サスケ対我愛羅の死闘を、会場の誰もが固唾を呑んで見守った。
どちらが勝ってもおかしくない、手に汗握る展開が続いていた。
が、決着がつくことはなかった。
何故なら、突如として会場全体に幻術が仕掛けられたのだ。
それはあの大蛇丸の仕業だった。
大蛇丸は風影に化け、この会場に来ていた。
この期に大蛇丸と手を組んだ音隠れと、そして砂隠れが、木ノ葉を潰そうと狙っていたのだ。
その砂隠れの我愛羅は、戦線を離脱した。
サスケから受けたダメージが大きかったのである。
作戦遂行は困難と判断した彼の姉テマリと兄カンクロウによって、我愛羅は会場の外へと連れ去られた。
サスケはとっさにそれを追った。
惨事の中、幻術を回避したサクラと、ナルト、シカマル、そしてナナが、彼を追うこととなった。
彼らがやっと追いついたとき……サスケはすでに呪印に侵され、大木の枝に倒れ伏していた。
(サスケ……呪印の力が……)
ナナは、その色の濃さに胸を痛める。
が、悠長にしている暇はなかった。
「サクラちゃん!! ナナ!!」
ナルトの横をすり抜けた我愛羅が、まっすぐサスケに向かって来る。
サクラとナナは、サスケの前に立ちはだかった。
「キャッ!!!」
「……くっ……!!」
変化した我愛羅の腕はサクラを襲い、彼女は砂によってそのまま木に囚われた。
変化していない方の腕で殴られたナナは、木に叩きつけられて地に落ちる。
「サクラちゃん!! ナナ!!」
ナルトはサスケをその場から救出し、ただそう叫んだだけだった。
彼の様子が
「ナルト……」
それでも、この状況を救えるのはナルトだけだと、ナナはそう思っていた。
我愛羅の暴走を止められるのはナルトだと、そう信じていた。
「ナナ?!」
戦うことに初めて戸惑いを見せるナルトの眼下で、ナナは立ち上がった。
「ナルト……!」
そして、低い声できっぱりと言った。
「ナルトは逃げても……私はここで戦うよ……」
「……ナナ……?!」
ナルトが反応するより早く、それを聞きつけた我愛羅はにやりと笑う。そしてすぐさまナナに攻撃を仕掛けた。
「ナナッ!!」
ナナは正しい姿勢で避けたが、我愛羅のスピードにはかなわなかった。
何度もすさまじい打撃をくらう。
が、ここで倒れるわけにはいかなかった。
どうしても、ナルトに思い出してほしかった。
あのまっすぐな強い瞳を。
“こんな”自分が救われるほどに、空色に輝く光を。
そしてこの、我愛羅という囚われの忍を開放してほしかった……。
「ナナッ!!」
ナナは最後の力で我愛羅に向かい立ち、鋭い爪にその左腕を裂かれた。
(……ナルト……思い……出して……)
何のために戦うのか。
戦うときは今。
ナナは遠のく意識の中で、ナルトの心が立ち上がったのを感じた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
(こ、これが……あのナルトなのか……?!!)
サスケは、目の前で変貌を遂げた仲間の姿に驚愕していた。
あの、アカデミーでは『落ちこぼれ』のレッテルを貼られていたナルトが……、任務でいつもドジを踏み、足を引っ張っていたナルトが……。
今、得体の知れぬ巨大な『狸の化け物』と戦うべく、それに充分対抗し得るほど強大なガマガエルを口寄せした。
そのチャクラの量は計り知れない……。
(……一体、いつの間に……!?)
サスケは思わずゾクリとするような驚き、いや、恐怖すら感じていた。
巨大な蛙と狸は、互いに森ひとつつぶさんばかりの力でぶつかり始めた。
大地は揺れ、風も凄まじい。
土埃はもちろん、石つぶてや木の枝葉が飛び散ってくる。
(ナナ……!!)
