止まれなかった少年の話   作:下弦の鬼

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エイプリルフールが終わりましたね……。


鬼の王

 

『イツマデ寝テイル!! 起キロ!! 雪!!!』

 

 声がする。

 

『柱ガ戦ッテイル!! ソレデモ無惨ガ強ク、鬼殺隊ハ苦戦シテイル! オ前ガ必要ダ!!』

 

 声がする。

 

『怯むな!!! 行け!!! 進め!!!!』

 

 泥だらけの道を進み続ける者達の声がする。

 

『柱と補佐を守れ! 無惨と戦える剣士達の盾となれ!!』

 

 力無き者が、その身を挺して庇おうとする声だ。自身の手で覆しようの無い絶望を抑え込んで、誰かに願いを託した声だ。

 人知れず儚く、散りゆく結末を迎えた者達の声が木霊する。

 無情に敗れて、悲鳴の風が吹き続けている。

 知っている。――知っている。

 この手足はまだ動く。まだ力が入る。

 お前が守れ、お前が戦え、お前が救え。

 お前が強くなった理由、それが命を散らそうとしている。お前が掲げ、守れなかった夢が容易く片付けられようとしている。

 だったら――立たないと。

 

「――!!!」

 

 体を動かす。全身に駆け巡る激痛。

 けれどそれがどうした。

 進め、戦え。

 この体は、彼らの魂と共に在る。

 

「ッッッ!!」

 

 立ち上がって、その足を引きずるように歩き出す。

 向かう先は、最期の戦い。それが終わればきっと全てを失うだろう。

 だけど、それでも。例えこの身が全て尽き果てたとしても。

 輝いて消えていった未来のために。

 命を燃やせ。

 

 

 

 

 鬼舞辻無惨との戦いは、終始劣勢を極めていた。四肢から無造作に繰り出される鋭利な鞭。さらにはそれ以外からも伸びる触手。それに触れるだけで、隊士達の体は容易く両断され息絶えていく。

 無限城で戦闘開始となってまだ十分と経っていないと言うのに、多くの隊士達の屍が転がっていた。そして無限城が破壊され地上へ放出された今も、彼らは命を散らし続けている。

 彼らは皆、柱や無惨と戦える剣士達を庇って散っていった者達。

 まだ息がある者は、花柱とその補佐、無惨に取り込まれかけるも柱達によって寸前のところを救出された珠世、隊服を着こみ鬼殺隊に紛れた愈史郎の四人が治療に回っていた。

 柱達と残った者達で何とか抑え込む。だが、それでも無惨は止まらない。

 負傷した箇所から毒が回りだし、体が動かなくなっていく。徐々に動ける者はその数を減らしていく。

 

「――無意味だ、もう助からん。ならば、私の血肉となって死ぬがいい。

 だが、その血清は些か邪魔だな」

 

 鬼舞辻無惨が、狙いを変える。既に戦える者達の力は大きく削いだ。

 ならばその先は、治療のために回る者達を殺し詰みとする。

 

「姉さん!」

「珠世様!」

 

 それは命を奪う暴風。隊員の治療を行う者達へその猛威を振るうべく迫る。

 胡蝶カナエが珠世を庇うように立ち、刀を構える。けれど彼女の技では、無惨を止める事は叶わない。

 間に合わない。また命が消えていく。

 

「……!?」

 

 その両足が止まる。一切止まろうとしなかったその体が、突如として静止した。

 何者かが、無惨に立ち塞がっている。

 それを認識した時既に殴打したような音と共に、その体は宙へと投げ出されていた。

 

「き、さま……ァ!」

 

 誰もがその人を見る。

 羽織っている白い外套、隊服はボロボロになり上半身はほとんど隠せていない隊服、無惨を殴り飛ばした右手は強く握られていて、その拳からは血が漏れていた。

 その瞳から光の消え、表情が抜け落ちている。最早生者とは思えない有様だった。

 

「雪!」

「雪、さん!」

「その体で……何故……」

 

 既に彼の世界は消えている。彼の意識は最早どこにもなく。

 執念と意志だけが、体を突き動かしている。

 転がっていた隊士の刀を、彼はそっと握りしめて。宝物を抱きしめる子どものような指先で優しく刀身を撫でた。視線が向く先は肉片となった彼らの亡骸。

 そうして、黒曜の瞳が無惨を見つめる。

 

