コナンくんがめっちゃ見てくる   作:ラゼ

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今回の更新は一万字ほどの予定でしたが、アンケートの結果を尊重した結果二万五千字を越えてしまったので、時間のある時にゆっくりお読みください。


八話

 

 凧揚げ大会から一夜明けて、五月六日の午前七時。いつも通り、目覚ましが無くともバッチリ起床。体が別人に変わったってのに、そういった性質に変化がないのは不思議だよね。

 

 習性が魂にでも刻まれているのだろうか。よく考えると、脳みそだって本来のものじゃないんだから、思考と嗜好に変化がない時点でおかしいんじゃ……いかん、考えだしたら病みかねない問題だ。顔でも洗ってさっぱりしてこよう。

 

 洗面所に到着すると、気怠そうな様子で歯を磨いている哀ちゃんの姿があった。いつも眠たそうにしているアクビ娘だが、寝起きはもはやゾンビに近い。

 

 薄紫色のネグリジェが着崩れていて、少し肩がはだけている。この衣装、どっかで見たことあるな……ソシャゲかなにかだっけ?

 

「おはよ、哀ちゃん」

「ん……おふぁよ」

「昨日の『哀ちゃんが僕をなんて呼ぶのか選手権』だけど、夢の中で『碇くん』がトップに踊りでてきたぜ」

「どっから出てきたのよ」

「ほら、哀ちゃんの声って綾波に似てるし」

「あのねぇ…」

 

 有希子さんをナウシカネタで弄っていて判明したことだが、『声優と声質が似ている』ってのはそう珍しいことでもないようだ。

 

 まあコナンくん周りだけじゃなく、普通にそこらを歩いてる人もだいたいアニメ声だからな……そういう世界ってことなんだろう。元太くんと高木刑事の声がほぼ同じという部分にツッコミが入らないのも、そのせいかもしれない。

 

 つまり『声の似た別人』が多いということになるが、声紋鑑定とか大変そうだ。大変そうだなっていうか、高木刑事と元太くんの声は鑑定して区別可能なのか? 高山みなみさんとコナンくんの声も、別人として認識されるのか興味深いところだ。

 

 呆れた様子の哀ちゃんも、似ていること自体は認めているのか反論してこない。彼女は意外と漫画、アニメ、映画などの文化に詳しいのだ。

 

 コナンくんにラムのことを尋ねられて『だっちゃ?』と返すくらいには、古い作品にも精通しているようだ。ちなみに僕は高橋留美子先生のキャラなら、女らんまが一番好きだ。もちろん男が好きというわけではないが。*1

 

 あと少年探偵団の中でゲームが一番得意なのも哀ちゃんだしね。コナンくんが一番下手というのも公式設定だが、哀ちゃんはそれを彼が『子供相手に手加減をしてるから』だと思ってるらしい。乙女フィルター恐るべし。

 

「それにしても、休みなのに珍しく早起きだね」

「…別に。たまたま目が覚めただけ」

「伯母さんの話のせいで、あんまり眠れなかったのかな?」

「…っ! …気遣いのできない男は嫌われるわよ」

「気遣いで何も言わないのと、気まずくなるのが嫌で何も言わないのは違うと思うんだよね。それに哀ちゃんってクールに見えて意外とわかりやすいし」

「──勝手に人を理解した気になってるみたいだけど、見当外れもいいところね」

「そう? お母さんのお姉ちゃんに会ってみたいなぁ……って雰囲気だけど」

「…ありえないわ。その人にとって私は、姪であると同時に……毒の林檎を用意した魔女そのもの。いったいどんな顔して会えばいいっていうの?」

「笑えばいいと思うよ」

「黙りなさい」

 

 『なんであなたはそうなのよ』と口にしながら、僕の足の甲をかかとでグリグリしてくる哀ちゃん。スリッパを脱いでいるのは、せめてもの優しさだろうか。

 

 しかし『毒の林檎を用意した魔女』とは、相変わらずポエミィな女の子だ。夕陽を見て『世界を血に染める太陽の断末魔…』などと言うだけはある。僕のキザなセリフなんて、彼女のポエムに比べれば可愛いもんだろう。

 

 朝食をとりながら哀ちゃんの機嫌も取りつつ、更にへりくだりゴマをすり肩まで揉んで、医学の教えを請う。医者になりたいってわけじゃないんだけど、コクーンの理論を理解するにはそっち系の知識も必要なのだ。なんでゲームに催眠要素がいるんだろう。

 

 まあ僕が作るゲームに催眠術を使う気はないが、理想形に近いVRゲームがどういった理屈で動いていたかを知るのは、けして無駄にはならない筈だ。

 

 しかし専門書というのは、そもそも用語を知らなければ読めたもんじゃない。いちいち言葉の意味を調べても、それの説明にもまた専門用語が使われている……というのはザラだ。

 

 その点、哀ちゃんは天才科学者で医療にも詳しいし、わかりやすく噛み砕いて教えてくれる。理系の天才肌というのは、得てして人に教えるのが苦手というイメージだが……彼女はそうでもないようだ。むしろ自分の作業を進めながらも、チラチラと僕を気にかけてくれている。意外と世話焼き。

 

 いま読んでいる本の記述は『人体の構造と機能』についてだが、これまたとても興味深い。というか人間の頑丈さが、前の世界とまるで違っている。

 

 刃物に対してはともかく、打撃や衝撃に関してはそうそう大怪我にならないのが普通らしい。蘭ちゃんや京極さんが過剰防衛でしょっぴかれないのは、そういった理由からだろうか。

 

 『気絶』という状態は実のところかなり危険なのだが、こっちではそうでもないようだ。大きな壺で後頭部をぶん殴られても、意外と死なないのがこの世界の人たちである。そういやアニオリでは、耐久力お化けみたいなオジサンもいたっけ?

 

 鈍器で後頭部を殴られて気絶して、更に別の人間に後頭部を殴られて気絶して、更に更に別の人間から後頭部を殴られて気絶して、更に更に更に別の人間から後頭部を殴られてやっと死んだオジサンが。*2

 

 ──それと『人間が瞬時に眠る麻酔薬』という、神秘的な薬品の存在も確認できた。もちろん元の世界でもそういった薬品がないわけじゃない。

 

 しかし『人を数秒で昏倒』させるような薬ともなれば、そのまま永眠する場合もあるだろうし、そうでなくとも後遺症が残るに違いない。けれどこの世界には『人体に即効性はあるが後遺症は残らない』という都合のいい薬品があるのだ。

 

 布にクロロホルムを染み込ませ、人の口に当てて眠らせるというのは、現実の世界じゃ通用しない誇張表現だが……ここではキッチリ適用されるらしい。まあそのくらい都合が良くないと、毛利小五郎さんが薬物中毒になってそうだもんね。

 

「ふー……あれ、もうこんな時間か。哀ちゃん、お昼どうする?」

「博士もいないし、適当に店屋物でも頼みましょ」

「自分が当番だからって楽するぅ…」

「作りたいなら作ってもいいわよ」

「うーん……あ、それなら米花デパート行かない? 買いたいものもあるし」

「別にいいけど……買いたいものって?」

「哀ちゃんへのプレゼント」

「…? 貰う理由が思い当たらないけど」

「日頃の感謝ってやつだよ。眼鏡とエクステ、あと帽子をプレゼントしようと思ってさ」

「なによその変装セット」

「子供の頃を組織に知られてるのに、変装してないほうがおかしいと思うんだ」

「う…」

「まあ変装なんて大仰に考えなくても、イメチェンするぐらいの気持ちでさ。それに哀ちゃんはどんな格好しても可愛いし」

「よくそんな歯が浮くようなセリフ言えるわね…」

 

 呆れたように呟いてはいるが、満更でもなさそうな様子の哀ちゃん。まあ褒められて嫌な気持ちになる女性なんて、余程のひねくれものくらいだろう。

 

 人間ってのは上辺だけの褒め言葉でも、意外と気持ちは上向いたりするものだ。いわんや、僕のは本心だからちゃんと伝わってくれただろう。

 

 この前コナンくんとの会話に上がった、哀ちゃんが変装してくれない問題を解決するために、プレゼント作戦を考案してみた所存だが……悪くない感触だ。

 

