少年とウマ娘たち - ススメミライヘ - 作:ヒビル未来派No.24
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「ーーくん、ーーくん」
誰かが自分の名前を呼んでいる。
もう少し眠ろうか迷った。なにせ寝られたのなんて何日ぶりなんだろうと思うくらいだったから、このまま永遠に寝てしまうかとも思ってしまう。
だけどここで起きないとなんか永遠に起きられないかもしれない。そう思った俺は沈んでいる意識を覚醒の水面下まで持って行く。
ゆっくりと目を開けると目の前にいたのは、スズカだった。
「……スズ、ちゃん?」
「よかった、目が……覚めた」
そう言った瞬間、目の前にいたスズカは自分に抱きついてきた。
えっ、なして? よく見てみるとスズカの頰には涙が流れていた。
「よぉ、お寝坊さん……やっと起きたな」
その横には先生が……ってあれ? ちょっと待てよ?
なんで天井が見えるんだ……自分は確か観客席にいたはず。でもこの真っ白な光景、そして今自分は仰向けになっている。
これは……ベッド?
「先生……ここってどこなんですか?」
「阪神レース場の救護室だ」
救護室……もしかしてライスさんが運んでくれたのか?
少しズキズキと痛む頭を気にしながらゆっくりと体を起こす……思っていたよりも体が重たい、まるで鉛をつけているかのようだ。
俺の体は自分が思ってた以上に疲労を溜めていたらしい。
「というかお前、なんで菊花賞ウマ娘のライスシャワーと関わりがあるんだよ……メジロ家とも関わりがあるようだし、お前何者なんだ?」
「……普通の人だと思いますけど」
「普通の人はこんなに関わり持ってねぇよ!?」
先生の叫び声が救護室内に響く。それを聞いた救護員みたいな人が鋭い目線を送り静粛するように示唆した。
先生は「すみません」と救護員に謝り、咳払いをする。
「と、とにかくだ……玲音、お前なんで黙って先にこっちに来たんだ」
その顔はとても真剣なものであり……同時に本気で心配してくれている顔だと見て感じた。
俺は少し俯いて……申し訳なく話す。
「今の自分は、みんなの下にいる資格がありません」
「そんなことない……レオくんはーー」
「お前、気づいたのか……自分が空っぽだってことに」
「はい……先生はずっとそう思ってたんですよね?」
「あぁ、むしろなんで今まで気づかなかったのか不思議に思ったくらいだ」
「……ちょっと待ってください。レオくんが空っぽって、どういう意味ですか?」
俺と先生の中では会話が繋がっているが間にいるスズカは話についていけていない。
「スズカ、こいつにはトレーナーになる理由がないんだ」
「……どういうことレオくん?」
「俺がこの学園に入ったのは、スズちゃんに会うためだった。だけど本当にそれだけだったんだ。自分にはトレーナーを志す理由がない」
少し冷静に考えてみれば分かることだった。だが自分は幼なじみと再会してテンションがハイになっていた。だからこの前までそんな簡単なことに気が付かなかった。
……一年前、自分がトレーナー学科に入って初めてのロングホームルーム。みんなで自己紹介をする時間があった。そこではみんな将来どういうトレーナーになりたいかを語っていた。
だが、自分には将来のビジョンが見えてなかった。だから普通の自己紹介をした。
今思えばリギルを観察していた時、道以外の学生トレーナーに害虫を見るような目で見られた事があったが……あれは確か同じクラスの学生だった。
周りの生徒から見て俺は……中途半端な存在として見られていたんだろう。
「今の自分自身を分析を出来たのは良しだ……だがなぁ」
先生はそう言いながら俺との距離を縮める。そしてゲンコツを俺の頭に振り下ろした。
「痛っ」とそう声を漏らし、ヒリヒリする頭を摩りながら先生の言葉を聞く。
「何も報告なく勝手な行動をするな。これはトレーナーとか関係ない、社会人としてのマナー、報連相だ」
「はい……すみません」
「あとお前は今回で2回目だからな? 仏の顔も何とやらだ……分かったな」
「はい」
「それに玲音、そこまで分析したなら気付いていると思うが、その問題を抱える人間やウマ娘は多い……だから、触れ合うんだ」
「触れ、合う?」
「そうだ! たくさんのウマ娘と触れ合って、そして知るんだ! ウマ娘との成長というのはとても尊いものであるということを!」
「ウマ娘との成長が……尊いもの」
「んじゃ俺は先に戻ってるからな」
そう言って先生は救護室から出て行った。部屋には自分とスズカの二人だけになる。(いや救護員はいるけど)
