少年とウマ娘たち - ススメミライヘ -   作:ヒビル未来派No.24

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前回のあらすじ:玲音たちはお寺に行き、年越しを共に過ごした。

・間違えて投稿して、すぐに出すと言ったのにこんなに遅れてしまい本当に申し訳ございませんでした。後シリアス寄りになっちゃいました。

・UA224,000・225,000・226,000、ありがとうございます!


年明け再会/シアワセの形

『新年、明けましておめでとうございます』

 

 テレビの方から、琴と尺八の音楽と共にニュースキャスターが新年が明けたことを知らせている。そんな様子を、俺は鞍安家つまり叔父さんの家で眺めている。昔ならではのこたつ、そしてみかんをゆったりと食べながら過ごしている。キッチンの方からはおせち料理を作っている音と香りが漂っている。

 

 年越しの後、自分はトレセン学園に戻り、そのまま自転車を漕いで鞍安家に突撃して、そのまま一日を終えた。その後起きた時にはもう日が昇っていた。寒さに耐えながら、一階に降りてリビングに通じる扉を開けると、そこにはこたつに入っているスズカがいた。

 

 

ス ズ カ が い た 

 

 

「はっ? えっ??」

「んっ? えっ??」

 

 あまりにも驚いて、お互い口を開けて十数秒間フリーズした。なんでこんなところにスズカがいるのだろうか。俺はまだ夢を見ているのか? パジャマ姿のスズカ可愛い。

 なんて思っていると、キッチンの方から見知った顔が二人出てきた。

 一人は叔母さんの香菜恵さん。そしてもう一人は、ワキアさんだった。

 

「あら、玲音くん? ここでお世話になっていたの?」

 

「わ、ワキアさん!?」

 

「あれ、玲音くん。お隣さんとは知り合い?」

 

 驚きを隠せずにいられていたが、話しを聞くと、ワキアさんたちは最近こっちに引っ越してきたらしい。さらに鞍安家と意気投合して、すぐに仲良くなったらしい。

 んで、今は香菜恵さんとワキアさんは一緒におせち料理を作っているようだ。

 

「もう少しでできるから、スズカと待っていて頂戴」

 

「あちょっ」

 

 俺が何かを言う前に、二人はキッチンに戻っていった。そのまま俺はまたスズカがいる方を見てみる。こたつに入って丸くはなっていないが、ぬくぬくとしている。手元には湯呑みがあり、緑茶が入っているのだろうか。

 

「……茶柱って、本当に運がいい時の象徴なのね」

 

 スズカがそういってから気づいた。確かに茶柱が立っていた。

 

「スズちゃんもこっちに来るんだったら、昨日一緒にいけばよかったかも」

 

「車だったから、確かにその方がよかったかもね」

 

 お互い笑い合いながら、再会を喜ぶ。スズカが隣をポンポンっと手で叩いたので、俺はそのままその場所に座る。本らうならこたつのぬくぬくとした温かさが、廊下で冷やされた足元をジンジンっと温めているはずだ。

 

 そう思っていると、その足にさらに何かが乗っかってくる。それがスズカの足だと気づくのに時間は要らなかった。

 

「スズちゃん。足大丈夫なのか?」

 

「これくらいなら平気。それにレオくんの方が冷えているんだから、遠慮しないで」

 

 そういうとスズカはさらに足を絡めてくる。スベスベとした柔らかい足が自分の足に当たり、くすぐったさを…覚えることはできなかった。

 

「レオくん…足意外とすべすべ?」

 

「そ、そうかな?」

 

「うん、あんまり他の人の足って知らないけど」

 

「あんまり毛が深くないからかなぁ」

 

 なんて他愛のないお話をしていると、ワキアさんと香菜恵さんがおせち料理や、サトイモの煮物やらを持ってくる。それと同時にリビングの扉がまた開いた。

 

「あれ、玲音くん起きていたのか」

 

「あれ、玲音くんがなんでここに?」

 

