止まれなかった少年の話 作:下弦の鬼
あ、次回更新は明後日の予定です。
彼との出会いは未だに鮮明に覚えていて、思い出すたびに心が苦くなって、自分への怒りがわいてくる。
私と姉さんを守るためにその身を挺して助けてくれた人。彼がいなかったら、私と姉さんは既にこの世にいない可能性もあったぐらいなのに。幸い謝る機会はあったけれど、それでも心に引っかかってて中々呑み込めない。未だに後悔は尾を引いている。
あの後鬼殺隊に入って彼の噂を聞いた。呼吸を使えない剣士。けれど、各地を走り回って多くの人を助けていると。
そんな人に鬼の頸を切れないような私が、何てくだらない言葉をかけてしまったんだろう。
彼が蝶屋敷へ来る事はほとんど無かった。姉さんに預けた一人の少女―彼が任務の際保護した―の様子を見に来たりする事ぐらい。怪我する事なんてほとんど無かった。いや、もしかしたら怪我しても自力で何とかして誤魔化している可能性だってあり得る。
――何て、強い人なんだろう。
「しのぶ! 薬と包帯の準備は!」
「出来てる! いつでも大丈夫!」
――彼が姉さんを守るために上弦の鬼と交戦した。
その言葉を聞いた時、一瞬の空白が脳裏を埋め尽くして。気が付けば体がやるべきことへと突き動かされていた。
「胡蝶! 雪を頼む!」
悲鳴嶼さんの声がいつになく揺らいでいる。
その両腕に抱えられた彼の状態に、思わず息が漏れた。
全身は血に濡れていて、左の肩口にかけては深く切り裂かれていて肺まで見えている。唇の色は青白く、呼吸も浅くて弱い。
最早死にかけ。生きているのが不思議な程。
「悲鳴嶼さん、彼をここに!」
死なせない。絶対死なせてなるものか。
この胸の内に溜まる悔恨が溶ける日まで決して。
――誰かが泣いている。
その歯はまるで獣の牙のように鋭利になっていて、瞳は瞳孔が縦に裂けて、顔の隅には血管が浮き上がっている。
俺の首を握ってはいるものの、力はほとんど込められておらず触れているだけに近い。
耐える様な表情と瞳から流れ落ちる涙。
これはいつか見た光景。忘れてはならない罪。
俺が背負い続ける罰。
彼女を信じる事が出来ていれば。
彼女と共にどこか逃げていれば。
妹が泣いたまま一人で消えていく事なんて無かった筈なのに。俺を引き取ってくれた夫婦も死ななくて済んだのに。
それは綺麗な月の夜の事。
――やがて昇る朝日が、その光景を焼き尽くしていく。
だけど、未だに夜は明けぬまま。俺の中に残り続ける。
極楽万世教――その信者たちが集う建物の一室。飾られた壺には人の首や髑髏が飾られている。
そこにいた一人の男は、自分の胸をそっと触る。
斬られた傷は癒える事無く。未だに熱を以て男の体を灼き続けていた。
「……神月、雪」
その一刀を見た時、初めて美しいと思った。
その一刀を受けた時、初めて生きて居たいと思った。
その一刀に、百年揺らぐことの無かった心が、初めて突き動かされた。
気づけたのは斬られる寸前になってから。それまで敵意も何も反応出来なかった。
――初めて生まれた感情。そこから生まれてくる数多の想い。
心が満たされていくのを感じる。
扉が開く音におや、と頸を傾げた。
「……おや、珍しいお客さんだ。どうかしたかい、黒死牟殿」
「剣士に……斬られた傷が癒えないと聞いた……」
上弦の壱である彼から感じられる気配が今までとは異なる事に気付く。上弦の入れ替わり戦よりも、その殺意は深く鋭く。吞まれてしまえば二度と立ち上がれないと錯覚してしまう。