「――いのちを、なんだとおもっている」

「その、言葉は」

 

 刃が赫く燃える。

 ――その体に、誰かの面影が重なった。散って逝った彼らの影がそこにある。

 

「縁壱……! 縁壱ィ……! 過去の亡霊如きが、まだ……ッ!」

 

 その体の突進を止めるべく無惨の体に刺さっていた刀が、彼目がけて射出される。

 それを容易く掴みとって、その柄を握って地面へ突き刺す。

 振るわれる触手のそれらが重なる点を察知し、片手で絞り出せる全力の振り払い。――刃が砕け、肉が吹き飛んだ。

 

「ちぃ!」

 

 無惨は思考を変えた。全力を以て殺すのではなく、追い詰める。

 あの体は既に死にかけている。放っておけば勝手に自滅するところをわざわざ殺されに来た。相手が限界を超えてしまえば、後は肉体性能の差で押し切れる。

 そう、思っていた。

 

「――」

 

 瞬間、二人の体がすれ違って。

 無惨の体が、両断された。

 

「な、に」

 

 夜明けを待つ暗闇の中で。

 消えぬ炎を宿した刃が煌めいた。

 刀を握りしめる者の左胸に発現する燃え盛る炎のような痣。

 

「よがあけるまで、しにつづけろ」

 

 それはまるで、闇の中で強く輝く星のように。

 

 

 

 

 神月雪と鬼舞辻無惨の戦い――それは一般隊士など到底割り込めるものではない。

 二人の姿が霞んだと思えば、地盤が砕け建物が倒壊する。空気が破裂するような音、肉が斬れる音。

 その中で見えるのは紅蓮の刃が描く軌跡。それはまるで神楽のよう。

 瞬きする猶予も与えぬ様は、嵐の如き猛攻。彼はそれを全て斬り捨てて。無惨の頸を狙っている。

 ある者は倒せる、と信じた。鬼舞辻無惨を終わらせる事が出来ると。

 彼と共に鬼殺を行った者は気づいた。

 

 ――彼は、時間を稼ぐためにここにいると。

 

 技量が落ちている。いつもは見切れない筈の抜刀が見えている。刹那に終わる技が終わらない。

 透き通る世界で彼を見れば、気づいてしまう。

 もう、いつ死んでもおかしくない。それでいて尚、あの無惨の猛攻を潜り抜けながら刃を振るっている。

 その触手が全方位へと延びようとした。

 駆ける斬撃。赤き剣線が数多に重なって、その悉くを微塵とする。

 ――瞬間、無惨は本能的に理解した。

 立ち塞がる男を、自身の脅威だと認定した。

 出しうる限りの全力を振り絞り、眼前の敵を殺すべきだと。

 

「潔く滅べ、亡者がァ!!!」

 

 地面に腕を刺し、背面からの触手で行う同時攻撃。加えて無惨の体から迸る衝撃波。血鬼術によって相手の神経系を狂わせて戦闘不能にする。

 

 水の呼吸 生生流転

 

 彼の体が紡ぐ剣技。既に思い出せなくとも体が覚えていた。刃が知っていた。

 しかし、技自体は偽のモノに過ぎない。足捌きと剣の動きを真似ただけの子供騙しとすら言える。

 しかし触手を切り裂くには充分。それを自身の役目だと言わんばかりに、刃が砕け散る。

 そして、その衝撃波が直撃したにも関わらず。彼は何事も無かったのようにそこに立っていた。

 

「――な、に」

 

 無惨は自身の記憶を辿る。鳴女に辿らせた城の中での戦いの記憶。

 あの男と最後に戦っていたのは童磨。そういえばヤツはそれに執着していた。自身の呪いを解除してしまう程に。

 自身の細胞の奥。消失した鬼の模倣体を作り出す。

 

『童磨――! お前は何をやっていた!!』

『――……ああ、最悪だ。せっかくいい終わり方だったのに。彼の一撃で死にたかったのに』

『答えろ、童磨……!』

『しょうがない、彼と出会わせてくれた縁には違いないや。

 ……いやあ、混ぜたんですよ。俺の血をたっぷりと。かつてアナタが俺にそうしてくれたようにね』

『……何だと』

『しっかり馴染ませてあげたら、いつの間にかどんどんすごくなって。俺の血鬼術吸っても、肺に影響がないぐらいまでになったんですよ。

 多分、直接肉体に傷を与える血鬼術じゃないと効かないんじゃないかなぁ』

 

