと頷きながら表通りに出ようとしたら……快斗くんのスマホがプルッと鳴り出した。表情を見るに、たぶんさっき別れたばかりの青子ちゃんではなかろうか。

 

 心配になってかけてきたのかな? 良い幼馴染をもっていて羨ましい限りである……なんか電波悪くて会話出来てないみたいだけど。

 

「おい! おーい! なんだよ、電波ワリいな」

「都会の真っ只中だぜ? スマホの調子が悪いんじゃないの?」

「いや、さっきまでは普通に──」

 

 …ん? 待てよ、スマホの故障でもないのにこんな街中で通話が不安定ってことは……ちょっと嫌な予感がしてきた。えーと、ズボンの横のポケットには電車代の残りの小銭……上着のポケットには何もなしと。

 

 お尻のポケットには……あっ、眼鏡のツルが入ってる。これは阿笠博士謹製の小型盗聴器ですねわかります。ん……上着の裾にシール……やだ、発信機までつけられてるわ。

 

 ──え、ちょ、会話全部聞かれてた? おまっ、だっ……いくらちょっと怪しかったからって! 会ったばっかの人間に盗聴器と発信機つけるか普通!? 

 

 か、怪盗キッドの正体は……いや、黒羽快斗に繋がる名詞は出してないから大丈夫な筈だ。ええと、ええと……いったん深呼吸しよう。パニックになるのが一番まずい。

 

 まさかないよなと思いつつ、尾行されてないかは確認してたから、同じ電車に乗っていなかったのは確かだ。もし発信機を頼りに次の電車に乗って追いかけてきたなら、差は五分程度。

 

 追跡眼鏡の捕捉距離は半径二十キロだから、振り切った可能性はほぼゼロ…! でもちょっと急ぎ目に走ってきたし、僕と彼の歩幅差を考えると更に数分の距離は開いてる筈だ。

 

 ターボエンジン付きスケボーは……大丈夫、持っていなかった。もし盗聴器で僕と快斗くんの会話を聞いていたとしたら、まさにいま走ってこっちに向かっている最中だろう。

 

 立ち止まって会話していた時間を考えると、もうほとんど猶予はない。快斗くんは学生服を着ているから、目視された時点で正体に繋がる大ヒントになってしまう。

 

「──んじゃ、あっちに車を用意してるから行こうぜ」

「へ?」

 

 盗聴器と発信機を手のひらに乗せながらあわあわしていると、快斗くんが人差し指を口にあてながら、よくわからないことを言い出した。車なんか用意している時間はなかった筈──っとと。

 

 彼は僕の腕を掴み、僕が来た方向とは逆の方へ走り出した。いつのまにか薄い手袋を付けていて、そのまま眼鏡のツルと発信機をひったくっていった。

 

 そしてそれをトランプのカードにくっつけ、変な形の銃で打ち出し──見事に走行中の車へと貼り付けた。神業すぎて笑うわこんなん。『さっきコナンくんと会った』って情報と、僕の反応だけで察したのか? どういう想像力してるんだまったく。いや、助かったのは事実なんだけどさ。

 

「やー、なんかごめんね?」

「ごめんじゃねーよ、ったく…」

「いや、まさかちょっと話したくらいであんなの付けられるとは思わないじゃん。これに関しては僕の落ち度というより、あの子がおかしい。絶対におかしい。というか犯罪でしょ!」

「盗聴器も発信機も、他人につける程度じゃ犯罪になんねーよ」

「え、そうなの?」

「発信機の方はストーカー規制法に引っかかることもあるけどな。つっても、あのボウズが付けたんなら『ガキのイタズラ』で済まされちまうだろ?」

「くそう…! いつか少年法の改正を世間に訴えてやる…!」

「無駄に壮大だな…」

 

 彼に渡された帽子を被り、上着を脱いでパッと見の印象を変える。どこまで近付いてきていたかは不明だが、車と逆の方向へ行けばかち合うことはないだろう。取り敢えず窮地は脱したと見ていいかな…?

 

 ──しかし、借りたお金をどう返すかが問題だな……少なくとも『怪盗キッドの正体と江戸川コナンの正体を知っている』というのを知られた訳だし。

 

 封筒に五百円玉いれて、毛利探偵事務所のポストにでも突っ込んどけば問題ない……か? なんか殺人事件でも起きて巻き込まれる未来しか見えないけど。

 

 でも返さないという選択肢はない。必ず返すと約束したのだから、それを反故にするのはクズの所業だ。現在進行形で脅迫を行っている人間の言葉ではないかもしれんが。

 

 ──うーん……前途多難だなぁ、まったく。


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