 あとは変装姿を褒めちぎれば、いい感じにイメチェンしてくれることだろう。できれば髪も染めてほしいとこだけど、子供の染髪がバレると逆に目立ちそうだから提案しないでおいた。

 

「そういや博士、知り合いの古物商のところに行くって言ってたけど……何の用なんだろ」

「証拠品として押収されてたペルシャ絨毯が返ってくるらしいわよ。いくらで売れるか相談でもしに行ってるんじゃないの? 車も買い換えたいみたいだし」

「へぇ……まあ故障ばっかりだもんね、あのビートル」

「昨日あなたが乗れなかったの気にしてたから、それもあるんじゃないかしら」

 

 博士、優しっ。というかそのうち出ていくんだから、そこまで気を使ってもらうのが申し訳ない……もし身内認定とかされてるんなら、嬉しいけども。

 

 ちびっ子たちともずいぶん仲良くなったし、この家を出たあとでも遠出の際に誘ってもらえるなら、喜んでお付き合いさせて頂きたい──ん? いや、でもほぼ百パーセント事件起こりそうだから考えものだな。

 

 …それはともかく『押収されてたペルシャ絨毯』か。歩美ちゃんが誘拐された事件で出てきた高価な品物だが、原作で返却されてたかどうかは定かじゃない。

 

 しかし取り調べ、捜査、起訴がどれだけ順調に進んでも数ヶ月はそのままだし、普通に考えれば戻ってきてはいない筈。だからこれは『時間が進んでいる』影響だろう。

 

 原作では新一くんが子供にされてから半年だが、ここでは一年以上。単純に考えて、事件と事件の間隔は二倍になっているわけだ。

 

 それとなく聞いた『解決した事件の話』と、新聞やネットで調べられる限りの事件、諸々を総合すると『アニメオリジナル』の事件はほとんど起きていないと思われる。

 

 原作にあった服部くんとコナンくんのやり取りの一つに、『ひと月に解決する事件の数は多くても五件か六件』というのがある。

 

 しかし全てのメディアミックスを踏まえて事件が起きているとすれば、その数は数百件を超える……つまり『半年』という設定と矛盾してしまう。

 

 ただし服部くんの意見を採用して、この一年での事件解決数が五十件以上百件未満だと考えるなら……アニオリ回を除き、劇場版を数え、原作で『ストーリーが進んだ』といえる回を足せば丁度そのくらいだ。

 

 ちなみに原作より事件が少ないとはいっても、犯罪発生率自体は非常に高い。でも見た目上の治安は意外と良いんだよね。

 

 それは事件の種別が『怨恨による殺人』と『思想犯の大規模テロ』、この二つに偏っているからだ。それ以外の犯罪の数は、前の世界と大して変わらない。

 

 この世界の人間は沸点が低いのか、自制心がないのか、はたまた感情の振れ幅が大きすぎるのか……なんにせよ、ちょっとしたことで殺人を起こす可能性がある。

 

 つまり人の恨みを買うような行動や言動は慎んだ方がいいだろう。それくらい怨恨による殺人事件の比率が高く、結果として凶悪犯罪の発生率も高くなっているわけだ。

 

 『探偵甲子園』に出てきた高校生探偵たちを参考にしてみると、まだ未成年の彼らですら、解決した事件の数は三桁に届く。

 

『ボクは百件くらい事件解決したよ』

『小生は三百件』

『じゃあワイ五百』

 

 ──とか言ってるからな。新一くんが解決した事件を仮に三百件ほどだとしても、高校生四人で千二百件とかどうなってんだ日本。

 

 それと事件に対する警察の姿勢だが、現場の裁量が元の世界より遥かに大きいようだ。『名探偵コナン』という作品では、警察関係者以外の人間が現場をひっかきまわすのが当たり前となっているが──元の世界で本当にそんなことをすれば、やらかした人物は逮捕されかねないし、容認した方だって始末書が何枚あっても足りないだろう。

 

 しかし毎日のように事件が起こるとなれば、手続きが簡略化され規定も緩くなるのはむしろ当然だ。じゃないと上も下もパンクするのは間違いない……意外と整合性はとれてるんだよな、警察のガバ行動も。

 

「──ねえ、ちょっと聞いてるの?」

 

 …ん? おっと、思考に沈みすぎていたようだ。お出かけの準備を終えた哀ちゃんが、指先でちょいちょいとつついてきた。

 

 手を繋ぎたいのかと思って握ってあげたら、手の甲でピシャンと払われた……地味にショック受けるなこれ。昨日の世良ちゃんは気にしていなかったが、肩に置いた手を払いのけたのは酷かったかもしれない。次に会ったとき謝っておこう。

 

「ごめんごめん、ちゃんと聞いてるって」

「…じゃあ私がなんて話しかけてたか言ってみなさい」

「『ねえ、ちょっと聞いてるの?』」

「そ・の・ま・え!」

「『ん……おふぁよ』」

「どこまで(さかのぼ)ってんのよ!」

 

 うーん、気持ちのいいツッコミだ。いまのところ、コナンくんと哀ちゃんのどちらかが相方といっていいだろう。少し離れて世良ちゃんが続くものの、メアリーママのことを考えるとあまり距離を縮めすぎるのも問題だ。

 

 公安やFBIと違って、CIAやSISはあんまり人権を尊重するイメージがない。というか国益のためなら人の命はいくらでも軽くなるって雰囲気あるし。もちろんこの世界では意外と人権派なのかもしれないが、なんにせよ軽々しく信用を置いていい組織ではないと思う。

 

「冗談だって。なんて言ってたの?」

「やっぱり聞いてなかったんじゃない……プレゼントしてくれるのは嬉しいけど、お金は大丈夫なのかって聞いたのよ」

「ああ、ちょっとした臨時収入があったから大丈夫だよ。探偵業というかなんというか……事件を未然に防いだお礼で百万貰ったのと、あとママ活で百万」

「ママ活!?」

「コナンくんのママと楽しくお話して、お茶飲んで、ちょこっと情報を提供した見返りさ」

 

 まだまだ二十代で通用する、伝説の美人女優とのお喋り。もはやこっちがお金を払うべき状況だったが、まあ約束は約束。

 

 住居の方はまだ時間がかかりそうだけど、とりあえずのお小遣いをねだったら百万円も頂けたのだ。さすが、コナンくんの養育費として小五郎さんにポンと一千万を渡しただけはある。

 

 …はて、なにやら哀ちゃんが顎に指をあてて思案している。あまりにも古臭すぎる、ステレオタイプのアクションだ。可愛い。あと心なしかウキウキしているようにも見えるが、いったいどうしたっていうんだろう。

 

「…確認したいことがあるから、少し待っててもらえる?」

「確認?」

「ええ、確かいま米花デパートでフサエブランドの新作プレセールをやってた筈…」

「…貢がないよ?」

「毎日お話してるし、毎日お茶も飲んでるし、さっきちょこっと知識を提供してあげたでしょう?」

「パパ活やめて」

「──でも定期収入があるわけじゃないんだから、ちゃんと管理しないと痛い目見るわよ」

「タカるのか心配するのかどっちなのさ……まあ大丈夫だよ、そろそろ一つ目のゲームも完成するし」

 

 半月ほど作業を続けて完成させたゲーム。そう、僕だって遊んでいたわけではないのだ。まあ一から作るのは骨だったから、博士が試験的に作っていたゲームを改良して仕上げたものだが。

 

 作業をしていて気付いたのは、ソフトウェアの優秀さが元の世界の比ではないってことだ。ハードはそこまで変わんないんだけど、製作ツールのオートメーション化が著しい。

 

 時間のかかるモデリングやジョイントの作業がかなり容易になっていて、なるほどこれなら阿笠博士一人で製作できていたのも頷ける。

 

 そもそもそれなりのゲームを作ろうとすれば、分担する作業の数はえらいことになるんだけど……これならかなりの部分を省略できるだろう。というか元の世界に持ち込んだら廃業する人間が結構出そうだ。

 

「完成したからって売れるとは限らないでしょ?」

「そりゃ売り方によるさ。というか極論で言えば、ゲームが売れるかどうかってクオリティとあんまり関係ないしね」

「…? どういうこと?」

「『売れ続ける』には面白さが必須だし、リテール版なら話はまた変わるけど、僕が売るとしたらダウンロード販売だからね。気軽に買える値段で、買い切りかつ追加コンテンツ無し……そういう系統のは、どれだけ面白かろうとそのままじゃ売れない。販売開始した瞬間、すぐに埋もれる──最終ダウンロード数ゼロだってザラだぜ」