 そこにいたのは叔父さんと、スズカのお父さんだった。寝間着姿のままで、少しお酒の匂いが漂っているかもしれない。

 

「あぁ、やっと起きてきましたね」

 

「まさか、二人とも一緒に寝落ちするとは思わないじゃない」

 

「だからって一緒のベッドに放り込まないでくれよ」

 

「首がいってて…」

 

 どうやらこっちの方でも忘年会みたいなものをやっていたようだ。俺が来たのは3時ごろ、出てきたのは香菜恵さんのみで、俺はすぐに自室のベッドにロケットダイブしたので、叔父さんたちと、自分の家に戻ったであろうワキアさんとスズカには会わなかったのだろう。

 

 そうしてこたつに全員入り、お節料理たちを囲む。

 

『明けまして、おめでとうございます』

 

 全員でその言葉を言った後、少しだけ頭を下げる。日本人なら誰もがやる、新年の挨拶。それは俺にとっても例外ではない。

 

 でも今年の年明けは、いつもより豪華だった。

 

     ・ ・ ・

 

 お節料理や煮物を楽しんだ後、〆代わりにお雑煮を食べてだらだらとする。正月にしか許されない最高の贅沢だ。お年玉ももらった。まだ確認していないが、ワキアさんや旦那さんからもらったから、去年より多いのは確定だ。

 

 んで、今は…。

 

「~~♪」

 

「上機嫌だね、スズちゃん」

 

 スズカの毛並みをブラッシングしている。手櫛でしっかりとほぐした後に、専用のブラシで毛並みに沿って撫でるように動かす。毛先がゆらりと動いて、自分の手に当たってくすぐったい。

 

「レオくんブラッシング上手いね、眠くなっちゃう」

 

「そう? 対して特別なことしてないけど」

 

「マックイーンさんにしてたとか?」

 

「まぁそんな感じ」

 

「……ふ~ん」

 

 あれ、ウマ耳が後ろを向いている。俺は背中側にいるからスズカの顔は分からないけど、声音とウマ耳で怒っていることが分かる。

 

「ダメじゃない玲音くん、うちの娘と接しているのに他所の娘のお話をしちゃ」

 

「え、いやだって事実ですし」

 

「できる男っていうのは、目の前の人しか見ないものよ。それにスズカは意外と嫉妬つy──」

 

「お、お母さん!!」

 

「あらやだ、少し喋りすぎたかもね」

 

 スズカとワキアさんが和気あいあいと会話をしていると、昔の記憶も少し戻ってくる。

 幼稚園の時も確か、こんな風にしていた気がする。

 

「もう…レオくん、あまり気にしなくていいからね」

 

「あ、うん」

 

「初心なものね、お母さん心配しちゃうわ」

 

「う、初心じゃないから…レオくんとだってキスしているもん」

 

「スズカさん??」

 

 小声ではあった、だがスズカがとんでもない爆弾をこのお茶の間で放りこんで、シーンっと沈黙が訪れる。近くにいたワキアさん、そして香菜恵さんがこっちを見てぽかーんと口を開けている。他二人は散歩で外出していたようだ。

 

「「ちょっと玲音くん、お話ししよっか♪」」

 

「あ、ハイ…」

 

 二人から来る圧に負けて、俺は11月以降からあったことをなるべく思い出せる範囲で話した。自分が入院したことは、どうやら学園は秘密にしていたようだ。自分がしていたことと事の大きさを考えれば、親族に迷惑が行かないようにしたのだろう。入院した場所も公にはされていなかったからな。

 

 …自分の本当の両親は二人ともいないから、本人以外の情報が出なかったのは嬉しい誤算だったかもしれない。叔父さんはその辺りは作家だから色々対策はしていただろうし。

 

 そして……その病室でキスをしたことも。

 

「ふむ、責任取らせなきゃ」

 

「お母さん!?」

 

「ってのは冗談で、あなたもそこまで自分を出すようになったのね、走るしか興味なかった子が…お母さんは嬉しいわ」

 

「でもワキアさん、うちの玲音とおたくの娘さんがキスしたっていうのに、随分冷静ですね? 私ちょっと顔赤くなっちゃいましたよ」

 

「アメリカではキスなんて挨拶だもの、まぁ最も私の娘なら深い方を──」

 

「お母さん!!」

 

 と、良い感じにスズカがワキアさんに弄られている。

 

 ……俺は一体どういう感情でここにいればいいんだ、女性同士だとこういうものなのか…??

