「ねぇイタチ、手裏剣術を見せて!!」
夕日はまだ、滝の上を綺麗に染めていた。
ナナの頬も心なしか上気して見え、イタチは唐突なねだりにうなずく。
「的は何だ?」
尋ねると、ナナは懐から何枚もの白い紙を取り出した。
「これ!」
「式神か?」
何度も目にしたことがあるナナの技に、イタチはすでに慣れ親しんでいた。
「全部で12枚だよ」
「倍にしたらどうだ?」
イタチが楽しげに言うと、ナナは満面の笑みで紙切れの数を24枚にした。
「投げるよ!!」
少し離れてナナが叫ぶ。
イタチは手裏剣を構えた。
「飛べっ!!」
ナナが号令とともに、紙の束を中に放る。
すると、それらはたちまちのうちに意思を持って飛び始めた。
それも蝶のようではなく、燕のようにスイスイと。
「……ナナ……」
ずいぶんと自由な的だった。
彼は一瞬、呆れてナナを見る。
得意げに笑ってはいたが、有無を言わさぬ目でこちらを見ていた。
「よく見ていろ」
観念したように、彼は自然にチャクラを練り上げて手裏剣を投げた。
滑るように放たれる彼の武器もまた、宙を駆ける。
ナナが長い睫毛を、一度しばたく間の出来事だった。
体を貫かれた燕たちは、紙クズとなって河原に落下する。
「すっ……ごい……」
ナナは声にならない賛辞を送った。
そしてその瞳は、眼下に散らばる紙切れたちでなく、イタチの双眸をまっすぐ見上げていた。
「イタチ……その目……」
突如として色を変えた彼の瞳に、ナナは完全に心を奪われているようだった。
「この眼は、一族に伝わる『写輪眼』という」
事も無げに告げると、ナナは深く聞きだす余裕も無いのか、目を見開いて呟いた。
「すごい……キレイ……」
無垢な少女のその簡素な言葉は、イタチをまた安らげた。
「怖くはないのか?」
普通の子供なら、これを見てどういう反応をするか、すでにわかっていた。
ナナに限って、恐れなど感じるはずもないと知りながら、意地悪く尋ねてみる。
と、ナナは急に駆け寄って、出逢ったばかりの頃のように彼に飛びついた。
「ナナ?」
例によって傷だらけの腕でしがみつくナナは、溜め息をつくように言った。
「そんなイロ、初めて見た……」
その感情が、こういう表現なのだと、イタチはまた新しく知って微笑する。
なぜだか少しくすぐたい気もしつつ、ナナの背をなでてやる。
しかしナナは、ますますしがみつく手に力を込めたばかりか、いつまでも顔をうずめたままだった。
「ナナ?」
やはり怖かったのだろうか……。
そんなことを考えた時、ナナは急に明るい声で言った。
「イタチ、私、やっぱりイタチのところにお嫁にいくのヤメル」
そしてようやく体を起こし、すでに漆黒に戻った彼の瞳を見上げて笑った。
「ナナ……どうした……?」
幼い笑顔はしかし、彼の目には容易に影が見て取れた。
何度目にしたかわからないその笑みに、未だ返すものを持ち合わせずにいたのを気づかされる。
「ナナ、何かあったのか?」
両の頬をはさみ、そう尋ねる。
それが彼の精一杯の「手段」だった。
「だってね……」
しかし、ナナの笑顔は崩れない。
「だって、私はやっぱり『不吉』なんだもん……」
そして、そんなことを彼に告げた。
どういうことだ、と再び尋ねても、それはさらにナナにとって酷なだけだった。
ナナが何故そう感じねばならないのか、彼もすでに知っていた。
いくら彼がそれを否定したところで、ナナを取り巻く環境が少しも変わらないことも知っていた。
だが、今になってそう言葉に表すナナの身に何があったのか……。
そればかりは、彼の心を大いに乱す。
「ナナ、オレには何でも話していい。今までそうだったろう?」
せめてその糸だけは切らさぬよう、「ナナ」という彼だけの呼び方で呼んで、祈るようにそう言った。
が、ナナは笑ったまま首を振った。
「違うのイタチ」
悲しげな余韻を、長い髪の先に滲ませながら。
「私はイタチに、なんにも話してなかったの」
彼が持っていたと感じていたはずの、自分だけがナナの心を聞く権利。
