ひと葉 ~壱の巻~   作:亜空@UZUHA

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雨音

コンッ……コンッ…………

 

 金属と木がぶつかる音が、だんだんとかき消されていく。

 

「そろそろ帰るか……」

 

 サスケはそうつぶやいて、十数メートル離れた壁へ歩み寄る。

 壁に取り付けられた直径三十センチ程の的には、どれもその中心にクナイが突き刺さっていた。

 彼にとっては当然のことで、慣れた手つきでそれらを引き抜き、ホルスターに収めてカバンへしまった。

 そのカチャカチャいう音さえも、外の激しい雨音で聞こえない。

 彼は傘をつかみ、屋内演習場を後にした。

 

 

 

雨音 

 

 

 

 玄関へと続く廊下に明かりはなく、まだ日没前だというのに薄暗い。

 扉のガラス窓からのぞく外の世界は、縦に灰色の縞模様が入っている。

 サスケは湿った扉を開けて出た。

 ひさしのおかげですぐには濡れなくてすむ。が、彼が急いで傘を広げる前に、少し下の方から間延びした声がかけられた。

 

「あ、サスケ君」

 

 こんな時間、こんな天気に、こんなところで……。

 思う間もなくサスケが振り向くと、すぐ脇のちょうど雨がかからないところに座り込む者が一人……。

 

「練習してたの? お疲れ様」

 

 彼を見上げて静かに微笑んだのは、青白い顔の華奢な少女。

 

「……ナナ……? 何やってんだよ……こんな所で……」

 

 雨音はますます激しい。

 にもかかわらず、ナナと呼ばれたその少女はさらりと言ってのけた。

 

「雨を見てたの」

「…………」

 

 呆れてサスケはナナを見下ろす。

 ふた月前にここへやって来たこの少女は、とうてい忍を目指すとは思えぬ外見と性格で、当然のことながらサスケの眼中にはないはずの存在だった。

 案の定、実技でも筆記でも周囲に遅れをとり、ナルトとドベを争っている。

 正直、教師たちが何故一年後に卒業試験を控えたクラスに里外から来た“素人”を編入させたのか、大いに訝しんでいた。

 だが、クラスの者たちはナナを気にかけ、なにかと面倒をみているようだった。

 事実、イルカの説明では、ナナの年齢は彼らよりひとつ下らしい。

 サスケにとってはますます不審に思う点だったが、クラスの者たちはまるで妹のようにナナをかわいがっているように見える。

 ナナのなんとなく儚げな雰囲気が周囲にそうさせているのだろうとサスケは分析したが……。

 

 が、一番の違和感はやはりあの演習で見せた身のこなし。そして度胸だった。

 後者のほうは、本人がただ能天気なだけという可能性もあるが……。

 サスケの体術は自他ともに認めるクラスのトップだ。

 それだけの修業もしてきたし、他の者とは目指すものが違うから当然だった。

 そのサスケに、及ばずとも組手でついて来られる者はいなかった。

 それが、あの体躯で、しかも授業中はやられっぱなしのドベが相手になるほどの腕前を見せた。

 必然的に、不審感や違和感を深めずにはいられない。

 それに、“あの日”見せたナナの瞳がひどく印象的で心に残っていた。

 廊下ですれ違うたった一瞬交わした視線。

 ただ通り過ぎる者に投げかけるものではなかったように思うのだ。

 だから、他人などに興味のないサスケも、ナナのことばかりは知らずと気になっていた。

 もちろん、そんな自分に気づかぬフリはしていたが……。 

 

 そんなサスケの心情など知るはずもない“不思議な“少女は、涼しげな顔でこちらを見ている。

 サスケは、ため息をついて言った。

 

 

「お前……また居残りか……?」

「うん」

 

 

 何の苦でもないといったふうに、ナナは返事を返す。

 

 

「……傘、無いのかよ」

「持って来たんだけど、どっか行っちゃった」

 

 

 再び返されたのん気な答えに、さらにサスケは大きなため息をついた。

 

 

「……で、雨を見てたのか?」

「うん。どうせなら雨がいっちばん強くなった時に帰ろうと思って」

 

 

 ナナはサスケがあきれ返っていることも露知らず、あどけない笑みで言った。

 ピシャンッと、サスケの長い前髪に雫がかかった。

 サスケは、肩の上で無造作に刈られたナナの黒髪を見た。

 直接そこに雨だれはかからずとも、かなり湿り気を含んできている。

 彼女の髪、初めて見たとき古風な形に結われていたうえ、腰まであった。

 それが次に彼らの前に現れた時……、イルカに連れられて教室に姿を現した時には、ばっさりとこんな風に様変わりしていた。

 今の方が、余計に顔色の悪さと幼い顔立ちを強調している。

 

(……はぁ……)

 

