サスケの背にはまだ、焦りとか、無力感とか、そんな影があった。
なのに、今までで一番強く握ってくれた手は、ひとまわり大きくなってた気がする。
傷ついて、孤独で、誰かを思う余裕なんてないはずなのに……。
どうしてこの人は、私のことがわかるんだろう。
どうして、私に手を差し伸べてくれるんだろう。
そっぽを向いて、怒ったような顔をして、
なんでこんなに優しいんだろう……。
サスケのその優しさが、サスケ自身をココに繋ぎ止めてくれる気がするよ。
行こうとする道から、自分で戻って来てくれると思う。
それがこんなにも私を安心させる。
大丈夫。サスケは修羅にはなれないよ。
あの人……みたいに……。
「カカシ先生が? 待ち合わせの場所に先に来てたの?」
「ああ。そうかと思えば『急用』だとか言って、消えちまいやがった。修行どうしてくれんだよ、あのウスラトンカチ……」
「『急用』?」
「なんだか知らねぇが、明日は絶対修行につき合わせてやる」
「あんまりサスケばっかり修行つけてもらったら、ナルトがスネるよ?」
「知るかよ」
二人はすっかりいつもどおりに戻って、カカシの家へ向かっていた。
もちろんサスケの手は、もう両方ともポケットに収まっている。
「サスケ、カカシ先生に明日の時間を聞いたらさ、これ手伝って」
ナナは抱えた薬草を持ち上げながら、サスケの背に冗談半分で言った。
サスケは振り返り、緑色の束に目をやって、少し考えてから答えた。
「……ああ……」
珍しく承諾したのがおかしかったのだが、ナナは笑いをこらえた。
サスケはまた怒ったような顔であさっての方を向いて、カカシのアパートの階段を上る。
「先生帰って来てるかな」
「気配があるから居るだろ」
そんな話をしながら、サスケが勝手知ったるようにドアを開ける。
「おい、カカシ」
ドアの向こうにあった光景に、二人は思わず息を飲んだ。
振り返ったのは、カカシではなかった。
三人の上忍……アスマ、紅、ガイがベッドの周りに集まっていて、肝心のカカシは寝かされピクリとも動かなかった。
「カカシはどうした? それに、上忍が集まってここで何してる……?!」
サスケが言って、ガイが答えようとしたときだった。
ナナの背後から来た誰かが……言った。
「おい、『うちはイタチ』が帰って来たって? ナルトを狙ってるって本当か?!」
ナナの目の前に会ったサスケの肩が、ビクンと震えたのが見えた。
そして、一瞬で張り詰めた空気を引き裂くように、サスケはナナの横をすり抜けて消えた。
いつのまにか床に散らばっていた草たちが踏み閉められているのを見て……ナナの足も、頭が回転するより早く、走り出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「手ェ出すなっつってんだろうがぁっ!!!」
ビリビリと、空気を斬り裂くようなサスケの声に、飛び出しかけたナルトの足が止る。
腕を折られ、血反吐を吐きながらもそう叫ぶサスケに、ナルトは思わず気圧されていた。
サスケがどれだけ本気でその男を殺すことに全てを懸かけているのか、痛いほど伝わる……。
イタチは冷たい目で弟を見下ろした。
ギラギラと燃える瞳……一族に伝わる写輪眼。サスケのそれが再びカッと見開き、攻撃を仕掛ける。
が、彼はサスケの攻撃など、初めから攻撃とすら思っていない。
イタチはあっさりとサスケのこぶしをかわし、容赦なくみぞおち辺りに蹴りをいれた。
サスケの体はあっけなく、壁に向かって吹き飛ぶ。
「サスケェ!!!」
ナルトはサスケの体が壁にぶち当たり、骨まで砕ける姿を想像した。
……しかし、吹き飛ばされるサスケを捉えていたナルトの視界に、突如として白い影が現れ、その体を寸前で抱きとめた。
硬く冷たい壁の衝撃を覚悟していたサスケ自身も、予想外の柔らかな感触に驚いた。
(……何だ……?!)
かすかに覚えのある香り。
そして、体に回された細い腕。
サスケは勢い良く振り返る。
すると、すぐそばにあったのはナナの顔だった。
「ナナ……? お前、何でココに……?!」
サスケのつぶやくような問いには答えず、というより耳にも入らない様子で、ナナは真っ直ぐにイタチを見上げていた。
その表情は険しくて、どこか悲しげで、サスケもナルトも、初めて目にするものだった。
ナナはゆっくりとサスケから身を離す。
サスケはようやく我に返り、立ち上がろうとするナナを押し留めるように言った。
「ナナ、手を出すな! コイツは俺が……」
だが、突然強い力で肩をつかまれ、その場に再び引き戻された。
爪が肩に食い込むほどの力に、サスケは余計に驚いてもう一度ナナを見る。
(……ナナ……?!)
