代々『陰陽師』を輩出する家柄。
彼らを、『和泉一族』といった。
陰陽の術……その、忍の術ともまた異なる能力を生まれながらにして持つ彼らは、外部の人間との交わりを避けてきた。
その特異な血が、穢れるのを恐れるため。
そして神がかりともいえる特異なその能力が、常人には理解しがたく、あまりに恐れられるため。
彼らは「神聖なる人」だった。
隠れ里
火の国の偏狭に、人知れず栄える『和泉の里』があった。
イタチは今、父に連れられ、そこに足を踏み入れた。
古めかしい装束をまとった一族の者が、彼らを通りに出迎えた。
その目は、好奇に満ち満ちている。
特に和泉の人間たちが食い入るようにして見つめているのは、木ノ葉の里の警務部隊隊長ではなく、その少し後ろを歩くまだ幼い少年の方である。
イタチは、そんな異常な眼差しを受けながらも、黙って父親に続いて足を進めた。
父もまた、先導する男をひたすら追っている。
やがて和泉の男は、ひときわ大きな屋敷の前で立ち止まった。
道もここで終わっている。
「こちらが、和泉家当主のお屋敷でございます」
木ノ葉では見たこともないような古い造りのだが、たいそう豪奢な屋敷。
その門から入り口に至るまで、いったい何百歩歩くのかという距離である。
父男は満足そうにうなずいて、再び先導の男について歩き出した。
イタチもまた、背に静かで熱いあまたの視線を浴びながら、その門をくぐった。
シンとしたこの隠れ家のような里は、まさに人並みはずれた神聖な能力を受け継ぐ一族にふさわしいのであろう。
イタチは通りで一度も人の声を聞かなかったことを思い出し、ふとそう感じていた。
この当主の屋敷も、辺りに仕える者どもが姿を見せているくせに、物音ひとつたてなければ人らしい気配もない。
(人間味のないところだ……)
人間を相手に失礼と思いつつ、イタチは心でつぶやいた。
この外界と切り離されたような場所は、どちらかといえば静寂を好むイタチにとっても、居心地が良いとは感じられなかった。
白い石畳を踏みながらそんなことを考え、忍の性から周囲の様子を注意深く伺っているうちに、ようやく玄関にたどり着いた。
案内人の男は、戸口の番人のような男に目で合図する。
すると、カラカラと扉が開かれ、中から美しい少女が姿を現した。
「うちは様、お待ちしておりました……。ようこそ、和泉の里へ……」
薄桃色の着物に身を包んだ少女は、イタチと同年代に見えた。
が、その物腰と落ち着いた声は、彼女をずっと大人びて見せているようだった。
「どうぞ中へ……。当主がお待ち申し上げております」
少女は、彼と父を交互に見上げた。
その顔立ちは、少女といえど、十分に男を気圧すほどの美しさをたたえている。
長い艶のある黒髪は、彼らの知る巫女のように結いあげられ、先は腰まで届いていた。
そしてその瞳は、とても少女がもつそれとは思えぬほど、冷たく鋭く光っていた。
一瞬、その表情に興味を覚えた彼だったが、父が二言三言、挨拶を述べて中に入るのを見てそれに続いた。
二人が通された広間は、真新しい畳の香りがした。
開け放たれた障子の向こうには、手入れの行き届いた完璧で広大な庭が広がり、さらにその奥は深い深い森だった。
二人の前には、真っ白な装束の男と、薄紅の着物の女、そして先ほどの少女が座っていた。
手短に、仕来たりどおりの挨拶が交わされる。
イタチもそれをすませたが、どこか起きていることが「他人事」のような感は拭えなかった。
それに、苦痛と言えないまでも、静か過ぎる、そして白すぎる空間は不慣れだった。
血なまぐさい戦場に慣らされてきているせいもあるだろうが……。
また、事実、ここに彼が来ているその意味も、彼にとってはどうでもよいことだった。
ただ横にいる父、そしてうちはの会合で決められたとおり、ここに居るというだけのことなのだ。
彼の意思はそこには入らないし、無駄に主張しようと言う気もなかった。
そんな彼を前にしても、和泉の当主だという男と、その妻という薄紅の着物の女は、嬉しそうに、そして頼もしそうに彼を見て微笑していた。
もっとも、和泉の人間はそうそう感情を出して相手に知らしめる性質ではないようだが、それでも精一杯、彼に対する賞賛を並べている。
「さすがは『うちは一族』始まって以来の天才と言われるだけありますなぁ……」
父より少し若そうな当主は、上品な目線を送って言った。
「容姿も美しく、利口そうな目をしている……」
隣で奥方も、遠慮がちにささやいた。
「ええ、とても落ち着いていらっしゃいますね……」
落ち着いてる……それは当たり前の話だと彼は思った。
こういった賛辞、世辞、本気で感嘆している声すらも、彼は聞き飽きていた。
