中庭の濡れた芝を踏みながら、ネジは小さな東屋へと入った。
屋根のおかげで、かろうじてベンチは雨を避けられたようだが、水気を含んだ空気にあてられて少しばかり湿っていた。
彼はそこに腰掛け、包帯だらけの両腕を見下ろした。
さわさわと風にゆれる木々の枝。それに混じって、里の気配が感じ取れる。
(やはり、外はあわただしいな……)
音は無くとも、寝静まるには程遠い気配が風に乗ってここまで伝わってきていた。
(無理もない……)
ネジは病室で聞かされた『里の事件』を思って、そうため息をついた。
『火影様が、お亡くなりになりました!』
独り、ベッドの上でナルトとの対戦を思い起こしていたネジの耳に、爆音や地響きが聞こえてきた。
それから少しして、家の者が血相を変えてとんで来た。
砂と音の忍が、中忍試験を利用して攻め入って来たのだという。
(これから大変なことになる……)
力の入らない体の彼は、同じようにはっきりしない頭で、漠然とそう感じた。
それから新たな情報で、あの砂の我愛羅とかいう下忍と戦った木ノ葉の下忍がいたことを聞かされた。
(……うずまきナルトか……)
まぎれもなく自分と戦った相手の名がそこにあった。あの戦いで、確かに互いのチャクラを使い切ったはずなのに……。
どこまで果てしない男なのかと、気だるい感覚の中つぶやいた。
「うずまきナルト……か……」
再び漏れたつぶやきが、落ち着かない風に消えた時、柔らかな声がその背にかけられた。
「ネジ君、なにしてるの?」
聞いたことがあるか否か……、思い出す間もなく、声の主は東屋へと入ってきた。
「お前は……、いずみナナ……?」
あの、うずまきナルトと同じ班に所属する小さな少女。
とても忍とは思えぬほどの、幼く儚げな少女……。
ネジの記憶は初めにそう告げ、それから彼女が予選で見せた不思議な強さを思い起こした。
ナナは頼りなげにフラリと立ちながらも、微笑んで彼を見下ろしている。
その両腕にはぐるぐると包帯が巻かれ、むき出しの膝にも大きなバンソウコウが貼られていた。
「いいのか? 寝ていなくて……」
どう見ても安静が必要なナナに、ネジは努めて冷静に言う。
「ネジ君こそ、病室を抜け出してるでしょ?」
月も星も出ていない闇の中でも、夜目の利く忍にとって顔色を確かめることはたやすい。ナナの顔は、明らかにやつれて青白かった。
それでもナナは静かに笑い、こうして話すのは始めてなのにも関わらず、自然な物腰で隣に腰掛けた。
「お前も、砂の下忍と戦ったんだってな……」
一体なぜ、ナナが自分の所へやって来たのかと考えながら、ネジはそう口を開いた。
「うん」
ナナは、足元の木目から突き出た雑草を眺めながら、まるで何でもなかったことのように返事をした。
「……怪我……は……?」
少し迷った挙句あげくにそう尋ねると、クスリと笑って答える。
「平気。明日の火影様の葬儀には出られるって……」
悲しげな余韻を残し、ナナは顔を上げた。
急に漆黒の双眸に見つめられたネジは、戸惑いがちな瞳を返す。
「ねぇ、ネジ君……」
ナナは穏やかに、少し悲しげに言葉をつむぐ。
「……私ね、ネジ君の言ってたこと、『そうかな』って思う……」
「…………?」
突拍子もなくそう切り出され、ネジはその意味を飲み込めない。
しかし自然と黙ってナナの声に神経を集中させていた。
「ナルトに言ってた……人の……運命っていう話……」
ようやくナナの指すものがわかった。
かつて、というより、つい昨日まで自分が言っていた「運命は変えられない」という自論のことだ。
あの対戦で目が醒めたような感覚を得た彼は、それを今さら持ち出されて、いささかバツが悪かった。
が、ナナは真剣に、そして辛そうに言う。
「私も、人の運命は決められているんだって、時々思う……」
「…………?」
ネジは、伏せられたナナの長いまつげの下を思わず覗き込んだ。
「……私も、運命は変えられないって、思うことがある……」
最後は消え入るような声。