それにしても……ウマ娘と触れ合う、か。
確かにトレーナーになる以上、ウマ娘とは切っても切れない縁になる。さらに俺が今通っているのはトレセン学園……多くのウマ娘が通う場所である。普通の生活でここまで現役のウマ娘と触れ合えることなど二度と訪れないだろう。
それにチームにもウマ娘はいる。スズカはもちろん、スペやテイオー、スカーレットにウオッカにゴルシ……みんなと仲を深める事で何か新しいものを見つけられるかもしれない。
そのためには……ちゃんとチームに復帰しないとな。
「……ねぇレオくん」
「んっ?」
「さっきレオくんは自分にトレーナーになる理由がないって言っていたよね?」
「あぁ……本当に恥ずかしい気持ちでいっぱいだよ。そんな中途半端な目的でこの学園に来てーー」
自分が少し自嘲気味に話していると、スズカは再び俺に抱きついた。彼女のシルクのようにツヤツヤな栗髪が首元をくすぐった。
ほのかにフローラルなシャンプーの香りもした。
「なら、私が理由になるのは……ダメかな」
「でも、俺はスズカと会うことだけしか考えてなくて、またスズカを理由にするなんて……」
「私の走りを見て」
「っ……」
「レオくんには誰よりも近いところで、私の走りを見て欲しい……そのためにトレーナーを目指すっていうのは、ダメかな?」
「……どう、だろうね。それを決めるのはもう少し考えてからかな」
「……そう」
そう言うとスズカは明らかに哀しそうな表情を取った。ウマ耳も元気がなさそうに垂れ下がっている。
そのままスズカは抱きつくのをやめ、ゆっくりと静かに救護室を出て行こうとする。
「待ってスズちゃん!」
スズカの手がドアノブに掛かったその瞬間、俺はベッドから飛び起きてスズカとの間合いを縮める。
そして、空いている左手を優しく掴む。
「レオくん?」
「今の俺には何が正しいかなんて分からない……でも数ヶ月前、スズちゃんがいるところに追いついてみせるって言った……あれは俺が今持っている本当の気持ちだ」
「……うん」
そう、スズカが11バ身という歴史的快挙を成し遂げたレースの時、俺はスズカの走りに魅せられた。
それと同時に近づきたいと……追いつきたいとも思った。彼女が見ている世界、そこは一体どんな世界なのだろうか。
見てみたい……幼なじみが見ている景色を。
「レオくん……みんなのところに戻ろう?」
「あぁ! っとと……」
寝不足と疲労が溜まっているからか、一瞬立ちくらみを起こしてしまう。
だけどライスさんが寝かしつけてくれたお陰で、少しはマシになっている。
俺はスズカと一緒に救護室を出て、チーム・スピカのみんなと合流した。
・ ・ ・
しばらく時間が経って宝塚記念のパドックが終わり、俺たちはターフへ入場するスズカを見送るために地下バ道にいる。
スズカは緑と白の勝負服を着ていた。その緑は彼女が駆けるターフの色。そして白色は北海道の地元の白銀世界を表現しているように思えた。
「スズカさん、頑張ってくださいね!!」
「ありがとうスペちゃん」
「スズカ、この宝塚記念で1番人気を得るということは全国のファンの多くがお前の走りを期待してるってことだ……だから今日はとにかく楽しめ!」
「はい……!」
そうしてスズカはターフの方へ向かう……と思ったが、彼女は俺の方に近づいてくる。
なんとなくスズカが何をしてほしいのか分かった。なので俺はスズカが近づく間にどんな言葉を掛けようか考える。
「レオくん……はい」
「えっ?」
しかしスズカは言葉を欲しがってる訳ではなかった。その代わりスズカはある物を俺に差し出す。
それは俺がスズカの誕生日の時、プレゼントとしてあげた翡翠のブレスレットと俺がスズカにプレゼントとしてもらった水晶のブレスレットだった。
「右手、こっちに突き出して?」
「あ、あぁ……」
俺はスズカに言われるがまま右手をスズカの方へ突き出す。
するとスズカは左手を支えるように添えて、空いた右手で水晶のブレスレットを手首に通す。
それは数ヶ月前にプレゼントを渡した時と同じようなブレスレット交換。
俺の右手首にブレスレットを通したスズカは、翡翠のブレスレットを俺の右手の中にひょいと置き、そのまま添えていた手をこっちに突き出す。
つまりこの翡翠のブレスレットを俺に着けて欲しいということだろう。
俺は一度翡翠のブレスレットを握り、そして左手を支えるようにスズカの左手に添え、ゆっくりとスズカの左手首に翡翠のブレスレットを通す。
そして左手を通し終えて……俺は両手でぎゅっと包み込み、そこに自分の額を当てる。
自分の勝って欲しいという想いを……このブレスレットに乗せる。
