三代目火影の葬儀を終えたばかりの木ノ葉隠れの里は、その崩壊しかけた“壁”を立て直すためにあわただしかった。
そんななか、ナナはひとりで薬草を摘んでいた。
(……だるい……)
中忍選抜試験の怪我は治り始めていた。が、逆に嫌な疲労感がひどくなっていた。薬草を摘む手に、思うように力が入らない。
(……はぁ……)
ナナはため息をついた。彼女の式神である瑠璃色の蝶が、そばを心配そうにかすめ飛ぶ。
「……ごめんね、平気だから……」
ナナがそう笑って見せた時だった。
「…………!?」
ナナの左の胸を、ズキンという衝撃が襲った。
「っつ…………!!」
突然誰かに、心臓を両手で絞られたような、そんな苦しさだった。
抱えていた薬草はしおれて地に落ちる。
たまらず右手で左胸を押さえつけるようにしながら、その場に膝をついた。
「くっ……」
うめき声を我慢するように唇をかみ締める。額には汗がにじんできた。
空いている左の手で、足元の雑草にしがみつく。
意識だけは手放さぬよう、必死で堪えていた。
間もなく痛みは嘘のように引いて行った。
「はぁ……っはぁ……」
肩で息をしながら、ナナはまだ震えている右手を胸から離し、じっと見下ろした。
(……この……痛みは……)
ナナはこの突然の発作の意味を知っていた。
(……『覚醒』だ……)
ナナは悲しげに、いや、憎々しげに目を細めた。
この発作は、和泉一族で『覚醒』と、そう呼ばれている。
彼らにとっては、声変わりや成長痛などと同様に、生理的現象として受け止められている。
もちろん、発作中も心臓自体にはなんの問題も見られない。
だんだんと痛みを増し、発作の周期は狭せばまり、そして、ピークを過ぎて自然と静まっていくものだった。
そして発作がなくなったその時、体を流れる血は、完全に“和泉の人間”に相応しいものへと変化を遂げているのだ。
それゆえに、一族は『覚醒』をたいそう名誉なこととしていた。
ただその痛み、苦しさは、受け継いだ和泉の血の濃いものほど大きいと言われている。
(はぁ……)
ため息をつき、ナナは発作の余韻を無視するかのように立ち上がった。
この心臓が、より濃い和泉の血を生成しているかと思うとうんざりだった。
ナナは無理に、何事もなかったかのように落ちた薬草を拾い始めた。
原因はわかっていた。
あの中忍試験で、我愛羅にほどこしたレベルの高い陰陽術。あれがこの発作の引き金となったのだろう。
ナナは思い出したように額の汗をぬぐい、もう一度ため息をついた。
と、そう遠くもない風上から、硬い岩が砕けるような大きな音が聞こえてきた。
(なんだろう……)
木ノ葉の混乱に乗じた新手……、という可能性も思いついたのだが、どうも気になって、そちら足を向けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
爆音とともに、硬い岩石に穴が開く。
その大きさも深さも、周りにいくつかあった同じような穴よりは、規模を増していた。
だが、サスケは物足りなさを感じる。
ビリビリと痺れる左の腕を抑え、肩で息をしながら、己の限界という現状に舌打ちする。
(くそっ……)
まだまだだ……。まだ自分は強くない……。
あの戦いでイヤというほどに思い知らされた。
怖いほどの、ナルトの成長を目の当たりにして。
どんどん強くなっていくナルトと対象に、自分が全く進歩していないようでイラつく。
思わず力いっぱい左腕を握り締めた。フラつく足も殴ってやりたい気分だった。
「やっぱりムリしてる」
突然、背後から声が届く。
振り返った先に立っていたのは、包帯だらけの腕に、薬草をいっぱいに抱えたナナだった。
「チドリばっかやってたら死んじゃうよ」
穏やかな中にも少し怒ったような感じを含ませて、彼女はゆっくりと近づいた。
「ちょうどね、この薬に使う薬草を集めに来てたの」
ナナはポケットから出した薬のビンをちらつかせながら、笑顔を向ける。
その屈託のなさに、サスケは顔をそらした。
「腕、見せて」
そう言うナナに、つい声を荒げてしまう。
「うるさい、修行の邪魔だ! さっさと帰れ!!」
彼はそのままナナに背を向けた
傷つけてしまったかと、後悔がないでもなかった。
こんな風に、何度誰かを傷つけたろう。
言ってから思うのだが、周りに築いた壁は、そう簡単には取り払えない。