「…つまり?」

「上手い宣伝の仕方こそが、利益に繋がる。まあ普通はその宣伝費が問題なんだけど、僕にはコナンくんがいるから」

「頼る気まんまんじゃないの」

「持つべきものは人脈お化けの友人だよね」

「そのうち友達なくすわよ…」

「不思議と良くしてくれる友人が多いんだ、僕ってやつは」

 

 『君も含めてね…』とキザったらしく続けたら、鼻で笑われた。一応『名探偵コナン』の流儀に(のっと)って、キザなセリフを偶に発信しているのだが、いまのところ頬を赤らめてくれる女性は皆無である。もっとクサイ発言だってあるのに、なんで僕だけ笑われるんだろうか。

 

 首をかしげながら玄関を施錠し、哀ちゃんと連れ立って駅の方へ向か──おうとしたら、赤い車が目の前を横切ったあとすぐに止まった。そして運転席から姿を現すキャスバルさん……もとい沖矢昴さん……もとい赤井秀一さん。

 

 ──実は僕が博士の家に居候してから今日まで、彼と顔を合わせたことはない。何回かおすそ分けに来てはいたらしいが、僕がいないタイミングばかりだったのだ。

 

 いやまあ、偶然ではなく避けられてたんだろうけど。盗聴器で確認して、僕が居ないときを見計らってたのはまず間違いない。

 

 問題は、なぜいま姿を見せたかだ。このタイミングとなれば、昨日哀ちゃんに話したメアリーママのことを聞きたいってのが一番ありそうだが……安室さんに情報を流したのがバレて『ツラ貸せよ』的な用件だったら、ちょっと怖いな。

 

「おや、お出かけですか? よければお送りしますが……どちらまで?」

「米花デパートですけど──あ、初めてお会いしますよね。久住直哉です」

「ええ、お話は伺っていますよ。沖矢昴です」

 

 ふーむ……出会い頭に一発ボケてみたいところだが、世の中には弄っていい人間と弄ってはいけない人間がいる。彼は完全に後者だ。

 

 もちろん時と場合によってはからかうのもやぶさかでないが、今は止めておいた方がいいだろう。僕はちゃんと空気を読んでふざける人間なのだ。

 

「──実は僕も米花デパートに用がありましてね。行き先が同じとは面白い偶然ですが」

「わ、それは偶然ですねぇ。僕たちお昼ご飯も兼ねてるんで、よかったらご一緒しませんか?」

「…ええ、ぜひとも」

「やったね哀ちゃん、一食浮いたよ」

「当たり前に奢らせようとしてんじゃないわよ」

「いえ、奢らせてもらいますよ。()()()()今後ともいいお付き合いがしたいですから…」

「ありがとうございます。ほら、哀ちゃんもお礼言って」

「保護者面するのやめてくれない?」

「ほら哀、僕も一緒に言ってあげるから」

「彼氏気取りはもっとやめなさい」

 

 おっ、昴さんが『クッ…』と笑いを零した。これが『ククッ…』となればそこそこ気を許してくれた証となり、『ハッハッハ!』と言わせることができれば、世良ちゃんいわく魔法使いになれるらしい。ならば僕は更なる高みを目指し、彼を爆笑させて賢者になりたいものだ。

 

 助手席に乗り込み、とりとめのない言葉を交わす。道中でなにかしら探りを入れてくるかと思っていたのだが、意外とどうでもいい雑談ばかりだった。

 

 まあ哀ちゃんがいる前で変なことは言えないか。あと強盗や殺人や爆発やテロに遭遇する可能性も考えていたが、特に問題もなく米花デパートに到着することができた。

 

 しかし米花デパートの近くに『べいかデパート』があるってのは、なんか面白いな。読み方が同じデパートが近くに二つあるとか、不便この上ないだろう。確か前者ではシェフが刺され、後者ではロックバンドのメンバーが一人死んでいた筈。

 

 コナン世界のバンドやアイドルグループ、人死に過ぎ問題。まあリアルでも方向性の違いで決裂することはよくあるし、ここはいがみ合いがそのまま殺人の理由になる恐ろしい世界だ。何かしらのグループを結成した時点で、誰かが死ぬ覚悟くらいは皆してるんだろう。

 

「お昼にはちょっと早いし、先に買い物済ませちゃおっか。昴さんはどうします?」

「よろしければ、ご一緒させていただいても?」

「ええ、もちろん。哀ちゃんもいいよね」

「…自分の用事を優先してもらって結構よ? ──本当にそんなものがあるのなら、だけど」

「ハハ、これは手厳しい」

「ほらほら哀ちゃん、そんな刺々しくしないでさ。すいません、昴さ──ハッ…! もしかして僕と二人きりがよかったから、そんな態度を…?」

「ぜひご一緒して頂けるかしら」

「ええ、喜んで」

 

 あれ、僕がお邪魔虫みたいな感じになってる。ちぇっ、いいさいいさ。人気は高いけどアンチも多い人間同士で仲良くやってりゃいいさ。従兄弟(いとこ)同士(どうし)は鴨の味*3って言うし。

 

 でもこのことわざ、字面だけ見ると、兄と弟がよろしくやってるみたいでホモホモしいな。かといって『従姉妹(いとこ)同士(どうし)』にすると百合の花が咲きそうだし。鴨の味はLGBTだった…?

 

「さて、帽子の売り場はっと…」

「帽子は髪型が崩れるし、蒸れるからイヤよ」

「わがままな……じゃあヘアアクセでいい? シュシュかリボンあたりで──」

「それも子供っぽいからイヤ」

「子供では?」

「フサエブランドのバレッタ、いま新作が出てるのよね」

「諦めてなかったんだ…」

 

 コナンくんにフサエブランドのウォレット要求したり、佐藤刑事にフサエブランドのカバンねだったり、本当にこのブランド好きだな哀ちゃん。

 

 まあその二つは結局のところ手に入れてないみたいだし、僕への言動もちょっとした冗談だろう……ん? そっちはブランドショップ……え、本気で買わせる気なの?

 

 高価な品物を子供が親にねだったり、女性が彼氏にねだったりするのはまだ理解できるけど……哀ちゃんが僕に買わせようとするのはちょっと意外だ。

 

 多少は仲良くなったと思ってるけど、所詮はただの友人である。ホステスやキャバ嬢なみの図太さがなけりゃ、恋人でもない男にブランドものを買わせるなんてこと、普通はしないだろう。

 

 フサエブランドに限らず、哀ちゃんがブランドものやトレンディなものを好んでいるのは公式設定だ。

 

 しかし実際にそういったものを数多く持っているかといえば、そんなこともなく。女性誌を見てチェックは入れているものの、基本的に購入することはない。

 

 むしろその女性誌ですら立ち読みで済ませちゃうくらいに、博士のお財布事情を気にかける良い子だ。確かアニオリの『青虫四兄弟』でそんな描写があった筈。

 

 時々、学校の帰りにコンビニでファッション雑誌を立ち読みしてたんだっけかな……アニオリ事件がほとんど起きてないから、その設定が事実になっているのかは不明だが。

 

 ──彼女が組織にいた頃、金銭的な不自由はたぶんなかっただろう。あるいは常に感じていたストレスを、高価なショッピングで発散していたのかもしれない。

 

 いずれにせよそういったものが好きなことに変わりはなく、しかし今は居候の身ゆえに散財など出来る筈もない。そんな状況の中、タカりやすそうな同居人が大金を手に入れたと聞いて、少しばかり欲望が弾けたのかもしれないな。

 

 でも楽しそうにブランドものを眺める女児と、その後ろを付いて回る高校生っぽい男子に大学生風の男性……いったい周囲からどう見られてるんだろうか。

 

 誰一人として似たところがないので、年の離れた兄弟にも見えないだろうし。というか彼女、本気で僕に買わせる気なのかな?

