少年とウマ娘たち - ススメミライヘ -   作:ヒビル未来派No.24

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前回のあらすじ:病院から抜け出した玲音は、"スぺ”が見つけて保護された。

・UA208,000~218,000を突破してました。ありがとうございます! UA数やっていない間にめっちゃ増えてて嬉しいです!(一年かかっているけど!! それでも見てくださり、そして待ってくださり、本当にありがとうございます!!)

・さぁ、重く暗いシリアスは終わりだ(迫真)


お見舞いに訪れる人たち

 長い長い、夢を見ていた気がする。

 なにもかも狂って、壊れて、ぼろぼろになって、生きる気力すら失くしてしまうような。そんな夢。

 

 しかし、再び目を開けたことによって、それが現実だということを思い知らされる。俺の視界に広がったのは見たことがある天井。病室の天井だった。

 

 右腕には点滴が打たれている。いや、それだけじゃない。明らかに前まではなかった包帯など追加で巻かれている。

 

 痛みはないはずだが、身体が動かしずらい。

 

「……ここは」

 

 病室だと分かっているのに、首を動かして周りの状況を把握しようとする。すると、左側に薄紫の何かが映る。それが気になって、さらに身体を捩ってみると、そこにいたのはマックイーンだった。

 

 ぎゅっと左腕を抱きしめていて、その頬には涙を浮かべていた痕があった。

 

 あれからどれほど時間が経ったか分からない。それでも彼女はずっと傍にいてくれたんだろうと、勝手に想像してしまう。

 

 空いた右手で頭を撫でようとしたが、点滴が邪魔で届かなかった。ただうっすらと指先がウマ耳に触れたのか、耳がぴくっと動く。それと一緒に、うーんとうめき声をあげ、顔を少しずつ上げる。

 

「……れ、おん、さん?」

 

「……おはよ、マックイーン」

 

 寝ぼけているのか、まだとろんっとしているマックイーンの瞳とその表情を見て、自分はどういう顔をすればいいのか分からず、苦笑で挨拶をする。

 

 少しずつ覚醒していくのか、ウマ耳が横から少しずつ立ってくる。しかしそれと同時に、その瞳からは涙が溢れてきて、がばっと抱きしめられた。

 

 いつもじゃ絶対聞かないような大きな泣き声が、病室に響いた。

 

 その泣き声を一つ一つ聞く度に、胸が締め付けられるような気持ちがした。そうか、自分はここまでマックイーンのことを、苦しめていたんだ。

 

 もし、本当にあの時死んでいたら、マックイーンは今以上に……いや、考えるのはやめよう。

 

「あなたは! どれほど、わたくしの心を乱せば!」

 

「……ごめん」

 

「謝ればいいことじゃ、ないですわ……バカ」

 

 大声をあげて怒鳴った後、急にしゅんっと語気が弱くなる。とんっ、とんっと、とても弱く胸を叩いている。俺はそのまま、彼女の頭を撫でることしかできなかった。

 

 しばらく泣き続け、ゆっくりとマックイーンが離れる。

 

「もう、あんなことはしないでくださいね。あなたが傷付いて喜ぶ人は、貴方の周りには誰もいないのですから」

 

「そう、だな。ネットではどんなに言われていても、俺には関係なんだもんな」

 

「そうですわ」

 

 俺は少し笑い、マックイーンは安心させるかのような優しい笑みを浮かべる。

 俺にとって大切なものは何か。それを少し、履き違えていたのかもしれない。

 

 スズカは助かった。多くの人には恨み言を言われても、その事実は確かにあるんだ。それにネットは俺の居場所じゃない、今ここが、この周りが俺のいるべきところなんだ。

 

 顔の見えない誰かなんて、気にしなくていい。

 そんな風に思っていると、扉ががらりっと開いた。するとそこにはフルーツの盛り合わせを持ったスp──。

 

「玲音さーーーん!!!!」

 

「ぐへぇ!?」

 

「ちょ、スペシャルウィークさん!?」

 

 自分の姿を見たが否や、フルーツの盛り合わせを持ったままスぺがこっちに飛びついてきた。反射でなんとも情けない声が出てしまう。

 

 尻尾をぶんぶんっと回して、耳をぴょこぴょこさせている。よっぽど嬉しいのだろう。あ、でもダメだなんか今ミシッて聞こえた。

 

「スペシャルウィークさんそれ以上やると玲音さんがまた折れますわ?!」

 

「あっ、す、すみません!」

 

「い、いや、大丈夫だよ」

 

