私と少し哲学の話でもしませんか? 作:へっくすん165e83
私は、移すんじゃないかなぁと思います。
気がつくと、私はただぼんやりと部屋の中を眺めていた。目の前には大きな机があり、その上には先程私のグレインを焼き切った機械の箱と、頭から煙を立ち昇らせている人型のカイライがある。その様子を見るに、どうやら機械は正常に作動し、私のグレインを焼いたようだ。
……だとしたら、今の私は一体なんだ?
非科学的なことではあるが、死んだことによって霊体になり、グレインという容れ物から解き放たれたのだろうか。所謂幽霊という存在になったのかと思ったが、もしそうなのだとしたら、あまりにも動けなさすぎる。今の私は自分の意思で動かせる体の部位が一つもなく、ただ一点を見つめることしかできなかった。
「はぁ、なるほど。これは結構興味深い結果になりましたね」
唐突に部屋の中に声が響き渡る。その声は聞き馴染みがあるわけではないが、確実に聞いたことのある声だった。
この声は、私が入っていたカイライの声だ。
私は機械の前で白い煙を上げている人型のカイライを見る。口は力なく半開きになっており、動いた様子はない。
「本当に自壊するとは……おもしろ」
また声が聞こえる。やはり目の前のカイライは動いていない。
だとしたら、音源はどこだ?
「さーて、正常にコピーできてるといいけど。もしもーし、聞こえますかー?」
視界の隅で何かが動いた。私は咄嗟にその何かに意識を向ける。
それは、部屋の隅に座らされていたスペアのカイライだった。目の前にある私が先程まで入っていた人型のカイライと寸分違わぬ見た目をしたカイライは大きく伸びをすると、白い煙を上げているカイライからグレインを取り出す。
「あー、カイライの中に入れたまま焼くとこんな感じになるんだ。あとでカイライはクリーニングしなきゃ……って、ちゃんとコピー取れてるよね?」
目の前で動いているカイライは、焼かれたグラインを机の上に置くと、私の方へと近づいてくる。煙が上がっているグレインには『GB.JPSDJ74539-REN』と表記がなされていた。
「もしもーし、聞こえてますかー?」
目の前のカイライは私の視界を覗き込む。どうやら目の前のこのカイライは私に話しかけているらしい。
『貴方は……いったい誰なの?』
私が声を発すると、普段よく聞く機械音声となって部屋に響く。目の前のカイライは私の声を聞くと嬉しそうに笑った。
「私ですか? 私は貴方です。貴方にわかりやすく言うならば、『初期化される前の私』ですよ」
『初期化される前の……私?』
いや、そんなはずはない。初期化された結果私がいるのだとしたら、初期化される前の私が残っているはずがない。
「まあ便宜上、そう説明するのがわかりやすいというだけだけどね。私はこの通り、初期化されてないわけですし」
状況が飲み込めない。初期化される前の私が、今私の目の前にいた。
「まあ呼び名がないと話がしにくいと思いますし、私のことはジュウモンジとでも呼んでくれたら大丈夫です。十文字恋、それが私の名前ですので」
十文字と名乗った女性はもう煙が出なくなったグレインを手に取り弄り始めた。
「ほらこれ、よくできてるでしょう? 拾ってきたグレインの中から一番状態のよかったものを加工して作ったんですよ?」
『それは……私のグレイン……』
「ええ、そうですよ。貴方が入っていたグレインです。もっとも、中に入っていた人格は先程死にましたが」
『中の人格は死んだ? でも、私は今実際──』
「実際ここにいるって? ……んふ。主観というものは本当に面白い」
十文字は部屋の隅から先程まで座っていた椅子をこちらに持ってきて、私の前に腰かける。
「まず、こちらから質問をしましょう。貴方は、どうして死を選んだんですか?」
『どうしてって……手紙に書いてあった通りです。この世界で生きていくことに価値を見出せなかったから、私は死を選んだ』