 

 縦長のショーケースの上の方が見えず、爪先立ちで四苦八苦してる哀ちゃん。可愛い……じゃなかった、やはりここはしっかりと(さと)すべきだろう。

 

 自分で稼げもしない状況であるならば、清貧を心がけて暮らすべきだ。ましてや他人に貢がせようなんて、言語道断横断歩道である。

 

「上の方が見えないわね…」

「それはね、子供が背伸びして付けるもんじゃないってことを意味してるのさ」

「あら、私を子供扱いする気?」

「大人の女性ってのは、自分から高価な品物をねだるなんて()()()()()真似をしないもんだよ。つまりこの棚の商品は、君に相応しくないという──」

「ちょっと持ち上げてくれる?」

「はい!」

 

 哀ちゃんを持ち上げ、棚の上部に飾られたお高い品物を見せてさしあげる。まあこっちとしても『天才科学者』に貸しができるのはそう悪いことではない。

 

 打算的な考え方だが、そもそも人脈とは打算と友情が絡み合った代物である。たとえ畑違いの分野の人間であっても、優れた人物との交友は役に立ったりするものだ。けして哀ちゃんを抱っこしたかったから貢ぐわけではない。

 

 そんな彼女の様子を見て、横の昴さんが『ホー…』と謎の声を上げている。ジンさんもたまに使う、フクロウの鳴き声風の驚き表現である。『ほう…』とどういった違いがあるのかは不明だが、青山先生的にはきっと明確な違いがあるんだろう。

 

 それと、僕の行動に口出しする様子はまったくない。恋人の忘れ形見を守りたいという責任感はあっても、父性とかそういったものとは違うようだ。

 

 まあ守りたいからといって、女性を日常的に盗聴するのはどうかと思うけど。アンチがいるのはそういうとこだぞ、そういうとこ。

 

 『意外なものを見た』という雰囲気の昴さんに、哀ちゃんを抱っこしたままソッと近寄る。ある程度は会話もできたことだし、そろそろちょっとしたジョークくらいは許されるだろう。子供一人に寄り添う男二人、何も起きない筈がなく…

 

「ふふ、こうしてると夫婦みたいですね」

「…ちなみにどちらが()で?」

「どちらかというと()でしょうか」

「なるほど」

 

 どういう感情の『なるほど』なんだろうか。彼にツッコミを期待していたわけではないが、どうでもよさげに流されるのも悲しいな。ライバルの安室さんなんかは、バカボンネタにすら乗っかってくれたんだぞ。見習いたまえ。

 

 ──哀ちゃんが呆れた表情をしているが、買いたいものは決まったようで、可愛らしいバレッタを指差している。名残惜しくも彼女を下ろし、店員さんを呼んで包んでもらう。

 

 お高いっちゃお高いが、ハイブランドってわけでもないので、今のお財布事情なら問題はない程度だ。フサエブランドは価格帯の幅が売りの一つで、富裕層向けから学生に手が届くものまで様々らしい。今回購入したのはその中間くらいかな? お値段的に。

 

「これがパパ活をされた側の気分か…」

「ママ活をした側の気分とは違ったかしら?」

「いや、哀ちゃんと有希子さんに対しては意外と同じ気分かも」

「…? どういうこと?」

「つまり大喜利(おおぎり)風に答えるとだね──」

「なんで大喜利風に答える必要があるのよ」

「パパ活の気分とかけまして、干支の十番目とときます」

「干支の十番目……(とり)? …それが私と彼女になんの関係があるのよ」

「有希子さんとママ活をしたあとの気分。君にパパ活をされたあとの気分。それは酉を見たときの気分と似てるだろ?」

「…その心は?」

「このあとワンチャン()あるね!」

「棒に当たって死ねば?」

 

 暴言が過ぎるぞ哀ちゃん。しかし昴さんが『ふっ…』と笑い声を零したので、魔法使いまで一歩前進といったところだろうか。でも『クッ…』と『ふっ…』はどちらが上なんだろう。

 

「というかもう、あらゆる意味でドン引きなんだけど」

「なにが?」

「友人の母親とか小学生にワンチャンスを期待してるところが」

「『友達の母親』ってのは、オネショタ界隈において覇権を争う程ポピュラーなんだぜ」

「友達の母親なら、年齢的にオネエサンじゃなくてオバサンじゃないの?」

「…っ!?」

「どんだけ衝撃受けてんのよ」

 

 その言葉、いつか自分がオバサンになったとき後悔するぞ…! それに友達の母親が相手の場合、ショタが高校生以下なら『オネショタ』は成立するものだ……というか、オネショタという単語が通じててちょっと草。

 

 そういう知識はどっから仕入れてくるんだ? …まあ最近はオタクと一般人の境界なんて、あってないようなものか。元々オタク用語だったものがギャル語になってるのもザラだし。

 

 ──そんなやり取りをしながら会計を終え、包まれた品物を彼女へ渡す。頭から音符マークでも出てそうな上機嫌っぷりで、お礼を言ってくる哀ちゃん。

 

 これがゲームなら好感度が大いに上がったことだろう。ちなみに僕が作っていた『名探偵コナン』のゲームに恋愛要素はほぼない。

 

 何故かって? そりゃあ原作を見れば一目瞭然だろう。そんな機能を実装したが最後、NTRだらけになっちゃうからだ。メインキャラに準レギュラー、果ては一話限りの脇役まで、決まったカップリングの多いこと多いこと。

 

 決まってない人間など、哀ちゃんや世良ちゃんや歩美ちゃんのような負け確ヒロインズくらいである。えげつねえな…

 

「…ありがと」

「どういたしまして──と言いたいとこだけど、やっぱお礼の言葉だけじゃなんか足りないよねぇ」

「肩たたき券でもあげましょうか?」

「それは阿笠博士のほうが喜ぶんじゃないかな。僕はほら、『碇くん』って呼んでもらえればそれでいいから」

「妙にこだわるわね…」

「まま、今日中に一回だけでも呼んでくれたらそれでいいよ。好きなタイミングでどうぞ」

 

 でも哀ちゃんの言う通り、夢の中の出来事だってのになんかこだわっちゃうな……ふーむ……うん、きっと僕のゴーストが囁いたに違いない。

 

 中の人的に言えば、哀ちゃんの伯母が全身義体の少佐で、お姉ちゃんはタチコマである。ゴーストが一言や二言、囁いたとしてもおかしくはない。

 

 ──なんてことを考えていると、哀ちゃんが手持ちの荷物をこちらに突き出してきた。ああ、お化粧直しか……となると、遂に昴さんと二人きりになるタイミングができたわけだ。

 

 何か言ってくるとしたらここしかないだろう。へい昴さん、何か聞きたいことあるんならお安くしとくぜ……あれ? トイレ行っちゃった。

 

 …なんでだ? 実際はトイレじゃなくて哀ちゃんを追っただけだと思うけど……その意図が掴めない。彼女の護衛とはいっても、昴さんだって四六時中彼女に付きまとってるわけじゃない。

 

 FBIの仕事を優先するときもあるし、哀ちゃんが出かける度に追いかけてるってこともない。なのに、ほんの短い時間すら彼女から目を離さないあの行動……つまり僕に話があったから付いてきたんじゃなくて、哀ちゃんを守るために付いてきたことを意味している。

 

 この半月、僕が彼女をどうこうしようと思えばいつでもできた。だから『久住直哉との外出』を警戒して出てきたって線は薄い。となると、考えられるのは……おや? なんか視線を感じるな。まさか既に厄介な状況になってるとかじゃないだろうな。

 

 それとなく周囲を窺うと、店員さん二人がヒソヒソしながらこっちを見ていた。え、なに、僕なにかした? テナントとはいえブランドショップの店員なんだから、客相手にそういう態度はどうかと思うんだけど。

 

 ええと、そんな警戒されることしたっけかな…? よし、こういうときは一度自分を客観的な視点で捉えれば答えが出たりするものだ。

 

 (はた)から見た僕の姿……低学年の女児を抱っこしながら高価な商品を物色し、パパ活だのママ活だの言いながらブランドものをプレゼントする、兄妹でもなんでもなさそうな男。

 

 …まだツーアウトってとこか? とはいえ、それでも商品を購入した以上はお客さんだ。少しばかり怪しかろうが、まさか通報まではされまい。

 

 日本人なんてのは、基本的に事なかれ主義だ。仮に通報して間違いだったとなれば、大クレームに繋がる恐れだってある。そんなデメリットを押してまで行動するなんて、普通に考えてありえない。