 今ばかりは痛みを感じないこの身体に感謝する他ない。

 

 スぺはゆっくりと力を弱めて、身体を離す。そしてフルーツの盛り合わせを近くのテーブルに置いて、また自分に向き合った。

 

 話を聞くと、なんでもスぺが河川敷で倒れている自分の事を見つけてくれたらしい。メジロ家の追跡すら自分を特定できなかったのに、なんでできたか聞いてみると、なんでも勘らしい。

 

 なんともスぺらしくて、マックイーンと二人で笑った。スぺは真剣だったからか少し膨れっ面になってしまったが。

 

「そうだスぺ、スズちゃんはどう?」

 

「スズカさんはもう目覚めてますよ、近い頃にはリハビリも開始できるだろうってお医者さんが言ってました」

 

「それはよかった。俺はどれくらい寝てた?」

 

「一週間くらいですね」

 

「そっか」

 

 あの逃避行も含めると、かなり自分は時間を無駄にしていたらしい。ただでさえ少しきつい学生トレーナー業、この休みで取り返さないといけないことは多くありそうだ。

 

 それにやっぱり、俺のせいで今年のスピカはチームとしての活動ができなくなっている。そのことについては全力で謝りたい。

 

「主治医曰く、だいぶ無茶をしてしまったせいで、全治はおよそ12月中旬か下旬になるらしいですわ」

 

「まぁ、今思えばなんとも無茶したなぁ」

 

「骨折していたのにすごいですよね玲音さん」

 

「そうですわね。ランナーズハイみたいなものだったのでしょうか」

 

 怪我している人があそこまで動けたことに疑問を抱いているようだ。

 主治医は俺が感覚鈍麻になっていることは、マックイーンにも伝えていないらしい。そりゃそっか、そこまでになると守秘義務というものも多分生まれてくるんだろう。

 

 まぁでも、怪我を感じないからって、油断をしちゃダメだ。この前の逃げ出した時に想像以上にぼろぼろだったことで、下手すると命の危険があった。感じないだけで、ゲームに例えてしまえばHPはあるのだ。しかもブラインドされていて実質縛りプレイに近い。

 

 いのちたいせつに……それが俺のこれからの作戦になるかもしれない。

 

「まぁともかく玲音さん、ちゃんと安静にしてくださいね」

 

「年末にはスピカで忘年会をする予定ですから、それまでに直してくださいね!」

 

「あっはは、努力はするよ」

 

 そうしてもう少し雑談した後、マックイーンとスぺは病室を後にした。

 

      ***

 

 こういったところに来るのはいつぶりでしょう。と、私グラスワンダーは玲音さんの入院している病院へ行くまでの道中、心の中でそう考えます。

 

 玲音さんの家にお邪魔した後でしたから、一ヶ月以上は経っているでしょうか。まさか私がお見舞い側に回るとは、到底思っていませんでした。

 

 とはいえ、私は彼の所属しているチームのウマ娘ではなく、ましてやクラスメートでもない。あの時観察していたこと時を除いて、私と彼は赤の他人。

 

 正直、自分自身あの人のお見舞いをする資格なんてないと思います。でも、スぺちゃんと話す度に必ず彼とスズカ先輩のお話を聞きます。特にこの前は目覚めてよかったととても喜んでいました。それを見て私は、なぜだかもやもやとした気持ちがめぐってしまいます。

 

 そして気が付けば、私はトレーニングが休みの休日に、外出届を提出して病院へと向かっていました。美浦寮長であるヒシアマゾン先輩も、何か察してくれたのかすぐに了承してくれました。誰かと行く訳ではなく独りで、フルーツを幾つかスーパーで買って、道に行き交うカップルや夫婦の人たちを横目で見ます。

 

 そういえば今日はいわゆるクリスマス、母国のアメリカではキリストの生誕祭というイメージですが、日本では恋人の憩いの日というイメージらしいです。バレンタインやその他諸々、日本という国は異国の文化を取り入れながら自分達の文化も作っていく、面白い国だなと思います。そんなことを考えているうちに、私は病院へと辿り着きます。

 

 病院の場所は知っていて、受付に学友のお見舞いだというと、快く谷崎さんのいる病室を教えてくれました。独特のエタノールの匂いに嫌気を指しながら、エレベーターに乗って7階へ。そして降りてから番号を一つ一つ確認しながら向かうと、やがてその病室に辿り着く。

 扉の前まで立って一呼吸し、前髪を少し整えてから3回優しくノックする。

 

「どうぞ」

 