それは幻だったのだと、ナナは言う。
「イタチは“ホントの私”を知らないから、“キュウビ”のことを知ってても、私に逢いに来てくれるんだよ……」
本当のナナ……。
それこそを、自分だけが知っていたつもりだったのに。
そんな自惚れに気づいた時、ナナは初めて目を伏せて彼に言った。
「私のこの力は、父上たちの“術”のおかげなんだって」
「術……?」
あの気品と高慢を履き違えた当主の口元が、目に浮かんだ。
「私は、父上たちが使った秘術で、“誰かの生まれ変わり”として産まれたんだって」
「生まれ変わり……だと……?」
そんな都合のいい言葉を、ナナに吹き込んだ者を呪いたくなる。
「力の強い人の生まれ変わりだから、私は力を持って産まれたんだって」
静かに自分の姿を語るナナは、急に大人びて見えた。
「仕方ないよね、“キュウビ”を収める力が必要だったんだから」
達観したセリフは、あまりに幼い肢体と不似合いすぎた。
「ナナ、でもそれは……」
傷つけたくないから、言葉を選ぶ。
が、すでに傷は癒せぬほど深く見えた。
「それは、ナナのせいじゃない。大人の都合だ」
その傷を縫い合わせる術もないまま、イタチは言った。
「お前がそんなふうに思う必要はない」
ここの者たちのあの視線が、当主や母親の態度が、ナナにそんなふうに思わせたと思うと、今にもそこに散らばっている手裏剣を投げつけに行きたかった。
だが、そんな彼をさらに地に縛るように、ナナはまだ告白する。
「でも、私は父上たちの思う通りにはいかなかったから……」
思うとおりに……。
その言葉さえも憎むべきものだということに、ナナが気づいていないのがもどかしかった。
「ナナ……!」
そして彼が強く、ナナの肩をつかんだ時、ナナは彼から視線を逸らした。
「イタチ、あれ、見て」
短く言った先に、イタチはわずかな覚悟を持って目を向ける。
「…………?!」
彼の背後……、振り返った先には、見たことも無いくらい純白の蠢きがあった。
さっきまで、いや、ずっとナナと二人きりだと思っていたこの空間にたった今、空から降ってきたように現われたモノ……。
イタチは息を奮わせた。
「きつね……?」
きっぱりと言い切れるほど、単純なものではなかった。
言い切ってしまってはいけないような、そんな俗世のモノではないような、そんな存在がそこにあった。
「ホクトだよ」
ナナが呟く。
名を持っていることにも、違和感があった。
それ程に、そこに居る「狐」は、この世のものとは思えぬ空気を纏っている。
神聖な和泉の里の滝ですら、場違いに見えるほどの。
その空気の源は、毛の白さだけではなかった。
フワリと揺らした、たわわな尾……。
それは三股に分かれていた。
「ホクトはね、私が産まれた瞬間に、どっかからやって来たんだって」
ナナはイタチの側で呟いた。
彼の反応を見て、何かを諦めたかのような声だった。
「キュウビを収めるはずの私が、三尾のキツネに憑つかれてるって、みんなは怖がってる……」
イタチはその言葉で、再びホクトを見ることができた。
ナナはもう、イタチからも、ホクトからも目を逸らしていた。
「転生の術で産まれた“禁忌の子”だから、妖魔のキツネが憑いたんだって……、それでみんなは私を怖がってるの」
イタチはナナと、ホクトを見比べた。
そして心中で、大きく息をついた。
「ナナ、それも、お前のせいじゃないだろう?」
だいたいアレが、何であるのか、未だわからぬ状態だった。
「そうだよ」
ナナは低く答えた。
「ホクトは妖魔なんかじゃない。私の“分身”だもん」
「分身?」
ナナは真剣にそう言い、ホクトに手招きした。
ホクトはふぁさりと三つの尾を河原に垂らし、ゆっくりと歩み寄る。
しかし、その行動のどこにも、主人に従うといった雰囲気は感じ取れなかった。
しかもホクトは、イタチとの間に適当な距離を置いて立ち止まる。
「ホクトは私自身なの。私が産まれて、ホクトが産まれたから」
ホクトが産まれて、自分が産まれたのかもしれないと、ナナは呟いた。
