少年とウマ娘たち - ススメミライヘ - 作:ヒビル未来派No.24
・UA125,000・126,000を突破しました! ありがとうございます!
・前回の誤字報告ありがとうございます。言い訳させていただくと、参考資料として使っているサイトで『細井』と書かれていたので何も疑わずに書いてしまいました。次の朝、誤字報告を受けてアニメを見るとちゃんと『細江』になってたのでミスったと思いました。大変申し訳ありません。
※アニメで使われたウマ娘の名前が出ますが、耳で聞き取ったので間違っている可能性もあります。
時刻は大体10時の半ばを指していた。俺は自室でパジャマから学園指定の制服に着替えて後生寮を後にする。
そうして弥生賞や皐月賞にの時にも使った学園の最寄駅まで繋がっている河川敷の土手を歩く。
今日は日曜日ということもあり、河川敷には子ども連れの家族たちやランニングを楽しむ人たちなど多くの人がいた。
その中にトレセン学園の制服を着た栗髪のウマ娘と茶色じみた黒髪のウマ娘が並んで歩いているのが見え、俺はその2人の方へ走り始める。
近づけば近づくほど、その2人が知人だと確信が強くなる。
残り15mくらいになった時、2人のウマ耳がこっちに向いた。ウマ娘は聴力がいいので自分が走っている音に気づいたのだろう。ゆっくりとこっちに振り返った。
「あっ、玲音さん! おはようございます!!」
「おっはよスペ、スズもおはよう」
「うん、おはよう玲音くん」
そこにいたのはスペとスズカだった。皐月賞の時、スペは時走り込みをしていたから、こんな風に3人で歩くのは花見を行った時以来になるだろうか。
そしてスペに会って俺は驚いた……なんとダービーまで残り5時間と迫って来ているのに、スペのウマ耳は横を向いていた。これはいわゆるリラックス状態になっているということだ。
「おぉどうしたんだスペ、えらく緊張してないみたいだけど」
「それがですね……ちょっといい夢を見たんですよ」
「いい夢?」
「スペちゃん、夢の中でもう一人のお母さんと会ったらしいの」
スズカがそう言うとスペは照れ臭そう顔を赤らめ、少し笑っている。
もう一人のお母さんというと……生みのお母さんのことだろう。自分は前にスペの口から生みのお母さんと育てのお母さんがいること。そして二人のお母さんに日本一になると約束していることも話してくれた。
それが確か……ダイエットを始めた3日後くらいだったかな。
「……とても不思議な夢でした」
***
目を開けてみると……辺りは真っ暗でとても冷たいところでした。
凍えそうになりながら私は歩いたんです。ずっと、ずっと……。
でもある程度歩いていると少しずつ……少しずつなんですけど、周りが暖かくなっていて。目の前を見ると一筋の光が見えたんです。
その光に向かって走っていると、突然暗かった世界が色鮮やかになったんです。そこは野原が広がっていて、上を見ると青い空に流れる雲、そして私がいたところは丘みたいになっていて下を覗いてみると……白いパラソルの下に木の椅子に座った生みのおかあちゃんが読書をしていたんです。
私はその瞬間に涙が出ちゃって、そのまま全速力で走っておかあちゃんに抱きつきました。
おかあちゃんはかなり困惑していましたけど、私の頭を優しく撫でてくれました。
しばらくして泣き止んだ私はおかあちゃんと今の生活のことをお話ししました。学園のこと、チームのこと、スズカさんのこと、玲音さんのこと、皐月賞のこと……そしてダービーのこと。
おかあちゃんは静かに相槌を打ちながら私の話を聞いてくれました。
「知っているわ、全部ね」
「えっ?」
「だってずっと見守っていたもの、皐月賞も胸がドキドキしてたわ」
「見てて……くれてたの?」
「えぇ、だって自慢の娘の晴れ舞台なのよ? 見ないわけないじゃない」
「……そう、なんだ。見て、くれてたんだ」
「レースの時だけじゃない。私はあなたをいつも見守っているわ……次のダービーも頑張ってね」
「おかあちゃん……うん!」
***
「そこで私は目が覚めました」
「……」
「ただの夢ですけど、本当のおかあちゃんと会ったみたいで……とても心の中がスッキリとしているんです」
スペのお話を聞いている時に、俺は少し前に見たお母さんの夢を思い出していた。
俺の場合は夢に溶け込んでいたから、お母さんと久々に会ったというわけではなかったけど……それでも死んでしまった人に会える喜びというのを俺は知っている。
「変……ですかね?」
