止まれなかった少年の話 作:下弦の鬼
俺も時折鍛錬に参加しながら、体の調子を取り戻していた。いや、取り戻していたと言うよりも確認していたと言う方が正しい。
手を握り、手首を回す。以前の調子に何とか戻せているようだった。
それと気になった事がもう一つ。
「……何故いる」
「貴方のせいと、でも言いますか。いえ、貴方のせいですよ」
珠世さん、普通に蝶屋敷にいるんですけど。
え、何で。
何で、俺の隣で普通に座りながらお茶飲んでるんですか。今は夜だから、縁側にいても問題無いけど。
「以前、貴方の診察で血を頂いた事は覚えていますか」
「……」
「その件でどうしても、産屋敷当主に伝えたい事があって。今はこうして匿われています。
色々大変だったんですよ。ですが、貴方の鴉が無惨の血を届けてくれた事に対して私も相応の働きをしないといけないと思ったのです」
「……」
「鬼狩りの場面で、貴方が言っていた花柱の方にお会いして事情を話して、手を回して頂いて」
カナエさんなら大丈夫だろう。鬼と仲良くしたい、って言ってたし柱の中でかなりの穏健派だ。
……穏健派だよね?
「ちなみにカナエさんとお会いした時に聞かれたのは貴方の行方について、でした。嘘を吐いたら頸を斬るとまで言われましたし」
えっ。
「貴方が行方をくらました事で、気が気じゃなかったのでしょう。妹のしのぶさんも愈史郎と何度か揉めましたし。
……何回、命の危険を感じた事か」
「……何故、そこまで」
「言った筈です、貴方の事についてだと。どうしても、気になる事があったので」
珠世さんは小さく息を吐いた。俺を覗き込むその瞳が、酷く揺れているように見える。
「――辛くは、ありませんか」
「辛いのは俺だけじゃない。
みんな、頑張ってる。だから俺も頑張らないと」
「……そう、ですか。貴方がそれを望むのであれば」
それ以上は聞きません、と告げて。珠世さんは夜空を見上げる。
「……私は時折、返して欲しいと思う時があります。病に倒れていた私を懸命に支えてくれた夫と息子。
せめて我が子の育った姿だけは見たいと、心の底から願ったのです。――そこをあの男に付け込まれた」
……ああ、そうだろう。何となく予想はついていた。
貴方は誰かのために強くなれて、誰かのために優しくなれる人だから。
「――あの男の事は無論許せない。地獄に叩き落してやりたいとすら思います。でも、それでも私は……私自身を許せない」
……あの時、耳飾りを触った時に見た記憶が正しければ。彼女は少なくとも三百年以上の間、その思いを抱えながら生きている。
共に生きようと誓った人、共に行きたいと願った人。――そんな人達を自分の手で殺めてしまった後悔。
百年を超えた歳月の間、その罪と向き合い続ける。ずっと一人で。ずっと孤独で。誰にも赦しを請える筈が無く。
それを生き地獄と言わずして、何と言う。
貴方はまだ自分を許されないと思っているのかもしれないけど、それは違う。
償いなら、とうに済んでいるだろう。そして貴方が大切に想う人たちが、そんな事を願い続ける人である筈が無い。
「――それでも、俺は。貴方に生きていて欲しいと思うよ」
「……っ、貴方が、それを言いますかっ」
「ああ、言うとも。身勝手かもしれないが、俺は貴方を母のように思っていた。もしも生きていてくれたのなら、貴方のような人だったのだと」
勝手に重ねていた。勝手に感じていた。俺はこの人にどこか、母の面影を重ねていた。
温かくて、優しくて、穏やかな――。
「……――貴方は、本当に……どこまで……」
「……生憎、そういう性格なんだ」
――孤独になんてなりたくない。
人の感覚のまま数百年と言う歳月を独りで生き続ける。それがどんなに苦しくて、寂しくて、辛い事なのか。
俺には想像する事しか出来ない。そうして自分勝手な物差しで、彼女の苦悩を理解したつもりになって。
分かっている。しなくてもいい同情、余分な共感、独善的な連帯感――でも、それでもどうか。彼女が幸せになって欲しいと思うのだ。
こんな俺が、赦される筈も無い未来を
珠世さんも、俺にとってはその中の一人で救われて欲しい人だから。
「……雪さん、私は出来うる限りの準備をしています。無惨を殺す薬、鬼殺隊の治療、とある隊士の毒の調整――そして貴方が生きる未来」