 扉越しに聞こえる、その声に尻尾を揺らすことを止めることができない。久々というほどでもないはずなのに、どうしてこんなにも鼓動が早くなるのでしょうか。

 

 扉を開けると、そこにいたのは病床に座っている玲音さんの姿でした。窓を開けているのか、冷たい風が吹きつけています。

 

 外に出ていた恰好で出た私ですら、少し寒く感じてしまいます。それに対して、病床に座っているはずの彼は身震い一つも起こしていませんでした。

 

「あれ、グラス? なんでここに?」

 

「スぺちゃんから色々お話を聞いて、他の野暮用があったので、そのついでにお見舞いに来ました」

 

 嘘です。私はここに来るためだけに外出しています。しかし彼は何も疑問に思うことはなく、そっかと言ってから、こっちに身体を向けてくれます。

 

 その時に気付きました、彼にはあのレースの事故でできた傷だけではない、明らかに新しい痣や傷が付いていることに。

 

「玲音さん、その傷は?」

 

「ん? あぁ、ちょっと色々転んだりしてね」

 

「痛まないんですか?」

 

「軽いものだから大丈夫だよ、あ、ここ寒いよね? 窓閉めよっか」

 

 私が返事する間もなく、彼は立って窓の傍まで寄りました。その動きはとてもスムーズで、とてもあの事故を受けた人間とは思えませんでした。

 

 確かに身体が丈夫な人というものはこの世界には大勢います。それこそチーム・スピカのトレーナーさんはスぺちゃんや他のウマ娘の渾身の蹴りを蹴っても、骨折一つしていません。

 

 でも、彼は普通の人間です。それはこの前自転車の時に怪我をしてたのを見て、手当をした私が分かっています。むしろ消毒液で苦悶の表情を浮かべるほどなら、痛みに弱い方なはずです。

 

「……」

 

「ん、どうした?」

 

 まだ会って、たったの数十秒しか経っていない。私の考えすぎかもしれない。でも、その違和感は考えれば考えるほど、彼の身に起きていることが、大きなことなんじゃないかと不安になる。

 

 視線を外すと、ガラス瓶に入った花がありました。ハーバリウム、だったでしょうか。誰かが彼のために用意したのでしょう。水色の花が綺麗で──頭の上に温もりを、感じた。

 

 思わず視線を戻すと、いつの間にか距離を詰めていた玲音さんが、私の頭を撫でていました。

 

「な、なにを…」

 

「なんかウマ耳が垂れ下がっていたから、心配かけたかなって」

 

「だ、だからって女の子の頭を無言で撫でますか……?」

 

「なははっ、普通にダメだな」

 

 そう苦笑しながら離そうとした、玲音さんの手を私の手はがしっと掴んでしまいます。それも、無意識に。

 

「ちょ、グラス?」

 

「も、もう少し、お願いします…」

 

 そのまま無言で、無音で、ただただ私の髪の毛と彼の手が擦れる音が響きました。

 

 彼の手はそんなに大きくないのに、とてもぽかぽかしていて、自然と心が落ち着くような、なんともほわほわしたような感覚になります。

 

 だからこそ、さっきは言い出せなかったことも、自然と口に出ました。

 

「痛み、感じないんですか?」

 

 そう言った瞬間、彼は少し驚いたような表情になりました。しかし手を止めることはなく、そしてどこか諦めたように笑った。それ以上は何も言いませんでしたが、それが肯定なのだと受け取ります。ならこれ以上は、私から言うことはやめましょう。あ、そこちょうどいい…。

 

「そっちはどう? 多分次は有だよね」

 

「そうですね、脚の調子は悪くありませんし、調整もしっかり出来上がっていると思います。しかし慢心するつもりは、毛頭ありません」

 

「グラスならいいところまで行けるよ、絶対」

 

 本当でしたら、スぺちゃんとの勝負になるはずだったところ。ですがチーム・スピカは年内のレース出場ができない。復帰してからスぺちゃんと勝負ができるのは、来年以降なのは確定しています。

 

 しかしそれはそれ、有記念は同期だけじゃない、一つ二つ上の先輩も出走します。何より、一年最後の締めとも言ってもいいビッグレース。多くの人たちの期待を背負って立つのですから、今からでも武者震いが止まりません。

 

 何より、彼がそう言ってくれる。その事に、喜びを覚えます。

 

「なら、期待に応えないとですね」

 

「あぁ、頑張れ」

 

 その一言が、ずっと欲しかった言葉だったのかもしれない。

 

