止まれなかった少年の話 作:下弦の鬼
八咫が集めてくれた情報を元に農村へたどり着く。周囲は樹木が乱立しており、確かに鬼の出現場所としては申し分ない。
そして眼前にいるは一人の鬼。
瞳には『上弦』と『参』の文字。
「八咫、離れていろ」
「カァー! 死ヌナヨ!」
八咫が飛び去っていく。周囲に隊士がいれば応援を呼んでくれるはずだ。
でも、八咫にはもし俺が上弦と遭遇したら無理に離れず、それを見届けるように伝えてある。
「お前が黒死牟と戦い、童磨の言っていた剣士か。
……――あぁ、成程虫唾が走るな貴様」
はい、何か出会って数秒で嫌われました。
まあ丁度いい。俺もどうしてか、コイツを一目見ただけで相容れないって思ってしまったし。
「奇遇だな、俺もお前が嫌いだ」
「死ね。――貴様を生かしておく理由は無い」
破壊殺・羅針
雪の結晶のような紋様が地面へ展開される。
羅針、と言っていた。ならばあれは探知に類するタイプの鬼血術と見るべきだ。
刀の柄を強く握りしめる。
(あれ……)
一瞬脳裏にノイズが走って、何かが小さく割れるような音がした。
けれどそれが何なのかを探ろうとした意識を、膨れ上がった殺意が圧し潰す。
抜刀――赫熱を纏わせた斬撃。けれど、それは上弦の壱には通用しなかった。
故に探る。この一撃でどう出てくるか。
眼前の存在が、あの壱に匹敵するか否かがそれで分かる。
「!」
僅かに反応が遅れて、その斬撃を拳で相殺した。
――あぁ、成程どうやら壱程ではないらしい。ならばやれる。ならば勝てる。
「ああ、見事な技! 驚嘆に値するその練度! その攻撃がお前で無ければ! 鬼になろうと口にしたのに!
何故、何故お前なんだ!」
腰を落とす。地を蹴る。
居合、抜刀。やつの体を浅く斬るにとどまった。
些細な違和感を覚える。――俺の中の何かが、力を出す事を拒んでいた。
「再生しない……? は、ハハハハハ!!!!
――殺す」
破壊殺 空式
奴が宙に飛ぶ。空を切る拳――それは先ほど俺が打ち出した斬撃のように。
放たれた拳は空気を圧出し、一種の弾丸と化す。その余波だけで地面が抉れている。もし直撃すれば骨折は免れない。
けれど、上弦の壱の技ほどではない。
「――斬る」
着地の瞬間を狙う。弾かれるように飛び出し、柄を強く、強く握りしめる。
読まれる事を見越した攻撃。相手が予測していると言うのなら、その先を見るだけの事。
「ッッッ!!!」
まずは腕を落とす。相手が徒手空拳なら攻撃手段そのものを叩き潰す事は単純。
されど、やはり上弦だけあって容易な相手ではない。
前腕を真っ二つにするだけに、とどまった。
「惜しい……惜しい。その力を持つのが貴様で無ければ、何としてでも鬼に誘っていた。
死ね、疾く死んでくれ。お前の存在が、一秒でも生きている事自体が不愉快だ」
「奇遇だな、俺もだ」
とめどなく続く打ち合い。僅かでも遅れれば、絶命の拳に貫かれる応酬。
――瞬間、体が悲鳴を上げて。すぐさま飛びのいた。
「……っ!」
体中に刻まれたような傷痕が浮かび上がって、喉から血液がこみ上げる。
いつ受けたか――否、これは刀による傷。目の前の鬼ではない。
「なんだ、その傷は……」
思わず片膝を着く。
記憶を巡らせる。――過ぎったのは六つ目の鬼。
上弦の壱との戦いで受けた傷。今まで強引に誤魔化し続けてきた体が、とうとう隠しきれずに悲鳴を上げていた。
「まあ、いい。ただ殺すだけだ」
「!」
振り絞られる右腕。彼の鬼なら、ほんの刹那な時間にそれを行うだけで十全の破壊力を宿す。
故に受けるな、流せ、避けろ。真っ向から打ち合えば、人は容易に負けるのだから。
絶え間なく打ち込まれる殴打は、止む事を知らぬ激流のよう。
流す、流す、流す。見極めるは数秒後の生存。止めるな、緩めるな、動き続けろ。
視界が狭窄するが、問題ない。眼を瞑ろうと、世界は意識すれば透き通って見える。幸いなことにヤツの攻撃は全て四肢から繰り出される肉弾。体が動き続ける限り捌けぬ道理は無い。
