ひと葉 ~壱の巻~   作:亜空@UZUHA

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奇跡

 最後の目覚めは、白々とした朝だった。

 ナナの身体にはまだ、イタチのマントがかけられていた。

 濡れたところはすっかり乾いている。

 彼の姿は無かった。

 

 今さら、周囲を見回してみた。

 昨夜は気にする余裕などなかったが、背後には朽ちかけた須弥壇があった。

仏像は無い。

 ここは打ち捨てられた小さなお堂なのだろう。

 戸を開いて外に出ると、傾きかけた竹垣で囲われた形ばかりの庭があった。

 雑草だけが元気に茂っている。

 その向こうは林だ。

 人の気配は無い。

 ナナは庭の片隅にあった井戸の水で顔を洗い、大きく深呼吸をした。

 こんな風に、安心して眠ったのは久しぶりだった。

 おかげで体の調子もだいぶ回復している。

 やはり昨夜がピークだったのか、発作の気配はもうなさそうだった。

 

 

 やがて、朝靄の向こうからイタチが現れた。

 目が合った瞬間に、別れを予感する。

 

「気分はどうだ」

「もう大丈夫、ありがとう」

 

 他愛も無い会話は、とてもぎこちなかった。

 が、ナナは平静を装って、綺麗に畳んでおいたマントをイタチに返した。

 

「これ、ありがとう」

 

 イタチは無言で受け取って、そのまま纏った。

 黒地に朱い雲。

 どことなく不吉なそれを着たイタチは、やはり、昔とは違っていた。

 

「ねぇ、イタチ」

 

 闇色の、サスケと同じ光を宿す瞳を見上げ、ナナは最後の問いをつぶやいた。

 

 

「……何か……、私に聞きたいことはない……?」

 

 

 胸の奥に悲しい風が吹くのを、ナナはじっと耐えていた。

 

『サスケの容態は?』

 

 たったそれだけ、聞いて欲しかった。

 自分が傷つけた“弟”のことを気にかけているとわかれば……それがナナにとって真の“答え”だった。

 ただそれだけでよかった。

 腹に力を込めて、歯を食いしばって、まっすぐにイタチを見上げて、願った。

 だが、いくら風が二人の間を駆け抜けても、イタチは口をつぐんだままだった。

 その変わらぬ表情の中、少しだけ揺れたイタチの睫毛に、ナナはふとあの時のことを思い出す。

 

(あの時と、同じカオだ……)

 

 無意識に、あの時もらった左腕の深紅の布に手を添えた。

 

(イタチ……)

 

 記憶に目が眩んで……ナナは倒れこむように、イタチに体を寄せた。

 

(イタチ……イタチ……)

 

 心で何度も呼びながら、ナナは強く彼の胸に顔をうずめ、力いっぱいコートを握り締めた。

 あの日、滝の水音が響く冷たい空気の中で、この暖かさを手放した。

 それは強さだったのか、あきらめだったのか、それとも使命のためか……。

 ナナ自身はわかりもせず、ただ時々、そのぬくもりが今ここにあったら……と、思うことがあったのは事実。

 何もかもを手放してしまえるとしたら……。

 

(イタチ……)

 

 その時、イタチの手が肩に触れた。

 もう、抱きしめてはくれない。

 あの頃みたいに、笑ってもくれないし、何も話してくれない。

 視線だって冷たいし、声だって柔らかくない。

 関係なんて『敵同士』だ。

 それなのに……その手にはまだ温もりがあると気づいてしまった。

 

「イタチ……」

 

 波打つ心に、それは一敵の雫となって落ち、波紋を広げた。

 

 

「このまま……連れて行ってって、言ったら怒る……?」

 

 

 気がついたら、そう口にしていた。

 ずっとしまいこんできた『弱い言葉』。

 幼い頃でさえイタチに言わなかった言葉を、今さら零している。

 自分でも、驚いた。

 

「ごめん、冗談……!」

 

 慌てて顔を上げる。

 イタチは先ほどと同じ目をしていた。

 

「イタチが何も言ってくれないから……、昔みたいにちょっと困らせよう思っただけ……!」

 

 言っていて情けなかった。

 こんなのただの言い訳だと、イタチは気づいている。

 が、止めるわけにもいかなかった。

 

「でももうやめる! 助けてもらったから、これ以上何も聞かないし、何も言わない!」

 

 全身に気力を巡らせて身体を放し、手を後ろで組んだ。

 

「さよなら、イタチ。助けてくれて、本当にありがとう」

 

