道具
「ナナ、大丈夫か? なんか顔色悪いってばよ」
ナルトの大きな瞳が、心配そうにナナを覗き込んだ。
(ナルト……)
ナナは無理に笑ってみせる。
「うん……、なんか暑いから、夏バテかな」
そう答えつつも、ナナの心臓を電流が走ったような痛みが襲っていた。
(……っつ……)
『発作』は確実に周期を早め、症状を重くしていた。
だが、ナルトに心配はかけたくなかった。
彼は今、自らを守るべく、“新たな修行”の最中なのだ。
「先に宿に帰って寝てろってばよ」
「ううん、もうちょっと見てる」
ナルトの成長する姿は、見ていて“救い”だった。
すでに自来也に課せられた修行は、『第三段階』というところまで進んでいた。
さらに綱手との“賭け”に勝利するため、ナルトは死に物狂いで術を完成させようとしている。
『暁という組織からナルトが狙われているとわかった今、お前がナルトを護衛するのじゃ』
ナナは亡き三代目火影の補佐役であった二人に、密かにそう命じられた。
『護衛』という名目ではあるが、これは展開によってはもっとも残酷な任務であった。
『もし、再び暁と名乗るものが現れ、やつらの手にナルトが渡りそうになったら……どうすれば良いかわかっておるな……?』
コハルとホムラの問いに、ナナは黙ってうなずいた。
従うしかなかった。
それが、ナナが『木ノ葉へ来た理由』なのだから。
『万が一、ナルトが連れ去られるような事態に陥れば、陰陽の封印術をもってナルトをその身に封印せよ』
……これがナナに課せられた真の任務であった。
ナナはナルトが修行をしている間、邪魔にならないように離れたところに居た。
そして、気づかれないように周囲に結界を張って彼を守っていた。
(ナルト……)
そのひたむきな姿は、ナナの乱雑に渦巻く心を軽くする。
まっすぐに突き進む姿に、もしかしたら自分の術は必要ないのではないかと、そう楽に思えることがある。
九尾さえも捻ねじ伏せる力を、ナルトが手にするような気がしてくる。
ナルト本人のおかげで、『器』という運命から解き放たれる。
ナルトを見ていると、そんな気がして救われた。
そして今日も日がとっぷり暮れたころに、ナルトはチャクラを使い切って倒れた。
立ち上がって、彼に上着をかけに行こうとしたナナは、目の前をかすめ飛んだ自分の式神に気づく。
(なに……?)
式神の蝶は、ヒラヒラと舞い、彼女に何かを伝えた。
(え……綱手様が……?)
ナナが、式神から教えられた方を見ると、確かに綱手がナルトの様子を見に来ていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ただの気まぐれ……、いや、無様な姿を見に来たのだ。
綱手は己にそう言い聞かせた。
あんな生意気な小僧。
過去を思い出させるような憎らしいガキ。
だが怒りはしない。ガキはガキだ。
ああいうやつは、聞いても居ないのにくだらない夢を叫んで、突っ走って、自分の足につまずいて転ぶのだ。
そんな格好悪い様を見てやろうと思った。
大人の自分が正しかったと、笑ってやろうと思った。
あいつのせいでくさくさしていたから、あいつのおかげでせいせいしたかった。
大人げない……と言われればそれまでだ。口うるさいシズネなどはそう言うだろう。
だが……。
べつに、そうではなかったとしても、なんとなく気になって……。
「綱手様……」
ぶっ倒れたナルトの様を目にしたとき、周囲の空気が揺れた。
忍のように気配を殺すでもない。
それでいて気配をだだ漏れさせているわけでもない。
不思議な空気だ。
殺気はなかった。まるで遠慮がちにこちらに気付いて欲しいとでも言うような近づき方だった。
「お前は、あのガキの仲間だったな。えらく自来也のお気に入りで……」
振り返った先に立っていたのは。
ナルトと自来也と共にいた少女だ。たしか『ナナ』と呼ばれていた。
それでこの気配にも納得した。
出会った瞬間から、この少女は控え目で弱々しかった。
綱手にとってあまり好きなタイプではない。
何故、あの自来也がこんな面白くもなさそうなガキを気に入っているのか良くわからなかった。
「綱手様、私、アナタにお話ししたいことがあります」
「私に? 何の用だ」
綱手は鼻であしらうようにナナを見下ろした。
目つきが変わったように思った。
だが、とるに足りない相手であることに変わりはなかった。
「シズネさんから、アナタの大切な人たちのこと聞きました」
「…………」
それを聞き、瞬時に眉根が寄った。
怒りがふつふつとこみ上げる。
もともと感情を抑えてやりすごすタイプではないのだ。
十中八九“あのこと”を話したであろうシズネにも、それを踏まえてわざわざ面と向かって何かを言おうとして来る小娘にも、腹が立って仕方がなかった。
その空気は“だだ漏れ”だったと思う。あえてぶつけるつもりだった。
が、ナナは少しもひるまずにきっぱりと言った。