 期待、とか勝ち負けとか…不特定多数に向けられる感情じゃなくて、この人の飾らない私の一番欲しい言葉。

 

 あの時走り続けた時に言ってくれたように、ただの一人として…その言葉が欲しかったのかもしれない。

 

「You shall love your neighbor as yourself.」

 

「ん? 急にどうしたの」

 

「なんでもありませんよ、私はもう行きますね。玲音さん、メリークリスマスです」

 

「あ、世間それなのか。あぁ、グラスもメリークリスマス」

 

 そうして、私は病室を後にします。エレベーターに乗り、誰もいないことを確認すると、ずっと我慢していた尻尾をぶんっと数回大きく振ります。

 

 これなら、明後日はいい結果が残せそうです。

 

       ***

 

 12月27日有記念、テレビからは東京レース場のGⅠファンファーレが鳴り響いている。テレビ越しからも、その熱気が伝わってくる。

 

『スタートしました! 各ウマ娘揃ったスタートを切りました! さぁ先頭争いですがセイウンスカイもまずまずのスタートを切り、今じわーっと──』

 

 みんなメインスタンドに来るまでは固まっていたが、少し外側を走っていたセイウンスカイが第1コーナーを抜けた瞬間に加速をし、先行集団を一気に引き離す。それに対してグラスは中団に位置していた。

 

 流石セイウンスカイ、あえて最初に遅くし一気に離すことで、全体のペースを乱そうとしているのだろう。しかしそれをグラスは分かっているはずだ。よく見るとエアグルーブの右斜め後ろについている、風防として上手く使っているのだろうか、レース場になれば先輩も後輩も関係なくなるのだろう。

 

 しかし第4コーナーにもなるとセイウンスカイが作った7バ身差が一気に縮まった。最後の直線になれば、もうその差はないに等しい。それを狙っていたかのように、グラスが更に外で一気に加速する。セイウンスカイを交わし、そのまま他の追随を許さずに、ゴール版を通過した。

 

『ジュニアで頂点に立ったウマ娘は! この大一番でも強かった!! グラスワンダー復活!!』

 

 テレビから目を離して、斜めに傾けている病床に背中をそのまま預ける。ふぅと一息つくと、張り詰めていた空気が解けた気がした。

 

 今回のレース、普通にドーベルやメジロの子もいたのだ。特にドーベルにはエリザベス女王杯で応援できなかったことを怒っていることを爺やが渡しに来てくれた便箋で知ったため、ドーベルも応援していた。

 

 うん、この有記念、俺の知人多くない? トレーナーってこんなものなのか?

 

 そう思っていると机に置いてある携帯が震えた。画面を見てみると、マックイーンからの着信があった。

 

 そのまま手を伸ばして携帯を取って通話ボタンを押して、耳に当てる。しかし聞こえてくるのは遠くから聞こえる歓声のような音。それ以外は無言だった。

 

 でもなぜだろうか、俺はこの電話の先にいるのが着信者本人じゃないと思った。

 

「ドーベルか?」

 

「っ、なんで分かるのよ」

 

「見てたから、病室からだけど」

 

「エリザベス女王杯のこと、一生根に持つから」

 

「覚悟の上だよ、お疲れ様」

 

「素直に受け取っておく、それじゃマックイーンに戻すから」

 

 俺が次に何かを言う前に、がさごそという音と「あちょっと!?」というマックイーンの声が聞こえた後に、はぁとため息一つ、そして着信者であるマックイーンに電話が変わる。

 

「申し訳ありませんわ、あの子恥ずかしがり屋ですから」

 

「はは、まぁ宝塚の時の約束果たせなかったのは俺の方だから」

 

「……わたくしも、いよいよクラシック始まるんですね」

 

「怖い?」

 

「少し、でもこれはメジロ家の悲願達成のために必要な感情ですわ」

 

「強いなマックイーンは」

 

「ふふっ、そろそろ切りますわ」

 

「あぁ、またな」

 

「はい──玲音さん」

 

「ん?」

 

「約束、忘れないでくださいね」

 

 ぷつっと、電話が切れた。

 ……やっぱりあの夜のことは、マックイーンは本気のようだ。温泉に入って、美味しいご飯を食べて、そして二人っきりになったから、少しだけ雰囲気に流されていたのかと思っていた。

 

 でも、やっぱあれは、女性としての覚悟の表れで。

 

「……妹だと思っていた子が女性になるって、こんなにも難しいものなんだな…」

 