闇にさらわれそうで、ネジの口は勝手にナナの名を呼んでいた。
「ナナ……?」
「私も……この血……」
「……え……?」
ナナはゾッとするような暗い目で、己の両手を見下ろした。
ネジもつられて見ると、ちいさなそれは小刻みに震えていた。
「この血に運命を決められてる……」
「……ナナ……?」
ナナは傷だらけの両手を、組み合わせてギュウと握り締めた。
まだ塞がりきらぬ傷口から、鮮やかな朱が滲む。
「おい……!」
ネジは腹の底に冷たいものを感じた。
そして、何か言うでもなく、ナナの細い肩に手を置いていた。
「ネ……ジ……くん……」
ナナは我に返ったように、急激に力を抜いた。
ネジにとって、このとき生まれたものは不思議な感情だった。
自分と同じく、血の運命に苦しむ少女に、妙な連帯感が芽生えていた。
そして同時に、この闇にさらわれそうな体を「守りたい」と、そう思った。
「ナナ、お前が何を背負っているのか、オレに聞く権利もない……だが」
ぐったりとしたその四肢を、夜気に渡さぬように、ネジはしっかりとした声で言った。
「ナナ、オレは、うずまきナルトと戦ってみて、目が醒めた」
「……うん……」
ナナはか細い返事をする。
「運命は、変えられると……、そう思えるようになったんだ」
「……うん……」
ナナは彼のまっすぐな言葉に、ゆっくりと身を起こした。
そして、気を取り直したように顔をあげて、無理に微笑した。
「私もね、いつもナルトに救われるの……」
「…………」
「ナルトを見てると、もしかしたら運命は超えられるんじゃないかって……そんな気になってくる……」
「…………」
いつしかナナの顔を覗き込むように見入っているネジに向かい、ナナは無邪気に笑った。
「ネジ君も、ナルトと戦ってみて、そうだった?」
「…………」
一瞬沸いた、嫉妬とか、プライドとか、これまでの自分の性格とか……、そんな物はすぐにナナの深い瞳の色にかき消され、ネジはゆっくりとつぶやいた。
「……ああ……」
「そっか……」
ナナは嬉しそうに答えて、屋根の隙間すきまからのぞく暗い空を見上げた。
「『思えてくる』だけじゃなくて、ホントに運命は変えられるのかなぁ……」
ため息混じりに出た声。彼はあの時思ったままを口にする。
「オレにもまだわからない……」
ナナは細い首を傾けた。
「だが……、『変えようとしてみる』気にはなった……」
たとえこの疑問の『答え』がどうであれ、答えが来るその日までは、あらがい続けるのだと……。
ナナはネジの決意を確かに見い出して、受け止めた。
二つ瞬きをして、たおやかにうなずく。
ネジもそれを感じ、少しだけ表情を和らげる。
「たとえ、『運命』という呪印が刻まれていようともな……」
ネジは静かに言って、包帯が巻かれた己の額をそっとなぜた。
「うん……」
ナナはそれを見て、胸に手をやった。
「…………?」
ネジにはもちろんその意味を知るすべもなかった。
そこに『ナルト』という大切な存在を消すための、刻印が刻まれていることなど……。
今はまだ、知らなかった。
が、ナナがその華奢な肩にとてつもない何かを背負っていることは感じた。
痛ましいほどに……。
「それでも、お前が逃げ出したくなったら……」
「……え……?」
ネジには、ナナがそんなふうになることなど、にわかには想像がつかなかった。
しかし、目の前のナナは、夜気にあてられてひどく頼りない。
夜露を浴びるか弱い花よりもずっと、儚げだった。
だから精一杯の言葉を集めてこう言った。
「その時は……また“ここ”へ来ればいい……」
ナナは揺れる瞳で、それでもまっすぐにネジを見上げていた。
「お前とオレは、少し似ている……」
ナナはその言葉に微笑みを取り戻す。
「そうだね、おんなじふうに、戦ってる……」
ネジはようやく安堵の気分で、不器用に笑みを浮かべた。
「戻るか……明日も雨が降りそうだ……」
「うん……」
ネジは自然とナナを待った。
二つの白い影が、並んで中庭を通り過ぎる。
うっそりとした夜気だけが、黙ってそれを見ていた。