止まれなかった少年の話 作:下弦の鬼
意識を呑み込んでいくのは、冷えた闇。
既に手足の感覚は無く、体を支配する重さも無い。あるのは、何もかもが零れ落ちていく空白の中だけ。
否、過ぎるのは空白ではなく俺と言う人間が生きた日々の破片。
見覚えのない光景、見覚えのない人々。
けれど、その一つ一つに確かな意味があった。記憶は無くとも残ったモノがあった。
移り行く時間と人の中で、貴方達と出会った奇跡。
多くの人と出会う中で、貴方達と心を通じ合えた喜び。
誰かの幸せのために命を賭けて、貴方達と共に戦った日々。
いつ途切れるかも分からない日々の中で、貴方達と共に生きていた時間。
思い返すはほんの一瞬。人にとっては瞬きのような僅かな一時。その刹那であっても目に焼き付いてしまう程に美しい輝き。その生き方に強く憧れて。その生き様が尊く感じられて。
それには何一つの例外も無い。
駆け抜けた光景を思い出す。優しい人達、誰かの幸せのために自身の命すら賭ける程。
そんな彼らと歩んだ記憶。心を彩る愛しいばかりの時間。思い出すだけで笑んでしまう程に。
俺には赦されない事であるけど。もしも叶うなら、どうか永遠に続いて欲しいと願った温もりの日々。
頬を伝う温かい感情――涙が、零れ落ちた。
月が輝く夜。何もかもを呑み込むような夜空において尚も煌めく月光は、霞む事無く世界を照らしている。
そんな中を一人の男が駆けていた。森の中を、何かから逃げるように走っている。その速さは常人が出せるモノではない。ましてや片腕を落としたままではあるが、重心は崩れていない。足音がした頃には既に体はその先へ跳んでいた。
常人離れした身体能力を持つ男は、行動とは裏腹に恐怖の形相を顔に貼り付けている。
「なんだよ、アイツは! なんでだ! 何で腕が再生しねぇ! クソ、クソッ、クソォッ!
痛ェ、灼けるように痛ェ……!」
こんな筈ではない、と男は悲鳴を上げながら尚も走る。
ほんの少し前。人を食える筈だった。
山里にあった小さな集落。そこには数多の人々が暮らしていて、故に食料には困らないと思い、襲撃をかけようとした。
両足に力を込め、跳躍するべく腰を落とす。目的は村の中心部。夜であれば、宙に人がいるなど思う筈も無い。
人を喰らう。喰らって喰らって、食らい続ければ、やがて下弦へ。そして上弦へと――。
『遅い』
瞬間、風が駆ける。僅かな振動と共に何かが飛んだ。
宙を舞い、自身の眼前へ落ちた其れは己の腕であった。
『あ、れ?』
自身の腕を見る。――そこには何もない。
肩の先がどこにもつながっていない事を確認して、ようやく感覚が痛みに気付いた。斬られた断面が、灼熱を以て激痛を訴える。
『香る死血に魔性の臭い、悪鬼の類と見る。
……何人、食った』
現れたのは一人の少年。かつて屠って来た隊士と同じような服を纏い、右肩には白い外套が掛けられている。光宿さぬ無機質な瞳に、鉄のような固さを思わせる仏頂面。その双眸が、今から斬ると告げていた。
見えたのは首元にある絞められたような跡の痣。それを見た瞬間、自身の頭部が跳ぶ未来を幻視する。
その瞬間、目的も何もかも忘れて逃げるように走り出す。僅かでも足の力を緩めれば、その刃に頸を断たれると本能が叫んだ。
『ひっ、ひぃっっ!』
怪物のような男からすぐさま逃走した。生きていたいと思うが故に、全力で逃げる。
体は一刻を走り続けたと訴ったが月の位置がそれを否定した。月夜の影はそれほど動いていない。
恐怖が心臓を圧迫し、鼓動が早鐘を打つ。そのまま何もかもが破裂しそうな錯覚があった。
最早この状況を続ける事に意味は無いと気づき、翻って反撃に移ろうとし――。
「眠れ、永遠に」
一瞬の痛み。そうして最後に見た光景は、頭部を失くした自身の体であった。
血を払い、刀を納める。納刀の音が響き、体を落ち着けるように息を吐いた。
斬り捨てた鬼の骸は霧が晴れていくかのように少しずつ消えていく。その冥福を祈るようにして手を合わせた。例え悪鬼であろうと、命は命。故に成仏を祈る。
右肩に掛けた白の外套を整える。幸い返り血は付いていない事に安堵する。妹も同然の少女からの贈り物だ。汚してしまう訳にはいかない。というか汚したり失くしてしまったら、わざわざ彼女を引き取って面倒を見てくれたあの姉妹に合わせる顔が無い。
「――討伐完了。
「反応ナシ! 討伐完了! カァーッ!」
「……そうか」
鬼殺隊――呼吸を使えない剣士、
師と呼べる人物は、前世の記憶。彼らの姿を思い出し、自己暗示を行う事で全集中と同様の身体強化を行う。それに加え師でもある人から習った反復動作を用いてさらに底上げを行い、鬼を滅する。
何の取り得も無い人間の癖に、幸い剣の才だけはあった。故にほとんどをそれに頼った我流の鬼殺。
無論、そんな戦い方をするのは俺ぐらいなモノだ。他の隊士達は皆、呼吸を使用し鬼と戦っている。俺に呼吸の型などなく、出来ると言えば動きの模倣ぐらいであった。
本当によく最終選別突破出来たよね、当時の俺。史上最年少での参加だったそうだし。ホント悲鳴嶼さんには感謝だ。
「……まだ余裕がある。八咫、ここから近い距離にいる鬼は分かるか」
「任セロ!」
「助かる」
持っていた木の実を一つやって、鎹烏である八咫を追うように後を走る。
ふと、自分の右手を見た。握った刀で多くの鬼を斬った。握った手で多くの隊士を看取った。
託されてきた願いがある。終わり行く者達の祈りがある。歩けなかった未来がある。――だから俺には果たさなくてはならない。
鬼を狩る。一匹でも多く。
人を救う。一人でも多く。
誰かが生きた意味を無駄にはしないために。命を懸けて守られた未来に意味があるように。
それがきっと、俺の生まれた意味であり生きている理由に他ならない。
でなければ俺は、何のために今を生きているのか。
呼吸も使えない偽物の剣士。何も出来ない俺だけど、それでも誰かを救い続ける。力が無くとも誰かの未来を守り抜いた彼らのように。そして彼らが頑張って生き抜いた人生の最期に、ほんの少しでも微かな輝きを得られますように。
大正コソコソ噂話
オリ主の先祖は炭焼きを生業する家系。本家からは離れてしまっているが、もし何一つ違っていればとある耳飾りをつけていたかもしれない。