以前と同様、好奇の視線を背に浴びながら、父のあとに続いて通った大通りをひとりで歩く。
気が進むわけではなかった。
が、別に不快なことにも思わなかった。
ただ父に言われ、先日対面した「許婚」の家を訪問しようとしている。
定期的な挨拶は必要なのだと、当人同士か、家同士か、どちらのためかわからぬ理由を押し付けられて。
(それにしても……)
相変わらず、人の声がない里だ……。そう思う。
向ける視線の数や強さがウソのように、彼らは一言も発しない。
音もない、風すら吹く気力のない里。
彼はやはり、ここが苦手だった。
「あ、イタチさまだっ!!!」
その時、不自然なその静寂をぶち破る声が響いた。
「菜々葉……」
白い袴を着せられた小さな少女が、小道からものすごい速さで駆け寄ってくる。
そして勢いのままに飛びつく彼女を、イタチはごく自然に受け止めた。
「イタチさまっ!! 来てくれたのっ?!」
供の者がいたようだが、遠慮してかそれとも関わりを避けてか、二言三言呟いて建物の影に消え去った。
イタチは視界の端の彼らに構わず、菜々葉をだけを見る。
例のごとく、菜々葉はあちこちに傷を作っていた。
が、嬉しそうに彼の腕の中で笑っている。
「菜々葉と菜々葉の父上に会いに来た」
礼儀やカタチどおりに……という状況は、菜々葉の顔を見れば自然と奥にしまわれた。
「じゃあ、お屋敷に行くの?」
「そうだな。菜々葉の父上にご挨拶しないとならない」
菜々葉は一瞬つまらなそうに首を傾けたが、それでもイタチがここに居ることが嬉しいようで、強く手を引いて歩き出す。
「こっちだよ、お家は!」
大通りの突き当たりなのだから、迷うはずはない。
イタチは菜々葉の小さな後頭部に苦笑しながら歩いた。
……が、しばらくして、周囲の視線の種類が変わったことに気づく。
(……なんだ……・?)
これまでの、好奇の視線は確かに気持ちの良いものではなかった。
しかし今、通りをゆくイタチと菜々葉に向けられているのは、それよりももっと居心地の悪いもの。
(……“嫌悪”……か……?)
彼は横目で周囲を盗み見る。
確かに自分たちを、いや、“菜々葉を”見る彼らの目は、好奇を通り越し、憎悪や恐怖を含む嫌悪の影があった。
イタチの手をしっかり握り先を行く菜々葉は気づいていないのか、楽しげに前だけ向いている。
イタチは黙って、それらの向けられるがままに歩いた。
本家の門をくぐると、色の白い童女が二人、彼らを出迎えた。
「菜々葉様、御帰りなさいませ」
二人は同じ顔をしていたばかりか、同じ声で全く同じタイミングで同時に言った。
が、菜々葉は二人を完全に無視し、玄関ではなく庭へイタチを引っ張った。
イタチはあえて何も言わず、小さい彼女に従う。
何度か棟を回り、手入れの行き届いた清廉な庭を抜けると、ようやくあの庭へ出た。
縁にはあの日と同じように、氷の目をした琴葉が立っていた……。
「イタチ様、よくお越しくださいました」
まるで知っていたかのようなセリフで、彼に頭を下げる。
イタチは内心の小さな驚きを隠したまま、軽く頭を下げた。
「御当主に、ご挨拶がしたいのですが……」
琴葉はチラリと、まだイタチの手を握っている菜々葉を見た。
「菜々葉、またお庭から回って……」
抑揚のない声で、姉らしい言葉を言ってから、琴葉はイタチに言った。
「あいにくと、父は里の外へ出ております。ですが、こちらでゆっくりと休んでいってください」
淡々と述べ、仕草だけ申し訳なさそうに少し障子を開いた。
「えー、父上はいらっしゃらないの? 姉上」
場違いに聞こえる菜々葉の声に、イタチは思わず見下ろして聞いていた。
「菜々葉は知らなかったのか?」
言ってしまってマズイと思ったが、もう遅かった。
菜々葉は始めてみせる“影”を瞳の中に作り……そのまま無邪気に笑った。
「イタチ様、こちらからお上がりくださいませ。今、お茶をご用意いたしますので……」
イタチがそれを覗くことを止めるかのように、琴葉が声をかけた。