「ううん、全然変じゃないよ……今日は頑張ろうな」
「っ! はい!!」
その後は普通の世間話をしながら3人で集合場所である駅に向かった。
集合時間までは10分くらいあるが、そこにはすでにスカーレットとウオッカ、テイオーにゴルシ、そしてチームの一員では無いがマックイーンも集合場所に来ていた。
昨日の練習の最後にマックイーンも見に行くと言い出したのだ。その理由としては多分、チームの実力を見たいのだろう。
「あっ、スペちゃんにスズカー! おっはよ〜!」
「テイオーさん! おはようございます!」
「よっ、スペ。調子良さそうだな!」
「ゴールドシップさんもおはようございます!」
「「スペ先輩おはようございます!!」」
「スカーレットちゃんにウオッカちゃんもおはよう! マックイーンさんもおはようございます!」
「おはようございますスペシャルウィークさん……今日のダービー、拝見させてもらいますわ」
全員で挨拶を交わす……だが、そこにいなければいけない人がいなかった。
そう、先生だ。先生がこの場にいない。
まぁ、集合時間まで数分はあるけど……。
「うっし、じゃあ移動するか」
『えっ?』
ゴルシが言った言葉に対して俺たちは全く同じタイミングで同じ反応で驚いた。
いや、えっ? 先生は?
「あいつ最近金欠でな……運賃払えないらしいんだ」
「「「ウソでしょ?」」」
俺、そしてスズカとスカーレットは口を合わせてそう言った。
いや電車の運賃が払えないって……先生どんだけお金に困っているの??
「まっ、嘘だけどな」
「嘘かい!!」
俺は大声でツッコむ……いやこれは全然ありえそうと思ってしまった俺が悪いのか?
ゴルシが言うには一回別件があるので、そちらを終わらせてから車で東京レース場に向かうとのことだった。
ということで、俺たちは全員東京レース場の最寄駅に向かった。
・ ・ ・
東京レース場に着いて指定された観客席に行くとそこには先生がいた。
特に変わった様子もなく、自分たちもスペが準備するまではその日行われている第3Rから第8Rと様々なレースも見た。その間に昼食も取った。
ただしスペは第8Rのむらさき賞は見ずに、自分の準備をするためにみんなとは別に動いた。
「よっし、そろそろスペのパドックの時間だろう。お前ら行くぞー」
『はい!』
全員で返事をして、チーム・スピカ一同はパドック会場に向けて足を進めた……のだが、俺は少し違うことになりそうだ。
その瞬間、生理現象に襲われてしまったのだ。
「あの先生、自分手洗い行ってからパドックに向かいます」
「んっ? おぉそっか。パドックにはちゃんと間に合えよ」
「もちろんですよ」
んて事で、自分はみんなとは別れてトイレへ行く事にする。
まだ大本命のレースは始まってはいないが、現時点でこのレース場は多くの人が入っている。だからトイレもまぁまぁの列になっているに違いない。
そしてそれは見事に当たって、実際数分並ぶ事となる。幸いにも「膀胱が破裂しそうなくらいヤベエェーイ!!」って訳ではなかったのでそこまで焦ることはなかった。
「(さて、早くパドック会場に向かうか)」
そう思い足をパドック会場の方へと向けた時、前に見覚えのある顔の男性がいた。自分が認識したのと同時に向こうも俺の存在を認識した。
流石にこのまま去るのは失礼だと思い、俺は男性に歩み寄る。
その男性とは……この前自分が迷子になった時にお世話になった人だ。
「やぁ、元気そうだね」
「どうも、この前はお世話になりました」
俺は深々と頭を下げる。男性は申し訳なさそうな顔をして謝罪するのをやめてほしいと言った。だが色々パニックになっており、しっかりとお礼を言えてなかったので、ちゃんとお礼を言う。
俺は頭を上げると、その人がスーツを着ており、首に報道関係者と書かれたカードホルダーを掛けていた。
「あぁ、これ? 今日のダービーは僕が解説をするんだ」
確かこの人はウマ娘の専門家でレースの解説やアドバイザーなど、様々なことを行なっていると聞いた。
つまり本業として呼ばれているのだ。なんの不思議なことでもない。
なのになんでだ? この人からは何か変な気を感じる……それにこの前の質問も気になっている。
『君はスペシャルウィークとエルコンドルパサーが同じレースに走ることをどう感じるかな』
その質問の理由……なぜあんなことを聞いたのか知りたい。
それにこの人は普通だったらスペシャルウィークが勝つとも言っている。
もしかして……エルがこのダービーに出ること自体がイレギュラーなことなのか?
