小川のせせらぎが憎らしい。
小鳥のさえずりが馬鹿らしい。
天空に我が物顔で居座る太陽も、穢れを知らぬフリをする雲も……。
何もかも、ただ自分とは関係のないものに思える。
ナナはひざを抱えて座っていた。
顔をうずめて、世界の全てを拒否するかのように。
胸が痛かった。
もう、『発作』は治まったはずなのに。
いや、だからこそ、自分に流れる血が完全に『和泉』のものになったことを実感し、わずらわしかった。
こんなにも、前を向けなくなったのは初めてだった。
どうしていいのかわからなくて、ただうずくまって座っているだけで。
どうしていいのか……自分のままに生きる自分と、道具としての自分。
忍の自分と、陰陽師の自分。
……そして、サスケと、イタチ……。
本当に、どうしていいのかわからなかった。
何を信じるべきなのか、何を選ぶべきなのか。
ナナは爪が食い込むほど、抱えた身を握り締めた。
あの赤いサラシにすがるように。
(……イタチ……)
自分を救ったイタチと、サスケを傷つけたイタチ。
(だれか、助けて……)
聞こえるはずのない、あまりにか細い心の悲鳴に、答えるものがあった。
「……こんなトコでなぁにやってんだよ……」
耳に入った気だるい声に、ナナはほんの少し顔を上げる。
「具合でも悪いのかよ……」
声の主はすぐ側まで来て、ため息をつくように言った。
「…………」
ナナは答えずに、うつむいたまま首を振る。
いつも彼にどのように接してきたか……思い出すことが億劫だった。
だがきっと、こんな姿は見せたことはない。
たぶん、おそらく、きっと……“心配”をしてくれているであろう友人に対して、顔を背けるということはなかった。
だが、シカマルは驚いてなどいなかった。
「……ったく、探し疲れたぜ……」
シカマルは大げさに肩を二、三度回し、どかっと隣に座った。
何か言うのか、聞くのか……ナナは身構えた。
返す言葉なんてない。適当な言葉も見つからない。
だから彼が面倒くさくなって立ち去ってくれることを願った。
が、彼は何も言わなかった。
隣に座ったきり、何も。
少しだけ戸惑った。
何も話すことはない。が、この状況を変えたかったから、無理やり普段通りを取り繕って口を開いた。
「探したって……どうしたの? シカマル」
シカマルはいたって彼らしく答えた。
「なんか、里のおエライさんがたが、俺らを呼びつけてるってよ。面倒くせー……」
彼は続けてあくびを漏らした。
「……呼んでるって、何かな……」
「知らねーけど、二人そろって来いってよ」
「……そっか、ごめんね、探させちゃって……。よく、ここがわかったね……」
ナナが無理やり笑みを浮かべて彼を見ると、シカマルはジロリと横目でこちらを見て、そして空を仰ぎながらこう言った。
「サクラに聞いた」
ナナは
「そっか……。サクラちゃん……、病院にいた?」
「ああ……」
シカマルは、草をむしって川へ放った。
ゆっくりと流れる風がそれを運ぶ。
川面はとても美しく輝いているのに、居心地がとても悪かった。
「お前」
草たちが見えなくなったころ、シカマルはいくぶん真剣な声で言った。
「サスケの見舞い、ぜんぜん行ってないんだってな……」
ナナは答えなかった。
居心地の悪さがどんどん増して行く。
ひざを抱えたまま、口を閉ざし、耳も塞ぎ、石になりたかった。
「あのサスケが普通に接する奴なんて、お前だけだったじゃねぇか……」
が、シカマルは容赦なくそうつぶやいた。
「そのお前が、何でついててやらねぇんだよ」
上手い台詞が思い浮かばない。
「サクラやいのみたいに、サスケに『恋愛感情』とか面倒なモンがなかったとしても、お前はちゃんと面倒みてやると思ってたんだけどよ……」
適当な言葉はきっとあるはずなのに……。
「なんか、あったのかよ」
シカマルの問いはあくまでさりげなかった。
だから必ずしも、複雑な説明をする必要はないはずだった。
彼が納得しないまでも、これ以上の問いは面倒だと思わせるような台詞を返せばいいだけだ。
笑って、たとえば『病院の雰囲気が苦手なの』とか、言えばいい。
怪訝な顔はするだろうが、それ以上の会話には発展しない気がした。
「びょ……」
「お前が」
だが、意を決して絞り出した声は、彼に遮られた。
「なんか面倒なモンを抱えてることには、気づいてたけどよ」
「え……?」
ナナは思わず顔を上げた。
「お前はそう見えて強いからよ、周りには全然気づかせなかったけどな」
「……シカマル……」
一体何のことか……心当たりも、彼が『気づいていたこと』の真意もわからぬまま、彼と視線が合う。