彼は、数十メートル先の木の枝に引っかかって、気を失っているナナの元へと無理矢理体を動かして駆けつけた。
地震でその体が落下しようかという時、サスケはなんとかナナを抱きとめ、そのまま木陰に着地した。
「……う……サ……スケ……?」
幹に寄りかからせると、ナナは弱々しく目を開けた。
我愛羅に攻撃された左の腕は真っ赤に染まり、力ない。
「ナナ、大丈夫か?!」
叩きつけてくる石や枝から庇いながらサスケが言うと、ナナはボロボロの状態でにこりと笑った。
「サスケの方こそ、平気なの……?」
彼の、すでに顔の左側を侵食した呪印を見て言う。そして、ゆっくりと戦いの方へ首を回した。
「あれ……、ナルトが……?」
「あ、ああ……。馬鹿でかい蛙を口寄せしやがった」
「……そっか……」
ナナは別段驚く風もなく、むしろ嬉しそうに目を細めた。
まるで頼もしい子供の成長ぶりを見つめる母のような温かいその視線に、サスケの心中は複雑に揺れた。
こんなナナの瞳は、以前から何度も目にしてきた。
アカデミーの頃から、ナナがこんなふうにナルトを見ていたのを、彼は知っていた。
サスケはなんともいえぬ心情で、ガマガエルの頭上に立つナルトを見上げた。
遠くでよくは見えないが、あれだけ大きなモノを口寄せした上、さらに印を結んで何かしようとしているようだ。
そして、地響とともにガマガエルが狸につかみかかった瞬間、ガマは突然『狐』へとその姿を変えた。
(キ、キツネ……?!)
大狐は鋭いキバと爪で、しっかりと狸に組み付いている。そしてナルト自身は、狐の頭上より狸へ向かって走り出した。
サスケは訳がわからず、ナナに助けを求める。
するとナナは、少し困ったように微笑して言った。
「あの狸はね、砂の化身で、我愛羅にとりついてるの……」
「……ケシン……?」
「今は化身が表に出て暴れてる状態だから、ナルトは本体である我愛羅を起こしに行ったんだと思う……」
「……起こしに……?」
「体が目覚めれば、化身は我愛羅の中に帰らなくちゃならないから……」
ナナはそう説明した。
『化身』とか、『とりつく』とか、サスケにはそう言われても理解しがたいが、なんとなく起きていることはわかった。
だが、引っかかる部分がある。
あの狐……。
しかし、サスケがナナにそれを聞くことはできなかった。
爆発のような音をたてて、大狸が、続いて狐が消え去ったのだ。
(勝ったのか……?!)
サスケは必死に目を凝らす。
嵐がやんだような静けさの中、遠くの梢でナルトと我愛羅が睨み合っていた。
どちらも力を使い果たしたようで、肩で息をしているのがこの場所からも見える。
そして、二人のちょうど間に突き刺さる、大木よりも大きな“ドス”が消えると同時に、二人は相手に向かって殴りかかった。
どちらの拳が勝ったのか……。
地上に堕ち行く二人の姿は、サスケとナナの所からはうかがえない。
が、二人の体は力尽き、木々の合間に落ちて見えなくなった。
その時、黙って戦いを見守っていたナナが、サスケの名を呼んだ。
「サスケ、サクラちゃんを、助けてあげて……。砂が解けるから、あのままじゃ下に落ちちゃう……」
「あ……ああ……」
サスケはまだ、動揺を隠せずにいた。
対してナナは落ち着いていて、しかも彼を安心させるかのように口元に笑みをたたえている。
ただ、その笑みは無理に痛みをこらえているようで、サスケは目が離せずにいた。
ナナはそれに気づいたように、クスリと笑った。
「サスケ……辛い……?」
ナナの手が、サスケの左の頬へと伸びる。
冷たい指先が、そっと彼の呪印をなぞった。
それはまるで魔法のように呪印の痛みを消していくようで、その心地よさが逆に彼を現実に引き戻した。
「お、お前は……?」
「私は、我愛羅のところへ行く」
「あいつの所へ……?」
「うん……。我愛羅が倒れたことで、あの狸が……きっと暴れ出すから……」
「……え……?」
思わぬナナの言葉に、サスケはただ聞くことしかできない。
ナナはまたクスリと笑って言った。
「アレは……『私の敵』だから……」
そう言い切ってふらふらと立ち上がるナナに、サスケは何も言えなかった。
ナナの吸い込まれそうな黒い瞳に、逆らう言葉は出ない。
左腕を抑えながらも、痛いという顔ひとつせず、ナナは笑顔を残して立ち去った。
サスケは無力感の中、言われたとおりにサクラを助けに向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「サクラを頼む……」
サスケは忍犬にサクラを託し、ナナたちの元へ向かった。
フラフラの体を無理矢理動かし、気配のする方へ進む。
地面が抉られたような激しい戦場跡には、ナルトと我愛羅、ナナ、そして我愛羅の二人の仲間が集結していた。
「ナルト!?」
力なく地に伏すナルトは、サスケを見て弱弱しく笑った。
「サ、サスケ……、サクラちゃん……は……?」
「無事だ、あいつの砂は解けた」
「……ハハ……そっか……よかった……」
ナルトは安心しきって目を閉じた。
しかし、やはりそれで全てが終わったわけではなかった。
先ほどからナナがじっと向き合う先、倒れ伏す我愛羅の体内から、不気味な“影”が発生し始めた。
(なんだ、あれは……?!)
