ひと葉 ~壱の巻~   作:亜空@UZUHA

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悪意

 瑠璃色の蝶が、旋回して庇に止まる。

 中から出てきたのは、勢いの良い“白い影”ではなかった。

 

「……琴葉殿……?」

 

 相変わらず、気配も表情も持ち得ない美しい少女。

 二つの目はイタチの姿を捉えても、何の反応も示さない。

 

「あの子は熱を出して寝込んでおります」

 

 イタチの眉がヒクついた。

 

「ナナが、熱……?」

 

 確かに頼りなげだが、ナナは風邪などひくような体質ではなかった。

 いや、体質はどうか知らないが、そういう状況に置かれていなかった。

 風邪などひいてでもいたら、修行で命を落としかねない。

 あるいは、自分の力や産まれを憎む一族の者が放つ“悪魔”に身を滅ぼされかねない。

 ナナはそういう世界に住んでいた。

 だから、琴葉の言葉に聞き返す。

 

「本当ですか……?」

 

 琴葉は彼の疑いすら風に流し、中に入るよう無駄のない仕草で促した。

 

 

 

 

「……ナナ……?」

 

 イタチは、外観と同様、とても山奥の滝の上にあるとは思えぬ綺麗な畳に膝をつく。

 布団に寝かされた小さな姿は、苦しげに息を吐いていた。

 

「今日は、『毒受け』の日だったのです」

 

 琴葉は、ナナの狭い額に乗せられた手ぬぐいを替えながら、そう呟いた。

 

「毒受け……?」

 

 聞いたことがない訳ではない。

 毒に対する免疫を作るため、体内に毒を入れる修業。

 『強い身体』を造るために、必要なことだということも。

 イタチは片方の拳を一瞬握り、あえて何も言わなかった。

 

「何故、あなたがナナの面倒を……?」

 

 代わりに、そんな至極当然の疑問を口にする。

 琴葉は当然のことのように、ナナの布団の乱れを直す。

 

「乳母が死にましたので……」

 

 乳母は唯一ナナの面倒をみていた人間だった。

 そんな「乳母」の役目をする人間は、あの老女で3人目だと、ナナが言っていた気がする。

 それでも、自分の娘のように可愛がる……などというセリフは、お世辞にも吐けなかったが……。

 

「だからあなたが?」

 

 そう、だからといって、琴葉がナナの看病をしにわざわざここまで来ている理由も見つけられずにいた。

 たとえ、姉と妹という関係を思い出しても同じことだった。

 が、琴葉は逆に聞き返す。

 

「他に誰が……?」

 

 いるはずもなかった。

 それは知っている。

 イタチは何も言わなかった。

 

「薬師が、試毒の調合を誤ったのです」

 

 淡々と話す琴葉の横顔は、ナナを見下ろしている。

 

「『誤り』か……それとも……」

 

 『悪意』があったか……。

 

 琴葉はその言葉を発せずに、イタチを見た。

 二人の静かな瞳が重なって、ナナの苦しげな息遣いだけが音になる。

 

「致死量ではないんですね?」

 

 確認するように言うと、琴葉は再び手ぬぐいを絞りなおした。

 

「この子なら、明日の昼には起きられるようになるでしょう……」

 

 妹の前髪に触れる手に、『悪意』はない。

 が、『愛』も、ない……。

 

   『私と姉上みたいには……ならないよね?』

 

 ナナの不安げな声が、耳に聞こえる。

 

「何か、ありましたか……?」

 

 それをかき消すように、温かみのない声が琴葉から出された。

 

「……何故……?」

「……影が……」

 

 簡潔にそう言い、琴葉は視線をよこした。

 気遣う熱など、彼女にはあるはずもなかった。

 が、言葉はそれを表す内容を持つものだった。

 そして今夜のイタチは、冷めたそれにすら、傾く状態だった。

 

「……うんざりだ……」

 

 ナナにも言わぬ退廃的なセリフが、勝手にこぼれ出た。

 

「血も、名も、力も……」

 

 琴葉に、反応はない。

 だが、小さな呟きはため息のように聞こえた。

 

 

「同じですね」

 

 

 “誰”と、“誰”が……?

 聞けぬまま、琴葉の横顔を眺めた。

 彼女の視線の先には、ナナが眠る。

 

「くだらない枠だ……」

 

 昼間の一族の者たちも、父も……。

 ()()()()ではよりいっそう、彼ら全てがちっぽけな者に感じる。

 それを口にする。

 

「ええ……」

 

 琴葉が見て来たことのように同意した。

 また、「うちは」の者どもの顔が浮かぶ。

 

 

「……親しき友も、昨夜、死んだ……」

 

 

 彼らに見切りをつけるように、イタチはひとりごちた。

 今や、影は自身にも感じられる。

 

「ただ……、眼が痛いだけだ……」

 

 自分の口をつく言葉を、まるで遠くで聞くような感覚で、イタチはナナを見た。

 苦しげに寄った眉間の皺は、側にいるのに、触れられない。

 

「それを、この子に言いに来たのですか……」

 

 琴葉は、疑問とも確信とも取り得ぬ声でそう言った。

 イタチはもう、話すものすら失って、ただ時折琴葉が絞る手拭いだけを見つめていた。

 

 

 

 

 

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