それを聞いて、気持ちがどうこうなったということはない。
自分からしてみれば、まだまだ忍の道は始まったばかりだし、強さはずっと先にあった。
大げさなセリフは、逆に耳障りでしかない。
代わりに父が、上機嫌でしきりに謙遜している。
彼はますますこの場に興味を失い、先ほどから自分をじっと見つめている少女へと視線を移した。
今の当主の紹介では、彼女は長子で名を「琴葉」と言ったはずだった。
確か年のころは9つと、自分と同じだった気がする……。
感情の読めない顔で、琴葉は自分を見ていた。
それに気づいた彼の父は、本題に入ろうと当主をうながし、琴葉に視線を向けて言った。
「では、こちらのお嬢様がこの愚息へ嫁いで来られるのですね?」
その父の言葉さえ、イタチは他人事だった。
突然、許婚が決まったと告げられたのが一週間前。
以来、その話題にほとんど興味も沸かぬまま、彼は今日、ここに連れられて来ていた。
そして今、その相手となる少女と対面しても、先ほどからやはり何の感情も持てなかった。
忍という立場上、「いつ死ぬかわからないから」……というのももちろんあったが、彼にとって「妻」という存在はどうでもよかった。
特に必要とは思えないのだ。
それは彼がまだ9つという年齢にあるからなどという理由ではなく、彼が才ある忍としてこれから生きていく運命にあるがゆえの感覚だった。
(哀れだな……)
彼は心でそう、妻となる少女につぶやいた。
隣で父は、探るようにして少女を見ているのだろう。
しかし、二人の視線は当主の言葉によって、少女から引き剥がされた。
「いいえ、
当主はひとつ咳払いをする。
「……何分『できそこない』でして」
隣で父が、ピクリと反応したのがわかった。
それを当主も感じてか、とりなすように言葉を続けた。
「我が家にはもう一人、これとは比べ物にならぬほどの才に恵まれた娘がおります」
そして恐ろしくも、ニコリと笑った。
その笑みにわずかに嫌悪を覚え、イタチは琴葉に視線を戻す。
客人の前で『できそこない』と言われたことにも、表情は少しも変えなかった。
まるで、そういう立場に慣れてしまっているかのように。
イタチはますます琴葉が哀れになった。
「琴葉、“あれ”は何処におる? ちゃんと参席するよう、あれほど命じておいたはずだが……」
「申し訳ございません。乳母にもきつく言っておいたのですが……私が見て参ります……」
琴葉は静かに立ち上がり、ふすまの向こうへ消えた。
「それで、もう一人のお嬢様はおいくつなのですか?」
父はすでに琴葉のことは忘れたように、息子の嫁になるであろう娘のことを熱心に聞きだそうとしている。
当主は高貴な笑みを浮かべながら言った。
「今年で4つですが……イタチ君と同じように、すでに一族の者が目を見張る能力を持っておりますよ」
しかしイタチには、細くなった当主目の奥に、どこかしっくりとこぬ光があるのが見えていた。
「正直、当主である私すら超える力を秘めております」
父は満足そうに笑った。
「それは頼もしいですな」
そして二人の男は、同時に口の端を上げた。
当主の隣で奥方が、顔をわずかに引きつらせたのを、イタチが見逃すはずはなかった。
再び現れた琴葉は、相変わらずの無表情で、傍らには小さな少女を連れていた。
純白の装束に身を包んだ少女は、琴葉によく似た顔立ちをしていたが、イタチと目が合うなりいきなりあどけなく微笑んだ。
不覚にも、彼はそれに驚いた。
厳めしく静かな空間に居て、少女は突然吹いた風のようだった。
「菜々葉。ちゃんとここに座っているように言っておいたであろう……!」
当主は客人の手前、やわらかく叱ってみせた。
しかしその声には、どこか憎しみが感じられてならない。
イタチは当主と「菜々葉」と呼ばれた小さな少女を見比べた。
当主の娘を見る目には、やはり怒りとは別の何かが宿っている。
しかし菜々葉は、悪びれもせずに幼い声で言った。
「ごめんなさい父上、お庭にチョウチョがいたんだもの」
たどたどしい言葉に、当主はため息をつき、彼の父に大げさに詫びてから琴葉に目で合図した。
琴葉は幼い妹を、自分がさっきまで居た場所に座らせ、彼らに挨拶するようにささやいた。
よほど練習させられたのか、菜々葉は先ほどの返答よりすらすらと挨拶を述べ、最後にニコリと客人たちに微笑んだ。
当主は挨拶のできにほっとしたように、改めて娘を紹介した。
イタチが見る限り、菜々葉は普通の子供だった。
名家の娘にしては落ち着きがなく、一族にも恐れられるほどの才能を秘めているにしては、そのよく動く瞳は無防備すぎた。
隣の父もそのあたりを気にしてでもいるのか、品定めするように菜々葉の様子を伺っている。
