ひと葉 ~壱の巻~   作:亜空@UZUHA

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 彼らは目を疑った。
 敵が逃げ去り、橋の上が町人達の安堵に包まれた時、ホッとしたように力を失って崩れ落ちた体。
 その小さな体の周りに、むせぶような血だまりができていたというわけではない。
 細い腕や、足の一本がもぎ取られていたというわけではない。
 まして、息をしていないわけでもない。
 むしろ、千本によって全身に攻撃を受けたナルトやサスケ、太刀で傷を負ったカカシの方が痛々しい姿である。
 一度、仮死状態に陥ったサスケの方が重症のはずだった。
 だが、そのサスケが、倒れ伏して動かない体を見て愕然としていた。
 心配そうに彼に寄り添うサクラも、一目見て息を飲んだ。
 いつも騒がしいナルトでさえも、目を見開いたまま固まっている。

 その安心しきった寝顔に、苦しげな感じはどこにもなかった。
 まるで日向ぼっこでもしながら眠ってしまったかのように、穏やかに目を閉じている。呼吸さえも、規則正しい。
 しかし、彼らが目を見張るのは、投げ出された白い腕だった。
 激しい戦いの中、羽織っていた上着は脱ぎ捨てたのか、腕は剥き出しになっている。
 さらに、いつもはめていた手袋も外されていたために、その指先から二の腕までが露わだった。

 その、左の腕。手の甲からひじの辺りにかけて、見たこともない痣とも傷ともいえぬ影が伸びていたのだ。
 どす黒いそれは、今にも体の全体にまで及びそうな勢いを感じる。
 やけどにしては不可思議な、外傷というより内から産まれたようで、なおさら不気味だった。
 手の甲から上へと昇る、竜のようなあと……。
 彼らは言い知れぬおぞましさに、顔を歪めた。


「ナナ……左も外したのか……」


 いつの間にか彼らの後ろから覗き込んでいたカカシが、低い声でそう呟いた。





龍の(アト)

『えー!? 木登りー!?』

 

 数日前、修行を言い渡すとカカシが言い、課せられた『木登りの業』。

 ナルトとサクラ、そしてサスケは初め、顔をしかめた。

 が、カカシが趣旨を説明すると、一転、それぞれ張り切って木に登り始めた。

 ただ一人を除いて。

 

『ナナは別メニューね』

 

 カカシの言葉に、ナナ本人よりもナルトが驚きの声を上げる。

 

『えー!! なんでナナだけ特別なんだってばよ!!』

『んー? だってお前らよりひとつ若いから』

『ふーん、そういうもんか……』

 

 松葉杖を突きつつも、いつものように間延びした口調で言うカカシに、ナルトは単純に納得した。

 しかし、サクラとサスケの怪訝な顔は変わらない。

 そんな中を、当の本人はカカシに連れられて楽しげに林の奥へと去って行った。

 カカシも二人の不審な視線は感じていたが、苦笑しつつナナを連れて行った。

 

(ま、本人が従順なんだからなにも言えないでショ)

 

 もともと、これからナナと二人で行う『別メニュー』は、トップシークレットなのだ。

 ナナと、そして木ノ葉隠れの里としての。

 

 

 三人から十分に距離をおき、カカシは岩に体をもたれかけて、ようやくナナと向き合う。松葉杖を突いているとはいえ、まだ体のダメージは大きく、さすがに疲労感があった。

 

『先生、大丈夫?』

 

 大きな黒い瞳に見上げられ、カカシはニコッと笑い返した。そうしつつも、周囲に何人もいないことを確認する。

 そして、少し改まってナナにこう切り出した。

 

『ナナ、“封印”のこと、聞いてる……?』

 

 ナナの瞳は一瞬だけ、さらに大きく見開かれ、そして面白そうに笑った。

 

『知ってるよ。この両手にされた封印のことでしょう?』

 

