久しぶりに訪れたサスケの病室には、相変わらず新しい花が飾られており、眠るサスケの傍らには、花の名をもつ少女が居た。
「ナルト! ナナ!」
サクラは二人に駆け寄り、綱手に頭を下げる。
涙を一粒こぼして。
「サスケ君を、助けてあげてください……!」
「サクラちゃん、もう大丈夫だってばよ!!」
その彼女に、安心させるように笑いかけるナルト。
ナナは、そんな二人と、サスケの治療をする綱手を、ただ離れて見ていた。
少しの時が経った。
そしてとうとう、サスケは目を覚ました。
「サスケくんっ……!!」
虚ろなまま起き上がった彼に、誰かが言葉を投げかける間もなく、サクラがその首に抱きついた。
「サスケ、お前……」
ナルトは言いかけた言葉を引っ込めた。
ナナはそれを見届けて、彼らに背を向けた。
(よかった……)
ひとつだけ心でそうつぶやいて、静かに病室を後にする。
サスケが、視界の内に自分を捕らえる前に、その場から去りたかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「さ、綱手様! こんなやつもう十分です! 早く我が愛弟子リーのところへ!!」
「あ……ああ……」
ガイは興奮気味に綱手をうながし、綱手は「やれやれ」と言いながらガイに連れられて行った。
少し前のことだ。
だが、カカシは未だ正常に動かない頭を持て余していた。
二人から聞かされた自分が倒れた後の出来事。
その情報の量と質があまりに多く、あまりに重すぎて、処理をするのに時間が必要だった。
マスクを下ろし、目を閉じて、大きく息を吐く。
喉が渇いていたが、ベッドから出るのはまだ億劫だった。
そこへ、静かな気配とともにノックが2度鳴った。
扉の向こうに誰が立っているのか、かろうじて今の状態のカカシにもわかった。
良く知った人物だったからである。
しかもその気配を隠そうとはしていない。
だからこそ少し意外に思った。
ここにはいるはずのない人物だと思ったからである。
「どうぞ」
応えると、待ち構えたかのようにガチャリとドアが開いた。
が、本人は扉から覗くようにしてこちらを見た。
「先生……」
視線が揺らぐ。
「もう、大丈夫……?」
いつもより顔色が悪いのは、心配してくれているからではないだろう。
案外簡単に、さっき聞いた話と繋がる。
「大丈夫だよ。入っといで」
ナナはのろのろと身体を滑り込ませ、何かを抱えたまま側に来た。
窓から差し込む日を浴びても、頬は真っ白いままだった。
「心配かけてごめんネ」
ナナは抱えたものを抱き締めると、口の端を上げた。
きっと『無理やりに』だ。
「先生、おかえり」
カカシは胸がつまった。
ナナがどんなに苦しんでいるのか……。
その顔を見てわかってしまった。
「ナナ、綱手様とガイからザッと聞いたよ……。オレがやられた後、色々大変だったみたいね……」
何故側にいてやれなかったのか……。
悔しさがこみ上げる。
「ごめんな。お前が一番辛い時に、そばにいてやれなくて」
“ナナのこと”を知っている自分だけは、ぜったいにそばにいてやりたかったのに……。
カカシの胸に、後悔の渦が巻く。
が、ナナは勢いよく首を振った。
泣きそうなのに笑っている。
そして、今度は逆にカカシに言う。
「先生、辛かった……?」
「……いや、あんまし覚えてないから……」
「痛いところない?」
「ああ、大丈夫だよ」
ナナはホッとしたように息をつき、気を取り直したように言った。
「先生、のど渇いてない?」
視線は合わなかった。
「お腹も空いてるでしょ?」
すぐ側にいるのに、どんどん離れて行くようだった。
「ナナ……」
繋とめ止めなくてはと、反射的に名を呼んだ。
だが、ナナはこちらを見なかった。
「私ね、ときどきお邪魔して、冷蔵庫にいろいろ入れておいたんだ」
「ナナ」
「とりあえずお水持って来るね」
「ナナってば」
ナナは、まるで逃げるようにキッチンへ行きかける。
体が完全ならば、先回りして抱きとめでもしただろうが、あいにく目覚めたばかりの彼に、そんな力はなかった。
かろうじて手を伸ばし、ナナの腕をつかむ。
「ナナ」
細い、折れそうな腕だ。
抱えていたものは床に落ちた。
が、カカシはかまわず問いかけた。
最初にナナが現れた時に抱いた疑問を、うやむやにしては行けない気がした。
「なんでサスケについててやらないの?」
たとえ強引だったとしても、ここで話さなければならない気がした。
「ナナ」
ナナはうつむいた。
かすかに唇を噛んで、また口の端を引き上げた。
そして落としたものを拾い上げ、こちらに掲げて見せた。
「これ、取りに行くように言われてたから……!」
声がいく分上ずっていることに気づけたのは、彼女と共に過ごした時間のおかげだった。
「先生が治ったなら、早く見せなくちゃと思って……!」
見せてくれたのは忍のベストだ。
「報告、しなくちゃと思って……!」
健気な部下……そう見えた。
いや、そう見せようとしていた。
よくわかる。
だからカカシはそんな『言い訳』じゃなく、ちゃんとした理由を求めた。
「それ、取りに行くのは後でもいいでしょ」
やはり、ナナは口をつぐんだ。
『言い訳』が本心なら、言葉は繋がるはずだ。
「そりゃ来てくれて、先生うれしいけどさ」
綱手が最初にサスケを治療して、意識が回復したのを確認してから、ガイに連れられて全速力でここへ来た……、たしか綱手とガイがそう言っていた。
それはつまり、サスケの意識が戻ってからそれほど時間が経っていないということになる。
それでもナナはここにいる。
中忍のベストまで取りに行った後で……?