 

 たまたま刑事が近くにいて、たまたま店員さんに声をかけようとして、たまたまヒソヒソ話が耳に入りでもしない限り大丈夫だろう。

 

 …ん? あっ…

 

「少し話を聞かせてもらってもいいかしら?」

「ナンパなら他をあたってください」

「違うわよ!」

 

 ちょっとオコな感じで警察手帳を見せてくる美女……ふむふむ……なるほど、佐藤美和子刑事。これもこのアバターの宿命なのか、原作キャラとかち合いやすい体質はなにかと面倒である。

 

 この場合、僕が運命に思考を操作されているのか、彼女が運命に導かれているのかどっちなんだろう。考えだすとちょっと怖いよね。

 

「警察の方でしたか。なにか御用でも?」

「男性二人が小さな女の子を連れまわしてたって、少し耳に入ったのよ。パパ活とかママ活とか、いかがわしい言葉も口にしてたって聞いたけど?」

 

 うーん……どうしたもんかな。哀ちゃんはすぐに戻ってくるだろうから、その時点で誤解は問題なくとけるだろう。佐藤刑事と哀ちゃんは面識ある筈だし。

 

 しかしそれまでに『はい身分証出して』とか言われたら面倒だ。身元を確認できない人間を見ると、警察ってのは凄まじくしつこくなるらしいし。

 

 ──ま、ここは口数少なめで聞かれたことだけに答えとくか。

 

「もう一人の男性と、その女の子はどこに行ったの?」

「トイレです」

「あなたは高校生?」

「いえ」

「あら、結構若く見えるけど……じゃあ大学生?」

「いえ」

「もう働いてるってこと?」

「いえ」

「どこから来たの?」

(いえ)

「…あんまりふざけてると痛い目見るわよ」

「ふざけてるわけじゃないんですが、学生でもなければ働いてるわけでもないので…」

「適当に嘘ついても、調べたらすぐわかるのよ?」

 

 眉間を揉みながら、イライラを隠せない様子の佐藤刑事……の後ろから、慌てた様子の男性がやってくる。もしかして高木刑事かな?

 

 顔立ちは整ってるのに冴えない感じ、なんとなくとっつきやすい雰囲気だ。佐藤刑事が私服だからプライベートだとは思っていたが、デート中だったのかしら。

 

「佐藤さーん! 勝手にどこか行かないでくださいよ……あれ、そっちの人は?」

「バンかけ中よ」

「やぁ、もしかしてデートの最中だったんですか? でしたら、ぜひそちらを優先なさってください」

「お生憎さま、不審人物を放置して休暇を満喫するような刑事はいないのよ」

 

 …え? いや、本人に向かって『不審者』は失礼すぎるだろ常識的に考えて。僕が高校生に見えることを加味しても、ちょっと言葉が過ぎるんじゃないだろうか。

 

「…いくら刑事さんとはいえ、本人を目の前にして『不審人物』は失礼すぎませんか? コンプライアンスのなってない警察なんて、反社会的勢力と何も変わりないと思いますけど。権力のある人間は、常に自らを律するべきではないでしょうか」

「ぐっ…! 今どきの子は口が達者ね……とりあえずなにか、身分を証明できるものは持ってる?」

「いえ。そもそも戸籍がないので」

「…ちょっと、あなたいい加減に──」

「家庭の事情で出生届が出されてないんですよ。親も親戚もいませんし。家裁に申請は出してますので、そちらへ照会かけてもらう以外に身分の証明はできかねます」

「…本気で言ってるの?」

「調べればわかるんでしょう? 現住所と電話番号くらいは言えますから、そちらで確認を取って頂いても構いませんが」

 

 『件の女の子は灰原哀ちゃんといいます』とか『阿笠博士という方の家に居候してます』とか言った方が良かったかな?

 

 なぜか嫌がらせのような感情が沸き上がり、少し辛辣な対応をしてしまった。別に警察が嫌いだとか、この二人が嫌いってわけじゃないんだけど……いったいなんなんだこの感情は。

 

 ──ハッ! まさかカップルへ『嫉妬』しているのか? この僕ともあろうものが。そんなバカな……でもこの二人、昨日の夜あたりに一発ヤったあとみたいな雰囲気を醸し出してるんだよなぁ。ペッ。

 

「…なにしてるの?」

「あ、お帰り哀ちゃん。昴さんも」

 

 戻ってきた二人を見て『えっ』っとなる佐藤刑事と高木刑事。哀ちゃんのことはよく知ってる筈だし、間違っても騙されてパパ活させられるような子ではないと判断するだろう。

 

 確か昴さんの方も『泡と湯気と煙』の事件で、高木刑事と面識があった筈。とはいっても会話した描写はほぼゼロだったけど。

 

「ええと……一緒にいた小さな女の子ってもしかして…」

「ええ、この子のことです」

 

 オラッ、謝罪だ謝罪! …というのは冗談だが、なんとか誤解もとけたようでなによりだ。哀ちゃんへの軽い質問等はあったが、特に問題もなかったし。

 

 この状況で洒落にならない冗談を言われたらどうしようとドキドキしていたが、さすがに彼女も空気を呼んでくれたんだろう。

 

 僕が阿笠博士の家に居候しているという話が出た時点で、完全に疑いも晴れた。持つべきものは社会的信用のある知人である。

 

「ごめんなさいね、変に疑っちゃって」

「いえ、こちらこそ変にふざけてしまって」

「さっきの謝罪返してくれる?」

「それより高木刑事、連絡先を教えてもらっても?」

「へっ? 僕の?」

「ええ、少年探偵団の皆から聞いてますよ。とても優秀な方だと」

「そ、そうなのかい? いやぁ、なんか照れちゃうな…」

「車としても財布としても頼りにできるって──」

「嘘だよね!?」

「あ、もちろん刑事としてもです」

「取ってつけたように…」

 

 ガクンとうなだれる高木刑事から無理やり連絡先を頂戴し、しっかりスマホへ登録する。融通がきいて、押しに弱く、でもやる時はやってくれる刑事さん……コネとしては上々だ。

 

 『名探偵コナン』に登場する捜査一課の刑事たちは、キャリア組もノンキャリ組も優秀な人だらけだし、繋ぎを作っておいて損はないだろう。

 

 自分に社会的信用が無い分は、地位のある知人友人を作って埋めといたほうがいい。ただでさえ犯罪の多い世界だし、戸籍が無いと何かにつけて疑われやすくなるのは間違いない。そんなとき現場の刑事と顔見知りであれば、問題が大きくならずに済む可能性は高いしね。

 

「いい性格してるわねアナタ……というか、家庭の事情とか戸籍の件はやっぱり嘘だったの?」

「いえ、それは本当ですよ。色々と複雑な事情があるので、苦労してます」

「…そう。あ、そういえばまだ名前を聞いてなかったわね」

「ああ、そういえば。どうも、久住直哉と申します」

「…偽名じゃないでしょうね」

「まあまあ、そう怪しまないでくださいよ。そんなのこの子に聞けばすぐわかるでしょう? ね、哀ちゃん」

「そうね、碇くん」

「ここで!?」

「署までご同行願います」

「悪ノリやめてくれます?」

 

 くつくつと笑いながら、僕を確保する振りをする佐藤刑事。まっ、これで多少の知己は得られたと判断していいだろう。米花町に住むうえで必要なのは警察とのコネって、それ一番言われてるから。

 

「じゃ、私たちはこれで……そういえば、あなた達は車で来てるの?」

「ええ、昴さんに車を出してもらって──それがなにか?」

「ほら、昨日の夜に首都高で大事故があったでしょ? だからってわけじゃないけど、運転には気を付けることね……原因もまだわかってないみたいだし」

 

 …首都高の大事故? このタイミングでそれが起きたのなら、安室さんとキュラソーのカーチェイスの可能性がある……しまったな、ちゃんと朝のニュースをチェックしとくんだった。妖怪ウォッチの再放送なんて見てる場合じゃなかったようだ。

 

 仲良さげに去っていく二人の背中を見送り、僕は昴さんの表情を窺う。ただでさえ凄腕の捜査官な上、変装までしているのだから内心など読める筈もない──が、その大事故の原因が僕の想像通りだとすれば、彼もまた事件に関わった可能性が高い。