 ふざけた顔を晒した頭を、握りつぶす。

 ならば全力を以てして、あの男を殺すだけの事。

 風が吹き荒れる。無惨の振るう触手から生える口。そこからの吸息が暴風の如き勢いを以て、雪の体を繋ぎ止めようとしていた。

 されど、それに呼応するようにして持ち手のいない刀も動く。

 彼はそれを手に取った。刀身の色は緑。

 

 風の呼吸 塵旋風・削ぎ

 

 吸い寄せようとするその口を、一陣の烈風が切り裂いた。

 呼吸の使い手が振るう技では無く模倣であるが故に、刀身は耐えられず砕けていく。彼が振るう腕力に刀が追い付けていない。

 されど、すぐ傍にはまた別の刀があった。散って逝った隊士達が遺した刃がある。

 ――風に刀が吸い寄せられていた。まるで自ら、彼の下に集うように。

 その柄を手に取り、技を繰り出す。

 脳裏に過ぎるは見覚えのない数多の記憶。技を見た時の感覚。

 

『道を極めた者が辿り着く場所はいつも同じだ』

 

 見えたのは一つの幻影。遠い彼方で誰かが見た景色。

 物静かで素朴な男が舞う十二の剣技。それはまるで完成された神楽のよう。

 出来ると感じた。やらなければならないと決めた。

 自分はそのためにここにいるのだと思い出した。

 

「日の呼吸 炎舞」

「――!!!」

 

 紅蓮の刃が、さらに濃ゆくその色を染め上げていく。

 

「あの男は――どこまでっ!!!」

 

 赫刀で斬られた傷は再生に時間がかかる。だが、無限に等しい生命力を持つ無惨は、その再生を早める事に全力を賭けていた。

 既に戦闘能力での拮抗は諦めた。故に持久戦に徹する事とした。

 この男は間もなく自滅する筈だ、と。そこを仕留めれば問題ない。

 だと言うのに。

 なのに何故倒れない。何故動き続ける。

 何故、あの男一人を仕留めきれない?

 ――動きが、僅かに鈍る。

 

「南無阿弥陀仏」

 

 迫る鉄球が半身を消し飛ばす。

 既に手負いだった筈の柱達が全員、戦いに復帰できるだけの治療を終えていた。

 

「――思えば、お前と共に鬼殺を行うのは初めてだな雪」

「……」

「返事はいらぬとも。我らは互いに同じ時を共に生き、同じ世界が見えている。ならば、言葉は不要だ」

 

 治療を終えた柱達が立ち上がる。

 ――彼が死力を尽くして稼いでくれた時間で、無惨との戦いでの留意点も見えてきた。

 触手による変幻自在の猛攻、口からの吸気による身体への引き寄せ。

 彼が囮役となっているのは、言葉にせずとも全員が察している。だが、共に息を合わせられる者が必要。

 故に付き合いが長く最も経験豊富な悲鳴嶼行冥が彼の補佐へ入る。他は愈史郎の血鬼術を使用した札を使用し、不可視の状態へ。

 例え姿が見えずとも彼と悲鳴嶼は透き通る世界で札を付けている彼らが見える為同士討ちになる事はまずない。

 

「――」

 

 行ける。先ほどよりも格段に戦いやすい。

 動きが以前よりも数段遅い。攻撃の精度も荒くなっている。

 勝てる。負けられる筈が無い。

 その希望が過ぎった刹那、大気が炸裂した。

 

「――!」

 

 世界が揺れるような音がする。誰かが砕け散るような音がする。

 先ほどまで隣にあった気配がない。

 

「雪!!!!」

 

 他の柱達に負傷者は無し。被害を受けたのは彼一人。故に察する。

 あの攻撃は全方位へ放たれた即死にも等しい一撃。それを予知し、彼は己が持つ殺意全てを無惨へ叩きつけて、その攻撃を自身へ誘導させた。

 もし彼の行動が無ければ、今の一瞬で全滅していた可能性も在り得る。

 

「とっととくたばりやがれェ! 死に腐れがよォッ!!」

「胡蝶! 雪を頼む!」

 

 まだ戦闘の最中、ここで一人でも欠ければ誰かの死へ直結する。

 だがここに受け継がれ続けた願いがある。託された希望がある。

 ――日輪の耳飾りと、赫く燃える刃。その瞳に揺らぎは無い。

 