一段と、ナナの瞳の色は強くなっていた。
怒っているのか、耐えているのか、ギリギリと奥歯をかみ締めている。
そしてその目は、一瞬たりとも自分を見ないことにサスケは気づいた。
「お前……」
サスケが何か言う前に、ナナはイタチを睨んだまま立ち上がる。
そのままサスケを床に押し付けるようにして、彼の前に立った。
「やれやれ、またガキが邪魔に入りましたね……。その娘はワタシが殺やってもいいですか?」
キサメがイタチの背に問う。
が、イタチは自分を真っ直ぐに睨む少女を、同じようにじっと見返していた。
ナルトとサスケはナナの様子に驚きを隠せなかった。
自来也さえも、ただならぬナナの瞳に次なる行動を起こせずにいた。
「イタチさん? さっさと片付けてしまってもいいですか……?」
キサメもようやくイタチの様子に気づく。
「イタチさん……?」
その場はしばし、不可思議な沈黙が流れた。
パラパラ……と、サスケの千鳥に削られた壁が音をたてる。
その時、ナナがこの沈黙を破った。
「ナルトは渡さない……!」
その低く強い声に、ナルトとサスケは息を呑む。
「こいつもうるさいガキのようですね」
キサメが愛刀に手をかけ、一歩踏み出した。
だが、イタチは依然としてナナを見下ろしたままでいる。
ナナはそのイタチに、再びきっぱりと言い捨てた。
「サスケとアナタも戦わせない」
「…………?!」
サスケは、自分と憎き兄の間に立ちはだかるナナの華奢な背を見上げながら、何がなんだかわからない状態だった。
しかしナナは、今度は誰にも口をはさませないように続けた。
「私がアナタと戦う」
初めてイタチの眉が、ナナの言葉に反応してピクリと動いた。
ナナは、それを見逃さなかった。畳み掛けるようにもう一度、決意の想いをイタチにぶつける。
「今ここで、私がアナタと戦う」
「ナナ! 何言ってんだよ?!」
サスケより早く我に返ったナルトが叫んだ。
それを牽制しながら、キサメが鼻を鳴らすように言う。
「イタチさんと戦う……? フンッ、よっぽどの勝算があるんでしょうねぇ」
その言葉に、ナナは反応を示した。
「勝算? ……そんなものは関係ないの」
ナナにとっては、『勝算』以前に、勝つとか、負けるとか自体が関係の無いことだった。
ただ、敵としてイタチと戦わねばならない、そういう思いだった。
もちろん、サスケやナルトを守りたいという気持ちはあった。
二人がイタチに傷つけられるくらいなら自分が……と。
だがそれ以上に、サスケとイタチが殺し合う光景を見たくなかった。
そんな絶望的な光景を見せられるなら、殺されてしまった方がずっと楽だ。
そして、もうひとつ。
ナナ自身が木ノ葉の額当てをして、それに傷を入れたイタチと、どうしても戦わねばならなかったのだ。
それは、あの日、その左腕に巻いた深紅の布に誓ったから……。
ナナは袖の上から、一瞬それに触れた。
そして無理やり口を開く。
「だって……私は……」
『あの時、イタチと約束したから……』
そう言うつもりだった。
そう伝えて、ちゃんと約束どおりに戦いたかった。
たとえ敵わぬとも、そうする自分でありたかった。
だがしかし、無情にもその想いはイタチによって遮さえぎられる。
「あの時……」
そう言いかけたナナの体が、横に吹き飛んだ。
「ナナ……!!」
サスケは、ナナの頬を打ったのがイタチであると気づくやいなや、反射的に再び彼に向かって行った。
なりふりかまわず、黙りこくったままのイタチに殴りかかる。
が、到底かなわぬ力の差があった。
サスケはイタチの静かな攻撃によって激しく蹴り上げられ、壁に体を叩きつけられる。
ナナはその様子を、壁を背にしたまま朦朧とした意識のなかで感じていた。
(止めなくちゃ……)
殴られ、壁に打ち付けられた衝撃で、呼吸がうまくできなかった。
しかし、サスケの骨がきしむ音だけはハッキリと耳に入り込んでくる。
(私が……私がイタチと戦わなくちゃ……)
痺れているのか、体が動かない。
視野が極端に狭く、もうサスケとイタチの姿は見えなかった。
(……サスケ……)
サスケの悲鳴が聞こえる。
顔を上げずとも、イタチがあの術を使っているのだとわかる。
(もう……やめて……)
つぶやくことすらできないままに、サスケの体から力が抜けたのがわかった。
「サスケェ……! ちくしょー!!」
ナルトが駆け出し、キサメがそれを追う。
その時、ナナのもたれる壁の感触が、突然柔らかくなった。
「蝦蟇の胃を口寄せした。ここからは逃げられん」
自来也がそう言うと、イタチはキサメを呼んだ。
撤退の意思だった。
風のように目の前を走りぬけるイタチを、ナナは強烈に意識した。
イタチの視線は感じなかったが、それでも自分を強く意識していたことはわかっていた。
(どうして……戦わせてくれないの……)
ナナのなかに、深い疑問だけを残して、イタチは再び彼女の前から去った。