 

 …どういうことだ? キュラソー関連でFBIが動いているとしても、その状況で昴さんが哀ちゃんの護衛を優先する理由は? 安室さんへの警告は役に立たず、物語の通りになってしまったのか? いや、それなら彼がここにいるのはおかしい。

 

 いくつかの可能性を考えつつ、予定していたレストランへと足を運ぶ。僕が珍しく真剣な表情をしてるせいか、哀ちゃんがなにやら訝しんでいる。

 

 ふーむ……まあ考えたところで僕にできることなんてないんだけど、心構えは重要だ。いざなにかあったとき、冷静に行動できるかどうかはそこで決まる。

 

 ──ん? 非通知で着信? …僕の連絡先を知ってる人間は、そんなにいない筈だけど。取得して間もない番号だから、怪しい勧誘ってのも考え難い。

 

 画面をフリックして応答し、声は出さずに相手の反応を待つ……すると、聞き覚えのあるイケボが耳に飛び込んできた。

 

『久住君か? …僕だ、安室だ』

「…どうもです。なにか御用ですか?」

『…この通話は大丈夫かい?』

「ええ、対策はしてます」

『それは助かる。実は昨夜、君の警告通りに賊が侵入してね……戦力は整えていたつもりだったんだが──結論から言えば、逃走を許してしまった』

「あむぴぃ…」

『それはやめてくれ』

 

 もー、あんだけ言っといたのにぃ……いや、言うほどしっかりは言ってなかったっけ? よく考えたら元のストーリーでも組織の誰かが来ることはわかってたんだし、『万全』といえるくらいの準備はしてて……その上でキュラソーが上をいったのかもしれない。

 

 それともやっぱり『変えられない運命』なんてものが存在しちゃってるのか? 僕が何をしようとも大筋に変化がないというのなら、やる気なくなるってレベルじゃないんですけど。ファッキュー、デスティニー。

 

「うーん……リストの内容とかも漏れちゃった感じですか?」

『いや、そっちは守り通せたよ』

 

 おっ、じゃあスタウトさんとかアクアビットさんの尊い命は守られたのか。まあ彼らの命が救われたところで、大幅な変化があるのかどうかは不明だが……結局は似たような結末に収束するんじゃないかという疑いが捨てきれず、投げやりな気持ちが抑えられない。

 

 この分じゃ、どうせ『バーボンは裏切り者だ!』→『やっぱりちゃうかったわ』ってなるんじゃないの? そうなると、やっぱりゲームの中って説もゼロじゃないって思わさ──

 

『──だが、僕が潜入捜査官だったことは組織に知られてしまった』

 

 あ、ファッキューって言ってすみませんでした運命さん。変えられない運命どころか、原作崩壊しすぎで草。これじゃもう、組織関連の未来知識はまるっとポイしなきゃ。

 

 まあすべてが上手くいくとは思っていなかったし、上手くいったらいったで原作は崩壊してたんだから、このくらいはね。

 

 さて、となると……ああ、なるほど。バーボンが裏切り者とバレてしまったなら、彼が調査していたすべてが疑いの対象になるわけだ。過去の事件で、組織は毛利小五郎さんに『FBIの協力者』という疑いをかけていた筈。

 

 それが本格的な調査へ繋がらなかったのは、ベルモットの意向に加え、バーボンが別口のついでに担当していたからってのも大きいだろう。

 

 それがなくなったいま、毛利小五郎さんに対する疑惑の再燃……そこからコナンくんへ飛び火、ひいては哀ちゃんへと繋がる可能性もなくはない。ちょっと過剰反応な気もするが、昴さんの行動も納得できる。

 

「それで、なぜ僕に連絡を?」

『君なら何か知っているんじゃないかと思ってね』

「流石に買い被りですよ。ドラマに出てくる情報屋じゃないんですから」

『…そうかい?』

 

 …少し含みがある言い方だな。うーん……ああ、僕がコナンくんと親しくしているのは前に見られたっけ。言外に『このままじゃコナン君にまで被害が及びかねないぞ』と言ってるわけだ。

 

 僕が毛利小五郎さん関連の事件、そしてそれに対する組織の姿勢を把握していることが前提の『含み』だ。

 

 つまり軽い脅しでもあり、僕がどこまで知っているかの試しでもあり、たぶんキュラソーを取り逃がした焦りでもあるんだろう。じゃなけりゃ、それなりに切羽詰まっているであろうこの状況で僕に連絡なんかしてこない。

 

「なんにせよ、状況を説明してもらわないと判断もつきませんが」

『…昨夜の首都高の一件は、奴を追った際に起きたものだが……最後に海へと落下してから、奴の消息が掴めない。死体が上がってこない以上、生きているのは間違いないんだが…』

「もう逃げられたんじゃないですか?」

『いや、かなり大規模な警戒線を敷いている。少なくない傷も負わせた……まだ網の外側に逃がしてはいないだろう。仮に組織が救出しようとしていても、何らかの動きくらいは掴める筈だ』

「…落下地点を詳しく教えてもらえますか?」

 

 ふむふむ……なるほど、かなり広範囲に網を張っているようだ。もちろん原作でキュラソーがいた東都水族館も範囲内だが、捜索する優先順位としては低いんだろう。

 

 容姿端麗な外国人がボロボロな状態となれば、目立つなんてもんじゃない。人気のない場所や廃屋、倉庫などで回復を待っているとあたりを付け、探し回ってるに違いない。

 

 ──もし物語通りにキュラソーが『記憶喪失』に陥ってるとすれば、水族館の入口付近のベンチでポケーっとしてる筈。盲点と言えば盲点なのかな? まあ本当にそうなってるかどうかは不明だが、一応伝えるくらいはしといた方がいいだろう。

 

 ただし『推理をした』という言い訳は必要だ。安室さんに対しても、そして目の前でジッと僕を見つめている二人に対しても。とりあえずカバンからタブレットを取り出し、キュラソーが落下した地点を調べる。

 

 そして周辺の地理や潮の流れ、()()()()()()()()()()()などを調べる様子を昴さんにも見せて、考える素振りを演じた。コナンくん相手だったらこんなのすっ飛ばせるんだけど、面倒なものだ。

 

「…東都水族館はもう調べましたか?」

『水族館? そこはまだだった筈だが……そんな人目に付くところに潜伏するとは思えないな』

「根拠は後ほど説明しますので、まずは人を向かわせてもらえますか?」

『…ああ、わかった』

 

 一旦通話が切られたスマホから耳を離すと、哀ちゃんの少し不安気な表情が見て取れた。直接的な単語は一切出していないが、彼女は勘のいい子だ。組織関連のごたごただと察したのかもしれない。

 

「…いまの電話、なんだったの?」

「ああ、間違い電話だったよ」

「そんなわけないでしょ!?」

「いやぁ、自分を捜査官だと思い込んでる異常者との会話は疲れた…」

「それで誤魔化せると思ってるの?」

 

 まあ誤魔化せるとは思ってないけど。とはいえ、僕はコナン君のように『哀ちゃんを組織関連の事件から遠ざけたい』とは思っていない。

 

 彼の優しさはとても尊いものだと思うけど、哀ちゃんは生まれからして組織と無関係ではいられない人間だ。いつまでも蚊帳の外ってわけにもいかないだろうし、いつかは向き合わなきゃいけない問題でもある。

 

 そもそも彼女、コナンくんにすらまったく情報を渡してないからな。僕が彼に伝えた情報だって、哀ちゃんにとっては既知のものがいくつかあった筈だ。

 

 僕の行動によってコナンくんがますます組織へ近付いた事実を受けてなお、彼女は動かない……組織への恐怖に縛られて。

 

 哀ちゃんが持つ組織への『恐怖』とは、『自身の死』よりも『身近な人を失ってしまうこと』が比率としては高い印象を受ける。

 

 それはおそらく、組織に姉を殺されたトラウマから来てるんだろう。彼女が持つ情報をコナンくんにすべて渡せば、事態が急速に動く可能性は高い。

 

 でもそれを選ぶと、良い方にせよ悪い方にせよ『結末』が訪れる。仮初とはいえ今の平穏な生活……それを終わらせる踏ん切りが付かないってわけだ。しかしそれを責めるのは酷だし、責めるつもりもない。