 なんて思っていると、今度は病室の扉がこんこんこんっとノックされる。

 入院して以降、3日に1回誰かしらは俺のところにお見舞いに来てくれる。だからスぺかな? それともまだ来ていないテイオーかな? なんて思いながらどうぞと言う。

 

 そしてゆっくりと扉が開けられ、朱色の髪の毛と尻尾が揺れていた。思わず俺は立ち上がり、そのまま近づく。彼女もまた、車いすを少し動かして俺に近づく。

 

 そして俺はそのまま腰を落とし、彼女のお腹の辺りに抱き着いた。彼女は何も言わないで、ただ優しく抱きしめ、頭を撫でてくれた。それによって俺の目頭は熱くなり、大粒の涙粒を流す。

 

「スズカ…スズカ…!!」

 

「心配、かけちゃったね」

 

 そのまま何分泣いたのだろうか。近くに看護婦がいることなんて関係なく、彼女の膝の上で泣き続けて、ゆっくりと膝から離れる。そしてその時に、彼女も俺と一緒に泣いていたことに気付く。お互い涙を流し、そして微笑み合っている。

 

 そこまでやっと人前で抱き着いて泣いていたことに気付き、恥ずかしくなり看護婦に対してすみませんとぺこぺこ頭を下げる。まだ看護婦がふふっと微笑んでくれていることが救いだった。

 

「本当はまだまだ外出はダメだったんだけど、無理言って許可もらったの」

 

「てことは、脚は…」

 

「リハビリは行っているけど、難しいね。トレーナーさんやスぺちゃんは走れるようになるって言ってくれているけど、多分現実は厳しいかな」

 

 秋の天皇賞、あの時のスズカの動きは明らかにおかしかった。確かウマ娘の走行中での怪我の中には選手生命に直結するものもある。おそらくスズカはそれだった。 

 

 そこに俺が受け止め……いや、衝突に近いことを行ったのなら、もっと悪いことになる可能性だってあったかもしれない。だけどスズカは無事だった。それを知れただけで、俺は怪我した甲斐があったと言えるだろう。

 

「トレーナーさんが言ってたの。私の脚は完全に壊れてもおかしくなかった。それこそ歩くことすらままないことも」

 

「そう、だろうな。あんな走りをして何もないなんてことがないことは、ウマ娘じゃない俺でもなんとなく分かる」

 

「でも、壊れることはなかったって言ってくれたの。私はレオくんが受け止めてくれたからだと思ってたけど、よく考えるとその前からのことだったと思う」

 

「もっと前?」

 

「正直私は、レースの数日前から脚に違和感を覚えていたの。疲れかなって思ってたんだけど、レオくんが言ってくれたから、自分でもそれがオーバーワークの前兆だって分かった」

 

 そういえばレース前日の朝ランニングの時、俺はスズカの脚がぐらついたことを指摘した。それはきっと、ビロードの部屋で見せられたあの情景を思い出して、不安になったからだ。

 

 あの時のきっかけが、あの事故に繋がった?

 

 そう考えたが、今スズカは完全に壊れなかった説明をしている。てことは、悪いことじゃないはずだ。これ以上ネガティブになっても何も生まれない。

 

「けど、あの後レオくんが部屋でマッサージしてくれて、その時の違和感はほぼなくなってたの。そしてそれが、私の脚が完全に壊れなかった原因だって、そう信じている」

 

 そう言い終えると、スズカは両手を優しく握り、そして最高の笑顔を向けてこっちの瞳を真っ直ぐ見つめてくる。

 

「ありがとう”玲音”、私を守ってくれて」

 

 あれが正しかったことなのかは、分からない。

 きっと多くの人は、あれを間違ったことだと、許されるべきではなかったと俺に対して罵詈雑言・誹謗中傷というなの刃で傷付けにくるだろう。

 

 でも、そんな刃で俺は傷付かない。

 

 目の前の人の、最愛の人の──この言葉と、最高の笑顔を見れば。

 

 そしてその笑顔はゆっくりと自分に近づき、静かに俺の唇に口を押し付けた。

 




・ずーっと書いては消してを繰り返していたら5月終わって6月も中旬になっていました。お久しぶりですヒビルです。今回のお話はそんなにボリュームを出さないつもりでしたが、ようやく筆が進んだものがこれでした。ゼミやら就活もありながらなので、中々書く時間も取れなくて悲しい。キスさせるのも本当は海外に旅立つ時にするつもりでしたけど、まぁお若いですから二人とも大目に見てあげてください。
・あ、クロノジェネシス当たりました。競走馬として好きな子なので嬉しい。
・次回は退院後のお話を予定しています。
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