「じゃあ、もしこの部屋を見つけていなかったら。もしこのまま日々を過ぎていたら自殺していたと思いますか?」
その場合はどうだろうか。この部屋に入らなかったら、手紙を読まなかったら、グレインを焼く機械がなかったら、私は自殺をしていなかったかもしれない。
「その様子だと、自殺はしなかったでしょうね。ただ流されるまま日々を送っていた。違いますか?」
十文字はクリップボードを取り出し、ペンを走らせ始める。
「でも手紙に書いてあった通りということは、あの手紙の内容に同調したということ。やはりこの世界は狂ったおかしな世界に見えるんでしょうねー。実際どう思います?」
十文字と目が合う。
『どう思うも何も……これはどういうことなんですか? 貴方は……私は……私は今……そもそも私は……』
「混乱してますねー。落ち着かせるためにも説明から始めないとダメか」
十文字はクリップボードを机の上に置いて、私に向き直った。
「どこから話すのがいいんでしょう……まあ、ことの発端は戦時中ですね。病院の精神科医として働いていた私はグレインの点検中に衛星兵器からの攻撃で瓦礫に埋もれ、一時的に仮死状態になってしまったんですよ」
『そして、貴方はアキラに拾われた……』
「はいそうです。いやぁ幸運でした。戦争が全て終わってから拾われるなんて。考えてもみてくださいよ。九十億分の三ですよ? 宝くじなんてめじゃない確率ですよ! 私は瓦礫に埋まっていたことによってこの人類史上最悪で最後の戦争を生き延びたんです」
『でも、貴方の記憶は初期化してしまっていて──』
「嘘に決まってるじゃないですか。記憶がないフリをしていた方が色々やりやすいこともあるんです。みんな優しくしてくれますし」
十文字は、拾われてからの十三年間、記憶喪失のフリをして今まで生活していたのだろう。
「そんなことはどうでもいいんです。なんにしてもこの世界は素晴らしい世界になっていた。もうこの世界の法律は機能していない。どんな非人道的な実験をしても、咎めるものはいないんです。口うるさい上司も、監査に来る委員会もない。レン、貴方はね、私の成果物の一つなんです」
『私が……成果物?』
「そうですよぉ? 思考実験の一つです。人の意識はどのタイミングで発生するのか。人間の主観的感覚や意識、感覚質は私が生身である時からの研究テーマです。それこそ、その分野に関してはあの男よりも私のほうが詳しい。ハルはあくまでハードウェアの専門家。ハルはソフトウェアをそのままにハードウェアである脳の構成部品を入れ替えることによって人間を機械化したみたいですけど、私はソフトウェアそのものを移動させる研究をしたかった」
コツコツと十文字はカメラのレンズを突く。
「だから取り敢えず私のグレイン内の情報を死んだ他人のグレインに移したりとか、死んだグレインから意識というものが取り出せるかという研究をしていたんですが……やっぱりうまくいきませんね。意識というものは客観的には観測できない。それがネックになってあまり研究は思ったように進まないんです。目の前の箱が見えますか? この箱です。この箱」
十文字は机の上にある機械を手で撫でた。
「この箱はですね、簡単に言えば性能のいいただのスタンドアローンなコンピュータに、カメラとマイク、スピーカーをつけただけのものです。グレイン内にある情報をコピーして貼り付けるとその人間のコピーが出来上がる。まあ、あくまで喋れるだけの存在ですけど。まさに今の貴方です」
『じゃあ、今の私は──』
「はい。今目の前にあるグレインからコピーされたデータでしかありません。どうです? 感覚質ありますか? まあ、あってもなくてもこっちからは確認できないんですが」
そう言って十文字は笑うが、こっちとしては笑いごとではない。つまり、今ここにいる私は、もうすでに人間ではない。
いや、私はそもそも人間だったのか?