 

「あ、あはは…」

 

「にしてもそんな問題になっていたなんて、なんで私たちに言ってくれなかったんですか?」

 

「俺自身あまり余裕がなかったのと、自分の入院はなるべく外には漏れないようにしたかったのもあるかな。報告が遅れてごめんなさい」

 

「そんなこと言って、私と徹夫さんを巻き込みたくなかったんですよね」

 

「いや、本当にこっちにも色々あったんですって」

 

 俺がそういっても、香菜恵さんはこっちをじっと見てくる。瞳の奥を覗きこまれるような感覚はない、ただ俺のどこかにある核心を的確に見抜いているような、そんな感覚だ。

 

「大方、鞍安家の2人には迷惑を掛けたくない……ってところですかね」

 

「……」

 

「沈黙は肯定ですよ玲音くん」

 

 つんっとおでこの辺りを押される。くらっと少し身体がよろめき、目を少し見開く。だからこそ、見えていなかったものに気付けたのかもしれない。 

 香菜恵さんのお腹が、本当に…ほんの少し、膨らんでいることを。

 

 おせちやお餅を食べたから、少しお腹が張っているだけなんだと思っていた。でも今は違うってはっきり分かる。

 

「香菜恵さん…?」

 

「そういえば、あの時倒れた原因教えていませんでしたね」

 

 ふっと笑う香菜恵さんはとても慈愛に満ちていて、まるで──母さんの面影を見ているようだ。

 

「あなたは本当のお兄ちゃんになるんですよ、玲音くん」

 

   * * *

 

 お母さんと私の目の前で、とんでもないことが起きている。

 

 キスに関して失言してしまったことも、忘れてしまいそうなほど、その報告は衝撃的で。

 

「あ、あの…おめでとうございます…?」

 

 私はそう、少し困惑しながら言うしかなかった。この人が玲音くんのお母さん代わりなのは、この数時間で十分に把握できた。でも私から見たら、この人は他人。そして、私にとってのレオくんのお母さんは…あの人。

 そしてそれは、今隣にいるレオくんも同じはずで。

 

 瞳は大きく見開かれ、時が止まったようにレオくんは固まっていた。呼吸も、ほとんど聞こえない。

 

 すぅ…っと、一息入れた音が聞こえた。その瞬間。

 

「ええええええええええええええええええええええええええええ!?!?!?!?」

 

 あの秋の天皇賞で聞いた時よりも、大きな声でその一音を叫んだ。隣にいた私は咄嗟にウマ耳を手繰り寄せて、できる限り耳を塞いだ。お母さんもそうしている。子どもの時にレオくんと見ていた

 

 でも、その音を出すきっかけになった香菜恵さんは、耳を塞ぐわけでもなく、側頭部のちょっと上の髪を手でかき分け、そのままその手を頬に当てた。

 

「100点満点のリアクションありがとうね、玲音くん」

 

「いや、だって…はぁ!? そんな様子っていうか、前触れっていうか、えぇ!?」

 

 ここまで取り乱しているレオくんは初めて見たかもしれない。

 

 ……かわいい。

 

 ぽつりっと浮かんできた感情に、体温を支配されて熱くなる。雑念を払うように首をぶんぶんっと振る。いきなり私は何を考えているんだろう。

 

 ……好きって、こういうこと?