「「……」」
それは恐らく10秒とかとても短い時間だったが、俺とスズカはまるで時が止まったようだった。
俺は額を離して、ブレスレットを包んでいた両手をそのまま形を変えて、スズカの左手をギュッと握る。
「頑張って……行ってらっしゃい」
「うん、行ってきます」
そう言うとスズカは走ってターフの方へと向かっていった。
俺はさっきまでスズカの手を握っていた自分の両手を見つめ……そして強く握って瞼をきつく閉じる。
……今の俺は、確かに空っぽかもしれない。でも、目の前の幼なじみの勝利を祈る事はできる。
そしてそれが今の俺にできる……最大限の事。
俺は振り返る……するとなんだかチームのみんなは俺のことをじっと見ていた。
スペ・ウオッカ・スカーレットは顔を赤くし、ゴルシ・テイオー・先生は呆れたような顔をしていた。
「えっ、何すかこの空気?」
***
本バ場入場を終え、私はゲートの前まで来る。いつもは聞き流している観客たちの声が今日ばかりは全て耳の中の入って来るんじゃないかと思うくらい鮮明に聞こえた。
「スズカ」
名前を呼ばれて私は振り返る。するとそこにいたのはエアグルーヴだった。
「どうだ久々のGⅠは……胸が高鳴らないか?」
「そうね……ちょっと怖い気持ちもあるけど、私はいつもの走りをするだけよ」
「そうか。変わったな、スズカ」
そう呟くとエアグルーヴは自分の枠番のゲートの方へと去って行った。
「そろそろゲートインお願いしまーす!!」
URAのスタッフさんがそう言うとゲートが開き、出走するウマ娘たちが次々と入っていく。
私もそれに従い、大外である13番ゲートに入る。私が入ると後ろのゲートが閉まる音がした。
……昔はこの音がとても嫌だった。その音は私を狭いところに無理矢理入れられる音だったから。
でも今は違う……このゲートを抜けるとそこに待っているのは広い広いターフの世界。
だからこのゲートは少しの我慢、これを抜ければ私は自由に駆けることができる。
「(……それに)」
私は右手首に着けられた翡翠のブレスレットを左手で包み、胸に押し当てる。
私の走りを見て欲しい人がいる……だから今日のレースは、絶対に負けない。
『ゲートイン完了、出走の準備が整いました!』
レース場のアナウンサーがそう言うと観客席は少し静かになった。それと同時に私の鼓動が自分自身でも感じれるくらい高鳴った。
しばらくの沈黙……それはとても長く感じる数秒。だけど、私の心の準備は完全に整った。
「(さぁ、行こう……!)」
そう思ったのと同時にガコンッという音が響き、前が開ける。
そうして私は……ターフの世界へ足を踏み入れた。
***
『スタートしました! 13人、これからスタンド前に出てきますが……やはりサイレンススズカ! サイレンススズカが外からじわーっと内にコースを変えながら先手を窺います!』
夢のドリームレース、宝塚記念が始まりスタンドに集まったファンたちは大声を上げ、出走を喜ぶ。
そんな中俺たちチーム・スピカの全員は黙って勝負を見守る。
見た感じスタートダッシュは上手くいき、あまりスピードを殺さずに一番手で内に入られた……俺からすれば最高のスタートに見えた。
そしてそんなスズカの後ろにいるのは……3番ゲートから出走したドーベルだった。宝塚記念は最初の坂に入るまでの直線が長いがこの時点でスズカとドーベルの差は少しずつ開いて行っている。
少し後ろを見てみると中団にエアグルーヴがいる。
レースは第1コーナー、そして第2コーナーを回るが……この時点で1位と2位の差は3バ身ほど開いていた。
そのことに不安がる観客の声も聞こえて来るが……スズカにとってはこの逃げが当たり前なのだ。
誰にも追走を許さない……先頭の景色を譲らない走り、それがスズカが貫く走りだ。
第2コーナーを回った後の直線……そこである変化が起きた。
スズカがさらに加速した……さらに差は離れていき、その差はおよそ7・8バ身。
「スズカさん……やっぱりすごいですね」
「うん……GⅠでも、スズの大逃げは通用する! この宝塚……いける!」
「……それはどうかな」
「えっ?」
先生が言った意外な言葉に俺は困惑を隠せなかった。
今のスズカには”どこにも”心配なところなんてないはず……けどそう言う先生の額には汗が流れていた。
それは暑さによるものもあったかもしれないが……それは冷や汗もあるのだろう。
「(先生は一体……何を心配しているんだ?)」
「あっ! スズカ先輩と中団との差が!?」
スカーレットがそう叫んだのを聞き、俺はすぐにレースの方へ視線を向ける。