しかしナナは……ナナだけは、そんな彼を前にしても、背を向けたり、無理に壁を踏み越えようとはしなかった。
「サスケはさ、ちゃんと強くなってるよ」
「…………!!」
今も……
突発的に与えられた言葉は、なんの障害もなくサスケの胸へと届く。
「大丈夫だよ、サスケ」
「…………」
いったい何が『大丈夫』なのか……。
サスケは疑問に思う前に、無意識にナナを振り返っていた。
ナナは柔らかに微笑み、もう彼の左腕を取って、座るようにうながしていた。
「知ってるでしょう? 私が作った秘伝の薬、効くんだよ」
そう言って、緑色の臭いのキツイ薬を塗り込んでいくナナを、サスケは黙って見つめていた。
冷たい手が、心地よかった。
細い指が、ボロボロの腕を丹念にさすっている。
疲労が全て、吹き飛ぶような気がした。
どうしてナナは、自分の心をこうも落ち着かせるのか。
自分の中の、焦りも、不安も、苛立ちも……、ナナはきっと知っているのだと思う。
ナナの短い言葉が、静かな笑みが、不思議と自分の乱れた心を撫でることに、いつしか彼は気づいていた。
いや、わかりきっているのに、気づかないフリをしていた。
ナナから与えられるものが、『安らぎ』であると気づけば、『復讐』に生きる自分を見失いそうで、少し、怖かった。
だが、そのナナの顔色は優れず、腕には白い包帯が巻かれている。
「お前……、体、大丈夫なのかよ……」
我愛羅から受けた傷は、そう浅いものではなかったはずだ。
「平気だよ、もうホネもくっついたし」
ナナは、またビンからひとすくい薬を取りながら、何ともないと言う。
いつもそうだった。
彼の知るナナは、いつだって笑みを浮かべて立っていた。
どんなに傷つこうとも、どんな苦しみを抱えていようとも。
「はい、終わり」
言うと同時に、ナナの手が離れる。
「……あ、ああ……アリガトウ……」
照れくさそうに言う彼に、ナナは嬉しそうに微笑み返すから、彼は再びそっぽを向いて立ち上がる。
「帰るか」
「うん」
人のことは気遣うくせに、自分のことは何も言わない。
倒れそうなほどにまいっていても、彼女は何事もなかったかのように笑う。
あの時……、浮き出た呪印をなでて、ナナは悲しそうに笑った。
そして、何ひとつできない自分を励ますようにして、ボロボロの体で得体の知れないヤツの元へ行った。
無理をするなといつも言っていたのに、やっぱりナナは無理ばかりしていて、結局癒されるのは自分。
サスケは今、それを実感する。
しかしもう、ナナが笑みの裏に隠す『辛さ』が、ちゃんと見えるようになった。
黙々と、彼女に背を向けて歩きながら、それでもナナは何も言わないだろうと思う。
自分は、何も持っていないから。
誰かを癒す、そんな力など持ち合わせていないことを、サスケ自身が一番よくわかっていた。
それでも……、どうにかしたい想いがある。
「お前……」
彼は湿った草を踏みしめながら言った。
「……辛いんなら、オレじゃなくても……カカシにでも言えよ」
「…………」
空気の微妙な揺れ。
ナナが息を呑んで、自分の背を見たのがわかる。
ナナはなんと答えるだろう。
いつものように、笑って『なにが?』ととぼけて見せたり、『別に辛いことなんてないよ』などとしらばっくれたりするのだろうか。
それとも、あっさり『わかった』とうなずくのだろうか……。
それも少し悔しいような気もしたが、自分はガキでカカシは大人で、しかも上忍なんだから仕方ないと思う……。
だがナナは、予想外の言葉をつむぐ。
「サスケ……」
黙って歩き続ける彼に、聞き取れぬほどの声でささやく。
「手……つないでもいい……?」
サスケは沸き立つ動揺をゴクリと飲み込んで、答えもせずに、ただぶっきらぼうにポケットから左手だけ出す。
するとナナは、かすかに微笑み、そっとその小指に触れた。
あんまり遠慮がちなのが苦しくて、サスケはグイとその手を引っ張り、しっかり握ってやる。
ナナがゆっくりと握り返すのが……いとおしい。
だが……。
自分が復讐者だということは、頭の中から剥はがれ落ちることはない。
それに命をかけることに変わりはない。
それ以外に目的はなく、それが運命と理解しているから、何かを手に入れるのが怖かった。
いつか手放す日が来るのがわかっているから、だから繋がりを恐れる。
断ち切るときに、痛くないように……。
それでも、せめて、今だけは……
そう思って、ただ強く、小さな手を握り直した。