 

 あぁダメ、隣にレオくんがいるだけなのに、感情が、本望が…気持ちがどんどん湧き上がってくる。

 

 お母さんとお父さんがいちゃついていた時に、恥ずかしくないのかとか思っていたことがあった。自分が目の前にいるのにって。少し子どもながら嫌々していた。

 

 でも今なら分かる。私、多分会っていない期間がいっぱいあって、彼を思わなかった日は一日もなくて、再会して、一緒に学んだり日々を過ごして、一緒に傷付いて、お互いの距離がなくなって。

 

 この感情を、抑えることは……できない。確信できる、今ここに同期はいない。お母さんと香菜恵さんだけ。今、レオくんとの距離を阻むものは何もないんだ。

 

 ゆっくりとぶんぶんと振るった際に下げた顔を上げて、隣にいる好きな人を見る。まだあわあわしている。それはどこか、なにか答えを探しているようで。でも本質は一人っ子で養子だからこそ、生まれる”本物”になる不安や混乱に心を搔き乱されているように見えた。

 

 ……それとも、本当の母親である琥珀さんを失っているからこそ、レオくんにしか分からない感情が渦巻いているんだと思う。

 

『あの子のこと、見守ってあげてねスズカちゃん』

 

 去年のお墓参りの時、聞こえた琥珀さんの声を思い出す。

 

「大体俺は鞍安家の人間じゃないから、あなたたちの輪には入れないんじゃ」

 

「そんなことはないよ、それにそれを決めるのはこの子なんじゃないかな? 私たちはもう君を家族として見ているけど」

 

「いやでも」

 

「玲音くん、君は…何に怯えているの?」

 

「いや怯えてなんか──」

 

 いないとその言葉を、レオくんがこれ以上、言葉の鎖で首を絞めつけないように。私は彼の肩を優しく掴んで、そのまま手を引いてレオくんのバランスを崩す。「へ?」と腑抜けた顔をした彼と目を合わせて、その頭を膝に乗せる。

 

 多分、この脚でも…彼を寝かせることは、できるはず。

 

「レオくん、ちょっと落ち着こう?」

 

「す、スズちゃん?」

 

「いきなりだから驚いているだけ、だからちょっとリセットしよ?」

 

 そう言いながら頭を撫でる。もう何度も、撫でた…病室で、花火大会の土手で、十数年前の子どもの時から。空白の期間はある、それに触り始めたのも最近のこと。

 

 撫でられているレオくんは、困惑しながらも少しずつ動きが減って行って、やがては私に身体を完全に預けてくれて、そのまま瞳も閉じてくれた。

 

「あぁ、なんでだろう…あったかいなぁ……」

 

 その一言を最後にレオくんは、ゆっくりと深呼吸を始めた。そしてそれが寝息になるのに、そこまで時間はいらなかった。

 

 ひゅ~と、口笛が聞こえる。お母さんが私の方を見て驚いたような表情をしていた。香菜恵さんも口元を手で抑えていた。

 

「私の娘ながら、大胆ねぇ」

 

「眼福でした、ごちそうさまです」

 

「……なんか色々突っ込みたいけど…」

 

 多分この反応は二人とも少数派なんだと思った。

 

       ・ ・ ・

 

 レオくんはその後、起きるそぶりを見せることはありませんでした。私のお父さんとレオくんの叔父さんである徹夫さんが帰ってきて、この状況に顎が外れるんじゃないかっていうくらい口を大きく開けていたけど、それ以外は特に変わったことは起こりませんでした。

 

 あ~、いや一つ変わったことがあったとするなら、徹夫さんからすごい質問攻めされていることかな。前学園の前でスピカのみんなと会った時も、この人すごかったからなぁ。

 

 宝塚、そして秋の天皇賞に関することを聞かれた。まさかメディアよりも先に、個人にそのことを話すとは思わなかったけど。

 

 だからこそ、走っている時に起きた幾つもの現象をすんなり話すことができた。

 

「あの秋天にそんなことが…」

 

「ゼブラのような生き物が、スズカちゃんの名前で呼ばれていた、かぁ」

 

「はい、不思議な感覚でした。スタート前と大欅の前まではただ身体が軽くて、いつもよりも闘争心が溢れていて…そうしたら、急に空に浮かんで」

 