レースは第3コーナーの中腹に差し掛かっているが……先頭を走るスズカと中団を引っ張っているドーベルとの差がどんどん縮まっていた。
なんで……スズカの大逃げはここで追いつかれるようなものじゃないはず。
「前回の大逃げした時の距離は2000m。それ以上の距離をスズカは経験していない。だからスタミナが保つかどうか……」
だから先生はあんなに階段ダッシュを中心的にやっていたのか……坂もあるが、スタミナを上げるためにも。
第4コーナーに差し掛かったタイミングでスズカはチラリと後ろを見る。その差はおよそ4バ身ほどに迫っていた。
「スズちゃん!!」
「スズカさん!!」
最後の直線、中団と後方はさらに加速してスズカとの差はぐんぐん縮まっていく。
俺は手で目を隠そうとする……怖い、見たいけど見るのが怖い。
それでも俺は覆いたくなる気持ちを必死に抑えて最後まで見守る。
『さぁサイレンススズカのリードが詰まってきた!! 外からキンイロリョテイ! ちょっとエアグルーヴは伸びない!!』
最後の直線に差し掛かり、スタンドにいる観客たちは応援を走っているウマ娘に送る。阪神レース場へ来ている観客のボルテージは最高潮に達しそうだった。
スズカの後ろにいるのは今回は7番人気だったキンイロリョテイがジリジリと差を縮めている……その差は2バ身ほどになっていた。
「はああああああ!!!!」
さらに残り200mを越えると外からエアグルーヴがすごい勢いで上がって来る。あっという間に二人交わして、キンイロリョテイとスズカに近付く。
逃げるサイレンススズカ、追うキンイロリョテイ、差そうとするエアグルーヴ……誰が勝つかと俺を含めた観客は瞬きを忘れてレースを見守る。
しかし次の瞬間、さらにスズカが加速した。キンイロリョテイは差を縮めようとするがそれ以上は縮められない。
逃げというのは普通、序盤で先頭に立ってスタミナのペース配分をしっかり考え、ゴール板を駆け抜ける作戦、普通の逃げならこの時点でスタミナはあまり残っていないはず。
それでもスズカは加速した……あえて言葉にするなら、逃げて差す……そんな言葉が合っているだろう。
『サイレンススズカだ!! 先頭ゴオォルインッ!! 逃げ切りましたサイレンススズカ!!』
『(ワー!!)』
夢の舞台を制したのは俺の幼なじみだった。その結果に俺は一瞬思考を止めてしまったが……口は勝手に動いた。
「「いやっっったあああああああ!!!!」」
どうやらスペも同じことを思っていたらしく、俺たちは同じタイミングでスズカの勝利を喜ぶ。
「おわっ!? お前らがそんな声出すの久々だな……」
「でもこれくらい騒がしい方がスピカって感じもするけどな」
先生とゴルシが何か言っているが、喜んでいるスペと俺はそんなセリフを気に留めようとはしなかった。
するとスペが柵を乗り越えてスズカの方へ駆けていく……そしてそのまま抱き付いた。
自分も後に続こうと思い柵に手をかける……その時、俺の視線内には確定板が映った。そうして俺はそこに書かれている番号を見て、はっと思い出す。
5着には……ドーベルがいた。
少し視線を外してターフの方を見てみると、息を整えながら顔を俯かせているドーベルの後ろ姿が見えた。
そうだ……勝者は一人なんだ。
スズカが勝ったのは嬉しい……でもその横で悔しさで拳を握り締める友人の前で他の娘の勝利を祝っていいのか? それはかなり失礼なことなんじゃないか?
そう考えると俺は柵から手を離しーー。
「行ったらどうですか?」
「マックイーン……来てたのか?」
「わたくしはメジロ家の関係者ですから……それよりも、スズカさんに声を掛けに行かなくてもいいんですか?」
「見えるだろ。スズカは勝っていてもドーベルは勝っていない……これを素直に喜んでいいのか……」
「玲音さんは今日、誰を応援していたのですか?」
「……スズカだ」
俺はレースが始まってから基本、スズカの事しか考えていなかったから、それが答えなんだろう。
「なら、自分の素直な気持ちに従ってみればいいじゃないですか。それにドーベルはもう地下バ道の方に行きましたよ」
マックイーンに言われて、確かにドーベルがあのターフにいない事を確認した。さらにマックイーンは促すかのように俺の肩をポンッと叩いた。
それに従って俺は柵を乗り越え、スズカのもとに駆けていった。
だけど、今は喜ぶだけではダメだと心の奥でそう思った。
・1998年宝塚記念、JRA公式の実況より。
・YouTubeの怪文書チャンネルでスズカ怪文書が採用されて4分30秒尺を埋めてしまったw
・次回は宝塚記念の後のお話の予定です。