「見てのとおり幼いですが、すでに姉の力を上回り、近頃は秘術も使いこなすようになりました」
当主は重ねて菜々葉の実力を説明する。
しかし実のところ、「うちは」にとって「イタチの妻」になる者の実力など、どうでもよいことだった。
それはイタチ自身も知っている。
「うちは」が欲しいのは、人々から崇められる「和泉」との結びつきであった。
それが、長子でないにしろ、当主からこれだけ保障される能力を持ち合わせる娘をもらえるなど、願ったり叶ったりであった。
当主の言葉は、父の気分をいちいち高揚させていることを、イタチは知っていた。
実際、末娘の力を語る当主の目は、無意識に娘に対するそれでなく、自分より強い者に対するものになっていて、話の内容が確かであることを物語っていた。
そして傍らの「母親」はというと、ひたすら笑みを浮かべているつもりだろうが、娘がまるで恐ろしい敵であるかのように、怯えひきつっているのがわかる。
彼女は一度も菜々葉を見ようとはしなかった。
イタチは最後に琴葉に目を向けた。
凍てついたような表情はそのままに、目だけが彼にも覚えのある醜い光を浮かべていた。
それは常に彼が向けられてきた、嫉妬と畏怖、そして憎悪の炎。
それがどんなに不快なものか、彼はよく知っていた。
だが、それを一身に浴びる小さな少女は、一向に気にも留めず、あどけない笑みを客人に向け続けていた。
「あ、イタチさま! また青い蝶があそこに!!」
菜々葉は幼げな足取りで、広い庭を走り回っていた。
キャッキャとはしゃぐ声は、生活音のない村々にまで響き渡るほど。
きつく束ねられた漆黒の髪も、白装束の裾も袖も気にせずに、空を泳ぐ蝶をパタパタと追いかけては、彼に話し掛けている。
彼にはその様子が、実の弟よりずっと幼く見えていた。
いいだけ騒いで少し疲れたのか、菜々葉は庭園の岩にこしかけるイタチのもとへと戻ってきた。
まだまだ赤んぼの域をでたばかりだが、確実に美しい女へと成長することを約束した顔立ちには、うっすらと子供らしい汗を浮かべている。
「ねぇ、イタチさまはニンジャなの?」
イタチはそうだとうなずいた。
すると菜々葉は、何がそんなにうれしいのか、顔を輝かせて忍術を見せろとせがんできた。
「仕方がないな」
イタチは、ズボンの布をつかむ小さな手を見て少し笑った。
ポン……
軽い音がしただけで、イタチの姿は二人になる。
「う……わぁっ……!!」
ただの分身の術だった。
それに菜々葉は興奮し、大喜びで手をたたく。
そして本体の彼に言った。
「私もやるから見ててね!!」
菜々葉は懐から紙切れを取り出し、小さく何か唱えて、それを宙へ放った。
すると彼の目の前で、それは瑠璃色の蝶と姿を変え、ヒラヒラと舞い始めた。
口寄せとも、変化とも違うその術に、彼は菜々葉を見下ろして尋ねる。
「何という技だ?」
「あのね、『式神』っていうの!」
肩に止まった蝶に笑いかけながら、菜々葉は無邪気に答える。
その耳の裏側に、イタチは擦り傷を見つけた。
「菜々葉」
初めて少女の名を呼んで、彼は目線を合わせるためにかがんだ。
案の定、弟よりもずっと低い。
「この傷、どうした?」
不自然な場所につく傷は、自然とつけられるものではなかった。
「ココ? 修行のときについたと思う」
菜々葉はあっさりと答えた。
それだけで、イタチは菜々葉の「修行」とやらが相当に厳しく、そしてそれがあたりまえになっている状態を悟る。
「痛くないか?」
「うん。平気だよ」
菜々葉はにこりと笑ったが、イタチはカサブタになったそこをそっと撫ぜた。
明らかに、鋭利な刃物でつけられた傷だった。
「イタチさま、へんなの」
菜々葉は無邪気に、イタチの顔を覗き込んで笑う。
菜々葉はあまりに幼すぎた。
この傷が「普通」と感じてしまうほどに。
当然、今親同士が話し合っていることなど……いや、なぜイタチが今「ここ」にいるのかさえ、理解してはいないのだろう。
静かな村で隔離されるように育つ少女は、ずいぶんと危うかった。
たとえ誰もが恐れるような力を秘めているにしろ……。
「イタチ様、お父上が呼んでおられます」
やがて、少しの気配とともに、琴葉が縁に現れた。
「お帰りになられるそうです……」
菜々葉は姉の言葉に子供らしく反応した。
「えぇ?! イタチさま、もう帰っちゃうの?!」
言うと同時に涙目になっている菜々葉に、イタチは思わず言った。
「菜々葉、また来る」
そして歩き出すと、菜々葉は嬉しそうについて来て、自然に彼の手を握った。
それがあまりにさりげなく、彼は苦笑して握り返す。
ただ、それを見送る琴葉の視線が、恐ろしく冷たく背に突き刺さったのを感じた。