「二人を失ったことで、そんなふうに“忍の道”から目を背けないでください」
突然のナナの強いセリフだった。
頂点まで上り詰めようとしていた怒りの線が、一瞬止まった。
不覚にも驚いたのだ。
ひ弱な小娘が吐くとは思えない、鋭くぶしつけな言葉だったから。
「なにを……! たかが下忍になりたての小娘が、この私に“忍道”を説くつもりか?!」
だが、再び怒りは上昇した。さっきよりも加速して。
説教などではない。“攻撃”だ。
「そんなんじゃありません。ただ、アナタにちゃんとナルトを見ていただきたいんです」
が、ナナは少しも視線を逸らさずに言い返した。
「ナルトなら今のアナタを変えられる……。そう思ったから、アナタはここへ来たんでしょう?」
奥歯が鳴った。
こんな小娘とやり合うつもりではなかった。
が、自身の苛立ち、怒りは、正当なもののはずだった。
「……そんなつもりはサラサラないな。私はただ、あのガキが叶いもしない夢とやらのために、四苦八苦している様を見に来ただけだ」
「ナルトは本気です。いつだってナルトは、自分を信じてまっすぐで、そして最後にはちゃんと言ったことを貫く力があるんです」
「そんなもの、お前の妄想だろう」
「私はナルトを信じています。アナタこそ、『叶いもしない夢』だなんて決めつけないでください」
「決めつけじゃない。『決まってる』のさ。あいつは無駄死にする。夢なんて叶わずにな」
正当な意見を言った。
実感がこもっているはずだった。
十と少しの小娘なんぞにわからないような長い道を歩いて来た。
そんな自分の言葉に、言い返すものなどあるはずはないのだ。
綱手はため息をつきながらナナに背を向けた。
なぜこの少女は、こんなにも自分を恐れず、こんなにも必死で訴えかけてくるのか。
それを考えてしまうのもわずらわしかった。
その背に。
「忍なら、自分の死も、大切な人の死も、覚悟していなくちゃならないんじゃないですか?」
ナナの鋭利な言葉が突き刺さる。
同時に、抑えようのない感情が腹の底から湧き上がってきた。
先ほどまでの苛立ちや怒りなどではない。
これは明らかにどす黒い“憎しみ”だった。
(ダンと……ナワキの死を……!)
『受け入れろ』と、下忍になりたての娘が言うのだ。
「だまれっ!」
振り返りざま、殺気すらこめてナナを睨みつけた。
「忍にとって、死は当然のことだと、お前はそう言うのか?!」
考えてみれば当然のことだ。忍のありかたは、感情を殺し、任務を遂行し、里の安寧、発展のために尽くすこと。
それは忍になるものが皆最初に教えられることで、彼女自身も頭ではわかっていた。
しかし……。
「たとえ何があろうとも、忍ならば耐え忍んでみせろと、そう言うのか?」
くだらない、くだらない。
そんなもの無責任な戯言だ。
何も失ったことのないおめでたい奴らが、無責任に他者に植え付ける紛いの言葉だ。
「忍ならば、忍らしくと?」
いっそ笑えた。
一瞬だけ、度胸がある娘だと思った。
何かしっかりとした強い芯のようなものを垣間見た気がした。
が、久しく自分にまともに意見する人間を見なかったせいで買いかぶり過ぎた。
大人に言われた言葉を鵜呑みにしているだけの、ただの下忍になりたての小娘にすぎないではないか。
「……ハイ……」
ナナは静かにうなずいた。
綱手に気圧されずまっすぐ向き合っているのは、きっと度胸ではない。
ただ“忍の道”とやらを妄信しているからこその歪んだ正義感だ。
「お前も里や国の偉いやつらと同じだな」
綱手は吐き捨てるように言った。
「いや、お前みたいなやつが一番そうかもしれないな」
「何が……ですか……?」
ナナの瞳は、かすかに戸惑いの色を浮かべた。
そんなナナに、とどめを刺すかのように、綱手はこう皮肉った。
「お前が一番、忍を道具だと思ってるんじゃないのか?」
ついに、ナナは言葉を失った。
今までやたらとまっすぐな口調で強い言葉を並べていた少女が、みるみる青ざめていく様子は、綱手に優越感を与えた。
(返す言葉もないか……)
綱手は、目を伏せたナナが、泣き出すのではないかと思った。
己の感情をぶつけたのは大人げなかったとしても、生意気で思慮の浅い小娘には良い薬になったと思った。
が、ナナは伏し目のまま、泣くどころか悲しい顔もしなかった。
そればかりか、ゆっくりと……口の端を上げた。
(…………?!)
情けなくも動揺してしまった。
それはまるで死神が浮かべる笑みのように、見るものをゾッとさせるものだった。
自嘲……というにはあまりに簡潔すぎる、退廃的な残酷さ。
こんな小娘には持て余すほどの複雑な感情がにじみ出ているようだった。
しかし、ナナはそれを一瞬にして引っ込めて、くるりと綱手に背を向けた。
「……お前……?」
思わず引き止めそうになり、綱手は慌ててその手を止める。
ナナは消えるように、綱手の前から去った。
「あの娘……」
綱手は強烈に刻まれたナナの“笑み”を、どうしても頭から追いやれずに立ち尽くしていた。