そう言って、ナナは手袋をはめた小さな手を差し出した。

 カカシはうなずいたが、何とも言えぬ不思議な気持ちを感じていた。

 彼の記憶では、ナナの両手に施された封印は、決して喜ぶべきものではない。

 初めてこの封印の存在を火影に聞かされた時、怒りすら込み上げたのを覚えている。

 この封印とは、ナナが故郷でつけられた“呪い”のようなものだと、カカシは考えていた。

 誰がやったのか、彼女の父親か、あるいは親族の誰かか……。それはわかりかねるが、少なくとも血のつながりのある誰かによって、ナナはチャクラを封印された。

 彼らから受けた血の滲にじむような修行の末に、小さいながらもその体内で少しずつ膨らませていたはずのチカラを。

 全ては大人たちの都合のためだった。

 ただナナを、木ノ葉の里へ追いやるべく、封印術を覚えさせるために。

 本人の体をもって術を与えるということは、忍の世界も陰陽道の世界も同じだろう。

 だが、まだ幼いナナにいくら才能があるとはいえ、このような形で術を伝授した彼女の親族に、カカシは怒りを覚えた。

 伝授されたところで、それを扱う能力がゼロにされてしまったというのに……。

 勝手に生まれた矛盾……。

 どれほど、アカデミーで歯がゆい思いをしてきたことか……。

 ナナの決して良いとはいえない成績を知っているカカシはやるせなかった。

 

 彼は、ポンとナナの頭を撫でた。

 ナナはただ笑っている。恨みも、悲しみも無いかのように。

 

『ナナ、火影様の指示で、第七班にどうしても“力”が必要になった時、オレがそれをはずすことになってるんだけど……』

 

 カカシは珍しく言い淀んだ。

 封ずる時も、解くる時も、大人の都合のようで気が引けた。

 しかし、ナナは嬉しそうに言った。

 

『ほんと?! 先生が解印してくれるの?!』

『んー……。ただ、お前の体に負担がかかりすぎるから片方ずつね』

 

 本当は、そんな“しがらみ”などいっぺんに取ってやりたかった。

 今の第七班の戦力がどうの……、という前に、ナナを自由に解き放ってやりたかった。

 が、急に力を解放してしまうと、ナナ自身の身体がもたない。片方ずつ、というのはやむをえなかった。

 ナナは特に何も言うことも無く、いそいそと右の手袋を脱いだ。

 

『ナナ、右でいいの? 』

 

 カカシは何気なくそう聞いたつもりだった。ただ、右利きだから右から外すのがいいのだな、と念を押した程度の軽い問いかけだった。

 しかし、返って来た答えに、彼は思わず松葉杖を離すほどの衝撃を受ける。

 

『うん。右のは時々自分で……外せたから、慣れてるの』

 

 本人は、さっきのカカシと同様、どこまでも無為に答えたように見える。

 だが、その内容はカカシを驚かせるのに十分だった。おそらく、後に報告を受けることになる火影も、同じように驚いてキセルを落とすだろう。

 

『……ナナ……自分で封印を解けたの……?』

 

 カカシはおそるおそるといった様子で尋ねる。

 

『うん、なんとなくやってみたらできた』

『……いつごろから……?』

『うーん……去年の秋、くらいかな……?』

 

 手袋を外された白い手を額に当てて、ナナは首をかしげた。

 その手の甲には、うっすらと桃色の五芒星(ごぼうせい)が痣となって居座っている。

 

『あ、でもね、アカデミーの授業ではやってないよ! 手袋も外してない! みんなにコレ見られたら大変だし……!』

 

 じっと見られて怒られるとでも思ったのか、ナナは焦って弁解するように言った。

 カカシはその純粋な姿が微笑ましく、また痛々しくも感じた。

 別に、アカデミーでナナが、自分で封印を解いて授業を受けていたとしても、火影は怒りはしなかっただろう。

 外したいと願うことも、外そうとすることも、また外して力を使うことも、ナナの自由なのだ。

 重要なのは、“ナナに封印がなされている”ことの理由が里に知られぬことであって、ナナの封印が解かれることではない。

 それでもナナは、カカシにすら封印のことを気づかせもしなかった。

 

『あ、ナナ。サスケと霧隠れの中忍をやった時と昨日の再不斬の時、外してたでショ?』

 

 あの時のナナのスピードは、カカシも目を見張るほどだった。アカデミー教師から渡された成績表とはもちろんかけ離れたレベルだ。

 もしかしたらとそう尋ねると、ナナは小気味良いほどあっさりとうなずく。

 

『うん、とっさに外せて良かった』

 

(……まったく、なんてコだ……)

 

 さすがのカカシも舌を巻く。

 よくよく考えてみれば、自分にかけられた封印を自分で解くなど、上忍でさえできる者はそういない。

 その道の専門家、しかも正統な上級陰陽師がかけた術ならなおのこと。

 それをこんな小さな少女が、一瞬でやってのけたなど信じられない。

 それに、何よりも大事なことは、蘇えったチャクラを使いこなすということ。暴走したのでは意味がない。自他ともに危険に陥ることになるからだ。

 ナナの場合、封じられていたチャクラがまだ少量だったとしても、カカシも気づかぬほど自然にコントロールしていた。

 