「……」
「貴方が無理をしなくてもいい世界を。そしていつか、皆さんの前でも強く笑えるように。
ですからどうか、生き延びてください」
「……」
「……」
うん、大丈夫。
大丈夫だ。
「……分かっている」
地獄に行くのは、俺だけで――。
「……花火?」
「ええ、その近くで上がるみたいよ。鬼殺隊を支援してくれる華族の人が主催するそうで、その準備を頼まれてるの」
カナエさんから聞いた言葉に状況を整理する。
数日後、この近くで花火が上がる。人が集まる事は逆に言えば鬼を引き寄せる事も同意。故に危険が無いよう、事前に周辺の鬼を一掃していて欲しいと言う依頼であった。
お館様も賛同され、柱全員に通達が行っていると言う。
やはり士気を上げる目的もあるのだろう。人々が平和に過ごす光景は、鬼殺隊が守らなければならない第一であるからだ。
「……なら、俺も行こう。そろそろ鍛錬だけでは限界がある」
「ええ、だから私としのぶが同行します」
えっ。
「貴方が無茶しすぎないためにね。雪くんだったら、またしれっと上弦に出くわしてもおかしくないもの」
「……」
一理どころか納得しかない。
既に上弦の壱と上弦の弐に遭遇し、生還している俺である。もしかすると無惨本人とばったり会う時があるかもしれない。
その時は、死力を尽くして戦うのみだが。
閑話休題。
しのぶさんとカナエさんはお洒落をしていくそうだが、俺は生憎無地の着流しぐらいしか無い。
どうせなら宇髄さんのように洒落たものがあれば借りていこうか或いは真似して買ってみようか。
「……俺も音柱のような装いが必要だろうか」
「似合わないからやめておきましょう」
「……」
一刀両断された。確かに真実だけれど何もそこまで言わなくてもいいじゃないか。
……うーん、どうしたものか。
「雪くんは派手な柄、似合いそうにないもの。貴方の性格にあったものが一番だと思うわ」
性格……地味で暗い色ですね。
元々後ろ向きな性格ですもん。
そう考えていた所へ、手を差し伸べられる。
「ほら、一緒に見に行きましょう」
「……助かる」
誰だ、お母さんと一緒に服を買いに行ってるとか言う奴は!
俺が叩き斬ってやる!!
……と、まあ冗談は後にして。
隊服の上から黒の着流しを羽織り、笠を被る。夜に慣れた生活のせいか、どうにも日の光は苦手だ。
「隠さなくてもいいのに」
「……外は苦手なんだ」
「そう? 勿体ない、私は好きなのに」
「外を歩く事が?」
「ううん、雪くんの顔」
「……」
いや、ホントそういう不意打ち止めてください。
幸い表情筋死んでるからニヤける事は無いけど、めっちゃ恥ずかしい。
こういう時ばかりは助かる。
「……眩しい」
「慣れるわよ、大丈夫」
「そうか……」
歩いているとめっちゃみられる。いや、まあそうですよね。カナエさん滅茶苦茶美人だし。
俺の知る現代の街を歩いていても、思わず振り返る自信がある。
そんな視線にどこか引け目を感じてしまって目を逸らすように歩く。
……カナエさんやしのぶさんの傍にいるといつも思う。二人の両親を救えなかった俺なんかが傍にいていいのだろうか。
二人には幸せになって欲しい。素敵な人と出会って、素敵な子に恵まれて。どうか天寿を全うしてほしい。
そのためなら俺は何だって出来る。命だって賭けられる。手足だって惜しくは無い。
でも俺には、彼女達を幸せにする事が出来ない。鬼を斬る事しか能が無い。戦う事しか出来ない。
何より貴方達と過ごすこの時間すらも、俺にとって――。
「雪くん?」
「……大丈夫だ」
大丈夫、まだ覚えてる。まだ思い出せる。
独りなんかになりたくない。
蝶屋敷は一晩アオイさんと三人娘が担当してくれる―何でもカナエさんとしのぶさんに休んで欲しいため―と言う事で、俺と胡蝶姉妹は花火がよく見える場所へ出かけていた。
「凄い、人混みだな」
「雪くん、こういうのは初めて?」
「……行く理由も無かったからな」
「なら良かったじゃないですか。ちゃんと覚えててよね、私と姉さんが一緒にいてあげるんだから」
「あら、しのぶったら素直に言っていいのに。ずっと前から、着物の柄で悩んでたじゃない」
「ねっ、姉さんっ!」
「――師範、しのぶ姉さん、雪兄さん」
「カナヲーっ、良かったわ間に合ったのね」