 

 ただ僕は……状況を考慮して情報を絞ることはあっても、彼女の心情に配慮して情報を取捨選択するつもりはないということだ。覚悟を決める時間を待つよりも、きっと状況の方が先に動くから。

 

 そして僕は僕で、この危険な状況に対してアクションを起こす必要がある。真剣な表情で哀ちゃんを真っ直ぐ見つめて、先程から考え続けていたことを口に出す。

 

「──哀ちゃん」

「…っ、なに?」

「予定より早いけど、そろそろ阿笠博士の家を出ていこうかと考えてる」

「…! …まさか『友人を危険から遠ざけるために距離を置こう』──なんてヒロイックなこと考えてるんじゃないでしょうね」

「え? いや、君たちが危険になりそうだから先に距離を置いとこうかと…」

「ぶつわよ」

「冗談冗談、これでも友情には篤いほうなんだ。最後まで付き合うさ」

 

 ジト目の哀ちゃんをからかっていると、またもや非通知の着信が入った。大した時間も経ってないのにかかってきたってことは、やはりキュラソーは入口付近で呆けていたのかもしれない。画面をタップして耳に当てると、驚きと称賛が混じったような声で、安室さんが彼女の確保を伝えてきた。

 

「お役に立てたようでなによりです」

『…なぜ居場所がわかったのか、教えてもらってもいいかな? ──それと、君は奴が記憶喪失になっているのを知っていたのか?』

「まさか。ただ可能性の高い場所は既に手を回していたでしょうから、少し突拍子もない推理をしてみただけです」

『ほう……それはいったい?』

「以前、彼女の情報を提供した際『色彩を利用した特殊な記憶術を持っている』と話したのを覚えてますか?」

『ああ、事故現場からスマホと一緒に五色のカードを引き上げているが……それのことかな』

「ええ、それです──というか、スマホ手に入れてたんですか?」

『大した手掛かりは掴めなかったけどね。組織の幹部が持つ情報端末は“飛ばし”のスマホなんかよりもずっと秘匿性が高い……ただ、ラムに僕が待ち構えていたことをメールで知らせていたのは確認できた』

「直接対峙するつもりだったんなら、逃げられたときのこと考えて変装くらいしましょうよ…」

『…それについては判断ミスだったよ』

 

 赤井さんとかも、見せ場になると謎に変装といたりするからな……きっとコナンワールド特有のムーブなんだろう。快斗くんみたいに秒で変装できるならともかく、メイクに時間がかかる人たちは、安易に顔バリバリしないほうがいいと思うの。

 

 というか『こいつに変装してくれ!』って画像見せられただけで、完璧な変装できちゃう快斗くんっていったいどうなってんだろ。いつか教えてもらおう。

 

「まあそれは置いといて、彼女の記憶術は先天的な脳の異常構造によるものなんです」

『ふむ…』

「いくら落ちたのが海面とはいえ、高所からの落下は相当な衝撃を伴います。ましてや爆発に瓦礫と、死んでもおかしくはない状況です……頭部に大きなショックが加わった可能性は高い」

『…それだけで記憶喪失になったと考えたのかい? 根拠が少し弱すぎないかな』

「いえ、それだけじゃありません。事故現場の近くには東都水族館がありますよね? そこの新しいアトラクション『弐輪式観覧車』は、夜に美しくライトアップされます……とても強い光を放ちながら、何色にも変化して。大きさを考えれば、園内に入らずとも光は視界に映る」

『…!』

「元々あった脳の異常性に加えて、強い衝撃、朦朧とした頭に飛び込んできた強烈な閃光──元より色彩を利用した記憶術を使っていたのなら、突発的な記憶障害を起こす可能性はゼロじゃない……まあ普通なら考慮にも値しませんが、あなたが見逃すとすれば、そのくらい突飛な推理の方がいいかなと思いまして」

『…』

 

 少し間を置いたあと、ふっと笑いながら『君は恐ろしい男だ…』と口にする安室さん。やだ、コナンくんへ行く筈だった評価がぜんぶこっちにきてるわ。次回から『迷探偵クズミン』になるのかしら。ギャグマンガ枠になってページ数が減りそうだな…

 

『しかし記憶喪失とは厄介なことになった……まともな状態であれば公安の施設に送ることもできたが…』

「専門的な治療が必要な場所に移送するとなると、隠すにせよ守るにせよ難易度が跳ね上がりますね……とはいえ、記憶を取り戻してもらわないことには尋問もままならない」

『ああ』

「…真正面から迎え撃つのは無理なんですか? 公安(あなた方)だけであればともかく、他の部署を動員すれば充分に勝算はあると思いますが」

『…君は……──』

「…? すいません、なにか変なこと言いましたか?」

『──いや、なんでもない』

 

 なにやらこちらを訝しむ雰囲気を感じたが……なにかおかしいこと言ったかな。キュラソーの奪還に組織が動くとすれば、それを警察が迎え撃つってのは普通の考えだと思うんだけど。

 

 そりゃあ凄腕のスナイパーがいたり軍用ヘリを動かしたりと、恐ろしい組織だとは思うが……『警察庁』や『警視庁』といった機関の総合的な戦力は、黒ずくめの組織なんて目じゃないくらい大規模なものだと思う。桜田門組は日本を守る良いヤクザなのよ。

 

『戦力で言えば君の言う通りだろう。しかし奴らは、自らの痕跡を消すことに長けている。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「ふむふむ…」

『“人を裁く”というのは、意外に難しいんだよ。特に法治国家である日本ではね』

「うーん…? …あっ、なるほど」

 

 人を裁くには『罪』が必要となる。それを明確にするには時間がかかるし、痕跡を消すのが上手い組織相手に対しては、捜査も時間がかかるだろう。仮にジンさんを捕まえたとして、『なんの罪』が適用されるかという話だ。

 

 逮捕に至る経緯にもよるし、銃撃戦で死者が出たとかなら終身刑や死刑も有り得るだろう。しかしただ見つけたから捕まえたとなれば、精々が『銃刀法違反』くらいか?

 

 自白はまずないだろうし、その程度の罪であればいずれ釈放される。というか逮捕、起訴、裁判、控訴、上告……馬鹿みたいに時間がかかったりするその間に脱獄されそうだ。

 

 公安が秘密裏に捕まえたのなら、いくらでもやりようはあるんだろうけど……組織を制圧するために機動隊などを動かしてしまえば、公式の会見などを行う必要も出てくる。

 

 そうなれば、当然その一件は『正式な捜査』に切り替わってしまう。つまり『人権』が犯罪者を守る盾として機能するのだ。その時点で違法な捜査、尋問はほぼ不可能になるだろう。

 

 SNS全盛のこの時代、いくら公安といえど偽装や暗躍にも限界がある。組織を根本から潰すには、ある程度は違法な捜査にも手を染めなければならない都合上、表舞台での決着は互いに避けたいというわけだ。

 

 トカゲの尻尾を裁いてハイ終わり……そういうわけにはいかないから、公安だけで対応する必要がある──ってことでいいのかな?