「俺が、繋ぎます。俺が果たします」

 

 毒を克服し、古の記憶を目に焼き付けた竈門炭治郎は刃を構える。

 いつか彼と交わした約束。託された願いを、果たすために。

 

 

 

 

「雪さん!」

 

 壁に激突し、そのまま動かない彼の下へ救護班が到着する。

 その余りの容態に、カナエとしのぶは息が止まりそうになった。

 致命傷こそかろうじて防いだが、左下腿が縦に割かれており右腕は半ばから青く膨れ上がっている。左腕は既に肩から先が消失、右目は潰れていて何の光も映せていない。

 まだ息をしているが、それがいつまで続くか分からない。

 

「今、止血するから……!」

 

 夥しい程の出血。圧迫で抑えられない箇所は、焼くしかない。

 その激痛に最早彼は何の反応も示していなかった。

 

「雪さん、やはり五感が……!」

「――」

 

 その息が深く強く、大きくなる。

 彼はまだ戦おうとしている。

 無惨の猛攻を凌ぎ、柱達が回復するまでの時間を一人で稼ぎ切った。――その間に鴉達の伝達によって攻撃手段や癖の把握は終えている。

 もし彼がいなければ、各々が致命的な手傷を負ったまま戦闘が続行。更なる犠牲者が出ていた事は想像に難くない。

 

「雪くん! お願いっ、今は治療を受けてっ」

 

 息を吐いて、止血を行う。

 左腕が無いせいか、体が違和感を喧しい程に訴えていて。心臓の鼓動が直接鼓膜に届いているのではないかと思う程に心音が響いている。

 

「雪さん、今から血清を投与します!」

 

 珠世が薬剤を投与すると、堪える様な彼の表情が少しだけ柔らかくなる。

 治療が進む。心臓の鼓動が少しだけ落ち着く。

 

「――夜明ケマデ、残リ十分!!」

 

 十分。十分を超えて無惨を抑えれば、千年を超える戦いがようやく終わる。

 見えるのは炎の舞。志を継いだ少年が、全霊を以て鬼の始祖と対峙していた。

 もうこれ以上理不尽に幸福を奪われる人がいないために。散って逝った者達に報いるために。

 

「――」

 

 彼の脳裏に過ぎるのは罅だらけの世界、色褪せた記憶。

 鬼のいない世界を。鬼に平穏を奪われる事のない日常が。

 手足に力がこもる。最後の最後に残った、搾りかす程のモノ。

 左足を無理やり立たせられる状態まで回復させる。

 

「おわらせて、くるから」

 

 剣士達が最後の追い込みをかけていた。それは言葉通りの総攻撃。柱達や隊士、隠までもがあらゆる手段を使っている。

 無惨を建物へ縫い留めて、日光を浴びせるため。

 それが最後の機会。逃せば、地中かどこかへ逃走するだろう。

 刀を右手に握りしめて、立ち上がる。頭の中がかき混ぜられているかのようにぐちゃぐちゃしていて、視界は暗く世界が回っているかのように安定しない。

 だけど、それでも。やるべき事は覚えている。

 ――走り出す。

 引き留める声も、激痛に悲鳴を上げる肉体も全て置き去りにする。

 

「雪さん!」

 

 炭治郎が無惨の体を串刺しにして、その体を建物へ止めている。傷だらけだが、幸い致命傷を負っていない事に安堵した。

 四肢と再生した管を全て斬り落とす。

 顔面が四方に裂けて、無数の鋭利な牙が姿を現すも顔面に刃を叩き込む。

 夜明けの光が差し始める。

 

「!!!!!」

 

 迸る衝撃――炭治郎を庇う代わりに、左半身が消し飛んだ。

 無惨の体の肉が膨れ上がったと、残された視界から察する。

 このままだと飲み込まれると悟って、炭治郎を突き飛ばす。

 作られた日陰へと逃走を始めた。

 

「雪さん!!!」

 

 世界が、途絶する。

 息が出来ない。視界が暗転する。

 もがく右腕が何かをつかみ取った刀の柄。

 瞬間、何かが垣間見える。誰かの記憶が刀を通じて流れてくる。

 一人の剣士。平穏を求め、日常を尊び、命を愛した人。

 

『――日の呼吸』

 