「(なんて……な)」
ここにいても疑問だけしか出てこないみたいなのでここは立ち去ることにする。
そうして断りの言葉を考えていると……その男性に近づいてくるまた新たな男性が現れた。
「こんなところにいたんですねユタカさん」
「やぁ、来てくれたんだね」
「正直言って結構悩みましたよ。なにせ遥か昔の黒歴史を掘り下げられる訳なんですから」
「そんなこと言わないで……このダービー、何が起こるか分からないよ」
「そうですね、エルコンドルパサーが出ている時点で向こうとは違いますからね」
この解説の人、ユタカさんっていうんだ。そういえば名前を聞いていなかったな。
多分字としては『豊か』こうやって書くんだろう。まぁ、由多加とかもありえるかもしれないが。
……それにしてもユタカさんとこの男性の会話、なんか少しおかしくなかったか?
『遥か昔の黒歴史』『向こうとは違う』。普通の人では絶対言わないような言葉をこの人は言っている。
……その時、俺の頭脳は一つだけ、ある可能性を導き出した。しかし自分自身で考えても、それはありえることなのだろうかと考えてしまう。自分自身の単なる戯れ言や厨二思考だけなのかもしれない。
だけど、聞いてみたい。
「あっ、ユタカさんこの子がこの前行ってた迷子の子ですか?」
どうやらユタカさんは自分のことをこの人にも伝えるみたいだ。
「ど、どうも……高校生で迷子になったしがない者です……」
「あはは、本当に災難だったね。ユタカさんがそこら辺を散歩してなかったらどうなったか」
「それはそうですね、本当に拾ってくださったのは大変幸運なことでした」
「困っている人がいれば助けるのは当たり前じゃないかな」
そう言いながら優しく微笑むユタカさん。やっぱり迷子になってお世話になった時も思ったが、この人は本当に優しい。そんな人の知人なんだから後に来たこの男性も優しいだろう。(こっちは完全に主観だが)
だからこそ……自分が血迷ったことを言っても笑って過ごしてくれるだろう。
「あの、お二方に聞きたいことがあるんですけど、いいですか?」
「何だい?」
「何かな?」
「……ウマ娘は、別世界の名前を受け継いで走るって言われていますよね」
「そう言われているね」
「もしかして、あなたたちはその別世界の住人じゃありませんか?」
「「……」」
俺がそう本気で聞いてみると……ユタカさんは真顔になり、もう一人の男性は驚いたような顔を浮かべた。
恐らくチームに入る前に俺だったらそんなことは考えなかっただろう。だがスペの勝負服でお店の店員さんに聞いた『勝負服に込められている別世界のパートナーの魂の残滓』。そして俺が二回見たあのきょーそーばの夢、そこにはきょーそーばに乗ってコントロールする人間がいた。
自分の夢はともかく、他の人が別世界線の存在を認めている。
そしてこの二人の言動……まるでこのダービーを行われている・知っているような言葉。それによって俺はそう結論を出した。
周りは観客が喋り歩いていてガヤガヤとしているが、自分たちのいる空間は嫌に静かだった。
「そうだね……否定はしない、とだけ言っておこうかな」
そう言ってユタカさんはその場から去って行く。近くにいた男性も少し遅れたユタカさんの後を追いかけた。
否定はしない……ということは、自分が言ったことは合っていたのだろうか。
でも今はそんなことを考えている時間はなかった。もうすぐスペのパドックが始まってしまう。俺はユタカさんが去った方に走り出して、ユタカさんの背中を追い越してパドック会場に向かおうとしたが。
「あぁ、そうだ。これは最後に言っておくよ」
横を通り過ぎようとした瞬間、声を掛けられたので俺は足を止めてユタカさんの方に振り返る。
「サイレンススズカ……彼女に無理はさせないようにね」
「えっ?」
そう言うユタカさんの表情は……やけに固いものだった。
・ ・ ・
スペのパドックに間に合いちゃんと見守った後、俺たちは地下バ道でスペを見送った。
その際、ゴルシが手作りしたであろう四つ葉のクローバーのお守りをゴルシはスペに投げ渡した。
いつもだったらスズカが励ましの言葉を言ってそれに自分も続くと言う流れだが……今回に関してはスズカに全部言われてしまったので「頑張れ」としか言えなかった。
そしてみんなで観客席に戻ったのと同時にウマ娘の本バ場入場が始まっていた。
『まずは弥生賞3着、皐月賞2着。いざ頂点へ、キングヘイロー!』
このダービーのために逃げという新たな武器を作り上げて来たキングヘイロー。見た感じ緊張はしてはなさそう。比較的落ち着いている。