「サスケの様子はどうだった?」
久々に班のメンバーが顔をそろえたのに、いくらもしないうちに
その本当の理由を、ここで言葉にさせなければと強く思った。
でなければ、抱えたものが大きすぎて倒れてしまいそうだった。
「目を覚ましたから……大丈夫だと思う……」
ナナは影に飲み込まれたような顔をした。
「サスケ、なんか言ってた?」
「……知らない……」
「まさか、一言もしゃべんないで来たの?」
もう、笑えなくなっていた。
「サスケのところには、サクラちゃんがいるから……」
こんなナナを見るのは初めてだった。
誰よりも“和”を大切にするナナが、自分でそこからはみ出したようで……、とても信じられなかった。
「ナナ、何があった?」
「…………」
立ち尽くすナナの腕に、もう一度触れた。
少しでも抱えたものを、感情を……、吐き出して大丈夫なんだと伝えたかった。
「ナナ、サスケのこと、嫌いになるような何かがあったの?」
できるだけやわらかく問う。
が、ナナは目を伏せたままだった。
「サスケとイタチが戦った場に、お前も居たって聞いたけど……、そこで何かあったの?」
ナナの顔が歪んだ。
「サスケの“復讐”のこと……?」
差し当たって心当たりはそれしかなかった。
サスケの兄に対する“復讐心”を目の当たりにして、ナナが悲愴感や絶望感を抱いたのだとしたら……、それならば理解ができた。
大切な仲間が、
そうだとしたら、師としてかけられる言葉は少ない。
だがそれでも、そのためにどこかへ落ちて行きそうなナナの手を取らねばならなかった。
「ナナ」
鈍らな身体を動かし、向きを変えて、ナナを正面から見上げた。
今は気休めでも、少しは安心させてやれる言葉を……、それを探して口を開きかけた。
その時。
「先生……私……」
ナナがつぶやいた。
今にも泣き出しそうな、揺れる瞳に息を呑む。
「ナナ……?」
ナナは絞り出すようにつぶやいた。
「先生に……まだ、言ってないことが……」
そこまで言って、ナナは迷ったように言葉を飲み込んだ。
カカシはあせらずに待った。
ただ、ナナがこれ以上何を抱え込んでいるのか、そう思うと彼も苦しかった。
先ほど『話させなければ』と思ったくせに、もう『今は何も言わなくていい』と言いそうになる。
未熟な自分が情けなかった。
だがナナの苦しげに奥歯を噛みしめる様は、あまりに哀れだった。
カカシは間を置くことにした。
自身のためらいも収めるように、シャワーを浴び、髪を整え、ナナが用意しておいた食料をかきこんだ。
一息つくと再びナナに向き合った。
しかし、ナナのための時間は許されなかった。
どちらかが口を開く前に、窓の外に召集を告げる
「先生、もう任務?」
ナナも使い羽に気づき、不安そうに言う。
「んー、綱手様はせっかちだからね」
おどけて言っても、ナナは目を伏せた。
カカシは、迷った末に言った。
「ナナ、その話は、お前が言いたくなった時に聞くよ。ただ……」
「…………」
「今はサスケの所に戻れ」
ナナはすかさず首を振る。
こんなにも頑なに拒絶する姿は、今までのナナからは恐らく誰も想像できないだろう。
カカシは感情を抑えて、あえて師らしく言った。
「ナナ、お前が今はサスケに会いたくないって気持ちは否定しないよ。けど、このままじゃダメだ」
「…………」
「話はしなくてもいい。お互いの“無事”を確認するだけでいいから、会っておいで」
なだめるように言い、ナナの手をとった。
冷たい……。
「オレも、任務聞いたらすぐ顔出すから」
「…………」
ナナは少しの沈黙の後、しぶしぶうなずいた。
「よし、じゃあ行こっか」
「…………」
「ナナ、せっかくだからそれ着てみてよ」
恐ろしいほど無表情のまま、ナナはベストを羽織った。
SSサイズなのだろうが、それでもまだナナには大きかった。
「うん、似合ってる、似合ってる」
「…………」
視線は合わない。
「行こっか」
カカシはもう一度そう言って、まだうつむいたままのナナの頭にぽんと手を乗せた。
そして、最後に残った言葉をつぶやいた。
「大丈夫……」
それにすがってくれたのか、それとも無責任に聞こえたのか……、ナナはようやくこちらを見上げた。
その目は不安気でいて、恨めしそうだった。