とても真剣な目が、こちらを見ていた。
「今のお前、そういう面倒くせーことに、今にも押し潰されちまいそうだぜ?」
反射的に口を引き結んだ。
何かがこみ上げそうになったのだ。
「何があったのか言うのが面倒なら黙ってりゃいいけどよ、せめてよっかかれ」
慌てて目を逸らしたナナに、彼は言った。
「でないと見てるこっちが疲れる……」
いつもの言い回しがなんだか懐かしくて、安心した。
だがそれは、今のナナにとって危険な誘いでしかなかった。
「……っ……!!」
懸命に抑えていたものが弾けだす。
必死に形を保とうとしていたものが崩れ落ちる。
ナナはそれでも抗うように、シカマルの肩口に額を押し付けた。
「シカマル……私っ……」
駄目だ。口を閉ざせ。感情を押さえ込め。言うな、話すな、言葉にするな……。
警鐘は鳴っている。
が、彼がぎこちなく頭を撫でてくれたから、止めることはできなかった。
「私……、どうしたらいいのか、わかんなくて……」
今はサスケにもサクラちゃんにも、会いたくはない。
会えない……。
「サスケには、サクラちゃんがいるから……」
私は、サクラちゃんがどんなにサスケが好きなのか、この目で見てきた。
だから、その想いの強さを知っている……。
「だけど、私は……」
“他のこと”を考えてしまって、あんなふうにまっすぐではいられない。
『好き』だとか、そんな感情抜きにして、
あんなふうにサスケに対して正面からは向き合えない。
そんな資格は無い……。
「……あの人も……」
『イタチ』はやっぱり優しくて……。
私を救い、大切に思ってくれていた。
次に会った時は敵だと、誓い合ったはずなのに、
イタチは私を殺すどころか、私を救い、そして精一杯大切に触れてくれた……。
「それをっ……私は……」
信じないことなんて、できなくて……。
「だけどっ……」
彼を信じることは、木ノ葉の忍としてあってはならないこと。
そして、サスケの仲間としても……。
「でも今、サスケに会ったら……」
そんな
サスケの全てを否定してしまいそうで……。
マルデ……奈落ノ底ヘ、突キ落トサレテ行クヨウ……
暗い暗い場所。
落ちて、落ちて、落ち続ける。
抗っても無駄だとわかっているのに、突然差し出されたシカマルのやさしさにすがってしまった。
こんなふうにはなりたくないと思っていたのに。
今まで懸命に耐えて来たのに。
強くなると、サラシに誓ったのに。
「ごめん……シカマル……」
息を整えるのさえ待っていてくれた彼に、かろうじてつぶやいた。
「ナナ……」
醜く歪んだ不完全な言葉に、彼が納得したはずもない。
だが、問いかけからは逃げたかった。
たとえ卑怯でも。
返す答えがないのだから、もう取り繕うことが手遅れならば逃げ出したかった。
が、身体を放そうとした瞬間に彼の口から出たのは、問いではなかった。
「オレには何の力もねぇ……。解決してやることも、どうすべきか教えてやることも、わかってやることさえもな……」
とても穏やかな声は、震える心を確かになだめてくれていた。
「けどよ……」
痛みは消えない。だが、鎮まっていくのを感じる。
「お前が道に迷ったときの休憩所くらいには、なってやるよ……」
ナナはそんなことを言ってくれる彼の顔を見た。
「……シカ……マル……」
休憩所……“休憩”だなんて、考えたことはなかった。
背負い続けているものを、一時だけでも降ろすことが許されるのだろうか。
わからない、が、彼はそれで良いと言ってくれている。
「だから、面倒くさくなったらよ、いっしょにのんびりしよーぜ……」
シカマルは、大人びた顔でニヤリと笑った。
「……シカマル……」
さっきと同じ、安堵感を覚えた。
が、歪に吐き出した今、もうこみ上げて来るものは無い。
ナナは深く息をつきながら、再び彼にもたれかかった。
「……ありがとう……」
ずっと張り詰めていた糸が緩んだようにで、少し楽になった。
何も明かさなくても、そんな卑怯とさえ思える形でも、シカマルは黙って聞いてくれたから……。
ただ側で。何も聞かずに。
そんなヒトが、自分の側に居るのだと知った。
「ありがとう、シカマル……」
こんなにも安心感をもらって、他に言葉は見つからなかった。
もう一度、彼の顔を見上げた。
眉間の皺がいつもより濃い。が、何故だか優しく見えた。
「どやされると面倒だから、行くぞ」
「うん」
ナナは目の前に差し出された手に、そっと手を乗せた。
思いのほか大きい彼の手は、面倒くさそうにナナの手を包み、最小限の力でそれを引っ張った。