だけど、この大舞台で初めての作戦を実践できるのだろうか。気持ちが昂ぶって掛からなければいいが。
『皐月賞の屈辱は果たせるのか! 奇跡を起こせ、スペシャルウィーク!』
一方こっちは皐月以上に入っている観客に圧倒されている。だが目は楽しそうに輝いている。緊張の心配はなさそうだ。
それに皐月賞の後はしっかりとダイエットを行い、成功している。今回は期待できるだろう。
『皐月賞ウマ娘、悲願の二冠へ! トリックスター、セイウンスカイ!』
『貫禄が増しましたね』
次に現れたのはセイウンスカイ、大勢の観客の前に立っても顔色一つ変え……いや、よく見てみると口角が上がっている。
やはり生涯に一度しか戦えないダービー……心の尻尾が踊り出すものがあるんだろう。
そして今の声、ユタカさんだったな。
そうして次々と日本ダービーへ出走するウマ娘たちが本バ場入場してくるが……観客の多くは大本命を待っていた。
まだか……まだか……観客たちは地下バ道の出入口に視線を集める。
次の瞬間、東京レース場は観客の歓声と拍手に包まれる。その理由は単純明快、マスクで素顔を隠した怪鳥がこの東京レース場に舞い降りたからだ。
『さぁ、最後にやって来ました! 1枠1番! ここまで5戦5勝! 負けを知らない無敵の怪鳥、エルコンドルパサー!!』
名前を言われた瞬間、完成はさらに大きくなる。彼女の名前を呼ぶ観客もいる。
その堂々たる入場に多くの人たちは彼女に魅入っていた。そして素人の自分でも分かるくらい、彼女は闘志に溢れていた。
『堂々の1番人気です!!』
『今日は気合が漲っていますねぇ……!』
出走する全員が揃い、後は出走を待つだけになった。そわそわする者、予想を立てる者、応援を送る者、様々な人たちがいる。
そしてうちのチームトレーナーである先生は……。
「スペが小さい……」
「……先生、それ逆ですよ」
「……トレーナー、逆ですけど」
自分とウオッカが指摘すると、双眼鏡を真逆に見ていたことに気がつくトレーナー……いや、どんだけ緊張しているんだ。
と思ってたら呆れたようにスカーレットが自分が心の中で思ったことを言ってくれた。
でもまぁ、気持ちは分かる。
だって……始まる前から胸がドキドキしているんだ。始まったらどうなるんだろう。
いかんいかん、自分も気持ちが昂ぶってきてしまった。
『さぁ準備が整いました! 日本ダービーのファンファーレです!』
そう実況者が言ったのと同時に東京レース場にファンファーレが鳴り響く。
低音楽器と打楽器はレース場を揺らし、高音楽器は天高く劈くような音が鳴り響く。
ファンファーレが終わるのと同時に東京レース場は拍手と歓声でまた包まれる。
そして出走ウマ娘が次々とゲートインしていく。
『ウマ娘の祭典! 日本ダービー!! 今ーー』
『ガタンッ!』
『スタートしました!!』
ゲートが開いた瞬間、18人のウマ娘が一斉に並んでスタートダッシュを切る。観客たちのボルテージはマックスに等しい。
『さぁ誰が先頭に躍り出るのか! まずはセイウンスカイか? いや内からキングヘイロー! ヤスナリチキータも来た!! 激しい先行争いだ!!』
先頭では3人のウマ娘が先行争いをしている。その中にはキングヘイローの姿がいた。
どうやら本当に逃げを選んだようだ。心なしかセイウンスカイは驚いているようにも見えた。だが彼女は頭がいい、だから今彼女の頭の中では終盤の立ち回りのことを考えているだろう。
「いけー!」
「いけー! スペちゃん!!」
第2コーナーを回り、先頭に立ったのはキングヘイローだった。これには実況、そして観客の多くは驚いていた。当たり前だ、この大きな舞台で前走と違う作戦で走るなど普通は滅多にしないからだ。
ただ、なんだろう。今のキングは視野が狭まっているようにも見える。セイウンスカイは2番手についている。
スペは中団に控えていた。よく見てみると他の娘の後ろにぴったりとついている。あれはマルゼンスキーとの模擬レースで身に付けたスリップストリームだ。
「特訓の成果、出てるみたいだな……!」
「そうですね!」
スペの少し後ろにエルがいる……最後の直線まで脚を溜める作戦だろうか。
レースは第3コーナーを回り、いよいよ後半戦。先頭は変わらずキングヘイローだった。
しかしキングヘイローの表情は明らかに苦しそうだった。
そしてレースとしてはセイウンスカイや他の娘が仕掛けてもいい頃だ……そう思うと、1人……いや、2人仕掛けた!