「――!」
既に戦闘を続け、どれだけの時間が過ぎたかは分からない。
右腕を半ばまで斬りつけて――落とす寸前に身を引かれ、切断にまでは至らない。
「ちぃっ!」
終式 青銀乱残光
四方八方へ繰り出される殴打の嵐。
その悉くを斬り捨てる。――斬るなら今。
「何っ……!」
ほんの僅か。瞬きのような隙間――その頸に刃が届いた。
「ぐぅっ、なぁっ……!!!」
「!」
振り切ろうとする刃を、掴んで止められる。今までなら落とせたはずの一撃に反応してきた。
破壊殺 砕式 万葉閃柳
意識が暗転し、背中が打ち付けられる。
体の内側から折れるような音。
「殺す殺す殺す……!」
破壊殺 滅――
炎の呼吸 一ノ型 不知火
繰り出されようとするその絶技を、赤き一刀が止める。
「させん!!!」
「――邪魔するなっ!!」
大気が衝突する。
眼前で行われる剣戟。その間に自身の体を検める。骨の大半が折れていた。臓器損傷もあったとみていい。
再びの戦闘続行は困難。――されど、まだ刃はこの手に。
強く、強く握りしめる。
燃える刀を、鬼の男へ投げつけた。
「ぐっ……!!!」
「――待て、逃げるな!!!」
見れば朝陽が昇ろうとしていた。ほぼ一晩、あの鬼と打ち合っていたようだった。
上弦の鬼とて焼かれれば即死する。故に、彼がとった行動は全力での逃走。
戦況から見れば、確かに最善の一手ではあった。
蝶屋敷――その一室で、胡蝶カナエは何かが砕け散るような音が聞こえた。
食器が割れるような類ではなく、もっと別の。
とても大切な、閉じ込めて手元に置いておきたいモノが、壊れてしまったかのような。
「……!」
「どうしたの、姉さん」
「いえ、何でも無いわしのぶ。
……ただ、その。嫌な予感がしちゃって」
「……姉さん、も?」
二人の脳裏に過ぎるは、一人の少年の姿。
どうしてか、またあの時のように消えてしまう予感がして。
「大丈夫、信じましょう」
「……うん」
不器用故に、居場所すらも無くしてしまいそうな彼の事を思い出す。せめて蝶屋敷だけはそうであって欲しいと願った。彼の心の安らぎになればと思った。
――いつか彼が穏やかに笑えるようにと。
帰ってきたらお帰りと言ってあげよう。きっとお腹を空かせて来るだろうから、食事もたくさん用意しよう。行く先で見た名前も知らぬ街の話をしよう。
それが少しでも、彼の救いになるなら。
視界が暗い。
重傷は負ってない筈。だと言うのに、体が酷く眠い。
ダメだ、帰ると決めたんだろう。待ってる人がいるんだ。いる、筈なんだ。
(……本当、に?)
誰かが叫んでいる。
派手な色の髪の男性が、何かを呼び掛けている。
――彼の名前は、一体何だったのだろう。
(……何で、俺。ここにいるんだっけ)
意識が暗転する。記憶が罅割れ砕けていく。
最後に垣間見えたのは、紫色に垂れ下がる鮮やかな花とその下を舞う一対の蝶だった。
――隊士神月雪が上弦の参と遭遇し交戦。別の任務に出ていた炎柱が偶然にもその場に居合わせ、撃退。神月雪は重傷。すぐにその場で応急処置が行われた後、蝶屋敷へと搬送されるも意識不明。
その翌日、産屋敷邸にて緊急柱合会議が開かれた。
「――杏寿郎、無事によく帰ってきてくれたね。無限列車の乗客人二百人、見事に守り抜いてくれた事感謝するよ」
「いえ、竈門少年達の尽力のおかげです。上弦の参を退けたのも雪殿の独力によるもの。
俺は……柱であるにも関わらず、彼一人救えませんでした。不甲斐ありません」
「……カナエ、彼の容態は」
「……容態こそ、安定はしています。ですが意識が戻っていません」
「…………そう、か」
彼は何かを考え込んだ後、小さく頷いた。
「私は、彼の事を打ち明けようと思う。私もつい先日知った事だ。
実はとある医者から彼の事について話があった。私も信頼を置いている御人だ、話は紛れも無い真実と思っていい」
「話、ですか」
「うん。彼は……戦えば戦う程、傷つけば傷つく程記憶を失っていく」
「――え」
呆然とした声が上がる。