 震えそうな膝を動かして、彼に背を向ける。

 そして消えかかった朝靄の中、帰るべき方角をまっすぐに向いた。

 

「木ノ葉に帰るね。イタチも……気をつけて」

 

 それしか、言葉は許されなかった。

 これからの話はできない。

 このことは、「なかったこと」にしなければならないのだから。

 だからせめて、彼の目を見て別れを告げることだけは、勘弁してほしかった。

 

「ナナ」

 

 だが、イタチは呼び止めて隣に並んだ。

 

「里の近くまで送る」

 

 前を見つめたまま、思い切り首を振る。

 

「いいよ。私はもう大丈夫だから。イタチは“お尋ね者”でしょう? 里の周りをウロウロしてたら危ないよ」

 

 “昔の自分”を思い出しながら、できる限りの軽い口調で言う。

 だが、イタチは強引にナナの体を抱え上げた。

 そして、軽く枝々を駆け出した。

 まるで、あの頃のように。

 

「イ、イタチ……! 降ろして!」

 

 ナナは執拗に抗議した。

 が、何度訴えてもイタチは放してくれなかった。

 イタチが頑固なのは知っている。

 だからあきらめて、遠ざかって行く景色を眺めることにした。

 

(……あったかい……)

 

 イタチが斬り裂く風は不思議と寒くはなかった。

 何度か方向を変えて進むのは、リスクの低いルートを選んでいるようだった。

 今朝、辺りを調べていたのだろうか……。

 

(……はぁ……)

 

 言い知れぬ安心感が押し寄せて、ナナは独り言のようにつぶやいた。

 

 

「イタチは……いつも私が“どうしようもない時”に、助けに来てくれるんだね……」

 

 

 昨日ばかりではない。

 イタチは知らないだろうが、和泉の滝に彼が現れるときは、決まってナナの心が、孤独や使命に犯されている時だった。

 空気が『痛い』と感じる時、まるでずっとナナの心を手元に置いていたかのように、イタチは来た。

 

 

「……これからも、“奇跡”は続くのかな……」

 

 

 イタチは答えなかった。

 ナナも答えを望まなかった。

 二人は、訪れる近い未来を予感していた。

 ナナの“どうしようもない時”は、今度はイタチ自身によってもたらされることになるのだ……と。

 今度こそ、二人は命を削りあうことになるのだと。

 出会ったその日から、二人はこうなる運命だったのだろうか。

 同じように力を持ち、他人と違うモノを見て、決して普通ではない未来を用意された、あまりに似ていた二人。

 だからこそ、同じ道を進むことは不可能だった。

 

 

 

「イタチ、もうここでいい……」

 

 ひとつ森を越えれば、木ノ葉の外壁を目にするところまで来ていた。

 イタチは湿った大地にナナを下ろした。

 そして、ふところからあるものを取り出しナナに手渡す。

 

「これを」

「拾ってくれたの……?」

 

 それは、カブトに剥ぎ取られたナナの額当てだった。

 木ノ葉の忍の証である、額当て。

 イタチは今になってそれをナナに返した。

 

「ありがとう」

 

 ナナはあきらめたような口調で言って、ひとつ深呼吸をした。

 そして、それを額に締める。

 

「これをしてる限り……」

 

 額当てをしたナナは、木ノ葉の忍だった。

 

「次に会う時、イタチがまた私を生かしても、私は最期までアナタと戦うよ……」

「……それでいい」

 

 イタチは短く答える。

 

「私は木ノ葉の忍で、アナタは抜け忍」

「……ああ……」

「アナタが狙うナルトは、私が守るべき大切な仲間……」

「……ああ……」

「アナタを殺そうとするサスケも、私の大切な……」

 

 イタチは言葉を詰まらせたナナが、再び上を向くのを黙って待っていた。

 ナナは再び深く息をし、また笑って見せた。

 

「さようなら。イタチ」

「…………」

「気を、つけて……」

「……お前こそ……」

 

 二人は矛盾に満ちた、ありきたりの会話をした。

 

「ナナ、これを持って行け」

 

 イタチは、持ち物全てをカブトに奪われていたナナに、クナイを一本手渡した。

 黒光りする凶器を受け取り、ナナは笑った。

 そして顎を引いてこう言った。

 

「イタチ、今度はアナタが私を見送って」

 

 イタチは黙ってうなずいた。

 

 次に逢う時は、絶望の時か……。

 

 

 ナナはあの時のイタチのように、一度も振り返らずに去った。

 イタチが見送ってくれているのか、そうじゃないのか……感じ取る間も無いほど、全力で走り去った。

 

 