イタチは、屈んでナナよりも視線を低くした。
うつむくナナの心を、もっと知らねばならないという気がしていた。
「ホクトを見た里の者たちが、『恐れ』からお前を『不吉』だと言っただけだ」
ここの人間じゃなくても、そういう病・が伝染することくらい彼も知っていた。
実際、九尾の妖狐の非害を浴びた地で育った者ならば、狐という存在にすら恐れをなす心理を心得ている。
だが、ナナは首をかすかに振る。
「ホクトのことだけじゃないの」
小さな手を握り締め、決心したように彼女は言う。
「私は1歳にもならないうちに、人を殺してるから……」
「人を……?」
殺して……。
あまりにも、ナナには不釣合いなセリフに聞こえた。
それで一瞬、反応が遅れたが、イタチはそれでも言葉の矛盾に気づく。
「1歳にもならないお前が、どうして人を殺せるんだ……?」
まるで宥めるように、その拳を包んでやる。
冷たい手は、彼すがりはしなかった。
「陰陽師は、式神を使って人を殺せるんだよ」
その知識は、ここへ来るようになって少しずつ身につけていた。
伝説化した和泉の一族のことをしるには、木ノ葉では資料が少なすぎたが、それでも、基本的な陰陽師という存在は知り得た。
彼らは、古代からそういった術を使ってきた。
いわば、それが商売だった時代もある。
呪詛や祈祷が人々の生活の中心だった時代。
それはまた、和泉の人間たちが最も活躍し、敬われ、そして栄えていた時代でもあった。
憎む相手を取り殺すため、または憎まれた先から守るため。
貴族や権力ある者たちに使え、その力を振るってきたのが和泉一族である。
しかし、いくらナナが力を持つべくして産まれたからといって、乳飲み子のときにそんなことをできる理由はない。
動機となればなおさらである。
が、イタチの脳に染み入ったばかりの知識が、その全てを明かそうとしていた。
「私、飛ばされた式神を“祓って”、相手を殺してたんだって」
式神が払われる。
それは、術が破れたことであり、術者の死を意味した。
「その時私は、おしゃぶりしたまま笑ってたって、父上が言ってた」
父親が払いきれなかった、憎悪や嫉妬の力を背負った式神を、言葉もしゃべらない当人が追い払ってしまったのだ……と、ナナは初めて出す自嘲的な声で告げた。
「私ね、今までにそうやって9人の一族の人間を殺してるんだって」
冷たい拳が、イタチの手の中で震えた。
痛々しくも、儚げで、イタチは彼女を焦ったように抱き寄せた。
「イタチ、私が怖い……?」
今度はナナが、そう問う。
その気持ちは、十二分にわかっていた。
わかっているから痛かった。
せめて、涙の一つも流してくれれば、言葉くらいは見つかったろうに……。
だが、ナナは人形のように、イタチの肩に顎をのせたままだった。
「イタチも、私が、怖い……?」
イタチは逆に、ナナの細い体に顔をうずめた。
背に、ホクトの視線を感じる。
「ナナ……」
目を閉じて、想いをささやく。
さっき自分が同じ問いを投げかけた時、ナナがくれた言葉を噛み締めて。
「お前は、キレイだ……」
突拍子も無い言葉に、ナナの四肢はかすかに動いた。
「お前の心の清らかさは、オレが一番良く知っている」
お前の無垢も、強さも、儚さも、傷も、願いも……ちゃんと見てきた。
ここの人間とは違う。そう言いきれる。
今聞かされた事実にも、なんら変わる事はない。
「オレはこの眼で、ちゃんとお前を見てきた」
どんな思いで、やはり自分のところに嫁ぐのを辞めると言い出したのか、それを知ったから少し、余裕が持てた。
自分を『不吉』と言い切って、それで別れを言いだしたナナの本当の思いは、自分への想いと知ったから。
「オレを信じろ、ナナ」
ナナが躊躇いがちに、首に腕を巻きつけるのが切なかった。
あまりに細いその腕は、きっとここにしかすがらないのだろうと、そう思って……。
イタチも胸に沸く想いとともにナナの体を抱き締める。
後ろでホクトが、たおやかに尾を揺らしたのがわかった。