彼と親交の深かった者は多い。あまり交流はなかったけれど、彼は隊士や隠達の間でも有名だったから。
「それ、は」
「彼の体質と過去、私もそれ以上深くは言えないけど。その段階は手の施しようがない状態に近づきつつある。
……私達の事を、覚えている事すら奇跡に等しい可能性だそうだ」
「うそ……ですよね」
「カナエ……キミとしのぶ、行冥は確か彼と深く関わっていたんだったね。
――……出来れば彼に、寄り添ってあげて欲しい」
私が言える事じゃないけど、と弱々しい声で呟いた。それはまるで、風に掻き消されてしまうかのように儚かった。
「師範、しのぶ姉さんお帰りなさい」
「カナヲ……」
かつて彼が拾ってきた一人の少女。彼に救われ導かれるようにして、彼女は一人の人物として育ち、多くの人達を助けている。
――そんな彼女に、この現実を言えるだろうか。
貴方を救った人は、貴方の事を忘れ、二度と目覚める事は無いと。――ようやく笑えるようになった彼女に、そう言えるだろうか。
「これ、どうかな。お見舞いに花買ってきたの。紫苑って言うんだよ」
「……そう、綺麗、ね」
「……師範?」
カナエは、彼女の体を強く抱きしめる。
言えない、言える筈が無い。
彼に救われた彼女に直接、そんな言葉を伝えられる筈が無い。
「大丈夫、きっと届く。きっと叶う。だから、信じましょう」
「……うん」
彼が起きる事は無い。そうして月日ばかり流れていく。
鬼との戦いは止まらない。遊郭で音柱、炎柱、炭治郎達が上弦討伐に成功。重傷者こそ出たものの、戦闘不能者が出る事無かった。鬼殺隊が百年ぶりに上弦を討伐した快挙となった。
続けて刀鍛冶の里に上弦が強襲するも、霞柱、恋柱、炭治郎達の手で討伐が果たされる。そうして竈門禰豆子が太陽を克服し、鬼達の活動が一斉に停止。まもなく無惨との最終決戦が近いと予想されていた。
けれどそれでも、彼が目覚める事は無い。
だが鬼殺隊にそんな余裕が残されている筈も無く。
産屋敷家にて、とある現象についての会議があった。
「……痣、か」
痣の発現条件。
――それに伴う身体能力の大幅増強と回復能力向上。
上弦との戦いにおいて、痣を発現した者達の動きが決め手となり勝利となった。
「雪さんも、痣がありましたね」
「ああ、背中と首元への二ヵ所。――私も見たが、全く異なる形の紋様だった。
恐らく、痣を二つ発現させた状態なのだろう」
蝶屋敷で眠り続けている少年。
上弦達との戦いを終えた炭治郎が、眠っている雪へずっとその戦いで見た事や感じた事を語りかけているのは、日常ともいえる光景であった。短い間ではあったが、それでも二人は師弟に近い関係だったと言う。
彼が目覚めてくれれば、共に立ち上がってくれれば。――それ程頼もしい味方はいないだろう。
「……未だ、彼は起きる気配が見えません。炭治郎君の声にも反応している様子は……」
「そうか……。だが、仕方がない。
彼が目覚めた時、鬼のいない世界があるように私達が務めるだけだ」
提案されたのは柱稽古。
鬼の動きが全くない状況が続いており、それは柱達が自由に動ける時間がある事を示す。
この間に隊士達の質の向上を図り、無惨と戦える剣士を一人でも多く育てる。
炎柱による基礎体力向上、音柱による空間認識能力向上、霞柱による高速の移動会得、恋柱による柔軟、蛇柱による太刀筋矯正、水柱による受け身防御、風柱による無限打ち込み稽古、岩柱による筋力強化、花柱による救命訓練。
――それぞれの役割を話し合い、決して被らぬように。
いつだって鬼との戦いは、人の予想をはるかに上回って来た。
そして最悪の事態は思いがけない時に重なってくる。
「? 鴉が……」
「急報ゥー! 急報ゥー!
蝶屋敷襲撃ィ! 蝶屋敷襲撃ィ! 上弦ノ弐ト参ガ出現!
突如覚醒した神月雪ガ単独デ交戦中! 至急、救援ニ迎エ!」
大正コソコソ噂話
彼の体は装置としての限界を迎えつつある。
故に来るべき時が来るまで、ただ眠り続ける。
そして斬るべき相手が来た時、その体は役目を果たす。