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

 意外にも、ナルトの『護衛任務』を途中で勝手に切り上げてきたことを、コハルとホムラは咎めなかった。

 綱手を発見したことで満足したのか、それとも、報告したナナがあまりに哀れな顔をしていたためか……。

 

 逃げるように自室に引きこもって、鏡を見つめてそう思った。

 酷い顔だ。

 事情を知らないものが見ても『哀れ』と思えるような顔をしている。

 少し笑って、目を閉じた。

 それでも生きているのは“奇跡”だと……改めて思う。

 

 イタチとの出会いは奇跡だった。

 いや、“別れ”も奇跡だった。

 

 最初からひとつずつ、思い返してみる。

 

 突然現れて、カブトから救ってくれた。

 発作に苦しんでいるナナを、抱き起してくれた。

 身体を支えてくれていた。

 水を飲ませてくれた

 咳き込むと、背中をさすってくれた。

 今も「ナナ」と呼んでくれた。

 毒の影響を聞いてくれた。

 眠りにつかせてくれた。

 マントをかけてくれた。

 木ノ葉の近くまで送り届けてくれた。

 昔のように抱え上げてくれた。

 額当てを拾ってくれていた。

 護身用のクナイを貸してくれた。

 立ち去るのを、見送ってくれた。

 

 どれほど客観的に思い返してみても、“優しさ”と“懐かしさ”の感情が胸に灯る。

 目を開けて自身の顔を見る。

 泣きそうな顔をしていたので、再び目を閉じだ。

 

 イタチの声は冷たかった。視線も。

 何も話してはくれなかった。

 あの時、殴ったことも何も言わなかった。

 二人を結びつけていたはずの蝶が舞っても、目を逸らした。

 大蛇丸の話をしても、何も言ってくれなかった。

 ()()で『連れて行って』と言ったのときも、返事は無かった。

 何より……、サスケを案じる言葉は無かった。

 

 敢えて苛立ち、怒り、失望を蘇らせる。

 優しさ、懐かしさと同じ質量にしなければならない気がした。

 疑問はなにひとつ、解決していないのだ。

 イタチは問いかけにひとつも答えてくれなかったのだから。

 

 奥歯を噛みしめ、目を開いた。

 暗い目。

 だがそこに……苛立ちや怒り、戸惑いは無かった。

 

 鏡から顔を逸らし、ため息をつく。

 “答え”はもう、とっくに出ている。

 本当はそれを知っている。

 

『ただ、お前の式神が俺の前を飛んでいた。それだけだ……』

 

 あんなそっけない言い方で傷つけたフリをしたつもりだろうが、それこそが“答え”だった。

 式神が飛んでいたのを見たからといって、()()()を気に懸けることがなければ、わざわざ導かれるがまま会いに来たりはしない。

 本当に『敵』ならば助けるわけがない。

 助けて、介抱して、見送りまでしてくれた時点で、“答え”は示されているのだ。

 あの手は温かかった。

いくら冷たい声で話し、冷たい視線を向けようと。

 

 イタチはまだ、昔のまま……。

 

 お互いの立場が変わってしまっていても、あの頃の絆はまだ無くなってはいなかったのだ。

 

「イタチ……」

 

 ずっと堪えてきたはずの涙がひとしずく、床に落ちた。

 嬉しさなんかじゃない。

 が、悲しさだけでもない。

 誰も居ない自分の部屋で気のすむまで泣きたかったが、両目をきつく瞑って耐えた。

 

 泣いたらきっと、すがってしまう。

 やはり……『イタチと一緒に行きたかった』と、そう思ってしまう。

 あんなふうにイタチに背を向けることができたのは、ある意味奇跡に近かった。

 本当は、あの黒いコートにすがっていたかった。

 何もかも捨てて、楽になりたいと思った。

 九尾のこと、ナルトのこと、和泉のこと……。

 全て捨てて、()()()()()として生きられたらと思った。

 『道具』だとか、『陰陽師』だとか、『忍』だとか、そんなことを考えなくてもいいところで生きたいと願った。

 その場所は、イタチの腕の中にあると強く感じていた。

 そう気づきながらまた彼に背を向けられたのは、己の使命感や精神の強さ、ましてや仲間を思う気持ちでもなんでもなく……。

 

 ただ、奇跡だった。

 

「イタチ……」

 

 ナナは懐に忍ばせたクナイを取り出してささやいた。

 黒光りする鋭利なそれは、まさに彼そのもののようで、ナナは両手でそっと握り締める。

 よく研がれているはずの刃は、決してナナの手を傷つけることはなかった。

 

 

 

 

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