(……やれやれ……)

 

 脱帽しつつ、彼はナナの右手をとった。この星型の痣を消せば、ナナはあの時の力をコンスタントに出せるのだ。

 そして(かせ)が外れたことで、きっとナナはますます強くなる。

 

『ナナ、封印を解いたら、しばらく体を休めとけよ。たまに外してたっていっても、急に無理矢理“全開モード”にされちゃうようなもんだからネ』

『うん、わかった。先生、お願い』 

 

 ナナは信じきったように、カカシを見上げて笑った。

 

――――――――――――――――――――――――――――――

 

 一日経っても、二日経っても、ナナは目を覚まさなかった。

 スースーと幸福そうな寝息を立てていたため、ナルトもサクラも、そうは心配していないようだった。

 そして、三日目の朝。傷のほとんど癒えたナルトとサクラは、タズナに付いて橋へ行った。

 前日まで寝込んでいたカカシも、リハビリのためにと、松葉杖を突きつつ共に行ってしまった。ツナミもイナリも、町内会の用事とやらで居ない。

 今、最も重傷を負ったサスケが、いっこうに目を覚ます気配のないナナと留守を預かっている。

 

 潮風が、わずかに開いた窓から勢い良く吹き込んだ。部屋の壁に掛けてあった写真や戸がカタカタと揺れる。

 窓のすぐ下に眠るナナの髪もさらさらとそよいだ。

 

(風、強くなってきたな……)

 

 壁に寄りかかって座っていたサスケは、ゆっくりと立ち上がった。

 全身を千本で貫かれたため、動くと体中がズキズキ痛む。

 少しばかり顔をしかめながら、彼はそっと窓を閉めた。

 ガラスの向こうの海がキラキラと眩しい。波の音に混じって、遠くの方で工事の音がした。

 なんとなく気だるい午後の空間の中、再びサスケはもとの場所に腰を下ろす。

 そこからは、ナナの小さく丸まった背中が見えた。

 風で少しめくれた毛布を直してやるために、彼はもう一度、鈍い痛みをこらえて動き出す。

 丁度、ナナを上から覗き込むような形になって、彼は改めてその格好に苦笑した。

 

「相変わらずだな……ほんと……」

 

 ナナの膝はぴったりと胸にくっついていて、両腕でそれを抱え込んでいる。

 まるで子犬のように極限まで体を縮めて眠る姿は、初めて泊まりの任務をした時から変わらない。

 どう見ても窮屈そうな格好に、ナルトとサクラは首を傾げたが、サスケにはなんとなく、ナナがこんな風に身を縮めて眠る理由がわかる気がした。

 同じ孤独の身だからこそ……。

 守ってくれるものが誰一人として居ない状態なら、眠る時すら油断が許されないと『本能』がこうさせているのだ。

 ナナの毛布を掛け直し、元の位置に戻ってからも、サスケはボーっとナナの丸まった背を見つめていた。

 体の痛みと倦怠感で、持ってきた巻物を見る気にもなれないし、夜はしっかり寝ているのでうたた寝すらできそうに無い。

 ただ、規則正しく上下する細い肩を見ていると、どうしようもなく苦しくなった。

 

 

『ナナはな、修行としてチャクラを封印されていたんだ。右手と左手の二ヶ所ね……』

 

 

 あの異常な左腕の痣を見て、ナルトが騒がないはずは無かった。カカシはいつものように軽い口調でそう明かした。

 ナルトとサクラはぶつぶつと言いつつも、そのまま信じたようだったが、ナナの“異端な能力”を知っていたサスケは信じなかった。

 

(ただの修行でそんな危険を冒すはずがない……)

 

 体に重石を付けるなどして、力やスピードを制限しておくという修行は一般的だが、まさか封印の術を二ヶ所も施ほどこすなど考えられない。

 本人に危険が生じた時、封印が解けなければ修行もなにもあったものではないからだ。

 が、カカシは平然とそう言ってのけた。

 サスケもあえて何も言わなかった。

 おそらく、あのナナの特殊な能力と関係があるのだろう。

 それは、カカシのはぐらかすようなセリフから、里レベルの機密なのだと彼は気づいていた。

 しかし、それはそれとして、ナナのことを思うとぶつける先のない苛立ちを感じざるを得なかった。

 封印をした者も、ナナ自身が無理をして封印を解かなければならなくさせた敵も。

 そして、力ない自分も……。

 結局、今、直接矛先を向けられるのは自分しかないと知って、彼は舌打ちした。

 