「私の娘がすごいオカルトを話してる」

 

 オカルトと言われても仕方ない、だって実際に謎の現象ではあるから。

 

 でも今思い出しても、不思議な現象だと思ってしまう。もう一人の私がレオくんを死んだみたいに扱っていて。彼の後ろ姿だけで浮かび上がっていくあの様子は、天へ旅立っていくようで。

 

 また少し不安になって、頭を撫でながらポケットの中に仕舞っている翡翠の欠片を取り出す。彼もどこかに水晶の欠片を持っているはずです。

 

 ……あの時、これがなかったら私はどうなっていたのでしょうか。

 

「ウマ娘は輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれるとされている。君が見たそのゼブラみたいなものは、その別世界の存在なのかもね。玲音くんの方は…ちょっと分からないけど」

 

「最近リメイクしたゲームでそんなのがありましたねぇ、主人公が一人で敵に立ち向かっていくために、仲間を置いて浮かんでいくみたいな」

 

「そんなのあるんですね…」

 

 私はゲームとかには疎い方ですが、あの時見た状況と少し似ているなと思いました。

 それに辺りから聞こえてきた謎の音、あれはリンの音だと今は分かります。でもそれじゃ、まるでレオくんが亡くなっているみたいな。

 

 不安になり、私は撫でる手とは反対の手で彼の左胸あたりに手を当てる。手のひらから伝わる小さな温もりの中に、確かに鼓動を打っているのが分かる。彼は間違いなく生きている。

 

「あんなことがあっても、走るのをやめようとしないんだからうちの娘って本当にタフよねぇ」

 

「スペちゃんとの約束があるから」

 

「本当に君は強い子なんだなスズカちゃん、なんかレオくんが君に惹かれる理由が分かるよ」

 

「強い…どう、なんでしょうね」

 

 その言葉を聞いて、少しだけ心が揺らぐのを感じました。確かに私には約束がある。トレーナーさんだって、私がもう一度走れることを信じている。

 

 けど、あの時から少し分かったことがある。

 

「私の心に、大きな穴が空いているんです。今までは無意識に感じてたけど、天皇賞の時に自覚できた走るための闘争さんみたいなものが……今は、全くないんです」

 

「そりゃまぁスズカ、あんなことがあったんだから走るのが少しくらいは怖くなるだろ」

 

「違うのお父さん、そういうのじゃなくて…」

 

「駆け抜けた魂、か」

 

 他がきょとんっとしている中、徹夫さんだけは真剣な表情でそう言った。

 

「ウマ娘はある条件が整った時、唐突にパフォーマンスが落ちることがあるんだ。ダービーなど大きなレースを終えた後とかね。その理由がウマソウルが消えていくからで、これを駆け抜けた魂って呼ぶんだ。医学的には証明されていない、スピリチュアルなお話ではあるんだけどね」

 

「ちょっと徹夫さん? 真剣に悩んでいる娘にそんなことを言うなんて」

 

「あ、いや…スピリチュアルに関しては、時々友人から聞いてるので」

 

 ふんにゃろ~…とか言っている時もあるけど、クラスメートであるフクキタルは時々的を射ることを言うこともある。

 だからこそ、徹夫さんの言うこともただの戯言とは思えなかった。

 

 私の心の中は確かにどこかが空っぽになっている。その状態に対して少しの焦りや怖さはあった。だからこそ、こうして聞くことでその空白が、少しは埋まったような気がした。

 

 だけど同時に、ごく自然と受け入れたくないはずの言葉が私の中にすっと入ってきて、そのまま口から漏れていく。

 

「つまり、私はもう走れないと?」

 

「可能性はゼロじゃない、結局はスピリチュアルだからね。それでも前以上のパフォーマンスができるかどうかは、本人の意思次第だね」

 

 言っていることは、トレーナーさんが言っていたことは真逆。普通だったら、こっちの言葉の方が傷付くはずだった。でも私は、どこかで安堵しているような気がした。

 