 美しい剣技、流れる様な軌跡。

 もう一度その記憶が示すとおりに刃を振るう。

 強く、強く握りしめて。

 鬼を斬るべく、滅と刻まれた刃を振るう。

 不思議な事にその十二の技の軌道はすんなりと自分の手に馴染んだ。

 最後の型を出した時、どうしてか。やりきったと思った。約束を果たせたのだと思った。

 

『――』

 

 一人の剣士が彼方へ歩いていく光景が見える。

 こちらを振り向いて、穏やかに微笑んだ。憑き物が取れたような顔だった。

 

『――ありがとう』

 

 その剣士は、一人の女性と手を繋いで。光の向こうへと消えていく。

 ああ、きっと彼らは夫婦だったのだ。けれど剣士は無惨が生きているために、成仏しきれなかった。ずっと彷徨っていた。

 その魂はようやく再会を果たせた。剣士は、彼女を迎えに行けたのだと。

 

「あえて、よかった」

 

 眠い、とても眠い。走り続けた。あの夜から止まる事無く、休む事なく。

 さすがに疲れた。

 

「……胡蝶」

 

 最後に出た言葉が何なのかは分からない。

 でもどうしてか、その響きを忘れたくなかった。

 

 そうして、視界は閉ざされて。最後に残った意識も消えた。

 

 

 

 

 無惨が生み出した肉の鎧。陽光に焼かれて、消失していく肉の中に彼はいた。

 ――彼は既に事切れていた。その体の脈は消えて、息は止まっている。左半身は消し飛んでいて、直視する事すら出来ない程に惨い。

 最期と称するには余りにも残酷な末路だった。

 それを否定するように、胡蝶しのぶは残った彼の手を握って、呼びかける。

 

「……もう、良い。胡蝶。

 私は彼を、休ませてあげたい」

「――」

「しのぶ……」

「――」

「しのぶ……っ。お願い……」

 

 胡蝶カナエが彼女を抱きしめる。

 夜明けの光の中で、彼は眠るように息を引き取っていた。

 

「……雪、さん」

 

 涙が、零れた。

 もう一度、もう一度話したい。もう一度その声を聞きたい。

 

「……う、うぅ」

「炭治郎……」

「……ずるいですよ、雪さん。そんな、悲しいお別れって無いじゃないですか。

 貴方が、報われ無さ過ぎるじゃ、ないですか」

 

 カナヲは軽くなったその体を抱きしめた。それは冷たくなって動かない。古い記憶――かつての自分の兄妹達と重なってしまう。

 

「……兄、さん」

 

 ――悲鳴嶼行冥は涙を拭い、立ち上がる。

 まだやるべきことがあった。街の復興、戦いで散って逝った隊士達の弔い。それを以てしてようやく、無惨との戦いは終わりを迎える。

 でも、叶う事なら。出来る事なら。

 

「お前にも、この世界を見て欲しかった」

 

 誰もが泣いていた。彼の戦いは目に焼き付いていた。彼がいなければ、多くの隊士達が死んでいた。そう、感じてしまったから。

 だからどうか、その最期がせめて。相応しいモノであって欲しいと祈ったのに。

 

「……何?」

 

 違和感に気付いたのは悲鳴嶼行冥だった。

 ――彼の指が僅かに動いたように見えたから。

 

「雪、さん?」

「今、手が……! 雪さん! 雪さん!」

 

 まだ時間がある。声を聞かせてあげられる。彼の最期を穏やかなモノに出来る。

 瞼が、ゆっくりと開かれる。

 瞬間、彼の姿は消えて。――背後から聞こえる着地の音。

 

「雪、さん……?」

 

 陽光を背にして、彼は立っていた。飛ばされた左半身は瞬く間に再生されていた。白い幽鬼のような肌。

 背中から管が生えていて、両下肢は黒く染まり随所には鋭い牙を覗かせた口が開いている。

 そして瞳孔は縦に裂けており、赤く染まっていた。

 

「……雪、さん?」

 

 その声に応える者はいない。

 

 

 日はまた昇る。

 けれど夜明けは、未だ遠い。

 

 

 

 






 私は、美しいモノを見た。
 誰かのために戦う事。誰かの願いの為に自身の命を燃やす事。
 人の命が儚い事など既に知っていた。だがその尊さには気づかなかった。
 だから、お前に託すことにする。お前に継がせる事にする。

 滅ぼせ、鬼狩りを。
 お前が永遠を継いでくれ。

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