それはゆらゆらとうごめき、徐々に膨らんでいく。
「大丈夫、私が鎮めるから……。二人とも離れて……」
そこに、不思議な威厳を纏ったナナの声が響いた。
我愛羅に駆け寄ろうとしたテマリとカンクロウはその声に制される。
ナナは少しずつ、我愛羅とその影に近づいた。
その顔は先ほどとはうって変わって、気圧されるような厳しい顔だった。
ナナは影を目の前にすると、じっとその蠢きを見すえた。
その様子を、テマリやカンクロウでさえ、身じろぎせずに見守る。
影はナナを見下ろすほどに膨れ上がると、醜悪な声を発した。
「ようやく……ようやくオレが、外に出る日が来た……!!」
そして、声ともならぬ音をたてて笑った。
吐き気すら覚えるその音に、テマリは思わず口元を抑える。
カンクロウも耳をふさいだ。
サスケは、腹の底に響きわたる振動を必死に耐え、ナナを見守っていた。
「たった今から、オレがコイツを支配する番だ!!」
さらに影はそう叫んだ。
「ま、まさか、我愛羅が『守鶴(シュカク)』に乗っ取られるってことか……?!」
「そんな……!」
テマリとカンクロウは焦ったように顔を見合わせる。我愛羅の体はピクリとも動かない。
サスケにもなんとなく状況がつかめてきた。もしそうなればどんなことになるのかは、とても想像がつかないが……。
「大丈夫。そんなことにはさせないから……」
影の狂ったような笑いは、ナナのやけに静かな声によって遮られた。
「……え……?」
「お前が……?」
ナナは、驚き見つめるテマリとカンクロウに笑ってみせる。
「なに!? お前がオレに、何をするというのだ!?」
影は鼻であしらうように言い放った。どす黒い影は、ナナを飲み込まんばかりに蠢いている。
「……まったく……。完全に支配する力も無いのに、こんな高度な術を使うから……」
絡み付こうとする影をものともせず、ナナはそう呟いて溜め息をついた。そしてすばやく印を結ぶ。
その場の誰も、ナナが何を始めるのかわからずにいた。ただその凛とした姿と鋭く光る瞳に、神秘的なものさえ感じて、固まったように見守っていた。
「コムスメが、偉そうな口をきく……!! お前などひとひねりに……」
「黙れシュカク」
化け物の声とつかみかかる黒いものを遮さえぎったのは、ナナのものとは思えぬ鋭く、低く、そして蔑さげすむような冷たい声だった。
一同は思わず息を飲む。
サスケは、いつものやわらかく儚げなナナの物腰からかけ離れた今の姿に、鳥肌が立つのを感じた。
「シュカク、お前は私が支配する。おとなしくこの者の中へ戻り、この者の力となりなさい……」
ナナがそう命じた瞬間、暴れるように動いていた黒い影は動きを止めた。
「キ、貴様……!! 何を……した……?!」
「お前は私がこの者の体内に完全に封印する。この先お前が、この者の精神と体を奪おうなどと考えぬように……」
ナナは静かにそう言って印を結んだ。同時に、影の正体であるシュカクは苦しげに叫び、逃れようと必死に動こうとする。
腐ったような匂いの風が乱れ吹き、砂塵が舞った。
「だ、だがっ……、コイツの精神の乱れと……ともに……オレはまた、コイツを……支配するぞ……!!」
「この者はお前に屈さぬ心を得た。私に取り込まれ、黄泉へと失せたくなければ、おとなしくこの者の中へ帰りなさい」
「ク……クソガァ……!!」
憎々しげに暴れ狂う化け物を前に、ナナはさらに呪文を唱えた。その瞳は氷のように冷たく光り、シュカクを睨みつけている。