 お母さんとお父さんの方を見ても、特に驚いている感じはなかった。きっと、この中で絶対走れるようになるって言い切るのは、膝の上で眠っているレオくんだけだろう。

 

「…スズカ、正直な話をするとな。もうこれ以上走らなくてもいいんじゃないか?」

 

「お父さん…」

 

「お父さんはあまりウマ娘のレースのことは分からないが、誇れる結果を残せたんだろう? それでいいじゃないか、スズカは自慢の娘だよ」

 

 確かに、ウマ娘にとって中央に入ること、そこからGⅠ出場するだけでも一生の自慢ができる。それを二度連覇したのだから、歴史に名を残すこともあるでしょう。

 

 世の中にはそれよりも勝っている人はいますが、それは十年に一人の逸材。なかなか現れない存在です。

 

「スズカさん…まだ会ってから数時間の私がいうのもアレですが…ウマ娘のシアワセは、走るだけじゃないですよ」

 

「え? それは、どういう──」

 

「私も、元々はウマ娘でしたから」

 

 その言葉を聞いて、私は少し困惑の表情を浮かべてしまいました。なぜなら香菜恵さんには尻尾どころか、ウマ耳すらないのですから。

 普通の人、それでも自分のことをウマ娘という香奈恵さんから、私は視線を外せませんでした。

 

       ***

 

 昔のウマ娘のレースっていうものはね、今よりももっと殺伐としていたの。

 芝は走りずらいし、タックルし合うのだって当たり前だったけど。何より、観衆の人たちがとても怖かったの。

 

「なんでそこで差さない能無しが」

「才能ないのに中央になんでいるの?」

「親御さんは悲しいよなぁ、こんな成績しか残せないなんて」

「お前が勝ったせいで賭けに負けたじゃないか!!」

 

 なんて、罵詈雑言が飛んでくるなんて当たり前だった。私がどうしようもできないことでも関係なく、みんな社会で募らせたストレスを、弱いウマ娘にぶつけていた。

 母親も地元の人たちに嫌がらせを受けた、父親は無能なウマ娘を育てた無能として周りの人たちに扱われた。家族も少しずつ距離が生まれて、完全にバラバラになって、何も残らなかった。

 

 それでもどうにか一矢報いたくて、がむしゃらに頑張った。そうしたら、歴史のある重賞で一着を取ったの。

 初めてのメダルは軽いのにとても重くて、数年の努力が報われたように思った。

 でも、周りがみんな態度を180度変えた。

 

「いつかはできると思っていた」

「努力は報われるを体現した娘だ」

「今度はGⅠ制覇だな」

「よく見ると可愛い子じゃないか、親御さんは幸せだな」

 

 その手のひら返しに、私は気持ち悪さを感じた。

 だってずっと悪口しか言ってなかった周りの人たちが、ほぼみんな都合のいいことばかりを言っている。 

 私に対して暴言を言っていた男も、才能がないって言ってきた女も、誰もが私のことを褒めた。まるで最初から信じていたというかのように。

 それを認識してから私は、ゲートに入ると必ず吐いてしまうようになった。

 周りからは理解なんてされない、ただ得体の知れない他人の感情が自分の中に期待という名で入ってくることに、私は耐えられなかった。

 

 次第に私は練習に参加せず、ただ走ることに対して逃げて。学校を自主退学して、帰る場所もないまま一勝で入ってきたお金で、とにかく遠いところに行きました。

 とにかく北へ、私がいないところに行きたくて、電車やバスを乗り継いで…小さな町に着いた。

 その町はテレビとかがなくて、新聞はあるけど中央のお話はない。それどころか、ウマ娘が一人もいない町だった。

 

 ちょうどお金がなくなった私は、とある老夫婦の元でお世話になることになりました。二人の酪農を手伝うのが条件だったけど、やったことのないことは走ることよりも面白かったし、楽しかった。二人も孫ができたようだと、とても可愛がってくれた。

 全てが順風満帆、ここが私の生きる場所なんだって認識した時に──徹夫さんと出会った。

 