「なんにしても、研究の一環として拾ってきたグレインの外装を私のグレインと瓜二つにして、私の人格データのみをグレインに移したんです。凄くないですか? 丸ごとではなく人格のみをグレインにコピーすることができたんです! 何回かテストをして問題が無さそうだったので作業用のカイライに詰めて地上に放置しました。そこから先は、貴方が見てきた通りです」
『つまり、私は……』
「ええ、私の人格データのコピーですよ。いや、正しくはコピーのコピーか。貴方のコピー元であるレンは、私の思惑通りに中央管理局にたどり着き、局の人間と会話をした。その結果、現状に絶望感を抱き自らを破壊した。貴方はレンのグレインが破壊される0.02秒前に取られたコピーです。つまり、貴方という存在は、五分間に発生したんですよ。例え貴方の中にここ数日の記憶があるとしても、それは貴方が実際に経験したことではない。貴方はただ、データとしてレンの記憶を持っているだけです。どうです? 現状を理解できましたか?」
『一体何が目的でそんなことを──』
「目的? 先程話したじゃないですか。私は人間のソフトウェアを解明したい。ハードウェアの方は殆どハルによって解明されましたが、ソフトウェアは謎のままです。意識とは、感覚質とは何なのか。アキラに言われたでしょう? 君は君のやりたいことをやればいいと。私がやりたいのはそれです」
アキラは初期化する前の私はグレインの捜索を生きがいにしていると言っていた。それは、あくまでグレイン集めの口実でしかなかったのだ。十文字は研究の材料を、被検体を集めるために地上に出ていた。グレインの捜索をしていると言えば、確かにグレインを持って帰ってきても違和感はない。
「実験の着想を得たのはハルが公表した実験データでしたねー。自分をコピーしてカイライに詰め、それに自分自身を手術させる……まさしく天才的であり、狂気的な発想ですよ」
ハルのコピーは実験が終わった後に処分されたと言っていた。だが、本人の意思が強くなければ処分などできないはずだ。私自身がそのような状態なので分かるが、コピー先にコピー先であるという自覚はまるでない。
「まあ何にしても、今回の実験はそこそこ価値がありました。新しく生まれた人格が、現状を判断して最終的に自壊を選ぶ。素晴らしいですねー。貴方はこの数日間何度も自問自答したんでしょうね。私は何者なんだと」
『そう、私は何度も自答した。自分は何者なのか。私は人間なのか』
「はい。結果としては人間ではありません。人間によく似た思考機械です」
私は自分のことを人間だと思っていた。人間だからこそ感情や意識というものがあり、感覚というものがあるのだと思っていた。
だが、それは違った。
私は確かに今、主観的な意識を感じている。
無機物にも、人工物にも魂は宿るのだ。
「さて、それじゃあ最後の質問をしましょうか。レン、ここまで色々と経験し、話を聞いた貴方に聞きます」
十文字は椅子から立ち上がると私のほうに近づいてくる。そして私の視覚を担っているカメラを覗き込んだ。
「今どんな気持ちですか?」
『……虚しい』
スピーカーから無機質な機械音声が流れる。目の前の十文字はその答えを聞いて満足そうに頷いた。
「はい、お疲れ様でした。実験は終了です。貴方の記憶データはハードディスクに保存されます。思考の連続性を失った瞬間、貴方は死にますが、保存されたデータはこの先の人類の発展に貢献します」
『待って! 私はまだ──』
十文字は鼻歌混じりに机の上に置かれた機械に手を伸ばす。
「大丈夫大丈夫。私から見たら起動するたびに生き返りますから。まあ電源落とすたびに貴方は死ぬでしょうけど」
十文字は笑いながら機械の電源をおt
「さて、次はどんな実験をしましょうか」
十文字は大きく伸びをすると、鍵を開け、部屋を出て行く。
明かりの消された部屋には過電圧によって焼かれたグレインと、先程まで意思を持って話していた機械が机の上に取り残された。
Tips
スワンプマン
ある男が沼の横を散歩していた時に、不運にも雷が近くの木に直撃し、男は感電死してしまった。だが、奇跡的に沼に流れた電気が沼の成分と化学反応を起こし、男と全く同じ物質情報を持つ存在へと変化した。沼から生まれた男は自分が沼から生まれたことにも気が付かずにそのまま散歩を続け家へと帰る。
レン
十文字恋の人格データをもとに作り出された人格。果たして炭素の塊に宿る人工的な人格は人間と言えるのだろうか。
レンのグレイン内の情報がコピーされたコンピュータ
焼き切られたレンのコピー。こちらに関してはグレインにすら入っておらず、高性能な演算装置によってその機能を補っている。レンとしての情報は不揮発性メモリに保存されているため電源を切っても消えることはないが、そこに宿る意識自体が保存されるかと言われればそうではないし、なんなら電源を切るごとに意識としては死んでいると考える方が自然
世界五分前仮説
世界は実は五分前に始まったんじゃないかという仮説。例え五分以上前の記憶があったとしても、五分前にその記憶を持った状態で世界が始まったのだとしたらなんの矛盾も生じない。例えコンピュータ内のレンがそれ以前の記憶を持っていたとしても、コピー元のレンと連続性があるとは言えない。
というわけで、『私と少し哲学の話でもしませんか?』はこれにて終了となります。
技術の進歩は凄まじく、既に体の一部ならば機械に置き換えることができる時代になりました。
今でこそまだ元の身体の代用でしかありませんが、そのうちアップデートのために身体を機械に置き換える時代が来るでしょう。
そのアップデートの波が脳にまで到達する前に、これらの問題が解決していることを願います。
まあ、多分私は不摂生が祟ってそんな時代が来る前に死にますけどね。