「はい、すぐ駆け付けてきたので」
珍しくカナヲが息を切らしていた。急遽任務が入るや否や日輪刀を携え、颯爽と屋敷を出ていったのは今日の夕方だった気がするが……。
隊服の上から白い外套を羽織っただけのいつもの服装――着替える時間が無かったのだろう。
頭に手を置いて優しく撫でる。
「あっ……」
「間に合ってくれて良かった」
「……うん、雪兄さん達と一緒に見たかった、から」
花火が夜空を彩る。鮮やかな閃光が夜空に沈んでいき、闇へ溶けていく。
傍には初恋の人達と妹も同然の大切な人がいて、穏やかに笑ってくれる。
ああ、幸せだな。
ずっとここにいたいなぁ。
この光景が永遠に続いてくれたら、いいのになぁ。
翌日の事――それでも時は止まる事無く淡々と動き続ける。
時刻は夕暮れ。まもなく、鬼達が活動を始める時間であった。
「……好調だな」
装備を整える。新たに支給された隊服を身に付け、支給された日輪刀を腰に差す。カナエさんとしのぶさん、カナヲが作ってくれたお守りを首からかけた。
「八咫、情報を」
「農村近クデ、鬼ノ目撃情報有! 隊士数名ガ殺害サレテイル!」
「分かった」
部屋を出ようとして、しのぶさんとカナエさんの二人にすれ違う。
「雪くん、今から任務なの?」
「ああ、まだ指令は来てないが鴉が情報を集めてくれていた。そろそろ行かないと、腕が鈍る」
「……その、大丈夫?」
「何がだ」
「何だか、不安そうに見えるけど」
「……大丈夫、ちゃんと帰ってくる」
「そこは心配してない……いえ、ごめんなさいちょっと不安だわ。
……貴方、どこか抜けてるし」
二人がそっと体を寄せてくる。
しのぶさんもカナエさんもさ、事あるごとに体寄せてくるのやめない?
そんなん俺勘違いしちゃうでしょ。
「……」
そういえば。
いつだったか三人へ準備した簪を思い出した。確か二年も心配をかけてしまったお詫びにと、簪を作ったのだったか。
けれど渡すのは今じゃない。何も出来ていないから。
二人から離れる。名残惜しいけどそろそろ行かないと。
「今度は無事に帰ってきてね」
『何故まだお前が生きている』
「――」
カナエさんの口が動いて、聞こえてきたのは二つの声。
「次泣かせたら承知しませんから」
『逃げてるお前には誰も救えない』
「――」
しのぶさんの口が動いて、聞こえてきたのは二つの声。
「――……分かってる、分かってるから大丈夫」
だからその報いはちゃんと受けるよ。皆の分までしっかり苦しむから。
皆の生きた意味を、無駄にはしないから。
もう少しだけ待っていてくれ。
「……あまね、珠世さんからの手紙をもう一度読み上げてくれ」
「はい」
『彼、神月雪は人でありながら鬼の力を持っています。彼の力は鬼から受けた血鬼術の影響を受けて生まれついての痣が変性変質を起こしたものだと考えられます。鬼の力を持っている代償として、味覚の喪失は確実なものでしょう。
本来、痣を発現させてしまうと、二十五歳未満までに死亡する。――ですが、彼の痣はその特質すらも変えています』
『彼の痣は、驚異的な身体能力と鬼には及ばずともそれに近い再生能力を与える代わりに彼の記憶を、奪っていきます。重傷から回復する時や戦闘が長引く程、その影響を強く受ける。
そして精査して判明した事ですが、彼は普通に過ごすだけでも記憶は零れ落ちていく。忘れるのではなく、消されていくと言った方がいいでしょう。
失った記憶は最初の内であれば物忘れで済むような段階に留まり、現在はまだ強い切っ掛けがあれば思い出せる段階ですが。
最終的には全ての記憶を失い、ただ息をするだけの体になる可能性が極めて高いです』
『なってしまえば最後、助ける術はありません。記憶を戻す手段も無い。介錯、しかないでしょう。
そして、その最終段階に至る可能性は遅くとも。後半年以内は確実だと考えられます』
『そして彼は、その事実に気付いていたでしょう。彼が何故私達の記憶を長期にわたって保っていられたのかは不明ですが、恐らく彼が発症していた幻聴幻覚の類によって、奇跡的にその記憶は留められていたのだと思います』
脳裏に過ぎるは彼の言葉。
(俺は剣です。鬼を滅する刃であり続けます。だからどうか、躊躇なく命令を)
「雪、キミは……こうなる事を知っていたのかい」