 最初は逃げた子牛を追ったら、その先にいたただの他人だった。妙にその子牛は徹夫さんに懐いていて、無理やりは連れて行けなかったから、そのまま一緒に農場に行ってもらったのが、全ての始まり。

 その後も子牛を見るためって理由をつけて会いにきてくれて。一緒にお菓子やお茶を楽しんだり、散歩したり、夜空を見たりして。次第に好きになった。

 徹夫さんはウマ娘という存在を知らないから、ウマ娘そのものに興味があったんだと思う。それでも会いにきてくれるのが嬉しかった。

 だけど、そのウマ娘を認識するたびに、中央にいたことを思い出して、苦しい思いをして。だからふと思っちゃったの。まるで息をするかのように、隣人から

 

『ウマ娘をやめれば、私はシアワセになれる?』

 

 おじいちゃんとおばあちゃんに無茶を言って、お金を借りて。

 徹夫さんや仲良くなった同世代の友達には何も言わないで、東京に戻って。

 そして、切除手術を受けた。

 生まれた時からあるものが無くなるってことは、体にショックと負担がかかるから半年以上は入院が必要だった。

 一人でも大丈夫だと思っていたけど。無くなった物から出てくる幻肢痛は不定期で私を苦しめて、鎮痛剤も効かなくなっていて、後悔だけしかしなくて。そんな時に一人で病室にいるのが怖くて。

 もうどうしようもなくなった時に──。

 

      ***

 

「徹夫さんが、病室の扉を開けてくれたんです」

 

 とても、とても優しい笑みを浮かべてそう喋る香菜恵さん。

 まるで闇なんてないとでも言うように、穏やかな口調で出てきたそのお話は、私の頭をぐちゃぐちゃにするには十分な情報量と感情の濁流がありました。

 

 お母さんたちもとても真剣に香菜恵さんの方を見ていて、徹夫さんは複雑そうな表情を浮かべながらもその頬は赤くなっていました。

 

 そして私の方を見ていた香菜恵さんの視線は、隣にいるパートナーに向けられます。

 

「どんな君でも愛する。その言葉を聞いた瞬間に思ったんです」

『あぁ、これがシアワセ。私のシアワセの形なんだ』

 

「しあわせの、形」

 

 香菜恵さんから発せられたその言葉を、私は反射的に繰り返します。

 ありきたりな言葉なはずなのに、全てを包み込むかのような。そんな魔性の何かがこの言葉にあることを、頭ではなく心で分かったような気がしました。

 

「人によっては違う。それでもウマ娘だから走ることがシアワセの形であるとは、限らないんですよ。みんな何かを抱えていて、成功して、失敗して、それぞれ自分の形があるはずなんです」

 

 その言葉を聞いて、下を見る。

 とても安心した表情で、まだ寝ているレオくん。結構話し込んでいたはずなのに、そんなこととは隔離されていて、一人静かに寝息を立てている。

 思えば、いつもそうでした。幼稚園にまだ慣れていない時、この指にと〜まれで一歩が出せなくて独りになった時に、レオくんは隣にいてくれた。一緒に遊んだ訳じゃなく、ましてやレオくんが腕を引っ張ったわけでもない。

 待ってくれていた。

 私が動くまで、ずっと待ってくれていた。それは、再会してからもそう。形は変わったけど、私が止まれば、レオくんは止まってくれる。そして、一緒にいてくれる。

 それが、私のしあわせの形…なのでしょうか。

 

「スズカさん、一度その形を見つめ直すのも、いいと思いますよ」

 




GWの時、間違えて投稿をして。早めに出すと言っておきながら、こんなにも遅れてしまい大変申し訳ございませんでした。ヒビル未来派No.24です。
そしてめっちゃ長く、そしてシリアス寄りなってしまいもうほんと、すみません。いやほんと、一万いくなんてほんとに想定外でした。
社会人になり、なかなか執筆の時間が取れませんでしたが、少しずつ書く時間を増やして、元に戻していきます。

次回は、デートのお話の予定です。
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