しかし童磨からすればそんな違和感よりも、彼の事を聞かれた喜びの方が勝った。喜怒哀楽を知った感情は、抑える事すら知らない。
「おぉ、おぉ、彼の話を聞きたいのかい!? いいぜ、あれは雪の夜に」
「その剣士……呼吸は……何を使っていた」
その声音は、彼の言葉を断ち切る。悲しみを覚えた感情が、諦めと言う結論を下した。
「いやぁ、それがさ呼吸を使えないらしいんだ。」
「……使わなかったのではないのか」
「そこは分かんないかなー。でもね、すっごく強かったぜ。柱じゃないのが不思議な程に」
童磨とて、上弦の弐。即ち始祖である鬼舞辻無惨、上弦の壱、黒死牟の次。つまりこの世に存在する鬼の中でも、頂点に匹敵する強さを持つ。
血鬼術だけで這い上がれるほど、上弦の世界は容易くない。特に参以降は素の実力自体が高く無ければ戦いにすらならない。
そんな彼が強いと率直な感想を述べた隊士。加えて傷が癒えぬ刃を振るい、その刀が赫く染まった。
黒死牟の脳裏に過ぎる影。もう再来は在り得ないと断じた筈の感情と記憶が仄暗い闇の底から浮き上がってくる。
「――確かめねばならぬ……。斬らねばならぬ……」
「あれれ……行っちゃった。うーん、猗窩座殿にも教えてあげたいけどやめておいた方がよさそうだ。多分、相性悪そうだし」
消えた上弦の壱を横目で見ながら、童磨はよっこいせと腰を掛けた。
「よしよし、それじゃあ今日も悩みを聞くとしよう。ささ、入ってきておくれ。
抱えているものはなんだい? 俺も一緒に悩んであげよう」
「っ!!」
起き上がると共に体を貫くような激痛が走る。
顔を僅かにしかめて、小さく息を吐いた。
「ここ、は」
……いくつものベッドが並んでいる。見れば俺の腕には管が刺さっていて、その先は透明な液体が入った容器に繋がれていた。
覚えのある香り。ここがどこなのかを思い出す。
「蝶、屋敷……」
そこまで考えて、何故自分がここにいるのかようやく思い出す。
俺は負けたのだ、あの上弦の弐に。深手を負わせる事ぐらいしか出来なかった。
「負けた……」
あれだけの啖呵を切っておいてこの様だ。悲鳴嶼さんの救援が無ければ、間違いなく俺は死んでいた。それで童磨の頸を落とせていたかどうかは分からない。
……全集中を会得していれば、また何か変わっていたんだろうけど。
「……あ」
誰かの声がして、視線を向ける。
胡蝶しのぶが、呆然とした表情で俺を見ていた。
「生きて、生きてる……。雪さん、が」
「……」
参った、未だになんて言葉をかけるべきか分からない。
カナエさんがいるならまだしも、しのぶさんと二人きりなどなった事が無いのだ。
そんな俺の感情とは裏腹に――彼女は俺を優しく、抱きしめる。診察衣を、涙が濡らしていく。
どうしたらいいんですかこれ。模範解答誰か教えて。
「しのぶー? どうか、し……」
入って来たのはカナエさん。
彼女も俺を見て、涙ぐむとしのぶさんと同じように抱擁してきた。
凄いいい匂いだったのと突然全集中を始めようとした愚息を抑える事で精一杯だった事だけは記しておく。
「……嘘、もう傷がほとんど癒えてる。まだ一週間しか経ってないのに」
包帯を外した体の傷は、もうほとんど治りかけていて。動かす事に支障は無かった。
確かに肺まで見えるぐらい斬られて死にかけた人間が、たった一週間で全快するなどほぼ不可能に近い。
けれど俺の体は昔から傷の治りだけは異様な程早かった。故に無謀な任務の連続とて不可能では無かった。
……まるで鬼みたいだな。
「機能回復に入っても大丈夫そうか?」