有無を言わさぬような響きはあったが、イタチは菜々葉の反応を待った。
「…………」
菜々葉はもの言いたげに彼を見ていた。
促すように、イタチは小さな手を握り返す。
「イタチさま、イタチさまにイイモノを見せてあげたい」
菜々葉はためらいがちに、そう要求した。
こんなに小さい少女が一体何に気を使わねばならないのかと思いつつ、イタチは同意するように笑みを返す。
「行こう!! こっち!!」
菜々葉は嬉しそうに顔を輝かせ、また強く手を引っ張った。
一瞬、あの日のような冷たいものが、背に刺さった。
イタチは
「暗くなる前に、お連れします」
そして、早く早くとせかす白い塊を追った。
「見て!!!」
菜々葉が彼に見せたかったもの……それは、見たこともないくらい壮麗な滝だった。
木ノ葉のどこにも、こんな冷涼とした空気は流れていないだろう。
神聖な里の中でも、最も神聖なる場所に思えた。
しかし、水が叩きつけられる轟音に負けずに、菜々葉の声はよく響く。
「すごいでしょう? 私の修行場なのっ!!」
こんなに傷だらけになるような場所を、小さい体で力いっぱい「美しい」と感じている菜々葉になんとも言えず、イタチは滝のしぶきと菜々葉を見比べた。
「イタチさまも凄いと思う……?」
何も言わない彼を心配し、菜々葉は首を傾けた。
イタチは思わずしゃがみこみ、菜々葉に視線を合わす。
そして言った。
「菜々葉、オレのことは『イタチ』と呼べ」
「イタチ……?」
「ああ。イタチでいい」
菜々葉は嬉しそうに笑った。
自然と彼の手は、その黒髪をなぜる。
目に見えない滝の粒は、菜々葉の髪を少し湿らせていた。
「私ね、ココで『キュウビのコ』が止められなかった『九尾』をフウインする修行をしてるの」
イタチは知ってるんだよね? と付け足しながら、菜々葉はそんな彼の心を乱すようなことを平然と告白する。
「お家にいるより、ココにいる方が長いから、ココが私だけのお家なの」
そして菜々葉は、滝の上を指差した。
十数メートルほど上の景色は、絶壁の下からは見えない。
「あの上に、私だけのお家があるの」
見たい……? というように、菜々葉は企みを含んだような笑みを浮かべた。
「行ってもいいのか?」
だから彼は精一杯、興味のありそうな顔をしてそう言った。
菜々葉は嬉しそうにうなずいて、得意げになる。
「あのね、あの岩のところから登ると……」
しかしイタチは、菜々葉のたどたどしい言葉が終わる前に、その小さな体を抱き上げた。
そして、驚いて小さく声をあげる菜々葉を抱えたまま、風のように絶壁を駆け上った。
「イタチ……すっごーい!!!」
その動作に感動し、菜々葉は彼が下に降ろす前からそう叫ぶ。
イタチは微笑みながら、目の前に現れた『滝の上の御殿』を眺めた。
「あっという間だったねっ……!!!」
まだ感動している菜々葉の横で、イタチはそれに対してこう思う。
ずいぶんと、寂しい場所だ……と。
当然のように、辺りには川と石と木以外は何もない。
そこにポツンと立つ木造の建物は、菜々葉の身分を慮ってか豪奢な造りに見えはした。
が、それが皮肉にも、ますます寂しげな景観を作り出している。
「菜々葉は、普段ここに住んでいるのか?」
その問いに、菜々葉はケロっとして答えた。
「うん、お家に帰っても、どうせすぐに“修行”でこの辺まで来るから」
「寂しくはないのか?」
「ぜんぜん。……こっちの方が好き!!」
そうして菜々葉は、いきなり川に入っていった。
袴の裾をまくっていたが、小さな手では持ち上げきれず、ほとんどびしょ濡れになった。
無邪気な様は、しかしイタチを不安にさせた。
それは、流れの遅いといえぬ川に立つ細い二本の足でなく、
さっき、通りで感じた視線……。
あれは、幼い少女の置かれた環境を、部外者の彼にも否応なしに分からせるほどの代物であった。
それなのに、菜々葉は無垢な姿をさらす。
危険な森に置き去りにされた、雛のよう……。
「ねぇ、イタチ……!!」