 

『…君の態度に嘘は感じなかったんだが……そうなると、ますます『久住直哉』の正体が気になるところだ』

「えっ?」

『犯罪組織への対応、それについてまわる“しがらみ”。時には悪を見逃す判断も迫られる……諜報員や潜入捜査官にとって、常に向きあわなければならない問題だ。しかし君はどうも、そういった事情には疎いようだからね』

「や、だからそういうんじゃないんですって」

『…まあ今は置いておこうか。それより今日は助けられた……戸籍の件は前向きに検討しておくよ。法務省にもそれなりの伝手はある』

「あむぴ!」

『だからそれはやめてくれ』

 

 やったぜ、棚からぼたもちとはこういうことだろう。まあ政治家なみに曖昧な言い方だったから、何かあればすぐ反故にされるだろうけど。

 

 それでも大きく前進したと言えるし、場合によっては競馬の稼ぎも必要なくなるかもしれない……いや、それはそれとして億馬券は狙うけども。

 

 でも今はそこにかまけている暇はない。バーボンの裏切りによって、毛利小五郎さんの周辺がどのくらい危うくなるのか……状況によっては本当に避難する必要だってあるだろう。

 

 しかし下手に動けば逆に目立つし、FBIに護衛依頼なんてしようものなら、毛利小五郎さんへの疑惑は確定的になる。難しいものだ。

 

 哀ちゃんにも言ったが、僕はみすみす友人を見捨てるようなことはしたくない。こうなった以上は最後まで付き合うし、少しくらいは力になれることもあるだろう。

 

 それに今回の安室さんとのやりとりで、僕は多少の『発言力』を得た。原作知識による根拠の明かせない助言であっても、そう無下にはされないと思う。

 

 自分を実態以上に有能に見せるのは、後々に困ることもあるだろうが……いまこの時期に限っては、勘違いしていてもらった方が都合もいい。

 

 もしキュラソーの記憶が『観覧車』を見ることでしか戻らず、物語通りに公安が彼女を東都水族館に連れていくのなら、先程の会話を踏まえて多少の絵図は描いてみよう。

 

「もし彼女をまた東都水族館へ連れていくことになったら、ご一報いただけますか?」

『…それは奴の記憶を復活させるために、我々がそうするだろう──という意味かな』

「病院の治療で回復、あるいはカードを見せたり観覧車の光と似たものを用意するだけで記憶が戻ればいいんですが……そうでなければ『引き金となった光景』を見せるために、あなた方が動く可能性もあるのではと」

『…なるほど、ありえない話じゃない。しかしそれを君に伝える必要があるのかい?』

「表沙汰にできない以上、使える戦力は限られるんでしょう? 彼女を動かすということは、敵にとって奪還のチャンスでもあります。記憶を失った際の状況を再現するのならば、その時は夜……闇の中であれば、奴らも多少の無茶はする筈です」

『へぇ……その言い方だと、足りない手駒を君が提供してくれるように聞こえるが』

「繋ぎを作る程度であれば、協力できることもあります。()()()()()()()(じつ)を取るかはお任せしますが」

『…公安がFBIの手を借りるべきだと、そう言いたいのかい』

「ええ。それで足りなければもう一つあてもあります。もちろんその際は、公安(そちら)の方針が優先されるよう手を尽くします」

『──君は……本当に掴めない男だな』

 

 すべてを裏で片付けたいというならば、非公式に動いている組織に協力してもらえば合理的だろう。他国の機関とはいえ、元から『組織を潰すため』に潜入してきた構成員なわけだし。

 

 FBIの方は、そもそも安室さんと赤井さんの確執さえなければ、公安との協力体制はむしろ意欲的な筈。そして『もう一つ』……MI6に関しては、世良ちゃんを通してメアリーママに繋ぎを取ることが可能だ。

 

 もちろん日本に潜入していることを公安に知られるのは困るだろうが、彼女たちに関しては『アポトキシン4869の解毒剤』という餌がある。

 

 そして交渉を始めた時点でMI6の入国そのものは知られたと解釈するだろうから、彼女たちが公安に協力する際のデメリットは『どの程度の規模で潜入しているか』を公安に把握されてしまうこと……まあ構成員をすべて投入するようなことはないだろうけど。

 

 なんにせよ、交渉そのものが軽い脅しとしても機能する。いくらイギリスの秘密警察とはいえ、ここは日本。公安のホームだ。日本には他国のスパイに対する刑事罰が少ないものの、相手が密入国をしているのなら取れる手段はいくらでもある。

 

 しかし非公式ながらも協力体制を築けるのなら、彼女たちはそこに釈明の余地が生まれたと判断する筈。日本側としても、MI6を公式に拘束して英国との関係を悪くするよりは、裏で取引をする方がよほど利益になる。協力してもらえる可能性は大いにあるだろう。

 

 …なんか僕、ホントに裏のフィクサーみたいになってんな……ま、今だけの辛抱だ。通話の切れたスマホを耳にかざしたまま、二人を見る。ちなみに先程の会話、僕の方からは固有名詞を一切出していない。

 

 昴さんならともかく、哀ちゃんには何がどうなっているかの判断はつきにくいだろうが……キュラソーに関しての情報は彼女も知っている。少なくとも、組織関連のことだったのは理解できた筈。

 

「…うん、じゃあまたね光彦くん」

「そんなわけないでしょ!?」

「じゃあどんなわけだと思ってる?」

「…っ! それは…」

 

 意地悪な質問だが、さっきも考えていた通り彼女も無関係ではいられないと僕は思ってる。哀ちゃんが知っている組織の情報は、安室さんもほぼ把握しているとは思うけど……それでも彼女の力は必要だ。

 

 特にアポトキシン4869の解毒剤は、現状だと哀ちゃんしか作れないわけだし。メアリーママとの交渉材料にする以上、少しばかり多めに作ってもらう必要もある。

 

 僕の意図を察したのか、昴さんが制止しようと動いたが──僕もそこは譲れない。

 

「…彼女の“領分”を決めるのは、あなたじゃないですよ」

「…! …しかし君でもない」

「ええ、ですから選択を委ねようとしています」

「…むしろ誘導しているように見えるが」

「否定はしませんが、当事者が逃げたって何も解決しない。なにより……逃げるつもりなら、最初から証人保護プログラムを受け入れた筈です。哀ちゃんはもう知ってるんですよ、逃げてばかりじゃ勝てないって」

「…! …ええ、そうね。逃げるだけじゃ勝ちの目なんて見えてくるわけがない…!」

「…!」

 

 うむ、哀ちゃんの決心を促した歩美ちゃんの名言『逃げてばっかじゃ勝てないもん! ぜーったい!』だね。というか逃げるのが嫌だから証人保護プログラムを拒否したのに、ぜんぜん勝負しようとしないその姿勢がアンチに隙を見せてるんだぞ哀ちゃん。

 

 あと昴さん、もう関係者なのを隠す気もない感じだな……まあ元から意味深な発言ばっかしてるし、哀ちゃんだって『姉の彼氏』だったとは知らなくとも、関係者であるとはほぼ確信してただろう。

 

「というかなんの関係もない僕が付き合ってるのに、哀ちゃんが逃げるのは普通におかしい。せめて死なばもろともだよね」

「ちょっと」

「じゃなかった、せめて運命共同体くらいにはなってもらわないとだよね」

「『僕が君の盾になる』くらい言えないの?」

「時代は男女平等だぜ」

「道徳と倫理は、女性と子供を優先してるわよ」

「僕はアジア人で、ゲイで、ユダヤ教徒だ」

「ポリコレを盾にしろとは言ってないんだけど」

 

 うん、これで哀ちゃんも肩の力が抜けただろう。恐怖を克服するためには覚悟が必要だが、覚悟を持続させると精神がすり減るものだ。

 

 今すぐ身に危険が及ぶわけじゃないんだから、日常はリラックスして過ごすべきだろう。そういった配慮であれば、僕は惜しまないつもりだ。

 

「…で、やっぱりアナタも関係者だったってわけね。正体は教えてもらえるのかしら?」

「いえ、それはご勘弁を」

 

 ジトっと昴さんを見つめる哀ちゃん。別に言っちゃっても構わない気がするけど、まあコナンくんも『知っている人が少ないからこそ、秘密は秘密足りえる』って言ってたしな。

 

 それに哀ちゃんからすれば『組織へ潜入するためにお姉ちゃんをコマした男』と言えなくもない。そのへんも考慮して昴さんは黙ってるんだろう。

 

「ま、事態が動くとすれば明日か明後日あたりだろうし……今から緊張してても仕方ないでしょ。今日は今日で楽しもうぜ」

「いったいどういう神経してんのよ」

「ほら、最後の思い出になるかもだし…」

「意外と参ってたのね…」

 

 そりゃ僕だって荒事に慣れてるわけじゃないし。それでも普通の人より恐怖が少ない理由があるとすれば、まだどこかで現実じゃないことを疑ってるからだ。

 

仮に死んでも『戻れる』可能性が少しはあるんじゃないかと……そう都合よく思ってしまう自分がいるからだ。

 

 ──ま、だからといって進んで死ぬ気もない。できる限りの手は尽くすつもりだし……それに、コナンくんや哀ちゃんが死んだら悲しいもんね。できるだけ頑張ろう。

*1
TS好きはホモではないという主張

*2
死因:心臓発作

*3
従兄弟同士が夫婦になったときの相性の良さは、鴨肉の味のように良いものであるという意味


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