しかし次の瞬間には、今までの厳しい口調とうって変わり、穏やかな声で言った。
「我愛羅……起きて……」
それはサスケの良く知る、いつものナナの声だった。
「ヤ……メロォ……ソイツヲ……オコスナァッ……!!」
「我愛羅、あなたには心配して待っている人がここに居るよ。もうあなたは……人の死で自分の存在を実感する人じゃない……」
ナナがそう囁くと、シュカクの悲鳴の中、死んだように動かなかった我愛羅の体がピクリと反応した。
そして、ゆっくりと目を開ける。
彷徨った視線が自分を見下ろすナナに気づき、彼はうつろなままナナの瞳を眺めた。
「我愛羅!?」
奇声を嵐のごとく撒き散らす化け物の下で、ボーっとナナを見上げる弟の姿に、テマリとカンクロウは思わず声を上げた。
ナナは二人に大丈夫だと目で言い、我愛羅のかたわらに膝をつく。
もはやシュカクは形をなしてはいなかった。
ナナはまたいくつかの印を結び、呪文を短く唱えた。
そして、穏やかな笑みを浮かべ、我愛羅のひたいに優しく手を置いた。
「ナルトの言葉、忘れないでね……」
聞こえるか聞こえないかの囁きを送った瞬間、シュカクは最後の悲鳴をあげ、我愛羅の体に吸い込まれるようにして消えた。
辺りは突如、今までの出来事が嘘のような静けさを取り戻す。
「我愛羅!?」
「オイ、死んじまったのかよ!?」
テマリとカンクロウが、再び目を閉じてしまった弟に駆け寄る。
「平気だよ。疲れてるだけ……」
「え……」
「……けど……」
「もう、シュカクが我愛羅の意思と関係無しに暴れることはないから、大丈夫……」
疲れきった顔をしつつも、ナナは二人に微笑んだ。
二人は動揺したまま、ナナと我愛羅を交互に見ている。
「それより……、我愛羅を連れて、早く行ったほうがいいよ……。木ノ葉の忍がきっとここへ向かってるはずだから……」
その忠告も、二人には不可解極まりなかった。
「な、なぜ我愛羅を助けた?! それに、なぜ私たちを逃がそうとする!?」
その当然の問いにも、ナナはにこりと笑ってあっさり答えた。
「だって、シュカクみたいなのは“私の敵”だし……。三人とも、もう私の敵じゃないし……。ね? サスケ」
突然同意を求められても、サスケは答えられるはずがなく。
テマリとカンクロウも困惑して顔を見合わせる。
意味がわかるようでわからない。筋が通っているようで通っていない。
だが、あれだけ不可思議な現象と力を見せられて、今さら理解できるもできないもなかった。
カンクロウは恐る恐る弟を担ぎ上げた。
「せ、世話になった……」
「あ、ありがとう……」
二人はぎこちなく礼を述べ、風のように去った。
そしてそれを見送った瞬間、ナナの体は力を失った。
「ナナ!!」
電池が切れたように倒れたナナを、サスケが抱きとめた。
「ナナ!! お前っ……!!」
「サスケ……」
何か言いかけたサスケを、ナナは制して静かに言った。
「あの人は、私に似ていた……」
「……な……」
「……我愛羅は、私と一緒……。この世に生まれた瞬間から、望みもしない“力”を背負わされてる……」
「ナナ……」
力尽きそうになりながら、ナナは独り言のようにつぶやいた。
「自分の存在の意味が、
「…………?!」
ナナはまた、サスケの左頬にそっと触れた。
そして悲しげな笑みを見せ、それから力を失って眠りについた。
やがてカカシらが彼らを捜索に来るまで、サスケはずっと、戸惑ったような表情でナナを抱きしめていた。