見つめる先から、明るい声がかけられた。
彼の不安は、奇妙なまでにかき消される。
「私はイタチのところにお嫁にいくの?」
そんな疑問を投げかけて、菜々葉は川面を足で蹴り上げた。
言葉の意味は、きっと半分も分かっていないだろうと苦笑しつつ、イタチは手招きをする。
彼の妻になるはずの少女は、小石でゴロゴロの河原を、裸足のまま走って来た。
「そういうことらしいが……菜々葉はイヤなのか?」
わざと反応を見るのは、むしろ面白かった。
菜々葉はブンブンと首を振って言う。
長い髪の先が、菜々葉の後ろで振り回された。
「木ノ葉のお里に行ってみたいもん。それに、私はイタチがダイスキだもん」
「会ったばかりなのに……か?」
柔らかな頬を少しつねると、菜々葉はムキになって叫んだ。
「だって、イタチはココのみんなと違うもん……!!」
「…………」
その一言は、まるでイタチの自由を奪うようだった。
菜々葉もあの視線、感じていたのだ。
あれが何であるか知っていて、慣れてしまっていただけだったのだ……。
「イタチは“私のコト”、知ってるでしょう?」
何のことを言っているのか、悲しいことに検討はついた。
『おまえの許婚となる方は、九尾が暴走したときに、それを鎮める術をも会得して木ノ葉へいらっしゃるのだ』
父の語った熱っぽい言葉……。
それを聞いて、「まるで一石二鳥」とでも言いたげだ……と、心の中で皮肉ったのは覚えている。
だから黙ってうなずくと、菜々葉はけなげに微笑む。
「それなのに、イタチは私を
さらさらと揺れた菜々葉の長い髪が、やけに悲しげだった。
「私を怖がったりしないもん」
イタチは無言のまま屈んで、濡れた菜々葉の足に、小さな草履をはかせる。
「菜々葉……」
そうした動作を挟んでみても、言葉は浮かんでこなかった。
「イタチ……!!」
逆に菜々葉は、彼の首に抱きついた。
「だから、また逢いに来てくれる……?」
答えが不安なのか……、菜々葉は肩口の顔を埋めたまま恐る恐る聞く。
その、沿ってきた頼りなげな体を、包み込まずにはいられなかった。
「ああ、きっとまた来る」
「ほんとう?」
「約束する」
今度は、義務とかじゃなく……。
「菜々葉」
そう決意したから、イタチは菜々葉の体を起こして言った。
「今度は、お前だけに会いに来たい……なにか方法はないのか?」
イタチももう、通りの視線はゴメンだった。
あの、琴葉の冷たい空気も馴染めそうにはなかった。
それにこうして菜々葉と二人でいると、菜々葉の本音が零れてきて、それがまた何故かホッとする。
「たとえば……和泉の結界をすり抜ける方法とか……」
だから、この外界と隔離された場所を守る「結界」を、人知れず潜り抜けるすべを、菜々葉に問う。
ここの当主にすら断らず、菜々葉だけに自由に会いに来られる方法を。
「これ!」
菜々葉はイタチが本当に会いに来てくれるのだということを、ようやく確信し、興奮したように懐から紙切れを出して彼の鼻先に突きつける。
「これをね、結界の所で投げて」
菜々葉は中にそれを放る仕草をして見せた。
「式神になって結界を開けて、ココまでイタチを案内するから!」
「式神……?」
耳慣れぬ言葉は、しかし前に菜々葉の口から聞いたことがある。
「うん、さっきの門にいたコたちも母上の式神だしね、それに……」
「この間の蝶だろう?」
この間見せられた美しい蝶は、はっきりと目に焼きついている。
菜々葉はイタチがそれを覚えていたことに、言葉も無く微笑んだ。
「わかった、菜々葉。きっと会いに来るから……」
イタチは何の変哲もないその紙切れを疑いなく受け取って、そんな菜々葉に向き合った。
そして言いかけた言葉を飲み込む。
きっと会いに来るから……その続き、
修行を頑張れ、周りの視線に負けるな……
どれも無責任なように思えたから、イタチはためらった。
代わりに、頬に手を添えて言った。
「何をして遊ぶか、考えておけよ」
そんな、弟に言うような言葉を。