 言いようのない気分がこみ上げて、サスケはまたため息をつく。

 今度は自分に対して吐き出されたものだった。

 

「ほら、立てよ」

 

 サスケの口をついて出た言葉に、ナナは少し驚いて見返した。

 漆黒の瞳が少し見開かれたが、サスケが“あの時”見たそれとは異なる色をしていた。

 

 

「もう十分だ。これ以上強くはならないだろう」

 

 

 ぶっきらぼうに言って空をあごで指すサスケに、ナナはわずかに首を傾けて聞いた。

 

 

「ほんと?」

 

 

 サスケはその表情に、不思議な苛立ちを覚えて顔をそむけた。

 

 

「ああ、もう気が済んだろ」

 

 

 ナナはじっと灰色の空を見上げて、ようやく立ち上がった。

 

 

「そうだね。そんな気もする」

 

 

 少し低い位置から微笑まれ、サスケはぷいと横を向きつつ、さらにぶっきらぼうに言った。

 

 

「ほら、入ってけよ……」

 

 

 乱暴に傘を広げ、ナナを促す。

 それだけで、ナナは驚いて聞き返した。

 

 

「え、いいの?!」

 

 

 予想以上に過剰な反応に、今度はサスケの方が驚いてナナを見る。

 ナナは不思議な表情を浮かべていた。

 

 

「さっさと帰るぞ」

 

 

 歩き出そうとしながらも、ナナが傘に入るのを待つサスケに、ナナはふわりと微笑んだ。

 

 

 

 

 サスケの言ったとおりすぐに雨足が弱まり始め、ナナはしきりに喜んだ。

 

 

「すごいね、サスケ君。ほんとにさっきのが“一番”だったね」

 

 

 言葉の足りない無邪気なナナを、サスケはちらりと横目で見た。

 春のまだ冷たい湿った空気にあてられて、顔色がさらに悪いようにも見える。

 

 

「昨日もね、ナルトとキバが居残り中に寝ちゃったからね、イルカ先生によけい怒られてた」

「…………」

「今日の一時間目の授業でね、いのちゃんが……」

「…………」

 

 

 ナナは一人で話し、一人で笑った。

 そうして動くたび、サスケはまっすぐ前を見ながら、そっと傘をナナの方へずらす。

 

 やがてナナは、前方に見え始めた小さなアパートの二階を指差した。

 

 

「あそこ、私の家」

 

 

 サスケは、ナナが里の外からやって来て一人で住んでいるというクラスの噂を思い出す。

 彼はなんとなく立ち止まり、ナナは振り返った。

 黒い目が、同じように黒いサスケの目を捉える。

 

 

「お前……、あの時……」

 

 

 気にならないといえば嘘になる。

 それほど彼の心に刻まれたあの時のナナの表情……。

 その意味を尋ねようと口を開き、サスケは言葉を飲み込んだ。

 

 

「なぁに? サスケ君」

「……いや、何でもない……」

 

 

 まだ、聞かなくてもいい……。

 と、そんな気がした。

 まるで、これからいくらでも機会があるかのような、不思議な予感がした。

 ナナは目をパチクリさせていたが、クスリと笑顔を返したのみで、それ以上聞き返してはこなかった。

 再びナナのアパートへ向かって歩き出したサスケに歩調を合わせ、今度はナナが言った。

 

 

「サスケ君は優しいよね」

 

 

 やけに嬉しそうな声に、サスケはいつもの調子で返す。

 

 

「そんなこと、言われたことはないな」

 

 

 突き放すような言い方にも、ナナはやわらかい口調で続ける。

 

 

「言われたくもないんでしょう?」

「…………」

 

 

 サスケはナナに突然そう言い当てられ、思わず絶句した。

 

 

「誰も気づかなくったって、サスケ君は優しい人だよ」

 

 

 ちょうど彼女の部屋へ続く階段に着いて立ち止まり、ナナは微笑んだ。

 何故かそれが、灰色の空間でやけに輝いて見え、サスケは一瞬だけそれに見とれる。

 雨音さえも止まったような錯覚……。

 

 

「ちゃ、ちゃんと髪乾かせよ」

 

 

 ナナが階段の屋根の下に入ったのに気づき、彼はぶっきらぼうに言った。

 

 

「うん、サスケ君、ほんとにありがとう!」

 

 

 ナナはせっかく屋根の下に入ったというのに、手すりから身を乗り出して彼を見送った。

 それに背を向け、サスケは小さくこう言った。

 

 

 「『サスケ』でいい……」

 

 

 そしてさっさと歩き出す。

 後ろでナナが、少し笑って手を振るのがわかった。

 小降りになった道を行きつつ、サスケは、すっかり濡れそぼった片方の肩さえも、少し暖かく感じていた。

 

 

 

 

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