「大事を取って二日後からがいいかと。それまではなるべく安静にされていてください」
「分かった」
「……あ、後……その、雪、さん」
「どうかしたのか」
しのぶさんは僅かに顔を赤くして、それから言葉に詰まって。少しの沈黙を挟んでからようやく口にした。
「体を、大事にしてください。私も姉さんもカナヲも、貴方がいなくなったら悲しみます。もう、目の前で大切な人がいなくなるのは、見たくないのよ……」
彼女達との出会いを思い出す。
……鴉の八咫から情報聞いていたから、すぐに向かったけど道中下弦の鬼が邪魔していたせいでほんの僅かに時間を食ったのだ。
何かを宣っていた下弦を瞬殺して、家の中に入ったけどその時既に両親は亡くなられていた。
――そこまで考えたところで、カナエさんが俺に頭を下げていた。
「雪さん、この度は本当にありがとうございました。貴方がいなかったら、私はあの上弦の弐に殺されていたでしょう」
「そんな事は――」
ない、と言おうとして口元に指を当てられる。
「強い貴方が勝てなかったのなら、私が勝てる筈が無いわ。それに……助かったとしても、恐らく剣士の命を絶たれていました。
貴方は私を二度も救ってくれた」
そんな目で見ないでくれカナエさん。
敬われるような、そんな存在じゃないんだよ俺は。
無理やり話を変えよう。こういう雰囲気は苦手だ。
「……その、話を変えたい。上弦の弐についてだ。
柱である貴方からお館様に伝えて欲しい」
「血鬼術について、かしら?」
「あぁ、ヤツの血鬼術は呼吸を封じてくる」
「なっ……」
今まで呼吸に干渉してくる鬼は何度か出会った事があるが、それでもヤツは別格だ。
あの時繰り出された全ての血鬼術、それから生じる冷気。吸うだけで呼吸機能に異常をきたし、全集中が使用不可能になる。
一度でも受ければ、回復は困難。一過性ではなく永続的なダメージを与えてくる。
俺が言うのも何だが、ここまで鬼殺隊への初見殺しに特化した血鬼術は見た事無い。
「……もし雪さんじゃなかったら」
「あぁ、鬼殺隊の中でヤツと真っ向から戦える剣士は俺か、後は悲鳴嶼さんぐらいなものだろう」
「それが……上弦の鬼……」
上弦については情報が全くない。だが、間違いなく初見殺しの能力は全員が持っており、その予想を遥かに超えてくる。
恐らく全集中以外の技或いは体質を持った剣士でなければ、退ける事すら難しい。
――であれば、アイツを斬るのは俺の役目。俺が殺さなくてはならない。
「胡蝶殿、俺から頼みがある。自分でも厚かましい一方的な要求だとは思うが」
「私達に出来る事であれば喜んで」
「俺に、蟲と花の呼吸の動きを見せて欲しい。その代わりに俺に出来る事であれば何でもする」
既に五大呼吸の型は学んだ。だがそれでも、見えたのは技の模倣だけだ。どの呼吸を使っても、俺が使える物は無かった。
だから見様見真似でしかない。あらゆる技を見て、あらゆる動きを盗む。俺にはそれしかない。
そうすれば、そうし続ければいつか何かに辿り着くはずだ。
遥か昔――誰かに、そう言われたような気がする。
「何でも?」
「何でも」
カナエさんとしのぶさんは顔を見合わせると、微笑む。
え、何ですかその意味深な笑みは。
「それじゃあ、今日から私としのぶの事は姉さんって呼んで頂戴ね」
「えっ」
えっ。
大正コソコソ噂話
雪はその後、場を見ては胡蝶姉妹の事を小声で「姉さん」と言っている。その際は恥ずかしくて目を合わせられないらしい。
しかし本人は仏頂面かつ表情筋が仕事していないので、そのギャップを見たしのぶはツボに入りかけたとか。