 その時、三日間ほとんど動きもしなかったナナがかすかに身じろぎをした。

 

 

「う……ん……」

 

 

 小さくうめくような声がして、サスケは思わずナナに近寄る。

 そして先ほどと同じように上から覗き込むと、さっきまで穏やかだった寝顔が苦しげに歪んでいた。

 自分で起きるまで寝かせておけとカカシは言っていたが、うなされているナナを放っておけるはずもなく、サスケはナナの名を呼んだ。

 

 

「おい、ナナ……?」

 

 

 ナナはいっそう身を縮めている。何かから逃れるように。

 うっすらと額に汗が滲んできた。

 

 

「ナナ……!」

 

 

 サスケは遠慮がちにナナの肩に手を置き、そっと揺さぶってみる。

 

 

「……う……」

 

 

 ビクッと反応があって、ナナはぱちりと目を開けた。

 

 

「…………」

 

 

 まだ夢うつつなのか、自分の膝小僧に貼られたばんそうこうを見つめたまま、焦点の合わない目をしている。

 

 

「……ナナ……?」

 

 

 もう一度呼びかけると、二度三度瞬きをして、ナナはゆっくりとサスケを見上げた。

 その顔は、驚くほど白かった。左腕にぐるぐると巻かれた包帯のように。

 その白い額にまとわりついた黒い前髪を、思わず払ってやりそうになり、サスケは慌てて手を引っ込め身を離した。

 

 

「ど、どこか痛くないのか……?」

 

 

 視線をそらし、ぶっきらぼうに言うと、ようやくナナは彼を認識したらしく、いつもの笑顔を浮かべた。

 

 

「おはよ、サスケ。怪我は大丈夫なの?」

 

 

 ナナはのそのそと起き上がって、サスケの顔を覗き込もうとする。

 サスケはさらに身を反転させながら言った。

 

 

「き、聞いてんのは俺だ、ウスラトンカチ!」

「あぁ、そっか、ゴメン。私は大丈夫。なんか、いっぱい寝たような感じだから」

 

 

 クスクスと笑う声を背に受けながら、それがやけに懐かしいと感じつつ、サスケはナナに向き直った。 

 

 

「そりゃあ、まるまる三日も寝てりゃぁな」

「え? 三日? うそ……」

 

 

 さすがに自覚はなかったのか、ナナはぽかんと口を開けて目をしばたかせた。

 サスケはおかしさがこみ上げたが、ふとナナの左腕に目をやった。そして、いくらか低い声で言った。

 

 

「……カカシから封印のこと聞いた……。腕、平気なのかよ……」

 

 

 ナナの漆黒の瞳が、まっすぐにサスケを捉えた。

 一瞬だけ真顔で、でもまたすぐに笑顔になって、ナナは答える。

 

 

「うん、平気。アザも残らないと思うし」

「……そうか……」

 

 

 先ほどのイラ立ちが蘇るようで、サスケは目を伏せた。

 ナナはこうやって、いつも笑顔で返す。

 が、その下でどれほどの苦しみを消化しているのか、誰も知らない。

 そう思うといたたまれなかった。

 さっきのうなされようも、それを表しているに違いないのだと、サスケは思う。

 ナナはいつもと変わらぬ様子で、三日間にあったことや、仲間たちの怪我の具合を彼に尋ねた。

 そして、最後に言った。

 

 

「私ね、サスケはきっと生きてると思ったよ」

 

 

 何の根拠もなくそう言われ、サスケはナナを見た。

 ナナは包帯だらけの腕で額にかかった前髪を払い、目を伏せた。

 そして急に声のトーンを落として、呟くように言った。

 

 

「ありがとう、起こしてくれて。……昔の、夢を……みてたんだ……」

 

 

 その声は、清い水のようにサスケの心に染み渡った。

 二人の間の空間が、澄んだもののように思えた。

 

 

「……よかった……」

 

 

 ナナが再び顔を上げ、サスケにいつもの笑顔を向けた時、サスケは何のわだかまりもなく、ナナを見つめ返していた。

 

 

 

 

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