『ここでセイウンスカイが先頭に立った!! キングヘイローはここまでか……先頭はセイウンスカイ!』
その1人はセイウンスカイ、スピードを上げてキングヘイローを交わす。キングヘイローも負けじと食いつこうとするが、彼女に余力はもうなかった。
交わした瞬間、観客は大きな歓声を上げる……しかし次の瞬間、多くの人は歓声をやめた。
その異変に気付いたセイウンスカイは後ろをチラッと見る。
そこにいたのは……スペだった。
『スペシャルウィーク! スペシャルウィークがやって来た!!』
「よし、来た!!」
「いっけー!!」
俺とテイオーは思わず声を上げてしまう。
レースは残り400m。この先は急な坂が待っている。だからこそセイウンスカイは『皐月賞の時のスペ』を思い出しているだろう。スペは坂に弱い。このまま坂で振り切れば最後の直線でも追いつけないだろうと。
しかし、セイウンスカイの予想通りにはならない。なにせ、あの階段ダッシュはこの時のために用意していたものなのだから!
スペは坂に入る前と入った後で歩幅を狭めた。
「坂だ!」
「出た、ピッチ走法!!」
ピッチ走法によって坂によるスタミナ消費を削減、回転力を上げる事によって加速力を維持する。
前回のスペはこの知識がなかった……だけど今回はある!
「(坂は……!)こん、じょおおおおぉぉ!!」
坂の半ばでスペはさらに加速した。そしてどんどんセイウンスカイとの差が近付いてくる。
『おーっと! スペシャルウィークがセイウンスカイにーーーー並ばない、並ばない! あっという間に交わした! スペシャルウィークだ!!』
スペとセイウンスカイの差はどんどん開いていく。その光景を見た観客は大いに興奮していた!
……しかし、その興奮はスペだけのものではなかった。
『おおぉっと! 内から凄い脚! やはり来た、やはり来た!!』
そのウマ娘はセイウンスカイを簡単に抜き去り、驚異的な追い上げでスペに迫って来る。
赤いコートを風にたなびかせて、マスク越しに見える瞳はゴールを見据えている。そう、そのウマ娘の名はーー。
『飛ぶように走る怪鳥! その名はッ! エルコンドルパサーだー!! 迫る迫る! スペシャルウィークに迫る!!』
1番人気の登場により、観客たちは興奮を超えて狂喜乱舞している。
「くっ、簡単には行かないか!」
「メチャクチャハヤイ!?」
テイオーが素直な感想を述べる……だが、本当にテイオーの言う通りなのだ。
エルは早い……ラスト200mの前からスペを追い越し、一気に2バ身は離した!
その圧倒的な力に実況や観客……そして実際に対峙しているスペは驚きを隠しきれていなかった。
「っ……! ぐっ……!」
ここまでスペが苦しむ声が聞こえたような気がした……無理もない。ここまで離されてしまえば、巻き返すことなどほぼ不可能だからだ。
だけど、それでも!
スペはまだ諦めていない。それはお母さんとの約束……日本一になるという夢があるからだ。
柵を掴む手が自然と力んでしまう……その時だった。自分の左手が誰かの手に包まれた。
俺はその手を包んだ本人と目が合う。そうして、俺たちは以心伝心した。
俺は大きく、息を吐いた後……お腹に空気を入れて叫ぶ。
「スペちゃあああああん!!」
「スペエエエエエエェェ!!」
周りのみんなは俺とスズカが大声を出した事に驚く。だがこれくらいじゃないといけないのだ。これはスペの耳に絶対に届かせないといけない応援なんだ。
見るとスペはこっちを向いて……。
「うわぁぁぁあああ!!!!」
吠えた。今まで出したことのないような大声を出しながら……目をきつく瞑り、残りの力を全て出し切る。
その気迫のある声にエルは驚いていた。
『スペシャルウィークが巻き返してきた!!』
そしてどんどん、差を縮め……残り10mで追いついたようにも見えた!
『ダービーを取るのは……どっちだぁーー!!』
そうして……2人はほぼ同じタイミングでゴール板を駆け抜けた!!
その直後、スペは勢いよく転倒した。レースの早さの勢いで転倒なんてしてしまえば……最悪怪我をするかもしれない。
そう思った俺は結果を見ずに柵を乗り越え、倒れたスペの元へ駆け寄る。
「はぁ、はぁ……スペ!!」
「っ……玲音さん」
「すごい勢いで転んだけど、大丈夫か!?」
「は、はい……あの、結果はどうでしたか」
「……それがーー」
判定中だと言おうとした瞬間、東京レース場に歓声……いや、困惑した声が聞こえてきた。
何を困惑しているんだと思って、俺は確定板の方を向いてみる。そこに表示されている単語を俺は何も考えずにそのまま口から漏れた。
「写真……?」
「えっ?」
『今年の日本ダービーは写真判定! 写真判定となりました!!』
写真判定……それはあまりにも接戦だった時に行われる判定方法。
だけどGⅠ、さらに日本ダービーという大舞台で1着を決める写真判定なんて聞いたことがない。
「スペちゃん!」
声がした方に顔を向けてみると、スズカが柵を乗り越えてスペの元へ駆け寄ろうとしていた。
自分はスペに肩を貸して、ゆっくりとスペを立たせる。
そしてスズカがスペを抱きしめる。その瞬間、脚が崩れるかのように力を無くす。
「スズカさん、玲音さん。私、限界超えました……?」
「えぇ……!」
「あぁ!!」
「っ……私にとってのニンジンは……スピカの皆さんでした」
その言葉を聞いて、俺とスズカは笑った。
次の瞬間、東京レース場が再び騒がしく……いや、健闘を讃えるような賞賛の声が聞こえてきた。
俺たち3人は一斉に確定板を見上げる。
「同……着?」
「同着!?」
エルが驚いて、スペが素っ頓狂な声で言ったその単語と目の前に見えている単語……思考がショートして最初は理解できなかった。
しかし思考が落ち着いてくると『同着』の意味を思い出してくる。
てことはだ……今年の日本ダービーを制したのは。
『信じられません! ダービーを制したのは2人!! エルコンドルパサーとスペシャルウィークだ!!』
その瞬間、観客席から拍手が送られる。
「や……やったー!! スズカさん、玲音さんやりました!!」
そう言った瞬間、スペは俺とスズカに抱き着いた。
「あぁ! おめでとう!!」
「ダービー優勝、おめでとう!」
めちゃくちゃ喜ぶスペをスズカの2人で相手する。まぁ俺も興奮しているからちょっと変なテンションになっているけど。
「エルも、ダービー制覇おめでとう」
「玲音さん……はい」
……アレ、なんかいつものエルと違う?
変な違和感を覚えながらも、エルはスペの前まで歩み寄る。
「スペちゃん、ありがとう」
「えっ?」
いつもと口調が違うエルに少し困惑した表情をするスペ。
しかし、彼女の顔を見た瞬間、すぐに気づいたのだ。『こっちがエルちゃんの本当の素顔なんだ』と。
「ワタシ、今まででいっちばん楽しいレースでした!」
「っ……! 私も! エルちゃん、ありがとう!!」
そう言うとスペはエルに抱き着いた。それを見ていた東京レース場の観客たちは2人へ大きく温かな拍手を送った。
……その後、スピカのみんなや先生たちもトラックの中に入ってきて、若干暴走気味になっていた先生からスペを守るのが地味に大変だったのは、また別のお話。
・ダービーの出走時間に合わせるつもりだったのに2時間も遅れて申し訳ありません。(想像以上に長くなった……)
・デジたんが実装だってよ!! (石を溶かす)覚悟はいいか? オレはできてる。
・次回はダービーを終えてのお話にする予定です。